a.t.b.二〇一〇 September
日本・京都 桐原家
竹の径に黒い人影の集団が列をなして現れた。
桐原の邸の二階の窓からいち早く来訪者に気づいたスザクは、階下に急いだ。
日本人ではない。ブリタニア人だ。この場所も安全でないのだと。いっそ桐原よりも皇の方に匿ってもらったほうが安全なのではないか。それとも、父親を殺めた自分には、安心安息などこの世界のどこにも存在し得ないのではないか――。
スザクを逃したダミアンは、五日経っても桐原家の門を潜ることはなく。最も親交のあった桐原泰三でさえ、はじめから存在しない者として扱ったことが、スザクの心に疑心暗鬼の種を植え付けた。
「特別捜査……? たしかにダミアン・モリシャルトはうちに滞在してましたけど。……あの、失礼ですけどブリタニアからのお話しでしたら正式な手順を守っていただくよう祖父からは聞いています。お引き取りいただけないでしょうか」
玲子が玄関先で十数名の男達を前に堂々と応じた。
異様な雰囲気に邸中の者達が息を潜め、そのやり取りに耳を澄ませていた。庭の鹿威しがカコッと軽妙な音を打つのを聞いた。
やり取りが長引き、そこへすっと障子の扉が開き、着物姿の桐原泰三が出ていった。
「何用かな」
「お祖父様」
玲子が桐原に会釈し、応対を譲った。
風通しの良い海老茶色。薄物の生地がきらりと光る。
「本日お会いする予定はなくてね。約束のない交渉事は引き受けないことにしている。正式な話については政府宛てに……」
「こちらに休職中のカストラリア軍所属、ダミアン・モリシャルト軍曹が滞在されていたとうかがっていますが、ご身内の関係でいらっしゃいますね?」
中央で堂々と口上を切る青年の髪は、柔らかなミルクココアのような色をしている。柱の陰に隠れたスザクは、黒服集団の中でも装いが染まりきって≠「ない、むしろ独立した出で立ちの青年が取り仕切っているのだろうと思った。
ミルクココア――あの山での一週間。眠れない肌寒い夜に淹れてくれた、温かでまろやかな味わいと、罪悪感の感触がジンと蘇る。
桐原も進み出る青年の若さ以外にも、用向きが政治的でないことを悟り「失礼。貴殿は?」と尋ねた。
青年はチャコールの軽いコートを着ている。容姿が華やかか。見劣りしない色で、見るからに敵性国の人種の特徴を備えている。
「申し遅れました。カストラリア王国摂政殿下の名代、カノン・マルディーニと申します。此度は貴家と縁のあるダミアン・モリシャルト軍曹の身柄について、殿下よりご依頼を賜り参上いたしました」
桐原は一笑した。
「フン。いよいよ幕切れときたか」
「……なお、殿下はもう一点、桐原閣下に直接お伝えするようにと」
よく手入れの行き届いた髪を揺らし、カノンは桐原の耳元に口元を寄せた。
「レアメタル・アーサック社を経由したサクラダイトの取引について、殿下はすでに把握しております。この件については——今後もご内密に、と申し伝えるよう命じられております」
桐原は、片眉を持ち上げて首を捻った。
ダミアンが勝手にした取引とはいえ、今後のインドとの重要ルートに帝国第二皇子が既知。――心臓を鷲掴みにされているようなものである。
「スザク」
「は……っ、はい……」
呼ばれたスザクは慌てて玄関に飛び出た。
「最後にダミアンと一緒にいたのは、お前だ。此方の御方に懇切丁寧にご説明するように。良いな」
「……わかりました」
そう言って桐原は袖の下で腕を組み、玲子にも呼びかけた。
「玲子。奥の座敷へご案内しなさい」
「……はい。お祖父様。……皆様。どうぞお上がりくださいませ。ご案内いたします」
奥の座敷に入る人間はたいてい上客である。それこそスザクの父親のような者でなければ。子供ながらにそれがどのような意味を持つか、スザクは薄々と感じていた。
