北風と太陽







 a.t.b.二〇一三 May
 黄金の間


 巨大な神殿の頂上で、シャルル・ジ・ブリタニアは黄昏時の光に包み込まれていた。
「ほら。僕の言ったとおりだろう。シャルル」
 静寂を破ったのは、巨躯の背後にいつの間にか佇んで、切れ目のない雲を正面に見据えていた少年の声。小さくつんと尖った愛らしい鼻先が、シャルルの方に向いた。
 変声期直前の幼い少年の声は、いつもより少し得意げに、自信の色をみせている。
「僕らの計画の邪魔者は消えた。あのカストラリアの首飾り≠ヘもはや手も足も出せない。すべては予定通り――進められる。それにはもう少しだけ、時間が必要だけど……C.C.さえ取り戻せるなら」
 シャルルにとっては世界でただ一人の、欺瞞なき血を分けた兄。その幼い輪郭に似合わぬ傲慢な笑みを浮かべ、V.V.は続けた。
「プルートーンに捜索を継続させています。足取りは未だ中華連邦にあるかと」
 シャルルは地鳴りのような重低音で応じた。ブリタニア皇族のために、汚れ仕事を引き受ける特殊部隊。シャルルはこうして兄であるV.V.、――過去の名をヴィクトルいった片割れの依願を達成するのに、この部隊を活用してきた。玉座に座るまでも、引き入れるのにはシャルルの力も行使して、幾度となく訪れる難局を乗り越えてきた。兄弟はそうして、最終的な解決に至るまでに手を取り合って生きてきたのだ。
 嘘のない世界を。
 それは、どんなに美しく、救いに満ちた世界だろうか。
 嘘、欺瞞、奸計に満たされた裏切りばかりの世界。謀に巻き込まれ、命を落とした母を。庇護者を喪失した子供を利用せんとする、醜い大人たちの偽善的な眼差し。魔の手が四方八方から伸びては引き捕らえようとする。子供とは、無力である。優しさに見せかけた、愛情に見せかけた欲望を見せつけられてきた。
たった数秒、数分違いでこの世に誕生し、兄となったこの少年。殆ど同じ魂を分かち合う、肉親。半身ともいえる彼が――幼いうちから守り導いてくれた、人の理から外れる行いをしてまで。その優しさを信じていた。それこそが、真に、本物の、愛であると。
 ――だが。
 ハスキーな子供の声が次の行動指針≠提案する。
「締め付けすぎると、余計に勘繰られてしまうかもしれない。――大目に見てやってよ。あの虚無の子だって、馬鹿じゃない。すでに、僕らの意図を疑っているはずだ。だからね、――女王様のご機嫌を損ねないように、泳がせておく方が上手くいく。シュナイゼルはあの女を、とても大切にしているから」
「兄さんの思うままに」
 そうして「上手くいくよ、シャルル」と何度も地獄の轍を越えるのに鼓舞してきた言葉が、半世紀ほど離れた弟に掛かる。
 血を分けた子供。これもまた、肉親。帝国をまとめるためには、目的を達成するには必要な手段として、多くの血を引く子が生まれた。子とは、意図せず親に似てしまうものだ。第一皇子のオデュッセウスなどは、とくに容姿からしてシャルルに似ている。似ていないものとばかり思っていたが、シュナイゼルには性質が相伝したようだ。狭く、拘束された世界で見出した一際輝く隣の星。この不自由な世界で出会ってしまった。知ってしまったもの。
 ――それは、執着という名の、魂の逃亡先。
 血は争えないということか。



 a.t.b.二〇一七 May
 ブリタニア ペンドラゴン皇宮


 それは、ペンドラゴンで過ごす最後の夜であった。
 色彩豊かな花の咲き誇る初夏の庭園も、煩わせるもののいない生まれ育った離宮も、今夜ばかりは今生の別れのように物寂しい。世界を支配する帝国の心臓部にあって、ここだけは静謐な夜の闇が支配し、息づく星々の煌めきが『さようなら』と囁きかけてくるかのようだった。
 すでに旅立ちの荷造りはすべて終えていた。それでも、ユーフェミアは数十分もの間、バルコニーの欄干に身を寄せたまま、夜空を見入ることをやめられなかった。
 ――つい先日、兄が亡くなった。
 母親違いの兄。芸術を志向し、愛された方。
 ――心優しい、クロヴィス兄さま。
 神聖ブリタニア帝国という、果てなく膨張し、前進し続ける巨大な怪物の運営には、多くの異母兄姉たちがその鋭き手足となって奉仕している。帝国を凋落せしめまいと、それぞれが手腕を発揮し責務をはたす背中を見て、ユーフェミアは育ってきた。
いつかは自分もそうなるだろう≠レんやりとした予感はあった。けれど、平穏なモザイク画のような日常の終わりが、今日や明日、唐突に訪れるとは思わなかったのだ。
 ペンドラゴン皇宮が放つ人工の不夜城の光は、遥か遠い。隔絶された地上の楽園は、現実とも遠く、美しく守られすぎていた。

