EpilogueU






 a.t.b.二〇〇八 22th May
 カストラリア カストラリア王宮 王の応接間


 ――ベルケス公とよく話し合い、協力してください。殿下――
 
 カストラリアに到着した二十日。用意させていた王家の保養地にふたりの証人を留まらせ、シュナイゼルは捜査官を率いて王宮に戻り限られた従者たちに情報の共有を行った。ノエルの足取りを掴めきれない状況は続いていた。まともな食事と入浴、睡眠を摂り、首相との会談を急遽翌日に設定した晩事件が起きた。それにより、ベルケス公爵との話し合いは一日にずれたのだった。
 
 侍従が「ベルケス公爵です。殿下」と開け放たれた大扉の前で告げた。
 スーツ姿のベルケス公――首相は応接間に入り一礼すると、真っ直ぐシュナイゼルの元へ歩み進んだ。
 「殿下。よくぞご無事で」
 「ベルケス公。……何から話せばいいのやら。……私から申し上げることは事後報告になります。掛けて」
 謁見の間とは異なり、王の応接間は賓客向けの広大なサロンを改装した部屋だ。高い天井と窓、シャンデリアといくつものマホガニーの家具が深みのある艶を放ち、訪問者の好奇心を掻き立てる。
 シュナイゼルの対面の椅子に腰掛けたベルケス公は思わず、ソファの上に鎮座するテディベアを見つけて笑んだ。
 「ヴォール社のものですね? 目鼻口のバランスが正三角形の正しい比率だ」
 「ふっ……お目が高い。こちらはただのテディベアではありません」
 「……殿下、これは……」
 テーブルの上に並べられた証拠品の数々に、首を傾けた。
 シュナイゼルは長い脚を組んだ。
 「ノートと、こちらは論文です。……さて、どちらのティラナの話からしようかな」
 ベルケス公は瞬時に事態が自分の計り知れないところまで来ていることと、自身がそれについて無知であることを察した。
 「……私に何も知らせてくださらなかったのですか? なぜ……、三月頃からご様子が変だと思っておりましたが」
 「猜疑心が強くて申し訳ありません。しかし、今回の件であなたへの疑いは完全に晴れました。……晴らしてくれたのは、ティラナでしたよ」
 「王女殿下が……!? どちらに?!」
 ベルケス公は勢いよく迫りかけた。
 「私のすぐ近くにいました。約二年。……詳しい事は、ノートにもこちらの音声にもあります。お聞きになりますか」
 「……はい。……その前に、……もうひとりの王女殿下については?」
 「亡くなりました」
 「――……な……ッ」
 今度は仰け反り、ベルケス公は椅子に引き戻った。
 「三月のことです。……私は学院に戻らず今後の方針について王室の者と協議し、いくつか検討しました。本来であれば、首相である貴方に報告の義務があります。内閣と議会の責任者である貴方を差し置いて、この国の君主体制は成立しえません。……ですが今や婚礼や戴冠式の予定も――すべて消し飛んだ。白紙状態です」
 「しかし……王女殿下は……」
 「無期限凍結になるでしょう」
 言い切るシュナイゼルにベルケス公の顔は凍りついた。
 「は……」
 「すべての儀式、式典、予定を凍結します」
 「なぜ……?」
 冷や汗が困惑を物語る。
 シュナイゼルはテディベアから抜き取ってある音声機器を手にした。
 「お聞きください。私が説明するよりも、信じられるでしょう。……この後、お聞かせ願いたい。……貴方の弟、すなわち、グレドール・ド・アルディック公爵についての……秘密を」
 「殿下?」
 「ご存知のはずです。……私を欺かないでください」
 そう言い、硬いスイッチを押し込んだ。
 


