娼年






 ※注意/設定※
 ――ホリドゥラ本編でのクーデターが起こらず、国王夫妻健在、ヒロインが王女として生存し影武者がない世界の話。シュナイゼルが娼年として身売りをしていたら。モブの女性に筆下ろし、男に奉仕しているシーンがあります。十五歳×十九歳の未成年を扱うかなりキワモノR18と倫理感かなぐり捨てていますのでご注意。後半は比較的明るいです――


 ◇ ◇ ◇

 細くたるみのないもの、皺がいくつもの折りたたまれ肉の陰をつくるもの、吹き出物に気づかず色素沈着しているもの、なめらかな肉を持つもの。
 もとを辿ればみな猿人だ。二本の脚で歩き、二本の腕で毒物をよりわける。香を焚き染めた密室。赤い天鵝絨と毛の長い深い絨毯のうえの饗宴。旧時代趣味の蝋燭頼りの灯りと妖しく揺れ壁や天井にそのときどきで形を変え模様を変え影絵をつくる。
 部屋の中央、崇拝者のサークルのなかで奉られるように聳えるこの世のすべての輝きをもっとも詰め込んだ人のかたちをとる、男とも女ともかんばせでは見分けのつかない美しいこどもがいた。
 こどもの姿は光とともに降誕したように人々は指の隙間から拝顔の栄に浴する。
 ――なんて素晴らしい御顔立ち。この世のものとは思えませんね――
 そのなかからひとりがこどもに寄り添って金色に染めつけた髪に曲がった鼻を近づけた。
 ――御髪も――とてもよい香りですね。薔薇のかおりがするわ――
 磨き上げられた、薄明の一瞬の色彩を縁取る金色の睫毛が小鳥のはばたきよりも軽やかに震える。
 ――宝石のよう。いくら積んだって手に入らない――
 白磁のような肌、整いすぎた額と鼻梁、流麗な曲線を描く頬骨、艶然と形のよい唇。
 ――おお、……おお……! うつくしい……うつくしい……うつくしい子……!――
 下卑な色。量産された宝飾を巻き付けた無骨で無遠慮な手が、こどもの硬くも柔い身体を抱き込み、唾と吐息を同時に吐き出しながら感銘と恍惚におちぶれていった。
 「お気に召しましたか」
 斑のあるでこぼこの人々は安っぽい色の眼差しをこどもに捧げた。
 ――もちろん、もちろん、もちろんですとも――
 老婦人はすっかり色素の薄い白髪になりかけの細く頼りない張りのないくたっとした髪や、肉の衰えで余った皮膚のたるみを薄手のランジェリーに隠し、ぼこぼこと浮き出た血管とこれまた細かい皺だらけの手。その存在と真逆の少年にその生命力を分けてもらうかのように恭しく触れた。
 「もちろん、素晴らしい贈り物に感謝いたしますわ」
 人間のなかでもっともうつくしいこどもはシルクの布を羽織りその下に隠されている、男と女をよりわける象徴を示すように絨毯の上にまで広がるそれを持ち上げた。
 「かわいらしいわね。ねえ――はじめてですわよ、あなたがしてあげる? お若い方のほうが殿下も嬉しいでしょう」
 この少年には名前がある。けれど、だれもそのままに呼ぶことはできない。その中でうつくしい少年の次に若い女が呼ばれた。薄手のスリップからは柔らかな乳房と先端の桃色が浮かびあがり絨毯の上を膝で這い少年を仰ぎ見る。
 「よろしいですか?」
 若いといっても女は成熟した肉体をしていた。ぬけるような白肌。プラチナブロンドの長い髪。深い翡翠色の瞳。少年の次に価値のある美貌の女。少年はほかの人々が何を見たがっているのかを優れた頭脳と洞察力で解く。
 「ご随意にどうぞ」
 うつくしい少年――シュナイゼル・エル・ブリタニアの端正な唇が動き許しの言葉を与える。
 女は微笑み並びのいい歯をみせた。そして、未発達の小さな顎をとらえ唇を重ね合わせる。触れるだけのものから深く深く、少年に不似合いなほど甘い接吻を周囲に撒き散らすように魅せつけていく。
 人とながいキスをしたのは初めてだった。シュナイゼルの瞳は潤み、唇は唾液で濡れて光る。
 「……おじょうず」
 女はいやらしく笑う。シュナイゼルの首や肩、胸から腰、鼠径部をなぞるように唇で愛撫した。大人のものに遥か程遠い小さな男の象徴をためらうことなく咥えこみ、容易く扱く。女の口の中はあたたかくぬめついていて、その行き止まりの知らない洞窟の中に吸い込まれる感覚に少年ははじめて「うっ」と小さなうめき声を漏らした。
 それを耳にした人々を悦ばせ享楽の合図となった。

 シュナイゼルはなんでも受け容れた。未成熟な細く薄い体の中に。老若男女の欲望を叶え、精気を吸い取るように満たされ満たしてやることもした。どんな勉強よりも、軍略や政略よりもかんたんなことだ。そのへんのだらしのない身体を持つ者、四肢を欠損する者でさえ脳が働き性器がそろっていれば原初から脈々とつづく動物的行為で愉しむことができる。
 シュナイゼルの価値はこの世界の支配者層達に美貌と血統と権威の存在を明け渡し、この誰でもできる行為を提供することだった。


 a.t.b.二〇〇六 November
 
 神聖ブリタニア帝国第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアの婚約者、ティラナ・ヴァル・カストリアは今月十九歳を迎えた。
 昨年成年を迎えたティラナは成年王族として両親を支える公務の傍らライフワークの一つである研究にも余念なく、カストラリア王立生命科学研究所を設立し所長に就任した。年間論文本数を十二本を密に発表する生命科学界のトップランナーである。各地の慰問や共同研究、福祉支援活動にも尽力し、毎年ブリタニアン・タイム誌で発表される今年の優れた人≠フ中についにノミネートされるようになった。
 そのブリタニアン・タイム誌の表紙を飾った時、携帯電話を紛失し撮影場所のスタジオにたどり着けず、財布役の女官ともはぐれ、広大なオフィス街の真ん中で立ち往生。近くのビジネスビルの受付から電話越しで半べそをかくのでわざわざコルチェスター学院から迎えに行った。
 『末代までの恥!』とティラナが叫びながらスタジオ入りし撮影された表紙のニュース雑誌は一〇〇〇万部の異例特大ヒットを記録した。
 
 金と赤の派手派手しい敷布。豪奢な調度品の設え。男も女も老いも若きも。見境なく肉を堪能し性を謳歌する。淫靡な世界。
 男も快楽に身をやつし耳障りな女のような挑発的な喘ぎを真似た。
