a.t.b.二〇〇九 1st June
ブリタニア ペンドラゴン皇宮
ペンドラゴン皇宮の巨大なホール。懐古と郷愁からロマネスク様式を倣って作らせた壮大なエントランス。開放された大扉は、そこから皇陵へ繋がる道には、道を舗装するのに使われる石のように、隙間なくぴっちりと儀仗兵という儀仗兵で埋め尽くされている。
九八代皇帝の寵妃――第五皇妃の薨去をうけて、皇族内、上流階級とそれ以下の身分では取り扱われ方の熱が異なった。あの悍ましい血の紋章事件の功績をもって召し上げられた庶民出身の騎士候からナイトオブラウンズ――そして皇帝の妃。マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアを英雄視する者と、平民出身を嫌う血統重視で妃となった者と、その後ろ盾の貴族の冷淡な反応は弱肉強食のブリタニア帝国を体現している。
喪主はマリアンヌの長子のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが務めることとなった。八歳の少年だ。母親を染め写した黒のブルネットに紫水晶の瞳。皇帝の十一番目の男子。皇位継承順位第十七位。よほどの天変地異が起きなければ一位になることはないだろう。シュナイゼルが皇位継承順位を返上し、世紀の大婚礼を実現させれば自動的に順位が繰り上がるが――幼く功績が少ないゆえ順位入れ替えは殆どない。
トランペットの甲高い音が反響し、儀式の幕開けを知らせる。
大ホールの二階フロアからアリエス宮に仕えていた儀仗兵達が儀礼的な動きとともに棺のある部屋へ向かう。
大階段下でルルーシュは漆黒の喪服に身を包み、唇を噛み締め棺が下りるのを待った。妹のナナリーの姿はなく、彼ひとりきりだった。
葬儀の参列者は少ない。エントランスを見渡すだけでも数十人いればいいところで、殆どが妃の親族だった。それも庶民出身とあり、ホール内の一区画に纏められて身じろぎ一つも許されぬ緊張感がある。皇妃はいても、テロ直後で子供を参列させるのを躊躇う者ばかりだった。――そのなかで葬儀の段取りと大方の始末を任された第二皇子の母であるアーデリントは静かに溜息を吐いた。
背後では別な皇妃が噂していた。
「陛下はお見えになっていないのね。あれほど寵を授けていたのに」
「お可哀想に。ルルーシュ殿下も。ナナリー殿下のこともお気の毒」
「情け深さは足許を掬われますわ。……陛下はお優しい方。大事に為さりたくないのよ」
皇妃の中では新しい者たちだった。召し上げられた妃の中でも、新しいか、彼女のように階級がそう高くない者は密かにマリアンヌ皇妃を信奉する者が僅かながら存在し、葬儀に出席していた。
「あら。あなたもいらしていたの」
黒いドレスを纏う貴婦人に声をかけたのは、また貴婦人だった。マゼンダの鮮やかな髪色を持つ彼女は、アーデリントの天敵である。
露骨な拒絶も出来ず、アーデリントは第二皇女と第三皇女の母であるその貴婦人に投げやりな返事をする。
「招集がかかったのですよ」
「ご実家でごゆっくりなさっていればよろしいのに」
マゼンダの貴婦人は黒の扇を煽り、くすくすと笑いながら棘のある物言いをした。
「そういうわけにも参りません。葬儀を取り仕切っているのがあの方なら、顔を出してやらなければ。親の務めでしょう?」
「こういう時ばかり親の顔をして――なんてふてぶてしい方」
「あら。私がウィルゴにいられなくなったのは、あの方が嫌いだからではありませんわ」
あの方とは当然、シュナイゼルのことである。
生まれた瞬間から母親よりも位の高い子供だったが、今はさらに上をいく。不運なことに、一時帰国した先で異母弟の葬儀の裏方仕事を手際よくこなしていると知っては、労うのが母親の務めだろう。
「アテが外れたのではございませんこと?」
「アテですって?」
アーデリントは、隣に立つマゼンダの貴婦人を睨んだ。
扇の向こう。黒いベール越しに、瞳が淡く光った。
「とんだ貧乏くじを引かされたと――噂ですけれど」
きわめて厳しい皮肉の言葉だ。さすがにそれにはアーデリントも閉口を強いられた。
完璧な第二皇子の唯一の欠点があるとすれば、将来に立ち込める暗雲だった。――九年前には誰もさほどの期待もしなかったそれを、今は世界が切望している。ブリタニアの強硬姿勢を中和するには、カストラリアとの王室婚姻は重要な裏交渉として機能するからだった。しかし現実はそう簡単に上手くいかないものだ。