 a.t.b.二〇〇八 21th May
 カストラリア 聖マリアンナ病院


 ピンクホワイトに塗り直された病室の壁色は、刺々しい苦痛を和らげる効果を期待されている。
 個室に切り離された二人はそれぞれ、現実とは切り離された世界へ旅立っている。
 ベッドの上で項垂れるベアトリーチェ。虚空を見上げるセラフィナ――箇所は異なるが首や手首には生白い包帯が巻かれている。
 病室の外でシュナイゼルは若い医師の説明を受けていた。
 「……未遂でした。お聞き取りには時期尚早でしょう。……殿下」
 早朝、近隣の保養地のフォンス・レガリス――泉の別荘からふたりと滞在させていたカノンから、すぐに緊急の連絡があった。
 「……こちらにも猶予がありません、ハイエスト・クライシス――国家の非常事態でもあります」
 「医師として言えることは、患者の安全性においての最善を提示し、その生命を脅かさないための対処をとることです」
 やや語気を強めたシュナイゼルに若い医師も譲らなかった。
 「重要参考人です」
 「ええ。ですからご回復を待っていただきたい」
 「……一言だけよろしいですか」
 「い、いけません。何人たりともここを通すことは……たとえ貴方様であっても!」
 通常であれば医師の主張が正しい。そんなことは理解したうえで、喫緊の状況下、アルディックの情報を取る必要があるが――よほどのショックなのだろう。それ以上は動かせないようだ。
 シュナイゼルは自身が麻痺しているのか、元来の性質からか、苦況に立っても感傷に浸るのは一時的な停滞でしかなく、足を止める者が解せないでいた。――だが、それは場をコントロールし決定権を掌握する、持てる者特有の傲慢な価値観だと、彼に指摘する者はいなかった。
 「殿下!」
 「Dr.ブレイモア」
 廊下の奥から王室の特別医療班の責任者となったDr.ブレイモアが、シュナイゼルのもとに走って来た。
 「こちらにいらっしゃると伺いまして。……少々、ご協力いただきたい件が……こちらはどなたの?」
 「アルディック公の御息女の病室です」
 ブラウンの縁の眼鏡を押し上げて、Dr.ブラウンは若い医師を詰めた。
 「……きみ、いいか」
 「は、はい」
 「こちらの方の血液検査は?」
 「は? は……それは、すでに済んでおりますが……?」
 「一緒に来てくれ」
 「え?」
 「殿下もご足労願います」
 Dr.ブラウンの手招きで二人は歩き出した。
 「殿下、こちらの医師は当件のメンバーで?」
 「いいえ。セラフィナ嬢の主治医です」
 「……そうか。こりゃ、困ったな。若造にあたるとは。……守秘義務は本当に徹底してくれよ? いいか、君は今国家の明暗を左右する境界線の……一本のライン上に吹く風なんだ」
 「ひい、そんな!」
 若手医師はとんでもないと慄いた。
 Dr.ブラウンはその頼りなさに憤慨した。
 「その覚悟がないなら、さっさと別の医師に替わりたまえ!! ……申し訳ございません。殿下の御前で」
 指を胸に突き迫る、Dr.ブレイモアの廊下中に響き渡る怒号。遠くで子供が泣きはじめた。
 シュナイゼルは淡々ともう一人の証人について触れた。
 「Dr.ブレイモア。もうひと方、重要参考人がいます」
 見過ごせないと、若手医師が遮るように止めに入った。
 「殿下! 彼女も……いけません!」
 「……どなたです。殿下。……特別捜査権を行使なさってください。これでは埒が明きませんぞ」
 Dr.ブレイモアが苦い顔で耳打ちし、致し方ないと、若手医師を見据え権力を行使することにした。
 「……では。国事行為臨時代行・摂政より国家非常事態における特別捜査権限を用いる。以下、この時より、いかなる情報も私に閲覧、聴取の権限を有するものとする。これに異議を唱える場合、最高顧問機関である枢密院、または内閣・首相に上申すること」
 立憲君主制において、国家の安全保障と、君主の生命に関わる場合に用いられる文言に若手医師の表情はあからさまに凍りつく。動揺を隠しきれない震える声で彼はいくつかの部屋が並ぶ、廊下の突き当りに手を差し出した。
 「……別室へどうぞ。……彼女の主治医も同席させます」
 別室に入り、すぐさま呼び出されたベアトリーチェの主治医は、両手を腹の前に組み、首を竦めて一礼した。初老の白髪混じりの男だった。小さな会議室の長テーブルの前にシュナイゼルとDr.ブレイモアが着席し出迎えた。
 「お呼びですか。殿下」
 「よろしく。挨拶が手短ですまない。――ベアトリーチェ嬢のカルテを……、彼女はこちらではなんと名乗らせている?」
 「ソフィーと」
 初老の医師は短く答えた。
 「なるほど。では、ソフィー嬢のカルテと精密検査結果をDr.ブレイモアへ提出して。追加で遺伝子鑑定を行うからサンプルの提出もお願いするよ」
 「はい。殿下」
 二人の女性の主治医らを手前に、シュナイゼルは静かにDr.ブレイモアに言った。
 「後日、ベアトリーチェ嬢とミレーヌ嬢のかかりつけ医から、過去の精密検査の詳細をブリタニアより取り寄せます」
 「はい。お願い申し上げます」
 シュナイゼルは小さく頷くと、セラフィナの主治医を見上げた。
 「……次に、セラフィナ嬢のカルテを。血液検査……遺伝子鑑定結果も」
 「は、はい」
 若手医師は、緊張の面持ちを崩さず首を縦に振った。