 その麓で金糸の眩い髪を揺らし娼婦のように口淫をする十五歳の少年シュナイゼルは、あてつけるように音をたててやった。髪の隙間から男を見上げると欲望にあぐらをかく支配的な眼差しとかち合い――シュナイゼルの双眸に気づくと、にいと犬歯を見せて笑う。
 誰かが獣のようにエクスタシーを叫んだ。
 軍高官の一人である王族傍流の男はかなり筋肉質で、背丈はほとんど同じにもかかわらずシュナイゼルよりもさらに大きく見えた。
 綺麗に切揃えられた爪。太く力強い平らな指先を持つ手が無遠慮に高価な金糸を掴み、咥えこまれたそれを咽頭に突き刺さんとする勢いで押し込んだ。
 「きれいだなぁ……男になんで生まれたのかね? 女だったら金をどーんと積んで身請けしてやったのによぉ! ……でもきれいだとわかってるから、こういうコトしてくれるんだもんな? 女だったら間男相手にとっとと腹を膨らまして身籠られたんじゃ厄介だったな?」
 シュナイゼルはなにも言わなかった。黙って男の欲しがる穴になりきった。それが面白くなかったのか男は舌打ちした。
 「その反応はマグロ女より酷いや」
 男は灰皿に残していた葉巻を咥えた。肺を重く押しつぶすような香りをシュナイゼルに吹き付けると喉の低いところで笑った。
 「マグロ女といやぁ……お姫様はいい反応しそうだなぁ……乳もでかいしケツもプリッとしててよ。……恵まれてるよぁ、あんな女と毎晩ヤれるんだ、羨ましいよ……」
 男は合図もなしに射精した。
 「……っん、ゲホッ……」
 解放され咳き込むシュナイゼルの白い顎を掴むと男は葉巻を再び灰皿へ戻し、その口で食らいつくようなキスをした。
 最悪の味だった。
 「ひひひ。この口で姫様にキスしてやってくれ。俺の代わりによ」
 せめてもの温情かその辺に置かれた白い布でシュナイゼルの口元を拭った。
 「俺ぁ……あの雑誌でなんべんヌいたやら。……なぁ、もう済ましたのか? あぁ? どんな味だった? 気持ちの良いマンコしてただろ?」
 「そのへんにしとけよランドン。あのお姫様男≠知らない女だぜ? 処女がそう上手くいくかよ」
 この国の三番目の王子が老婆相手にフィニッシュを迎えたところだった。
 「まだ? なんだよ、まだ手ぇつけてねえの? 箱入り娘ってやつか? お堅いねえ。大変だよなぁ本物の王族ってのも。……じゃあこのサロンに姫様もご招待してやろう。みんなで見守ってやろうじゃないか、この皇子さまとのはじめてをさ。初回は譲ってやる。そしたらその後、俺達も味わわせてもらおうぜ。あぁ……あの乳に挟まれて顔に吹っかけてやりたいよ」
 男――ランドンはシュナイゼルを見下ろして反応を楽しみたがった。凌辱を喚起させて不快げに歪むであろう顔を望んでいたが少年は笑みを薄く浮かべるだけだった。それが余裕のあるように見えランドンは憤慨を隠しきれず、シュナイゼルの体を突き倒した。 
 「……脚開け。……どっちが気持ちいいか味比べ用にみてやる」
 絶対的な美貌の少年は近くにあった潤滑剤を取り、慣れた手つきで準備を施した。
 男は手早く勢いを取り戻し、シュナイゼルの上にのしかかった。興奮に駆り立てられ鼻息を荒くし美しい少年をガツガツと貪る。しかし、思うほど反応を示すこともない少年にランドンは射精後ともう一つ違う種類の汗が混ざっていた。
 焦りを読み取ったシュナイゼルは一つ鼻先で笑った。
 「へたくそ」
 「なっ」
 「へたくそ≠セと言ったんだよ。もっと器用にできないの。……そのお粗末さでは……お姫さま≠満足させられないよ。早漏」 
 「クソ野郎こいつ!」
 ランドンは容赦なく、シュナイゼルの顔を引っ叩き突き飛ばした。
 痛みさえも少年の顔に表れることはなく、誰よりも素晴らしく整った肉体を楚々と立て直し、脱ぎ散らかった衣類の下からペン型のボイスレコーダーを取り出すと録音のスイッチを切った。
 その場にいる者の注目を浴び、シュナイゼルは王手をかけるようにランドンに言い渡す。
 「君の声は録ってあるよ。失脚も夢ではないね? 彼女の母君がどのようなお立場であるかご存知であるなら……今宵が終末だ」
 「こんなことしたらどうなるかわかって……!」
 嬌声が悲鳴に変わる。さざめきが押し寄せる。ランドンの穂先からはみっともなく体液が滴る。
 「あと二ヶ月だからねえ……やりようはいくらでもある」
 「に、二ヶ月……!? なんの話だ、おい! 逃げるな!」
 男の手垢を振り払うように首を回し金髪を揺らす。白く瑞々しい裸体を多くの老いも若きも男も女も誰もが追い縋る。
 そしてこの世の春。もっとも華美。反吐の温床から少年の姿は消えた。
 

 ある噂がまずはじめにあった。
 それはティラナ王女が十九歳の誕生日を迎えてまもなく、十一月の半ば頃。公務にエリア八に渡ったときのことだ。
 宮廷晩餐会の食事を終え迎賓館内の部屋に戻る間の束の間。つまり――終わりごろにその国の貴族の伯爵夫人がティラナに声をかけた。本来王族同士の交流で終わるはずだが、その晩餐会は国王の誕生日を祝うためのもので臨席する各国の王族は自然とその国の貴族とも交流をする機会があった。
 瞳の色に合わせた落ち着いたマスタードのドレスを纏うティラナは、よく編み込んだシニヨンヘアでいつもよりも着飾っていた。初老の伯爵夫人はふくよかな肉付きの身体を落ち着いた色のドレスに包み、その丸顔の中に人好きのするえくぼを作った。
 ――サロンにはもう行かれましたの?――
 ――サロン? 何の話だろう。
 親切を無下にせず曖昧に微笑み返す。貴婦人は扇で口元を隠し甲高い声を押さえ笑った。
 ――まあ、ウブなんですのね。お可愛らしいひと。もったいないわ。はやくいらして。ご研究のほうが大事なのはわかりますけれど―― 
 どうやらサロン≠ニいう社交場の話らしい。ティラナには公務の訪問やら日常の研究の方が有益で、社交界の情報はからっきしで地道な関係性を構築することより実利的に国の価値や国民の雇用に還元できるような発展こそ最重要だと考えていた。メディアへの露出も安売りするな≠ニ諫言をいただくこともあったが大多数の世論の評価こそ統治者が得るべき武器である。極少人数の安楽椅子の人々の意見は時折的外れで退屈でならないもの――だからこそ、こうして何度も誘いを受けていながら面倒なものだろうという先入観から、いまいち食指の動かない話題だった。
 貴婦人はティラナのもとへ近づく影にはっとして恭しくドレスの裾を持ち上げて礼をとった。
