娼年‐後日談‐






 a.t.b.二〇〇六 July


 夏の盛りを目の前に――植え込みの可憐なペチュニアが揺れる。
 シュナイゼルは夏季休暇前で騒々しい帝立コルチェスター学院の次年度のための準備に追われていた。
 神聖ブリタニア帝国の貴族階級以上と一部その他の優秀者のために開放された寄宿学校の中央寮・ノーサンブリエの監督生にして学院代表生徒を十五歳の年齢にして一任されている。
 ――殿下、申し訳ございません。スケジュールの変更が……――
 ――シュナイゼル殿下、午後からの次年度会計の会議にご出席賜りたく――
 ――……殿下、またマーシア寮でトラブルが……いえ、お手を煩わせるのも如何かと考えましたが、やはりお力添えを賜りたく……――
 朝からどこへ行っても仕事がかさ増しされていくシュナイゼルは四限の授業が終わった午後、代表室へ帰ってきて一つ息を吐いた。首元のリボンを緩め空調の冷気を首の中へと潜り込ませると不快な汗や籠もった熱気がいくらかマシになる。
 執務机の椅子に座り書類の山に手をつけ始めると電話が鳴った。
 「悪いね。ダローウィン。出てくれるかな」
 級長は文句もなく当たり前の仕事として受話器を取った。
 「はい。……はい、こちら帝立コルチェスター学院中央寮……、はぁ……はい、あの……どちらさまで……担当窓口までお繋ぎしましょうか? シュナイゼルを……あっいえ、失礼いたしました。殿下に御用でございますか……?」
 ダローウィンのやり取りに耳を傾けると相手はシュナイゼルご指名のようだ。この学期末の忙しい時期に誰だと難癖の一つでもつけたくなるのを心に押し留める。ダローウィンを一瞥し、机の表面をたんたんと指先で弾いて音を立てた。合図だった。
 「はい。殿下にお繋ぎいたします」
 手元の電話に引き継ぎ、シュナイゼルは書類を捌きながら受話器を耳に押し当てた。
 「代わりました。私になにか――」
 〈――シュナイゼル! 助けて!〉
 端正なアクセントを持つ軽やかな声が耳朶を打つ。三つ歳上のフィアンセからのSOSにシュナイゼルは微笑んだ。
 「……これはこれは……開口一番慌てん坊さんだね。お姫さま。どうしたんだい」 
 シュナイゼルの返答にダローウィンが目を見開き窺っていた。そのまま彼は仕事に戻るが、やはり気になるようで何度も視線を寄越した。
 電話の向こうは屋外にいるのか人の話し声や道の往来の騒々しさが漂う。
 なにをみて驚いたのか婚約者、ティラナ・ヴァル・カストリア王女はわけのわからないことを言ったあと状況の説明をはじめた。
 〈えーっと……非常口の数が二つ!? この時代に? ……あ、ごめんなさい……今ペンドラゴンの……なんだったっけ、ビジネス街にいるんだけどセントラル・ダーウィン・ストリートのね? すみません、こちらはなんのオフィスビル……? 失礼いたしました。ブルックス・ブラザーズ証券会社のビルにいるの〉
 ――つまり。
 「……迷子になったのかな?」
 〈そうなの! 迷子になっちゃって。……さっきまで別のところに視察に行ってたんだけど、お昼を食べたあとにうっかりお店に携帯を忘れてきちゃって……。そのあと、女官二人を連れて次の待ち合わせ場所に向かっていたら人混みに押し流されて……はぐれちゃったの。……それで……地下鉄に無賃乗車しちゃって……警察がきて……お金は持ってなくて困ってたらこちらの証券会社の方が代わりにキセル代をお出ししてくれて事なきを得たのだけれど〉
 「……目的地を忘れたんだね?」 
 核心を突く返答にティラナは声を詰まらせた。
 〈うぐっ……そ、そうなの……ニュース雑誌の撮影なの。ブリタニアン・タイム誌の撮影だけど……撮影場所のスタジオは本社ではなくて。専門の委託先で行っているみたいで……名刺は……私じゃなくて女官が管理しているから番号もわからな……すみません、ほんとうに。ご迷惑をおかけして……〉
