――注意書き――
・連載中本編の時空より時系列が未来(結婚はしているのでおそらく王配√)
・ドラマCDにあるような謎日常回。時空が歪んでいる
・それにより様子のおかしいシュナイゼルが存在する(壺好きなのはR2スペシャルエディション特典カードより)
朝九時からの執務に精を出すティラナが廊下が騒がしいことに気付いたのは、集中力が切れ始めた十一時頃のことであった。
一向に途切れる様子もなく、行ったり来たりを繰り返す足音は不可解だ。もしかすると謁見予定にない誰かの迷いの足取りかと、彼女は万年筆を置き天上まで続く木製扉を引き開けた。
廊下には――一面を埋め尽くす、丸く女の体を思わせるような、優美な曲線の壺がズラリと並べられているではないか。
それを侍従や侍女らがいそいそと限りあるスペースの中に敷き詰めている。
既に黄金で出来たギャラリーは満杯状態だ。
「……? ……ねえ。うちは壺専門の美術館じゃないのだけど」
侍従の一人を手で呼び、ティラナはこれは一体何なのかと問いただす。
深い紫と金の刺繍の制服が馴染むまで時間を要するほど若い侍従は、額に一瞬汗を浮かべた。
「あ……ああ。陛下。失礼いたしました。殿下が王宮に運んでくれと手配をされまして……」
「ちょ……! ちょっと! まだあるの?!」
驚きのあまり声が裏返った。
ギャラリーの幅は広く、大人数がゆったりと並び歩いたところで狭く感じることはない。
シュナイゼルは壺用の部屋を持っているが、どれも選りすぐりの価値の高い一点ものを好むし、並んでいる品々の数は彼のコレクション数を優に超えている。ティラナは首を捻った。
「どれも同じような気がする。一点ものじゃなくて、これは……大量複製品じゃないの? あの人がこんなに買うわけないじゃない」
「しかし……リビングルームもダイニングルームもすでに満杯でございます、陛下」
「う、嘘おっしゃい……確かめてやるわ……、って、確かめようにもまともに歩けないじゃないの!」
そんな、私に言われましても≠ニ侍従はティラナを見つめ返した。
それはそうである。
ティラナは一度執務室に戻り、心を落ち着けるため山の景色でも眺めようと窓辺に寄った。
「ひいっ!?」
鋭い悲鳴をあげ、眼下の王宮前に並ぶ大型トラックの数に仰け反った。
「トラック何台分あるのよ!」
「……ええ、八台ほどでございます」
「八台!?」
ティラナは私用の携帯電話を引き出しから取り出して、すぐさまその元凶に問い質すことにした。
「早く出なさい、早く出なさい、早く出なさい……!」
数コールの末、携帯が繋がった。
[やあ。連絡が来るということは届いたんだね。しばらくギャラリーに……]
「シュナイゼル!」
[……怒鳴らないで。ティラナ。事情があるんだよ。……ああ、すぐに行くよ]
電話の向こうで誰かに呼ばれているようだ。シュナイゼルは朝一番から単独公務に出かけていた。
経済団体関連の除幕式の出席だった。午後一番にでも公共放送のニュースに上るだろう。
電話の傍ら、執務室にも壺がはみ出してくるのが視界に入った。
「足の踏み場もないの! オークションがしたいなら国際展示場でも貸し切って! どんどん運ばれてくる!」
こちらの窮状など何のその。涼しい声でシュナイゼルはティラナの予定を並べた。
[今日は午前からずっと執務だろう? 午餐会も謁見もない。外出予定もないし……]
「そういう問題じゃないのよ! トイレや食事に行くくらいはするわ、それが出来ないくらいなの! 問題よ」
[一時配達先に指定しただけだよ。夕方には別の場所に持っていかせるから]
「だいたい! なんなの、同じ複製品を大量に……なんで買ったの?!」
[買ったんじゃないよ。摘発品だよ]
耳を疑った。
「摘発品!? そういうのは警察の仕事……」
[帰ったら説明するよ。ではね]
プツンと、通話は切れた。