再びベッドの王国に隠れてしまった王女と、すべての儀礼・式典を無期限凍結≠ニ発表してしまった以上は、それらは望み薄であった。――これに関して、アーデリントは多くのメディアの餌食になった。ロングアイランドのルーヴェンフェルス家にも未だに毎日、門前で新聞屋とテレビ屋の手先が待ち構えている。
「国父の母親には、今一歩というところね」
内心歯ぎしりしたい気分だったが、アーデリントは毅然とした態度を貫いた。このマゼンダの貴婦人が余裕綽々であるのは、彼女の祖先がブリタニアの女帝クレア・リ・ブリタニアであるからだ。対してアーデリントのルーヴェンフェルス家は王家に仕える軍事系貴族である。それはブリタニアであっても、ドイツであっても同じことである。多くの妃は皇帝の子を孕めば満足してしまうような腑抜けである。あるいは、自身の遺伝子の脆弱さを思い知る者が多いだろう。いかに家柄だけで生きているか、皇子皇女がみな一様に優秀である保証はなく、秀でる者あれば凡庸な者もいる。
その時、ホールがさざめいた。
用事を終え、喪服――モーニングドレス姿のシュナイゼルがホールに入ったからだった。
「すみません。続けてください」
柔らかな笑みとともに、緊張で硬直するルルーシュの隣に立ち、少年の細い肩に手を置いた。なにかを囁いた。ルルーシュは異母兄を見上げて安心したように表情を緩めた。その様子を遠目でみてマゼンダの貴婦人は「冠婚葬祭の手練れでございますわね。ご自身の婚礼を除いて」とまた皮肉を繰り出した。
「ふん……ほんとうに意地の悪い方」
「褒めておりますとも。シャルル陛下のお子の中で随一よ。……今からでも婚姻の破棄を考えてはおられないの? 殿下はご立派よ。……王女殿下もお相手には申し分ないけれど、たとえご快復なさっても、石女。我が国の種を腐らせる不毛の土壌であったらどうなさるつもり?」
「なんてことを仰るの、あなた」
アーデリントは目を見開いた。さすがに聞き捨てならない言葉であった。
「助言ですわ」
あちら側に姉弟のひとりでもいればと何度思ったことか。
心中で嘆息することあっても、包み隠し、表してはならない禁句だ。
「あなたの先祖がきいたら呆れてしまうでしょうね。皇配殿下の尽力あって、名門貴族の名があるというのに」
「ふふ。耳が痛いわ。……やっと皇族に成り上がって、孫を国王に出来るかもしれなかったあなたへの思い遣りのつもりよ」
「あら残念。あの方は存外殊勝なお方よ。必ずやアレクサンドラ王妃の遺した純白のドレスで女王を飾り立てるでしょう」
アレクサンドラ王妃は結婚式に白のウエディングドレス、葬儀で黒のドレスを纏った。世界中の礼装文化と服飾史に白と黒の世界を定着させたトレンドセッターである。
シュナイゼルは多くを身内の母親にさえ語らない。だが――彼はカストラリアを優遇しながらブリタニアの国益を損ねないように立ち回っている。
アーデリントはそれ以上、意に介するのは不本意だと前を見据えた。
「あなた……なんだか、変わられたわ」
「そうかしら」
「そうよ」
第五皇妃の棺が儀仗兵に支えられ一階へ下り、真っ青な空の下へ進む。
儀仗兵は敬礼。参列者は一斉に黙礼し、出棺と棺を追う少年の背中を見送った。
a.t.b.二〇〇〇 2days November
カストラリア 首都リダニウム
晴れやかな十一月の小春日和、第三十七代アルヴェイン朝国王夫妻の国葬が営まれた。
一年でもっとも晴れるこの季節。周囲を取り囲む峰々は霧や雲が少なく、数千メートル級の山々をすぐそこに望む。
数キロに及ぶ白樺の並木道の補修は、数日前に終わったばかりであった。滑らかに表面は磨かれ僅かな起伏さえも許さない主要道路の復興は、クーデターの混乱の最中、破壊された建築物、薙ぎ倒された銅像、砕かれた石畳の路、瓦礫などをかえって浮き彫りにした。
上空を飛行する小型航空機が旋回し、眼下の人々を映し出す。王宮から大通り。そして大聖堂までの道のりを軍・警察が護衛するように人の壁をつくり、その後ろに市民を含める観衆が詰めかけている。みな同じように喪服を着用し集団が密集すると、夜の水辺のようにぽっかりと穴が空いているようにみえる。
――こちら公共放送CAC局です。午前十時よりカストラリア王国、国王陛下および王后陛下崩御に伴う国家儀礼葬の様子をリダニウムより中継いたします――
