a.t.b.二〇一〇 18th August
日本・枢木神社
翌朝一番、ダミアンは子供たちを連れて山を下りた。
尽く蹂躙されたあとの瓦礫の山。残骸ばかりの市街地を抜けて、枢木神社に向かった。
車中の会話は冷房のゴーという音と沈黙に占められた。それは、絶句といったほうがいい。後部座席では、ナナリーを挟んで両側に座るルルーシュとスザクは、それぞれ左右の窓から、ブリタニア軍の暴虐の限りを尽くした爪痕と現実をまざまざと見せつけられ、打ちのめされていた。
細かい道には回り込めず、瓦礫を除いた大通りをゆっくりと走った。仮設避難所を通り過ぎるとき、何人もの遺体が屋外に晒され並べられているのを見かけた。国際人道支援機関をはじめ、国際救援委員会ことICRの支援は遅れているようだ。ブリタニアが活動を拒否しているのだろう。
侵攻から一週間もあれば、人道回廊の設置交渉があり、現地には緊急食糧や医療物資の搬入が始まっていてもおかしくない。
だが、主要道路から外れた通りのあちこちに遺体が見受けられる。夏の暑さで進む腐敗。鼻がもげそうな腐臭が潮風に混ざり、さらに地獄の様相を呈している。
バックミラー越しにナナリーがその違和感に気づいたのを、ダミアンは見逃さなかった。
盲目である少女の嗅覚はより発達している。――周囲の兄やその友人、運転手役の男が無言でいる空気を読み気遣っているのだろう。
「……スザクくん。……バッグにマスクがあるから」
「あぁ……うん……」
スザクの膝の上にはダミアンのバッグがあった。彼は力なく返事をするのが精一杯なようだ。
運転席でハンドルを握るダミアンは、鎮痛剤を一錠だけ飲んでいた。気休めにしかならなかったが、子供たちの手前、体調のことで心配をかけるにはいかず黙っていた。
ルルーシュはナナリーの事を考えて、亡命を決断した。
ダミアンにはその瞬間から、ふたりのブリタニア皇族を安全に第三国へ避難させる任務を――拝命を賜った。
あのまま、山奥の別邸でふたりきりにすることも難しく、スザクを本邸へ帰したあと隙を見計らって再び別荘に戻ることになっている。桂木と密に連携し、亡命の足の用意は進んでいるが、ブリタニア軍によって空港も湾港も押さえられている。その上、カストラリア船籍の貿易船や飛行機はあと数日程度で取りやめになる可能性が浮上し――亡命の猶予期限が刻一刻と迫っていた。
熱海にある枢木本邸には、午後に到着した。
神社には周辺の住人が集まっているようで、仮設テントが立っているのが見えた。
ダミアンはナナリーを抱き上げ、ルルーシュとともに裏側から土蔵へ。スザクは神社の表の階段から入り、枢木邸へ向かった。
侵略戦争を始めた国。ブリタニアの皇族がどのような扱いを受けるかなど、想像に容易いだろう。周辺に住む人々は枢木家の事情にも詳しく、なおのこと二人の兄妹の存在を隠蔽する必要があった。
「ダミアンさん」
ナナリーが小さな手でダミアンの胸の上でシャツをきゅっと握った。
「大丈夫だよ」
階段がある表と異なり、盛上がった小高い丘。太陽直下。真昼の草原は草いきれでむっとしていた。手摺のない斜面を登るのはなかなか厳しい。ルルーシュは数十メートル登ったところであっけなく息を切らした。
「お兄さま」
「平気さ。……こんなの……」
「ルルーシュくん、手を繋ごう」
ルルーシュの細く生白い手を握り、引っ張り上げる。
彼らの住処である土蔵に入り、ナナリーを敷布の上に降ろしたあと、ダミアンは激しく咳き込んだ。
扉を閉めたルルーシュが駆け寄った。
「オジサン」
「ダミアンさん。大丈夫ですか……?」
ナナリーが覗き込み、ダミアンの手に触って小さく悲鳴をあげた。
「ごめん。……少しすれば落ち着くから」
火を吹き出しそうなほど体が熱いのに、指先や足先などの末端は氷漬けにされたように感覚がなかった。
肩から提げていた鞄から、ペットボトルと薬瓶を取り出す。震える指で薬を掴み、一気に飲み込んだ。
