a.t.b.二〇〇六 December
工学棟・ラボ
十二月に入るとノエルは完全に工学棟に入り浸るようになり、テストパイロットをこなしながら来たる本番に向けて準備を着々と進めていた。
ロイドは人に関心はないものの技術者の心得を持つ者には一定以上のアンテナが反応する性質を持っている。ノエルにはその素養があると見込み、あれやこれやと口を出すほどの間柄になっていたが、いつもノエルがなぜそれを制作しているのか、企図と目的に関しては秘密主義を貫いていた。
「ノエルくん、きみってば本当多才だよねえ。惚れ惚れするよ〜」
「どうも、ロイド博士」
「工学方面の進路考えてみたら?」
「どうですかね。こんなの玩具づくりですよ」
図書館から借りた専門書とロイドのラボ内にある専門書を貸してもらったノエルはデスクで静電気防止作業台マットを敷き工作≠ノ勤しんでいた。
「そうかなぁ? で、それなに作ってるの?」
「玩具ですって」
ロイドは、ああ――こういうちょっとわかりかけたところで引き下がるから気になってしまうんだろう――と感じていた。
それはロイドだけでなく、ノエルと関わる者すべてがそうで、カノンにしてもシュナイゼルにしても同じ様だ。
そのシュナイゼル曰く――授業で長話を遠慮するようになり、専門書をじっくり読み耽る内職を授業中にするようになり冗句のつもりだろうが『飛び級も近いね』とロイドにこぼした。完全にそっちに傾倒しきっているのかと思いきや、口頭試問となれば回答をきちんとするため教授・教官達も文句の一つでも浴びせてやりたいだろうにそれが出来ないでいるらしい。
生徒達から不評を買っている教授の授業に至っては殺し≠ェ続いていて、不人気の授業のはずが聴講生が数多くいる。――ノエルは完全に学院内での地位を確立していた。
その噂はすでに学外でも知れる所らしく、帝国最高学府からの招待状も届いているらしいが本人に全く意欲がなく断り続けている。
そういえば――一週間前のこと。ロイドはデモ機のテストを行った日のことを思い出した。
パトロンのシュナイゼルは現場などには興味がないと思っていたが、技術に関しての興味関心は強いらしく経過監査はまめだとその日わかった。
システムが正しく作動するかの初歩的なテストをノエルが行う傍ら、デモKMF機を見上げるようにロイドとシュナイゼルは並び立っていた。話題はテストパイロット本人の進路についてだ。
――『毎度、毎度、そうやって断ってて怒られちゃいません?』
――『ああ、そうだよ。ありがたいことに私の顔に免じてお許しいただいているよ』
――『説得したんですか? 本人に』
――『したさ。うちの寮にも来ない彼が私の言葉に素直に従うと思うかい?』
ロイドは腹を抱えて笑った。人を咎めることをあまりしないシュナイゼルはその時でさえ微笑みを湛えている。
――『……殿下、欲しいんじゃありません?』
――『おや。急にどうしたんだい、ロイド。彼を物のように扱って』
――『まったく猫被ってんじゃないですよ。お互い様。――あなたなら、彼を騎士にでもしたいと思うはずですよ』
シュナイゼルは声を出して笑った。感情を無理矢理出しすぎることのない法定速度を守るような笑い方は刺激への反応のようで、いつもノエルがスイッチを押して飛び出る笑い方とは質が異なる。
――『騎士か。いい響きだね。――すると、ロイド。君にも彼を利用する機会が訪れるかもしれないよ』
――『あはぁ。まさか、本気?』
――『はは、冗談だよ』
シュナイゼルの言葉は大抵本当になる。ロイドは過去の経験則から知っている。この優れた策略家の実行力を見くびってはいけない。ロイドはこの時、ノエルに対して心の中で謝罪した。――殿下に助言を与えてしまったかもしれない、と。
――『博士ー、ロイド博士ー! なんかエラー出ちゃってます! 再起動したほうがいいんじゃないですかねえー?! ……シュナイゼルいるじゃん……』
コックピットからアクセスデッキに下りたノエルは不敬発言を隠す努力もせず、頭が高いにも程がある遥か上からシュナイゼルを見下ろした。
デモKMFの再起動作業をとるべく制御卓に向かい指を動かすロイドの隣でシュナイゼルは戯けたように言った。
――『ここじゃ博士≠謔闊ハが下みたいだね』
――『あはー。宮廷じゃなくてよかったですねえ〜! 諸共斬首刑になっちゃう!』
――『博士より位が低いのは承知しているよ』
――『……ああ、なるほど。いやあビックリしちゃった! 唐突に惚気だすなんて! で、早く研究急いでくださいって言っといてくださいよ』
――『耳に胼胝ができるくらい聞いているよ』
ロイドが作業を終え振り返ると、キャットウォークの足場の上でストローから栄養剤をちゅーちゅー吸い上げる仏頂面のノエルがいた。
細かい作業に飽きてきたノエルが欠伸をした頃、ラボの扉が開いた。
カノンは大量の同じショッパーを肩や腕に巻き付けていた。明らかに気分が降下していて不機嫌だ。
「おかえり。どうしたのカノン」
「はぁ〜、惨敗よ。参入がこんなに難しいって知っていたことだけど……まだまだね私も」
どっさりとデスクにショッパーを並べるので、ノエルは掻き抱くように制作物を端に避難させる。カノンの計画は上手く行っていないらしく、とにかく声のトーンが低い。
「もうすぐクリスマスよ。プレゼント購入の増えるこの時期に成果があがらないのは終わってるって話」
「クリスマスか……」
「なに?」
ノエルはもうそんな季節かと曜日感覚を失った自分の頭に言い聞かせるように呟いた。
ある二つの実験が思い浮かび、それにはカノンの助けが必要だとすぐに考え至った。にやりと笑うと、カノンに提案を持ちかけることにした。
「ねえ、クリスマス前に私とデートしない?」
「はあ?」
意外だったのか、彼の声は想像以上に間抜けだった。ふたりはいつも同じラボに集まる不良同士だが、お互いのやりたいことには口や手を出すことはしてこなかった。それでも何をしているのかは見当がつくもので、カノンは化粧品を取り扱った事業をしているが芳しくない様子だ。