江戸時代頃に活躍した絵師による屏風、襖絵。意趣を凝らした格子天井、欄間の彫刻。侘び寂びの書院造りを維持しながら細部へのこだわりを欠かさない奥座敷。日常使いの座布団よりも綿がぎっしりと詰められた、持て余すほどの幅の広いふかふかの座布団。
緊張の面差しでスザクは相手を見据える。遠目からでは気付かないが、年若いといえど白人種の骨格から異なる大きさに気圧され、会話の切り出しさえも客人任せであった。
「枢木首相の御子息ですね?」
先程マルディーニと名乗った青年の傍ら、日本語が堪能の通訳士がすぐに訳し、それをスザクに伝えた。
「……はい。スザクです」
おそるおそる返事し、不慣れな状況にスザクの視線は彷徨った。
「お悔やみ申し上げます。ご立派な方でしたね」
「……どうも」
多くの親戚が口々にかけてきた言葉。それを、外国人にも言われるのは不思議な感覚である。
社交辞令といえど、侵略国側。ブリタニアの皇子の使者からなど。
カノンはスーツの上着に手を入れ、小型サイズの録音機器を取り出した。
「録音させていただいてもいい?」
「声を?」
「正確な情報を伝えるため。他意はないわ」
彼の御主人様のためだろう。
「いいですけど」
もしも反対の意思を表明したら、青年は困るのだろうか。
準備を終え「それじゃあ、質問を始めるわ」とカノンが言った。
「モリシャルト軍曹とはいつから知り合ったのか、どこで別れたのか……現在はどこにいるのか教えて貰えるかしら」
「オジサンは……」
「オジサン?」
「オジサンが、自分でそう呼ぶようにって言ったんだ。だから、オジサンって呼んでた」
スザクの説明にカノンは一度頷き、医師の問診のように淡々と次の質問を繰り出した。
「彼はどんな性格?」
「どんな性格って……、面倒見はすごく良かったけど」
正直いって、今はあまり思い出したくない人だ。
スザクは目を合わせるとどんどん相手の質問に答えさせられそうで、ふいと視線を外した。そして自分だけが答えるばかりなのは不公平だと感じていた。
「……セッショーデンカって……ブリタニア人なんだろ?」
ぶっきらぼうなスザクの独り言のような問いを、カノンは拾い上げた。
「……ええ。ブリタニアの第二皇子殿下であらせられる」
「……オジサンはそう思っていなかったかもしれないけど、他所の国の人に国を任せて、それに従う気持ちがわからない。軍隊って王様のものなんだろ」
とうに日本にはない精神的拠り所。歴史のなかで絶たれた万世一系の脈略。
従姉妹で許嫁の皇神楽耶がその血の末裔ではあるが、既に女系に転じている。
カストラリア王国は、ちょうどその転換地点にいる――そう言ったのは神楽耶の両親だった。次代には王朝が変わってしまうそうだ。母系継承≠カストラリアが採用するかしないかで揉めるだろうと神楽耶の父が言っていた。
彼らがなぜその話をスザクにしたのか。皇家の血に混ざる婿への教育もあるだろうが、他国の例を持ち出した時、カストラリアと日本の共通項は両者ともに女宗主へ婿入りする点である。
――おれは……ちがう。おれは……ヤバンジンじゃない。
枢木スザクと皇神楽耶はいとこ同士の族内結婚となるが、シュナイゼル・エル・ブリタニアは遠い親戚で国が異なる。
両者に決定的な差があるとすれば、スザクは敗戦国側の内閣総理大臣の子で、彼は占領国側の元首の子であることだ。
「ブリキ野郎……」
ルルーシュやナナリーと出会って、悪くないブリタニア人を知った。だが、彼ら以外はそうではない。
「スザク」
座敷の隅に座る玲子が、スザクの口の悪さを戒めた。「構いません。……そのまま。続けて」とカノンが続きを促す。
「日本も、ブリキ野郎に……ブリタニアに支配される?」
「支配ではないわ。少なくとも、摂政殿下は王国に尽くしておいでよ」
「本当に……?」
第二皇子の使者である青年が、スザクを正面に見据え静かに主人の立場を擁護した。
「人道支援が始まったのは、知ってる?」
