侵攻前夜U







 a.t.b.二〇一〇 March
 カストラリア 王室記念リダニウム大図書館


 図書館の片隅から低く唸る声が、空調機器に馴染んで一定の高さの音を響かせている。
 テーブルには図鑑や事典のタワー。時折ぺらりと捲られる頁。中肉中背の丸まった背。刈り込まれた短い髪。拘りを感じない服装は、緩んだ襟や、表面の毛玉、服の裾から綻ぶ糸でわかった。
 ブリタニアではこのような存在はいない。あるいは、いない者として扱われ、その多くは現代的な出生前診断で篩にかけられ淘汰される。
 前時代であれば、人の目につかない場所で育てたり、親は親族以外に存在を教えようとしない。それは、実は貴族階級よりも平民の方が近年の傾向として顕著であった。
 社会に参画し、活躍し、蹴落とされることが自明であることを憂いて。また、闘争社会のなか自身の生活を守るために切り捨てることを選択する。完全私費で福祉活動を奉仕とする貴族も少なくない。だが、多くは身寄りのない子供や、戦争で傷ついた兵士のためのホスピタルだ。社会ダーウィニズムの思想は、再利用≠フ可能性のある者にしか恵みはもたらされない。
 カストラリアは国民であることを前提に、福祉が手厚く、彼のような者も実社会生活を営める。医療の科学神話が社会階層の上から下まで行き渡り共有されている。善きサマリア人の教えに基づいて。
 捜査線上に立ちはだかった彼を前に、カノン・マルディーニはかつてダミアンが教えてくれた取扱説明を思い返していた。
 ――声をかけるタイミングはトイレに行きたくなった時。足をゆすり始めたら合図です。彼をトイレに連れていき用を立すよう促すだけ――
 こういっては根から差別主義者である意識を持たざるを得ないが、カノンにはそれまでの人生で、その変わった人々と接した経験がなかった。
 ルールに柔軟ではいられず、手順を間違うと声量を度外視し取り乱す人が周囲にいなかった。
 しかしこの国ではそうも言っていられない。
 彼の言っていたように、この図書館の住人≠ヘガタガタとテーブルの下で両膝を震わせた。立ち上がる時間が迫っていた。
 「失礼。……トイレまでご一緒しましょうか」
 彼はまだ、紙の上の文字を熱心に読み込んでいた。膝の震えは大きくなっていたが、しばらく続きそうだ。
 ――ぐずってもこちらが感情的になってはいけません。ルーティン通りに動くのを待ってください――
 カノンはその時が来るのを待った。やがて、彼は一区切りをつけたのかすっと立ち上がり「トイレいきます」と自分自身に命じるように唱えた。
 驚くほど正確無比な足取りで、カウンターに立つ司書に挨拶をして、一日に四度あるといわれる習慣に立ち会った。