 彼女の説明通り、ティラナは今トラブルの潮流に流されていった先でその証券会社の誰かの世話になっているということだ。何を望んでいるか、簡単なことだ。
 「ティラナ。車を寄越すよ。それでいいかな」
 それを聞いて安心したのか、ティラナの声は緊張の糸が切れたように柔らかくなった。
 〈ありがとう、シュナイゼル〉
 「しばらくそこでご厄介になって。それではね」
 通話を切りシュナイゼルは紙に書き留めていたメモをダローウィンの机に置いた。
 メモの内容を読んだダローウィンは眉をわかりやすく歪め困惑を隠さなかった。
 「殿下……しかし……!」
 「戻ったら議事録を読んでおくから。書紀にはよろしくと伝えておいて」
 緩めたばかりのリボンをまた結び直す。独立回線で繋いだ別の電話から新しい指示を飛ばした。

 帝都ペンドラゴンのビジネス街は帝国の規模を反映するかのように一角には収まらない広さを有する。
 携帯を忘れ、女官ともはぐれ、財布もなければ地下鉄に乗り込む労働者達の人だかりに流され、無賃乗車をした挙げ句警察の厄介になりかけたティラナを救ったのは通りかかったブルックス・ブラザーズ証券会社の本部長だった。彼はその駅近くの本社に採用面接の面接官としてやってきたが一人面接の時間になっても来ずもしかすると駅で迷子になっているかもしれない、とわざわざ探しにきた親切なひとだ。
 スーツスタイルのティラナが改札から出られず、警察官数名に取り囲まれている現場を目撃し、無賃乗車分とペナルティ分を支払ってくれた。そしてそのまま面接会場だという本社に連れてこられ、最終面接のCEOを相手にこの応接室のソファに座っている。
 話の途中でティラナは「おそらく本日来る面接者ではない」と教えると彼は朗らかに笑い、お茶を淹れてくれた。
 「はぁ……とんだ厄日ね……。……紅茶ありがとうございます」
 「うちの面接に来てくれたのかと思ったけど……無賃乗車とは驚いたね。はっはっは!」
 「一般常識に欠けていますわよね」
 ティラナの目の前のソファにどっかりと座ったマーダートンCEOは愉快げに笑う人だ。ティラナの顔をじっくりと観察したかとおもうと、彼はストレートに真実に触れようとした。
 「きみ、誰かに似ていると思ったけど、そうだ思い出した。第二皇子殿下のご婚約者だ!」
 ――ぎく。
 思わず顔を逸らす。一般臣民相手ならいくらでも誤魔化しのきく顔だが、証券会社の代表ともあれば国際情勢などは常識中の常識。報道に上りやすい顔に目敏く反応するのは普通のことだ。
 「は、はあ。よく言われます……」
 内政干渉にあたらぬようブリタニアを私的な活動で訪問する際、ティラナはなるべく一般人のふりをしている。この日のティラナの格好は上質な生地の仕立てであるもののビジネスフォーマル寄りのスーツ・パンツ姿だった。
 マーダートンはしばらく考えたあと提案を持ちかけた。
 「秘書はいかがかな?」
 「秘書でございますか? 携帯も忘れてキセルまでするひとを?」
 「はっはっは……! 私はこうみえて人を見る目はあるほうだと自負しているんだ。賢そうなお顔をされているし、数字には明るいのではないかね」
 人を見る目はたしかにあるだろう、とティラナは思った。
 「ええ。数字は扱いますが……やはり秘書であるなら先を見据えて立ち回る能力も大切でしょう」
 「ごもっともだ!」
 マーダートンが鷹揚に頷いた時、応接室の扉を素早く叩く音とともに彼の既にいる秘書が足早に入ってきて耳打ちした。相当焦っているのか囁きではなく普通のボリュームでその言葉を耳にする。
 「マーダートンCEO! 皇族専用リムジンが社の前に……」
 「なっなにィ……!? 今日の予定にはなかったはずだが……」
 皇族専用車。それだけでシュナイゼルの仕業――施しだとわかる。
 ――迎えの車ってもうちょっと普通のでしょ!