「カノンのやっている仕事に私も手伝いたいと思って。良ければだけど」
「あー……まあ……そうねえ……。タッチアップのお客様がいないなら、こっちが用意する必要があるのはわかっていたわ」
ノエルはカノンの口ぶりからそのモデルさえも雇える状況にないのを察する。
「私だと人件費タダだよ」
「……食事くらいは奢るわよ」
「女性の格好はする?」
「出来ればお願いしたいわ。サイズは? 変わった?」
「最近ちょっと肩周りが変わったかも」
「わかったわ」
「じゃあ、決まり。日程は?」
「逆に、いつがいい?」
「そろそろ休暇がはじまるし……いつでも? あっでも……クリスマスよりは前がいい。これは絶対」
「そりゃそうよ。こっちもクリスマスが大勝負≠セもの」
お互いの顔を見合わせてにんまりと笑う。利害は一致している。悪巧みを終えてノエルはロイドにおつかいの話を切り出した。
「ロイド博士はお使いどうする?」
「僕ぅ〜? ……最近、正規パーツが届いてウハウハだし〜間に合ってるんだよねぇ〜」
「じゃあ、今回はなし?」
いつもはあのパーツがこのパーツが欲しいといって脱走シュートの利用ごとにそれを持ち帰る約束をするのだが、出来ればないことに越したことはないわけで――。なければいい、ないほうがいい! 不良ふたりの勢いに負けてロイドは悲痛な叫びを上げた。
「君たち、目が爛々としていて怖いよぉ!」
a.t.b.二〇〇六 17th December
帝都ペンドラゴン
その日のノエルの女装は元になった本物のノエル・アストリアスとカノンの腕前、彼の持つ製品にに感謝するほど完璧だった。
身長の高さは誤魔化しきれないが、それも込みでカノンはノエルに似合うコーディネートを組んだ。黒のシルクシャツ、グレージュのスラックス、足元はポインテッドトゥのレザーブーツ、さっぱりしすぎているので手首に細いシルバーのチェーンブレスレット。ラグジュアリー風を狙っているのだろう。
「今日は二軒回るわ。確実に絞ってきたからここで決めたいところね」
「イエス・マイロード!」
「いい返事ね。……見立て通りで安心した。サマになってる。あとは愛想よく頼んだわよ」
「お任せあれ」
――……とは言ったものの。
ハイストン百貨店――皇族や貴族を中心とした格式重視の国内有数の老舗百貨店である。初手で切り込むとはカノンの本気度が伝わってくる。
「……けっこう、ちゃんとしたとこだね?」
「怖気づいたの? しっかりしてよ。ノエル頼みなんだから」
「うん……。……シュナイゼルのプレゼントここの包装紙だったな……」
「なんて?」
「あっ、いや、なんでも……!」
カストラリア王宮潜入時の最もインパクトのあった記憶――ティラナの居室を復元したと思しき部屋にはなぜか大量のプレゼントが置かれてあったこと。それはまるでクリスマスの朝、ツリーの下に置かれているプレゼントのようで、試しに何が入っているか確認したところアクセサリーやコスメ・香水などで、アクセサリーはティラナ変装の間に合わせにいくつか拝借したのだった。
そのプレゼント達の包装紙のデザイン、ロゴがこのハイストン百貨店であった。根っから庶民のマルカにはちょっと贅沢過ぎる代物だったかもしれない。イヤリングを耳につけるときは特に緊張した。兄妹が多いとあれこれ言われるのか、節目節目に祝う習慣が徹底されているのか、ともかく家族のいない身の上には異なる文化に思えた。
――皇族だとプレゼント交換も大変だろう。クリスマスとか。プレゼント……贈ってあげたほうがいいのかな。
姫様に。拝借料もこめて。シュナイゼルの分は姫様がなんとかするだろう。
――あの人に物欲なんてものがあるのだろうか。
今度聞いてみるとしよう。予想では、貰えるものは貰っておく、だ。
意識が別方向に飛んでいるノエルをカノンが咎める。
「なに難しい顔してるの。もっとリラックスして、ノエル」
「はっ。……はい」
百貨店の裏側の待合室。
会議室への入室許可が下りた。担当者が顔を出し、ふたりは互いに顔を見合わせて頷きあった。
その日、二軒目にヴァルモンド百貨店を回った。最初のハイストン百貨店に比べると顧客はより砕けて成金やブルジョワ相手になるが、色の良い返事が聞けたのはそのヴァルモンド百貨店だった。
午前中に一気にプレゼンを詰め込んだせいか、昼食と称した作戦会議の頃にはノエルもカノンもヘトヘトのクッタクタになっていた。遅い昼ご飯をとるためにダウンタウンの少し安めのカフェで分厚いトーストサンドとロイヤルミルクティーを胃に流し込んだ。
満腹中枢を刺激して落ち着いたノエルはふとカノンについて思っていたことを訊いた、
「カノンのしていることは薄々勘づいてはいたけど、どうしてこれを頑張ろうと思ってやっているの?」
「実家が没落貴族だからよ」
「そうなんだ」
「アーバンド伯爵にはわからないでしょうけど。……悪かったわ。今のはナシ」
「ううん、気にしてないよ」
カノンの事情を知って、彼も戦っているのだとわかった。ラボ内のロッカーに置いていた高そうな化粧品達は彼の趣味というよりも商売道具で、それらを抱えて密かにあちこちに営業をかけていたのだ。
「それで……事業再建して……カノンは、お屋敷で雇っていた人達の再雇用をしたいんだね?」
「……びっくりした。よくわかったわね」
「え? あ、当たり? 今のは適当に考えただけで」
「なにそれ。エスパーね」
ふふっと笑って、カノンはカフェオレを飲んだ。
「……じゃあ、カノンは不良って言われてるのは家関係ってこと?」
「だいたいはね」
ノエルはカノンの綺麗な横顔を見つめた。
「じゃあ、不良じゃないね」
「不良よ不良。ゴミに火つけて遊んでたくらいにはワルよ。……今は、ウチの当主がクソだから……私にできることをしてるだけ」
環境破壊活動タイプのワルだったんだとノエルは思った。
