日本V







 a.t.b.二〇〇九 August
 日本・静岡 枢木家


 噴出した水が青々と生い茂る葉に吹きかかる。
 角度を変えると、背後からの太陽光線が水の中に虹のグラデーションを作った。
 実と葉を避けて、下の渇いた土に水が染み込んでいくのを確認していると男の後ろに近づく子供の影があった。
 「おはよう。ルルーシュくん」
 「おはようって……もう朝十時だ」
 「午前中は朝だよ」
 眩しい白のシャツとズボン。黒髪に皇族特有の紫の瞳。高貴な出自の少年――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
 すでに陽は高い位置に昇っている。ルルーシュは頭上の光玉を見上げて目を細めた。今日もよく晴れている。そして、枢木家の本家裏手にあるプランターの前で水やりをする男を呆れたように見つめ返した。男の名はダミアンといった。軍人で、背丈は日本人の血が混ざっていてもがっしりとしている。白いTシャツ、黒のスウェットのズボン。指の間を引っ掛けるだけのサンダルの姿。
 そのシャツの上からでも、上腕二頭筋や胸筋の発達具合が見て取れる。夏季休暇中のダミアンの格好はどこか間抜けで、寝癖はついているし、目元には目やに。口元には髭の芽が現れている。起き抜けの不潔な格好である。
 「だらしない大人だ」
 「あはは。面目ない」
 ダミアンは笑い、顔をくしゃりと歪めた。
 「それは何だ」
 ルルーシュはそっけなくプランターの中の植物を指摘した。黄色い花が茎の先で花開いている。緑に赤の滲む実の粒が、花の近くで膨らんでいる。トマトを栽培していることくらいはわかったが、なぜ、ダミアンが水やりしているのか。その真意を尋ねていた。
 「トマト。ミニトマトね。夏休みの観察日記なんだって。スザクくんの。水やりには遅い時間だ」
 「観察……?」
 「日本の小学校の夏休みの課題だよ。宿題」
 ルルーシュはダミアンから説明されて「宿題……」と呟いた。日本の学校は変わった課題を課すものなのだと思った。ルルーシュがブリタニアで受けてきた教育は教師が付きっきりでひたすら座学に割かれていた。
 とはいえ、宿題は本人がするべきことだ。ルルーシュは眉を寄せた。
 「今日は、あいつは……」
 「スザクくんは……今日はたしか……お客様が来るからそのお相手で忙しいって言ってたよ」
 「ふん」
 鼻を鳴らして腕を組むと、ルルーシュは満足したのか踵を返した。
 「待って。こっちに来たってことは何か用があったんじゃないの」
 「そのだらしない格好を見たら、どうでもよくなった」
 「……どういうこと?」
 「そのままの意味だ」
 ダミアンはホースを繋いでいる蛇口の栓を締めた。
 「わかった。着替えてくるから。待っててよ」 
 緑色のホースを器用にまとめて水栓柱に掛け、ルルーシュの前を横切った。
 手持ち無沙汰のルルーシュは、組んだ腕の痺れをおぼえ解きかけた時だ。玄関先で、枢木家の家人に話しかけられているダミアンの姿があった。
 人質の兄妹よりも、数日程度の逗留の男の方が扱いは上だ。親戚関係にあるから。その理由を抜きにしてもダミアンは人と打ち解けるのが上手い。昨晩のナナリーへの接し方といっても。荒療治だとも思ったが、少女はふたりの少年相手のゲームに勝ち、嬉しそうに眠りに就くまでその話をした。
 ナナリーが喜ぶ姿は久方ぶりだった。
 母のあんな事件があってから、元気を失ってしまった。消極的で、遠慮がちで、わがままも無理に通さなくなった少女の懐かしい、取り繕うことのない笑顔。
 今朝ナナリーが目覚めた時、ダミアンの名を出した。
 どれくらい滞在するのか。またゲームはできるのか。お喋りはできるのか。
 不思議なことに妬みは湧かなかった。それどころか――彼をみるとほっとする。ナナリーは彼を『悪い人ではない』とその鋭い直感から判断した。
 顔の髭を剃り、半袖のシャツとスラックスに着替えたダミアンは、ルルーシュのもとに戻ってくるなり頭を掻いた。
 「お待たせ。……と言いたいんだけど、ちょっとお使いが発生しちゃってね。君は蔵に戻って、ナナリーちゃんと一緒にいなさい」
 「どこ行くんだ」
 用事だと言って去ろうとするダミアンをルルーシュは追いかける。
 「着いてきていいの? ナナリーちゃんは? 勝手に出ていったら不安がるよ。すぐ済むし待っててよ」
 ――なんだか待たされてばかりだ。
 ダミアンが戻るまで然程の時間はかからなかったが、長いあの階段で颯爽と段ボールを両肩に二箱ずつ担ぐ様は、さすが本職の軍人だと感心する。
 野菜がどっさりと入った段ボールが、枢木家の玄関先に並べられた。茄子、青ネギ、じゃがいも、玉ねぎ。――家人が口々に感謝を述べている。彼らにはルルーシュが見えていないかのように、ダミアンを見つめていた。
 やっと会話に一区切りがつき、ダミアンは待ち惚けのルルーシュに「それじゃあ、行こうか」と呼びかけた。
 「行くってどこに……?」
 「僕に話があるんだろ? 今から買い物に行かなきゃいけないけど、それまでだったら」
 ダミアンにはやることがまだあるらしい。
 夏季休暇で滞在しているのだから、暇な奴だと思っていたのに。
 彼に用事がある人間は、その細かい予定の隙間に入りこまなければならない。――それは、ルルーシュの短い人生の中で彼の異母兄を思い出させた。
 「ご近所の人と仲良くなってね。出荷できないけど自宅用に残してる野菜が余ったから、持っていって欲しいっていうのを断ったんだけど。日持ちしそうだから、やっぱり貰うことにしたんだ」
 「へえ」
 「それで、僕への用事は?」
 「……忙しいのか?」
 「ん?」
 ダミアンは足を止め、ルルーシュを見下ろした。
 「これから……用事があるのかと聞いてるんだ」
 「これから買い出し。スパイスをね。カレーを作ろうかと思って。枢木のほうで台所を借りるよ」
 「カレー……」
 名前は知っている。
 だが、宮廷料理にも、普段の日常食にもカレーが食卓に上ったことはない。ルルーシュの反応の悪さにダミアンは少し笑うと説明を始めた。
 「食べたことない? 旧インドの料理だよ。今は中華連邦の一部。中華連邦の影響で油マシマシの野菜たっぷりな印中式カレーもあるけど、辛くて胃もたれ起こすし」
 「カストラリアにもカレーがある?」
 「いいや。発祥ではないけどアレンジ、インスパイアされたものがあるよ。……山側と海側で使う食材が違うんだ。こっちの米食は慣れた?」
 「……まあ、食べるものにワガママは言えないし……ま、待って。僕もいく」
 「ナナリーちゃんは?」
 「……ナナリーにはちゃんと言ってから行く。勝手にいなくなったりするなよ!」
 首輪つきの犬を躾けるようにルルーシュは待機を命じた。
 気位の高い少年皇子にダミアンは「はいはい」と苦笑いを溢した。

