めでたし、めでたし






 むかし、むかし、ある国の王子様が、「マレーン姫、僕と結婚をしてください」とマレーン姫という美しいお姫さまに結婚を申し込みました。
 しかし、マレーン姫の父である王様は以前から姫が大きくなったら別の国に嫁がせようと考えていたので、「そんなことは許さん! 立ち去れ」と王子の申し出を断りました。
 しかし、姫はその王子と次第に仲良くなり、そのうち相思相愛になりました。
 「マレーン姫、一緒に国の近くの花畑に遊びに行きませんか?」
 「ええ、よろこんで!」
 そのことを知った王様は酷く怒りました。
 「ワシの言いつけも聞かずにあいつと仲良くするなど許せん! 罰としてお前を塔に閉じ込めてやる!」
 そして姫を一人の侍女と七年分の食べ物と共に、太陽の光も月明かりも差し込まないレンガでできた真っ暗な塔の中へ閉じ込めたのでした。

 ――「マレーン姫」 グリム童話 より――



 a.t.b.二〇〇八 March
 ブリタニア コルチェスター学院 正門

 「ハチドリのような低体重の鳥でさえ無理だよ。自重を支えたうえでの爆発的なエネルギーが必要ってこと。絶え間なくね。だからずっと食物を摂取して消火する。ホバリングしたまま。そしてそれを排出する。高エネルギー源といえば――サクラダイト依存は避けられないし、その高濃度のサクラダイト利用は大量生産には不向きだ。国際的に推奨される空気質指数もクリアしないと……君の考えは非論理的だ。だけどアイデアはすごく面白い。突飛なアイデアは科学の翼だから」
 学院の正門付近の花壇を調べていると、ロイドに出来たという後輩がノエルに声をかけた。コンペに応募するための内容をみてほしい、どうしてもと引き下がらないでいると、さっそく小間使扱いをしていたのか天才伯爵が捜しにやってきたのだった。
 ノエルはロイドに専門的な話を訊けばいいと薦めたが、どうやらそのコンペは師弟共同で進めているらしい。
 「それでさ、ノエルくん。その高エネルギーを用意しながら滞空を維持するにはどうすればいいと思う?」
 「博士は自前で考えてくださいよ。頭いいんだから」
 「君だって天井にぶち当たることはあるでしょーッ!」
 「そりゃあ……ありますけど」
 ロイドは両手で頭を抱え叫んだ。数日シャワーを浴びていない臭いがした。
 こりゃ後輩は大変だなと同情した。
 「……高エネルギーを外部依存するのが問題なら、高圧縮、高密閉で質量を密封し維持し続ける必要があるんじゃないですかね。……それ私にきいてどうするんです? 軍事系はほんとに専門外で……」
 「君の本命の専門ってなにさ」
 投げやりにロイドはノエルに質問した。
 「人間ですよ」
 「ニンゲン?」
 「だから博士とは真逆なんです。ベクトルが」
 「軍事兵器ってのはさ、ニンゲンのためにあるんだよ。ニンゲンの範囲ってこと」
 それはもはや、なんでもありだ。
 「飛躍しすぎですって!」
 「包括的にだって〜」
 ロイドは眼鏡のブリッジを押し上げた。
 「第四世代は実戦投入されるかもしれない。それって、ニンゲンの話だと思わないかい」
 「KMFを医療用ではなく、陸上戦で使用するということ?」
 「そう。元々そのために開発中だった。……他にもサンプルはあるけど、ノエルくんのデータのいくつかはテストパイロットの基準になる」
 ははあ、とノエルは納得の声を漏らす。
 ノエルが散々協力を求められてきたKMFのテストパイロットの件だ。
 「……ロイド博士は、そのデータ集めを手伝った見返りにアカデミー入学というわけですね? 大出世ですよ。……ちゃんと卒業できるんですか?」
 「ご心配なく! そこはもう! 口うるさい方が口うるさく……! あひゃあ!」
 アーチの向こうから外套姿のシュナイゼルと、周囲を取り囲む大人数の従者と護衛の人影に気づき、ロイドは身を弓なりに反らし驚愕の悲鳴をあげた。
 「ふたりで私の陰口かな?」
 「後輩に指導というやつです」
 ロイドの稀有な後輩は、学院代表のシュナイゼルに怖気づき縮こまった。
 「おはよう。……君のファッグかい?」
 「私じゃなくて博士のです」
 シュナイゼルは同情の眼差しを後輩の少年に送った。
 「さぞ面倒ばかりだろうね。……ロイドをよろしく頼んだよ。今年こそ卒業してもらいたいからね」
 「殿下ぁ〜!」
 もし今年も留年したら誰がロイドの面倒をみるのか。
 ロイドの尻拭いに奔走したジェレミアは卒業し、実績をバックアップしていた、パトロンのシュナイゼルは学院を空ける事が増えるだろう。親しくしているカノンには、カノンのやることがある。
 「殿下の評定に支障が出るからさっさと卒業してやってください」
 「ノエルくんまで辛辣!」
 「心の声を代弁しただけですー」
 シュナイゼルの背後に控えている従者の一人がこそっと彼に耳打ちした。
 ロータリーには三台のリムジンが停車している。
 「殿下は……もうご出立ですか。その格好は」 
 「急な呼び出しがあってね。例年よりも早めに春季休暇をいただくことになったよ」
 「大変ですねえ、一国を治める人は」
 「君のほうは、留学先を決めたのかい」
 「まあ、そろそろですね。……それでは良い休暇を」
 正門への道を譲り、煉瓦の壁に背をつける。長身が動き出すと、大勢の影も伴って動いた。
 ノエルは二人組の女の捜査の件などを思い出して、シュナイゼルを引き留めた。
 「あ、そうだ。殿下。休暇明けに報告できそうです」
 「ああ。わかったよ。楽しみに待っているよ」
 正門のアーチを潜り抜け、シュナイゼルはリムジンに乗り込んだ。
 「王子様は馬車にのってお城へ参りましたとさ……」
 午前の強い光を反射して、馬車の群れ≠ヘ広く長い道の奥へ遠ざかっていく。