 内心突っ込みを入れ、自分の正体を明かしてしまうまえに早く証券会社から出たかった。
 マーダートンがソファから立ち上がると、いつまでもその場に残っているわけにはいかずティラナも立ち上がった。
 応接室から出るとビル内は吹き抜け構造の上階フロアから、一階の玄関付近に向けて社員達が顔を覗かせている。全体の視線の一直線上、車寄せのところに白の皇族専用車が寄せられ、ドアから見慣れた人影が向かってくるのが見えた。
 冷や汗だらだらだった。これからその車に乗りに行かなければならないのかと思うとティラナは足が竦んだ。
 「シュナイゼル殿下! ようこそ我が社へ……本日は何用でござい……」
 マーダートンが礼をとり身を屈めるので、その少し後ろに立つティラナはどうしようかと身じろいだ。シュナイゼルは静かにマーダートンの挨拶を受け、そのままティラナの前に立った。
 「お迎えに参りました。ティラナ王女殿下」
 小さく頭を下げ彼はティラナの手を取った。
 ――ああ、もう……。
 顔が火照るのがわかった。
 一般人に紛れているのに、明かされてしまってはその通りに振る舞うしかないではないか。
 「あ……ありがとうございます。シュナイゼル殿下。……その、迎えは大変嬉しいでのすが、てっきり、お車だけ回してくださるのかと思っておりましたわ」
 「電話口では切羽詰まっているご様子でしたから。私に迎えに来て欲しいのかと思ったのですよ」
 目を細め年相応の可愛げを演出するシュナイゼルの手を引いて、内緒話をするようにひそひそと囁きかけた。
 「……こっちではあんまり目立たないようにしているの、知ってるでしょ……!」
 「うん? あなたはいつも目立っているように思うけれど、思い違いだったかな」
 「今目立ってるのはあなたが来たからよ」
 シュナイゼルは顎を玄関の方へと向けて言った。
 「行こう。パパラッチが見張ってる」
 「……パパラッチに場所を聞けば案内してくれたかしら」
 そういうところだよ、という言葉を飲み込んだシュナイゼルはティラナの手を握ったまま玄関へ向かう。
 「あっ……そうだ、携帯に番号入ってる?」
 「連絡はついているよ」
 「こちらの会社にお詫びとキセル代の立替とお茶代を」
 「あとでするよ。ティラナ。車にのって」
 ティラナはシュナイゼルの催促を背中にマーダートンの前に進み出る。
 「申し訳ございません、マーダートンCEO。お騒がせしてしまいました。後日かならず御礼をいたしますのでお待ちください」
 「あっ……い、いえ、とんでもない……! 本当に王女殿下でいらしたなんて思わず……失礼いたしました」
 「お紅茶美味しかったですよ。ごちそうさまでした」
 深々と礼をとるマーダートンが早くその姿勢から解放されるように、ティラナはエスコートを受けながら玄関を出た。
 ちょうど一歩進んだところで待ち構えていたパパラッチ群団がシャッターを切りはじめる。リムジンに乗り込み、その扉がバタンと音をたてて閉められるとあっという間に切り離され別世界の景色へと一変する。
 広々としたベージュのシートに身を預け、窓越しに手を軽く振ってみる。 
 「撮られちゃった。……お忍び!インサイダー取引疑惑!≠ニか載っちゃうのかしら」
 冗句を言うと隣のシートに座るシュナイゼルが口端を持ちあげて言う。
 「株はいくつ持ってるんだい」
 「ブリタニアのものだと製薬・バイオテックと学術系企業を少々。中立国としての体裁は守っていますよ」
 シュナイゼルは制服の皺を気にかけながら「ふうん」と頷いた。
 製薬系は配当利回りが安定している。それらに加えカストラリアで保有する株の年間配当で研究所の予算をティラナだけで賄っており、ほぼ自力で研究を永久機関のように回している。シュナイゼルからみて、彼女は投資家であり研究者であり経営者でもあり、また慈善家だった。
 スタジオまでは三〇分ほどの移動時間を要する。やっと落ち着けるようになって安心したのかティラナは腹を軽く擦った。
 「お菓子はある?」
 「スタジオに用意していただいているみたいだよ」