 この国の王太子だった。ティラナも同様にドレスを持ち上げ礼をとる。
 「ようこそティラナ王女殿下。このたびはお越し下さり感謝申し上げます。貴国のますますの繁栄を祈っております」
 「お招きに預かり光栄にございます。グラード王太子殿下。素晴らしい晩餐会でした」
 「……ああ、こちらは私の筆頭護衛のランドンでございます。挨拶をしなさい」
 グラード王太子の傍らに控える大柄の護衛ランドンは、メスドレスに相当する赤と金と細かな刺繍入りの夜会用の制服姿で姿勢を低く恭順の礼をとった。
 「ランドンでございます。ティラナ王女殿下」
 そして「君」と呼び出された華やかな制服を纏う給仕人が、よく磨かれた銀のトレーに乗った酒の入ったグラスをティラナに差し出した。
 「ティラナ王女殿下はお酒も嗜まれるとか。食後酒にいかがですか?」
 「ありがとう。いただきますわ」
 シェリーグラスを手に持ち淡い金色の液体を揺らす。グラスに鼻を近づけると香ばしい辛さが触れる。
 王太子グラードは眉を顰めて、その場にいない話題に上がる婚約者の名を口にする。
 「婚約者のシュナイゼル第二皇子殿下との挙式はいつ頃を予定されておられるのですか?」
 「まあ気の早いこと。シュナイゼル殿下はまだ宮廷規則の年齢にも達しておりません。早くても来年以降でしょう」
 「そうですか。……殿下には準公務の傍ら学業も忙しいことでしょう。……しかし、火遊びもいずれ潮時というものがあります」
 その視線はランドンに向き、彼の表情は一瞬強張った。
 ティラナは違和感を繰り返した。
 「……火遊び?」
 「いや。それよりも、食事はお楽しみいただけましたかな?」
 「……ええ。とても美味しゅうございました。海が近いと新鮮な海鮮が召し上がれるのは羨ましいですね」
 「そうですか。それではもっとご堪能ください。自慢のシェフが腕によりをかけて作った特別メニューもございますから。明日の朝、用意させますよ。細かなお好みがあれば言いつけてください」
 「まあ楽しみ。ぜひ堪能させていただきますわ」
 社交辞令の会話はそこで一旦引き――グラスに口をつけようとした時。視界の端に映る燦然と輝きを放つ少年の登場に目を奪われる。
 「これはこれは……ブリタニアの至宝。シュナイゼル殿下ではございませんか。お待ちしておりましたよ。てっきり今宵は――もうお越しにならないのかと」
 「……シュナイゼル? どうして晩餐会に……」
 堂々とした足取りでグラード王太子の前に立つと礼をとる。そしてティラナの手からグラスを抜き取ると、礼をとりながら甲に口づけた。
 「やあ、ティラナ。……ブリタニアとカストラリア以外で会うのは不思議な気分がするね」
 「学校はどうしたの?」
 「公務だといったら驚くかな」
 「公務? でもあなた……」
 そんなことより、同じ晩餐会に出席するならば一言教えてくれていたっていいのに。
 ティラナの胸中に痼を残す違和感にどう追及しようか言葉を考えていると上座にいた国王がシュナイゼルの元へやって来た。 
 「ようこそ我が国へ。シュナイゼル殿下」
 国王はシュナイゼルの耳元で囁いた。
 「――このご様子だと、今宵が引き際ですかな?」
 「そのようです。お好きになさってください」
 シュナイゼルは国王の手に証拠を握らせるとすぐにティラナの元に戻った。
 「……どうかしたの?」
 「食事は美味しかったかい?」
 「美味しかったわ。……そうじゃなくて」
 「ティラナが言うなら間違いないね。私はもっとグルメだから」
 ティラナはシュナイゼルのはぐらかす態度に違和感を覚え大広間を見渡した。
 先程から粘つくような視線が向けられているような――いいや、そもそも晩餐会が始まって以来からどこか奇妙な気配を感じていた。
 このじっとりと絡みつくような視線。異様な雰囲気を醸し出しはじめていて――背筋に走る悪寒にティラナは言い知れぬ不安を覚えた。
 そして、みなが関心を寄せるのは――ティラナの隣に立つ一際目立つ美貌の少年シュナイゼルに向けられている。
 「申し訳ございません。国王陛下。今宵はこれにて退出いたしますことをお許しいただけますか」
 「よろしいですよ」
 人々を安心させるような微笑みを浮かべ、国王は頷いた。
 長丁場の夜だから早く帰るのも不思議ではなかったがそれにしては早すぎるのではないかと思っていると、彼はティラナの腰を抱き歩き出した。
 「……え? あっちょっと……殿下! 私も?」
 「食事はとられたでしょう。食いしん坊さん」
 「は、恥ずかしいことをおっしゃらないで! 人前で……。申し訳ございません。陛下。私も御暇させていただきますわ!」
 ティラナは国王の前で礼をとり、シュナイゼルの手を握った。

 果てしなく続く夢想家の想像を膨らませる、立派な石柱の列のとある一本の陰にふたりはいた。
 シュナイゼルの身長はこの国の成人男性の平均を上回る長身だったが遥か天井まで伸びる柱の長さには敵わなかった。白とウィスタリアの優美な正装姿の大国出身の第二皇子を胡乱な目つきで睨むのは、ハイヒールを履いて辛うじて同じ目線を保つ、相対的に小国となる王国の唯一の姫君だった。
 「……どういうこと?」 
 「なんのことだい? 来ていきなり帰ることもないだろうと言いたげだね」
 「とぼけないでちょうだい。……みんな、みんな、様子がおかしいわ。――だって……目つきが……いいえ、それより公務ってどういうこと? あなたは未成年皇族でしょう」
 「やれやれ」と肩を竦めてまともに取り合うことをしないシュナイゼルにティラナはどうやって聞き出そうかと腕を組んだ。
 視線をわずかに下げた時、白い首筋に赤みと紫の色彩を見つけティラナは眉根を寄せた。 
 「……その首の痣はなに?」
 「……おや。これは餞別かな。それとも嫉妬かな」
 「シュナイゼル。はっきり答えなさい。なにをしていたの。公務だっていうけれど、そんな話聞いたことないわ」
 シュナイゼルは完璧なブロンドを揺らし、人々を虜にする瞳を眇めた。
 「では、物わかりの素晴らしいあなたに簡潔に教えて差し上げよう。……セックスをしていたんだよ。ついさっきまで」
 ――な……――。
 ティラナは絶句する。
 「セックス……?」
 「ファックともいうね」 
 頬に熱が急激に集まってくるのを感じた。