 
 ――それから七年の時が過ぎ、塔の食べ物がなくなってきました。
 しかし、誰も姫と侍女を外に出そうとしません。
 「お父様ー! 兵士達ー! 食料がなくなってきましたわ。ですから外に出してください」
 「王様、もう食べ物がなくなろうとしています」
 しかし、外からは返事がありません。
 不審に思ったマレーン姫と侍女はナイフでレンガを削って穴を開け、そこからレンガを壊し、塔から外に出ました。
 しかし、マレーン姫と侍女が外に出た頃には、なんとマレーン姫の住んでた王国は隣の国との戦争に敗れて滅ぼされていたのです。
 そして王様は行方が分からなくなってしまっていました。

 行く当ての無くなった姫と侍女は放浪の旅に出ました。
 しばらくして、旅で立ち寄ったある国で、
 「そこの旅の者達、もし良かったらこのお城で下働きをしませんか?」
 「ええ、分かりました。侍女もよろしいですか?」
 「よろしいですよ、マレーン姫」
 ということで、二人はお城の下働きとして雇ってもらえることになりました。

 その国は、なんと姫と相思相愛の仲であったあの王子の国でした。
 しかし、王子様は別の国から嫁いで来た女性と婚約していました。
 そして、もうすぐ結婚式が行われるというのです。

 ――「マレーン姫」 グリム童話 より――



 a.t.b.二〇〇〇 March
 カストラリア カストラリア王宮
 
 
 長考の末、彼女は握っていたクイーンを、本来の置きたがっている位置から退けた。
 向かい側の一人掛けソファで「ふむ」と眩い金髪を持つ少年が唸った。
 ――『……王女殿下、加減をなさっているのですか?』
 ――『えっ?』
 ――『先程までは威勢よく、優勢に進めていたのに。一気に負けに転じた』
 ――『それは殿下のお力でございます。……以前よりも成長なさっているのです。背丈が伸びたのと同じことです』
 彼女は口が巧妙い。
 ふたりのチェスに勝敗はない。
 一度引き分けると、もう一度挑戦する頃には新しい戦略で翻弄し、いつまでも、いつまでも戦いが続く。
 控えにいる従者たちが退屈を持て余している。――彼女は忙しい人で、別の約束の時間が迫るとわざと負けに転じるように手を抜く。時間が少ないことが、ティラナの弱点だった。
 シュナイゼルとて、暇だから遊びにやってきているわけではない。その頃の渡航には二国間に十三時間要した。

 国内外のアピールもさることながら、婚姻条約に基づいて、すでに約束された立場がある。
 外国の皇子に王配の称号を婚姻の成立後即時授与されるのは慣例からして異例だった。カストラリア王室はシュナイゼルに公務をさせることを認め、また、署名時に条約文を書き換えたティラナの意思ということになる。
 マグナ・カルタ――大憲章、権利章典、権利請願を含むカストラリア憲法の基礎理解に努めるところから始まる。近代化には第一次と第二次改革がある。第一次は一八一四年、亡命したアレクサンドラ王妃がイングランドの慣習を持ち込み、第二次はセイル国王治世にある。大改革まっただ中で、同じ祖先を持つブリタニアの皇子への期待は大きい。君主制の栄華を極めようとする国の皇子が、君主制を縮小し民主主義へ移行させようとする国に奉仕しなければならない。
 それは奇妙な話だが、いつ元の小さな国に凋むかもしれない、夢幻泡影の国の将来を考えれば妥当な戦略だ。
 図書館のような書斎で国王は言った。
 ――『我が国において、君とティラナの結婚が最後の王族同士の婚姻になるよ』
 国王の考えのなかには、いかにこの階級社会と血統が馬鹿げているかという自嘲が含まれていた。
 ――『しかし民は、国の代表者にはおとぎ話や英雄伝のように、素晴らしい存在が立っていて欲しいと願う。私も国民には愛国心を養ってほしい。……二元論的だね。私の……いいや、僕の理想はね、民の税で暮らさない君主だよ。宗教的価値観では大成功だ。公共事業に関しては貴族の仕事だし、専制君主制の名残を一気に解消することは不可能だ。消化や分解には時代という長い時間がかかる』
 独り言のように、国王は静かに語った。
 ――『君のお父様のようでなくて、がっかりさせてしまっただろうか。……これが戦争をやめてしまった国の国家元首だ。やめたといっても兵器は造るんだよ。矛盾しているようだけど、そうじゃない。独立して頼らないために備えておく必要がある。君主も同じだ。常に用意が必要だ。……あの娘に才能があるとわかった時、今ある課題も、国も、託すことに決めた。戦争はなくならないよ。本能に逆らえるものか。……ティラナは、人の命を救う。その富で国を護らせることができる』
 シュナイゼルは一言も介さず、相槌も打たず、――重責に押し潰されそうな男の姿を眺めた。
 ――『僕は王の器ではない。……あの娘しか、いないんだ』
 病的なほど思い詰めた顔。瞳の鋭い光。無欲ではない者、絶望的な淵に縋る執着。
 ――『人々は僕を褒め称える。伝統的に男が王位を取り仕切っているのだから母数信仰さ。裸になれば、余りくじ、泣き虫のアンカーだ』
 セイル王は彼の名の帆の意味とその反対の意味をなす錨・アンカー―すなわち、足手まといと自虐していた。
 ――『ティラナは女王になるんだ』
 負のエネルギーを燃やしながら耐え忍ぶ姿。シュナイゼルの知らない、王冠をいただく者の真の姿だった。 