ナナリーにはその様子が見えないが、ルルーシュにはひどく危険で深刻な状態が伝わっている。「ビョーイン」と彼は呟いた。
市街地の病院の医療リソースは接収か、避難所などに吸収されている。治療といっても、せいぜい火事場泥棒で薬を盗み出すことくらいだ。
悲劇とは、呼吸する間もなくやってくる。
兄妹を土蔵に隠したあと、車に戻って備蓄品を表のテントまで運び出し、そこでマフユと再会し、炊き出しの手伝いをすることになった。
枢木家の台所では、マフユが連日持ち寄った食材をもとに食事を振る舞っていたようだ。
「そういえば、スザクさんは?」
「スザクくん? 見ていないですか? こっちに先に来たと思いますが」
「え? ……ご一緒だった?」
「僕はおふたりを土蔵にお連れして……あ、マフユさん、このことは内密にお願いします」
気取られないよう声のボリュームを落とす。マフユは割烹着姿で、大鍋で煮立つ野菜の味噌汁をかき混ぜた。
「もちろんです。……あ、もしかすると、兄とお会いになっているのかも」
身につけたばかりのエプロンと薄手袋を引き剥がし、ダミアンは「呼びに行ってきます」と台所を出た。
邸の奥。書斎の扉は軽く開き、そこから話し声が漏れていた。
それは――ほんのささやかな行き違いだったにちがいない。それとも、衝動か。
ダミアンが耳にしたのは、少年の抗議と反抗の声。
高圧的な男の深い声と叱責。
しかし、一気に静寂が訪れ、苦しみ呻き、どさりと重たいものが床に崩れる音だった。嫌な予感は的中していた。
書斎の扉を勢いよく開けると、床には男の巨体が崩れ、ソファを背に倒れ込んでいるのが視界に入った。
そのすぐ側で立ち尽くす、癖っ毛の少年は彼の息子だ。憔悴しきった表情。限界まで見開かれた両眼。もう一度、斃れた男を見遣る。腹部には凶器が深く突き刺さっている。
「おれ……あ……おれが……」
子供の声は掠れ、舌が縺れたままなにかを発しようとして、上手くいかない。
注意深く書斎の外を確認し、扉を閉じる。ダミアンはそっと歩み寄り膝をつくなり、スザクの小さな体を抱え込んだ。踏ん張る力もなく彼はすんなりと倒れ込んだ。薄い体の内側で、ドクドクと心臓が早鐘を打っている。
「……ぁ……おれ……」
ボロリとこぼれた大粒の熱い涙が、ダミアンの、胸元に染み込んだ。
「大丈夫だ」
小さな頭の後ろに掌で包みこんで、強く抱きしめる。父親の死相が目に焼きついてしまわないように。今日のことを何度も思い返して、その顔が何度も迫ってきて、少年の心を殺してしまわないように。
「大丈夫。……大丈夫……大丈夫だよ」
荒々しい呼吸が耳元で繰り返される。祈るような気持ちで、少年を宥め続ける。そうすることが、ダミアンに出来るすべてだった。
――ひとりじゃないよ。
昔々、誰かにこうされたかった。その時々を逃して、遠くに置いてきてしまったけれど。
全力疾走する獣のような激しい呼吸が落ち着いて、強い緊張が解けるまで。長い間、秒針を数えていた。
「ルルーシュくんたちのところへ行くんだ」やがて、胸の中にいる少年に囁いた。
「……オジサン」
「僕は……、炊き出しの途中に抜けてきたから。少し遅れると言っておいてくれるかな。マフユさんに」
「オジサン、まさか」
言いかけるスザクの身を、扉を開けた書斎の外へ押し出す。
スザクは慌ただしく、ダミアンの脚に腕を巻きつけて引き止めた。
「やめろ、やめろって……!」
枢木ゲンブの亡骸のもとに寄ったダミアンは、その場にしゃがみ込み両手を合わせた。
そして、握ったハンカチが柄の指紋を拭った。後ろでスザクは言葉にならない悲鳴をあげた。
「あぁっ!」
そして、父親の腹部に刺さったままのナイフを引き抜ことうと腕を伸ばした。ダミアンはそれを払い除けた。
「引き抜くと血が出る」
酷く傷ついた表情。少年の大きな瞳から、ふたたび涙が溢れていった。
硬い声でダミアンは、でっち上げの経緯を言い聞かせた。