 
 a.t.b.二〇〇九 August
 日本・静岡 枢木家

 
 「嫌じゃ。もうやりとうない!」
 緑が萌え立つ庭園の静寂を引き裂いたのは、年端もいかぬ齢の少女の叫び声であった。
 「神楽耶!」
 立ち上がった少女は裾を払い、締め切られた障子の前に立った。
 その動きを制したのはお目付け役の桐原泰三であった。
 「どちらへ参られるのですか」
 「おじいちゃま。スザクはおるのじゃろ? スザクと遊びたい!」
 八畳間の片隅で、神楽耶の稽古の様子を見守っていた桐原は唸ってみせた。
 スザクならいつでも呼びつけられる。そのために今日の予定は空けてあったが、少年の気の向き次第で遊びに出ていることもある。
 「神楽耶さま。お務めを果たし終えられましたかな?」
 「つ、務め……? 稽古はもうじゅうぶん、取り組んだはずじゃ! たまの休みくらい罰は当たらぬ!」
 「しかし、彼奴はカブト捕りの準備を……」
 「カブト捕り!?」
 カブト捕り≠フ言葉を聞いて神楽耶は目を白黒させた。
 「どうかなさったのでございますか?」
 「スザクはまた……神楽耶を置いてカブト捕りに行くのかや?!」
 桐原はいらぬことを明かしてしまったとやや後悔した。火のついた神楽耶を止められる者はいない。将来の総領姫とあっても子供である。先々のことを思い浮かべて行動の抑揚のきく年齢ではない。もし、そのような子供がいたとしたら病的である。
 神楽耶は堪えきれず、障子を乱暴に開け廊下に顔を出すなり「スザク〜!」と叫んでは、邸宅の入り組んだ迷路を駆け出した。
 枢木ゲンブとの話し合いを終えたばかりの少女の両親が、廊下を走り去る娘の名を呼んだが、足音は廊下の遥か彼方に消えていった。
 