生中継の映像にはCAC局のアナウンサーの実況音声がのる。その声は落ち着きを払い、映像を観る者の心に語りかける詩人の響きが伴っていた。
大通りをゆっくりと進む霊柩を囲む葬列と、沿道を埋め尽くす黒衣の群衆。静寂の中で先導する深紫の軍楽隊による葬送行進曲が流れる。
山巓の不動の白と地上の波打つ黒、青い空と光が包み込んでいる。
――今、国王陛下、そして王后陛下を乗せた列が、静かに王宮の正門を後にしました。
あの日、我が国を襲った未曾有の悲劇から、もうすぐ一月。今日、私たちは王国の父母であったお二人に、最後のお別れを告げる時を迎えました――
正門から側近や兵士で八方を守り固めた、騎馬兵の引く霊柩がすでに並ぶ葬列の空白に加わった。兵士の力強い号令とともに、きっちりと足並みの揃った行進が始まる。
――陸海空軍の軍事儀仗列――約三〇〇〇人が葬列をなし国王夫妻をリダニウム大聖堂まで弔意を示しながらゆっくりと行進します――
陸海空軍の順で兵士達が、銃剣を逆さまにした逆銃で規則正しい足取りで行進する。その長い列の次には正装した、聖職者や軍の将校が徒歩、あるいは騎馬で進む。
砲車台に乗せられた棺は陸軍の騎馬兵に引かれ、棺の横を国王の最側近達が守護し大通りを進んだ。棺はホリドゥラ・ブルーの国旗に包まれ、国王の象徴である王冠と王錫、宝珠が花に包まれるように置かれている。
列の中心部にあたる霊柩のすぐ後ろには、誂えたばかりの喪の正装と厚い布地で仕立てられた黒のマントを垂らし、鹿毛に跨るシュナイゼルの姿があった。
――霊柩の後継を務められますのは、シュナイゼル・エル・ブリタニア国事行為臨時代行・摂政殿下です。
国王亡き後、動揺する我が国の舵を取り、この困難な国難において半月で国家安定のために尽力してこられた殿下。その眼差しには、亡き陛下への誓いと、我が国の未来を守り抜くという不撓不屈の決意が宿っているかのようです――
沿道で泣き崩れる市民。祈りを捧げる人々の姿。霊柩が通ると脱帽、あるいは深く頭を下げ、配られたホリドゥラを掲げた。
葬列に送別の花束を投げ入れるのは禁じられていた。
――沿道には、夜明け前から多くの方々が詰めかけました。皆、手にしているのはお二人が愛したホリドゥラです。
混迷を極めたクーデターの夜、私たちはあまりにも多くのものを失いました。しかし、今日、この葬列を見守る人々の静かな祈りの中に、私たちは再び立ち上がるための国の絆≠見出しています――
喪主の代理人であるシュナイゼルの後ろには一台の豪奢な馬車が続く。本来、そこは国王一家の親族の場所となっている。馬車は無人で王女が座るべき椅子には空だ。テレビカメラはその空席をはっきりと映し出した。
――そして……。今この時、国民の誰もが心に抱いているのは、未だ公の場に姿を見せられぬ、私たちの希望、王女殿下への想いでしょう。――政府の発表によれば、殿下は現在、事件の傷を癒やすべく静養を続けておられるとのことです。この葬列を、殿下もどこかでご覧になっているのでしょうか。陛下が守り抜こうとしたこの大地を、再び殿下の笑顔が照らすその日を、私たちは信じて待たずにはいられません――
馬車の後ろに、スイスからの親族、ベルケス公とアルディック公を含めた政府閣僚が歩く。寂しい国葬だと誰もが囁いた。厳戒態勢を敷いた状態であるため、国外の要人はほとんど参列できなかった。
――……まもなく、列はリダニウム大聖堂前へと差し掛かります――
鐘の音が重く響く。一斉に白鳩が飛び立ち――画面は大聖堂内の様子に切り替わる。数千のキャンドルに灯る炎が揺れる中、国王夫妻の棺がゆっくりと運ばれていく。
――葬列は今、カストラリア北の聖地、リダニウム大聖堂へと到達いたしました。一五〇〇年の歴史を見守り続けてきたこの国内最大級の大聖堂の静寂が、今、深い悲しみとともに陛下と王妃殿下を迎え入れます。これより、お二人の御霊を大聖堂内の王室礼拝堂へと納める、埋葬の儀が執り行われます――
祭壇の前に立つシュナイゼル摂政と、その傍らで沈痛な面持ちで控えるベルケス公爵の姿が映る。
その背後に紋章の刺繍入りのペナントのかかった棺が並べられる。カメラは国王の棺上の宝冠の輝きを吟味するように映した。
赤のカサックに白いレースのサープリスが揺れる。クワイアボーイズによる、厳かな聖歌を背景に儀式が始まる。