「僕が枢木さんと口論になっていたのは、皆知ってる。この家の人も。桐原さんも。……疑うなら、スザクくんにはいかないだろう」
「オジサンは、悪くない! ……おれが……体が……いや……こうしないといけなかった! ……こうしないと、父さんは戦争をやめないから!」
感情に振り乱されるスザクをそのままに、言い聞かせるように言った。
「正当防衛だよ。僕が目撃者で証人だ。君は悪くない」
スザクは唇を震わせたまま何も言えず、立ち尽くした。
「土蔵へ行きなさい。二人にここを出ると伝えて」
「行きなさい」石像のように固まった彼に、もう一度強く命じた。
ゲンブの遺体にはブルーシートをかけ、室内の冷房の温度を下げた。腐敗の進行を遅らせるには、最悪の季節だ。
その日、予め首相に呼び出されていた桐原が、夕方遅く枢木邸の書斎に到着した。
桐原は粗方の事情を知り、僅かな動揺を滲ませたが、やがて確認がてらシートを捲った。
「……お前がやったのか?」
「ええ。私が」
桐原の背後で、ダミアンは鷹揚に頷いた。
溢れた血溜まりに沈む男。その姿には見覚えがあった。
燃え盛る建物の中央。中庭の噴水。寄り添うように並ぶ、ふたつの躯。
――……国王陛下。
大人の都合で、子供に罪を、手を汚させてしまった。胸の中に広がる苦々しい味。
もしも罪が子供にあるというのなら、戦争をする大人が最初に罰される必要があるだろう。
死後硬直の進行する青白い顔を眺め「表向き、自決とする」と桐原は言った。ダミアンは静かに宣言を受け止めた。
「真相を流布したところで、つまらぬ混乱を招くだけよ。それに、手筈が整いつつある。官房長官にはわしが伝える」
第二次枢木政権の官房長官。澤崎敦。親中華連邦派の男だ。
徹底抗戦を唱えている首相にはそれらしい物語があたえられるだろう。そして、日本は確実に敗北を喫するが、現在の日本軍にブリタニア軍の最新兵器に勝る戦略も戦術も殆どない。せめて――莫大なサクラダイトを引き渡したうえで命乞いをする道が残されているのみ。
そのサクラダイトを握るのは――この目の前の桐原財閥総帥、桐原泰三だ。
戦後を見据えて彼は既に動き出している。ブリタニアとの交渉が進んでいるということだろう。
「……時期を見計らい、子らを連れ京都へ行け。食料の備蓄にも限界がある。じきここも攻め入られるかもしれん」
「承知しました」
一礼し、ダミアンは書斎を去った。長い廊下は残日の光が赤く燃えていた。
a.t.b.二〇一〇 September
日本・静岡 避難所
亡命の約束はスザクの心身を重んじて、京都へ行ってから果たすことになった。
水と食料を分けて貰うために、テントに入ったところでふたりの少年が瓦礫や産業廃棄物と化した車や、時を止め破壊の残滓に変わり果てた鉄くずの中で血のような夕陽を浴びていた。
子供たちは死体を焼くにおいさえ、この一ヶ月で気にならなくなっていた。
数日分の物資を抱え、ナナリーの待つ車へ足を向けたとき、ルルーシュの憎悪の籠もる力強い叫びがこだました。
――僕は……、ブリタニアをぶっ壊す……!――
彼の憎しみを否定する者はいない。
ダミアンには瑞々しさはないものの、ブリタニアが経済大国の日本にここまでの強硬的侵略戦争を仕掛けるのには、やり過ぎ感が否めない。
もっともルルーシュには、日本国民への情よりも、人質の価値を毀損させた母国や、その決定を下した父へ向けられているだろう。
トランクに荷物を詰め込んでいると、ルルーシュがダミアンに駆け寄った。
「オジサン。計画はどうするんだ」
「……昨日、教えた通りだよ。桐原さんから京都に行けと言われたんだ。……こうなってしまったら、ルートを変更して京都から別の亡命ラインを繋いで貰ったほうがいいかもしれない」
ルルーシュがなにやら口を開きかけたとき、避難所の前に黒塗りの高級車が停まった。