シュナイゼルを死海風呂に浸からせてあられもない姿を全国民に晒すところだった前科があるマルカにはムズムズするものがある。国民の中から性犯罪者予備軍を輩出するところだったのは反省している。あの頃のシュナイゼルは今よりもかなり可愛げがあり、それこそ童話の王子様然としていて自分が映画業界の人間だったらば彼を主役に何本か撮っているほどの美少年だった。――今がけっして衰えてしまったというわけではないが、むしろ輝きが増しているとさえ感じる。
大食堂でたまたま鉢合わせた時になんとなく、ラブレターを貰ったことがあるかと尋ねたら『ままあるよ。君は貰ったことがないのかい?』と逆質問されてすこしカチンときた。浮き名流しのノエル≠知っているならその言葉はかなり挑発的だ。
――というか、姫様という婚約者がいるのを知っていてラブレターを送ってくる人間がいるのか。
小国のそれも属領国の王女相手といって馬鹿にしているとしか思えない仕草だ。姫様が舐められている。非常に不愉快だ。スポーツ・ウィークの時にやって来た貴族の女達もひどい評価を下していた。どこが野蛮な山賊の女≠セ。
「……ん? もしかして……」
――……あの番組のせいだろうか? しかしあれは国内向けでしか流れていないはずだ。
王室日記が当初の内容から過激路線に変遷したのには理由がある。国民の子供達の将来の夢が軒並み低品質化を起こしているといったアンケート結果が原因だ。戦争のない防衛特化の中立国特有の問題か、多少の平和ボケ由来からか子供達の興味関心が娯楽に偏りすぎている――と制作会議で大人たちがいうので国民の手本となるような内容を充実させようと努力した結果だ。それがやれ王室は公共の電波を私物化し過ぎているだの、スポンサーがついているからと該当企業の宣伝は問題があるだの――と匿名の批判投書が相次いだ。
スポンサーがついているのは事実だが、王室からも拠出していた。まず国民が王室の財源が国家予算から割かれているという思い違いから正したかった。王室は簡単にいえばいち独立企業体制で、税金ではなく独自の収入源がある。政府から特別予算で助成金を受け取ることもあったが、六年前を含めてそれ以前の五年前からすべて断っている。
――でも、最初の特許があと少ししたら切れちゃう……。どうにかして次の収入源を用意しないと……。相続税でだいぶ貯金が目減りしたはず。シュナイゼルだってまだ未成年皇族だ。正式に婚姻していないから立場だって……。子供が生まれたらそれどころじゃ……。ナニー募集がかかったら応募してみるか? そうなったら整形とかしなくちゃだし……。
今表向きに与えられている暗殺計画と黒幕逆探知の結果をシュナイゼルに報告しなければ国の将来がない――。
――ああ、なんて前途多難か。
ノエルの隣でメールの返信を打っていたカノンが呆れ果てている。
「なに百面相してんのよ」
「ん……ああ、ごめん……プレゼントを考えてて」
適当な嘘だが、嘘でもなかった。姫様には詫びがいるだろう。死んでいたと思い込んでいた詫び品という名のクリスマスプレゼントが。
――しかし、姫様がもし本当に死んでいたらどうしていただろう。シュナイゼルには悪いが、それこそ実は生きていましたとそのままティラナの後釜に座っただろう。そうしなければ――約五四〇〇万人の国民を守ることが出来ないのだから。
「プレゼント? 誰に贈るの?」
「……女の子」
「いいじゃない。アドバイスいる? その子普段はどんなプレゼント貰ってるの?」
「うーん……うーん……お金も持ってるし、美味しいものも食べられるし、ブランドものもなんでも持ってるし……欲しくなったら男に言えばいいもんなぁ……」
「勝算ないじゃない! とんだ高嶺の花ね」
高嶺の花。そうだった、姫様は高嶺の花だ。本当に標高の高い王宮にお住まいになられているし。その言葉も姫様のためにあるようなものだ。
「……うーん……将来も……男がなんとかするか……じゃあいいかなプレゼントは」
「諦めるの?」
「らしくないって? 大惨敗です、降参! クリスマスカードだけ贈るよ」
両手を高くあげて降参のポーズをとる。
「そう。それじゃあ、ドレスアップしましょう子鹿ちゃん」
「え? でも今日はもう終わりじゃ……?」
「それが今、メールが来たの。最初のハイストン百貨店から。どうも業界内で情報を流し合ってるのかしらないけど、ヴァルモンドで置くって決まったからか、ハイストンの方でも揉んだのね。もう一度チャンスをあげるからこの後来られないかって」
「え? え?!」
届いたメール文が映る携帯画面をノエルに掲げてみせる。たしかに担当者から送れられてきたものだ。どうやら午後四時に再度商品とタッチアップをみたいらしい。
「絶対モノにするわよ」
カノンの顔は戦場に赴く兵士のように覚悟が決まっていた。
午後六時。
ハイストン百貨店で二度目の勝負を終え、ノエルは女装から着替えもせずそのまま郵政局へ駆け込んだ。帝国首都の郵政局本部はまだ取り扱い時間が長く午後七時まで開いていた。今日中に出せばクリスマス前に国際便でカストラリアには届くだろう。
郵政局本部内の多目的トイレでハイストンチャレンジのために武装し直した化粧とウイッグ・服や靴を当初着用していたものに替えカノンと待ち合わせ場所にしている大時計広場へ戻る。 シャンパンゴールドの大時計の下の石畳とたくさんの噴水がある場所はすでに大勢の待ち人達の休憩所となっていてその多くはカップルで、ノエルは場違いなのを感じていた。その人混みのなかでカノンはホットコーヒー入りのカップを両手に持ちベンチに座って待っている。すぐさま声をかけると「遅かったじゃない」と、ノエルが着替えたことに気づいて「さっきのままでも良かったのに」と呟いた。
「ちゃんと出せた?」
「間に合ったよ」
「そう。いい返事が来るといいわね。はい、ノエルの分」
「ありがとう」
座っているカノンからカップを受け取る。まだ熱いほどだ。カノンは上機嫌で鼻歌を歌った。それにつられてノエルもにっこりと笑う。
「今日は大成功よ。二つとも契約に取り付けられて。二十三日に一日限定の特設会場も急拵えだけど開催できそうだし……ノエルには本当感謝してる。上手く行き過ぎなくらい」
「カノンの努力の賜物だよ。お役に立ててよかった」