 a.t.b.二〇〇九 August
 日本・静岡 

 
 濃緑の買い物カゴの中には大量のスパイスが次々と放り込まれていく。
 シナモン、カルダモン、ターメリック、コリアンダー、ガラムマサラ、レッドペッパー。
 料理をするだけなのに、粉がこれほど必要なのかとそれまで縁のなかっただけに、驚きよりも深い驚きと好奇心をもってルルーシュはダミアンを見上げた。
彼は周囲を見渡し「生クリーム、ヨーグルト」と頭の中にある買い物メモを読み上げるように呟いた。
 「……そんなにたくさん使い切れるのか?」
 「残った分は全部お手伝いさんに譲るつもりだけど、なんで?」
 「枢木の家の分もつくる?」
 「みんなで食べたほうが美味しいし、僕の宿代がわりだよ」
 ダミアンには敵はいない。緊張する相手も、油断ならない存在も、脅威も。ルルーシュからすれば、この国でブリタニアからきた兄妹の生殺与奪権を握る者たちは、ダミアンにとっては食事を振る舞うに値するほどの関係性である。
 「二種類作ろうかな〜」
 少年の複雑な心中を知ってか知らずか、彼は明るい声でカートの進路を変更した。
 通りがかったお菓子コーナーの列の手前で、ルルーシュは思わず足を止めた。
 そこには日本に来て間もない最初の一週間で、ルルーシュをブリキ野郎≠ニ罵り、殴りつけてきた子供が数人いたからだ。
 「あ……」
 彼らもルルーシュの視線に気づいて、此方をみた。
 にやにやと気味の悪い笑み。藪の中に潜む蛇のようだ。しかし、その表情もサッと青くなり、それこそ蛇に睨まれた蛙のように情けなく硬直する有り様。
 「お菓子は駄菓子屋さんのほうが安いよ」
 「ん……うん……」
 「やあ。こんにちは。……お買い物?」
 ダミアンは朗らかに声をかけた。知り合いのようだった。少年たちは醜態を露見したことが居た堪れなくなり、曖昧な返事をしてそそくさとその場を離れた。
 