 それはあまりにも強い言葉の響きで、意味を理解することができても、それより手前の様々な問題への言及が一気に溢れ出てきて舌が縫い付けられたかのように回らなかった。
 シュナイゼルの柔らかな微笑みと言葉が似合っていない。それどころか、彼はまだ――。
 こめかみを手で押さえティラナは瞼を閉じた。
 「あなた……自分が何をいっているのか……」
 「わかっているよ。……君を差し置いて……他の人間と寝ていたんだ」
 「えっと……それは、どうして?」
 ティラナは感情より先に疑問のほうが勝った。
 「だから言っただろう? 公務だよ」
 「そ……、そんなふしだらな――公務はありません……!」
 「ティラナが知らないだけだよ」
 「きっ――聞いたことないわ! それはね……身売りというのよ!?」
 ブリタニアという国はそこまで落魄れて困窮しているのかというと違う。
 どちらかといえば強権的で他国を支配下に置き、略取する強者。簒奪者である。大量の資源を獲得し自国に還元し私腹を肥やす時代の王者だ。
 ティラナは、未成年のシュナイゼルがわざわざこんな事をしなくてはいけないのか考えた。
 そして、ある結論に達した。
 「もしかして……詫びの献上品≠ニいうこと……?」
 シュナイゼルは一瞬目を見開き、それから堰を切ったように細かく笑った。
 「……くっ……あはは。……うーん、あなたは本当に鋭いね。……これだから、今日だけは会いたくなかったな。でも仕方ないか」
 笑う皇子と対照的にティラナの語気は強まる。
 「……皇帝陛下がおっしゃったのね?」
 シュナイゼルはまた肩を竦めてみせた。ティラナは一歩踏み込み彼に詰め寄り、人差し指を突きつけて、必要な答えを引っ張り出そうとする。
 「お命じになったのね?! ご自分の子供を……なんて人! 考えられない!」
 「我が父君は無関心だよ。多くの妃を迎え入れて、毎年子供が誕生するけれど――違う世界を見つめているよ」 
 だからといって、自分の子供を簡単に他国の宗主や貴族達に身体を売らせて溜飲を下げさせることをさせるのだろうか。
 ティラナの生きてきた世界とは全く異なる環境とその価値観に打ち震える。
 ブリタニアの国是は競争と進化こそが全てだ。競い争い進化を続ける。絵空事を尊ぶ大多数の中から抜きん出て持てる者の才能を評価する。人類という単一の意味に還元するならば必要な活動だ。――シャルル帝の打ち出す主張自体に矛盾はなく。
 ある意味で、それが、平等に自分の子供にさえも向けられているとするならば、彼は誰にとっても誰によりも体現者である。
 ティラナは論理では間違っていないことを認識し――それでもかぶりを振った。
 シュナイゼルの持てるものはまだ少ないが、彼は人類最高傑作の部類に入るほどの美貌を生まれつき備えている。どこの国にだってその国のアイデンティティと血統を保持する人々がいる。彼らはその国の中では上位にあたり持てるものは大抵都合がつく。しかし――うつくしい人間というものは水ものでその瞬間に価値を与える。
 ティラナは自分を抱きしめて身を震わせた。悍ましい。
 「……びっくりさせたね」と穏やかな声で少年は言う。それが当然で何も問題がないように。ティラナは姿勢を戻すとシュナイゼルの背の向こうに晩餐会から出てきた貴族達の姿に気づき、周囲を、誰かを探しているような素振りに一瞬凍りついた。
 「……ティラナ。強く引っ張らないで。痛いよ」
 「部屋にいくの」
 手袋をはめた大きな手を引いてティラナは迎賓館の客室へ向かった。
 部屋に数時間ほど待機していた侍女達が数人、ティラナを出迎えた。扉を開けてシュナイゼルまでいるとは知らず一人が「まあ殿下まで!」と声をあげた。
 「やあ。こんばんは、レディ達。お邪魔するよ」
 ほのかな黄色い声があがる。いつものことだ。
 ティラナは早速ハイヒールを器用に脱ぎ、室内履きに履き替える。侍女がさっとハイヒールとクラッチバッグを回収し衣装用の荷物に収める。着替えをそのまま行うものだと数人が取り囲もうとしたのをティラナは手で制した。
 「ごめんなさい。シュナイゼルと話があるから二人きりにして頂戴。……ああ……明日の視察についての打ち合わせは後でするわ。女官長に連絡を入れて。あ――あと、明日の朝食の用意はお願いすると美味しいものが食べられるって! みんなも好きに頼んで。おすすめは海鮮マリネ」
 「はい。ティラナ様。それでは隣室におりますゆえ、いつでもお呼びください」
 「シュナイゼルがこっちにいるのも向こうに伝えてね!」
 「もちろんでございます」
 そういって統べる侍女長が深々と一礼し侍女達が退室する。「春の妖精達はいつもにぎやかで退屈しないね」とシュナイゼルはにこやかに述べた。彼はこういった事を口にする。 
 ティラナはシュナイゼルに近寄り顎をそっと持ち上げ白い首筋に滲む赤――内出血を睨んだ。
 「痛みは? 熱とか」
 「問診かい?」
 「怪我しているじゃない」
 「怪我じゃないよ」
 ティラナは目を細める。
 「内出血しているのにどこが怪我じゃないのよ。首筋なのよ。血栓が出来たら死ぬことだってあるんだから」
 「大袈裟だよ。低い確率の話だろう」
 「ゼロパーセントではないわ」
 「潔癖だよ」
 シュナイゼルはソファに座ろうとしたのを引き留める。「……ねえ、まだあるでしょう」と追及すると、それを嫌がって話題を逸らそうとしたのだった。
 「うん? 怖い顔をしているね。あなたの笑顔のほうが好きだな」
 「すっとぼけて、もう〜! ……えーっと……」
 長い衣の裾をひらりと持ち上げてみて迷う。見かけ以上に単純な構造ではないらしい。見えづらいところに形を崩さないための工夫の凝らされた釦のフックがあり、上衣と下衣のレイヤーに干渉しあっている。着替えには数人がかりで行う服で着せる方も着せられる方も面倒だろう。
 「……脱いでほしいなら脱ぐよ」
 勝手のわからぬ正装を自ら解き、その場に脱ぎ捨てる。
 ティラナの眉間に皺が寄る。何度か瞼を瞬かせ、深い溜め息を吐いた。シュナイゼルの白く滑らかな肌には暴力的ともいえるほど生々しい傷のような皮下出血の痣が点々と散らばり、それらが執拗にも首筋や、背中、腰、内腿や足首など隠れて見えないようなところにまで痕跡としてあった。
 「偏執的だわ。……自然治癒が一般的だけど温感クリームがあるわ。明日渡すからそれを塗って」
