a.t.b.二〇〇七 April 帝立コルチェスター学院・ケント寮
帝立コルチェスター学院の寄宿舎はすべて七つある。
ケント、サセックス、ウェセックス、イースト・アングリア、マーシア、エセックス、ノーサンブリエ。七つの王国を由来に持つ各寮には学徒の所属が出自や素質から振り分けられている。家元が貴族であるか否か、成績が良好であるか否か、秀でた才能に恵まれているか、またそれらの傾向から細分化され本人に適した環境を割り当てて競い合わせる。神聖ブリタニア帝国の国是に批准する価値観が学院内にはあった。それでいて帝国教育庁のスローガンでは身分差のない学び舎と謳っていた。
小さな町ひとつ分にもなる学び舎の広大な敷地の中に、十三歳から十八歳の男子達がうさぎ小屋のような規律に押し込められている、その監獄のような場所の中で青少年を統べる者が一人君臨していた。学院の出資元である帝国第二王子シュナイゼル・エル・ブリタニアだ。皇族出身の青年は中央寮とされるノーサンブリエ寮の監督生を務めた。監督生とは各寮の上級生達で構成される最優秀生徒でありその寮に所属する子弟達を指揮する役割を担っている。シュナイゼルは年齢の規定から外れ、四年生の頃監督生に就任し、五年生の本年から中央寮の特権である各寮の全権を掌握する独裁者となった。学院の全学徒を代表する立場は、さながら疑似皇帝的とも捉えられ、ノエルは半年ほど前の諫言から妙にシュナイゼルの気を惹くようになり、学院内にいる不良たちからも覚えめでたくあった。
帰寮すると手紙が届いていた。
寮メイドが寮門で上級生に捕まっているノエルを助け出そうと働いた。すっかりこの生活に馴染み心遣いは無用だった。方便を使ったのだと思ったが、手紙は本当に来ていた。「アストリアス様のお部屋のポストに投函してありますから」と教えてくれた彼女に、多くの男子生徒の視線は釘付けだった。男子のみの寄宿舎。女人禁制とまではいかないが風紀を乱すため生徒の親族以外敷地内の闊歩は許されなかった。
っだがこのメイドは寮長の家族で再就職先を得るまでの間、寮で細々とした仕事をこなしていた。
ノエルは家族からの便りもない自分に届いた、たった一通の手紙を私室に入るなりペーパーナイフで慎重に破った。
――第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニア暗殺計画……。
作戦期日が一年後に決定したとの通告だった。
この手紙がどこからともなく送れられてくる。送り主は判明している。『わたし』の雇い主だ。突き放すような白の紙面にインクの文字が印刷されている。内容は期日の日程のみが示されており、あとはノエルの手腕次第だ。だが、その日までに暗殺を実行しなければならない。もしも暗殺を遂行不可能であったり、未遂を犯してしまった場合は処分される。
この半年ほどの生活の中で雇い主からの接触はなく、日々シュナイゼルをいかにして暗殺するかの策を練りつつ、彼の興味が尽きないように維持するのにおいて幸運だったかもしれない。
それは今日、わざわざ痕跡を残さず湖畔を訪れたことだ。不良生徒を演じているだけなら実行する必要のない行為だからだ。
――彼は、ノエル・アストリアスに対して確実に興味を抱いている。
試し行動により、また周囲のアプローチにより、シュナイゼルとノエルが二人きりになる状況を周囲にとって自然にしなくてはならない。
――さっさと殺せばいい。それはわたしもそうしたい。
だが、確実に殺したと認識する自分を喪失することだけは許されない。シュナイゼルには気がつかれない程度に護衛がついているし、もし直ぐに実行したとしてノエルはシュナイゼルに怪我を負わせることができてもその場で射殺されるリスクがあった。
「それに……なぜ……」
――シュナイゼルには、尋ねたいことがある。なぜ、姫様を救わなかったのかと。彼女との蜜月は虚実だったのだろうか?