「ラジオで聞いた」スザクは答えた。
数日前から、カストラリアから派遣されてきた軍人が各地域で支援活動を始めている。避難所、臨時野戦病院の設立。物資・食料支援。インフラ復興支援。その勢いは凄まじく、防衛戦に特化した国ならではのマンパワーを誇る。現場レベルで日本軍とブリタニア軍の仲裁も担っている。
桐原はその報にブリタニアがブリタニアの尻拭いをしておる≠ニ口にしていた。
だが、侵攻からほぼ一ヶ月だ。その間に数え切れないほどの出来事に見舞われ、消耗しきっていたスザクには今更な福音である。
「でも、遅すぎる。敗けちゃったあとに、今更。……もっと早く来てくれていたら……おれ……」
意図せずに、涙がぽろりと転がり落ちた。
「おれは……おれ……は……」
喉奥で引っかかった。
それは、口にしてはいけない咎だ。
――間違えなくて済んだかもしれないのに。
耳奥でダミアンの声が聞こえた気がした。言ってはいけない≠ニ。罪を明かしてはいけないと。
後悔と名のつくものが、何重にも押し寄せてくる。
もしくは、あと一週間、二週間、三週間。枢木の家から出ずに待っていれば、ルルーシュやナナリーとも離れ離れにならずに済んだのではないのか。
三人でずっと一緒にいられたのではないのか。そのためだけに、手を朱く染めたというのに。
取り返しのつかない業を、背負ってしまったというのに。
沈黙に吸い取られる。また庭からカコンと軽やかな音が届き静寂を打った。
「どのように受け止めるかは自由だけれど、摂政殿下の采配によって、日本国民には適切な医療が受けられるようになったわ」
「恩の押し売りだ。日本は……ヤワじゃない」
立て直す力が日本にはあると信じたかった。これはスザクの行為の結果――指導者を喪った日本の哀れな姿とは思い知りたくなかった。二期も政権を担った者への、弔電を送る手間暇さえ欠く混乱が、スザクが信じた正義の敗北だと。短絡的で視野狭窄な感情の行く末が友人を失い、父親という国家の支柱を失い、挙げ句、自身の身命を優先し行方知れずになった温柔な男の顔が、ぐるぐると周囲を取り囲んでいる。
「失礼。これは所感よ。私個人の」
カノンは負け惜しみが希望的観測だと、その少年の人生を慮って伝える必要があった。
「どこの人道支援機構よりも早い支援を、有難がれとは言っていない。そうした反抗姿勢が日本を……敗戦国に追いやったのではないかしら。貴方のお父様も」
「……あっ……」
日本は敗けたのだ。
気づきたくない真実。変わらぬ事実。
日本は敗けた。徹底抗戦で他国の介入を許さない長期戦を国民に強いることなく。
父親の誤りを正す時間がなかっただけだ。恥を忍んで、矜持を捨ててブリタニア人が代理人を務める傀儡国家と手を組んでいれば、違った道もあったのだろうか。いくら言い訳をしたところで、その判断を下せる余地も、罪が洗い流されることはない。
スザクの心はその時、度重なる疲労と重力によって、完全に砕けてしまった。
a.t.b.二〇一〇 September
日本・滋賀 臨時行政施設・臨時捕虜収容所
地域の小学校を接収し、臨時行政施設――実質的な抑留施設はブリタニア軍の根城と化していた。
準備室は捕虜用の個室で、校長室は尋問室に変わっていた。
ダミアンは個室内で権高な兵士に取り囲まれ、昼夜問わず尋問を受けていた。戦闘部隊と異なり、憲兵隊は分別があると期待していたが、彼らは出世欲と成果をあげるために、戦前排外主義の蔓延する日本への渡航履歴を持つダミアンから、あの手この手で情報を引き出そうと躍起になった。
パスポートとID、携帯電話は没収され、情報開示が通り、ダミアンが枢木政権の中枢に携わる桐原家の縁戚筋であることや、桐原泰三、枢木ゲンブとの接触。フライシュマンとして関わった者たちとの行動履歴が彼らの手に渡った。