 宰相府では、つい先ほど二日間にわたる『大会議』と呼ばれる、上層部の緊急の検討会と審議が行われていたという。最も頼りになる第二皇子のシュナイゼルが、E.U.サミットへ出張する間、本国の政務が滞りなく回るように。彼が用意した周到な手回しと、置き土産のようなものだった。
 だが、その裏で渦巻く宮廷の陰湿な毒を、ユーフェミアは知っている。クロヴィスを喪い、狂乱に陥ったガブリエッラ・ラ・ブリタニア妃に呼び立てられ、彼女の住まうウォリック離宮へ馳せ参じる姿を、ユーフェミアは遠巻きに目にしていた。
 直接現場を目撃したわけではない。けれど、侍女やメイドたちの口を介して、毒を孕んだ噂は瞬く間に伝播する。

 ――錯乱状態に陥ったガブリエッラ妃が、強烈な叱責とともに果物ナイフを振り回した――
 ――裁縫用の針で突き刺そうとした――
 ――挙げ句の果てには――シュナイゼルを含めて、母親であるアーデリント妃への口汚い誹謗中傷を絶叫した――

 尾ひれがついた憶測だけが、宮殿の長い廊下を一人歩きしていく。
 そして世間の興味はすぐさま、空席となったエリア十一の次の総督は誰か、というお題目に移り、新たな醜い噂を撒き散らしていた。
 何不自由ない宮廷生活にあって、唯一の短所があるとすれば、ひとたび最悪な渦中の人となったらば、身内であっても容赦の無い風評被害に晒され、玩具にされることだった。
 侍女が心配そうにユーフェミアに呼びかけた。
「ユーフェミアさま。どうかされましたか?」
「あぁ……ごめんなさい。なんでもないの。ただ、すこし懐かしいなと思って」
 学校への退学届はすでに提出し、制服に袖を通すことももうない。週末の金曜日。本来ならクロヴィスの喪に服すための休校期間だったが、友人たちと別れの言葉を交わす暇すらないまま、物事は恐ろしいほどの速度でトントン拍子に進んでいく。エリア十一という、硝煙の燻る最前線には不要な、置いていくものばかりが詰まったキャビネット。
「懐かしい、でございますか?」
 侍女が小首を傾げ、ユーフェミアの視線を追う。
 彼女の瞳が見つめていたのは、クローゼットの奥にひっそりと掛けられた、もう二度と着ることのないドレスだった。フリルがあしらわれた、おとなしくも可憐な、柔らかな水色の生地。
「このドレス。もうすっかり小さくなって、入らなくなったけれど。……コーネリアお姉様のお下がりを、私がどうしてもって駄々をこねて、譲っていただいたものなんです。私のデビュタントのときにこれを着て……、シュナイゼル兄さまにエスコートしていただいて」
「シュナイゼル殿下が……。まぁ、そうでしたね。あの夜のユーフェミアさまは、まるでお伽話のお姫様のようでした」
 侍女が懐かしそうに相槌を打つ。
 ユーフェミアはそっと水色のドレスの裾に触れ、まぶたの裏に、あの華やかで、どこか誇らしかった夜の記憶を呼び起こした。
 ――こちらに戻ってきて、何日も続けてペンドラゴンでお兄様のお顔を見かけることなんて、もう二度とないと思っていた。
 あのデビュタントの夜。緊張で冷たくなっていた私の手を、温かく包み込んでくれた大きな手。
『やあ、ユフィ。デビュタントだね。おめでとう。僭越ながら私がエスコート役を仰せつかったよ』
『シュナイゼル兄さまにエスコートしていただけるなんて! とっても嬉しいです』
『ドレスもよく似合っているよ。いつもよりも大人っぽくて、花園に迷い込んだ蝶のように綺麗だ。淑女としてエスコートされるのは、はじめてかい?』
『ごっこ≠ネら……コーネリアお姉様と何度かありますけれど……本物ははじめてです』
 本来、デビュタントは貴族の淑女が社交界へデビューし、未来の夫となる配偶者を見つけるための場だ。けれど、皇族たる彼女たちにとっては例外であり、その後の公務や政治の舞台への顔見せとしての意味合いが強い。
あの日、十月十一日。ユーフェミアの誕生祝賀会を兼ねた大舞踏会。