――黄金の祭壇の前には、シュナイゼル摂政殿下。そして、この国難において行政の重責を担うベルケス公爵臨時内閣首相をはじめ、各界の代表が参列しています。ベルケス首相率いる臨時内閣は、あの日崩壊しかけた我が国の法と秩序を、文字通り不眠不休の努力で繋ぎ止めてまいりました。今、彼らが捧げる祈りは、亡き主君への忠誠であると同時に、新時代への誓いでもあります――
リダニウム大聖堂には全国から貴族が集った。首相の弔辞を終え、二分間の黙祷で、それぞれが哀悼の意を捧げる。やがて、軍楽隊の軍葬ラッパとパイプオルガンの重厚な伴奏とともに国歌を斉唱し終えた後、ヴィタリス大主教が聖書の一節を引用し、深く、重く、唱えた。
――『一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん。もし死なば、多くの実を結ぶべし』
ヨハネによる福音書 第十二章二十四節。
麦の粒は、粒のままであれば生涯一粒であるが、地に落ちて腐って無くなるわけではない。粒や種が、その殻が剥けて新しい芽が出ることは、新たな生命の誕生であると説いた。
――愛する国民よ。両陛下はこの大地に蒔かれた尊き種となられました。その死は決して終わりではなく、我が国の平和と、我が国の平和と、摂政殿下が進められる新たな歩みの中で、数多の豊かな実を結ぶことでしょう――
ヴィタリス大主教は、国王の棺の前に立つシュナイゼルを見据え、棺に最も近い空白の席を悲しげに見遣りながら続けた。
――『汝ら、心に騒ぐなかれ。神を信じ、また我を信じよ』
ヨハネによる福音書 第十四章一節。
大聖堂内には誰かの啜り泣く声が反響するほど静かだった。
大主教は演台の上から会衆全員に向けて語りかけた。
――『……陛下。あなたの愛したこの国、そして愛娘たる王女殿下の御行く末は、今、ここに集いし忠義なる臣民と、神に選ばれし摂政殿下がしかと引き継がれました。どうか、憂いなく天の御蔵へとお進みください』
大主教の弔いが終わる。司祭が宝冠と宝珠を祭壇の上に移し替えた。最後に侍従長ハーゲンが、国王の象徴である王笏の代用品として木製のメイスを手折って、カテルファルクの棺の上に載せた。
この瞬間より、国王の身体はただの個人のものとなり、すべての契約を完了し、その権威を神に返上する。
アルヴェイン朝三十七代国王セイル・ヴァル・カストリアの二十七年の治世が幕を閉じた。
二つの棺を火災を生き残った王宮の職員――および側近と従者が一糸乱れぬ動きで、一斉に腰を落とし、重い棺を肩の高さまで一気に担ぎ上げる。
王室礼拝堂の撮影は禁じられているため、カメラの映像は回廊の中を進む列のみを映し出している。
軍靴の石畳を叩く音はメトロノームのように等間隔で響き、少しずつ遠のいていく。
――国王陛下、王妃殿下。どうか安らかにお眠りください。あなた方が愛したこの国は、今、新たな夜明けへと歩み始めようとしています――
リダニウム大聖堂の鐘の音が、天国へ最も近い場所から力強く木霊する。
国葬自体を先延ばしにする案もあったが、世襲制君主制の慣例に従い、王権を返上しなければシュナイゼルの女王≠フ摂政代理が機能しないためだった。
三日三晩。世界各国の報道局を通じて、国葬の様子が流された。
a.t.b.二〇〇九 2th June
ブリタニア 皇陵
新月の墨を引き摺る夜。
黒のリムジンが数台、人を寄せ付けないほど厳かな広大な皇陵の前に停まった。
兵士と護衛を数名引き連れて降車したシュナイゼルは、闇に紛れるように黒の薄手のコートを羽織っていた。
「……しかし、父君も父君だ。……人使いの荒い方でいらっしゃる」
独り言は誰の耳にも届かない。
埋葬から数日。シャルル・ジ・ブリタニアは葬儀の手配をすべて行ったシュナイゼルに対して、寵妃と謂われた第五皇妃の遺体の移動を命じた。
「悪いね。付き合わせてしまって」
「いいえ。我々のことはお気になさらず」
同伴しているカストラリアからのドクターに話しかけた。遺体の損壊の確認、運搬後の防腐処理の徹底に必要だったからだ。
墓守の兵士の合間を抜け、石造りの神殿の中に深く潜っていく。地上のリムジンは別の拠点へ移った頃だろう。皇陵の地下からは皇宮の一部のエリアに繋がっている。かつて、地上で葬儀を営めなかった者をそうして皇陵に送っていた名残である。