後部座席の扉が開き、明らかに日本人ではない男が現れダミアンに近づいた。咄嗟にルルーシュを背に隠し込み、ナナリーのいる車の前に立ちはだかった。見かけは紳士然とした背の高い男だが、ブリタニア人であると直感した。
「失礼。貴方は……?」
「ルーフォンド・K・アッシュフォードだ」
男は静かに名乗った。
聞き覚えのある名に、ダミアンは確認するよう繰り返した。
「アッシュフォード……まさか、あのガニメデの?」
男は「そうです」と肯定した。
アッシュフォード。医療・福祉面からKMFの初期開発に関わっていてたブリタニアで有力なアッシュフォード財団の理事および、伯爵である。
しかし、後見を務めていたマリアンヌ皇妃が亡くなり、爵位を剥奪。現況は知らないが、彼の目的はマリアンヌ妃の遺した子供たちだろう。
「現在は亡命の身」
アッシュフォード家の亡命を受け入れる国はいくつか思い浮かぶが、大抵のブリタニア貴族はカストラリアを希望する。
「亡命……まさか、カストラリアに?」
ルーフォンドは僅かに、眉を顰めた。
ダミアンはそのとき、このアッシュフォード氏なら兄妹を安全に、合法的にカストラリアに亡命させてくれるかもしれないと思った。
「貴公は……おふたりの救出にいらっしゃったのですね?」
「さよう。随分と話の飲み込みが早いようだが、貴方は?」
「申し遅れました。ダミアン・モリシャルトといいます。……カストラリアでは陸軍に所属しておりました。階級は軍曹であります」
アッシュフォード氏はダミアンが名乗ると、得心がいったようだった。
「おふたりを私に託していただけますな?」
一瞬、答えを躊躇った。
後ろのルルーシュが服の裾を握った感触が伝わる。
このまま京都へ行って、素直に亡命できるかどうか不安要素が残っていた。桐原家がふたりを利用しないとも限らない。桐原泰三はサクラダイトでブリタニアと手を結ぶかもしれない今、兄妹は格好の政治材料だ。ダミアンには、兄妹を守り切る力が不足している。
枢木ゲンブ自決≠フこともある。
たった今、ルルーシュとこれからの話をしていた。長野の別荘を通じて福岡に向かう道と、京都へ行く道。新たに、マリアンヌ妃の後ろ盾であるアッシュフォード氏に引き渡す道。ダミアンは岐路に立っている。
一番の問題は、ダミアンの余力である。途中で力尽きてしまえば、困るのは子供たちだ。
「……はい」
苦渋の決断を下す。
痛覚の麻痺した体のなか。ツンと新鮮な痛みが胸に広がった。
ダミアンはゆっくりと、ルルーシュの前から退いた。目の前で二転三転とする展開に、ルルーシュは「オジサン」と呼んだ。
あっさりと計画を違えるというのか。ルルーシュには当惑を隠せなかったが、ダミアンは「身の安全を最優先すべきだよ」と優しく諭した。
ルーフォンドはふたりの子供を目の前で、恭しく胸に手をあて挨拶をした。
「ご挨拶申し上げます。ルルーシュ皇子殿下。ナナリー皇女殿下。……急なお話しでございますが、我々と一緒に避難して頂きたく存じます」
ルルーシュの縋る瞳は、アッシュフォード氏ではなく、裾を握ったままの男に向けられていた。
a.t.b.二〇一〇 September
日本・京都
桐原家まであと少しだった。
内陸側の市内の被害は熱海に比べて少なかったが、あちこちにブリタニア帝国軍旗が掲げられているのを見かけた。
ルルーシュとナナリーをアッシュフォード氏に引き渡して数日。ひとりきりになったスザクは、広くなった後部座席に体を横たえ、宙を眺めていた。
「スザクくん」
「……どうしたの。オジサン」
スザクの声には元気がなかった。
後部座席に顔を出して、ダミアンは優しく語りかけた。
「ブリタニア軍兵士がそこかしこにいる。……あまり言いたくないが、かなり軍規が乱れているみたいだ」
通りの先には、まだ新しい血溜まりが伸びている。
民間人の殺戮は人道上あってはならないことだが、罷り通っている。スザクはもう動じることなく「そうなんだ」と相槌を打った。