 スーパーマーケットからの帰り道。
 ルルーシュはいつナナリーのために、いつダミアンを誘い出せばいいかタイミングを見つけられずにいた。
 気兼ねなく頼めばいいものを。どうしてだか、素直に言い出せずにぐずぐずとしている。――心の何処かですこしだけ、悔しがっている自分を見つけてしまったからだ。
 ナナリーのことは、兄であるルルーシュ自身が一番よくわかっている。彼女が生まれた時から、今日まで。片時だって離れたことはないし、今となってはナナリーだけがルルーシュの唯一の肉親であり、その自負があった。
 しかし、昨晩のナナリーを喜ばせたのはルルーシュではなく、このぽっと出の、日本人なのだか外国人なのだかはっきりしない、人の懐にふらりと入り込んできては掻き乱す――人好きのする男だった。
 ――どうせ、すぐに帰ってしまうくせに。
 無責任だと、非難したかった。
 ナナリーを助けたつもりだろうか。世話を焼いて盲目の彼女に自由を、生き方を教えたつもりでいるだろうか。
 要らぬお節介だ。迷惑だ。事情を何も知らない、あちら側の人間のくせに。
 その時だけの優しさが、ナナリーをあとからどれだけ傷つけるかをこの男は考えたのだろうか。思いつきで優しさを、施したのだろうか。
 ルルーシュの胸の中で、ぐるぐるとそれは渦を巻いてはうねり、行き場がなく燻っていた。
 ――ナナリーを喜ばせたい。でも……悲しませるかもしれない。
 楽しい時間を過ごすと、寂しい時間も増える。上手く忘れられるといいが、ナナリーのことだからきっといつまでも憶えているだろう。たとえ――ダミアンが忘れてしまっても。
 だから。
 誘うかどうか、迷っていた。
 「玩具がたくさんあるね」
 ルルーシュの大きなアメジストは宙を彷徨った。
 玩具屋の前で足が止まっていた。買い物袋を両手に提げたダミアンが興味深げに店内を覗いた。
 「……何か欲しいものでもある?」
 「え……?」
 「予想が外れたら悪いけど、この辺をなかなか歩けないんじゃないかって思って」
 ダミアンの言う通り、この辺りを堂々と歩けた試しはない。
 どんな店に行っても態度の悪い店主に睨まれるか、噂を聞きつけた子供達がルルーシュを追い回しては虐めるからだ。
 「日本は中立国だけど、島国だからよけいに厳しいよね。とくにわかりやすい外国人に対してはさ」
 ショーウィンドウの硝子には色白で黒髪の少年と、茶髪の壮年の男が映っている。色だけでいえば日本人離れしていないが、骨格や顔の造り――そして母語も違う。
 ダミアンは重い荷物を軽々と持ち直すと、玩具屋の扉を押し開けた。
 「お邪魔しまーす」
 店主の男は新聞をカウンターの中で読み耽っていたが、突然の掛け声に驚いたようだった。
 「お店に入る時とか、店員さんには挨拶するんだよ。私はここにいます≠チてね。無言だと泥棒か失礼なお客さんに見えちゃうんだよ」
 店主の男には兄弟に見えただろうか。
 「日本人はシャイな人も多いから、はじめはびっくりする人もいるけど、続ければ根負けする。できれば日本語の方がいい」
 「……コンニチハ」
 カタコトの日本語の挨拶に、店主の男は声を詰まらせた。
 ダミアンは愛想笑いを浮かべると「冷やかし客じゃありませんよ。ちゃんと買っていきますんで」と一言添えた。
 それから店内をぐるりと一周し、ダミアンはボードゲーム類のある棚を上から下までよくよく確かめた。
 「ルルーシュくんは得意な遊びはある?」
 「得意なものって?」
 「今日は君の好きなゲームをしようと思って」
 「……え?」
 ルルーシュは目を丸めた。
 それはつまり。
 ――今夜も遊べるということだ。
 固まったルルーシュに気づいたダミアンは眼の前でひらひらと手を振った。
 「おーい。……なにか変なこと言った?」
 「いや……今日も遊ぶのか?」
 「迷惑だった?」
 否定するように首を横に振った。「よかった」と柔らかく微笑んで彼はまたゲーム選びに戻った。
 悩んでいたことが嘘のようだ。なによりも、ダミアンがその気でいた事の方が、嬉しかった。
 「リバーシ、将棋、けん玉、……、ん? それがいいの?」
 一番下の棚にあったチェスを見つけ出して、ルルーシュはそれをダミアンに差し出した。
 「チェスか。たしかに得意そうだ。ルルーシュくんは」
 「チェス、出来るのか?」
 「さあ。どうだろう。やったこと無いからわからないな。……いいよ、いいよ! 遠慮しなくて。君が遊びたいゲームにしなさい」


 
 a.t.b.二〇〇九 August
 日本・静岡 枢木家

 遠くから響く、子供の抑揚のきかないはしゃぎ声が耳朶を打つ。
 声の主は、皇神楽耶と枢木スザク。従兄妹関係にあるふたりは許嫁同士であった。
 親や親戚同士が決めた婚約だが、ふたりの仲は悪くなかった。
 「大変、仲がよろしくていらっしゃいますね。神楽耶さまもお変わりなさそうで」
 「すばしっこく、元気が過ぎるところもあるが。あれはあれで似合いよな」
 桐原の相好が崩れる。年齢の差でいえば、孫のようなものだ。
 茶道に華道、書道――皇家の総領姫である皇神楽耶のお稽古である。枢木家の来訪もその稽古事の延長線上にあった。
 声は次第に薄れていく。