 巨大な大扉の前で、開場を告げるトランペットを待つ間、シュナイゼルは妹のガチガチの緊張をほぐすように、微笑みかけてくれた。
『クロヴィスの方が良かったかい?』
『まあ。お兄様ったら。お母様がシュナイゼル兄さまにお願いしたの、知っているんですからね』
 大広間の重厚な扉の周囲には、多くの従者や近衛兵、そして今か今かと待ち構える貴族たちが控えていた。けれど、誰も二人の高貴な会話に割って入る不敬を犯す者などいない。
『緊張しているかい? ユフィ』
『……はい。でも、挨拶の仕方は、お義姉さまの戴冠式の映像を何度もみて練習しましたから、大丈夫です』
『あの戴冠式かい? 実に、荘厳な式だったね』
『はい! それに、緊張しないコツも、お義姉さまから直接教えてもらいました』
『おや。それは興味深い。ぜひ私にも教えておくれよ』
 前年の夏のことだった。
 国賓としてブリタニアを公式訪問したカストラリアの王女ティラナ。長年、海の向こうの「まだ見ぬ義理の姉」に憧れ、会いたいと願っていたユーフェミアは、彼女の滞在する離宮へ真っ先に駆けつけ、一晩中、彼女の話し相手を務める栄誉を勝ち取ったのだ。
 そのとき、ティラナが教えてくれた必勝法。
『ええっと……視線を一箇所に集中させるんですって。とにかく真正面、前の方だけをじっと見据えて、他のものは一切見ないようにするんです。そうすれば、誰の視線も気にならなくなるって』
 ティラナの凛とした戴冠式の姿を真似て、ユーフェミアは小さな両手を握り、ぐっと愛らしい眉間に力を入れて真正面をキリリと睨みつけてみせた。
 それを見たシュナイゼルは、思わずといった風に、おかしそうに肩を揺らした。
『……ふふ、ユフィ。野暮を承知で真実を言ってしまうとね、彼女はただ、王冠が重すぎて、視線を動かす余裕がなかっただけだと思うよ』
『まあ! お兄様ったら! でも、たしかにお義姉さまも、相当に重かったと仰っていましたけれど……』
『それもそのはずだ。ドレスやガウン、王冠、レガリア、装飾品をあわて、総重量二十キロ近くあったのだからね』
『二十キロ……! ふふ、それを思えば、私のデビューなんて大したことありませんね。ご安心ください、シュナイゼル兄さま。私、堂々と歩いてみせます』 
 実際、シュナイゼルのエスコートは完璧という言葉すら生温いほどに見事だった。
『あの方は引き立て役に回るのが本当に上手い』とは、コーネリアとユーフェミアの母の言葉。
 ユーフェミアの指先にそっと添えられる、手袋越しの大きな手の温度。歩調を完璧に合わせ、決して出過ぎず、しかし妹のドレスの裾が美しく揺れるよう、半歩後ろを優雅に滑る完璧な足捌き。
長年、カストラリアの摂政を務め、女王ティラナのエスコートを幾度となくこなしてきた彼にとって、それは息をするのと同じくらい容易なことだったのだろう。
平均的な社交界のデビュー年齢よりも遥かに若く、幼さの残るユーフェミアに、群がる有象無象の野心的な貴族たちを遠ざけるためにも、背の高い『帝国第二皇子』の存在は、これ以上ない完璧な盾だった。
 ――あのお披露目の夜から、まだ一年も経っていないのに。

「――そろそろ、お時間ではございませんか。ユーフェミアさま」
 侍女の静かな声が、ユーフェミアの意識を優しい過去の記憶から、冷たい現実の夜へと引き戻した。
 はっと息を呑み、ユーフェミアは窓の外を見た。
「そうね……! 急がなきゃ。お兄様をお見送りしに行く約束でした」
 シュナイゼルは今夜、E.U.で開催される首脳サミットへ向けて、ペンドラゴンを発つことになっていた。
彼が乗り込むのは、完成して二年が経つ最新鋭の浮遊航空艦『アヴァロン』――白と橙色の空飛ぶ要塞、彼の不落の旗艦である。これの登場により、彼は空港を経由することすらなく、宰相府からそのまま世界中を飛び回ることができるようになっていた。