 「やった! ……ねえ、シュナイゼルは忙しいのに学校抜けてきて大丈夫……? 学期末でしょう」
 眉を上げ今更ながら心配が追いついてきたのか申し訳無さそうに声を沈める。
 「手は打ってあるよ」
 「さすがね」
 それを聞いてまた軽やかに感情が上向き、それが気流次第で美しい流麗な線を描く。彼女は学期末から続いて夏季休暇の話をしだした。
 「夏季休暇はこちらでお過ごしになるのでしょう?」
 「迷っているよ。暑くてね。休暇中はそちらに滞在しようかな」
 「マリュン島宮殿なら空いているわ。小島で、余計なスクープは撮られないし、ゆっくり過ごせるはずよ」
 「ティラナは?」
 問い返されてティラナは意外そうな顔で首を傾げた。
 「私?」
 「バカンスだよ。研究所の者達には取らせるだろう?」
 ティラナが所長を務める王立生命科学研究所も働き詰めの一年のうちもっとも閑散とする時期だ。年間の有給休暇も充てて数ヶ月の長期休暇を取得する者もいる。研究所は創設されてまだ数年ではあるものの、彼女の資金的余剰が数十人ほどの少数精鋭達の福利厚生を保証している。いかに彼女とコネをつくり、どうにか就職に至れないかとポストを希求する研究者も少なくない。シュナイゼルの方にもそうした相談が舞い込むことがある。だが、彼女は主にカストラリアの国籍保持者に限って採用を決める。国粋主義だと批判の声もあるが、共同研究ではなくティラナの個人資産で賄われるのだから彼女の理屈のほうが優先される。
 ティラナは頭の中にあるスケジュールを眺めて暫く唸った。
 「まあ。そうね? でも論文の執筆や査読があって……公務もちょこちょこ入れているし、今とあまり変わらないわ」
 「ではアウレリア高原離宮でどうかな。アクセスがいい」
 マリュン島にある宮殿は南部の海側にある小島群の中のひとつで温暖湿潤の環境だが邪魔がほとんど入らない。対してアウレリア高原にある離宮では中部にある各都市を結ぶ交通の中央交差点で首都との往来や空港へのアクセスもいい。
 なにより高い山の隙間から冷涼な風が吹いてきて過ごしやすい。
 「……お一人でいらっしゃるの? ご兄妹もいらっしゃる?」
 「何名か……顔は浮かぶけれど、うるさくしてお邪魔になったらいけないね」
 「賑やかな方が楽しいわよ。それに国の外に出る経験も糧になるのではない?」
 ティラナの提案は一理ある。シャルル帝のブリタニアは他国へのその強硬姿勢もあり、ある意味で過去最も反発を受けている。軍事国家の興隆を目の前に彼の幼い子供達が安全に暮らせる場所は帝国内に限られている。しかし――その中で安全地帯となるのは中立国であり、E.U.圏に取り囲まれる国や極東に行くよりも、自然の要塞に守られた首都。帝国第二皇子と関係の深いカストラリアで過ごすほうが理に適っている。
 シュナイゼルは小さく頷き賛意をしめした。
 「伝えてみるよ。日程はあなたの都合に合わせるから」
 「なにかレクリエーションを考えるわ」
 ティラナは気持ちよく笑った。
 車内の仕切りの向こうで従者がふたりに声をかけた。目的地の撮影スタジオの入るビル前に到着していた。証券会社の時のように僅かな路上スペースのところですでに人々の混乱と好奇心、野次馬に溢れていた。
 「……やだー待ち構えてるじゃない」とティラナはパパラッチの存在に気付いた。
 従者はシュナイゼルに尋ねた。
 「殿下。いかがなさいますか」
 「うん、私もでるよ」
 それを聞いて、従者は前方の扉から先に出てふたりの座る後部座席の扉を開ける位置に立った。
 「シュナイゼルまで出たら大パニックよ」
 「ひとりのほうが危ないよ」
 「大衆雑誌に密会!皇族専用車でご到着!≠セわ! キセル乗車の挙げ句迷子の話まで出回ったら、恥、恥よ! 末代までの恥!」
 「王室ジャーナリストの暴露本にするといいよ。後になれば笑い話になる。……さあ、準備はいいかい」
 「よし……!」
 ティラナは覚悟を決めシートから腰を浮かせた。従者の手により扉が開けられ、先にシュナイゼルが降りる。彼の差し出される手を握り、ようやく撮影スタジオ入りを果たした。
 