 桐原泰三。桐原財閥の総帥。
 サクラダイト採掘業務を一手に担う桐原産業の創設者。――枢木政権の政務官であり、陰の立役者である。
 土蔵にルルーシュを送ったあと、ダミアンは枢木家の玄関先でその大叔父と顔を合わせることになった。再会は一年と数カ月ぶりである。
 ダミアンは荷物を下ろすなり深く頭を下げた。
 「大叔父様」
 「おお。先日はすまなかったな」
 京都まで訪問したのに会えなかった相手である。
 鶯茶色の着流し姿の桐原は、あちこちに視線を巡らせてから、ダミアンのよく鍛えられた肩に手を置いた。
 「首相には話を通したか」
 「まだです。大叔父様を交えてのほうがよろしいかと思いまして」
 桐原は「ふむ」と頷いて、近くにいた下僕にダミアンの持ってきた買い物袋を拾わせた。
 両手を裾の中に入れ直し、神社の境内へと続く路に足を振り出した。それは無言のついて来い≠ニいう意味である。ダミアンはそっと桐原の斜め後ろについた。
 「動きがあったのか?」
 「大っぴらというわけではありませんが……。議会で修正案が可決されました」
 「まことか」
 白髪交じりの眉を持ち上げて、少し驚いてみせた。
 桐原を含めて、枢木家当主と三者の話題はもっぱらサクラダイトとその周辺の動きに尽きるが――カストラリアとブリタニアの交易状況が日本にとってもっとも切り札となるサクラダイトへの影響に直結していた。
 先月、カストラリア議会で承認された。日本に比較すれば少ない量ではあるが。カストラリアはサクラダイトを他国との貿易に回すというものだ。同じ中立国であり、サクラダイトが採れるという点でE.U.とブリタニア相手の交渉で上手く立ち回っている。
 それはカストラリアがサクラダイト一強の貿易政策に留まらないから出来ることであり、日本には真似しようがない。ブリタニアと日本の両国に蔓延る緊張状態を和らげるために、カストラリアは度々、重要資源を供出してきた。
 「シュナイゼル摂政殿下の裁可も下りていますし、確実ですよ」
 「なるほど」
 「多少無茶をしても、吸収は可能でしょう」
 ブリタニア帝国皇室出身であるシュナイゼル・エル・ブリタニアがそれを良しとするなら、日本とブリタニアの冷戦状態の目下、仲裁を期待できる。そのような意味である。ブリタニアは新領土獲得の動きは海洋上の艦隊の動きや、経済動向などからで推察できるが、中華連邦とE.U.が結託し、太平洋に進出するブリタニアに対して、経済制裁を実施する噂も囁かれている。
 だからこそ先手を打つべくカストラリアは供与を進んで行い、世界均衡を保とうとしている。ベルケス政権の判断は的確である。――だがしかし、同時に日本よりも人口と埋蔵量の少ない国が拠出するのに、日本は同様に拠出しないのか――といった口撃の余白を与えてしまうだろう。
 「桐原翁。……中立国同盟を結成すべきです。軍事支援は行えませんが、歩調を整えることは可能です。三強国にも交渉もカストラリアなら……」
 「ダミアン。それは……そなたの意見か。それとも、忠告≠ゥ?」
 好々爺を装うことも多い桐原が、フィクサーの顔つきでダミアンを見透かした。
 一端の口をきける相手ではない。親戚であっても、実業家兼政権のご意見番と、軍隊の現場の一階級のいち兵士。個人の命の重みも立場の目線も異なる。
 「……私個人の意見です」 
 「わしの言いたいことは、わかるな?」
 「……理想論だと仰るでしょう。出過ぎた意見だとも」
 「さよう。そなたの役割は我々に情報を供することだ。本分を忘れてはならぬ」
 「まことに、出過ぎた真似かとは思いますが……官房長官の澤崎氏の裏外交をブリタニアは把握しています。彼を重用されている枢木首相にも責任があります」
 桐原は僅かに口角をあげた。面白いとでもいうように。
 「意見するのか?」
 ダミアンはどうしてかわからないが――口を衝いて出る言葉の数々に戸惑った。
 いつもより饒舌な気がした。
 「脅威だといっているのです。首相にその気であろうとなかろうと、澤崎氏の行動が第二次枢木政権へ与える影響力と、外国からの眼差し――偏見が。……中華連邦に抱き込まれている男が官房長官のポストにある。ブリタニアに攻め入る口実を与えかねません。近々インドシナ周辺もきな臭い動きをみせています。カストラリアを含む南アジアの目と鼻の先です……」
 しばし、考えに耽る様子をみせた桐原は玉砂利の上に杖の切っ先で叩き、ザクザクと音をたてた。