 切り替えて、Dr.ブレイモアが本命の話題を口にした。
 「……殿下。あの方≠フお話しを致します」
 「すまないね。君たちは一旦外に出て」
 シュナイゼルの命令に、大人しく主治医ふたりは会議室の扉を潜った。
 完全な静寂を確認し、Dr.ブレイモアはシュナイゼルに体を向けた。
 「……殿下が私に送ってくださった……公……アルディック公と、ご協力いただいたベルケス公、ティラナ王女殿下、……そして……このセラフィナ嬢の結果を含めて精査します。ただ、現段階で言えることがひとつ」
 そこで一度言葉を切り、決心したように続けた。
 「……ティラナ王女殿下の影武者であった、あの方≠フ遺伝子鑑定の結果……アルディック公の近親者であることは間違いありません」
 「なに?」
 「公爵夫人とは別な方との非嫡出子でございます。……俗的な言い方を躊躇わないのであれば、隠し子」
 シュナイゼルは記憶を巡らせ、マルカの出自を思い返した。
 「彼女、マルカは……孤児と聞いています。……カストラリア南西部のローモロー孤児院にいた話です」
 「ええ。それは事実でございましょう」
 「公は南端のサロニア公爵でありますし、地理的に難しい話ではございません。……鑑定結果からいって、お相手の方は……遠縁に八代前の国王の私生児の筋で……まあ、こういった遠縁の話はカストラリアではよくある話ではあります。八代前は現アルヴェイン朝ではありませんし、現在も爵位をお持ちである可能性は少ない、一般の女性かと思われます」
 マルカの正しい年齢は不詳だが、概ねティラナと同じ頃だろう。すると――セラフィナとは異母姉妹ということになり、マルカの方が姉にあたる。
 ――セイル国王は、マルカの体をティラナに変える時、血縁者だと気づいていなかったのだろうか?
 ふと、シュナイゼルは疑問に感じた。
 抜けのないあの国王に限って、その事実に差し当たらなかったわけがない。
 ――遺伝子解析を行った時には、手段を選んでいられなかった?
 真相は深淵の彼方。
 シュナイゼルは切り替えて、微笑みを浮かべた。
 「ありがとう。詳細は私の方で調べさせるよ。鑑定結果をまとめて、後日王室宛に送って貰えるかな」
 「はい。殿下。それと……殿下が二年間接されていたという……王女殿下は……まだ発見されませんか?」
 婉曲な問いかけに、はっきりと質問を掬い上げる。
 「はい。捜索継続中です。……ドイツのミュンヘン大に留学予定でしたが、現地にはおらず。友人の学生はドイツに行くと十八日に連絡が入ったそうです。所在は掴めていません。――なにか懸念点が?」
 「ええ。非常に申し上げにくいのですが。予見として。……現段階で、今のところ、まだ血液検査という手法で本人か否かを特定することが可能でございますが……王女殿下の研究には人工血液があります。臓器培養も可能でございますし……。仮に、……仮定の話。……骨髄……つまり、体内でその人物のDNAを持つ血液が自然に生成されることでありますが……対象の骨髄の複製の精度がこれ以上高まれば……判別が不可能になるということです」
 Dr.ブレイモアの心配はティラナの研究を応用、発展させ、完全な人体改造≠ノ至らないかということだった。
 ティラナの研究は独特な手法をとることが多く、複数の紙や媒体を横断する記述癖がある。特に論文になる前の、データや草稿、特に素案には理論のアイデアの構造のヒントや図解、プロセスの痕跡がある。完成したものより重要な箇所はこの部分にあるため、単純な漏洩だけでは思考を辿ることは困難である。――同じ内容のメモを連続して次の頁にも跨って書かず、別のノートに続きを書くようなことをしている。
 それらの細切れの研究内容をさらに分割し、シュナイゼルとベルケス公が各自保管していた。
 「未公表・未発表の論文については、私とベルケス首相とで分割して管理しています。……内容は、先天性の遺伝性の疾患や白血病や骨髄腫などの病気のための研究で、クーデター直後に複数の内容のものを回収しました。どちらか片方が流出しても成立しないよう対策は講じてありますが」
 「さようで……」
 Dr.ブレイモアは顎に手をあて「私の専門は脳神経ですが、王女殿下であれば横断的に様々な病にアプローチ可能でしょう」と言った。
 「王女の残したメッセージから推察するに、かなり初期のプロトデータ・論文等を剽窃されたのではないかと思います」
 「よくご対応いただきました。それが正解でございます。……かつて、私以外に……あの方≠フ変身とそれ以前に公式に二度、携わった博士がいました。その頃に用いられたものだと考えられます。インフォームド・コンセントの欠如や、その他倫理問題で……我が国においては禁忌実験と定められました。……サロニア公は……それをお知りになり、カストラリアとブリタニアで研究を続けさせている」
 Dr.ブラウンは懸念事項について、さらに続けた。
 「このことが公になれば……生命科学の信頼すべてが失墜します……カストラリア、ひいては世界の終焉です」
 「アルディック公への訴追は別件の余罪で行わせます。ティラナは責任感の強い女性ですから、彼の犯罪に関する証拠を残しています」
 「それは幸いでございます」
 Dr.ブレイモアは安堵し、呼吸を落ち着けた。
 「どこから流出したかは存じませんが……。とにかく、その論文は大切にお持ちください。」