 血行促進用のクリームは、長期間同じ姿勢で考え事をするティラナが首や肩の凝りをほぐすのに使っているものだ。
 「はぁ……なんてこと」
 欲望の印をシュナイゼルは隠し持っていた。だが今日はついに婚約者に見つかってしまい――それを先程彼を晩餐会の会場から連れ出した時、この少年に印を与えた者たちはティラナを嘲り笑っていたのだろうか。
 シュナイゼルは下着だけでソファに深めに座った。持て余してならない長く真っ直ぐな脚を組み、テーブルの上に置かれた未使用のグラスに水差しから水を注ぐ。乾いた喉を潤し小さく息を吐き、婚約者を見上げた。
 「……シュナイゼル。もう……これっきりにして」
 ティラナの声は微かに震えを帯びていた。対してシュナイゼルはどこ吹く風と、頬杖をついて別の方向を見た。
 「それは――どうかな」
 「皇帝陛下の思し召しだとしてもよ」
 「むずかしいね」
 「……いつからしていたの?」
 「きみの名前を呼び始める前から」
 ティラナはショックのあまり俯いた。
 「……じ……児童虐待よ……なにをしているか……みんな……わかって……、ありえないわ!」
 体中が体の中が火照っていた。愕然とし、すべてに失望したくなった。自分自身にさえも。気づかなかっただけで、もっと早くなんとかできたのではないか? そう思えてならなかった。涙が次から次へと溢れた。年下の男の子さえ守れないのか。悔しくて、憎らしくて、苛立つ感情が余計に涙を誘った。
 「ティラナ。泣かないで」
 「あなたのために泣いてるのよ!」
 拳をかたく握り締めて、一度地団駄を踏む。
 わあああん、と子供のような泣き出し方は十一歳の頃のティラナから変わっていなかった。あの頃は自分のために泣いていた少女が、今はシュナイゼルのために涙を流している。綺麗なハンカチが正装の内ポケットのどこかに入っているのを思い出して、シュナイゼルは脱いだばかりの高級素材で仕立て上げられた豪奢な服の中を探った。
 「ティラナ」
 「ふえええん……!」
 目当てのハンカチを見つけ出してシュナイゼルはそれで火を吹くように赤い顔を拭った。
 ティラナは賢いのに感情のたがが緩むと子供のように素直だった。シュナイゼルには全く経験どころか、そうなりたくてもならないほど動かない感情をティラナは持っている。生来の性質というなら彼女は子供じみているし、シュナイゼルはあまりに大人びていた。
 「目が腫れてしまうよ。明日も人とたくさん会うんだろう?」 
 「誰のせいだと思ってぇ……!」
 「私のせいだね。わかっているよ」
 ヒーヒーと泣きながら、エチケット袋に簡易キッチンにある製氷機から氷を詰めるティラナの背中を目で追いかけて、シュナイゼルは逆さまのグラスをひっくり返し水で満たした。

 「……もう十一時ね。シュナイゼルはシャワーを浴びてから部屋に戻りなさい。……部屋はここ? 外でホテル取ってるなら手配させるわ」
 クリスタルの置き時計を見遣り晩餐会の熱も下がってきた時間帯と判断して、論文のチェックの片手間に指していたティラナのチェス相手に向けて言った。
 ガウン羽織る少年はちらりと一瞥を返し求める返事をせず浴室へ向かった。
 「……反抗期かしら」と小言をいって、ティラナは隣室の侍女長を呼び出し、仕事に関する簡単な言伝を頼み部屋に引き下がらせた。再び一人になった部屋でドレスを脱ぎ髪のセットを解いた。本来は侍女のやるべき仕事だったが時間が遅いため一人ですることにした。
 シュナイゼルはまだ浴室の中にいる。入浴は明日の朝にして今日はもう寝てしまおう。化粧を落とし歯も磨いて、ああそういえばスパークリングワインがあったと思い出した。美味しそうなシェリーを飲みそこねたことも。
 備え付けられた大きなワインセラーから一本取り、ワインオープナーを見つける。
 「……ふんっ!」
 ボトルからコルクを抜栓し小気味よい音をたてる。飲み口の平らなクープグラスに琥珀色を注ぐと細かい炭酸の泡が上がっていく。さっと一口味わうと舌の上に程よい刺激と爽快な果実の香りが鼻に抜けていった。
 「アプリコット……桃かしら」
 簡単なテイスティング。裏ラベルの紹介文で答え合わせをして満足する。
 ベッドの上で明日の訪問先の資料の束を引っ張り出しおさらいをする。国立医科大学で講演を予定していた。講演後に学生とのセッション講義が一つ。視察のあとは別の視察がある。絶え間なく新しいことを求め、吸収し、構築し、発散する。
 数十分ほどそうしていたが、ワインの酔いと眠気に瞼が下がっていった。

 ベッドの沈み込む感覚に微睡みから浮上し、重い瞼をなんとか持ち上げようとして失敗する。
 「……うん、な、なに? シュナイゼル? 部屋に戻らないの?」
 手元にあったはずの資料やクープグラスは足元の先にあるテーブルの上。覆う深い影。洗いたての皮膚の甘い匂い。寝惚けるティラナの唇に湿った柔い感触が何度もやってくる。
 「……んぁ……? ……は……も、もう夜遅、い……から……」
 ――おやすみのキスにしては長いような。
 力なく瞼が落ち、いつになったら終わるのかと思っていると、舌が絡みだし口内を弄りはじめ、大きな手が首筋から鎖骨、乳房、脇の下を愛撫しだした。外気の冷ややかな開放感がガウンから剥かれているのだとわかり、急激に目が冴えた。
 「……まって。待ちなさい。誤解を与えたなら謝ります。そういう意味ではないの」
 間接照明の灯りがシュナイゼルの頬や鼻先を暖色に染め、小さな炎の揺らめきを瞳に宿す。彼は相変わらず下着を除いて裸体の姿でいる。両脚の間に身を入れ、ティラナを静かに見下ろしていた。
 はっとして、シュナイゼルの身体を押し退けようとするが、びくともしなかった。少年は背中を丸めてティラナの鼻先に顔を近づけた。思ったよりも鋭く彼にしては苛立ちさえ含まれた声音をしていた。
 「汚いと思った?」
 「え……」
 「晩餐会に出席する前に一度浴びてきたんだよ」
 「……シュナイゼル。違うわ。今から戻ってもすぐに眠れるようにここで浴びていきなさいと言ったのよ」
 シュナイゼルは瞳を逸らすことなく、ティラナの言葉も介さず続けた。
 「もうあなたにはふさわしくない?」
 「ごめんなさい、そうじゃないの」
 「あなたを虜にしたこの髪も、瞳も、肌も汚れてしまった?」