 轟々と、重力制御フロートシステムの静かな低音が響く駐機ポート。
 大勢の兄弟姉妹と将校に見守られながら、乗降口に向かって歩いていたシュナイゼルは、息を切らせて駆けつけた妹の姿に気づき、いつもと変わらぬ穏やかな微笑みを向けた。
「わざわざ見送りに来てくれたのかい、ユフィ。ありがとう、嬉しいよ」
 クロヴィスが亡くなってから、まだ日も浅い。
 異母兄弟が多く、普段から滅多に顔を合わせないからこそ、次に会う日≠ェ保障されていないことを、今のユーフェミアは痛いほど理解していた。今日が、本当の最後になってしまうかもしれないから。だからこそ、顔を合わせて、きちんとお別れの挨拶をしたかった。
「クロヴィスのことを想えば、本来なら喪に服す時間を取るべきなのだろうけれど……致し方ない。これが私の仕事だからね。彼を喪ったことは、本当に残念でならないよ」
 シュナイゼルは寂しげに瞳を細め、それから、どこか申し訳なさそうな色をその端麗な顔に浮かべた。
「……エリア十一の後任選定には、非常に迷ったんだ。他の兄弟姉妹もそれぞれのエリアを任されているし、何より情勢悪化が懸念されるあそこを立て直すには、相応の武力と実績が必要だ。まだ若い君たちに任せるには、あまりにも荷が重すぎる。……それらを鑑みて、私はコーネリアが適任だと判断した。彼女も承諾してくれたよ。……ユフィ、君の自由な学校生活に、水を差してしまったことを謝るよ」
 コーネリアが総督として赴任する以上、副総督として、ユーフェミアもまた同行することになる。それが、この過酷な帝国に生まれた『持てる者』の運命だった。
「いいえ、お兄様。私のことなど、お気になさらないでください。これも……上に立つ者としての、義務ですから」
「あははは。相変わらずだね、ユフィは。本当に志が高い」
 吹き抜けるアヴァロンの排気風に、鮮やかなピンクの髪を押さえながら、ユーフェミアは少し照れたようにはにかんだ。
 目の前に立つこの兄とて、自らの自由な時間など一切持たず、公人として長年帝国に奉仕してきたのだ。幼い頃のユーフェミアにとって、シュナイゼルはいつもブリタニアにいない、海の向こうの多忙なお兄様≠ナあり、共に過ごした時間は微々たるものだった。けれど、彼の素晴らしい功績や優しい人柄の噂は、いつも波に乗ってカストラリアからペンドラゴンへと届いていた。
「それでは、行ってくるよ。もしも向こうで困ったことがあれば、まずはコーネリアを頼りなさい。彼女はきっと、君の良き盾であり、相談役になってくれる」
「はい。いってらっしゃいませ、お兄様」
 それ以上の引き留めは、精密な彼のスケジュールに影響を与えるのだろう。シュナイゼルの背後に控えていた、中性的な容姿の側近カノンが、控えめに目配せをしたのが見えた。
 シュナイゼルはもう一度、妹に極上の笑みを残すと、その長身を優雅に翻してアヴァロンの乗降口へと吸い込まれていった。

 ――志が高いのは、お兄様の方です。

 飛び立つアヴァロンの巨大な影を見上げながら、ユーフェミアは心の中で小さく呟いた。
この巨大な神聖ブリタニア帝国の『宰相』という、針のむしろのような座に座り続けることが、どれほど過酷なことか。
 世間の大人たちは、彼のことを『カストラリアとの婚姻を据え置き、あの国をブリタニアの配下にとどめ置くための狡猾な男だ』と評価する。計算高く、愛すらも天秤にかける冷酷な政治家だと。
けれど、ユーフェミアには、初めからその評価が納得いかなかった。
 なぜなら、この数年間、彼女自身が目で見て、耳で聞いて、その肌で直接触れてきた現実≠アそが、真実だと学んでいたからだ。
 それは、二年前の夏のこと。
当時通っていた学校の交換留学プログラムに参加したユーフェミアは、初めて皇宮の外、ブリタニアの外へと飛び出した。
 その留学先こそが、――あの緑豊かで、気高く、そしてどこか哀しい、カストラリア王国だった。
 


 特別教室に収まったのは数十人。学年やクラスは問われない。成績や人柄の厳格な考査の末、この特別課外活動への参加を認められた選りすぐりのメンバーが、空調の効いた教室内に集まっていた。
 中高一貫校のこの学院の卒業式は簡易的なもので、数ヶ月後には、同じ敷地内の高等科校舎でまた気心の知れた仲間と勉学を共にする。説明会の開始時刻は十六時から。だが、説明を担当する教員は夏期講習や学外の対応など、目まぐるしい忙しさから遅刻をすると事前に伝えていた。ホワイトボードには、開始時刻を十六時半に繰り下げる旨が、伝言の黒い文字で踊っている。