「……今から徒歩で桐原へ向かう。万が一の話をしよう。もし、狙われたら君は走って桐原に行くんだ。そこで保護を求めること」
「……オジサンは」
「時間を稼ぐよ」
「嫌だ」
スザクは起き上がった。反応は予想通りだった。
「大丈夫。すぐに追いつく。少なからず、オジサンはカストラリア人で……もしも、僕を殺したら……ブリタニアは条約違反を犯したことになる」
スザクは断固として「嫌だ」と拒絶した。
「いいかい。君は、枢木首相の息子だ。要人の息子で、……この国で一番大切な人だ」
「父さんをころしたのは、おれだ……」
父親殺しの罪悪感がスザクの心を蝕んでいる。痛々しいほど思い詰めて、数え切れないほど涙を流している。
「スザクくん」
「消えないんだ。刺したときの……感触が」
「……ああ」
ダミアンの中にいる『わたし』にも、忘れられない景色がある。
ぽっかりと見開かれた彼女の瞳と、衝動的に逃げ去ったあの朝のことを。こびりついた罪は、誰にも剥がせない。スザクも、それを抱えて生きていかなければならない。――死ぬまで、それが続く。
だからこそ、死んでしまいたいと願う気持ちを――『わたし』は理解している。
綺麗さっぱりに。跡形もなく。無責任に。
――その気持ち、すこしだけわかるよ。
スザクが、枢木ゲンブの息子の枢木スザク≠ナある限り、影がどこまでも追いかけてくる。背負い続ける苦しみもある。
ひっそりと車を乗り捨て、竹林までの砂利道をスザクと走った。
「そこで何をしている!」
周辺を徘徊するブリタニア兵は見逃してくれなかった。
見つかった、と気づいた時、最初の一発が足元で跳ねた。
ブリタニア兵は見境ないようだ。
「走って!」
ダミアンがスザクに叫んだ。
背後からライフル銃の断続的な音が鳴り響く。
首裏の襟を握り、スザクを走らせる。桐原家の私有地である竹林まで数十メートルに差し掛かった。
「オジサン……!」
恐怖に歪む少年の顔が、ダミアンだけが頼りだと振り向く。
「いいか。走るんだぞ! このまま!」
スザクを解放し、そのまま走り続けるよう促す。
ダミアンは踵を返し、追ってくる兵士の前に両手を広げ、声を張った。顔を覆った兵士は二人だったのが三人に増えた。
「私は、カストラリア王国軍所属、ダミアン軍曹だ。エリア四・条約の適用を要求する!」
兵士は携行するライフル銃を構えたまま一歩迫った。
「カストラリア人だぁ? そこのイレヴンのガキと関わり合いがあるんだろ」
ダミアンがぱっと振り返ると、スザクがそこにいた。ダミアンを置いていくことが出来ずに踏みとどまっていた。
小声で「行きなさい」と急かしたが、「あ……うぅ……」と泣き出していた。
少しでも逃走の時間を稼ぐために、ダミアンは「正式な降伏はまだです」と訂正を入れた。
「あぁ?」
「口ごたえする気か?」
「彼らはまだ日本人だと言っているんです」
イレヴン。十一。十一目のエリア。
正式な降伏はまだだというのに、敗戦国・占領国を象徴する数字で呼ばれはじめている。
そして、エリア四条約とは、ブリタニアと結ばれた保護協定である。その内訳のうち三条には、カストラリア国籍の軍人・民間人はブリタニア占領地において捕虜条約に準じた保護を受けると明記されている。
兵士の一人がダミアンの目の前に進み出て「IDとパスポートを提示せよ」と言った。
ダミアンは、ポケットに入れていたチェーン付きのカードケースを取り出し、兵士に提示した。後ろのスザクは、オロオロと右往左往し嗚咽を漏らしている。
兵士は「確かに」と確認を終え、懐から手錠を抜き取ってはダミアンの両手にかけた。
その様子にスザクは敏感に反応を示し「オジサン!」と泣き叫んだ。
「行け! 早く! ――待て、子供を狙うつもりか! 非戦闘員の殺傷はジュネーブ条約違反である! 十五歳未満の子供は保護対象であり、危険に晒すことは戦争犯罪に該当する!」