 この焦燥感はどこから来るのかわからない。もう一押しだと、渇いた唇を舌で湿らせる。
 日本が獲られれば、中立国への不信が募る。カストラリアの国益に関わることである。
 ――どうして、そんな心配をする必要がある?
 国際政治の述懐はダミアンの本分に乖離する。
 「半年前ニュージーランドは既に獲得され、南西太平洋を掌握した。……次は、東南アジア。日本も時間の問題です」
 暫しの沈黙がふたりを包みこんだ。碧空から天道様が見下ろしている。
 やがて。
 「……首相に申してみよ」
 国産重要資源の採掘権の一端を担う重鎮は、瞼を閉じては息を細く長く吐き、ダミアンを睨んだ。その瞳には偉くなったものだな≠ニ非難の色が含まれているような気がした。
 指先が震えていた。
 「しかしな。若造のお前に言っておく。このような物言いは――立場ある者の責任と価値が伴う」
 「……はい。申し訳ございません。大叔父様」
 暑さを忘れるほどの緊張を慰めるように、木々がざあっと一斉に音をたてた。
 ほどなくして、中庭を通り抜けて長い髪を後ろで結んだ巫女服の少女が、桐原の姿を発見するなり駆け寄ってきた。
 「のう。そなた」
 「神楽耶さま。何用でございましょう」
 ダミアンは片膝を玉砂利の上についた。
 「明日はスザクとカブト捕りにいくのであろう?」
 「ええ。私が引率をお務めいたします」
 「……神楽耶も連れていってくれぬか?」
 「神楽耶さまもご一緒に……?」
 周囲を見渡すが、先程まで神楽耶と一緒にいたはずのスザクの姿がない。
 「スザクくんは……」
 「スザクなら一人で遊びに出かけた。……あやつ……神楽耶のことが嫌いなんじゃ」
 ふくっらとした頬をさらに丸く膨らませて、神楽耶は草履の先で玉砂利をつついた。スザクは神楽耶を置いてどこかへ行ってしまった。ふたりの間のやり取りと少女の機嫌は、山海の天気のように移り変わりが激しいようだ。
 「そのようなことはございませんよ、決して」
 スザクのほうが下手に出ていたし、神楽耶の悪戯や乱暴に対してもじゃれ合いの範疇だろう。
 宥めるダミアンに、神楽耶は唇を窄めていじらしく体を揺らした。
 「……どうかなさいましたか?」
 「みな……神楽耶が皇のものだから、言うことを聞いておるのか? 本当は嫌なのに仕方なく?」
 「誰に言われたんです?」
 「それは……」
 言いかけたところで境内の方から「神楽耶!」とスザクの呼ぶ声がして、少女は顔をそちらに向けた。
 道着姿のままどこへやら遊びに出かけていたスザクは、神楽耶のすぐ隣にいるダミアンに気づいて顔を逸らした。
 「あ……オジサン」
 神楽耶はスザクの心中などお構い無しに少年のもとへ走り尋ねた。
 「どうしてじゃ? どうして戻ってきたのじゃ?」
 「どうしてって、当たり前じゃないか」
 「神楽耶はスザクにひどいことばっかり、いじめてばっかりなのに、何で?」
 「そんなの別に酷くないよ」
 「だって石も投げたし、叩いたことも」
 「それほどのことじゃないよ」
 「でも、だって」
 「俺、神楽耶が笑ってるとこ見るの好きだもん。だから全然いいんだ。一人で遊びに行っちゃってごめんな。今度二人でじいちゃんにお願いして、山に遊びに行こうな」
 ダミアンはそっと立ち上がり、桐原の隣に控えた。
 子供らしい喧嘩か、驕りへの反省だろうか。ある程度年齢を重ねると、そのやり取りさえ眩しく愛おしいものへ変わる。
 許嫁同士とは、はっきりとした関係のはずなのに、社会的効力が発揮されるまでは友情となんら変わりない。
 ふたりのように、幼なじみと呼べるものがダミアンにはいないはずが、自分にもそういう時代があったかのように、懐かしく思う。
 「……たいんじゃ」
 「ん?」
 俯いて口の中で唱える神楽耶に、スザクは首を傾げて大きな翡翠色の双眸で覗き込んだ。
 ぱっと上を向いた少女は同様に国石の輝きをぶつけた。
 「明日、行くんじゃろう? 神楽耶も連れていってほしい!」
 「明日? でも神楽耶。明日は稽古が残っているんじゃないか?」
 「明日がよい!」
 「ええ、ちょっと……神楽耶!」
 一度こうと決めたら曲げない性格の皇家の姫君である。
 「神楽耶も連れてって!」
 あまりにもせがむのでスザクはわかり易く、ほとほと困り果てた。少年はどうしようもなくなって、後ろで見守る大人ふたりに助けを乞うた。
 「あはは……わかったよ。明日はオジサンが付き添うから……お願いしてみるよ」
 