 そこまで彼が言い切って、ティラナは彼を傷つけたのではないか――と思いを巡らせた。シュナイゼルはとびきり美しい。いつだって隣を歩かせるのを烏滸がましいと思っている。
 「美しいままよ。私が隣にいるのがもったいないくらい」
 頬を撫でる。髪に触れるとまだ湿っていた。
 「髪が濡れてるわ。乾かさなきゃ」
 「……婚約を解消する?」
 「どうしたの。らしくないことおっしゃって。かわいらしい」
 くしゃりとティラナが笑う。冷たい色の瞳に薄い膜が張り微笑みばかりを映す少年の顔がぴくと小刻みに動いた。
 しなやかな動きで首筋にキスをし歯を立てる。鈍い痛みにうめき声を漏らすと、完全にガウンを取り払おうとする手を振り払おうと攻防しているうちに手首を掴みシーツの上に押さえつけられる。
 「――ん、……まって、殿下……お、お待ちなさい……なにをしようとしているか……」
 「わかっているよ。あなたをこれから抱く」
 「……シュナイゼル、あと二ヶ月の辛抱です。それまで待てないの?」
 「今じゃないといけない。……そうだ、いいことを思いついたよ、ティラナ。やっぱりこうしたほうがいい」
 「え?」
 「あなたが身籠ってしまえば、もうこれっきりにできるよ」
 これっきりというのは、彼の身売りの話のことだ。
 「……それは……私がだいぶ叱られることになるわね?」
 「そうだね。年下に手を出したと思われるのはティラナだ。だけど……そうなったらもう結婚式を挙げるだけだ。ブリタニアからあなたの国にいける」
 ――言わんとすることはわかっている。私の風聞が悪くなるだけで。……仮に生まれたとして子供が大きくなった時にどう説明したらよいのだろう。十五歳の少年に手を付けた十九歳はセーフだろうか。
 考え込んでいるうちにシュナイゼルは舌を首筋に這わせる。
 「まだ答えてないでしょう!」
 「無言の肯定では?」
 「違います! あのねえ……私は……」
 言いかけて止める。
 ――ああ、でもこの子は……はじめてを選べただろうか。……自分の意思でそうなったわけではない。
 また考え込んでいるうちに、シュナイゼルは開いた下の肌に吸い付いた。
 「ひっ! ちょ、ちょ、ちょ……待った! シュナイゼル! 待ちなさい!」
 「うるさいなぁ。……しようよ。痛くしないよう十分心得ているから」
 「あ……あう……」
 怯んだティラナの頬に赤みがさした。シュナイゼルからそんな言葉を聞くとは思わず変な声が出た。
 それだけ多くの人を相手し、経験を積まされてきたのかと思うとまた胸が痛んだ。
 「せめて……準備をさせて」
 「準備を? もう全部済んでるんじゃないのかい」
 寝るだけだっただろう、と彼の瞳は言っている。
 「いいから!」
 小手先の女心だ。
 まさかこんな日が突然来るとは思わないではないか。シュナイゼルは全身どこもかしこも綺麗で結構だが、ティラナは最低限人に映るところさえ綺麗にしていれば大丈夫だろうと考える効率主義者で美容にこだわりのある年頃の女の中ではズボラな自覚があった。
 浴室に駆け込んだティラナはまずシャワーを浴びた。汗を彼に舐めさせるなどあってはならないことだ。次に髪を洗った。頭皮の臭いを嗅がせるわけにはいかなかった。次に体毛を剃った。剃っている最中にかえって本番前にすることではないのではと気づき、中途半端にするかどうかで頭を抱えた。
 「ど、どっちみち……突っ込めばすぐよね……?」
 シュナイゼルが満足すればこの夜は終わるのだから――という身も蓋もない結論に到達する。
 愛を交わすなどというけれど、所詮やることは一緒だ。ようは身籠ればいい……。
 そう考えて、ティラナは今一度自分が流れに身を任せてとんでもないことを行おうとしていることに立ち返った。
 「はっ! なにいってるの。相手は未成年。いやいや……許されるわけないじゃない! 同じ穴の狢になってたまるもんですか! やっぱりだめよ……」
 頭を抱えたまま叫んだ。ついついシュナイゼルの魔性ともいうべき力に流されるところだった。ティラナが冷静さを取り戻したのを察知したのか浴室と部屋を仕切る扉の前に彼が近づく足音がした。 
 「まだかな。ティラナ」
 「考え直して、シュナイゼル。あと二ヶ月よ!」
 「二ヶ月の間に、どれだけの人に奉仕をするか知りたいかい?」
 「ぐぬ……卑怯よ!」
 「そう思うなら早くしよう。最短十日から二週間だよ」
 「ぐぬぬ……お父様やお母様になんてご説明するの。遊んでたら出来ちゃいましたじゃ済まないのよ!? アーデリントお義母さまにだって私が叱られるんですからね!」
 ――ああ……あの冷たく恐ろしい癖に遠回しな愛情表現を欠かさない人。シュナイゼルに美貌を譲った人。
 彼女に叱責されると、その顔に似たシュナイゼルに叱られるような気持ちになってしまう。
 ――あの人には床に平伏し謝り倒すしか……。
 「喜ぶんじゃないかな……どのみち世継ぎは必要だろう? ティラナにはきょうだいがひとりもいないし……もうそんな話はたくさんだろうけど。早ければ早いほどいいよ。たくさん作ろう。宮廷規則だってティラナの方に問題はないのだから。……母上には私が伝えておくよ」
 「公務≠ノ応じない方法はないの?!」
 「私の国がどんなところかわかっているね?」
 ――くっ。ああ言えばこう言う!
 「今じゃないのよ!」
 「きみは本当に理屈屋だね」
 「物事には順序があるの!」 
 「二ヶ月は誤差だよ」
 「その言葉そのままそっくりお返しするわ」 
 「ティラナ。私のことが嫌いなんだね」
 「それはちがう」
 「どんな目に遭ってもかまわない?」
 「そうじゃないけど」
 ――問題を解決するために抱える問題が大きすぎると思うの。
 ティラナは今夜だけシュナイゼルの要望に応えて、密かに回避する方法を探った。公務≠フ問題処理は後日手を回すとして。回避する方法には十分心得があったが、健康体であることで日常的に薬を服用しないティラナには都合が悪かった。次に数時間以内であれば確実に避妊を可能とする排卵を抑制するホルモン制御剤がある。
 「……制御薬……いや、でも明日の公務のあとそんな暇……朝いちに……最寄りの薬局……」
 しかし、侍女になんて説明すればいいのか。それこそ一巻の終わりだ。手を出しましたと公言しているのと同じではないか。
 ――いっそ恥のかき捨てで乗り切るか……? いや……顔が割れすぎている!