 ティラナは息抜きに乗馬を好んだ。
 ――『殿下、前の方へお乗りください』
 ――『……私を年下扱いしているんだね?』
 ――『その通りでございましょう? 殿下のほうがまだうんと小柄ですもの』
 ――『たった十三センチだよ。そのうち追い越すさ』
 ――『まあ。楽しみ!』
 シュナイゼルの声はまだ子供の声で、肉体だけが彼の本当の年齢に追いついていなかった。
 王女はシュナイゼルを愛玩具か、幼い子供扱いをする。
 年齢は三つしか離れていない。だが、子供時代の三歳という年齢差は残酷だ。大人では問題にならないほどの僅差だというのに、背丈も、力も、周囲からの扱いもわかりやすいほどの区別がある。
 そして、異国ではシュナイゼルはお客様だ。
 ティラナ王女には数十分おきに、女官や副秘書官が耳打ちにやってくる。良い報告なら笑い、悪い報告ならその場で不満を露わにする。悪い報告の時のほうが面白いとシュナイゼルは思っていた。聞いたことのない豊かな語彙でこき下ろし、お里が知れますわ≠ニ冗句で取り繕う。
 その時は蜂蜜を塗りたくって野ざらしよ≠ニこぼしていた。
 
 乗馬のあとのお茶の時間でも、ティラナに休みはない。
 広報番組のアイデアについて、ああでもないこうでもないと練っていた案をシュナイゼルに語り聞かせた。
 再び副秘書官が『お楽しみのところ申し訳ございません』と低姿勢でその日何度目かの耳打ちにやってきて、お父様の跡を継ぐ前に過労死してしまうわ≠ニブラックユーモアを繰り出した。
 ――『王女殿下、薬学会から理事がいらしてます。学会誌の最終チェックと来期の予算審査会についての確認だそうです。……シュナイゼル殿下におかれましては水を差してしまい……』
 ――『構いませんよ』
 シュナイゼルはにこやかに応じた。
 ――『……ちょうどこのあと、ラボの方にいく予定だったの。……そうだ、殿下も同席して構いませんか?』
 副秘書官は大変困った顔をして頭を掻いた。
 ティラナは賛同するように、シュナイゼルを見つめた。
 ――『殿下もきっとこちらのほうが楽しいでしょう? 実をいうとラボにはすでにご案内差し上げているし、初めてではないわ』
 ――『ええ。もちろん、よろしければの話ですよ』
 ――『きゅ……急に言われましても……』
 ティラナは『いずれ私の仕事を手伝っていただくかもしれないわ』とさらに押して、壮年の男は彼の末娘と同じ年齢の王女に折れた。

 ――いずれ。
 それは想像よりも素早く、崖上から馬が駆け下りるよりも、遠雷の音よりも、シュナイゼルの足元をさらいにやってきた。
 誰かが機内で叫んでいた。悲鳴。混乱が薄い皮膚の外で空気を震わせた。
 ――『まだ燃えてる!』
 ――『この目視距離からだと。相当焼けているぞ!』
 ブリタニアの皇室専用航空機はいくつかの空港を経由し、クーデターの報の入った数時間後、直ちにカストラリアに飛んだ。十三時間の長時間のフライトと緊張でシュナイゼルは意識を失っていたが、副機長の大声で覚醒し、ブランケットをはねのけて、シートの反対側の窓に飛びついた。
 視界は白く、細かな雪のような灰が空気に混ざり、風向きと強風に押し流されてきていた。
 ――『王宮との連絡は?! まだ繋がらないのか! 一人くらい繋がるだろうが!』
 ブリタニア軍出身の護衛官長が声を荒らげ副官の通信機を奪い、緊急時に通じる特別回線に繋いだが応答しなかった。
 ――『ええい! 内閣は!? 首相官邸に連絡は!?』
 ――『デスモイド首相にも……繋がりません……』
 ――『……クソッ! 外務大臣だ! それがダメなら財務大臣! 次は厚生大臣! 総当りしたか!? 誰でもいい!』
 リダニウムのあらゆる機能が麻痺していると機内の誰もがすぐに理解した。
 ――『現地に駐在させている我軍を遣わせましょう。小規模のポリス程度であれば、問題にはならないはずです』
 シュナイゼルは護衛官長に向けて声を張った。
 苦肉の策であった。
 カストラリアの首都リダニウムのブリタニア軍の駐留は、シュナイゼルの護衛目的で組織され、ブリタニア軍の少数部隊と基地がある。中立国の体裁上、兵器の所持や人員の規模等には強い制限がかけられ、普段護衛任務にあたる兵士には軍務以外の職が与えられている。カストラリアにとっては外国≠フ軍隊の活動を容認するわけにはいかないが、その時は非常事態であり、現地の指揮系統さえ拾えないでいる。
 ――『やむを得まい。どこのどいつが反旗を翻したか知らんが、掌握されてしまえばブリタニアの国益も損なわれる可能性がある。……よし。現場の状況の把握と伝達をさせ、現内閣の臨時執行役をバックアップしろ!』
 滑走路は灰に満たされている。陸上にはその一日、一機も飛んでいない民間旅客機が何機も停まっていた。
 副官が声をあげた。
 ――『駐在先と繋がりました。王宮までは険しい道程が続くため山肌を滑走すると! 現地調査作戦を開始します』
 ――『よし、そのまま開始! 逐一報告を頼む。王宮内の国王陛下夫妻と王女殿下の安否確認、安全確保を最優先しろ!』
 ――『Yes, My Lord!』
 機内が慌ただしくなる。眼下に聳える何ものにも侵されず、何ものの脅威も遮断する堅牢な砦が真っ赤に染まるのを、シュナイゼルは厚い硝子越しに見下ろしていた。
 ――『ティラナ』
 胸のなかが、何者かに弄られるようにざわりとした感触に、これが不安≠竍心配≠ニいう感情なのだと理解した。