「切られた。……もーっ! どうするの!」
なおも運ばれ続ける壺は、執務机を中央に左右両側の壁際を埋めていく。
まだいくらかの種類をたくさん買ったなら我慢できる。同じ色の同じ形。目眩がしそうだ。
夕方頃、シュナイゼルは王宮に戻り、廊下の壮観な出来栄えを確認すると「ほう」と声を漏らした。
煉瓦が組み合わさるように隙間と隙間を埋める並べ方で歩行スペースを捻出しようと、一人黙々と陳列作業をするティラナに向けて優雅な声がかけられた。
「おや。さながら展覧会だね」
その場に立ち上がり長いワンピース裾を払い落とすと、ティラナは誇らしげに微笑んだ。
「ふふん。惚れ惚れする出来でしょう!」
「ははは。ボウリング大会でも始めるのかな。……それで、今日の分の執務は終わらせたかい? 見たところ山積みのままのようだ」
開けたままの扉の奥、執務室の机の上には書類がまだ残っているのを見咎めた。
「……見て見て! 模様が繋がるように並べたのよ」
「ティラナ」
わかっていながらスルーし、その日の執務返上で取り組んだ陳列作業の成果をなおも誇示しようとするティラナにシュナイゼルは眉を下げた。
「いけない子だね。溜め込むと辛いのは君だよ」
「ユニコーン」
口を尖らせ、子供のように身を左右に揺らす――大人に叱られた時にみせる癖は健在だった。
自然と生まれる上目遣いと愛称を繰り出し、お手伝いをおねだりする。
「そんな顔をしても私は手伝えないよ」
シュナイゼルは両頬にキスをし、その手には乗らないよと、黒革手袋に包まれた人差し指がティラナの鼻先をちょんと弾いた。
「……寝室の方まで壺があるのよ? こんなところで仕事が出来ると思っているの?」
「執務机のうえに置いていないなら出来るよ」
「だいたい――この壺はどうしたの」
「これかい?」
シュナイゼルの後から、廊下の狭いスペースを慎重に歩いてくるカノンが事態を察して一瞬目を逸らした。
これは何やらきな臭いぞと勘付いたティラナに、シュナイゼルはごく自然に腰に手を回した。
「……なあに? ニコニコしちゃって。ちゃんと納得の行く説明をして貰えるんでしょうね」
笑顔で誤魔化すところがあるのに気づいて、ティラナは怪訝な目で見返した。
カノンは眉を下げ、どうにも喋りたがらないシュナイゼルに代わって事の詳細を語り始めた。
「……先日、殿下が福祉施設の慰問にバザー会場をご視察された際……気に入られた壺を一点購入されたんです。その時、幻の壺の話をお聞きになり――」
福祉施設の慰問の公務は肝いり案件だった。
パブリックイメージの回復には少し時間がかかる。その日はあいにくとティラナの方は首相との謁見日であり、その後は叙勲の公務が入っていた。代理での児童福祉施設訪問では、運営のための寄付金を募る名目でバザーが開かれていた。
元修道院を改装した福祉施設の前には、近隣の住人、教会関係者、運営元となる貴族の親族――とそれぞれが持ち寄った品がクロスのかかった長テーブルに並べられている。壺を含めた花瓶などの蒐集を趣味とするシュナイゼルの興味を惹きつけたのは、雨上がりの空の青、白みがかった月光のような色と、オパールのような柔らかい輝きを持つ見事な均窯だった。
――『これは……北宋時代から元時代の均窯だね?』
――『なんですって!?』
――『博物館に寄贈したほうがいいだろう。バザーなどでお目にかかってよい代物ではないと思うが。どうしてここに?』
――『いやあ。私さっぱりなもんで……教主さまがお出ししてこいと……あっ……いえ』
シュナイゼルはそっと均窯の真贋を確かめた。当たり前であるが、当然偽物である。
――『他にも作品はあるのかい?』
――『えっええ……! うちにはそりゃたくさん! 幻の壺というのもあったかな……なんでも持ち主は幸運を授かれるのだとか』
――『幻の壺?』