 a.t.b.二〇一〇 March
 リダニウム カストラリア王宮 戦略分析室


 「殿下。こちらを。監視カメラから、図書館に隠されていた記録デバイスです」
 執務室での決裁の時間さえ惜しく、摂政殿下と呼ばれる王権の代理人は戦略分析室の片隅にスペースを区切り、そこで執務に専念していた。
 図書館から戻ったカノンは回収したデバイスを、アエギスにある解析部門に託していた。
 「中身は確認したかい」
 「アエギスで一旦解析をさせました。……気分の良い代物ではありません。内容は……スキャンダルの火薬庫といったところでしょう」
 ダミアンはカストラリアを去った。
 半月前、国境となる山岳道のセキュリティカメラで姿を捉えたのを最後に、国内での活動形跡はない。
 彼の行動記録を追う中で、王室記念リダニウム大図書館での出入りを捕捉。図書館内の防犯カメラを提供してもらい、不審な行動にカノンが捜査にあたった。つい一週間前のことだ。
 例の図書館の住人に、彼はある物を託していた。直接手渡すのではなく、ダミアンは短い絵本を彼に渡し、それを図書室の書棚の中に紛れ込ませたのだ。
 カノンはそれを時限告発だと解釈する。
 通常、図書館にある本は識別用のラベルやバーコード、チップを埋め込み適切に管理されている。図書館外から持ち込まれた書籍に関しては、異物として弾き出され、遺物扱いとしバックヤード回収が主となる。もし仮に、そこで不審物が発見されれば警備部門や警察等に届け出がなされる。
 カノンが当該書籍を確認したとき、記録デバイスと一緒に首相官邸へ提出するようにとメッセージカードが挟み込まれていた。
 「先に確認した方がいいかい」
 「できれば、すぐにでもお目通り願いたいところですわ」
 「……わかったよ。彼に渡して。その前に……、ダミアンの住居に映る女性のことでね」
 カノンはすぐ側に立っている捜査官にデバイスを手渡した。
 シュナイゼルは書類を扱う手を止め、手前のデスクで仕事を進める捜査官に声をかけた。モニターにパッと映像が現れた。白んだ景色の中。アパートの角の部屋に行き来する髪の長い女性の姿がある。カノンはフライシュマン事件及び、フライシュマンとされるダミアンの周辺の人物関係を洗っていた。
 その金髪の女性は、ダミアンの婚約者であるも掴んでいた。
 「……彼女は、ダミアン・モリシャルトの婚約者だそうです」
 「婚約者? ふむ。……詳細を」
 「ルチア・マッケンジー。E.U.、首都パリ出身。セキュリティエンジニアです。カストラリア電信株式会社に就労。移民ですが、移民局の仮審査をパスしています」
 モニターの女、ルチア・マッケンジーの姿が拡大される。お世辞抜きで美人といえる容姿をしている。
 シュナイゼルは椅子の背にもたれ、彼女の情報から的確な推測を行った。
 「仮審査まで進んでいるということは、移民要件の三項をクリアしているんだね。婚姻契約で本人の公的福祉が。子供が誕生すると一定の養育経過年数を考慮し、その親族が恩恵を受けられるようになる」
 移民制度のチャート概略だが、仮審査まで進んでいたということ。すなわち結婚まで秒読みだったということでもある。
 ある懸念がカノンの頭を過ったが、あまりにも不謹慎な内容で言葉を慎むべきだろうと問いを押し留めたが、彼は臆することなくそれを口にした。
 「彼は、この女性を抱いたかな?」
 カノンはさっと視線をシュナイゼルから外し、息を呑んだ。
 憚られる疑念。
 各自の仕事に専念する捜査官達も、こればかりはシュナイゼルを振り返ったのは無理もない。
 「素朴な疑問だよ。君たちは不適切だというのかい」
 疑問、というよりも無自覚の中で結ばれた関係性が合法かどうかではないか――とカノンは思った。
 ところが、周囲の者の心配に近い気遣いを裏切るように、シュナイゼルの思考は誰よりも一歩進んでいる。
 「仮にダミアンの生殖細胞が彼女のものに書き換えが行われていたら……生まれてくる子は、一〇〇パーセント女の子だ」
 ダミアンの精巣内にある生殖細胞を、ティラナの細胞から培養した人工細胞と入れ替えていたとしたら――。
 ティラナは女性であるため、X染色体しか持たない。相手の女性も同様であり、完全に女子が誕生する。
 捜査官たちを含めて、カノンは目を瞠った。
 「考えすぎではございませんか。殿下。いくらなんでも……」
 「まさかそこまでするとは、というところまでする人だよ。サロニア公は」
 シュナイゼルは淡々と言い切った。
 反論しようのない懸念がまたひとつ誕生した。
 「娘が生まれてしまえば、王位継承者となる可能性が高まる。誰にとっても不幸なことになるだろう。その前に子供には先天的な遺伝疾患、障害を与えることになる。父性由来遺伝子の機能喪失由来のね。……芽は早期に摘んでおく方がいいだろう」
 父親由来の遺伝子が欠失することで難病を持つことが確定している。病気漬けの脆い命。遺伝子という設計図から狂えば、いくら医療先進国であるカストラリアの、医療技術が進んでいるといっても補完しきれず、その子供はゆりかごから墓場まで病院生活だ。
 「可及的速やかにルチア・マッケンジーの調査を」
 