 a.t.b.二〇〇八 March
 カストラリア リダニウム国際空港

 リダニウム国際空港に到着したプライベート機の中で、シュナイゼルは準備もせず窓の外を眺めていた。
 七年前とは違う。属領国の鎧を纏う中立国。よく手入れの行き届いた、整然とした空港、街、首都。この先進国に灰が降ることはない。飛行時間も航空機の技術的進歩により十三時間から八時間ほどに短縮されるようになり、両国の往来は容易になった。
 ゆったりとしたシートから、窓の外の滑走路の案内灯のパールの輝きとその反射を見つめる。従者や秘書官がいつまでも降りようとしない、不動の岩のようになった主人におそるおそる囁いた。
 「殿下。到着いたしました」
 「ああ。うん」
 シュナイゼルが立ち上がると、従者が黒い外套を肩にかけた。
 三月のカストラリアはまだまだ真冬だ。
 厚い扉が開けられる。タラップを踏むと、歓声がより大きく包みこんだ。出迎えの王室の者、軍人、一般臣民が一斉に頭を下げた。
 

 a.t.b.二〇〇八 March
 カストラリア リダニウム カストラリア王宮


 鏡の前には王女様が立っている。
 この国でただ一人ぼっちの王女様。
 「王女様。本日は午後より諸侯ら の謁見がございます」
 「わかっています。コルネル」
 先王セイルより仕える首席秘書官コルネルは、王女の居室前に静かに佇んでいた。
 昨年の暮れ頃から、王女は公務復帰に意欲を見せ始めていた。――いつまでも、摂政に甘えてはいられません、と彼女は顧問官や秘書官達を呼び出して彼らの目の前で言った。
 王宮火災より八年を迎える今、玉座に座る時機が訪れたと宮廷内は張り詰めていた緊張が解け、曇り空の中の晴れ間をみた。能動的な姿勢と復帰の先駆けて、摂政から引き継ぐため春季休暇の予定を早めてもらい、学生であるシュナイゼルをブリタニアから呼んだ。
 コルネルは鏡台前で頭をおさえる王女を心配した。
 「ご体調が優れませんか?」
 「……すこし、頭痛がするの」
 「王女様」
 「緊張のせいよ。そのうち慣れるわ」
 王女はこの日までに、その日出席する諸侯に関する情報を学んでいた。質問も活発的に何度か受け、コルネルはようやくこの錆びついた王室の扉が開かれる日が来るのだと、密かに喜んでいた。
 「すこし、気分転換に外の空気を吸ってくるわ」
 「はい。お気をつけて」
 王女は居室を出て、気分転換に散歩に出かけていった。
 


 a.t.b.二〇〇〇 January
 カストラリア ???


 ――『それを持ってきたら……記憶がもとに戻ったりする?』
 ――『かもしれないねえ』
 黒い男。
 黒い男が『わたし』に話しかけた。
 暗闇の中にいた。悪魔の棲家のように、王宮内のすべての陰がそこに集まっている。彼は悪魔を従えている。
 ――『本当に!?』
 ――『ああ。やってみるだけの価値はあるよ』
 悪魔は、罪の意識に苛まれる『わたし』に提案した。
 『わたし』のせいで、あの子は『わたし』になってしまった。『わたし』の醜さが光を影の中に閉じ込めてしまった。
 『わたし』は悪魔の囁きを聞いた。悪魔はあの子の記憶を戻せるかもしれないと言った。
 その代わり――対価が必要だとも。
 ――『あ……でも……、ラボには……入っちゃ……ううん、人を入れたくないし、持ち出してはいけないの』
 ――『大切な相手なんだろう?』
 ――『えっ……』
 『わたし』は取り繕いながら、あの子の大切な約束を守ろうとした。
 ――『その大切な人の、大切な記憶が……ずっと元にもどらなかったら……?』
 ――『なんであなた……そのことを』
 悪魔はすべてをお見通しのようだ。
 『わたし』が行ったことも、きっと。
 ――『どうするんだい? ねえ、……どうする?』
 悪魔は心底おもしろそうに笑った。
 一歩、二歩、三歩と――悪魔は黒い姿のまま『わたし』の傍までやってきて、本当に耳元で囁いた。
 ――『きみの罪をみんなにバラしてしまおう』
 『わたし』は凍りついた。
 ――『きみがどれほど、卑しい心を持っていて、あの子に嫉妬していて、あの子に成り代わったのを本当は喜んでいることを、みんなに教えてしまおう』
 ――『あ……ああ……ぁ……』
 言わないで! 言わないで! 言わないで!
 ――『みんな、きみに頭を垂れる。嬉しい言葉を、優しい言葉をかける。愛してくれる。でも、それはきみのものではない。偽物のきみが受け取っていい対価ではないんだよ』
 ――『ひ……いぃぃ……!』
 涙がこぼれる。感情が支配されていく。暴かれる恐さに硬直する。
 ――『きみはティラナじゃないんだ、マルカ』
 ――『わたし……わたし……わたし……わたし……』
 ――『……もう少し役に立ってほしいな。ほら、お父様≠ノ顔をよく見せて』
 『わたし』は悪魔の言葉に耳を疑い、その顔をみた。
 闇の中から赤い鳥が、マルカのもとに羽ばたいた。
 ――『マルカ、ティラナの論文、結果データ、スクリプトノートを取ってきなさい=x