――『ええ。フェンネルドートの山中にあります。殿下』
――『あんな山の中に……? それは興味深いね』
フェンネルドートは中部の緑豊かな東側の山の連なりにある。
――『よろしければ地図をお渡ししましょうか』
――『貰おうか。……幸運を授かれるのかどうか、気になるからね』
男は愛想笑いを引きつらせ、懐からすでに出来上がっている地図をシュナイゼルに手渡した。
「宗教勧誘じゃないッ!!」
事情説明から導き出される想像は、あっさりと誘導されるシュナイゼルの様子だった。
ティラナのひと睨みにカノンは慌てて弁解した。
「わ、私は止めました!」
「止まってないじゃなーい!」
「あはは」
さらに目を釣り上げてティラナはシュナイゼルに詰め寄った。
「笑い事じゃありません! うちは多神教じゃないんですからね! どうりで公務のない日にそそくさ出かけていくと思ったら……」
呆れたわ、とティラナが大きなため息を吐いた。
「わかっているよ。でもね、他にも寄贈するかどうか迷っている品があると聞いてだね……」
「勧誘用トークに乗せられてる!」
「言い切るのは早いよ。確かめてみなきゃわからないものだってあるさ」
そしてフェンネルドート山中の宗教施設を訪問したシュナイゼルは、山中の大きな木々に隠されているだけで、景観を無視した彩色の――金や朱、黒に翡翠と見事なまでに派手派手しい御殿が聳え立つのを見た。
高さはKMFを縦に積み上げて六機分はあるだろうか。
――『おやおや。これは……驚いたね。違法建築じゃないのかい?』
――『見るからにそうです。建築基準を……違反しています。この時点で摘発してもよろしいかと思いますが』
随伴するカノンに視線をやり、違法性の高い建築物をもう一度見上げる。デザインセンスは隣国の中華連邦方面のものだ。多角形の屋根、吊り灯籠、豪華絢爛な紋様からしてそうだ。シュナイゼルはふむ、と唸り顎の下を撫でた。
――『届け出はされているのかな。法務局の登記にはなんて?』
――『調べさせますわ。今、連絡を入れています。画像と共に』
――『待っていては時間の無駄だ。とりあえず、入ろう』
――『ほ、本気なんですの?! 殿下』
カノンは慌てて主君を引き止めた。おそらく無許可の新興宗教がいったいどんな事を地下で行っているか、情報が不足している。門前には運転手や他の従者もいるが、どうにかしようと思えばできる人数である。
シュナイゼルは身の危険の考慮を越えて、今そうするべき理由を唱えた。
――『うーん。政教分離原則が他国で採用されつつあるが、我が国は歴史上分離しやすい性質を回避するために国教を定めていて、国王もそれに従っているならば、伝統宗教以外の新興宗教の実態を把握しておくのも私の務めだとは思わないかい? それに向こうには、先日の件で私の顔も割れていることだろし……無体を働くことはないさ』
――『そ、それっぽいことをつらつらと! 否定しようがありませんわ!』
玉砂利を踏みしめる音が裏手から回り、上下鼠色の装飾の少ない修行服を着た男がふたりの前に現れた。
――『ようこそ。シュナイゼル殿下。さあこちらに!』
「そ、それで……ノコノコ着いていったのね? カノンは? 一緒だったんでしょう。なんで止めなかったの。最後の頼みの綱なんだからしっかりしてよ」
「……ああ、彼は……」
怪しい宗教団体に潜入どころではない。鴨が葱を背負って来ている。本当に大量の壺を買わされているのだから大事だ。ティラナはカノンを振り返った。彼はすまなそうに肩を竦めた。
カノンへの勧誘トークはどこからそれが知られたのか、美容関連のものだった。
案内役の信者の肌があまりに艷やかであったのでカノンが指摘したところ、待っていましたと言わんばかりに水の話が炸裂した。その水とは、飲めば美肌になれるという代物らしく、その他隊長を改善する効能もあるらしい。
