第二皇子と奨学生A






 ◇ ◇ ◇


 a.t.b.二〇〇六 September 
 帝立コルチェスター学院・ノーサンブリエ寄宿舎

 シュナイゼルは代表室のダークオーク製の執務机の上に並んだ書類を眺め柔和な微笑をもたげた。ソーサーを持ち上げて先程淹れられたばかりの紅茶――現エリア四・旧カストラリア産のサンヤラ・サファイアの芳香をひとつ香る。コルチェスター入校時、彼の母親から贈られた品であるマイシエ・エ・ヴァレルの繊細な幾何学模様と白金細工が特徴的なカップは大窓から射し込む光を受けて輝いた。

 彼の座る椅子の背後、大きな窓からは約三〇〇〇エーカーの広大なグリーン敷地内とその上にいくつかの棟に分かれて並び建つ学院の校舎が見渡せる。ノーサンブリエの中央寮はその通り、学院敷地内の中央に位置していた。
 代表室ははじめから彼専用に誂えたかのように意匠が凝らされ、誰もが知り得ないはずの彼の皇宮の住処のように白と金を基調とした清潔で馴染み深い内装を創り上げていた。

 監督生付きの級長の一人、五年生のダローウィンが重厚な扉を叩き一人の少年を代表室に通した。

 「失礼いたします。殿下。……アストリアス君、入りたまえ」
 「どうぞ。……お待ちしていましたよ」

 シュナイゼルは卓上に置いていた懐中時計を確認した。約束の時間きっかりだった。そしてそれをそのまま懐へ収める。シルバーのチェーンが小気味よい音を立てた。
 アストリアスと呼ばれた少年は背丈は一七〇前半ほど。線の細い体つきであったが決して病的ではなく、堂々とした足取りに鋭い目つきでシュナイゼルを睨んだ。癖毛のブロンド、深いブルートルマリンの瞳が印象的だと密かに評価し手元にある少年の考査票をもう一度見遣った。
 「そちらに掛けて。……ダローウィン、彼にお茶を淹れてあげて」
 「Yes, Your Highness」
 指示通りダローウィンは隣室の給湯室へ入り茶器の準備をはじめた。ノエル・アストリアスは座るかどうか躊躇い、耳を澄ませないとわからないほどの小さなため息を吐くと従って革張りのチェスターフィールドソファに腰を据えた。
 「緊張しているね。……取って食ったりしないよ。君とは一度話をしてみたかったんだ。ノエル・アストリアス君。学院にはもう慣れたかな」
 ちらりと書類から視線を彼へ向ける。ノエル・アストリアスはシュナイゼルの視線を受け流すように明後日の方向を見た。無言でいたのに気づいて、お茶を淹れている途中だったダローウィンが顔を出し低い声を張った。
 「貴様、殿下を前に口なしとは! 返事をしろ!」
 「ダローウィン」
 「は、はい……!」
 「一度席を外してくれないかな。お茶は私が淹れるよ。……彼と話がしたい」
 「し、……しかし!」
 「構わないね?」
 念押しするシュナイゼルに屈して級長ダローウィンは屈辱的だと唇を噛み締めた。「……Yes, Your Highness」と捻り出し、ノエルをぎっと睨みつけて何か言いたげにしていたが、シュナイゼルの注視に居た堪れなくなり執務室を出た。
 シュナイゼルは退室したダローウィンに代わり給湯室でお茶を淹れることにした。
 「銘柄は私と同じで構わないかな」
 ノエルは無言を貫いた。
 ローテブルの上にティーカップ&ソーサーを配置するとそこでようやくノエルと視線が交わった。
 「……お見苦しいところを見せてしまって、失礼したね。気を悪くしないでおくれ。彼のような者ばかりではないよ」
 「……そうですか」
 第一印象は『朴訥』だった。口数は少なく、かといって気弱であるわけでもなく、皇族であるシュナイゼル相手に挑戦的な態度を示している。それは彼の人生の中では珍しい部類の存在であり興味を惹いた。シュナイゼルが自身のカップを載せたソーサーを持ってノエルから斜めにあるウィングバックソファに座った。
 「……その香り、サンヤラ・サファイアですか」
 「素晴らしい、よくわかったね。……君は鼻が利くのだね。……これはエリア四にあるサンヤラ地方の谷で栽培された茶葉だ。青茶に似た葉色だが……紅茶に分類される」
 素直に彼の鼻は優れていると感じた。褒められるのは別腹で嬉しいのか「……ありがとうございます。シュナイゼル殿下」といって、カップを持ち上げると一口含んだ。不躾な態度に反して所作は流麗で品の良さがあり生まれを現していて感心したのだった。
 シュナイゼルは自身の多忙な身の上を顧みてさっそく本題を切り出した。
 「君はケント寮に入寮したようだけれど……ノーサンブリエに転寮しないかい」
 「なぜ? ……ここは殿下のような出自の方やそれに近しい上位貴族階級の方が条件でしょう」
 「おや、今の発言は過激だ。ダローウィンがここに残っていたら憤慨ものだね。それとも謙遜のつもりかな。君の家は公爵じゃないか。先々代には君の家から皇族に輿入れした后もいる。皇位継承争いで血は断絶したが形式上は親類にあたるよ」