 洗面所の中でぐるぐると歩き回る。長い時間をかけているのだからシュナイゼルも諦めればいいのに、その様子はなく、扉の前の気配はずっとそこにある。こういう時、王族に生まれたことを煩わしく思う。すべての人に影響を与えてしまうゆえに何事にも細心の注意をはらい気を配っているのに、失敗が歴史家の解釈ひとつで捏ねくり回される。人生全体が娯楽やポルノとして消費されるのだから。だから、どこにでもいる女の子のように流れに身を任せて好きよ∞愛しているよ≠言うだけで一晩を甘く過ごすことはできない。常に頭の片隅に同居するすべての人≠ノ監視されている。
 一度の結びつきで数十パーセントの確率を軽んじることも許されない。
 ――だからこそ、その責務を果たすから国一番の享楽者でいられる。
 「……あのー……もしもよ? 出来ちゃったらどうする……?」
 「結婚発表をしよう」
 少年の声はクリアだった。その頃には彼は十六歳を迎えているから来年の一月以降の話だ。
 シュナイゼルとて、否、彼こそ考えなしでいるはずがない。
 「いつ報告するの? 公表は? 式の準備なんて、一般市民じゃないから簡単な話ではないのよ? その前にお腹が目立ってきたら大変じゃない」
 ロイヤルウェディングの準備には最低半年。カストラリアは国王の嫡子はティラナのみ。一世一代の結婚式は規模が大きくなるだろう。世界規模だ。相手がブリタニアの第二皇子だからだ。より盛大なものになるだろう。中立国に世界中の王侯貴族達が、日常の対立という垣根を超えて参列する政治的にも裏交渉が行なわれる場という意味でも重要な式になる。
 「うん。だから結婚式の発表を先にして式の前に出産すればいいんだよ」
 「……順番があるって話よ。どっちにしろ間に合わないわ。……先に子供が出来て恥ずかしい思いをするのよ? 歴史に残っちゃうの! フライングベイビー! ってね」
 「違うよ。ティラナ。愛し合っている王女と皇子≠セよ」
 「大衆紙はそうかもしれないけど、国際メディアや保守派がそれを許すとでも――――ぬわっ!? いつの間に解錠したのよ!」
 シュナイゼルの声はさらにクリアに、まるで同じ部屋の中にいるような声がする――と思った時、彼は扉を開けて境目を越えていた。ティラナは後退り、ベッドのある方まで一直線に走った。
 「……ひぃぃ〜! 襲われるぅ!」
 「はは。間違いないね」
 ――ああ。ここに大きな木があれば上まで登り詰めて逃げられるのに。
 置き時計の時刻は深夜二時に差し掛かろうとしている。この時間帯に彼の方の随行人へ連絡するのも、隣室に助けを求めるのも、この格好で一度外に出るわけにもいかず、それがわかっているのかシュナイゼルはにこやかでいる。
 ――策士め!
 一歩進めば一歩下がる。行き止まりの壁の柔らかな素材が背中に触れた。
 「ほんとうに嫌?」
 「もう寝なくっちゃいけないの!」
 「眠ってしまってもいいよ」
 「寝ながらするってことでしょう!?」
 大きく息を吸い込んだ。
 「……すべて、上手くいく?」
 「上手くいくとも。私は完璧にこなしてみせるよ」
 「自信がないわ」
 「おや。あなたらしくない。なんでも手に入れられるひとが全て手に入れてしまわなければ」
 「そんなに傲慢にみられているの?」
 心外な言葉だった。恵まれていることを自覚し自省も怠らないように気をつけているのに。拗ねかけるティラナにシュナイゼルは迫り、ついに腕の中へ閉じ込めた。
 そして彼女の頬に顔を寄せて囁く。
 「プロポーズだよ。私を手に入れてごらん」
 甘美な響きだろう。理性がまだ葛藤し戦っていた。素直に頷けるほど愚かでありたくなかった。
 しかし拒むことで彼を傷つけたいわけでもなかった。解決方法はどの辞典にも最新の研究結果でも論文にさえも載っていない難問。逡巡の長い時間の内に彼が見限ってくれたらいいのにとさえ。
 「すぐに終わるでしょう? 入れて出すだけなんだし」
 「あなたは先ず閨房術を学んだほうがいい」
 「……そっ、そのうちするつもりだったの! 今は毎日忙しいし……んっ! ……ちょっ、やっ……シュナ……シュナイゼル……!」
 シュナイゼルは簡単にティラナの唇を奪った。体を撫であげ、バスローブの袷に手をかけた。やはり六年前とは違い力で敵うことは出来なくなっていた。ティラナの体を壁に押し付けながら最初に抗えなくしたように脚の間を陣取りわざと腰を下腹部に擦り付けた。下着越しとはいえ感触が生々しく、ぶるりと背筋を震え体の芯に熱が炙りつけられるようだった。
 「――ぁ、や……まって……あっ……香油ぬるの忘れた……! まって……」
 「もう待てないよ」
 シュナイゼルは笑いながら、また何度も性的な挑発を繰り返した。
 理性の城はとっくに崩壊寸前。熱い湯が砂を溶かし、そのどろどろとした濁流に呑み込まれていくようだ。
 「あっ……!」
 乳房を堪能し肌の上を滑る。熱は波のように限りなく広がりをみせる。
 抵抗虚しく、いつの間にか下着を取り去り準備していたように、我慢ならないと女の中に押し入った。
 「シュナイゼル――!」
 叫んだ。腹の下に収まった熱はそれまであった焦燥感に冷水をふっかけた。チェックメイトだ。
 なにか罵りたかったのに、ひとつも浮かばず、彼の呼吸に持っていかれる。
 小さな悲しみと痛み。幼い恋の別れが去来。瘡蓋をつくるまで苦痛を愛する時間と蜂蜜が恋しい。
 「苦しい?」
 「くるしい」
 「ごめんね」
 こつんと額が合わさり、鼻先同士が触れ合いキスをする。金色の睫毛の奥、愛する宝石が切なげに潤む。
 少年の味わった苦痛。無意識の投影。ほろ苦い痺れ。庇護愛の浸出液が充溢する。
 震える手で白い顎先を下から撫で、白い瞼が下がる。はじめてティラナから唇を重ね合わせ、その金糸の房の隙間から甘く薔薇の芳香が鼻腔に侵入した。 
 「……髪、触っていい?」
 「いいよ」
 「……ふわふわで柔らかい」
 波打つ金髪はほそく柔らかくいい匂いがした。
 思えば彼に触れたことはあるはずなのに、頭を撫でたりしたことはなかった。
 必要以上に触れていいと考えたことがそもそもなかった。喩えるならば普段は大切に仕舞っておかなければならない王冠のようなもの。
 ――それはトロフィーだわ。
 ティラナは自分自身がそう思っていたことにちくりと胸が痛んだ。――しかし、シュナイゼルとはそうして大切にされるべき人である。
 汚すだなんて難しいことだ。
 ――完全無欠な芸術作品に手を加えたいと思うだろうか?