 

 a.t.b.二〇一〇 July
 京都・嵯峨野 京閣園


 「刑部さんは遅れるそうです」
 髭をたくわえだした宗像が、奥の上座に坐す、頭を丸めた男に向かって事情を伝えた。
 羽織りを整えて、「相わかった」と返す桐原泰三は、中居の出した湯呑から緑茶をくいと一飲みした。
 日本の特権階級――高級料亭『京閣園』の奥座敷。その場には、枢木と皇、刑部を除いた財閥家の長が首を揃えていた。
 「先日、枢木首相が極秘通達をカストラリアに送った。……して、ダミアン。そなたの暗躍、方々より聞き及んでおる」
 「……はい。大叔父様」
 中央の長い机にはつかず、座敷の隅に正座するダミアンがひとつ首を垂直に振った。
 「インドと、繋いでくれるな?」
 ダミアンはサクラダイトの横流しの件で雷を受けるつもりでいたが、想像よりも易しく、無傷で帰れそうだと密かに安堵していた。
 桐原ほどの者が長らく泳がせておくわけないとはいえ、この老獪は、やはり先を読んでいるようだ。正式に一枚噛ませろとのことだ。
 先週から、ブリタニア船舶の動きは怪しく、表の報道にも言及されるようになってきている。桐原には常に最悪の計算があるようだ。たとえば、非常事態に陥った時に逃げ込む先を欲している。だが真の目標はカストラリアではなくインドにある。
 「勿論です。……今後は直接契約をなさったほうがよろしいかと」
 「ふむ。まあ、そちらにも立場があろう」
 「お咎めはなしということですか?」
 言質をとるために、ダミアンは敢えて確認した。
 「無断で行ったことには些か思うところはあるが、大目に見よう。……良いな?」
 桐原の言葉に、ダミアンはもう一度、首肯した。そして既に大局が動き出していることに口を挟まずにはいられなかった。
 「……首相が送ったという、極秘通達にはなんと?」
 「くく……極秘というからには、中身について知りようがなかろうて」
 「そりゃあそうだ」といって、それまで黙ってふたりのやり取りを静聴していた宗像と公方院が笑った。
 「さてさて、摂政殿下はどう動くか……。人質への情を優先するか、益を取るか」宗像が揶揄をまじえて言った。
 人質とは、摂政殿下の留学中の異母兄妹のことである。ダミアンは鋭い視線を上座に向けた。
 「桐原翁。さては、すべてご存知なのでは?」
 「アドバイスには乗ってやったな」
 すっとぼけたように桐原は宣った。それはほぼ、通達文書の内容を知る者といっていいだろう。
 「中立国同盟の線を採るべきです」かねてからの主張をダミアンは繰り返した。
 「まだそれを言うか、ダミアン」
 「まさか……日本、ブリタニア、中華連邦、……仲裁役にカストラリアを含めた四者会談を望んでおられるのですか? 昨年の……タイのように上手くいくとは限りません。……分割占領となればより事態は悪化しますよ」
 「それも返事次第よ。あの若造のな」
 桐原の笑みは歪んでいた。
 ダミアンはさっと立ち上がった。
 「枢木首相に直談判します」
 「よせ。ダミアン。賽は投げられた。この期に及んで、貴様のいうやり方では手遅れだ。同盟などと……中華連邦を刺激し、報復を招くよりは軽く済む」
 ダミアンは桐原の制止を振り払い、静岡へと向かった。