――『その水を使うと、肌がツヤツヤふわもちになる……ですって!? それはどちらに?!』
――『ああ。それなら、あそこに湧いている湧き水でございます』
信者の指先の向こうには森の緑が迫り、澄んだ池の水面が鏡のように周囲の景色をクリアに反射している。
――『汲んで帰ってもよろしいかしら?』
もちろんでございます、と信者は自信ありげに頷いた。
その話を聞いて、ティラナは思わず自身の頬を撫でた。
「たしかにお肌のツヤがよくなる水が湧いているのは気になるわ。……最近肌荒れ酷いし」
「原因は夜ふかしだよ。貴女のは」
「誰のおかげだと思っているの?」
「おやおや。ロイドに言わせれば、その矛盾が君を殺すよ≠セね。ははは」
貴族的な優雅な微笑をもたらすが、ちっとも面白くない。仕える従者は何人でも笑ってくれるかもしれないが、ティラナは堪えた。カノンに水について続きを話すようすすめた。
「……そのお肌がトゥルスベもち肌になるお水はどうだったの?」
「軟水でしたわ。条件としては適正ですけれど……」
結局のところ生活の質だとカノンは言いたいようだ。
それについては認めざるを得ないだろう。肌荒れを直すには、ベッドを分けて就寝時間を早めるしかないだろう。
「世界平和を掲げるラブ&ソリューションの会はね……」
「なにそのお名前は」
シュナイゼルの口から飛び出すには、あまりにセンスのないワードの連なりだ。
「宗教団体の名前さ」
「あなたには似合わない言葉を喋らないで」
「ラブ&ソリューション……」
「世界平和の会!」
「世界平和の会の施設で、信徒が暮らしているんだけどね……掟が厳しいんだよ」
「掟……?」
首をもたげたティラナにカノンが詳しい説明を始めた。
「朝六時に起床、炊事を皆で行い、七時半に朝食。朝食後九時から昼の十一時までは祈りの時間。そこから昼食の準備と昼食、午後からは秘密の岩門と呼ばれるところから力の宿った品々を取り出して、市井で布教活動を行う。そして必ず一人は新しい信徒を連れてこなければ食事量が減らされるのよ」
たしかにノルマはきつそうだ。毎日毎日布教活動に明け暮れて。
「……でも、あなたたち、カモにされてるじゃない」
「偵察だよ。市場調査だ」
「クローズド市場に市場もへったくれもないわ」
「手厳しいね。だけど、私たちのおかげで多くの信徒は救われたと思うよ?」
美しい花の色の瞳が覗き込む。
ティラナは思わず目を逸らし、周囲を埋め尽くす壺が目に入った。
「……? はっ……まさか!?」
にやりとシュナイゼルは笑った。
「ありったけの壺を買い取ったのね!?」
「さすがだよ。それでこそ我が陛下」
「布教するモノがなければ、ノルマはなくなる……でも本当にそれは彼らの幸せなのかしら。別の新しい物で人々の歓心を買うために苦労するだけじゃない? ノルマ自体がなくなったわけじゃないもの。……壺の価格はいくらだったの?」
「寄付という形だったから、頭割りで一人一万ポンドかな」
「あなたのポケットマネーなのよね?」
「もちろん」
かなりの金額だ。それだけの私費を投じる価値があったのだろうか。捜査局に適正な捜査を依頼したほうが良かったのではないか。
「……いくらなんでもやり過ぎよ」
「私が考えなしに動くと思うかい?」
「……思わないけど、……寄付をして、何か恩恵はあったの?」
「それはこれからだよ。……あの壺の中にはね、本物が混ざっているんだよ」
「本物……? それが幻の壺ってこと? 本当にあるの?」
芸術方面はからっきし――とは言いながら蒐集家を名乗るほどなのだから、多少の審美眼を持ち合わせている。コレクションルームに一度たりとも踏み入れてしまうとあとが厄介だ。
一つ一つの壺の話――歴史、作家、謂れ、過去の所有者、材料、釉薬、その垂れ・ムラ・発色、フォルムの説明、底の高台の土の質感……と枚挙に暇がないほどの拘りポイントについてじっくりと、それはじっくりと解説が始まる。