誰が最初にダミアンの口を割らせるか――憲兵隊兵士の目の色はさながら獲物を前にした肉食獣の光を宿している。ギラギラと真夏の太陽よりも輝きを放ち、口元からは涎を垂らすような醜い笑みを浮かべている。
「質問に答えろ、軍曹殿」
エドガー・M・ヴァンス大尉は立派な革張りの椅子に腰掛け、手錠と足枷で身動きの取れず床に転がる男を見下ろした。
「貴様は桐原財閥との縁戚関係者とのことだが……あそこでなにをしていた? 報告によれば、子供を庇ったそうじゃないか」
「この通信記録。……会話は?」
ヴァンス大尉は通信基地局の通話データの録音・音声を流して聞かせた。
それは子供たちの亡命のために、福岡の桂木とのやり取りの一部始終であった。
「福岡の桂木とは、誰のことだ?」
「通話データによれば、亡命≠ニいっています」
彼らは日本語を解さないため、専門の通訳ができる兵士が呼ばれ、内容を英語で読み上げた。
ヴァンス大尉はにやにやと笑い「誰を、亡命させようと企てていた?」と言いダミアンの赤と紫の混ざる顔を、尖った軍靴の先で突いた。
黙秘を続けた。
誰にも。何も。情報を与えてはならない。
口を割れば、アッシュフォード氏に保護されたルルーシュやナナリー、桐原の庇護を受けるスザクにそれ以上の危機を与えることに繋がりかねないからだ。
「カストラリア人と言いながら、随分とイレヴン仕草がお上手なことで。……親戚中がイレヴンなら、貴様もイレヴンだろ? あ?」
ダミアンの頭髪をぐわっと鷲掴みにし、首を引っ張った。
「ドレイク軍曹」
側に控えていたドレイク軍曹と呼ばれた兵士が肉を挟み込んだ手錠を引っ張り、ダミアンを無理やり立たせた。脚は砕かれ、左右のバランスが不自然に崩れている。直立不動の姿勢など維持できるわけがなかった。両脇を別の兵士らが固め、ドレイク軍曹は容赦なく腹部を殴りつけた。
「いっ……! ぎ……、あ……ぐ……」
痛覚は殆ど消え、暴力は物理法則に従い呻吟が漏出するばかりの、サンドバッグ状態である。
最後の方は空気を失った袋のように床に這いつくばった。
「答えろ。ホントはスパイごっこでもやってたんだろ」
「あぐぅ……!」
追撃に呻く。顎下からの一蹴で体は大きく仰向けに反り返り、強く壁に体を打ちつけた。
「桐原か……。噂に寄れば枢木政権のフィクサーだとか。こいつから引っ張り出せ。場合によっちゃ、俺の出世街道が拓けるかもなぁ!」
椅子を軋ませて上機嫌に呵々大笑し、奥の手だと人差し指をちょいと曲げ合図をした。
ドレイク軍曹が「Yes, My Lord」と応じ、懐に仕舞っていたステンレス製の四角い箱を取り出して蓋を開けた。
もう一度ヴァンス大尉がくくっと喉を鳴らして笑った。
「リフレインだ。幸せな昔の夢をみられるらしいが、使い途によっちゃあ自白剤としても効果は抜群らしい。気分よくお喋りしよう。……取り押さえろ」
朦朧とする意識。焦点の定まらない視界であって、ダミアンは――『わたし』のなかにある強烈な恐怖が蘇っていた。
「ひ……っ!」
壁を伝いながら藻掻き、入口までずるずると這いずって逃亡を図るが、数人の兵士が引き捕らえ、背中に圧し乗って腕を固定している。
「やだ……! やだ……!」
「暴れるなよぉ。いっぺん試してみたかったんだ」
リフレインは依存性の強い液体薬物。麻薬である。
ドレイク軍曹が脅しかけるように言った。その声は喜色が滲んでいる。
「ひゅ〜! 効くぅ〜!」
シリンジを満たす麻薬液が押し込まれていく。血流にのりたちまち全身に巡る感触。
次に目覚めることのない恐怖。何者でもなくなる恐怖。忘却する恐怖。奪われる恐怖。
「嫌だああぁぁぁぁああ――ッッ!!」
絶叫。限りない生命の叫び。禁断の領域への侵襲。
目まぐるしく様変わりする景色。狂気的な極彩色。飛蚊症のように散る視界のシミ。音は曲がり、歪み、この世界の理解が、擂鉢のなかですり潰される粉末のように打ち砕かれていく。