 a.t.b.二〇一〇 August
 日本・静岡 枢木家


 枢木ゲンブは週末には本邸に戻っていることが多い。
 彼もまた傍流であり、その後ろ盾の親族には厄介をかけることが多く、子息に東京暮らしをさせず親族に預けていることもあるのだろう。
 枢木神社へと続く長い石の階段は日によく焼け、光を鋭く反射している。特に十数段登っただけで、ダミアンはぜえはあとみっともなく息があがった。その胸の苦しさと、自身の体力の衰えを痛感した。
 白いシャツは汗を吸い、生地が透け、顎の先からは汗が滴った。
 頂上に到達すると、一年前にも浴びた快い風が背中を柔らかく冷やした。
 ――遠い昔のことのようだ。
 別人だった頃の記憶。
 人生に憂いなどない。健全な男と、今のダミアンは丸きり異なる。意気揚々と坂道を登り切った先で、転落するような人生を進んでいる。
 そんなダミアンの目の前には、境内の端で、白い胴着に袴姿で木刀を振るう少年がいた。
 武術を嗜む彼は、この一年で剣道にも着手したのだろうか。木刀の素振りをするスザクは、玉砂利を踏みしめる音に振り返り、大声を出した。
 「オジサン!?」
 ザクザクと軽快な足取りで、スザクはダミアンの元へ近寄った。
 「君のお父さんと話があるんだ。大事な」
 ダミアンの声は薄っぺらく、覇気がなく、柳の下に佇む亡霊のように平坦な調子であった。スザクは心配から声をかけようとしたが、ダミアンの手を握って、その手の冷たさに「わっ!」と仰天した。
 ふと、劣悪な土蔵住まいの兄妹のことを思い出したダミアンは、その視線の先にある、相変わらず白壁の剥げた土蔵をみてスザクに尋ねた。
 「ふたりはまだ蔵に暮らしているのかな」
 「……もうちょっとマシなとこに移ればいいって言っても聞かないんだ」 
 「そう」
 その日は、差し入れのことなどちっとも頭になかった。少ない手荷物の中から財布を取り出し、休憩所にある自動販売機で飲み物を買うことにした。
 「ジュースがいい?」
 スザクは青白い顔の男を見上げて「オジサン、顔色悪い」と言った。
 「夏風邪気味でね。……ごめん」
 ――なにに対する謝罪だろうか。
 去年の夏よりも、子供たちの親切が行き届かない大人としての情けなさか。本当のダミアンではない、嘘をついていることへの罪悪感だろうか。
 「ごほごほ」と、わざとらしい咳の真似をして、少年の抱く疑問や不安にわかりやすい答えを用意してやる。
 「話が終わったら遊んでくれる? あ……いや、やっぱり休んだほうがいい……よな。布団を敷いてもらうように頼んでくる」
 「……飲み物は、何にする?」
 スザクは缶ジュースのボタンを押した。すぐに下の取り出し口に飲み物がガコンと音を立てて落ちた。
 引き続き硬貨を入れて、二本目を選ぶよう勧めた。
 「あの子たちは、何がいい?」
 うんと背伸びをして、スザクは迷わずにふたりの分を選んだ。この一年で、子供たちは仲良くなれたようだ。
 「ふたりにも知らせてくる!」
 スザクは全員分の飲み物を両手に抱え、土蔵の方へ走った。そこで入れ違いに邸宅から一人の女性が出てきて、来訪者のダミアンに気がついた。
 枢木ゲンブの妹。スザクの叔母である真冬であった。
 「あら。誰かと思ったら」
 「ご無沙汰しています。真冬さん。……首相はこちらに?」
 「書斎にいますよ。お茶をお持ちしましょうか」
 「いえ、お構いなく」
 社交辞令の微笑みを欠かさず、ダミアンは申し出を断った。
 真冬は中へ入れてくれた。一年前と様子が変わったところは特になかった。
 よく磨かれたぴかぴかの板間の廊下。植樹された庭の松の木。雇われた使用人の顔も相変わらずだ。