 長い髪を後頭部の高い位置にひとまとめにしたユーフェミアは、教室の後ろの席にひっそりと腰を下ろした。だが、周囲がそれをそのまま放置するほど、彼女は孤独ではない。既に前のテーブルに着席していた二人の女子生徒が、長いワンピースの制服の裾を優雅に押さえながら、ささっとユーフェミアの両隣を確保した。特別な驚きはなかった。ユーフェミアのクラスメイトであり、友人である。
 このプログラムへの参加に『お供を連れていくというと聞こえは悪いが、参加には最低でも数名のメンバーが必要だった。それはペンドラゴンにいるお偉い廷臣や侍従、その他多くの大人がつけた『皇女の安全のための条件』だった。
けれど、気の置けない仲であるふたりがいれば、問題はないだろう。ソフィーとサンドラの生家はいずれも公爵家であり、素行にも問題はない。当然表向きは。
「遅かったね、ユフィ。また理事長からお小言?」
 左側から顔を覗かせたソフィーは、暗色の短いボブヘアーの毛先をさらりと揺らした。由緒正しい家の娘――だが、その言動はどこまでもカジュアルだ。
「お小言なんて、そんな。このプログラムの参加の件で、色々と……」
「マスコミでしょう? 私たちが慣れすぎているから気にもしていないけれど。理事長は一挙手一投足をチェックして、自分を困らせないかどうかにご執心なのよ」
 反対側を陣取るサンドラは、ブラウンの三つ編みを背中に流す、いかにも淑女然とした佇まいではっきりと核心を突いた。
 ユーフェミアは机の上に置かれたファイルの中から、やや厚みのある書類の束を引き出した。そして一番上の紙をめくると、『カストラリア王立大学主催・交換留学プログラム』の説明が項目ごとに記されている。
 ユーフェミアがこの留学プログラムに強く興味を惹かれたのは、狭いブリタニアの宮廷から離れ、外の世界を知るきっかけがここにはありそうだと、瑞々しい直感が教えてくれたからだ。
 そして何より、こうした高度な学術・教育取り組みが、ブリタニアとカストラリアの二カ国間で平穏に開催可能なのは、ひとえに異母兄の手腕に拠るところが大きい。ユーフェミアが物心がついたばかりの頃には、すでに兄は女王の代理人として仕事を始めていた。
 その卓越した国政への功績と、他者を決して傷つけない穏やかな人徳は、帝国全土のみならず世界中で『摂政王』として高く称賛されている。
 今回の留学プログラムの発案に至る土台も、皇暦二〇〇九年にシュナイゼルが提唱した『南方経済回廊』こと経済特区が出発点であり、それを国家の過渡期に合わせて見事に昇華させたのが、現カストラリア女王ティラナなのだ。
「――ねえ、あれって本当の話なのかな?」
「あれって?」
「不仲説よ、不仲説。ブリタニアン・タイムズでしょ、あと、ペンドラゴン・アイ――ザ・ルポルタージュでも特集が組まれてた」
 ソフィーは大のゴシップ好きだった。彼女が挙げた大手メディアや週刊誌は、毎週のように、断崖絶壁にあると囁かれる世紀のカップルの一挙手一投足を、悪意と好奇の視線で取り上げていた。
「ユフィには悪いけど、面白いものは面白いんだもの。本当か嘘かは関係なく――」
「でも、ソフィーは本当の話かどうかって、今気にしていたじゃない」
 矛盾を突くように、サンドラが冷ややかに窘める。しかしソフィーは悪びれもせず、形の良い唇を尖らせた。
「メディアのはでっち上げが殆どでしょ? 数字が取れるんだから、なんだって書き立てるわよ」
 ユーフェミアは、友人のその少し不遜な態度を咎めたことはなかった。それが一般的な大衆の反応であり、世間の大半の意見という『見方』なのだと、冷静に受け止めていたからだ。
「ユフィは、女王陛下とお話ししたことがあるって言ってたけど、どう?」
 身を乗り出してくるソフィーの瞳に、下世話な好奇心が灯る。
「それは――」
 言葉を濁すユーフェミアの脳裏に、かつてペンドラゴンの夜に見た、美しい二人の姿が過った。世界中を欺くために完璧な距離を保ちながら、その実、呼吸のレベルで同調し合っていた兄と義姉。世間が騒ぐような冷え切った関係などではないと、ユーフェミアの直感は知っている。だが、それを口にすることは許されない。
「結婚したって、色々あるのはわかってるでしょ。うちのお父様もそうだし、サンドラのお母様も――」
「ソフィー。言って良いことと悪いことがあるわ」
 サンドラが今度は明確に語気を強めて咎めた。だが、ソフィーはそれを軽く受け流し、「はーい」と生返事をする。それでも、彼女は持論を曲げなかった。
「結婚しても、浮気は合法だから。それが私たち≠フ社会でしょう?」
 貴族社会の歪んだ常識を、最後まで言い切った。ユーフェミアを挟んでソフィーを鋭く睨み付けるサンドラは、「やめて」と低く発した。
「本当のことよ。だって、ほら、読んでみてよ。今週のペンドラゴン・アイを」
 そう言って、どこに隠し持っていたのか、ソフィーは机の上にお気に入りの週刊誌を勢いよく広げた。白黒のページには、盗撮された鮮明な写真と、派手な煽り文句で構成された頁がこれ見よがしに躍っている。