薄明るい地下道の中で、シュナイゼルは皇帝の言葉を思い出しては呟いた。
「父君は、テロのあった身分の低い妃を皇陵に埋葬しては、他の眠りにつく者への冒涜にも繋がる≠ニ仰ったよ」
「さようで」
「なんとも横暴な物言いに受け取れるだろう? ……しかしね。私は違う見方をしている」
一呼吸置いて、彼は慈愛を思わせる微笑を浮かべて言った。
「……私なら、手元に置いておくだろうね。好きな時に慈しみ、愛でる。死の国、天の国の入口で、待ちくたびれないように囁き続けるよ」
誰に対して――などと詮索するまでもない。
ドクターは髭の下に隠れた唇を弧に曲げた。
石室の中から皇妃の棺を引き出し、別の車輪付きの台車に載せ替える。数名の護衛と兵士がそれぞれ棺の蓋の端を持ち上げた。
亡骸はそこにあり、たった数日前の納棺されて頃と変わりない。ドクターが一つ頷くと、頭から足のつま先まで丁寧に確認作業を行った。誰かがここに立ち入り触れた形跡はない。
ドクターが振り返った。
「問題ございません」
「では、地下からいこう」
号令により、台車が暗渠を音もなく進んだ。
数キロの長い散歩を経て皇宮内に辿り着き、地上に出たところでシュナイゼルの仕事は終わった。
「私は陛下に報告をしてくるよ」
「Yes, Your Highness」
護衛らが頭を下げて声を揃えた。
a.t.b.二〇〇九 2th June
ブリタニア ペンドラゴン皇宮
夜遅くの訪問は久しい。皇帝の住まいにあるドローイングルームは金色の刺繍と臙脂色の幕、ギリシャのペンテリコンの大理石の白との対比により、鮮やかに仕立て上げている。
シャルルは別室にいた。豪奢なつくりのソファがいくつも揃う部屋の中央で、シュナイゼルは父帝の訪れを大人しく待った。その日、シャルルの予定はすべて終えられ就寝の時間が迫っていた。しかし、そこへ辿り着くまでに、セントダーウィンから伸びる私道から内庭に一台、リムジンが横付けされているのを見かけた。皇妃の誰かが渡っているのだろうとすぐに察した。
マリアンヌ皇妃の葬儀にも臨席せず、葬儀の手筈も指揮せず、その遺体の回収もすべてシュナイゼルが執り行った。喪に服することなく、その夜に別な妃と閨を共にしている。週に二度。定められたルーティン。皇帝による皇妃への施しの時間である。それにしては些か非情であると、シュナイゼルにしては珍しい感想を抱いた。――シュナイゼルでなくとも同様の心境に至るはずだ。己の母親よりも愛した妃の葬儀にも顔を出さず、数日以内に播種に精を出す。自身の出生など、食物の作付けか交配程度でしかない。ダーウィニズムの体現者。強き者に靡き、繁殖する。生々しく、人間が動物であることを証明する行為。争い、競い、進化する。排斥主義国家――純血主義の強い政策を執り、ブリタニアという種を純化・強化するものに注がれているが、遺伝学と矛盾する価値観である。一代で大繁殖すると近親交配のリスクを高め、長期的には逆に進化に繋がる多様性の喪失を招くからである。現実的な問題として、皇室の財政的問題とその資源も、占領政策で賄われるようになってきている。
国内の有力貴族から宛てがわれる令嬢と、家臣の政治的配慮をもって国内統制を行うやり方は一時的効果しか見込めないというのに。
シュナイゼルは抱いた小さな矛盾への関心と、理解出来ない父帝と、そのイデオロギーが将来この帝国を破滅するための燃料を蓄えていることに気づいていた。
甘い香りが漂った。
焚き染めた燻煙が肺に緩やかに下っていく。広い赤と白のドローイングルームの空気が動き、目的の人物の訪れとともに彼は息子の名前を呼んだ。
「シュナイゼルか?」
「はい。陛下。ここに」
軍服姿ではなくガウンを羽織り、もっとも遠い位置に父はいた。
シャルルはそこから近づくことなく、手近な椅子にどっかりと座り、背を向けた。私的な会話を挟むことなく、シュナイゼルは報告するために口を開いた。
「マリアンヌ皇妃の一件は滞りなく完了致しました」
「さよう。ご苦労であった。今宵は下がって良い。……まだなにか話が?」
出入り口の開閉音が一向に訪れないのを訝しみ、ようやくシュナイゼルの方を振り返った。
「……そのマリアンヌ皇妃の子らの処遇については、如何様にお考えでありますか」
「そのように尋ねるということは、そなたに考えがあろうというわけか」
「僭越ながら」
「よかろう、話してみよ」