 a.t.b.二〇〇八 22th May
 カストラリア王宮 王の応接間


 長い沈黙は鎮静剤を打ったあとのように無音に等しく、一人掛けのソファに掛け片手で顔を覆う男。
 冷めきった紅茶の水面が、重く下がったカーテンの隙間よりこぼれる光を反射させている。
 肘掛けに腕をのせ、若く清冽な美貌を持て余す青年は、国家の栄えの極致を集約した象牙色と金、ヴァイオレットと大理石を適材適所に配置した内装。王の応接間で、やりようのない小さな吐息をついた。
 壁の四方八方にかかるの歴代国王の肖像画や気に入りの風景画達が、静かな嘆きを見下ろしている。
 「……ああ……」
 シュナイゼルは渦中にありながら、どこか他人事のように、その人の最初の嘆きを静観した。
 自己の罪と向き合い、懺悔し、罪の核心の在り方の批難と、穏やかな哀しみに暮れていく。――とくに、カストラリア人がブリタニア人と異なるのは、内省的な傾向があるということだった。総じてモラリストの多い国民性で、他人に諭されるよりも前に一度その罪に向き合う時間が存在する。
 懺悔のプロセスの中の最初期にある省察の時間≠セと、彼らの言葉の中にある。国民人口の規模に対して高度な経済水準を維持するのも個々の資質と道徳心ゆえだろう。
 しかし、そのユートピアは脆弱だ。
 私は王の良き臣下であるが、神の最初のしもべである=\―ヘンリー八世に仕えたトマス・モアの著書の架空の国のように矛盾を孕む。ひとつ紛い物が潜むだけで、たちまち機能不全に陥る。
 いまにも崩れ落ちる砂岩の脆いこの国家を、シュナイゼルは取りまとめなければならない。――モアが信奉した崇高な道徳心を養う宗教の主上が不在であるなどと、誰が信じるだろうか。
 ベルケス公が揺らいだ声で言った。
 「罪は常に我々の中にあります。間違っていたでしょうか。……常に人生とは、最善の選択を一瞬のうちに行わなければならない」
 そして、続けた。
 「セイル国王や、姉のユスティナにも、私にも、王女にも、それぞれに正しい選択をしたと思います。その時は、そうするしかなかった。変えようのないことです。……その先を考えるために今がある」
 彼は緩やかに歩みを取り戻そうと、泥の纏わりつく重い足を持ち上げるように、顔を上げた。
 「……話せそうですか?」
 「ええ。……お待たせしてしまい申し訳ない」
 「お茶を淹れなおさせましょう」
 シュナイゼルは手近なテーブルに置かれている呼び鈴を押した。
 「失礼いたします」
 たちまち従者が入室し、温め直された紅茶を注いだ。
 「……セラフィナには、悪いことをしました。せめて私が、保護してやれば、事態は変わったかもしれません」
 「定数ですよ。首相」
 「ええ」
 彼の震える手が、カップの中の紅茶を揺らした。
 「製薬会社、ネクシウム・バイオ製薬、ACML医療財団。……生前のノエル・アストリアスがブリタニアで金蔓として別荘でパーティーを主催し、この二つの犯罪の温床の苗床を育てさせ、ブリタニア、カストラリア双方の各地に人体実験施設を作らせていたようです」
 「……く……言葉もありません」
 シュナイゼルは、テディベアを膝の上に置き毛並みを撫でた。
 「ティラナがネクシウム・バイオの研究所に潜入し、カストラリア製造のS.T.A.G.E. - 3 培養基質を証拠として持ち出しています。ペンライトには解剖室の被検体の遺体の画像も確認できました。一箇所ではなく複数箇所ありますので虱潰しになりますが、場所は遺体のタグから各地域の頭文字ではないかと……」
 「王女がそう判断したのなら間違いないだろう。……ご自身で最初の場所にも調査されている」
 最初の場所――クーデターから数ヶ月後、アルディックから連れ出された先。
 「ヴァラグラードのフクロウの館≠ナすね」
 「……王族の傍流の面汚しだ。アレクサンドラの名を穢した。その名は王家にとっては非常に大切な名前です。……カンバー伯爵の聴取はいかがされますか?」
 「入念にカンバー伯の身辺調査を行ったうえで事情聴取する予定ですが、どこまでサロニア公の息がかかっているか……慎重に見極めなければなりません」
 ベルケス公は難しい顔で小さく頷いた。
 「ええ。殿下。……金融庁と各銀行には公表を待たせていますが……如何しますか」
 「首相の考えをお聞かせください」
 君主――およびその代理人である摂政は、自身の主義主張を公事に表明してはならない。
 一歩引いたシュナイゼルに首相は「ああ」と声を漏らし居直った。
 「……はい。このままでは混乱が生じることは間違いありませんが、殿下が先んじて用意されていた、王女殿下のサインで九死に一生を得られそうです」
 「今のところは。……段取りが重要です。閣下」
 「はい。……王女……次期君主不在。空位状態がいつ露見に至るか……我々にとって一番の急所です。……件の金融犯罪を公にし、その直後に形式的ですが会議を開きます。その中で、王女の私財投入による補填や吸収、信用回復の案を臨時で発表するといった方が適切でしょう。すると発表と会議、意思決定後の発表の間に対応の遅延が生じ、批判や一時的な市場相場の暴落等々が予測できますが……長期的にみて必ず回復します」
 「うん」
 「……議会にはすでに根回しは済んでおります。スケジュールについても」
 「助かるよ」
 問題は潰していくだけだ。過去複数の大臣経験のあるベルケス公は頼りになった。身内贔屓の後ろ指をさされる時期に差し掛かったが、根回しが整っているのは彼の実力だ。今後も安定多数を維持するだろう。
 「次の選挙も保守党が優勢かな。おっと……肩入れはまずいかな?」 
 「いえ……それくらいは。ブリタニアの方は殿下が?」
 「こちらについては問題ない。国庫の開放もお認めになるだろう。陛下なら」
 ベルケス公はカップを一気に呷った。
 「サロニア公を如何されますか」
 「……先々代国王亡きあとの内紛について私はよく存じません。処遇はその当時のものと同様か、現行の法律に従い軽微に収めるのが妥当でしょう」
 「……爵位剥奪、領地・財産の没収。死刑は免れません。……セラフィナには……一部財産を相続させてもよい措置がとれますが、国外追放が妥当でしょう。問題は……」