 書斎の前に立ったとき、室内で誰かとの話し声がした。電話口でのやり取りのようだ。
 ――国内のプロパガンダは上々……ああ。……あのふたりは……煮るなり焼くなり好きにしろ……――
 耳に入ったのはほんの一部分の内容に過ぎない。しかしその内容に危機感を募らせたダミアンは、力をこめて扉を叩いた。
 「入れ」と硬い声が厚い扉の奥からくぐもって届いた。
 背筋をピンと伸ばし、軍隊式の敬礼で入室した。それがこの男の前では、正しい作法のようが気がしたからだ。
 「失礼致します。首相閣下」
 「今朝方、こちらに来ると桐原から連絡があったが……巫山戯た話は丁重にお断りしたいところだな」
 意志の強い鋭利な眼差しを受け、ダミアンはまどろっこしい挨拶もなしに「通達文書を届けられたと伺いました」と切り出した。
 「それが? だからなんだというのだ。引き下がれ。此度に関して、お前の出る幕にない。……サクラダイトの件は命拾いしたな?」
 論点をはぐらかそうとするゲンブに乗らず、ダミアンは追及を続けた。
 「カストラリアからの返事は?!」
 「さてな」
 答える必要などない。
 ダミアンもそれは理解していた。若造の戯言。一介の兵士。傍流の異国の人間。何一つ主張をしたところで無理筋な言い分であると、発言力がないと、理解がある。もはやそれは、自己の立場を顧みない狂人の領域に踏み込んでいるとさえ。
 湧き上がる焦燥感はいったい、ダミアンの中にある誰のものだろう。
 ゲンブは葉巻を手にし、先をシガーカッターの刃で切り落とした。
 「先程……貴方は……電話で、どなたとお話しになっていたのですか? あのふたり……ブリタニアの兄妹のことですね?」
 「関係のない話だ」
 「お二方はカストラリアに亡命させてください」
 「聞き入れる筋合いはない」
 「子供たちを、巻き添えにするおつもりですか」
 「あれはただの子供ではない。政治道具だ。下がれといっている。これは日本とブリタニアの問題だ」
 「では、なぜ四者会談を通達された!」
 「あの狸め。ベラベラと」ゲンブは吐き捨てた。
 ダミアンはゲンブに詰め寄っていったが、控えていた使用人が飛び出てきて腕を引き留めた。
 「こいつを摘み出せ」
 「枢木首相!」
 ダミアンは叫んだ。食い下がるので、ゲンブは肩を突いた。実に軽い力だったが、筋力の落ちたダミアンの身体は風に煽られる案山子のようにふらついた。
 「では、良案があるというのか? それ以上のものが」
 「ですから、中立国同盟をといっているんです!」
 枢木ゲンブは目はみるみる血走り、鬼のような形相で怒号を飛ばした。
 「日本はサムライの国だ! たとえ本土決戦になろうとも最後まで戦い抜く。それが大和魂だというのがわからんのか!」
 「そんなものは、精神論でしかない!」
 諦めじと食い下がる。
 完璧などない。最悪の敗けよりも、多少マシな敗北の方が価値がある。
 「貴様のは甘ったれた理想論だ!」
 生ぬるい唾が顔に吹きかかる。つい瞼を閉じた。
 混乱していた。酷く、酷く。ぐるぐると世界が廻っていく。
 なんてことない否定に、ここまで揺さぶられたことがあっただろうか。
 「……四者会談に漕ぎ着ける理由は?!」
 「信用ならん」
 「は?」
 「カストラリアは、所詮ブリタニアの犬。属国である国家と組む。それはただ敗けることよりも、もっとも惨めなことだ」
 つまり――カストラリアと同盟を結ぼうというのは、どのみち日本にとってはブリタニアに屈服することと同義であり、またその手を借りるということは、カストラリアの下にぶら下がると彼はいっているのだ。
 「ブリタニアの庇護ありきの斜陽国家が、どう吠え面をかこうが知ったことではない。……二カ国での提携よりも最善策が既にある。だから四者会談だ」
 わかったか?――と彼はニヒルに笑い葉巻を持ったまま、ダミアンの横を過った。
 「この混血の擬い物め。二度と私に指図をするな。青二才が」
 廊下に消えていく足音。窓越しに蝉の合唱が喧しい。使用人が一人、二人と書斎を出て、その足音さえ遠ざかっていく。 
 いつまでもそこで佇むわけにはいかない。脚が震え、握った拳の内側は爪が傷をつくっている。
 ゆっくりと呼吸を再開し、汗が噴き出した。
 やがて足を書斎の出口へと向けると、そこにはスザクが待ち構えていた。
 「あ……ごめんなさい……」
 居心地の悪そうな顔で、ふいっと顔を逸らした。彼は先程の話を聞いていたようだ。
 ダミアンは言い繕うこと、誤魔化すことも、手遅れだとわかったうえで、何事もなかったかのように調子を取り戻そうとした。
 「……ふたりに会っていってもいいかな」
 「あ、ああ。……こっち!」
 スザクは顔を上げ、ダミアンの手を引っ張った。そして、廊下を歩きながら話しを続けた。
 「今日は泊まっていくんだろ?」
 先のやり取りを思えば、すぐにでも出ていった方が礼儀に適っている。
 少年は色素の薄い柔らかな髪を夏の光に透かして、土蔵まで連れ歩いた。
 「泊まっていけって。マフユさんに言ったから。布団の用意してもらったし。……父さんは……明後日にはいなくなる。来週は帰ってこられないかもしれないって。今すごく大変な時期だって……」
 その先もスザクはなにかと話し続けていたが、ダミアンの意識はぼんやりとしていた。
 ゲンブとのやり取りで激しく消耗し、疲れ果てていた。
 