「この壺自体は中華連邦でかつて名を馳せた陶芸家の名品だそうでね。長い歴史の最中、この国に流れ着いた。開祖が壺を所持していたが、今の二代目がその壺を流用して寄付を募る口実に仕立て上げた、というのが事のあらましだよ」
「……それじゃあ……あの一〇〇〇個近い数のほとんどが贋作だっていうのは、認めるのね?」
「私は最初から本物の話はしていないよ。……しかし、買い取った中に本物が紛れているかもしれないんだ」
「その二代目が隠し持っていたりとかはしないの?」
「それも、調べてみないといけない。……君の研究員スタッフと照射スキャンを借りてもいいかな? 非破壊検査で内部の組成を確認したいんだ」
壺の真贋判定用に人的・設備リソースを拝借したい。その提案にティラナは片眉を持ち上げた。照射スキャンは医療棟にある設備で今年最大・最新鋭の設備投入となっているが、こんな私的利用される日が来るとは考えもしなかった。
「もう! 私のスタッフと最新鋭X線装置は壺の真贋判定用じゃないわよ! 最初からそれがお目当てだったんでしょ!」
「あははは」
ぷんすかと怒るも、シュナイゼルの牙城を崩す程ではない。彼はそっと耳元で悪魔の取引を持ちかけた。
「少しくらい仕事を手伝ってあげられるよ」と言われてしまっては――一瞬心が揺らいだ。
「ぐぬぬ……」
「夜ふかしは肌に悪い。体の健康も心配しているんだよ」
もっともらしい理由だ。それに、見下されているのに、小動物が縋る時のような眼差しをしている。ティラナは頭の片隅で、この人が自分の気質と弱点を熟知した存在であることを思い出していた。
――術中にはまってはだめ! ほんとう、こういうのが得意なんだから!
「……書類は自分で捌きます。……照射スキャンとスタッフは……常識の範囲内での利用なら構いません」
「ふふ。ありがとう」
そういって彼は頬に口づけた。褒美を貰う犬のような心地だ。
「そんなに心配していただけて嬉しいわ。独り寝をさせて貰えるといいのだけど」
「はたして、できるかな?」
意味深な物言いにティラナは聞き返した。
「どういう意味よ? ……そんなことより、本物が見つかったらどうするの?」
「本物は私のコレクションにするよ」
「買い取っただけ損じゃない」
「ふふ。……まあ見てなさい」
それから一週間後。
独り寝作戦は最初は上手くいっていたが、七日を迎える前に終わりを迎えた。
それぞれの私室を行き来して夜を過ごしていたのを、通わずに十一時就寝を心がけていた。しかし三日ほど経過した頃、いつの間にかベッドに潜り込んできているのだ。
――『……シュナイゼル……?』
――『起こしてしまったね』
涼しい顔で、ごく当たり前にそこにいるものだから笑ってしまった。
『眠れないの?』と尋ねれば、柔らかく深みのある笑みを浮かべて、髪に触れるように仕向ける。
――『貴女がユニコーンの鬣を撫でてくれれば、眠れるかもしれないよ?』
というものだから、腕の中に招いて頭を撫でてやると、あら不思議。眠れるどころか、悪戯を加えるようになっていき――というわけである。完全に思う壺にはまっている。壺だけに。癪である。
「ふぁ〜あ……」
一週間前の壺だらけの景色を思い出す。すっきりとした部屋に、欠伸の声はよく響いた。
午後九時から始まる執務から早数時間。開放された扉の奥から秘書官コルネルが一礼し入室する。
「陛下。失礼いたします。午後の謁見のお時間でございます」
「もうそんな時間? お昼食べそこねた! ダイニングルームでビスケットとお茶を飲んだら行くわ!」
クリスタル時計を確認すれば昼の一時手前である。二時からの謁見まではあと少しだ。
コルネルは「また殿下に叱られますよ」と短い小言を述べた。かの夫は自ら睡眠時間を吸い取っていくくせに、生活態度が悪いと心配だけは立派にする。