 「受け入れ先だね」
 「はい。……修道院入りで落ち着かせたいところですが。自殺未遂を犯している。これが、痛み分けのつもりだというのか。……クソッ」
 姪のサインに取り合わず悲劇を招いた責任を感じている様子で、ベルケス公は肘掛けに体重をかけ、今後を憂いた。
 王家の事情に詳しいのはいまやベルケス公しか存在し得ない。
 「彼がなぜクーデターを起こしたのか、知っている?」
 「……サロニア公は……とんでもない男です。……あの男が養子になった経緯はご存知で?」
 「いいや。ティラナも知らないようだった。彼女が知らないことは私も知らないよ」
 「それは、よかった。……いいや、口に出来るわけがない。……王女が知れば……必ず仇討つ」
 「……それで?」
 シュナイゼルは続きを促した。
 ベルケス公は口を開いたが最初の音を出す前に、躊躇し、他に誰もいない王の応接間を見渡した。
 椅子ごと前へシュナイゼルとの距離を詰めて、声を潜めて告げた。
 「あの男は、実の姉を愛した」
 カーテンの隙間からのスポットライトが、ベルケス公の碧い瞳を光らせた。
 「子供の頃の話です。私が十七で、姉のユスティナは十八。弟は十二の頃。……ユスティナのベッドに潜り込んで一線を越えかけた。それが発端で養子に出すことになったんです。……ユスティナは祖父母のいるスイスへ行かせました」
 「引き離した。姉弟を」
 「はい。……問題は……姉が、亡命中のセイル王子と恋に落ちた。ポニャトフスキ家は王子の生活の一切をみていた。……当時は、国内の内紛は続いており、誰が玉座に座るか不明の時期です。王子は将来自分に、王冠が回ってくることなど夢にも思わなかったのでしょう。一般人として暮らし、仕事にも就いていた」
 ポニャトフスキ家はポーランド王家最後の国王の一族で、スタニスワフ二世アウグストは立憲君主制を創始したが、第三次ポーランド分割により共和国消滅で亡命した。十八世紀後半。多くの国家で君主制が終焉を迎え、安全国に亡命した。現在でも、ティラナの母方の親族たちはスイスに多く暮らしている。
 「セイル王子を除き、⼗七⼈の兄弟とその家族が骨肉の争いを繰り広げた。……埃の被った悪しき専制君主制だと、ユスティナは言っていた。――姉はスイスに残りたがった。しかし……ポニャトフスキ家はチャンスを得たと思ったようだ。セイル王子に説教した。国に戻らなければ、我々のように国を八つ裂きにされると。先祖が果たせなかった夢を語り、立憲君主制を敷くように奨めた。そうしなければ結婚を認めないし、それ以上の支援や面倒を打ち切るとさえいって脅した」
 シュナイゼルは、ああ……と理解に至る。
 セイル王が病的、ノイローゼ気味であったのはこれが背景にあったからだと。彼は自分自身を、足手まといのアンカーだと自虐した。この体制に固執するのも、ティラナへの執着心さえも。重責が神経症を加速させていき、禁忌破りに至った。 
 「セイル王子は私を頼った。唯一カストラリアに残り、情勢に一番詳しかった。そして、問題の彼のことにも。……セイル王子は立憲君主制を一時的な移行期間とみなし、将来にはなくしたいとさえ考えていた。……戴冠を決意し、神と契約を結び、今ある状態にまで改革を推し進めた。時期が来るまで国内の貴族を掌握し、徐々に貴族の責務を増やしていった。それがかえって敵を増やし、サロニア公を手助けした可能性は大いにありえます。……セイル王は理想王であった」
 シュナイゼルは、セイル王が自虐するほどの愚王ではないと思っていた。
 すくなくとも、自身の打ち出した方向性に従い改革し、国を中立に保っていた。
 「王は……家族を歪ませ滅ぼしたのは、国家体制だと思ったのでしょう。……サロニア公は、表立って国王夫妻に楯突くことはしませんでしたが、あの男の主観では国王は姉を寝盗った男です。王女はそのふたりのひとり娘。あなたは、その婚約者であらせられる。……身勝手な理由。逆恨みで貴方がたに、憂さを晴らしている……ということになるでしょうか、動機は」
 アルディックは、一種偏執的で、嗜好性のある復讐手法をとっている。
 ティラナの論文を盗み出し、彼女の肉体を変え、もっとも傷つく方法で被害を拡大させている。カストラリアの崩壊さえも厭わずに。シュナイゼルの失脚も計画に内包されている。
 「断絶させたいんでしょう。王家の血を」
 「ええ……」  
 「そして国を破壊する」
 「はい」
 シュナイゼルは穏やかに微笑んだ。
 「一度スイスに行って頼んでみます。セラフィナ嬢の身を受けてくださる修道院を」
 「殿下がわざわざなさることでは」
 「いいえ。ついででしてね。……こう言っては失礼かな。……無期限凍結する件もお伝えしなければいけません。……サロニア公はポニャトフスキ家とは仲がいいですか?」
 「いえ……今は亡き父が養子に出した際、近寄らないことを条件として呑ませていますので……ポニャトフスキ家も何かあれば知らせを寄越すでしょう」
 ポニャトフスキ家はシュナイゼルを歓迎するだろうか。
 プロイセン貴族との縁戚関係も多少あるが、ルーヴェンフェルス家はプロイセンの中でも軍部系で戦争を牽引した歴史を持つ。
 「旧敵の血を引く私が、ご挨拶に伺う日が来ようとはね」
 「やはり、私が参りましょう」
 「いいえ。問題ありません。ご理解を賜るという点で、私の方がいい。ティラナ捜索の邪魔を減らしておきたいですから」
 公発表後親戚中から小煩い連絡が相次ぐだろう。
 婚姻に価値を見出す者にとっては大きな裏切りだ。無期限凍結≠ニいう言葉がもたらす王位簒奪≠フ誤解を事前に解いておくことで口出しを減らす名目がある。
 「……なるほど。さすがです。殿下。公の発表はいつになさるのですか」
 「夏季休会期間中がいいかい?」
 「我々の夏季休暇はお気になさらず。国家の緊急事態中ですぞ」
 暫し頭を働かせて、八月頃にしようとシュナイゼルは決断した。
 「数日ほど臨時召集日程が必要になりそうだ。枢密院と議会承認をもって、私が一時的に全権を掌握する。要請と周知を頼むよ」
 「はい。殿下」
 「事実上、王冠なき戴冠だ」
 肩を竦めると、ベルケス公は朗らかに笑い「摂政王の誕生ですな」と言った。