 気がついた時、『わたし』は洞窟の前にいた。
 その悪魔はもうどこにもいなかった。
 ――『どうしてここに?』
 洞窟の奥には神殿がある。そこは立ち入り禁止の場所だった。『わたし』はすぐにその場から王宮へ戻った。


 ――王子様の婚約者は自分の顔立ちに自信がないため、白いベールをしたまま城に用意された部屋から一歩も外に出ませんでした。
 ところが、婚礼の日が訪れ、教会へ行かなければならなくなったので困り果てた婚約者は、マレーンが婚約者の部屋に食事を運んだ時に、「あなたが私の代わりに教会へ行ってきてちょうだい」と代わりになるように言いました。
 それをマレーン姫は引き受けることにしました。

 そして、婚約者の代わりにマレーン姫は教会へ行きました。
 そして行く先々で一人言のように、「私は本当の花嫁ではありません」とつぶやきました。
 そのことを、疑問に思った王子様は、「あなたは何のことを話しているのですか?」とたずねました。
 マレーン姫は王子様の問いに「マレーン姫のことを考えていただけです」と答えるだけでした。
 王子は不思議に思いました。
 ――どうして彼女がマレーン姫のことを知っているのだろう?――
 王子が考えているうちに婚礼は無事に終わり、マレーン姫は結婚の証として黄金の首飾りをもらいました。

 ――「マレーン姫」 グリム童話 より――


 a.t.b.二〇〇八 March
 カストラリア王宮 控えの間


 「……わたし……わたし……」
 ――私がティラナの……研究データを……誰かに手渡した。
 おそろしい記憶。悪魔の姿を、『わたし』は、マルカはみた。

 謁見の間に繋がる控えの間にはシュナイゼルが午前の執務を終えて入ってきていた。
 
 「大丈夫かい、ティラナ」
 「いや……」
 呼吸は浅く、声が震えていた。
 三度目の呼びかけにして、シュナイゼルは誰にも聞こえないほど小さくマルカ≠ニ呼んだ。
 ――そう。私はマルカ。ティラナではない。
 私を、私と知る者はこの世界にはたった数人。
 マルカの視線はシュナイゼルを、その奥の侍従、侍女、控えている秘書官、護衛官達を巡った。

 「……大丈夫かい。本日の謁見には公爵と伯爵、男爵がお見えになる。内容はレルヒから聞いているね。まずベルケス首相が内閣府と議会についての報告をされる。今年度の中間報告だ。経済政策、社会保障改革、政府方針の修正の進捗報告。次に各省庁の調整。科学庁から全国の学術振興会の本年度の予算と内訳――監査結果の報告があるよ。議会に関しては新規法案と通過法案の把握。承認済みの法案の最終承認を行う。今は私が代理摂政だから、報告を受けるだけで構わない」
 水中に沈み込むように音が遠い。分厚い水の壁。気泡の山。彼の声が遥か彼方へ小さくなっていく。
 言葉の意味もその内容さえ朧げであるのに、マルカを呼ぶ声だけいやに鮮明だ。
 ――マルカ?――
 また彼が囁いた。
 足がふらつく。骨からボロボロと崩れ落ちそうなほどの不安と狂気。
 侍従長ハーゲンが姿勢を正し小広間の入口で黙礼の後、シュナイゼルに近寄る。
 「殿下、枢密院よりお達しでございます。叙勲式の日取りでございますが――早ければ夏頃とのことです。アーサルトル枢機卿とヴィタリス大主教が立会人となります」
 「うん。では、その通りに。結婚式は来年の春から夏になりそうだね」
 マルカは目を見開く。汗が目の中に入る。染みる痛みも忘れるほどの恐怖に支配されていた。
 ――拳銃。
  どうして。
 ――どうして、拳銃など持っているの――……?
 いつどこで手に入れたのだろう。
 スカートのポケットの中で右手がグリップを握っていた。そのつもりはないのに、その硬質な冷たさと、熱くなった指先が接着剤でぴったりとくっついたように、もう二度と離れなくなっていた。
 汗が噴き出す。
 鼓動が早くなった。 
 閃光が脳裏を白く染め上げる。強烈な恐怖。あの恐怖。撃ち抜かれたときのあの恐怖。驚いたティラナの顔。そっくりな双子のような『わたし』たち。
 まったく一緒の顔。

 今度は誰もが目を見開き音もなく驚き、『わたし』をみている。
 ティラナを。『わたし』を。マルカではないティラナを。
 空気を切り裂く、静かな発砲音。
 「いや――、いや――! 逃げてぇ……!」
 こんなのは、『わたし』じゃない。
 『わたし』はこんなものを握りたくない。『わたし』の意思じゃない。『わたし』は殺したくない。
 離れなくなった拳銃は誰かに腕をしっかりと固定されているかのように、その方向に構えた。
 必死に拒む。拳銃の引き金を引かないように離す指先がビクビクと痙攣した。
 「……殿下、……いや……ッ!」 
 『わたし』は抵抗し、叫んだ。
 その時、不意に記憶が蘇った。知らない記憶だった。たったついさっきの出来事だったのに、憶えていなかった。