「まだ本番はこれから。クリスマスコフレシーズンは完全終盤で時期がちょっと悪いけど、PRがとにかく大事ね。――今日はお祝いに時給分の食事を奢るわ」
「やったー!」
頑張った甲斐があったと小躍りする。カノンが荷物を肩にかけ立ち上がり、手をノエルの方に差し出して「さあ、レディ。お手をどうぞ」と――美少年に相応しい仕草に思わず破顔し、ふたりして笑い合う。
そこにカノンのように両サイドの髪の長いが襟足の短く整えられた、灰緑色の落ち着いた銀髪を持つ朗らかな声がかかった。
「奇遇だカノン。……彼女かい?」
厚着をしているのではじめは同年代の少年かと思われたが手首足首の細さが女性だとわかり思わず見入ってしまう。
「珍しい。出先で会うなんて。そっちもクリスマス休暇始まったの? 紹介するわ。ノネット・エニアグラムよ……今は士官学校に行ってるの。私の幼馴染」
「こんばんは。ノエル・アストリアスです」
「へえ〜、女の子趣味のあるやつが女の子を作るなんてね」
「ややこしいことを言わないで頂戴」
どうやらカノンのこの趣味≠ノ理解のある人物らしい。好奇心旺盛な瞳がノエルの全身を隈なく調べ上げただ一言、偶然にしては確信めいた自信の響きを伴って言葉が放たれる。
「……ふっ……かわいい女の子≠カゃないか」
「……あ……」
「こら、からかって遊ばない」
一瞬どきりとした。偶然女の子の格好をしている元女の子でしかないノエルは複雑な心境を誤魔化すため笑った。
「これから前祝いだから。悪いけど話はまた今度ね」
「そうなのかい。邪魔して悪かったよ。じゃ、デートを楽しんで!」
ノネットはあっけらかんと手をひらひらと振り、邂逅から通りすがりの他人へと戻っていく。その背中を見送るカノンは「実はね、ノネットとは婚約者同士だったの」と打ち明けた。
「ええ?!」
「そんな驚くこと? 貴族社会じゃ当たり前でしょ」
「……まあ、そんなものか。……親が勝手に決めたの?」
「そうねえ。どこもそうじゃない? 政略結婚なんだから」
またもや、それもそうかと心の中で頷く。政略結婚と難しい言葉の裏で当の子供同士本人は無邪気に友情を育み、互いの秘密をそれとなく知っている――それが先程のやり取りに現れていたということだろう。
「ま、その婚約も解消されてしまうくらいうちは火の車ってこと」
「学費は大丈夫なの?」
「そこは当主が見栄っ張りだから、なんとかしてるけど……。こうして不良やってると成績でバレるからイヤイヤ授業に出てる。あーはやく一山当てたいわね。……貴族ってったってピンからキリよ。とくにノーサンブリエだとやりにくいったらありゃしない。あの金髪皇子が睨み利かしてて……昨日なんて朝からいきなり抜き打ち検査よ!? 本当に肝が冷えた。バレたら即刻反省室行きで監督生とマン・ツー・マンでお喋りよ。この大事な時期にそれはしたくなかった」
想像するだけで身の毛がよだつ絵面だ。ノーサンブリエに転寮なぞ絶対してやらないぞと心に誓う。ノエルはカノンが抜き打ち点検を回避しているというところが気になった。
「どうやって回避したの?」
「天井裏に隠したの」
「へえ。やるう!」
「それで今日無事に来られたってわけ。……抜き打ちに引っかかった奴はエロ本隠しでしょっ引かれていったわ。かわいそうに。エロ本くらい許せっての! 外出・外泊禁止でどうしろと」
ああ、ほんとうに大変なんだなとどこか他人事のようにノエルは遠くを見つめた。
――連れて行かれた先の反省室で、ポルノ雑誌を間に挟んでシュナイゼルとお喋り。本当にかわいそうだ。
「その点、ケントはいいわよね。うちと違って緩そうだし。個室なんでしょ? 奨学生は。私は来年から個室を貰えるけど……。ノエルがノーサンブリエに来たがらない気持ちもわかるわ」
「ん? あの……別にそっちの意味じゃないよ変なほうの」
「わかってるわよ。だって興味なさそうじゃない」
――性欲がないわけではないけど。男性機能が働いている限り。
男女相手にそれぞれ考えても自分の立ち位置がややこしくてその気になれないだけだ。
「さ、その話は終わり。夕食なに食べる?」とカノンが話題を変える。お待ちかねの夕食とあって腹の虫も元気だ。
「ステーキ!」
「ほんとうにお肉好きね」
イルミネーションに輝く帝都の夜は始まったばかりだった。
二ポンドの肉が胃を満たしご満悦のノエルは自寮の部屋に戻ると、コートの中に隠し持っていたペットボトルを机の上に置いた。
それは学院に戻って来る手前、敷地の境界線――塀の上から回収したものだった。中に入っている数枚綴りのメモ用紙を確認し、ペットボトルの蓋を開封。逆さまに振り落とした。
朝同じ場所にノエルが残した餌≠セが、もし常に動向を監視されているのであればその中の紙はノエルのメッセージに対する返答が書かれているはずだ。
答えは、YESだった。
a.t.b.二〇〇六 24th December
カストラリア王宮
王宮内にある内務局の事務のデスクには毎年山盛りのクリスマス・カードが届く。特に今年はその量の多さは抜きん出ており段ボール五つが既に積み重なっておりタワーを形成している。侍従達はほくほく顔で見上げては手分けして中を開けていく。
「いやあ、いつになく多いですねえ。ハーゲンさん。まだまだ届きそうです」
「ええ……十一月の……殿下による王女殿下の代読スピーチの効果でしょう。本来は陛下がクリスマスにメッセージ動画を公開するのが習わしでしたが……今年はその期待の声もあちこちで上がっているようです」
最近かけはじめた老眼鏡越しに侍従長ハーゲンは一通一通カードに目を通していく。影武者のマルカが目覚めたとはいえ君主不在の王宮。国教会のクリスマス・ミサの準備の手伝いに人を駆り出す以外、日常の業務量は多くなく――摂政のシュナイゼルが彼の国に戻っている間は特に暇であった。こんなことはどこの国でも有り得てはならぬとわかりつつ、内乱も他国からの侵攻にも晒されず無風の時間≠過ごしている。
「ティラナ様のお加減はいかがでございましょう?」