ゴリ――とすり潰す音がする。直後、遅れて悲鳴がやってくる。
「ぎゃあああああ――ッ」
それが自分の叫びなのか、誰かのものなのかわからない。『わたし』の目には、すべてのものが黒い塊に映っていた。灰色の世界に黒塊がのろのろと動いている。顔も言葉も崩れていき、感覚もなにもない、ただ死を待つ瞬間の浮遊感だけが続いている。
また悲鳴がきこえた。
そして、破裂する音が意識を虚の中に放り投げた。
「押さえろ! クソッ、どうなってやがる――!」
凶暴な錯乱状態にヴァンス大尉は青褪めながら、拳銃を下げた。脚への狙撃により、床に倒れ込んだダミアンの周囲には二人の兵士が倒れていた。
意識はあったが恐怖状態で口が利けなくなっている。ガタガタと身を震わせ、側頭部や鼻から血を噴き出す者、壁に顔面を何度も押し付けられ前歯を折られた者。
一瞬の出来事であった。
途中まで穿たれたリフレインは激しい抵抗の末、シリンジが割れ薬液が床に飛び散った。
「ば――化け物――!」
その場にいた兵士は腰を抜かし、一人、また一人と部屋から駆け出していった。
a.t.b.二〇一〇 September
エリア11・シガ 臨時行政施設・臨時捕虜収容所
その日、正式降伏し日本はブリタニアの十一番目のエリア――エリア十一となった。侵攻から一月と一週間後のことである。
収穫期にあるはずの稲の倒伏は、見るも無惨な有り様である。
地上での円滑かつ機動的な行動を可能にする、KMFの脚部のランドスピナーはそこが公道、私道、田畑であるかどうかは関係ない。都市部の建物は倒壊し、道路は割れ、砂地は巻き上げられている。
日本列島の西から東にかけてカストラリア軍は日本軍の各基地に派遣され、インフラ復興支援をはじめとし、避難所、臨時野戦病院の設立。その拠点への物資・食料支援活動を行っていた。
枢木スザクの聴取録音データは、アエギス経由で戦略分析室に共有されている。
キョウトの桐原家の前で、子供のスザクを逃がし囮としてブリタニア軍の捕虜となった。その後、彼は戻って来る気配がないこと。街中で市民殺戮を手掛けるなど軍規違反行動を繰り返す現場の蛮行の限りは、筆舌に尽くしがたい。
周辺にある臨時行政施設を片っ端から調査にかけ、ひとりのカストラリア軍人を捜すのは長期戦であると覚悟していたが、捜査から四日目にして隣県にある施設にカストラリア軍人が一名、二週間ほど前から収容されている情報を掴んだ。
カノンは捜査官と医師数名を連れ、シガにある臨時行政施設と、捕虜収容所を兼ねている公立小学校の敷地に入った。
受付に応じたブリタニア兵士の伍長は、小学校の三階にある角の教室にまず案内した。そこには大勢の兵士らが詰め込まれ、肩と肩が触れ合うほど窮屈に暮らしていた。
手足がない者。酷い裂傷に包帯を巻き顔の判別のつかない者。精神を患い呻く者。それらの仲間を世話する軽傷の者。様々だ。
教室は生活臭に血と消毒液の強烈なエタノールのツンとする臭いが混合し、不慣れな者は吐き気を催す悪臭である。
「我々はカストラリア王国から派遣されました。皆さんの中にお尋ね者がおりまして、捜査にご協力ください。……ありがとう」
捜査官のエリー・ド・ラキーユが不躾な視線を浴びることを承知で先に宣言した。彼は日本語を話すことが出来、行く先々で通訳を兼ねる活躍ぶりをみせている。この小学校に詰める日本兵や一般の日本人からすれば、ブリタニア人と白人系のカストラリア人の区別など殆どつかないからだ。同時にカノンは、自分だけがブリタニア人である不安が解消されたことに、少しばかり安心した。
カノンは教室中の中にいる捕虜たちの顔をじっくりと観察して回った。気になった者に名前を尋ねていったが日本人ばかりだ。
「見分けがつきません。……ここにいるのは、全員捕虜ですか?」
「ええ。イレヴンです。……誰をお探しですか?」廊下前で佇立する伍長が訊いた。