 ――『久しぶり。マルカ』
 ――『えっ?』
 足が竦む。灰色の恐怖に絡め取られ、奥歯がガチガチと鳴る。マルカの名前を知る人間はこの世で数人ぽっちなのに。
 薄暗く湿り気のある深い陰の中。埃が羽毛のように舞い上がり細かく輝くが、その向こうの黒を照らすことはない。
 『きみに最後のお願いをしにきたんだ』
 とても柔らかな声。やさしげな男の声。シュナイゼルに似た口調。けれど、彼の場合はすこし遠慮が残る。彼はティラナとマルカを見分けることが出来るから。
 ――『い、や――!』
 目を瞑る。激しく拒絶する。その瞳をみてはいけないと直感が叫ぶ。
 空気が動く。無遠慮に両手がマルカの顔を包み鼻先に吐息がかかった。おそろしく、つめたかった。
 黒い悪魔が囁く。
 ――『殺すんだよ』
 ――『いや』
 ――『殺すんだ』
 悪魔は『わたし』の顔を包み込み、唇に口づけた。
 衝撃のあまり、『わたし』は目を見開いた。
 ――『マルカ。きみは確実に殺す。さもなければ……』
 ――耳を塞がなければ。それ以上聞いてはいけない。聞いてしまったら。

 腕は逆向きに捻じれ、銃口が彼女自身のこめかみに押し当てられる。
 ――え?
 そのさきには、虚が待ち受けていた。


 その場にいた者は、何が起きたのかわからなかった。
 短い銃声。
 赤い飛沫、割れた一部の破片。
 一瞬のことだ。長いフィルムのなかのほんの一コマが永遠に再生されている。つまり、みな静止していた。
 ティラナ≠ヘシュナイゼルの正面に倒れ込み、丈夫な腕が彼女を咄嗟に支えた。身に纏う衣服を汚し、血を吸い込んでずっしりと重くなっていく。
 鮮烈な衝撃に、侍女が甲高い悲鳴をあげた。異口同音に「王女様!」と叫び近寄った。
 「ティラナ」
 心臓が跳ねた。
 ティラナ≠ヘ目を開けたまま、微動だにしなかった。
 シュナイゼルは絨毯の上に散らばった、彼女の中身を手早く掻き集めた。
 「ティラナ」
 髄液、素晴らしく機転の利く脳髄。
 神が与えた叡智。
 素晴らしい贈り物。
 ――いやだ。死なないで。
 長い歴史を持つ、貴い血。
 どんなに転んでも割れなかった頭蓋骨の破片。
 彼女ではない。わかっている。
 だが、認識はそうではない。意識の修正が効かず、体が勝手に動く。
 ティラナでないと言い聞かせても、その手は彼女の血と骨、臓器を集めるのを止められない。ほとんど瓜二つの姿を持つマルカは、誰がどうみてもティラナなのだから。
 肉体は柔く、温かな血がボタボタと絨毯にこぼれ落ち、生命を静かに吸収していく。

 ――貴女は、綺麗なドレスを纏い、美味しいものをたくさん食べて、大勢の者に傅かれ、従えなくてはいけない。
 深い悔恨。
 ――貴女は、その頭脳を以て国に奉仕し、世界に奉仕しなくてはいけない。すべての人のために。
 地獄の叫喚。
 ――貴女は、その蜂蜜色の瞳で私を見つめ、その柔らかい髪を私に触れさせ、その唇で悪戯に微笑み、私を翻弄しなくてはいけない。