 ユーフェミア自身に下劣な好奇心はなかったが、それは否が応でも目に飛び込んできた。
「ババン! ――欧州の禁忌! 既婚のヴィルヘルム皇太子、カストラリア女王に「時価数百万ユーロの別荘」を贈与! 凍結されたブリタニア婚約の裏で蠢く、国際密約の影=v
「下品よ、ソフィー。そんなものユフィに見せないで」
 サンドラが手を伸ばして隠そうとするが、ソフィーはそれを素早くかわして、嬉々として文字を追う。
「贈り物に、別荘よ? 別荘。こんなの――愛人みたいなものじゃない」
 ソフィーが指差す先の一文を、ユーフェミアは息を詰めて黙読した。
『……欧州の王室秩序を揺るがす未曾有の禁忌が白日の下に晒された。本誌が掴んだ確実な情報によると、ドイツの次期王位継承者であるヴィルヘルム皇太子が、カストラリア王国の若き君主ティラナ・ヴァル・カストリア女王に対し、北ドイツ・ハンブルク近郊の静養地に、時価数億ブリタニア・ポンドの別荘を極秘裏に贈与していたことが判明した。問題の別荘の登記簿は巧妙に隠蔽されていたが、実質的な所有権はすでにカストラリア王室、ひいてはティラナ女王個人の私産へと移転している。二人は今年二月、この隠れ家≠ナ数日間にわたり密会していたという――』
 ユーフェミアは、緊張し硬直する顔の筋肉を無理に動かし、生唾をごくりと飲み込んだ。心臓が嫌な音を立てて拍動する。だが、記事の文章はさらに容赦なく続いていた。
『――この夜の密会が持つ意味は重い。なぜならヴィルヘルム皇太子は、皇暦二〇一三年、二〇一四年にブリタニア帝国の直轄領『エリア24』となる旧スペイン王国王女と盛大な婚姻を挙げたばかりの既婚者≠セからである。『エリア24』との婚姻によって神聖ブリタニア帝国との融和姿勢を示していたはずの欧州の若き最高権力者が、ブリタニアの元%ッ盟国であり、現在は実質的な従属国と見なされているカストラリアの女王と深い仲にある――これは単なる不倫劇ではなく、完璧なる国際政治への裏切りだ。――カストラリア王国といえば、ブリタニア帝国第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニア宰相との『世紀の婚約』が、先の『サロニア公爵事件』を発端として事実上の『凍結』状態にあることは周知の事実だ――』
 あまりにも生々しい書きぶりだった。単なる男女の情愛関係のスキャンダルではなく、国家間の政治と権謀術数を巧みに行間に挟み込み、大衆の猜疑心を煽っている。
「ペンドラゴン・アイは三流雑誌よ。そんな低俗週刊誌の言うこと、気にすることはないわ、ユフィ」
 サンドラが気遣わしげに声をかけてくれるが、ユーフェミアはなんと返事をしたものか、完全に答えに窮してしまった。ただ手元の留学プログラムの説明文に視線を落とし、活字をじっと見つめるのが精一杯だった。
サンドラの言う通り、それは三流雑誌の妄言かもしれない。しかし恐ろしいのは、このプロパガンダによって、世間はあからさまにブリタニア擁護≠フ見方を強め、カストラリアに対しては冷酷な批判の目を向け始めているという事実だった。
 不倫をしたカストラリアの悪女と、不倫をされ、国家ごと裏切られたブリタニアの悲劇の宰相。被害者の方へ大衆の同情心が一方的に傾いていく構図。人々は、わかりやすく『完璧で、寛大で、それゆえに傷つけられた』シュナイゼルの味方をする。それが、兄たちの仕掛けた『完璧な目眩まし』だとは夢にも思わずに。
「献身的に国を支えてくれた男をポイよ? どんなに天才だろうが、私生活はだらしない。聖人君子ではないってことね」
 ソフィーはなおも尊大な態度で、カストラリアの女王を値踏みするように物言う。
その時、パタパタと慌ただしい足音が廊下に響き、遅れてやってきた教師が額の汗を拭いつつ壇上に滑り込んだ。教卓に資料を置くと、鋭い声を張り上げる。
「――これより、留学プログラムの説明会を開始します!」
 その号令に、教室内の一端の空気が引き締まった。教師は眼鏡の奥の目を光らせ、手元の資料をめくる。
「まずは……今回のこの留学プログラムにおける渡航費、および滞在中の生活費用の一部負担、教材費等々の諸経費は、すべてカストラリア王室の設立した教育基金から拠出されています。皆さん、……くれぐれも、現地では失礼のないように行動しなさい」
 教師は、釘を刺すような鋭い目つきを、最後列で未だに余裕風を吹かせていたソフィーへと明確に遣った。さらに、それまで何事も指摘しなかった教室中の生徒たちの冷ややかな視線が、一斉にソフィーへと集中する。
今しがた『私生活がだらしない』『聖人君子ではない』と散々こき下ろしたまさにその女王陛下のポケットマネーによって、自分たちの高額な留学費用が賄われているという不都合すぎる現実。
 ソフィーは引きつった笑みを浮かべ、両隣のサンドラとユーフェミアにすがるように顔を寄せた。
「……私、不敬罪でカストラリアの領空内に入った途端、逮捕されたりしない……?」