許諾を得て、シュナイゼルは亡命の件を進言した。
「ルルーシュとナナリーを国外へ避退させてみてはいかがかと。……テロの首謀者は不明でありますし、皇宮内での立場も危ういことでしょう」
「そなたの国へ、亡命を?」
シャルルはにやりと不敵に微笑み「経験則か?」と根拠を言い当てた。
「ふっ……どう受け取っていただいても構いません。ナナリーの件につきましても、医療的解決を十分行える環境が揃っております。受け入れ態勢に関しては歴史的証明がございます」
「相わかった。しばし、検討しよう」
「……それでは。おやすみなさいませ」
長話は不要だろう。頭を下げて礼をとり、静かにドローイングルームをあとにする。君主の思考に費やす時間を奪うことは帝国の損失である――そう、彼は母親から教えられ育った。血の繋がる親子でありながら、シュナイゼルは彼の臣下の一人に過ぎなかった。家庭というものの幻想を他の兄弟たちよりも抱かず、皇帝の責務を果たすのであれば、他のどの事柄が不足し未熟であっても許される特権がある。それがこの国で一番許される立場だとシュナイゼルは承知していた。
ゆえにダーウィニズムを継続するだけの戦略的補填――占領政策で資源を収穫することが父帝の責務であるならば、容認する考えを持っていた。
その日は寝床に就き体を休めたかった。翌朝にはカストラリアへ戻らなければならない。メルカッサの孤児院や移民局の件で呼び立てられていたからだ。ブリタニアでの仕事も滞在時間に比例して増えていく。彼が今の立場ではなく皇子としての身分しかなければ十全に応じたものだが、帝国の内政と陳情の相手をしていられるほどの暇はない。その矢先――ウィルゴ宮への帰路につくシュナイゼルを呼び止めたのは、彼の従者の一人だった。
「夜遅くに?」
用件の発端はアリエス宮にいるルルーシュだった。
「はい。……先日の件のことだと……。明日、カストラリアへ渡られる前に、どうしてもと」
小さく息を吐き出すと、シュナイゼルは首の筋肉をほぐした。
「ふむ。……忙しないけれど、致し方ない」
内庭に停まるリムジンの運転席の窓を開けさせた。
「……悪いが、アリエスへ向かってくれるかい」
「Yes, Your Highness」
運転手は快く引き受けた。シュナイゼルを乗せるなり、セントダーウィンの夜道を走った。
a.t.b.二〇〇九 2th June
セントダーウィン アリエス宮
湿っぽい夜風が暗い庭園を吹き抜けていく。明かりの殆ど灯らない静寂のアリエスは喪の帳が下りている。月光は弱々しくも地上を見下ろし、自然の花の匂いがあの噎せるような香を拭い去っていく。
「おやおや」
足音がしたと思えば、ルルーシュはずっとそこで待ち惚けていたようで、柱廊の柱の影から飛び出してシュナイゼルの腰に抱きついた。
「こんばんは。夜分遅くに失礼するよ。……ナナリーはこちらへ移ったと聞いたけど、お休みの時間かな」
「……足は治してもらえるのですか、兄様……」
黒髪の少年の声は涙声で震えていた。
「お願いしてきたよ」
「本当に!?」
明るい夏の夜空の瞳がシュナイゼルを見上げた。膨らんだ水滴がポロポロと止め処なく溢れ落ちる。
「さあ。涙を拭いて。おまえはナナリーのお兄様だろう」
目線を合わるためにシュナイゼルは屈んだ。ルルーシュは何度もしゃくりあげ、必死に声を抑えようとした。彼は賢い子供だったが、感情的で、大人の真似ができるほどのコントロール力を身につけていなかった。――それが羨ましいと、どこかで感じていた。
「カストラリアはどんなところ?」
「とても寒くて、空気が薄くて、慣れるまで時間がかかると思うよ。でも今の時期は心地のいい風が吹く」
「ナナリーの脚は治るのですか」
「治るとも。また、走り回れるようになるさ。おまえを困らせるお姫様に戻れる」
励ます言葉は刺激的だったようだ。ルルーシュはまた嗚咽を漏らした。シュナイゼルは困ったように眉を下げ、頭上に向けて人差し指を立てた。
「ごらん。夜空の星々を。覚えておいて。ここで見えるよりも美しい夜空が広がっている」
ルルーシュは時間をかけて、涙を落ち着かせていき、暗い空を見上げた。
地上からの光がセントダーウィンには少なく、天体観測にはこれほどうってつけの場所はないほど自然に包まれている。ルルーシュはこの場所以外の外の世界を知らなかったが、マリアンヌが見せてくれた動画の中のカストラリアの景色と強い色彩の世界を思い出した。