 鉄のにおいが呼び醒ますのは――灰と腐敗。燃える肉の鼻をおさえたくなる不快な臭い。
 誰もが彼女の名を呼び、混乱し、絶望に転がり込んでいく。
 それはクーデターに燃え盛るリダニウム上空から見下ろした景色に似ていた。
 「速やかに適切な処置を」
 取り乱す臣下たちのなかを、シュナイゼルの声がよく通った。
 「殿下……!?」
 そばに屈み込んでいた侍従長ハーゲンが汗を浮かべて、シュナイゼルを覗き込んだ。
 「速やかに。処置を。……早くしなさい」
 「御意……!」
 ハーゲンの力強い承諾と躊躇いなき動きに、正気を取り戻す者、狼狽から抜け出せず絨毯に尻をつける者、立ち尽くす者。混乱にすすり泣く者。様々だった。
 首席秘書官のコルネルが騒々しい部屋の外に出る。扉を閉めた。濃厚な血の臭いが部屋に満ちる。
 シュナイゼルは胸の中にティラナ≠抱え込んだまま、その場に残る者に静かに言った。
 「冷静でいられないかもしれないが、よく聞いて」
 注目を集めながら、神聖な宣言を行うように彼らに真実をもたらす。
 「この女性は、ティラナ王女ではない」
 驚愕に染まるのが生々しく伝わる。
 「たった今から話す事は、この王室の最大の秘密だった」
 バタバタと壁に手をつきながらハーゲンが廊下から控えの間に戻ってきた。
 「ハーゲン」
 「用意が整っております。お召し替えください。その後に安置室へ」
 コルネルがハーゲンによって、慌ただしく閉じられたばかりの扉を開け中に入った。
 「殿下。まだ騒ぎは広まっていないようです」
 「コルネル、この部屋にいる者だけが知っている?」
 「はい。私と、侍従、侍女、女官、護衛官……計十三名です」
 「……秘密を漏らさないように。いいね。これより、箝口令を敷く。レルヒ、みなへ説明をお願いしてもいいかい」
 女官長レルヒが進み出た。
 「はい。殿下」
 「ティラナ王女の秘密については、侍従長と女官長が知っている。レルヒから話を聞くんだよ。……私は先王の遺言状に従い、彼女の処置に入らなければいけない。レルヒ。それについても説明を頼む」
 「はい。抜かりなく。殿下はお急ぎください」
 特別医療班に任命された医師数名が、担架と救急バッグを抱えて控えの間に入った。
 医師数名は室内の惨状を前にして大いに息を呑み、シュナイゼルの抱えるティラナ≠慎重にその腕から引き受けた。
 シュナイゼルは首席秘書官のコルネルに向かって「これで十六人だ」と告げ、秘密を知る数を増やした。
 「もっと増えるだろう。……陛下は必要な博士を揃えるようにと遺していた。ハーゲン。リストのメンバーに招集をかけて」
 「先程から始めています。ただちに王宮へ参じるよう迎えのお車を出しています」
 「うん。……それと、王宮内のセキュリティ解析を。……彼女との接触者を洗い出して」
 「それもただ今……! すべて緊急マニュアル通りに進んでおりますゆえ」
 シュナイゼルが立ち上がった。
 白い頬や金髪の毛先、シャツやベスト、スラックス、靴に至るまで。彼の前身はティラナ≠フ血液でよく濡れていた。
 「タオルはあるかな。……廊下にシミを増やしたくない」
 床で動けなくなっていた侍女が起き上がり「ただ今!」とリネン室へ走った。
 「私はシャワーを浴びるよ」
 「……殿下……」
 ハーゲンは言葉を失い、ただ呼んだ。
 たった今何が起きたか、殆どの者が動揺の最中にいるのに、彼は落ち着いていた。ハーゲンの瞳には異様に映った。
 「こうも、血生臭くてはね。それにこれから謁見がある。仕事をしないと」
 「あなたは……、いえ……」
 何かを言いかけて、ハーゲンの理性がそれを押し留めた。
 シュナイゼルは薄く微笑む。
 「もっと驚いた顔をした方がいいかな。嘆き悲しんだほうがいい? どうにも動かないんだ。……ティラナが本物じゃないからかな」
 本物。臣下一同、はっとする。
 シュナイゼルは医師達に向けて命令を発した。
 「シートで隠してアークリフトで地下に運び出して。あとで合流しよう」
 

 a.t.b.二〇〇八 March
 カストラリア王宮 地下室


 地下の寒色タイル張りの部屋はこの他にもあった。
 国王セイルの書斎で遺言状を探らなければ、地下室の隠し通路から繋がる実験室にはたどり着かなかっただろう。
 新しい安置室として使うことになった部屋の向かい側には、多くの薬瓶などを管理している。その隣室には、歴代王族の聖遺物となり得る肉体の一部、臓器や遺骨の破片などが厳重に保管されていた。
 王室法の冠婚葬祭の葬儀の項目には、国王とその配偶者が崩御・薨去した場合に内臓の一部を切除し保管すること≠ニ記載がある。遺伝子情報のオリジナルとして保管し、医学、歴史学、考古学・人類学、遺伝学・分子生物学など、学術的に役立てられるためだ。とくに、カストラリア王家には多くの王族の遺伝情報が組み込まれているため、世界中から多岐にわたる分野の研究機関の問い合わせが殺到する。
 