愛情などなくても、政略結婚であり国の利益のための結婚であるのに王女は重々承知していた。『わたし』はこの配偶者を得るために王女の代役になったこともある。ブリタニアの目覚ましい発展、その科学力・経済力・軍事力は我が王国には魅力的なものばかり。とりわけ、国王夫妻の子供が一子・王女のみとなっているのは君主制国家として脆弱である。死にかけの王国。数千年の歴史を持つ王朝の最期の重圧と重責を王女は耐えかねており、国王夫妻もそれを憐れに思って『わたし』を影武者につけた。
カストラリア王国は高山鉱業王国で資源が豊富であり、なによりサクラダイトの熱水鉱脈を抱えている。国際シェア率は七〇%の日本に比べれば劣るがそれでも一〇%ある。その他に植生が豊かで世界に流通する医薬品の原料、また数々の大手製薬企業の本社があり国際シェア率は四三%にものぼる。王女は、薬学・毒性学に関する博士号を取得し、十二歳の頃にはカストラリア王立薬学会の会長就任も予定されていた。
シュナイゼル・エル・ブリタニアは王女の資質を見抜き婚約を承諾した。『そのご年齢で才媛でおられる。私には勿体ないですよ』と彼の言葉を『わたし』は知っている。王女は男性に慣れていなかったのでしどろもどろになっていたと思う。
もちろんそのシュナイゼルの言は皮肉成分の方が強かった。
――姫様は十二歳、あの方は九歳だったのだから。
ノエルはふ、と口端が持ち上がる。懐かしんだのではない。貴い人との約束の先が反故になり、まさかの侵略行為だったからだ。
「姫様……」
学習机に突き立てたペーパーナイフはバキンと音を立てて砕け散る。
耳の奥底に火の粉を立ち昇らせる風の音が蘇る。
◆ ◆ ◆
王宮は火の海に包まれていた。中庭の噴水の台座の麓で足を投げ出して座る国王夫妻に近寄ると、二人は支柱を失った植物のようにぶらりとしなり地面に伏した。
――『いやああ――ッ! あ、ああっ……。陛下……王后さま……』――。
恐れていたことが、何かが起こっている。『わたし』は恐怖に包まれ、姫様のいる居室へと走り、走った。炎で朽ちていこうとする王宮の中を。
姫様はその頃不眠を訴えられていてた。二時間前に彼女のところに訪れて『わたし』は睡眠薬をお渡しし、姫様が服用されるのをこの目で確かめていた。
――『姫様、姫様ッ……!』
彼女だけは失ってはならない。この国の最後の貴い方である。国王陛下は即位を迎えるまで何度も暗殺未遂を経験し、子供を喪うことを恐れ、また王宮内の紛争の火種を抑制するため、一夫一妻制を敷いた。皮肉なことに二人の間にご誕生したのは姫様だけだった。陛下は『仇敵の呪詛かもしれない』と零していた。
『わたし』が姫様の居室にたどり着いた時、爆撃が聞こえた。首都の中心部からだった。思わず居室に向いた足を居室前の庭……首都を見下ろせる崖の際まで近寄った。どこもかしこも赤く、夜空には新しい火の粉が舞っていた。それらは王宮を狙うように放射状を描いて次々と襲いかかってきた。
王宮は天然の要塞だったが飛距離さえクリアすればどうということはない脆弱性が残っていた。なにより王宮の周辺には希少な植生があり、それをわざわざ焼き払う行為は国益に反するものであり国家産業への打撃にも直結する。だからその時、この策略を思いつく人間がいるとしたら――。
しかし『わたしは』頭を横に振った。到底信じられない行為だったからだ。それならばなぜ、婚約を成立させたのか疑問の方が勝った。
ファイアーアローにより王宮が燃えていく。『わたし』は居室に走った。
外は熱波が膨れ上がっていたが、居室はまだ冷えていた。室内は暗く、窓越しに見える赤い光が毒々しく輝いている。睡眠に適した温度と湿度を保つための空調はまだ効いていた。『わたし』は寝台に駆け寄って姫様の体を揺すった。
――『姫様、姫様……! 起きて! 起きて! 起きてってば! 姫様ぁ!』
『わたし』の声は切迫し次第に涙声を孕んでいった。
姫様はよくお眠りになっていた。すうすうと寝息をたてて胸を上下させていた。とても安らかな寝顔だった。『わたし』は睡眠薬の種類を思い出して、今日に限ってよく効くものを渡したのを後悔した。
長い袖でこみ上げる涙をゴシゴシと拭い、姫様の体を抱き起こした。万が一の為にと用意されているシェルターの場所に連れていかねばならない。姫様の体は『わたし』よりは少し大きかった。眠りこけたままの人を背負うのは骨が折れる。避難に時間がかかるからだ。王宮を狙っているということは、じき確認者が来る。確認者……ブリタニアが。