「……ええ。それは……姫様のことですから国民に向けてメッセージを贈りたいお気持ちは十分ございます」
ハーゲンはシュナイゼルに対して密かな感謝を申し上げていた。王宮を階層分けし王室――とくに王族居住エリアとそれ以外をはっきりと区別することでティラナの実態を秘密を知らぬ者達から隠し通すには都合がよかった。――いや、あの切れ者の第二皇子殿下のことだからそれも込みで設計を取り仕切ったのだろう。
――それにしても、この頑強なセキュリティを突破なさるとは姫様もたいしたお方だ……。
十一月の晩餐会の夜。
王宮内にはあらゆるものが一時的に消失し、償還され、セキュリティロックは一時変更されたかと思えば元通りに変えられている、やり手≠フ犯行が発覚した。ティラナが変装したと思しき王宮メイドは新しく雇い入れたフリジア・メルソンを騙り――各所防犯カメラの位置にも気を配り、かなり死角になるように移動し顔はあまり映らないようにする努力が映っていた。防犯カメラ映像を前に関係者一同舌を巻いた。首相ベルケスは呆れ返り、女官長レルヒは珍しく頭を抱え、捜索計画の統括指揮を担うシュナイゼルだけは笑っていたが。
『まるでスパイ映画だ』とはベルケスの言。
――『思い出しましたわ。ティラナ王女は王宮中のマップを把握していて、どこでも自由に行き来できるので……それがたとえ下水道や裏方の詰所、ゴミ置き場でさえも。マルカ様だと思っておられるゆえ、我々のいる官舎の方に宿泊なさることもありましたし……』
そうこの王宮もティラナの庭。すべてティラナのものだ。
――『困ったお姫様だなあ。私も王宮内のすべての場所に入れるわけではないし……たしか、裏手にある神殿もダメだったね?』
シュナイゼルの問いかけにハーゲンが応じる。
――『その通りでございます。あちらは王家専用の祈祷所でございまして、我々も……。実をいうとクーデターで先王夫妻が薨去され……誰もそこに行けておらず……国教会のアーサルトル枢機卿にもこの件はお話ししておりますが……王家固有の祈祷所とあり……立ち入れないのでございます』
――『……ティラナに継承する前に亡くなられたとすると、問題が大きいのでは?』
――『ええ……。いわば、秘教でございますし我々にはどうすることも……』
――『断絶だね。クーデターの狙いはそこだったのかな。……どう思う、ベルケス公爵。アルディック公爵令嬢が今日こちらの事情聴取に応じたのは、我々への内偵ではないかな』
ベルケス公爵は弟アルディック公爵を思い浮かべて突き放すように言った。
――『そうでしょうな。あの弟のことは昔からよくわからぬ奴でした。……ごく最近、護国自警会の後援にも回り件の監禁の件を探らせていますが、証拠はなにもない。余りある富をもって王党派組織を支援している者を訝しむ方こそ後ろ指をさされる。状況は芳しくありませんぞ』
――『ふむ。この際、当件以外で引っ張るしかなさそうだね。彼は湾港都市で手広くやっているし、黒い噂の一つや二つはあるだろう。なんでも構わない。取っ掛かりを作り、炙り出しを行うように。アルディック公爵の追跡は引き続き継続だ』
シュナイゼルの言葉に秘密を知る三人が頷き合う。
――『あとは、晩餐会の夜、彼女が残したパンプスの出どころだね。デザインからしてブリタニア人デザイナーのアーニー・モルケット作らしい。……発注者は衣装係長フロンド・ディーパリーだそうだね。閑職の彼に成りすましたということだろう。ブリタニア方面は私が探るよ』
そのやり取りから一月半。事態に進展はない。ハーゲンの気分は日に日に憂鬱になっていくばかりで、何も報告することがないのにシュナイゼルの助言を得て気を休めるくらいしか出来ることがなかった。
不意に手元にあるクリスマス・カードの繊細な文字列に稲妻を落とされた。
「ん……? これは!」
「どうしました? ハーゲンさん」
勢いよく立ち上がると、机の上に置いていたクリスマス・カードの何枚かが風でひらりと床に舞い落ちる。それを若い侍従が拾った。
「……少し席を外すよ。何かあったらレルヒさんに取り次いでください」
「あ、はい」
ハーゲンは何度も何度もその文字列を繰り返し読み込んだ。筆致といい、直裁的な内容といい、端書きのわけのわからないラテン語の文章といい――。それはティラナのメッセージに他ならない。廊下を進む足取りが早くなっていく。
a.t.b.二〇〇六 24th December
ブリタニア皇宮 ウィルゴ宮
「クリスマス・カードが届いたって?」
〈はい。消印を確認したところ……ブリタニア・ペンドラゴンの郵政局本部からでして……〉
クリスマス休暇に入り皇宮に帰省していたシュナイゼルはウィルゴ宮の自室で執務に追われていた。そんな中、カストラリアから独自回線の呼び出し音が鳴り、出てみると息を切らしその音の煩わしさからほとんど内容が消失してしまうほどの侍従長ハーゲンからティラナ生存を確定させるであろう新規情報がもたらされた。
ティラナを騙る撹乱要素を捨てきれないシュナイゼルは訝しむように確認をとった。
「筆跡はしっかり鑑定したのかい?」
〈はい。間違いありません。そちらに画像データをお送りましょうか?〉
「そうだね。見せてほしい。送ってくれ」
用意周到なハーゲンは撮影した画像データをすぐさまシュナイゼルの元へ送ってきた。
シュナイゼルは下段の引き出しにある箱から婚約条約文の署名の控えと、先月の晩餐会で代読を行った際のカードを取り出した。ティラナはマルカだと思い込んでいるがゆえに、ティラナの字≠完璧に模倣しようとして癖の入り方が一定でかえってわかりやすくなっている。
確実にわかりやすいのが直筆論文やそのメモの類で、一部シュナイゼルが保管している未完成論文等と照合するとはっきり本人の筆跡だった。
「……うん、確認したよ。……ティラナの字だ。消印の場所からすると単純に考えて、彼女は今こっちにいるということだけど。……内容はなんて書いてあるんだい」
〈……クリスマスのスピーチを撮影し、公開するようにと。その原稿文が書かれてあります〉