 はぐれた女官たちは王女に向かって涙ながら平謝りした。ティラナはあっけらかんと「シュナイゼルのおかげでなんとかなった〜」と場を和ませ、ブリタニアン・タイム誌の用意したインタビュアーとの対談に移っていった。
 その様子を大勢のスタッフの脇で用意された紅茶を味わっていると、皇帝シャルルの勅使経由で連絡を受けた侍従がシュナイゼルに耳打ちした。
 「殿下、皇帝陛下からの勅命が……公務≠ノ励まれよと」
 「ああ。そう。――わかったよ」  
 せっかくの夏季休暇前に人をげんなりさせる方だと父親の顔を浮かべて息を吐いた。

 
 a.t.b.二〇〇六 November

 朝日が厚いレースカーテンの隙間を通りぬけて淡い模様をつくりだしている。
 それが彼と彼女のよく混ざりあった金色と暗いブラウンの髪や白い肌の上をさらりと撫でている。
 眠りに落ちては、微睡みのさなかに蘇り、いつまでも長く長くたなびく熱を引かせないように続く戯れは未だ途切れる様子はない。
 上質な装本革張りの厚いマットレスのベッドの上。枕を抱えうつ伏せになったティラナの身のうえに無駄のないしなやかな若木のように瑞々しい裸体を重ねスプリングを軋ませる大きな少年シュナイゼルは尽きぬ欲望を吐き出した。
 「は……ぁあ、……はぁ……、あ……もー……だめよ……お陽さまが昇っちゃって、るじゃない……」
 ヘッドボードの向こうから射す光が気を抜くと落ちていく瞼の隙間に鋭く刺さる。快楽の余韻を引き摺り楽な仰向けに姿勢を変えようと身を捩ると、くるりと一気に反転し、今しがた精尽きたはずのものを片手で揉みほぐし勢いを取り戻したものを再び押し入れられティラナは驚きと圧迫感に喘いだ。
 「ねえ、シュナイゼルってば……ん、もう……、あぁっ……あっ、あ……!」
 十五歳の少年の性欲がいかほどの強さを持つのかティラナは実のところよくわかっていなかったが、婚約者の少年はもしかするととんでもなく回復の早い性豪の類ではないかと思った。
 息を整える間さえ僅かで、ずっと険しい山道を走っているような激しさからくたくたに疲れている。何度か夢を見始める頃合いで快楽がやってきては覚醒を繰り返す一方で、シュナイゼルは余裕綽々といった態度で、ティラナの体のあちこちを弄っては反応のよいところを確かめていた。その過程が優秀といわれる彼の知性を感じさせる見事なもので、そうして手中に堕ちていった人々の幻影が時折過ったのだった。
 一方シュナイゼルにしても、最初の頃よりもなめらかに物覚えのいい#゙女の中に味を占めていた。はじめてしてはハードな内容だが丈夫な肉体か基礎体力か気を遣ることなく朝を迎え、欲の引き際さえも掴めないまま熱中していた。その経験は今まで味わったどんな夜の蜜より甘美で朦朧とする毒をともに食らったような病みつき加減で、シュナイゼルにとってはじめての感覚だった。
 「気持ちいいよ――ティラナ」
 低く落ち着いた声がわずかに上擦った。
 ティラナは知らない。こうして快感の言葉を正直に明かすことを。一度口にしてしまえば相手がつけあがり、彼を求めて狂っていく人々が血の海をつくる――そうした退廃的な世界について彼女は一生知ることはない。
 数えられないほどの昂りがふたりを飲み込もうとしたとき、ふいにその部屋の扉が朝の時間を連れてやってきた。
 「ティラナ様。ティラナ様。ご起床の時間でございますよ」
 侍女長の凛とした声音がティラナを現実にひきずり出す。
 「……っあ、やっ……ば……! いっ、いまなんじ!?」
 ちらっとシュナイゼルは横目でクリスタルの置き時計を見た。ティラナにとってはタイムオーバーだった。
 「七時半」
 「し、しちじ!? あん、ちょっと抜いてよ……もう……いっぱいしたでしょ! この格好見られたら終わりよ!」
 シュナイゼルの下でティラナは喚いた。それを黙らせるようにティラナの首や肩、胸に強く吸い付き彼がされてきたような印をつけた。そして腰を引くどころか奥に押し込め細かく揺さぶり、嬌声を塞ぐように唇を食べた。
 「シュナイゼル! ……あっ……だっめ、だって……! 痕つけないで……、ん、ぁ、……やっ……んん――!」
 客室の扉がまた鳴った。