――『はぁ、……はぁ……はぁ……お、おもい……』
避難用シェルターは地下にあるが、王宮は岩がちな断崖の上にそびえ立つ。洞窟を潜り地下までは古い階段になっている。旧時代から備わったものだったが、近年エレベーターを設えられた。しかし電力が遮断されていた場合、非常電源の確保を行う必要がある。
王宮の奥、国王夫妻の居室。その部屋の暖炉の向こうがシェルターの出入り口の一つになっている。
煙が充満し、肺は熱気で焼け始めていた。
暖炉の奥の扉を開けた時、床に座らせていた姫様が呻いた。
――『……ここ、どこ?』
――『姫様! よ、よかった……目覚めたのですね! いま……その……』
『わたし』は言葉に窮した。王宮の火災、その火災の原因を。
――『どうしたの、マルカ』
――『姫様……王宮に火の手が……今からシェルターに退避します』
――『……国王陛下と王后は……?』
――『……そんなことより、早くいかないと』
ここに来るまでの道中、王宮の使用人たちは倒れ息をしていなかった。煙と熱を吸ったからだろう。最も北側にある王女の居室だけがその被害が少なく済んだ。マルカ……影武者の『わたし』は姫様を背負い直した。暖炉の下は階段になっていた。階段を使わざるをえなかったのは、やはり非常電源を確保するのに時間と体力人手が不足していたからだ。
――『しっかり、掴まっていてくださいね。姫様』
姫様は背中にぴったりと体重を預けてくっついた。彼女と『わたし』の顔が近くなった。『わたし』達は、一卵性双生児の双子ではないのにまったく殆ど同じ顔をしていた。唯一、見分ける方法があるとすれば『わたし』には側頭部の地肌に痣があることで、通常それは毛髪に覆われているから誰も確かめようのないことだった。
『わたし』は覚悟を定めて、灯りや手摺さえも不確かな湿気と暗闇に覆われた地下を目指した。
どれほど下っただろう。頭上にあった暖炉の入口から射す外部の光はもはや見えなくなっていた。
――『……もうすぐですよ、姫様』
――『――殿下……』
――『あ……』
姫様は目を瞑っていた。緊張感か疲労から額には汗が浮かび髪の毛が張り付いていた。そして彼女は、婚約者を呼んだ。姫様にとって人生を懸けたシュナイゼル殿下のことだった。彼が婚約を承諾し、彼の父帝であるシャルル・ジ・ブリタニアさえも承認した関係である。彼には兄弟がたくさんいるが皇帝の三番目の子であり二番目の男子である。第三位皇位継承者でありその気になれば次期皇帝の座も狙える位置にいるのに外国の王女との婚姻を選んだ。それの何が問題なのかというと、王女が帝国へ輿入れするのではなく彼がこの国を継承する役割を担うことに合意したからだ。
同時に、影武者の『わたし』はこの関係を結ぶため努力を惜しまなかった。それは姫様も同じで二人で勝ち取った王国の将来だったのだ。
――『殿下は……いえ、ごめんなさい。あなただって今私を担いで大変なのに』
――『そんなこと……お安い御用です。……シェルターには備蓄品もありますからそれまでの辛抱ですよ』
マルカは精一杯微笑んだ。
こんなところで留まってはいけない。
――だが――『わたし』はシュナイゼル殿下が求めていた政略があるとしたら――。
嫌な予感がぐるぐるとビーカーの中を撹拌するように渦巻いていた。
シェルターにたどり着いた『わたし』たちは疲れ果てていた。照明も探す力もなく洞窟の中に埋め込まれたタイル張りの狭い空間で身を寄せ合っていた。
――『……さむい』
――『姫様……今、毛布をご用意します』
身を這わせて備蓄用の箱に手を出す。『わたし』は姫様に毛布を羽織らせた。
食料があった。水もあった。姫様は水を飲んで少し眠った。緊張感が途切れず、『わたし』はずっと起きていた。洞窟内の水滴が滴る水音がよく聞こえる静寂がどこまでも続いていたが、時折爆発音が遠くに聞こえた。外はどうなっているのだろう。この王国はどうなってしまうのだろう。
――『助けには来るの?』
――『非常事態に陥った場合、王族はシェルターに避難。そこから通常は外部の指揮を執ります。……ですが、外の状況を知らせる者が……遅すぎる……』
理由はわかっていた。その統率・指揮権を持つ国王陛下が中庭で亡くなっている。