 ノエル・アストリアス。アストリアス公爵の嫡男。出身は帝国内のユトランド州で広大な領地を所有する土地所有貴族だ。一七七〇年代のワシントンの乱の際には奮闘し策謀を巡らせ独立を防いだ功績が伝わっている。入寮資格にある血統は十分優れているのにもかかわらず、固辞の姿勢を弱めない。開心を試みようとシュナイゼルは穏やかな態度で臨んだ。

 「君のスコアを拝見したよ。座学も演習もめざましいスピードで成績が向上していた。努力をしたんだね。理事長や教官達はきっとそのスコアを鑑みて君をケントに入れたようだけど……私はノーサンブリエが適していると思うよ」
 「さようでございますか」
 「ああ」
 二口目の紅茶を含みノエルによって沈黙がもたらされる。
 「美味しいかい」
 ノエルは視線を下げなにかを思い返し推理を口にした。
 「……寮別対抗スコア……奨学生が入寮するとポイントが加点されるとか。……それが狙いですか?」
 シュナイゼルは一瞬目を丸めたが、すぐにまた穏やかに笑った。
 「はは、鋭いね。いかにも。それが第一の目当てだね。……もう一つある。軍に興味はないかな」
 「ありません」
 「それでは、内政に興味が?」
 「あまり」
 「では研究向きかな」
 「……これから決めます」 
 「だったら尚の事、ノーサンブリエに入りなさい。挑戦と試行錯誤には余剰が必要だ」
 ノエルの反発的な視線とシュナイゼルの友好的な眼差しが拮抗する。
 「お話はそれだけですか、殿下?」
 「威勢がいいね、アストリアス君」
 「これ以上の話は無駄でしょう。平行線だ。あなたもお忙しい方ですし寮に帰ります」
 ノエルはなみなみと満たされた紅茶をカップに残し、チェスターフィールドソファから立ち上がった。制服の襟に留めた奨学生バッジ。水晶で縁取られた特別な紋章がそのプリズムの七色を頬に滲ませた。
 「紅茶、美味しかったです」
 「それはよかったよ」
 シュナイゼルはウィングバックソファに座ったままノエルが退室するのを待った。見送る必要はない――とノエルはシュナイゼルの意思を読み取り華麗な足捌きで扉から出ていった。

 ノエル・アストリアスのシュナイゼル・エル・ブリタニアへの反抗的・非行態度の噂は瞬く間にコルチェスター学院に広がった。翌日号外の学院新聞『ザ・コリシアン』には一大事件として扱われた。学院新聞は外部との情報遮断著しい生徒のために帝都新聞社の編集部と学内新聞部が提携し皇帝陛下の動向、学外や国内外の情勢のほか最新の学術論争・討論記録、科学部の実験コラム、OBの活躍コラムなどの内容をメインに掲載し発行されているものでゴシップが躍り出ることは前代未聞の事態であった。

 代表室の執務椅子に深く座り、発行された新聞の一面を読んだシュナイゼルは気持ちよく笑った。
 「ははは。これはこれは。……醜聞だね」
 シュナイゼルの傍らに控えていたダローウィンは剣幕な表情で捲し立てた。
 「いいえ、殿下。あの不良奨学生は不敬罪です! 厳罰に処すべきです! OBは今日にでもアストリアス公に架電すべきだと! あんなのは即刻退校処分でしょう!」
 「ダローウィン。君は我が学院の規則第一項に何が示されているか知っているかい」
 「……! そ、それは……」
 ダローウィンは該当規則を思い出し言葉に詰まった。
 シュナイゼルは組んでいた長い脚を解き椅子から立った。ハンガーラックに寄ると上着のブレザーを取ると、ダローウィンは慌てたように居直った。
 「付き添いは結構だよ。……ここでは自由が約束されている。貴重なモラトリアムさ。見逃してくれ」
 「で……殿下……しかし……」
 「編集部には私から伝えるよ。いいね?」
 