 焦りと快楽に混ぜ込まれティラナは翻弄された。最後に手早く腰を振り、彼が短く息を詰め射精をした。一晩中よく使い込まれたそれが身体の中から姿を現したのをみてやっと眠れる≠ニティラナは意識を手放しかけた。
 扉を叩く音が響いた。
 目元を擦り、どうにか起き上がると顔を顰めた。
 ぐちゃぐちゃに乱れたシーツとデュベ、脱ぎ散らかしたドレスや彼の衣装。もう片方の未使用の綺麗なベッド。なにをしていたのか一目瞭然だ。あまりに返事がないからスペアキーを使われでもしたらと大変だとティラナは四度目のノックに返事をした。
 声はかなしいくらい枯れていて、恥ずかしかった。
 「ティラナ、シャワーを浴びてくるよ」
 「……うん……」
 シュナイゼルはティラナの頬にキスをしガウンを腕に抱えると浴室の方に消えた。
 すぐに項垂れた。
 ――どうしよう。……やってしまった……。眠いし。お腹はだるいし。お腹はすいているし。
 考えなければいけないことが山ほど頭の中を満たしたが、睡眠不足と疲労感と空腹感が思考のスピンを止めた。
 侍女長がキーを解除し、数人の侍女達を引き連れて入ってきてしまった。
 もうどうにでもなれ、と開き直りと諦めの境地に達したティラナは、侍女長が部屋の有り様を見て何度か目を瞬かせる様子を眺め「やっちゃった……」と状況を認めた。
 侍女長は室内を見渡し相手を探した。
 「シュナイゼル様は」
 「シャワーを浴びています。……あー! いやあの……まず、私がお酒を飲んじゃって……絡み酒をしちゃって……その……なに、未成年に手を……出しちゃって……反省しています」
 テーブルにはクープグラスとスパークリングワインのボトルが載っている。「ふむ。そのようですね」と侍女長は納得したようだった。次の追及にティラナは思わず面食らった。
 「合意の元で?」
 「へっ……まあ……合意は……」
 本当はシュナイゼルから迫ってきたが、彼を悪人にすると責任の所在が曖昧になると思い庇ったため合意の話は意識から抜け落ちていた。
 ――……どれが合意だ? 
 戸惑っていると浴室からガウンを着たシュナイゼルがひょいと顔を出した。
 「合意しましたよ」
 「シュナイゼル! シャワーを浴びていなさい」
 「合意形成が取れているならば不問でございますが……」
 侍女長を含めて全員の視線がティラナに絡みつく。
 「えっ? 本当に? 大丈夫? ……えっ? もしかして私だけ……思い詰めてたのって……なに、聞いてませんけど……婚前交渉ってだめでしょう? 皆さん教会で説教を受けますよね?」
 法律の話ではなく宗教的価値観と王家の風聞にかかわる重要な話のはずだが、さして重要ではないといった気配にティラナは葛藤に費やした時間を思い出して歯ぎしりしたくなった。
 「両者が合意形成の取れる年齢が宮廷規則の原則ではありますが……殿下は非常に聡明であらせられますゆえ……効力は十分機能するものでございますよ」
 「年齢に達していれば合意とみなされますか?」
 「概ねは」
 ――なにそれ……。なにそれ……。悩んだのがばかみたいじゃない。
 侍女達は笑いを堪えているのか唇をきゅっと巻き込んで小刻みに震えている。ティラナはそれで全てを察した。
 同時に、その情報を知っていながら何も言わないでいたシュナイゼルをきっと睨み、ベッドから飛び降りた。
 「シュナイゼル〜!」
 「……ふふ。本当に知らなかったんだね」
 浴室に押し込むと悪戯が成功した子供のようににやっと彼は笑う。
 年齢についての話はそれで仕舞いだが、ティラナのもっとも問題としている事の解決にはなっていなかった。
 「知ってたなら教えてよ! いや、そうじゃなくって……、いや……緊急避妊剤は飲むの? 二ヶ月の間大丈夫なの?」
 「くく……。好きにするといいよ」
 シュナイゼルは壁に手をついて笑いっぱなしだった。
 なんだかんだとしなければいけない°気に流されてしまったが彼の狙いはなんだったのか。
 「……もしかして、……私とする口実だった?」
 「ははは。バレてしまってはしょうがないね」
 「も〜! なんて子! ほんとに……誕生日がきたらできたことでしょ……」