姿見の前でメイクを確認する。
「ん〜……目の下のクマが……コンシーラーで……」
肌によく馴染む色のコンシーラーで覆い隠しているが、すっぴん状態では最も目立つ箇所である。カノンからレビューを兼ねて貰った試供品のお世話になっている。そして肌が綺麗になるという水の話を思い出して、頭をふるふると横に振った。
「水……ううん、あれは規則正しい生活の効果よね」
もし、水であらゆる問題が解決するなら論文になるし、原因を探り薬にもなるうえ、科学界を震撼させるだろう。
今のところ万能の水という代物は存在しない。湧き水には不純物も多いし――と納得させるものの夢のような代物に期待するのは人の性というものだ。
謁見の間には、大勢の黒の正装姿の男たちが揃っていた。
「王立経済団体会長、フロスキー卿です」
「陛下」
「どうも。よくお越しくださいました。フロスキー卿」
侍従の一人に名前を読み上げられ、フロスキー卿が前に進み出て姿勢を低くし、ティラナの握手を受け取った。
挨拶もそこそこにフロスキー卿はさっそく本題に入った。
「就労支援機構からのお話はご存知で? 求人有効倍率がですね……」
「ごめんなさい。もしかしたら本日の報告にあったと思うの。まだ目を通しきれていなくて」
「いえいえ。今月の調査結果ですし、報道にはこれから乗るでしょう。しかし陛下のお耳には早く入れておきたくて」
そうして掻い摘んだ説明を耳打ちすると、たしかに驚くべき話だった。
「雇用率が急増……?」
「長期就労となるかは今後次第はございますが、一次産業の農業と酪農、二次産業の製造業の人手不足解消の足がかりにはなるでしょう」
「……そんなにいきなり数字が良くなることがあるのね? ありえない話だと思うけど」
「ええ。私共も驚いております」
「人はいきなり畑から採れるものではないわ。……ん? まさか……」
そこではたとティラナは気付いた。
落ち葉の絨毯が敷き詰められた私有地の森で、シュナイゼルは読書をしていた。
月刊ワールド・インテリア・ライン――インテリア系の雑誌だが、その出版社の陶芸分野専門のライターの品評が面白いことで有名で注目している。カストラリアは国家を形成する遥か以前――とくにインダス文明の頃から陶芸の歴史は紐解かれる。有名どころはすべて中華連邦と極東に集中しトピック編成も集中しがちだが、複数の文化が混ざり合う要衝地特有の、局所的なデザインの特徴がある。今月のトピックは、新進気鋭の若手作家の工房取材、国内随一の老舗陶器メーカー取材――骨太な内容である。
元来無趣味人間のシュナイゼルにこれを趣味≠ノ仕立て上げたのは部下の趣味を持ったほうがいい≠ニいう進言からだった。
かつてホリドゥラの博物館の見学で、並んだ壺を彼女と眺めた時は――世の中には奇妙な形をしたものがこれだけあるのに、それをすべて用途に括り付けて壺≠ニ定義づけるのがまるで人間≠フようで面白いと感じたのが源だっただろうか。
それを思い出して、趣味≠持つことにしたシュナイゼルはすべての仕事を滞りなく手掛けるように、高水準にまで達していた。趣味≠ノ関して、一歩前へ行く妻の助言を借りると――その業界の流行を追うと簡単に趣味≠ノなる。玄人は自分が流行をつくる、らしい。玄人になる必要はなく、趣味≠持つならば普遍的な情報を知り、実際に経験として体得するだけで簡単に名乗れるということだ。
「殿下!」
数羽の小鳥が、木々から羽ばたいてどこかへ飛んでいった。
研究員が白衣のまま駆け寄ってくる。その顔には笑顔があり、どうやら本物を特定したようだ。
「協力ありがとう。……贋作は各教会のバザーに出すか、王宮主催の催しものの贈答品にでもかえようか」
シュナイゼルは雑誌を閉じ、白衣の背を追って落ち葉の上を歩いた。