 シュナイゼルは代表室の片隅に設置された固定電話から帝都新聞社の担当編集員に連絡を入れた。ワンコールで出た編集員の声音は硬くこの番号からの連絡の意味を既に察知しているようだった。シュナイゼルはそれを理解していながら寛大な振る舞いを行うために上機嫌を装った。

 「やあ、私だ。……本日発行の学院新聞のことだよ。……ははは。彼は奨学生で編入してからまだ一週間だ。些か手厳しいとは思わないかい? ……それとも、貴社は一生徒に過ぎない個人への不自由を是とするのかな」
 編集員は終始謝り倒しで、隣で編集長が駆けつけてテキストトークで替わるよう指示を受けている様子だ。編集長が交代しまた彼もシュナイゼルに対して姿勢を低くした謝罪を述べるばかりで話にならなかったが「なんでも指示通りにいたします。仰せつけください」と最も聞きたかった言葉が漸く出てきて、当件の問題は数日以内に収まるだろうと考えた。
 「話が早くて助かるね。……新聞部の処遇は代表会議で決定するよ。そちらからのリアクションは不要だ。ああ。今後ともよろしく頼むよ」
 シュナイゼルは素早く受話器を置き、執務机に戻った。新聞を脇に追いやり、その他の重要なタスクに手を付ける。
 やり取りを聞いていたダローウィンは「あの……殿下……」と弱々しい声で伺った。シュナイゼルは手を弱めることなく並行して指示を出した。
 「さあ、ダローウィン働いてくれ。午後のスケジュールを見直して。三〇分で構わない。緊急代表会議だ。各寮監督生と新聞部を招集すること。特にケント寮監督生には出席義務を命じる。……第三者委員会から書紀係を招聘。議事録を残すこと。学院OBには代表会議で決定した事柄の周知を。さらに新聞部は次回発行紙面に訂正文と謝罪文の掲載をするように。また、発行事前承認として私と理事長が監査を行う。わかったかな?」
 「ひっひいぃぃ……!」
 ダローウィンの悲鳴がノーサンブリエ寮内に響き渡った。