 
 a.t.b.二〇〇八 5th August
 カストラリア王宮


 暗殺未遂で臥せたティラナ王女へ捧ぐ祈りが、カストラリア全土の各教会で行われたその日。
 さらに人々の哀しみを焚きつける事件が起きる。
 深夜二時の事であった。
 慌ただしく、寝室の扉を叩いたのは侍従長ハーゲンだった。
 「殿下!」
 「何事かな」
 移動を促されたシュナイゼルはガウン姿で、リビングルームに急いだ。
 王家の私的な居間で、シェードランプの薄明かりに照らされたテレビのモニターには、朱に染まる島が映し出されている。
 「セラペント刑務所で火災だと一報を受けました」
 「セラペントは……フランドロ・ローディックが収監されているね?」
 「はい。殿下。……現場の詳細状況は掴めませんが……島全土が燃え盛っている様子から鑑みるに……」
 木々を焦がし、燃え広がり、揺らめく炎の中で逃げ惑う人影が過ぎり、船で現場急行するテレビ局の映像は、中継画面は急遽差し替え放送に切り替わった。
 「捜査妨害だね?」
 「……おそらくは」
 湖面を進む優雅な遊覧船の映像を、シュナイゼルの紫苑の双眸が見つめた。
 「これは……宣戦布告を受け取ったとみてもいいのかな」