 a.t.b.二〇一六 July
 カストラリア王国――メルカッサ・ドゥム・カ・ヴァイ離宮

 石膏や大理石を多量に用いるブリタニア建築とは、意匠のすべてが異なっていた。
 かつて古代の信仰を集めた大寺院を改修し、長年にわたり王室の離宮として保存されてきた『ドゥム・カ・ヴァイ』。幾重にも重なる木造の庇、極彩色で彩られた精緻な神獣の彫刻、そして大気を満たす香木の仄甘い香りは、アジアの旧時代が遺した静謐な誇りをそのまま体現している。
 離宮の敷地内に隣接する王室所有の博物館では、落ち着いたトーンの音声ガイドが、この美しき王国の複雑な生い立ちを優しく解説していた。

『――中北部に位置する古都ホリドゥラ。かつて、カストラリア王国の心臓であったこの地は、シルクロードの通過点として、古くから多様なアジア系コミュニティが交差する独自の文化を育んできました。
後に生じた苛烈な宗教対立。その融和と譲歩の象徴として、王室は現在の首都である北部のリダニウムへと遷都を決断します。しかし、古都の誇りは潰えませんでした。北上を選ばなかった残留貴族たちの手により、十六世紀後半からは欧州の最先端の美術や建築様式が意欲的に持ち込まれ、独自の美学を結実させたのです。現在も景観保護条例によって守られるこの街は、幾重にも重なる歴史の地層そのものと言えましょう――。そして、ホリドゥラに隣接するここメルカッサ。この地は、隣国たる中華連邦や旧インド地域からの亡命者、移民を包み込んできた、国内最大の『人種の坩堝』として今なお呼吸を続けているのです――』