 

 a.t.b.二〇〇九 August
 日本・枢木神社


 背の高い木に鴉の群れが寄り付いている。
 ガーガーと威嚇の鳴き声で連携を図り、家族を守っている。人間は山から下りなければいけない時間だ。
 遊び疲れた少女はくうくうと甘い寝息をたてて、一足先早くその日の予定を終えている。幸福な眠りを壊さないようにダミアンは神楽耶を負ぶさってゆっくりと山を下っていた。
 「今日は何匹捕まえた?」
 「四匹。なかなか上出来だ」
 「いいね。帰ったら、カブト相撲でもする?」
 「オジサンそんなの知ってるんだ。ハクシキっていうんだろ? そういうの」
 「ハクシキ?」
 「物知りってこと」
 「スザクくんは物知りだなあ」
 「白々しいぞ」
 カブトムシ達は互いの体を擦り合わせてゼリーにありつく。
 虫かごを大事そうに抱え、彼は胡乱な眼差しでダミアンを見つめた。 
 

 炭と香ばしいにおい。パチパチと細かく弾ける音に誘われて、土蔵から顔を出した黒髪の少年は「呆れた」とひとつ溜息を吐いた。
 「なにそれ」
 「七輪だよ」
 白く丸い土台の中で火が燃え、網を敷いたその上に肉ではなく魚を並べて焼いている。
 はっきりいって迷惑である。美味しそうなにおいがもくもくと辺りに漂い、湿気でカビないように開放している窓や扉の隙間から入り込んでくるのだから。
 慎ましやかな生活を送る少年少女の白亜の城――もとい家の前で屋外調理をする男――ダミアンに向かってルルーシュはわざとらしくもう一度溜息を零した。
 「シチリン?」
 知らない言葉を復唱する。
 その少年の裏で、妹が恐々と様子を窺っていた。
 「お兄さま。なにが燃えていらっしゃるのですか……」
 「すぐそこでオジサンが魚を焼いているんだよ。ナナリー」
 「まあ。お魚を?」
 「まったく迷惑な話だよ」
 土蔵の中にある寝具や生活用品に匂いが移ってしまったらどうするのか。
 一旦扉を閉めてしまおうか、と考えていると邸宅の方から段ボールを抱えて向かってくる乱暴者の少年、枢木スザクが現れた。
 「オジサンー炭持ってきた!」
 「ありがとう。スザクくん」
 スザクはすっかりダミアンに懐いたようだった。ルルーシュはそれにムッとした。自身に心当たりがあったからだ。絆されている――という自覚。
 ダミアンにその気やつもりがなくても、心を開いていく弱さのようなものを感じるのが無性に腹立たしく、嫌だった。
 網の上の魚には焦げ目がつき、細かな油が気泡とともにじゅわりと滲み出し、網下へ滴り落ちていく。
 男はルルーシュを振り返っては、ングで魚を指して、頼んでもいない解説をはじめた。
 「こっちのイワナはスザクくんがね……手掴みで捕まえたんだ。びっくりしたね。こっちのアユは僕。今はハイシーズンで、源流域に多く生息しているんだ」
 代わりに返事をしたのはナナリーだった。
 「釣りって楽しいですか?」
 「お。ナナリーちゃんもやってみる?」
 ダミアンは嬉しそうに笑った。そこへ指摘を入れたのはスザクだった。
 「でもオジサン、もう帰っちゃうんでしょ?」
 それにはダミアンも苦笑しつつ唸った。
 「君たちはいいなあ。いや〜こればっかりはね」
 ナナリーが外の物事に関心を示すのはいい傾向だとルルーシュは思ったが、その魚は海ではなく山のものだろう。山登りにはいくら体力バカであるスザクであっても大仕事になる。ルルーシュは体を動かすのは苦手であるし、ダミアンに負ぶさって連れていってもらわないと実現不可能だろう。
 だが、それにはダミアンの滞在期間が不足していた。
 「滞在期間伸ばせないのか?」
 「……うちの国はちょっと特殊でね。申請通り帰国しないと、厳しいんだ」
 「厳しいって?」
 「カストラリアの法律だよ。帰化人は申請通りに帰らないとオーバーステイ扱いで、罰金と罰則があるんだ」
 スザクは不服そうに口を尖らせて言った。
 「たった数日じゃん」
 それには内心ルルーシュも同じ気持ちだった。
 ダミアンは呻いた。
 「現地ツアーも予約しちゃったし……。それに、罰金を受けちゃうと、次日本に来たくなっても審査が厳しくなるし、また遊べなくなっちゃうよ」
 カストラリアのことは何もわからない。
 だが、そのルールを逸脱するとダミアンが日本には来られない。
 スザクが新しい炭を用意しながら尋ねた。
 「また日本に来てくれる? 今年が最後だって……言ってた」
 「ん? ああ、それは独身だと最後って意味で……次来た時は、もう一人増えてるかも」
 トングで魚をひっくり返して「食べ頃だよ」と彼は子供たちに呼びかけた。