「本当だね……。ははは、これはおもしろいね。……さすがだよティラナは。生存しているといえるのかな。カストラリアにいないのはどうしてだろう?」
〈わかりませんが……あ、あと、こちらの端書きはなんでございましょう。ラテン語で……Facta non verba.(ファクタ・ノーン・ウェルバ)と読めることはわかるのですが〉
「ああ、言葉でなく行為が大切≠ニ書いてあるんだよ。……サイン代わりかな。先月は言葉を……私が読み上げたけど。次は行為――行動を通して国民に示しなさいという意味にとれる」
〈な、なるほど……! 姫様はやはり国民のことをお考えになられて……〉
映像通信の向こうで涙ぐむハーゲンを横目にシュナイゼルはたっぷりと書類の挟まったファイルを開き、郵政局本部局長に繋がる番号を探した。
「私の方で郵政局本部に問い合わせるよ。……窓口からの消印はだいぶ絞れる。むしろ、わかりやすいまである。ねえ、ハーゲン。これってどういう意味だと思う?」
〈意図的……と感じますが〉
「ああ。そうだね。……ティラナのことだから……ただ国民へのメッセージのために送ってきたわけじゃない。……マルカにスピーチをさせよう」
〈承知いたしました。殿下〉
ハーゲンは彼専用の執務室で段取りを組むべくメモを書き出した。おそらく女官長レルヒ宛てのものだろう。
「スピーチをさせたら、なにか動き出すのではないかな」
〈恐らくは。それが狙いということでしょうか?〉
「ふっ……いい調子だ。私達は同じ標的を相手にしているかもしれない」
〈報道部の方にも伝達いたしましょうか〉
ハーゲンの提案にシュナイゼルはしばし考えた。
「それは待ったほうがいい。どこが最初に動くか見定めなくては。マルカのスピーチ動画を撮影したら、明日朝に緊急でかけあってくれ。正午頃の報道に載せるといい」
〈仰せのままに〉
どこにもこの情報は漏らさずに明日ゲリラ的に行動を実施する。
シュナイゼルの意を汲み、ハーゲンはレルヒに取り次いだ。情報戦を仕掛けるにはまずその道のプロの力を借りるためだ。
a.t.b.二〇〇六 24th December
カストラリア王宮
ティラナからのクリスマス・カードが届き、マルカにそのクリスマスメッセージ映像の話が伝えられたのは昼下がりの頃だった。
マルカは目覚めて以降、ティラナの居室ではなくその隣室の小さな部屋を私室として使い、日中は本を読むか惰眠を貪るか、時々昔のことを思い出しては涙を流す日々を送っていた。
ハーゲンから教えられた話をきいて、マルカはついにティラナ生存が確定したことに夢ではないかと思い頬を数度叩いた。
「ほんとうに、ほんとうに、ティラナからなのね?」
「間違いございません」
「……スピーチ……そう、スピーチをするのね? 私に出来るかしら……」
「マルカ様……」
動揺と興奮が綯い交ぜになりマルカはブルネットの長い髪を撫でた。
興奮を押さえつけるようにもう一度訊ねる。
「ティラナは、生きているのね?」
「はい。……殿下がブリタニアの郵政局本部を調べると仰っています」
「……わかりました。……晩餐会の映像を真似てみるわ。……たまには影武者らしいことしなくっちゃね」
a.t.b.二〇〇六 25th December
ブリタニア皇宮 インペリアル・サロン
本場ドイツから持ち込まれたというドイツトウヒの鋭い葉が吹き抜けの皇宮の中庭にそびえ立ち、その常緑樹の下にはカラフルな包装紙とリボンに包まれたプレゼントが敷き詰められている。ここインペリアル・サロンにはクリスマスになると普段は親しい者同士でしか集うことをしない皇族達が寄って集まり顔を合わせる習わしになっていた。
シュナイゼルは一人最低一つプレゼントを用意し、一つ置かれているプレゼントを持って帰るというルールに従ってドイツトウヒの下から持ち運びが容易な小箱を選んだ。他の小さな弟妹に比べて成年の背丈を持つシュナイゼルはよく目立つ。とりわけ彼に懐くリ家のユーフェミアはその姿を見つけるなり駆け寄ってきた。
「お兄様、お兄様、プレゼントはなんだった?」
「ああ、まだ開けてないよ。ほら」
「今すぐ開けて!」
せがむユーフェミアと、その妹を心配したコーネリアが後から申し訳無さそうにシュナイゼルの前に現れた。
「こら、ユフィ。兄上を困らせるな」
「ええーっ!」
「良いんだよ。コーネリア。さて、なんだろうねぇ」
シュナイゼルが膝をつき、小箱の包装を解きユーフェミアに見えるように開けてやる。少女の瞳は星屑をかき集めてきたように輝く。箱を開けると、そこには太軸の黒く美しい光沢と十八金プラチナの装飾的なペン先の万年筆が一本。
「万年筆だ。……どうしたんだい」
「……ちょっぴりつまらない」
ユーフェミアの表情は一気に鎮まり、曇った。
「そうかい? おそらくこれはオデュッセウス兄上のチョイスだとは思うけど」
皇室御用達ブランドのロゴマークが滑らかな材質の小箱に特殊加工で刻印されているのをたしかめていると、プレゼントの主の声が降ってきた。
「やあシュナイゼル、みんなこの場所にいるとうかがってね」
礼をとろうとするシュナイゼルの肩にオデュッセウスは手を添えて引き止める。
「兄上」
「ああ、いいんだよ。……みんなであちらに座ってお茶を飲もう。ここは寒いだろう。さあ行こう。今日はクリスマスで家族の日だ。こうして団欒できるだなんて貴重な時間なのだからゆっくりしようじゃないか」
インペリアル・サロンのメインはこの中庭のことではなく、その周囲を取り囲む回廊の中の部屋だ。豪華で高品質な帝国中から集まる逸品を調度品や家具として備える皇族達のためのフロアに多くの皇妃達が寒さから逃れるように集い、一時の社交を耐え忍んでいる。形式張った交流でさえ嫌な皇妃も中にはおり、特例を挙げるなら彼、シュナイゼルの母や、庶民出身から軍人としての活躍とその容貌の華やかさを買われたマリアンヌ皇妃と彼女のヴィ家は貴族出身の皇妃達に揉まれるのをあえて遠慮している。
母親であるアーデリントとは十月に顔を合わせているし、特段話すこともないため端から関心外にあった。アーデリントが所望した学院での異端児、ノエル・アストリアスとのチェス勝負についてクリスマス休暇前に申し出てみたが丁重に断られた。