カノンは廊下に戻ったところで「ダミアン・モリシャルトを捜しています」と言った。
「ダミアン・モリシャルト……?」
伍長は些か驚きと、なにやら忙しなく首を横に振った。
挙動不審に違和感を覚えたカノンは彼に詰め寄った。
「ミドルネームまで必要ですか? ダミアン・カズキ・モリシャルトです。陸軍所属です。階級は軍曹。ID照合も? ……どうかなさったんですか」
「あっ……いえ……すみません。少々……お待ちいただけますか」
伍長は両手で抑制するようにカノンにジェスチャーした。そして、廊下の奥へ消え階段を駆け下りていった。
校長室で拳銃を磨くヴァンス大尉のもとに、伍長が駆け込んだ。
カストラリアからの使者御一行は、ひとりのカストラリア軍人を捜している。それがどうやら十三日ほど前から収容する男の名とピッタリ合うのだから、憲兵隊にとっては一大事である。
「どうやらあいつは本当にカストラリア人だったようです。どうしますか」
「どうもこうもねえだろ。しらばっくれてりゃいい」
報告を一通り聞いたヴァンス大尉は、焦りを滲ませながらも平静を装っているが、拳銃を握る手が震えている。
「し、しかし……相手は第二皇子殿下の御璽入りの捜査証を……」
伍長は腰に手を当て、思い返すように危機を繰り返した。
「……なんだって? コピーじゃなく?」
「本物ですよ。ありゃあ」
ヴァンス大尉は顔を顰めて、声を抑えて言った。
「じゃ、なんだ? あいつは、とんだワルだってことか?」
伍長は首を傾げた。あの凶暴な化け物が暴れた日以後、誰もダミアン・モリシャルトに手出しすることはなくなったが、夜な夜な叫ぶせいで監視役の兵士たちの体力が削られていた。薬物中毒者のそれで医務官による手当てが間に合っていない。日に日にやつれ、今では殆ど食事も摂れず、床でくたばっている。
死に絶えるまで時間の問題であると、昨晩判断が下されたばかりであった。
「この先は、替わって私がご案内いたします。どうぞ、マルディーニ卿」
伍長から案内役を引き継いだヴァンス大尉は、カノン・マルディーニ伯らを校舎から離れた、体育館の屋外倉庫まで連れて行った。
重い引き戸を開け放つと、いくら収容所の独特な臭いに慣れている者であっても最悪なものである。
日輪の下。独房と化した狭い部屋に空調はない。
高温多湿。蒸し暑さ、埃が残照の中に、虫の羽音がブブッと不快に漂う。悪臭の気配に慄きながら、発生源まで足を進める。
「……あぁ……」
カノンは溜息を漏らすのも勇気がいった。
子供が授業で使用する道具が押し込められた奥。マットが敷かれた上に汚物と腐臭に包まれた男が、手錠をかけられ力なく横たわっている。
隠忍の末の昏倒か、紫黒く腫れ上がった薄ら白い顔も、もはた咽ぶことなく、辛うじて命脈を保っている。
「モリシャルト軍曹」
そっと呼びかけるが、反応はない。
上裸から繋がる上肢及び腕は、だらんとゴム紐のように緩く伸びている。
皮膚の表面の汗と脂の混じるてかり。蝿が肌を這っては、ブンブンと飛び回っている。咄嗟に死亡の文字が過ったが、それでも弱々しく胸が上下している。
生きている。
同伴する医師に目配せする。
「チェックを」
冷たい指先を機器に噛ませヘモグロビン検出から遺伝子解析を試みる。
機器はピピッと甲高い音をたて、その正体を正確に判別する。随行するゼーバッハ医師が深い溜め息を吐いた。しばし天を仰ぎ、胸の前で十字を切った。
「……ああ。……おいたわしい。王女さま御本人にございます。……直ちに応急処置を行います」
「お願いします」
捜査官のラキーユが黙礼後、カノンと場所を入れ替わってダミアンの顔を確認する。倉庫の入口で、もう一人の医師がカストラリア軍の救援を求め、搬送先の病院を探し出していた。
劣悪な待遇。風紀紊乱。兵士ら驕慢な態度とその姦計は、目に余る所業である。