 a.t.b.二〇一〇 August
 枢木神社 土蔵

 
 一年前に来た時と変わらぬ、古びた白亜の城は健在だった。
 そこは、身分に不相応の倹しい生活を送るブリタニア人兄妹の住処で、スザクは何度か本邸の用意させた部屋へ移るよう勧めたが、ルルーシュのプライドが許さなかったようだ。
 ダミアンがスザクとともに土蔵に失礼すると、ちょうど買い物袋を設えたテーブルの上に置いたところだった。一見すると少女にも見紛う容姿の少年は、訪問者の影に飛び跳ねた。
 「お邪魔するよ。ルルーシュくん」
 「お前……」
 驚きすぎてルルーシュは声が出なかった。
 彼はダミアンに対して、小さな違和感を覚えたが、それが何であるかはわからなかった。
 土蔵内には小さな豆電球の光源はあるが、夕刻の寂しい朱色が暗闇を息衝かせており、奥のほうは絵の具のようにぺったりとした濃紺に塗りつぶされている。
 「ナナリーちゃんは、元気?」
 ルルーシュの隣に立ったスザクは軽く頬を抓った。
 「ああ……いてっ。何をする!」
 「挨拶くらいちゃんとしろよな。人間のキホンだろ」
 「うるさいな!」
 喧嘩に発展しそうなやり取りだが、ふたりの距離はたしかに縮まっているようだ。
 「そのお声はもしかして、ダミアンさん?」
 きい、と車椅子の軋む音がした。
 土蔵奥で闇の中に潜む小さな影が射した。
 ダミアンはわざと足音をゆっくりと大きくたて、少女の目の前に寄った。
 ルルーシュの妹のナナリーは、久しぶりの登場に嬉々としダミアンの手を握った。
 「久しぶり。大きくなったね」
 「また夏休みでご滞在されるのですか?」
 「長い休みだよ。今度は」
 「長い休み……?」
 ナナリーは首を傾げて、ツインテールのウェーブがかった穂を揺らした。
 ダミアンは生活感が増した土蔵の中を見渡し、ある変化に気づく。一年前にはなかったもの、今はあるもの。分厚いブラウン管のテレビが木箱の上に置かれていた。
 「テレビがあるね。どうしたのこれは」
 「あー……お古だ。電気引っ張ってきてやってる。日曜の朝の特撮が観たいって言うから」
 「おい、それを言うな!」
 スザクが真っ先に答えた。ルルーシュは頬をほんのりと朱に色づかせ、秘密の暴露を防ごうと喚いた。
 「何だよ別に。言ったって何にも減りゃしない」
 「へえ。こりゃいいや。わざわざ母屋に行ってみるのも気を遣うだろうし。……ニュースもちゃんと映る」
 ダミアンはテレビ前の敷布の上に胡座をかき、主電源を入れた。スザクの説明したように電気を引いており、ブツンと音をたてて映像が映った。
 ちょうど公共放送の夕方の報道の最中で、アナウンサーは模範的な日本語で世界情勢を報じた。