――『殿下のお母君と……? 私が? それって殿下のお住まいのところに伺うということですか?』
――『私もそのように言われたから尋ねているだけで他意はない。――母君は今は東のロングアイランドにお住まいでね。大陸横断の長旅になるだろうから』
――『……お会いしたこともないのでお断りします。……ちなみに、殿下はお母君と仲がよろしいのですか?』
――『いいや?』
戯けた調子でいえば、ノエルは母子仲の悪いのをわかっていてどうしてその家庭に御学友≠フ名目で自分を投じるんだと言わんばかりの嫌悪感を示した。
――『遠慮いたします』
――『わかったよ。伝えておく。……アストリアス君はクリスマス休暇の帰省をしないんだったね?』
――『この間扱かれたばっかりですし、顔も合わせたくありません。……夏頃なら避暑地代わりに帰ろうかな。そんなものですよ』
大陸内のユトランドは比較的冷涼な地域にあり、ノエルの言うように夏は過ごしやすいだろう。ペンドラゴンの夏はうだるように暑く乾燥した空気と強烈な紫外線に晒される。都市開発で莫大なエネルギーを伴って冷却するような構造を持ってしても砂漠地帯の上にあるため、シーズンであるというのに外出の意欲を削がれがちだ。毎夏、カストラリアの夏の涼しさに思い馳せてばかりいる。
「おや」
オデュッセウスの声がシュナイゼルの意識を現実に引き戻し、彼がゆったりと座れる大きなソファの上で妹たちに囲まれながらクリスマスプレゼントの包みを開けているのが視界に入った。
「素敵な薔薇の絵だ。きっとクロヴィスの描いたものだね。どこに飾ろうかな」
クロヴィスは広大なサロンの端でガブリエッラ皇妃と一緒におり、幼い妹のライラをあやしている。
サロンの中はお菓子やお茶や生けられた花の匂いに満たされ、国中の優れた美姫――皇妃とその子供達。神話の絵画の中のような景色。人々が羨む殿上の世界はいっけん見事であるが、シュナイゼルの心を掻き立てるものはどこにも塵一つにさえ宿っていなかった。
ユーフェミアはクロヴィスの絵を熱心に見つめた後、再びシュナイゼルの座るソファにしなだれかかった。
「ねえお兄様。お義姉様とプレゼント交換した?」
「カードを贈ったよ?」
「それだけ?」
「はは……ユフィはプレゼントが大好きだね?」
「だって〜喜んでいるお顔がみられるじゃない」
「私達はクリスマスを挟んで誕生日があるから、この三ヶ月はずっとプレゼントのことばかり考えないといけないんだよ」
実際にはティラナの誕生日の数ヶ月前からユーフェミアの催促は始まっているから、年の半分は同じ問題について話していることになる。
「お誕生日の時はお義姉様からはどんなプレゼントをもらうの? お兄さまはどんなものがほしいの?」
「……そうだね、物ではないかな」
「えーっ!」
コーネリアがユーフェミアを宥め、また謝った。
「すみません、兄上」
「謝りっぱなしだね。コーネリア。いいんだよ、本当に。きっとユフィはティラナと会ったことがないから気になって仕方がないんだよ。ねえ?」
「そう! そうなの!」
ユーフェミアは愛くるしく頬を風船のように膨らませて肯定した。
オデュッセウスが穏やかに笑い、ユーフェミアを擁護した。
「婚約後の挨拶の頃にはまだ生まれていなかったものだから、肖像画やあの番組くらいしか知らないんだよ」
肖像画はまだしも――とあの番組≠ニ出て、シュナイゼルは困惑を隠さず隣に座るコーネリアを見た。
「コーネリア。あの番組をユフィに見せたのかい?」
「い、いけませんでしたか?」
「あぁ……いや。ユフィには難しいか、刺激的すぎると思ったんだよ」
あの番組――王室日記に登場するティラナは彼女らしいといえばらしいが、実のところ演じている側面があり、それが一市民・臣民であればさしたる問題はないものの、シュナイゼル側の家族となる人間へ誤解を与えるのは将来の彼女のためにならないと考えていた。
「それは……その……易しい内容の回を選んで見せています」
「易しい回……などはあったかな。人間洗濯機とか、魚雷の構造を再検討するとか、手榴弾と包丁止血パッチの回は絶対ダメだよ」
「はい。それはもう……」
科学王女≠ニ呼び親しまれる彼女の業績はカストラリアに留まらず、現在その映像のアーカイブは国際的に配信され種々の論争や議論を巻き起こし、軍事方面や教育機関で活用されている。なぜシュナイゼルがそれを知っているかといえば、王室の収支の数字にはっきり表れるからだ。
「見せられるのは乗馬や播種、壺やメレンゲの回かなあ。……それにしてもティラナはコメディアンの素質があるとは思わないかい?」
「ブラックジョークのきらいがありますよ」
「そうだねえ。シュナイゼルも彼女によく付き合っていたね。いささか元気が過ぎるというか。わんぱくというか。もうすこし大人しい方がおまえにはお似合いじゃないかなとその時は思ったよ」
長兄オデュッセウスにしては歯に衣を着せぬ物言いにシュナイゼルは微笑みを浮かべた。
婚約後挨拶のために皇宮を訪れたことがあるとはいえ、番組を通してでしかティラナを知らない者なら妥当な人格評価だ。派手なパフォーマンスや過激な内容になったのも、シュナイゼルが画面に映るだけで目立つからだ。少年シュナイゼルの、ティラナの傍にいたいだけ――に対して『私が頑張る』と告げた彼女の結論が、それまで以上に過激な演出と企画の内容を敢行することだった。疑い深い者がいるならば、彼が一緒に番組に映り出す時期の前と後を比較すれば容易に想像つくはずだが、皆それに気づいていない。
オデュッセウスは瑞々しい顎を指先で触れながらロマンチストのように思い馳せる。
「我が国でもあのような番組を作ってみたいとは一度は考えたけれど……イメージというものを大切にしなくてはいけないから、無難に落ち着いてしまうよ」