 a.t.b.二〇〇九 August
 日本・枢木家 土蔵


 その夏の、彼との最後の夜だった。
 玩具屋で買って貰ったばかりのチェスは、かつて触れたものよりも安っぽく、素材が軽やかであった。
 駒やボードの材質など気にしたことがなかったが大量生産なりの品質というものだ。ルルーシュは盤面に目を凝らし、整った口元を歪ませた。
 「本当にはじめてなのか?」
 「うーん……遊んだことあったかなあ。将棋と似てるから、そっちの感覚で出来ちゃってるのかもしれないな」
 ダミアンはルルーシュとのゲームを始める前に初心者だと打ち明けた。
 チェスで遊んだことはあるが、数える程度だったからだが――不思議なことに、手詰まることはなかった。とはいえ、ルルーシュは相当チェスが強いのかその夜のうちの試合では一度も勝てなかった。
 一方、ルルーシュはこんなに出来る癖に、初心者とは大嘘つきであると叫びたかった。
 「嘘?」
 「嘘じゃないって」
 「ふん。どうだか」
 車椅子に座ったままのナナリーはくすくすと小さく笑い、不貞腐れるルルーシュを面白がった。
 「お兄さまがチェスで困っているだなんて珍しい。シュナイゼルお兄さまを思い出しますね」
 ナナリーの言葉にダミアンはそういえばそうだったなと、軽く笑った。
 兄妹はブリタニア皇族なのだから、日頃から接点はあっただろう。
 「おふたりは、殿下とは親しかった?」
 ルルーシュは一度、なにかいいたげにダミアンを見た。
 「とってもお優しい方です。シュナイゼルお兄さまは。絵本を読んでくださったり……花冠なんかも編んで……それがとっても上手なんです」
 「たしかに殿下はなんでも出来そうだ」
 ナナリーにそうしたように、ルルーシュにはチェスの相手をしていたのだろう。
 ルルーシュは戒めを込めて「ナナリー」と呟いた。
 「お兄さま?」とナナリーは不思議そうに首を傾げた。
 「嘘つきだ」
 短く吐き捨てて、ルルーシュは膝の上で爪が白くなるほどきつく、拳を握りしめた。
 少年の華奢な肩が細かく震えていた。
 熱の下がった外では、鈴虫の鳴き声が秋の始まりを告げていた。




50
午前四時の異邦人
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