 あの父親にこの子ありだ。やり方が狡猾だ。
 不貞腐れるティラナの耳元でシュナイゼルは囁いた。
 「だけど……ティラナ以外とはもうしたくないな」
 はっとして見上げると、綺麗な顔がそこにある。悪びれる様子もなく、さもありなんといった表情をして。
 「……あ、あのねえ……」
 「気持ちよかっただろう?」
 ちょんと鼻先を人差し指で擽ると、赤い顔で「からかわないの!」と小さく吠えた。

 ――打てば響くとはまさに彼女のことだ。
 シュナイゼルはティラナがサロン≠フ対象≠ノされていた事を口にすることはなかった。
 昨晩部屋に一人きりにしていれば危なかったのはシュナイゼルではなくティラナの方なのだから。迎賓館のマスターキーを手に入れ寝込みを襲うことなど彼らにしてみれば造作もないことで、晩餐会のシェリー酒とて中に媚薬が仕込まれていたはずだ。――あのランドンが部屋に送り届ける格好で手に入れるはずだったのをシュナイゼルは秘密を明け渡すことと引き換えに彼女を守りきった。
 ――まあ、悪くはないか。味見もできたことだし。
 サロンはじき壊滅するだろう。打つべき手はすべて打ったあとだった。社交界に醜聞を流すのはサロンの参加者達であり身を滅ぼすのはシュナイゼルではない。たとえ――スキャンダルが出たとしても、揺するネタは大量にある。そして、彼女次第ではあるが結婚式は早いだろう。あと何度か夜を共にすれば否が応でも結果は出る。

 結果の発現は思いの外、むしろ幸運に恵まれていた。


 a.t.b.二〇〇七 March


 ティラナはほぼ私費で賄っている王立生命科学研究所の女子レストルームの個室で、かれこれ小一時間唸っていた。
 そこに安全性を考慮しヒールではなくサンダルを履いた事務職とマネージャーを兼ねる女性職員が入ってきて、五つあるうち一つだけ閉まった扉を叩いた。
 「所長、申し訳ございません。アポ無しでお客様がお見えに……所長?」
 「うーん……ごめんなさい。代理で対応できる人にお願いしてもらっていい? 今ちょっとスケジュールが……」
 「は、はあ。承知しました……、スケジュール……?」
 女性職員が首を捻り呟きながらレストルームを去っていく。
 広々とした個室の中でティラナは閉じた蓋の上に座り、膝に手帳を押し開き数年分のスケジュールを綿密に組み直していた。人生設計などいくら組んでもどこかで変わってしまうなんて野暮な話はしない。ティラナにはとにかくこなすべき役割が通常の人間の三倍はあり、同じ体を持つ同じ存在がもう一人いても足りないほど忙しかった。
 そして、その役割が四倍に増えるかもしれない。検査薬でわかった人生の宣告に、取り乱すことなく次の一手を講じていく。スケジュールの見通しが立ったとき、クラッチバッグの中に入れていた携帯電話を取った。
 

 コルチェスター学院の代表室でダローウィンは一本の電話を取った。
 春季休暇前の事務処理は学年末に比べて軽微で残り半日あれば片付くものだったおかげもあり、ダローウィンの声はいつもよりも落ち着いていた。
 「はい、こちら帝立コルチェスター学院中央寮……、はい……はい……。殿下、ティラナ王女殿下からです」
 「繋いで」
 短い命令を受け、ダローウィンはシュナイゼルの回線に繋ぐ。共に学院の仕事をする機会の多いダローウィンは、もはやこの金髪の皇子がひとりの女性に対してのみ安息と感情の揺らぎをを表すのに驚かなくなっていた。
 「やあ、ティラナ。また休暇前に連絡を寄越して。今度はどうしたのかな……うん?」
 〈――準備はできてる? 王配殿下=r
 「……おやおや。――私の被る王冠の宝石が決まったんだね?」
 シュナイゼルは笑いだし、座っている椅子をくるりと回した。ダローウィンは瞠目し見過ごせず、注意深く彼を見守った。それからいくつかのアドバイスや卓上カレンダーを捲って日程の話をし通話を終える。笑みを一度消し、縦に長く学院の敷地を見渡せる窓の前に立ち、屋外を静かに眺めた。迫る黄昏が本物の金色を濃く染め上げていく。一枚の絵画のような佇まいだった。




72
午前四時の異邦人
top