「アリエスよりも?」
「うん。驚くよ。一晩中起きていても寂しくないほどにね」
シュナイゼルは頷いた。
星の粉砂糖の輝きと、流れる光の軌跡を追っているうちに、何を苦悩していたかを忘れていく。音のない子守唄をきく――ヒマラヤの夜は手触りのいい毛布のように心地がいいとティラナは言っていた。
その記憶を思い出すシュナイゼルの傍ら、ルルーシュは彼の表情が柔くなるのを見つめていた。
a.t.b.二〇〇九 10th June
ブリタニア皇宮 謁見の間
グレーの制服の門兵が槍を構え、広々とする謁見の間の入口で堅く守り立っている。
謁見の間には上申に参った貴族らが詰めかけ、玉座への道の左右を囲み、その日最初の謁見を申し入れた者の訪問を待っていた。皇帝の御前に現るのには階級順に行われる。貴族の上位――即ち、皇族であった。
鮮烈な光の中、彼は訪れた。強く引き締められた眉と唇。大きなアメジストの双眸が、正面のレッドカーペットの先、玉座に坐す彼の父――皇帝シャルル・ジ・ブリタニアを射抜く。
――神聖ブリタニア帝国、第十七王位継承者、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア様、ご入来」
侍従により、声高に訪問者の名を読み上げられる。
正装である赤いマントを羽織ったルルーシュは、しっかりとした足取りで貴族の花道を進み出ていくが――彼らの建前上の優雅さと異なる遠慮のない噂話は、宮廷中で囁かれていた。
――マリアンヌ皇妃はブリタニア宮で殺められたと聞いたが―
――テロリストが簡単に入れる所ではありませんが――
――では、誠の犯人は……――
貴族達の品定めをする視線をルルーシュは幼い身で浴びた。
他人の不幸は蜜の味。いくら恭しく頭を下げていても、腹の底では意地の悪い考えをもたげている。
――しかし、母親が殺されたというのに、しっかりしておられる――
――だが、もうルルーシュ様の芽はない――
――後ろ盾のアッシュフォード家も終わったな――
――妹姫様は?――
――足を撃たれたと――
――お目も不自由に――
――心の病と聞きましたが――
――同じことよ。政略にも使えぬ体――
下劣な内容が飛び交う。貴族の詮索好きはいつの時代も同じであった。
――いやいや、噂によりますと……どうやら第二皇子殿下が取りなすそうです――
――あぁ! 第二皇子殿下が?……さすがはシュナイゼル殿下。それでこそカストラリアと王族婚を結んだ甲斐があるというもの――
――あちらの姫君も不能であれど、いくらか利用する価値がございますな、しかし、ご自身の心の病につける薬はなさそうだ――
――よせ。その物言い、王女殿下のお耳に入れば医療分野での技術共有を止められるやもしれませぬぞ――
――なに、たかだが人口五〇〇〇万人程度の国。シュナイゼル殿下のご慈悲で成り立っているような国。我が国には到底及びますまい――
――して。使い物にならいものを拾い、役立てることにかんして、あの国の右に出るものはありませぬ――
――ご兄妹は命拾いしましたな――
少年はただひとつ父帝のシャルルにのみ向き、その不満と小さな裏切りを募らせていた。
不動の岩のようにどっしりとした存在感。強国ブリタニア帝国の象徴を前に、ルルーシュは跪いた。
「皇帝陛下、母が身罷りました」
「だからどうした?」
「だから?」
「そんなことを言うためにお前は、ブリタニア皇帝に謁見を求めたのか? 次の者を。子供をあやしている暇はない」
「父上!」
ルルーシュは叫び、玉座へ続く階段に足をかけた。
それまで皇帝の左右に控えていた近衛兵が銃を構え、君主の守りに入ろうとするのを――皇帝シャルルは制止をかけた。
少年は母の死から抱いていた不満と疑問を投げかけた。家族なのに。血の繋がった親子なのに。母を愛していたのに――。いくら忙しいといえど、母のマリアンヌはあれほど父を慕っていた。夫がいかに素晴らしいかを説き、帝国の大黒柱であると、そしてルルーシュとナナリーはその人の子供なのだと。だから普段会えずとも、それは父がしっかりと働いている証拠であると――生前の母は教えた。
では、相応の愛情がマリアンヌへの返報としてあってもいいはずだ。それだけ素晴らしい人であるならば。あの素晴らしい庭園と大きな城に住まわせるほどの愛があるのであれば、それを示してほしかった。