 安置室の処置台の上に横たわる、包帯に巻かれた女。
 顔は相好の判別ができないほど包まれているのに、下から赤い血の色が滲んでいる。
 防護服を上に着用したシュナイゼルは硬いパイプ椅子に座り、ティラナだったものを眺めた。
 ほとんど聞こえないほどのため息をついた。
 「七年前もこうして、君の側にいたね。昔と違って、……もはや私の声は届いていないけれど」
 木乃伊は答えない。
 「……どうして、私を撃とうとしたんだい。――不毛な問いかな」
 ティラナ≠ヘ答えない。
 「殿下。ブレイモア博士と医師の方々がご到着です」
 ハーゲンが安置室の外に来たブレイモア博士たちを紹介した。
 「シュナイゼル殿下。ご挨拶を申し上げます。ブレイモアです」
 「どうぞ。入って。……以前、書簡で伝えた通りだよ。まずは、招集に応じてくれて感謝するよ。Dr.ブレイモア」
 博士――Dr.ブレイモアは安置室に入り恭しく礼をとった。シュナイゼルは椅子から立ち上がり、Dr.ブレイモアと握手した。その背後に並ぶ医師十数名がかしこまって黙礼した。彼らはセイル国王の遺言状とその付記とする書類リストの中の候補者だった。
 「書簡には、緊急時には王宮へ来て対応を行うようにと伺っておりますが……その、こちらは……?」
 「医師には患者の守秘義務があるね」
 「え、ええ。それはもちろん。例外もありますが口外は秘密漏示罪となります」
 「うん。それでは任務を与えるよ。……彼女は王女のスペアーだ。死後一時間半。処置は済んでいる。これから君達には手順に従って解剖をお願いしたい」
 Dr.ブレイモアは困惑を隠さなかった。
 「は……? え、ええ……誠でございますか。……お待ちください。今貴方様はなんと?」
 「彼女は王女のスペアーだ。身代わりだと言ったよ」
 なにかを察したのか、老齢のDr.ブレイモアの頬に一筋の汗が光った。
 「王女様は……ご無事で?」
 「長話を続ける暇はない。まずは、こちらの勅書に従って欲しい」
 シュナイゼルは用意していた勅書を掲げた。
 「国王陛下付きの前任者が消息不明でね。彼に話を聞ければ早いのだけれど、難しそうだ。……Dr.ブレイモア、貴方の名前が三番目にあった。優秀な脳外科医と聞いているよ。――君たちも。各分野で秀でた者たちだね」
 「光栄にございます」
 ティラナの影武者マルカの体内には、ティラナの生体細胞を含むメモリーカプセル≠ェある。
 マルカの肉体は防腐処理を施し保存するが、純粋なデータを取り出しておく必要があった。
 「詳しい説明はあとでしよう。とりあえず、今はセイル国王の意向と勅命通りに始めてくれ。ここで見聞きした情報の漏洩は、死罪が適用される」
 医師たちは息を呑んだ。
 Dr.ブレイモアが頷き、医師たちに向かって呼びかけた。
 「仕事に取り掛かろう。諸君」
 十数名の医師たちが一斉に処置台の周りを取り囲んだ。シュナイゼルが付け足すように「ログはしっかりと残すように頼むよ」と言った。
 Dr.ブレイモアが聞き返した。
 「データログを残すように。わかったかい。手順、方法、結果。すべてだ」
 「はい。殿下」
 Dr.ブレイモアが一名医師を指名し、書記役を命じた。
 その時、安置室の入口にハーゲンが立った。
 「殿下、映像の解析結果が出ました」
 「それでは私は一度退室する。何かあれば報告をするように」
 シュナイゼルはハーゲンと共に安置室を出た。
 「なぜマルカは奥の神殿に行ったんだい」 
 「それは……わかりません。ですが、明らかにご様子がおかしく……変化がございます」
 「……ああ。ひどく取り乱していた」
 ふたりはアークリフトに乗り、情報管理室のあるフロアへ急いだ。
 情報管理室には王宮内にある監視カメラ映像が映し出されている。
 モニターに出した映像は、数時間前のティラナ≠フ姿があった。王宮から外へ出て、洞窟の方面を目指している。
 「神殿付近の坑道には他になにがある?」
 「……坑道にはシェルターの非常出口と……以前は姫様のラボの一室がございました」
 「たしか、シェルターはクーデター時に使用された形跡があったと言っていたね」
 「はい」
 「当時、監視カメラは?」
 「その頃にはまだ設置はされておらず……。神殿は王家の私的な敷地でございますから憚られたのでございます。殿下が可能な限り設置するようにとおっしゃったので、現在は設置してございますが……」
 「そうだったね。カメラはこの洞窟前のものが一台だけかい?」
 映像の中のティラナ≠ヘ洞窟に入ったとまでは読み取れる。しかし、設置場所が悪いのかわずかに死角がある。
 「他の者が立ち入ったとしても、……これでは侵入し放題だ」
 「申し訳ございません」
 モニター付近の時刻は謁見の時間の数十分前になろうとしている。シュナイゼルは防護服を脱ぎ去った。
 「本日の謁見者リストは?」
 「こちらでございます」
 ハーゲンは抱えていたリストを渡した。
 「各地方から春季報告の日となり、皆様集っておいでですが……」
 「公爵が全員、伯爵が五名、男爵が十三名。まだ帰していない?」
 「ええ。……皆様、お待ちいただいております」
 「私が謁見代行する。王女は体調不良のため欠席と伝えて」 
 「はい。殿下」
 ハーゲンは首肯し、謁見の間に向けた足をぴたりと止めた。
 「殿下。……ベルケス公にはお話しされますか」
 シュナイゼルはこめかみに手をあてて、しばし考え込んだ。
 「ハーゲン。ベルケス公は信用できると思うかい?」
 「疑っておられるのですか?」
 「ティラナ=c…七年前のクーデターで、マルカの第一発見者と救助人は事実上ベルケス公だ。公があえて仕向けたとも考えられる。デスモイド首相もその場で亡くなっていたんだよ」
 「……しかし……」
 「救援の話はご自身の主張であって、裏付けとなる証拠は存在しないよ。目撃者もいない」
 「目撃者は……」
 「ティラナがひとり。彼女はここにはいない」
 静寂がふたりの間を過った。
 「ベルケス公含む公爵二名には伏せておいて。それと――やむを得ない状況だ。……学院には休暇を延長するよう連絡を頼むよ」
 「……はい。殿下」
 ハーゲンは頭を下げ、今度こそ謁見の間へ向かった。
 
 
 ――その日の晩、王子は花嫁の部屋をたずねました。
 「姫、これからの事について話したいことが………あれっ!?」
 花嫁はベールで顔を隠していましたが、黄金の首飾りをしていなかっため婚礼に出たのが別人であったことがばれてしまいました。
 「あの女、よくも婚約の時にあったことを黙っていたね! あの女を殺しなさい!」
 花嫁はマレーン姫が金の首飾りの事を黙っていたのを恨み、家来にそう命じました。
 マレーン姫が花嫁の家来に殺されそうになったところを王子様に救われました。

 その首には、昼間の婚礼で授かった黄金の首飾りが輝いていました。
 「お久しぶりです、王子様なら気付いてくれると思いました」
 「マレーン姫、ようやく会えたね! これからはずっと僕と一緒にいてくれるかい?」
 「はい、よろこんで!」
 こうして、七年ぶりに再会した王子様とマレーン姫はめでたく結ばれました。
 ふたりは、幸せに暮らしましたとさ。

 めでたし、めでたし。

 ――「マレーン姫」 グリム童話 より――



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午前四時の異邦人
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