そして誰か王宮内に残存する使用人達にシェルター避難のことが伝わっていないからだ。このままでは見過ごされてしまい、非常電源がなく空調が機能しないこの冷蔵庫のようなシェルターでは凍え死ぬ可能性もあった。
姫様の吐息は白く唇は少し紫に変色していた。
『わたし』は、この人のそばを離れるのを躊躇したが、早く誰かを呼びに行かなければならない。
――『姫様。……誰か応援を呼んで参ります。よろしいですか?』
――『外で、何が起こってるの……?』
――『それも確かめに参るのです』
――『……わたしは、足手まとい?』
――『そうではありません……ですが……』
『わたし』に希うようにアンバーの双眼が濡れていた。
いくらか逡巡し『わたし』は身を屈め背中に姫様を負ぶさった。シェルターからの出入り口は三箇所ある。一つめは陛下の部屋。二つめは、研究室、三つめは鉱山だった。
――『……ねえ、わたし……わたしね……』
――『はい。聞いていますよ、姫様』
――『……やっと覚悟が出来てきたの……王女として……。このまま――』
姫様は何かを続けて言いかけた時、急に人の声と爆音が轟いた。
『わたし』は姫様を背負いながら坑道を走った。すると洞窟の出入り口前の通路の合流地点で兵士たちが待ち構えていた。
彼らは一斉に剣を抜き迫った。『わたし』は動揺の最中、走り抜けた。背中からしがみつく姫様は恐怖から顔を伏せた。
――『触るなッ! このお方を誰と心得る! アルヴェイン朝三八代、ティラナ・ヴァル・カストリア王女殿下であるぞ! 刃を収めよ! 不敬罪である!』
洞窟を出て街へ下りる。疲労が全身を巡っていたが脳は興奮しており体が軽やかに動いた。拓けた天と薬草畑の中をひたすらに走る。美しい緑は今は燃え尽きあらゆるものが黒煤となり朽ちていた。混乱と狂騒と血の匂いが街中に蔓延っている。頭の中の撹拌は遠心分離機にかけたように目にもとまらぬ速さだった。
山道の乾いた白い土の上を鮮血がそこかしこに湧き水のように溜まっている。
――『い、いやあ!』
――『姫様……見ては……いけない……これは……なに……』
『わたし』は姫様の体を降ろし抱きしめた。ガクガクと体が震えていた。どちらの震えなのかわからなかった。まだ夜が明けていないことがせめてもの救いだった。血溜まりを避け恐る恐る歩を進めるのが精一杯の傍らで姫様は激しくひきつけを起こしていた。どうにもならなかった。
――誰が? どうして? なぜ? こんなに大勢の人が血を流しているの? 私はどうすれば? 姫様をどうしたら? ああ……こんなとき……。
『わたし』の脳裏にシュナイゼル・エル・ブリタニアが過る。彼と姫様との蜜月の記憶が。
あの満月の夜、姫様の居室で彼は姫様に接吻した。彼女がまた涙を流している声を聞いて部屋へ伺ったのだ。それは王宮に滞在していた彼も、影武者である『わたし』も同じだった。あの夜、彼女は殿下の唇を受け入れた。それまで慰め役だった『わたし』は不要となった。
姫様は恐ろしそうな瞳で『わたし』をみつめていた。
現実逃避を破ったのは聞き慣れたデスモイド首相の張り裂けんばかりの呼び声だった。
――『ティラナ王女殿下!!』
――『……デスモイド首相!』
顔を上げ、薄暗闇の斜面を確かな足取りで登ってくるデスモイドの黒い影を補足する。彼はまだ正気のようだ。『わたし』は姫様を介抱しつつ駆け寄り、その身をデスモイドに預ける。
――『……双子……!? いや、今はそんな場合ではない。こちらへ! 王党派が安全地帯を確保し指揮を執って事態の収束を図っています!』
――『デスモイド、貴方が無事でなによりです。話したいことは山ほどありますけれど、姫様の身柄をご安全な場所へ!』
――『姫様、デスモイドです。ご一緒に参りましょう』
デスモイドが姫様に優しく話しかけた。デスモイドは子供に恵まれず姫様を孫娘のように接し、なにより信頼の置ける腹心の部下でもあった。
首相である彼が生存しが指揮系統を掌握し対応にあたっていることに一先ず安心した。そしてシェルターの存在を思い出して合間を見計らって駆けつけてくれたのだろう。
姫様の手をとって歩み始めた時、短く鋭い空気との摩擦音が掠める。独特な電気銃の音はブリタニア軍制式銃。――それが銃声とわかるのにはデスモイドが倒れてからだった。
高い悲鳴が耳を劈く。
――『え?』
――なにが起こっている? なにが起きた? どうして? どうして? なにが起こってしまった?