スザクが漸く走りだしたとき、ライフル銃を構えた兵士が撃ち始めたのを止めるように迫った。
兵士の一人が「手を挙げろ!」と怒鳴った。
ダミアンは手錠つきの両手を頭上に掲げた。
「あの子供を見逃しなさい。私を連れて行け」
兵士三名は短いやり取りをし、ダミアンの腕を両側から捕えた。
「オジサン! 嫌だ! 嫌だぁ!」
「モタモタするな! 桐原の家まで走れ! 立派なサムライになるんだろ!」
その言葉にスザクは正気を取り戻したように足が翻った。
兵士がスザクを狙うのを辞めていないのに気づいて、ダミアンは遮るように銃口の前に立った。
「ジュネーヴ条約第三条。捕虜の人道的扱いを要求す――うっ!」
後頭部を殴りつけられたダミアンの意識は、急速にブラックアウトし――灼熱の砂利道に転がった。
a.t.b.二〇一〇 September
リダニウム カストラリア王宮 執務室
ブリタニアによる日本侵攻から一ヶ月が経過した。
そして今朝、カストラリア外務省宛てに日本国首相の訃報が伝えられた。事実上統率の取れなくなった日本は敗戦と降伏への期限が迫っていた。
シュナイゼルは侵攻前の数日前から、捜査官を特別機で日本に派遣し、現地で情報収集にあたらせていたが、侵攻直後の情報の混乱があり足取りが掴めずにいた。
午後一番。執務室に控えめなノックとともに、彼の私設秘書であるカノン・マルディーニが現れた。
「失礼いたします。殿下。……枢木首相が自決されたそうです」
開口一番の話題について、シュナイゼルはその日何度も繰り返され飽きていた。
「うん。未明に報告を聞いているよ。四者平和会談は事実上、不可能となった。すべて最悪のケース、予想通りといえるかな」
「申し上げにくいお話しですが。世論は……」
「私の摂政落とし≠燻條ヤの問題だね。永世中立国を侵略したいま、私の椅子には時限爆弾が仕掛けられたようなものだ。しかし軌道修正はいくらでも利くよ」
カストラリア国民にとって憂うべきことは、日本国民への心配よりも、ブリタニア皇室出身者の国家元首であろう。
世論調査では君主制の維持について、国民の七割は支持すると回答しつつも、不支持の三割は外国人が摂政であることへの不満を募らせている。もし、今その調査をもう一度行えば、不支持の割合が増えているに違いない。不満ではなく、危機感として。
シュナイゼルには行動が求められる。国民の信用を低下させないための行動が。
それには、先に枢木玄武が寄越した秘密文書が役に立った。
「サクラダイトの採掘を手掛ける桐原財閥は、ブリタニアとの交渉条件を呑んだ。……枢木首相が、生前に融通するといってくれた条件には一定の効力がある。カストラリアも恩恵を受けられそうだ。戦後の人道支援については我が国が受け持つこととなった」
カストラリアの立ち位置を強調することは、疑わしきブリタニアとの密通の疑念を晴らすことに繋がる。
狙いは、そればかりではない。
執務机の上に両肘をつき、顎をのせて、シュナイゼルは溜息まじりに言った。
「父上には、人道回廊の設置を認めなければ、ブリタニアへの医療技術の供与を見直すと通達を外務省経由で出させた。じき医療支援は通るだろう。……カストラリア軍を派遣し、その航空機に捜査官を同乗させる」
この程度の任務で迅速な行動が取れずにいる、捜査官たちの支援の口実を増やすためであった。
「……君に頼めるかな、カノン。しっかりと面識があるのは君だけだ」
「はい。勿論ですわ」
カノンは背筋を伸ばし、頷いた。
表向き、指名手配犯の身柄確保となる。
「指名手配犯、ダミアン・モリシャルトの逮捕を」と命じた。
やがて、執務室はシュナイゼルひとりきりになった。
険嶺の縁から射し込む光が、窓に残る露の影を机に映し出している。
「……ティラナ」
この世界でたった一人に許された、特別な名前を呼ぶ。
まだ確定したわけではない。
落ち着きを取り戻すようにもう一度、その名を口にした。