 a.t.b.二〇〇八 4th August
 ブリテン諸島 コーンウォール半島 セント・アイヴス

 
 コーンウォール半島の突端近くの北海岸の小さな港町。
 この場所は、五世紀にコーンウォールにキリスト教を布教したアイルランドの姫、聖イアが上陸した地とされている。

 五月。ブリタニアから大西洋をコンテナに紛れおめおめ逃げ果せた『わたし』は、ブリテン諸島南部の田舎の漁港で働いていた。当初はドイツ脱出を目論見んでいたが、空港と州間高速道路のセキュリティチェックを強化の号令がすぐに発出されたのか、検問所前では渋滞が起きていた。
 バイクで下道におりて、いくつかの安宿で休み休み東進し、厳戒態勢が解除されるまでブリタニア国内をゆっくりと、十五日かけて東海岸の港まで向かった。港町ではその後の交渉のためにバイクを売り、コンテナ船の積荷――貨物に紛れ込んでブリタニア脱出を図ったのだった。
 ブリテン諸島にきて、ほぼ一文無しになった『わたし』は、寄港したセント・アイヴスで次の逃亡資金が貯まるまで働くことになった。
 ノエル・アストリアスの口座は足がつくため使えなくなり、晴れてお金もち生活とはおさらばだ。
 セント・アイヴスの生活は――深夜二時に起床し、早朝から漁業仕事に徹し、昼間はのんびり過ごす生活でかつてないほどの退屈と何にも縛られない自由が待ち受けていた。
 漁業の仕事が終わり、昼寝を挟んだ後、夕方から島に住む子供に勉強を教えるバイトの時間となり、それが終わったら再び深夜まで眠りにつく。
 不規則な生活が馴染んできた頃、『わたし』は資金稼ぎのために、また次の隠遁場所の計画に練っていた。
 このまま東へ進むか、ユーロピア共和国連合に入ってしまおうか。
 波止場で釣り道具の準備をしていると、この辺りを縄張りにしている野良猫に混じって民家で飼われている首輪つきの猫が餌を強請りにやってきた。
 餌用にとってあった今朝の分前を千切り、それを齧らせると低い声でじゃれつくように鳴いた。
 「お家で餌貰ってきただろ〜?」
 時刻は正午過ぎ。太陽は影も消えるほど真上にある。昼時だ。
 ヒラメ、カレイ、サバ、ポラック――海が近いと飢え死にすることはない。最初は荒々しい力仕事。地元民のよそ者への冷たい態度。魚の生臭さに辟易としたが慣れれば大したことはなかった。
 コルチェスターのテロ事件の直後、シュナイゼルは学院を休学したと国際報道で知った。
 直後ブリタニアとカストラリアでマネーロンダリング事件が起きていたことが発表され、世界中を震撼させた。シュナイゼルは辣腕を振るい、事態の収束に多額の拠出金を約束し沈静化に努めた。『わたし』はローディック関連で捜査を依頼された件が、このマネーロンダリング事件に絡んでいたのだと気付いた。
 「……あの人、本当に人使い荒いよなぁ……」
 釣り針に餌を取り付けながら呟く。
 軽やかな足音が背中に迫った。飼い猫を探しに来たのだろう。
 振り返ると、餌を貰って上機嫌のふてぶてしいバロンの飼い主の少女――アイラがそこに立っていた。
 「アイラ。飼い猫のバロンがこっち来てたよ」
 「またトムのところで食べさせて貰ったのね! 彼ひもじいんだからとっちゃダメって言ってるでしょ!」
 犬の躾のようにめっと人差し指を立てて、アイラは猫に言い聞かせた。
 「そんなにひもじくないよ。バロンは猫だから叱っても無駄さ」
 『わたし』はブリテン諸島に来てからトム・ヒューストンと名乗っていた。
 平たく見通しのいい島と空が平行線に並んでいる、港町としては特徴のない景観であるが、白いカモメが泳ぐコバルトブルーの空と、穏やかなエメラルドグリーンの波と燦々と降る光があれば他に必要なものがあるだろうか。
 のんびりと時間が過ぎていく。波止場の護岸の上に仰向けに寝そべった。餌の垂らした釣り竿に引っかかるのを待ち、潮風に吹かれて。
 枕元に置いたラジオからは、優雅なクラシック曲が流れている。
 アイラは仰向けになるトムの体をつついた。
 「ねえ。トム! 遊んでよ〜」
 「ん〜。のんびりさせてよ」
 「いつものんびりしてる!」
 否定はしない。
 なんのしがらみにも囚われない気持ちの良さは、食後の満腹感よりも優れている。
 「も〜、あとで遊んでね!」
 「うん。お茶の時間においで〜」
 麦わら帽子を深く被り、日差しを遮る。
 アイラはバロンを抱え、また軽い足取りで波止場を去っていく。
 少し離れたところで、アイラは人と会いお喋りをはじめた。
 「やあ。こんにちは。お嬢さん。お名前は」
 「……だあれ?」
 「あそこにいる彼の友人なんだ」
 「トムのおともだち?」
 「そう」
 「お昼寝の時間なのよ。りょうしは朝がとーっても早いの!」
 「そう。邪魔しちゃ悪いかな」
 「あなた暇? アイラ退屈なの」
 「いっしょに遊ぼうか……面白いものを見せてあげよう」
 「うん!」
 『わたし』は麦わら帽子の向こうで、バロンが激しく鋭い鳴き声をあげるのを聞いた。
 バロンの周囲は、じわじわと血潮にまみれて、コンクリートの上にくったりと水を吸った袋のように塊と化していた。
 アイラの悲鳴が耳を劈く。飛び起きた『わたし』は上着の中に隠し入れていた拳銃を握り、ゲートが開いた馬のように疾走した。
 白昼の下、男――グレドール・ド・アルディックはアイラを抱きかかえようと腕を伸ばした。
 「アイラ! 逃げろ!」
 『わたし』は拳銃を構え、発砲した。それは、アルディックの頬を掠めた。
 恐怖と衝撃に囚われ、アイラはびくびくと震えたまま硬直していた。もう一度『わたし』は「走れ! 走れ!」と激しく怒鳴った。
 「あ……」
 空気を掠める銃声とともに衝撃を二発食らった。
 腹が熱い。鉄板を押し付けられているように灼熱だ。