「なぜ母さんを守らなかったんですか? 皇帝ですよね? この国で一番偉いんですよね? だったら守れたはずです。ナナリーの所にも、顔を出すぐらいは……」
「弱者に用はない」
皇帝シャルルは、あっさりと切り捨てるように言った。
信じがたい言葉を聞いたような気がして、ルルーシュの顔は引き攣った。
「弱者?」
「それが皇族というものだ」
皇族――階級社会の頂点にある身分。そこでさえ出生順や妃の家柄や、その背後の派閥の関係の優劣、そして功績で評価される。たまたまその場所に生まれただけで、生まれ落ちた瞬間から熾烈な競争が始まっている。マリアンヌはとにかく分が悪く、その影響をルルーシュもナナリーも受けていた。そうでなければ、クロヴィスの母・ガブリエッラから嫌われることも辛く当たられることもなかった。それも、順番が問題だ。順番ではクロヴィスの方が何もかも上なのに、彼よりチェスが出来るというだけで――将来クロヴィスを脅かす存在に成りうると危惧した母親なりの愛情と嫉妬が、ふたりをアリエスという小さな世界に封じ込めた。ルルーシュは既に多くの噂を耳にし、マリアンヌの子供≠ェどのような立場であるかを理解していた。母親という最大の庇護者を喪失した今、宮廷内に守ってくれる大人はいなかった。長年仕えてくれた従者もメイドも雇われた者たちで、それは帝国や皇室、皇帝の財産である。
ルルーシュは顔を顰め呻いた。
「うっ……なら僕は、皇位継承権なんていりません。あなたの跡を継ぐのも、争いに巻き込まれるのももうたくさんです」
「死んでおる」
シャルルはルルーシュをそう表現した。
「お前は生まれた時から死んでおるのだ。身にまとったその服は誰が与えた? 家も食事も命すらも、全てわしが与えたもの。つまり、お前は生きたことは一度もないのだ。然るに、なんたる愚かしさ!」
玉座から立ち上がった皇帝シャルルはそれはそれは恐ろしい、神話の怪物のようであった。
悲鳴をあげた少年は、追い詰められた子羊のよう。
威圧的な巨躯、物言い、生命と人生の否定、何者でもなく無力であることの唾棄。幼いルルーシュを圧倒する父。――皇宮で暮らしながら憧れていた、強国を統べる益荒男にルルーシュは目を剥く。
今その憧れを宿していた瞳は、蹂躙される側の恐怖の色に染まりつつあった。
「ルルーシュ。死んでおるお前に権利などない。ナナリーと共に日本へ渡れ。皇子と皇女ならば、良い取引材料だ」
謁見の間は興奮と驚愕に染まった。それはルルーシュだけでなく、それを傍から窺っていた貴族達も同じだった。
少年は今しがた発せられた命と己の耳を疑い、裏返った声で皇帝に尋ね返し、それが嘘であると信じたくて兄の名を口にした。
「に――日本!? だって……シュナイゼル兄様は……。僕らはカストラリアへ行けるんでしょう!? ナナリー……ナナリーを! ナナリーを治療してくれるって約束しました! 皇帝陛下! シュナイゼル兄様とお約束しましたよねッ!?」
一週間前。たしかにシュナイゼルはシャルルに話を通したと言ったはずだ。あれは嘘だったというのだろうか。
弱々しく、味方のいない、小さな世界で生きる異母弟に対する、子供騙しの優しい嘘だったというのだろうか。
「皇帝の命令は絶対である」
頑然と、皇帝シャルルは決定を覆さなかった。
「そ、そんな……!」
「かの国に政略に使う者を多数置く必要はない。……連れて参れ」
謁見の間に近衛兵が入り、数人がかりでルルーシュを皇帝シャルルから引き剥がした。
「いや、いやだ! そんな……助けて……兄様! 嘘つき……シュナイゼル兄様!」
子供の絶叫をものともせず、玉座の上で皇帝は瞬きを一つして、上申と陳言する者を呼び立てた。戸惑いと硬直の後、場はすぐに何事もなかったかのように正しい時間を取り戻していった。
皇暦二〇一〇年 八月十日
日本
神聖ブリタニア帝国は日本に宣戦布告した。
極東で中立を謳う島国と世界唯一の超大国ブリタニア。
両者の間には日本の地下資源を巡り、根深い外交上の対立があった。本土決戦においてブリタニア軍は人型自在戦闘装甲機ナイトメアフレームを実践で初めて投入。その威力は予想を遥かに超え、日本側の本土防衛戦はナイトメアによってことごとく突破されていった。
日本は帝国の属領となり、自由と権利と、そして名前を奪われた。エリア十一その数字が敗戦国日本の新しい名前だった。