 [……続いてのニュースです。神聖ブリタニア帝国は本日未明、ユーロピア共和国連合の管理下にある北アフリカ戦線へ大規模な兵力を投入し、奇襲作戦を展開しました。これに対し、現地のE.U.各州軍は即座に応戦態勢に入っています。ブリタニア軍は皇帝直属の精鋭部隊、ナイトオブラウンズの一部を投入したとの未確認情報もあり、戦局は混迷を極めています。防衛省の軍事専門家の見立てによれば、この作戦の完了には七日から十四日ほどかかるとの見込みです]

 ――ん?
 ダミアンはニュースを耳に入れながら、小首を傾げた。

 [各国の対応は次の通りです。中華連邦は「不干渉の原則を貫き、事態を静観する」との声明を発表しました。一方、極東の我が国では、このアフリカでの軍事衝突の余波を受け、サクラダイトの国際市場価格が一時的に高騰し、東京株式市場にも影響が……]

 アナウンサーが遠い異国でのニュースを伝えている。
 それを黙って聞いていたダミアンは、両手でブラウン管を挟み込むように持った。

 ――七日から、十四日?
 ダミアンの脳内で、無数の情報と兵站のデータが凄まじい速度で弾き出されていく。
 ――馬鹿な。
 あのブリタニアが、それもナイトオブラウンズ≠ェ介入するほどの戦力で、北アフリカの制圧に二週間もかけるはずがない。彼らのドクトリンは圧倒的な機動力による短期決戦だ。本気で獲るつもりなら、数日で主要拠点を落とせるはずである。
 それなのに、わざと戦局を長引かせているように見える。
 世界の目を、メディアの目を、意図的にアフリカへと釘付けにしているのだ。
 「……陽動だ」
 乾いた声が、唇からこぼれ落ちた。
 アフリカにこれだけの耳目を集めているということは、別の場所で何か≠隠している。
 ブリタニアの太平洋艦隊の動きが、ここ数日不気味なほど静かだった理由。中華連邦が早々に静観≠決め込んだ理由。そして、枢木ゲンブの楽観的な態度。
 点と点が繋がり、最悪の絵が完成する。
 彼らが真に狙っているのは、サクラダイトという世界最大の火種を抱えた、この極東の島国だ。
 「……時間がない。日本が、沈む……」
 ダミアンは立ち上がり、血の気の引いた顔で土蔵を出て、空を仰いだ。
 夏特有の茹だるような暑さの中で、彼の背筋だけが凍りつくように冷たかった。
 しかし――ダミアンには、もはや何もできない。
 枢木ゲンブが通達を出した。返事は? 答えは? 四者会談までの日程は? それは間に合うのか? ブリタニアはYESというか? 中華連邦は?
 音がうねり、曲がり、奇妙な音をぐねぐねと、盤の反ったレコードのように歪に繰り返している。
 白い土の上に、熱い雫が散った。
 「ダミアンさん……?」
 土蔵の中で、ダミアンを呼ぶか細い声がした。
 少年ふたりが、その場で膝をついたダミアンの周りを取り囲んだ。
 「お前……泣いてるのか?」
 「オジサン?」
 少年たちは戸惑ったまま、お互いの顔を見合わせた。
 「ごめん……」
 謝って済むことではない。
 だが、もうどうにもならないことが、その時はっきりと宣告されているようなものだった。
 「ごめんなさい」
 どこからやってくる哀しみか。絶望か。
 ダミアンは、ルルーシュとスザクの顔を見比べて、ふたりを抱き込んだ。
 「お、おい! いきなりなんなんだ。放せ! 暑苦しい!」 
 ルルーシュが甲高い声で叫んだが、ダミアンの体が細かく震えていることに気づいて、彼の戸惑いが増すばかりだった。
 


58
午前四時の異邦人
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