 ◇ ◇ ◇


 懐中時計の二つの針は天空を指している。北西にある鐘楼の鐘が学院中に正午を伝えていた。
 シュナイゼルは午前の講義の出席を見送り事態の収束を図るべく雑用に追われていた。加えて準公務にあたる様々な会議と書類への最終チェックと調印と多忙を極めていた。
 籠もりきりの代表室から一歩外に出てみれば嫌に騒がしい。生徒の波の中に割り入り最も人垣を作っている場所へ赴くと、彼らの興味関心は中庭の噴水にあった。ある生徒が闘牛場のショーのように囃し立てた。
 牛*となったは学院のゴシップ渦中の人物、ノエル・アストリアスがいた。彼は校舎中庭の噴水の中に入り探し物をしている最中だった。
 シュナイゼルは手を叩くと珍しく声を張った。
 「君達は食事を優先しなさい」
 「で……殿下……!」
 それまで意に介さずにいた一人はシュナイゼルを目の前に怯んだように後退った。すぐに態度を柔和なものに改めて目先の彼に微笑みかけた。
 「本日の大食堂のメニューは魚料理がメインだよ。嫌いでなければ堪能するといい」
 「はっはひっ!……失礼いたします……」 
 嫋やかな声掛けに生徒たちが蜘蛛の子を散らすように去っていく。
 一人その場に残ったシュナイゼルは再度中庭を見下ろす。彼の制服の上着は芝生にありシャツとスラックスだけで水を掻き分けている。おまけに新調したばかりの学生鞄の中身は噴水の周辺にゴミ屑のように散らばっていた。テキスト、書類、辞典、ノート、筆記用具、ハンカチといったものが。
 中庭に降りて噴水の中を確認すれば、水中の底面にはさらにいくつかの私物が沈殿していた。これには呆れてため息さえ溢れる。
 「水浸しだね」
 ノエルはシュナイゼルの存在に気が付き、あからさまに不機嫌な態度を示した。実際煩わしいのだろう。いつからこうしているのかは知れないが、この様子ではランチタイムは丸潰れだ。
 豊かに張った水の中。たっぷりと噴き上がる水を浴びても彼の手は一つ一つなおざりになった物品を白い台座の上に載せていく。シュナイゼルがその場を去ろうとしないので苛立ちを口にした。
 「……はぁ。なにか? 何かご用ですか殿下。それとも笑い者にするためにわざわざ?」
 「靴はどうしたんだい」
 「失くしました。……これでいいですか?」
 ノエルは片足を持ち上げて素足を晒した。
 「奨学生バッジも?」
  ノエルは鼻を鳴らして肩を竦めた。
 「だとしたら?」
 「ふむ……これは由々しき事態だね」
 「信奉熱心な臣下のご活躍は嬉しいですか?」
 彼なりの皮肉言葉だった。一日ですっかり嫌われたものだとシュナイゼルは思った。想像よりも事態は深刻化していた。予め立てていた対策を講じることにしてシュナイゼルは懐から物品購入用の書類を取り出して掲げてみせた。
 「……なんですか」
 「これに購入品を記載して購買部に頼みなさい。話は通してあるよ。バッジは後日理事長から再交付させるから受け取るように」
 「……遠慮します」
 「なぜだい?」
 「極めて、感情的な、理屈です」
 勿体つけて強調するようにノエルは答えた。
 「それは一体なに?」
 「屁理屈ですよ。個人的な問題です。あまり干渉しないでください」
 「……私はなにか、君に嫌われるようなことを?」
 その時、何かの引き金を引いたみたいだった。
 ノエルは大きく瞳を見開きシュナイゼルを凝視した。さながら獰猛な狼の威嚇といえた。彼はバシャバシャと噴水の中を進み、噴水の台座の上に立った。二人はほぼ同じ目線に交わり勢いよくシュナイゼルの胸ぐらを掴み上げた。ハリのある蒼い制服に不自然な皺を与え、プツンと音をたててブラウスのボタンの一粒がどこかへ弾け飛んでいく。シュナイゼルは午後の眩い光を集めた金糸の奥にある紫苑色をじっと凝らし毅然と咎めた。
 「私闘は規則違反だよ。また私にその気はない」
 「……っ!」
 沸き起こる怒りのエネルギーがノエルの握りしめた右手越しから伝わる。
 「手を放しなさい。ノエル・アストリアス君」
 ノエルは力の入りすぎた眉間を緩めようと必死だった。
 「君のために言っているんだよ」
 それでも頑なにノエルは引き下がらなかった。
 「ここで私に実害を与えると、午後の代表会議で君の処遇について追加審議を行わなければいけなくなる」
 「信じられる根拠は?」
 「……周りを確認してごらん。上階もだ。全員が証言者になりうる。君の非行態度を君自身で証明してしまうよ。私は君が放校処分になろうが知ったことではないけれど……代表としてこの学院に入校したからには謳歌してもらいたいと考えているんだ」
 ノエルは校舎の窓に張り付く野次馬たちをジロリと睨むように見上げた。それから舌打ちし、とうとうシュナイゼルを解放した。
 「いい子だね」
 よれたブラウスを整え、崩れたリボンを締め直すとビリビリと紙を破く音がした。先程手渡したばかりの注文票をノエルは破り裂いている。それをパッと花を咲かせるように宙に放り、あとには鳥の羽のようにゆらゆらと舞い落ちた。
 「困りごとがあれば相談にのるよ。遠慮しないで」
 とん、とノエルはわざとシュナイゼルに肩にぶつかった。
 「善良そうに振る舞って、おままごとは楽しいですか? 殿下」
 シュナイゼルは内心、やれやれと彼にしては毒づきたくなったが全くその感情を出さなかった。生憎懲罰に用いる道具を携帯していなかったからでもあるが、シュナイゼルの演技を看過するこのノエルに少しばかり興味を抱いたからだ。
 ノエルは周囲に散らばっているもの、見つけたばかりの私物を乱雑に学生鞄に詰め込み裸足のまま中庭を去った。
 
 


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午前四時の異邦人
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