 触れたいのを我慢しているのではなく、指一本でも触れれば価値が下がってしまうとしたら、触れることはやはり躊躇われるはずだ。そもそもシュナイゼルに対して、きょうまで性的なことをしたいという欲求が皆無だった。研究ばかりにかまけて性的なことに疎いとか、シュナイゼルを相手した人々に劣っているだとかそんな話ではなく。
 「また難しいことを考えているね」
 「ねえシュナイゼル。……女の子ともしたの?」
 「今する話ではないよ」
 「プラチナブロンドヘアに碧い瞳のきれいな人?」
 くくっと喉を鳴らしてシュナイゼルは「よくわかったね」と言った。当ててしまった。ティラナは希少性の高い色彩を挙げただけだが、そのようなアソビに呼ばれる女は貴族出身と相場が決まっている。想像してみるとたしかに美しい光景かもしれない。
 「きみがちっとも気持ちよくならないじゃないか」とシュナイゼルは悪態をついた。
 「だって、……こういうことをしたいと思ったことがないんだもの」
 シュナイゼルは目を丸めて不思議そうな顔をしたかと思うと「一度も?」と訊き返した。
 「子供だから?」
 「……子供でしょ」
 「身長が一八七センチもある男が子供に見えるかい?」
 「大きすぎるわよね。……きっと、小さな頃から知っているから……そう思えないだけなのかも」
 たとえば突然今の状態のシュナイゼルと初対面だったら、彼の望むような感情を最初から持っていたのかもしれない。
 きゃらきゃらと笑おうとしたが異物感を思い出して上手くできなかった。
 
 「おしゃべりの時間はおしまいだよ」
 立てた人差し指で唇をトンと弾いて、呆れ果てたシュナイゼルは唇をティラナの口元に近づけた。咄嗟に目を瞑る彼女に最後の返しとして鼻先を一瞬啄むと「もう!」と声があがった。そういう悪戯をしてみたかった。それと同じくらい、ずっとこの女性を抱いてみたかった。男として見ていなかったのは姉弟のように忌憚なく軽妙なやり取りをしてきたからに他ならない。シュナイゼルにも腹違いの姉は一人いるが、くだけたものではなく礼節と品性を重んじる堅苦しさが付き纏うものでティラナとのやり取りとは丸っきり異なった。
 次こそ本当に愛情の篝火に火を入れるように唇を重ね合わせる。酒の味がする。何度もその味を楽しんでいたが今日一番甘い味だった。
 ベッドの上でアルコールの微睡みに惚けるティラナを見た時、始まっていた危うい感覚が爆発した。自発的にそうしてみたいと思ったことへの驚きと――彼女で欲望を発散していた下劣な男の言葉が耳の奥で蘇り、その場ではやくシュナイゼルのものにしたかった。
 かような男でさえ気づくほど、本人の思うよりも健康的な女性の体をしていて、特に乗馬などを嗜むものだから内股は締まっているし見かけ以上に筋肉質だ。ティラナは自身に向けて無頓着なひとで、そのくせ人を魅了する。はじめて少年心に虜になったひとだった。そして、多くの人々を虜にするシュナイゼルの近くにいながらどこまでも理性的で賢く愚かだった。シュナイゼルは勝負に勝ったが負けていた。彼女はほんとうにシュナイゼルに向けて欲がなかった=B他の何物に対しても向けられる、挑戦、情熱と欲望が婚約者の少年に対してだけが。
 ――はやく、その情熱を感じたいのに。
 彼女の強い生命力。満ち満ちる感情と躍動。すべてを手に入れても満足しない人のパトス。
 良き香りを放つ前の芍薬のように、丸くたっぷりと詰まった蕾を解きほぐしてやらなければ。幾人もの関心と欲望を唆り培った美貌と性技をもって。
 「……ティラナ。すぐに好きになるとおもうよ?」
 なんのこと?――と熱に浮かされ始めた瞳がシュナイゼルを見つめ返す。擽りながら、時間をかけて馴染んだところを緩やかに甘く捏ねつけると、少しずつ少しずつ蜜が絡みだして、粘着質な水音が聴覚を刺激する。言葉の意味を理解したティラナの顔がぽっと赤く染まった。そういう賢いところをシュナイゼルは好んだ。羞恥と戸惑いからか細い声が名前を呼んだ。
 広げられた両腕の中に収まると、意図せず彼女の甘美なところに擦れたのか肩がびくびくと跳ねた。
 「あ……っ、あぁッ……へ、ン……っぁ……!」
 「ここがあたって気持ちいいんだよ、ほら」
 そういって器用に中を擦りあげていく。
 「……ぁ、やめ、あ……っ、シュ……シュナイゼル……やぁっ……! んぅ……んんっ……!」
 ティラナにはわけのわからない足のつかないふわふわとした感覚と、自分の体ではないような気がして今はこの大きな少年にしがみつくのが精一杯だった。不安を汲み取り、また舌が絡みつく。子供の遊戯のように仕掛けては仕返しをするキスだった。
 彼女の望むようにと子供の遊戯を続けた。果てしのない空と草花と土の上にいるかのように。月のほころびをもとめて大海原へ。侵入と探索、宝物を隠すそのひとにヒントを乞い若い燃料をたくさん積んだ船を推し進めていく。ティラナの正解はわかりやすく、答えがわかると水面が波打つように揺れ、凝り固まった氷山が碎けてそれをまろやかなものへ変えていく。
 無邪気な戯れに耽るふたりを包む風は温まり草原の匂いには汗の塩辛さと青々しさに混じって――花開いたばかりの女の香りがふわりと溶け込む。無垢と成熟のあわいに漂うその匂い。
 「……っ、みつけたよ、ティラナ」
 未開地への一番のり。宝物を調べ尽くさなければ。――褒めるように伸びる手とお姫さまの祝福のキスを受けて。
 「……シュナイゼル……っ、シュナイゼル……!」
 剥き出しの名前を呼ぶこのひとを掻き抱く。
 男の味をおぼえたばかりの彼女は花弁を揺らすように震え、甘い嬌声を漏らし、耽溺に酔いしれていく。
 「……あぁ……ん、……んんっ……!」
 呑み込まれていく。なにもかもを溶かし尽くす熱のなかで、得たことのない歓喜の兆しをみた。溶岩に溶けて長い年月をかけて冷え固まっていくみたいに。その場所の一部となっていくように。一つばかりではないそれらに望みを託し、あたらしい宝石に生まれ変わることを願い送り出す。
 「君だけに、あげるよ……」
 それは初めて知る熱であり、長い夢の果てに見つけた真実のようでもあった。



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午前四時の異邦人
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