皇帝の子供達でさえ国是の方針は適用される。成年皇族は数少ないが、毎年のように増えていく弟妹とその皇妃達の意欲を思えば、すでに皇子皇女らを通した代理戦争は始まっている。身を滅ぼず事をすれば足下を掬われあっという間に廃嫡に至る。シュナイゼルもティラナとの婚約を選択しなければ常に緊張感に支配された環境下で、腕を振るうその時まで飼い殺しのような生活を送っていただろう。
政略結婚はもっとも安牌な政治的行為であり、皇室を大義名分で離れる口実にもなる。だが、日々躍進を続けるブリタニア帝国を凌ぐ国は対立国が占められている。またその象徴といってよい者たちは政略結婚に耐える年齢に達していなかった。密約を交わすにはいささか骨が折れ、それだけの苦労を重ねるほどでもないということだ。
「カストラリアは王女一人きりだから出来ることだね」
オデュッセウスはシュナイゼルの美しい黎明の瞳をみて目を細めた。
水面下でその王女が一人であることがシュナイゼルの悩みの八割を占めている、とは知らずに。
ユーフェミアはオデュッセウスの膝に両手を置いた。
「お義姉様がお元気なったら続きみられる?」
「そうだねえ……番組の続きをみてみたいね?」
「兄上。ティラナももう十九ですし、昔のようには参りません」
シュナイゼルの指摘に長兄は軽やかに笑ってみせてうんと首肯した。
「そうだね。おまえとの結婚式や戴冠式の準備だってあるだろうし……女王陛下になってしまったら、いよいよそんな場合じゃないよね」
ユーフェミアはコーネリアの方にむかって「女王様とお父様どっちが偉いの?」と訊いた。
「父上の方だ。王の中の王が帝だから……そうでしたね。兄上」
「うん。女王は国王よりも格下と扱われることもあるけど……王朝の長さや血統の正統性を加味すると法皇を除いて欧州圏の王侯よりは上だろうね」
「……そうなのね?」
幼いユーフェミアは言葉はわかってもその意味を理解していないだろう。
婚約当初はウィルゴ宮の使用人でさえシュナイゼルが小国相手の身分不相応。下降婚だと文句を垂れたが、父帝は為るがままに≠ニそれを認めた。
「お父様と同じくらいだと、他にどんな人がいるの?」
「極東の日本にも天皇家の血筋を汲む皇一族、中華連邦には天子がいる」
「なーんだ。結構たくさんいらっしゃるのね。……お兄様はどうしてお義姉様をお選びになったの?」
ユーフェミアの純然たる問いにはっとした兄妹ふたりがじっとシュナイゼルを見つめ関心を示した。
「ん? そうだね……。二人とも熱心に見つめないでくれよ」
「いいや。おまえからそのような話を聞いたことがなかったもので、興味があるんだよ。それに、私達のなかで配偶者が決まっているのはシュナイゼルだけだから。結婚というものの手触りと感想を知りたいんだよ」
特段帝国の意思や誰からそうしろと指図を受けたわけでもない、人生を豹変させる岐路は多く残されているのにもかかわらず、九歳だった少年が舵を切り残りの人生の大半を捧げると決めてしまった大いなる動機。
シュナイゼルは自身がこのうえなく恵まれ至高の美貌と頭脳を持つことを鼻にかけることはしなかったが、この小さい体でいるうちの退屈さ≠ヘ敵わなかった。――退屈で窮屈。無味乾燥。干からびそうになるところに、水が一滴、二滴と滴るとさてどうだろう。無味無臭の水に味があると錯覚してもっともっとと欲しくなる。与えてほしい。そして、彼女ティラナは言った。
――『もっとみせてあげる』
それを唆し≠ニ捉えるか、甘美な囁きと捉えるか。――すくなくとも、シュナイゼルは将来自分の優れた資質を帝国のために使い、国民への奉仕は避けられないことを理解していた。退屈な温室生活は肉を腐らせる。腐乱を隠しながら人々の賛辞を浴びて暮らす。生涯、檻に囚われて。
ティラナの生活は退屈とは無縁だ。美味しい食事をおいしいといってたくさん食べ、眠くなったら花壇の石の上で寝転がり、関心を得たい時は悪戯に走り、時々真剣に研究を始めそれが集中力が切れて倒れるまで他の一切をシャットアウトする。それから復活すると山に登って走り回り、また研究に没頭する。――ティラナは何においても真剣にその時その瞬間を楽しみ、生きることを喜ぶように、また肉体と精神が満ちる扱い方に長けていた。シュナイゼルには持ち合わせないものを、ティラナは持っていた。
その生活で蓄積される水≠ェシュナイゼルの渇きを癒すと数日一緒に過ごして気づいた時、彼女との婚約を決断した。
シュナイゼルにしては中々の長考に兄妹達は辛抱強く期待をかけて待っていた。
「おもしろそう、だったからかな」
事実――クーデターが起きるまで過ごした時間はシュナイゼルを退屈させなかった。会うたびに新しいことを考えていて、そのどれもが将来の国政に繋がっていた。彼女は自分の宿命をとっくに受け容れていて、苦悩がなく、まるでそのために生まれてきたかのように――悲観的になることなく、楽しんでいた。
長兄は深く頷いた。
「なるほどねえ。人を楽しませることというのは案外難しいときくからね。ティラナはかしこい人なのだろうね」
「……ええ」
オデュッセウスの言は的を射ている。あの番組にしても、過激な内容の公開が許されていたのも、裏側でその場その場にふさわしい愛嬌と国への愛情を他者に披露しメリハリをつけていたからだ。
時刻は正午を迎えた。ソファ近くに置かれていたテレビで国営放送の昼のニュースが始まった。
ユーフェミアは報道のトップハイライト一覧にティラナ――マルカの姿が登場したのに飛びついた。
「あっ! お義姉様! お義姉様よ!」
「うん。今日はクリスマスメッセージの放送があるよ。公務へのリハビリを兼ねてね。衛星放送なら完全版を観られるんじゃないかな」
手近にあったリモコンを取り操作すると衛星放送チャンネルに切り替わる。シュナイゼルは思わず息を呑んだ。
録画映像といえど、ベッドの上以外でティラナの姿がそこにある。暖かい照明の下、国民から寄せられた多くのクリスマス・カード、クリスマスツリーを画角内に収めて。ティラナの賢良な頭脳が編んだ言葉が完璧なマルカの唇に宿る。
――親愛なるカストラリア国民の皆様へ――ティラナ・ヴァル・カストリアです――。