 二月の雪の音、風の音、冷たさが頬を撫でた。
 二〇〇〇年の冬。

 あの子は黄昏の光に染まる豊穣の実、美しい一角獣のごとく滑らかな毛並み。高原の気高きメコノプシス=ホリドゥラ。
 わたしは退屈なブルネット、虫の死骸入り樹脂の色。

 あの子はサラブレッドで草原を泳ぐ。わたしは驢馬で石を掻き分ける。
 あの子は銀のスプーンで地上を掬う。わたしは木のスプーンで汁物をかき混ぜる。
 
 タラップ上に登場した少年は、瑞々しいブロンドを風に靡かせホリドゥラを思わせる宝石の瞳が細められ、視線は滑るように眼下へ。急勾配の崖と、切り立った山肌の抱かれるこの国の風景を静かに見渡した。
 雲間からこぼれる陽光が祝福するように天使の輪を贈った。白地に金の刺繍、象徴色のウィスタリアを交えた正装姿は絵本や詩集の挿画に登場する王子様のよう。軽やかにタラップを降りるたび軍靴の踵が響き、その音は山間の冷たい空気に吸い込まれていく。
 生き別れの兄弟の国。数百年ぶりに縁を持ち、再会の花束の代わりに美しい使者は王女の手にキスをした。
 第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアは端正な容貌に似つかわしく美しい賛辞を述べた。

 ――Your Highness, I was told your realm overflows with treasures untold yet none whispered that the rarest jewel of all would grace me with her presence this day.
 (王女殿下、あなたの国は数知れぬ宝に満ちていると伺っておりました。ですが──その中で最も稀なる宝石が、本日こうして私の前にお姿を現されるとは、誰からも聞かされておりませんでした)

 宮廷詩の一節のような、歯の浮く言い回しは彼のように美男子でしか様にならないだろう。
 
 ――Your Highness, such a treasure might lose its luster beneath the sun…… yet, if it is your gaze that casts the light, even a shard of glass may be turned into a jewel.
 (殿下、その宝は陽の下に出れば輝きを失うやも知れません。ですが、殿下の眼差しが光を与えるのなら……たとえ硝子の欠片であっても、宝石に変わることでしょう)

 シュナイゼルは口角を上げ約束された微笑で応えた。
 

 アイラの甲高い悲鳴が『わたし』の鼓膜を破ろうとした。
 「……アイラ、逃げて……」
 『わたし』はその場で蹲り、少女を見た。アイラはパニックに泣き叫び、家の方に走り出した。
 あの苦い思い出ともいえる返歌が、走馬灯になるとは――。
 『わたし』の意識は、真上の白い光を向き、真夜中の流れ星のように消えていった。
 
 黒い影は日に焼けた青年の上に被さった。
 護岸の上から転がり落ちたラジオから、一人の青年の声が響く。

 [――この事件は、同盟を弱体化させるどころか、共通の敵に対する両国の結束を、以前にも増して強固にするでしょう。和平と安定への道は、誰にも閉ざさせません]

 男は横たわる青年の脇に屈み込んで、その腕をとり、潮の香りが染み付いた手の甲にキスをした。

 [私たちが今すべきは、責任を問うことではなく、この卑劣な挑戦に対し、統一した力で応えることです。必ず犯人を見つけだし、法の下に裁きを下します]
 
 赤黒い染みの上に倒れる青年の患部に止血剤シートを貼り付け、流血を防いだ。
 男は立ち上がり、足でラジオをボールのように護岸に蹴りつける。
 荒いノイズがニュースを覆い隠し、音はフェードアウトしていった。しゃがみ込んで男は青年を軽々と抱き上げた。
 「残念。タイムオーバーだ。王女様は貰い受けるよ」
 上着の中で携帯が震え、男は出る。手筈は整った。
 「ああ。やってくれ」

 波止場の上。
 食らいついた竿は誰の手に引き上げられることもなく、引力と重力に従って海中に沈み込んでいった。



 メコノプシス=ホリドゥラ 一部・完



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午前四時の異邦人
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