バクバクと心臓が激しく脈打つ。メデューサと目を見合わせてしまったかのように全身が硬直する。足元に広がる血潮。『わたし』は目を見開き、姫様に見せないよう抱きしめる。胸の中で動揺のあまり叫んでいた。
『わたし』は混乱を極めていた。首相より遥か向こうでコートを深く被った覆面集団が向かってくる。その中の誰かが首相を殺した。
新しい絶望に慣れないうちに次々と何かが起きて掻き乱していく。そして、新しい刺激が訪れる。それはやはり、嫌な予感を確信に変えるものだった。
――『ブリタニア軍だ……!』
ヒマラヤの端、モル・タスカン山をせり上がるように走るのは第二世代のKMFだった。足元のランドスピナーが悪路を滑らかに移動する。人員を運搬するための兵器、戦車の一つであるが識別には神聖ブリタニア帝国軍エンブレムがある。それが昇り始めた太陽の光に浮かび上がっている。
涙が込み上げた。『わたし』はもう終わりだと思った。王宮は襲撃され、国王夫妻は亡くなって、首相は目の前で殺害された。さらに、首相を殺した覆面の集団がいま『わたし』と姫様を引き剥がそうとしている。激しく抵抗するが十二歳の子供の力など無力に等しい。
誰かが『わたし』を血溜まりの地面に引き倒して顎を掴み上げた。集団の中から進み出た男が見下ろしていた。顔はフードで全く見えなかった。
――『よく似ているな……双子……いや、影武者か。なるほど国王陛下も考えたものだ』
男の低い声。一笑すると、姫様の顔を持ち上げた。
――『やめろ、やめろ……!』
足をジタバタと振り上げて気を引こうと努力した。虚しくも何も効果がなかった。
乾いた銃声がその場を支配した。それは数発続き、姫様の悲鳴が朝焼けの空に反響した。
――『いやだああああ――ッ!!』
顔や体に降りかかるのは、脳の一部、髄液、血液。
バタリと血潮の海に倒れ込む姫様の瞳の中に『わたし』が、また姫様の瞳の中に『わたし』がいた。
アンバーの双眸に宿る光が次第に弱々しくなっていく。
混乱と恐怖。頭の中のビーカーはヒビ割れ、漏れ出していた。透明な岩石がのしかかってくるような重力に呼吸が浅くなっていく。
――『あ……ぁ……ぁぁ……あ……や……ぁ……ぁ……』
か細い悲鳴以下の鳴き声。姫様の絶命には何の効果も意味も為さない。ぽっかりと空洞が生まれ虚空。いかなる光さえも拒む暗い瞳。『わたし』は姫様ではないのに、まるで姫様が半身であったかのような喪失感に陥る。
刹那――さきほどの洞窟できいた姫様の言葉の続きが頭を巡った。
……やっと覚悟が出来てきたの……王女として……。このまま――
『わたし』は透明な糸に操られるが如く起き出して、覆面集団の脇を走り抜けた。
空気は熱く焦げ付いていて街全体が火の煎った炭の中にいるみたいだった。
街中のどこにも、この国のどこにも、もはや居場所はないというのに。誰かに助けて欲しかった。この命を失う恐怖に打ち勝つ力を与えてほしかった。
首都リダニウムの街中は紅蓮の燻りに爆ぜ未だ勢いが収まる気配がない。
街角で誰かにぶつかった。その人間は棍棒を手に、『わたし』を見つけるなり口元を三日月に変え激しく叩きつけた。そのまま頭陀袋を被せられさらなる激しい殴打の中意識を消失していった。
◆ ◆ ◆
――ぼたぼたと涙が学習机を濡らす。思い出したくないと思っていても、復讐相手と会うたびにその日の記憶が舞い戻ってきて失われた人々の亡霊達が彼を殺めるように訴えかけるのだ。
耳元ではくはくと細かい吐息の気配を感じる。
こ ろ し て
姫様の声。不甲斐なさ、後悔、憎悪。すべてを掻き立てる声。一度も、一日たりとも忘れたことのない声。
なぜ死ななければならなかったのか。ブリタニア軍の進軍がその証拠だ。はじめから、侵略するつもりだったと。――彼女が、婚約者の死を望んでいる。
「……殺してやる。……殺してやる……。殺してやる……。殺してやる……殺してやる……!」
窓から赤い太陽の陽射しが射し込み、ノエルを包みこんでいく。