 音声ガイドの敬虔な残響を耳にしながら、ユーフェミアは異国情緒あふれる大理石の回廊を歩いていた。ブリタニアのスマートさを表層に合理性を追求した、巨大な建造物にはない、時の流れが優しく沈殿したような空間。湿潤な空気と森に抱かれた合間を奥深く潜り込んだところ。
案内されたのは、繋ぎの回廊の道なりに進んだ先。離宮の奥深くにひっそりと佇むプライベートな広間だった。
 そこで待っていたのは、琥珀色の瞳を細めた、カストラリアの若き女王――ティラナ・ヴァル・カストリア。
 一年ぶりの再会だった。
「ティラナお義姉様」
 思わず、ブリタニア皇族として完璧なカーテシーを捧げようとしたユーフェミアの肩を、ティラナはふわりと抱きとめた。
「去年ぶりね。……ふふ、その制服、とても可愛いわ」
「ありがとうございます、お義姉さま。……今回は、私のわがままな留学だけでなく、大切な友人たちの滞在まで快くお許しいただいて。……お忙しい陛下に、無理を強いてしまったのではないかと、そればかりが心配で」
 眉を下げて恐縮する義妹の様子に、ティラナは鈴を転がすような声で笑った。
「ふふっ、あはは! そんな、無理だなんてとんでもない。こんなに広い離宮に、私ひとりで泊まっていても寂しいだけだもの。若いうちの留学は、一生の財産になるわ。何も気にせず、思いきり楽しんでいってね」
 そう言って微笑むティラナの指先は、女王としての威厳を湛えつつも、ユーフェミアの緊張を解きほぐすような温かさに満ちていた。
彼女はすぐさま手配を済ませていた。皇族であるユーフェミアやその同行者が、異国の地でテロや感染症の脅威に晒されぬよう、この離宮の一画は最新の医療・衛生設備を備えた機能的な施設として完璧に機能し維持されている。表向きは優雅な歓迎の形を取りながら、その裏で張り巡らされた配慮の細やかさは、流石の一言に尽きた。
「美術館とお庭には? もう行ってきたかしら?」
「はい。先ほど拝見いたしました。……あの、展示されていた『黄金の法具』や、見事な屏風の美しさに、言葉を失ってしまって」
「それはすごく良いタイミング! ラッキーだったわね、ユフィ。あの法具はね、他国の美術館に貸し出されることも多くて、常設展示ではないの。あなたが見にくるのを待っていたのかも」
「そうなのですね……! まあ、本当に光栄です」
 瞳を輝かせるユーフェミアは、ティラナの顔色をそっと窺う。海の向こうで『シュナイゼルとの結婚凍結』や『国内の政情』といった不穏な噂を耳にするたび、胸を痛めていた。けれど、目の前の義姉は、少しの翳りも見せない。
「あの……お義姉さま、お元気そうで本当に安心いたしました」
「ふふ、私はご覧の通り、すこぶる元気よ? さあ、立ち話も退屈でしょう。明るいサンルームへ行きましょうか」
 ティラナは、両腕を広げて肩をすくめてみせたあと、ユーフェミアを案内すべく靴先をサンルームの方へと向けた。
「とても美味しいお茶を用意させてあるの。そこでゆっくり、あなたの学校のお話を聞かせてちょうだい」
「はい、喜んで! ありがとうございます、お義姉さま」
 吹き抜ける柔らかな風が、サラサラと制服の裾を揺らす。サンルームに用意されているガラスのテーブルにつくと、既に焼き菓子や香ばしい茶葉の香りが漂っていた。ブリタニアの喧騒を遠く離れた、ゆったりとした時間が流れている。
 一国の女王というものは、日夜を問わず国務に追われる大変忙しい身であると聞く。当然、皇帝を父に持つユーフェミアも、その最高権力者ゆえの多忙さを知らぬわけではない。ブリタニアの宮廷において、父シャルルは常に雲上の人であり、親子水入らずの時間を過ごしたことなど一度としてなかったし、おそらく今後もないだろう。皇族にとっての「身近な人間」とは、血の繋がった両親ではなく、身の回りを世話する乳母や侍女、あるいは利害を共にする兄弟姉妹だけなのだ。
 カストラリアを背負うティラナの忙しさも、容易に想像がつく。かつて長年この国の摂政を務めたシュナイゼルが、ブリタニアの本国のセント・ダーウィンに戻っても長期滞在することが殆どできなかった事実を思えば、この余暇でさえ、彼女が身を削るようにして貴重な時間を割いてくれたはずだった。
 そう考えると、どうしても恐縮してしまい、ユーフェミアは上品なクロスの敷かれたテーブルの前で小さく肩をすぼめた。
「遠慮してる?」
「え? ……そのう」
「いつもより口数が少ないわ。遠慮しているのかと思って。……専属のシェフに腕を振るわせて作ってもらったから、どんどん召し上がってね」
 ティラナは、目の前に並んだ豪奢なアフタヌーンティースタンドを指差し、微笑んだ。香ばしいスコーンに、彩り豊かなタルト。そのどれもが、繊細な美しさを放っている。
「特にこのプラムジャムが美味しいわよ。合わせてあるクリームも……こちらの乳脂肪分が五五パーセントで、あちらが六〇パーセント。バターも何種類か用意させたわ。もちろん、乳牛の種類別でね」
 なぜか乳製品の解説に遺憾なく発揮して勧めてくるティラナの姿に、ユーフェミアは思わずくすりと笑ってしまった。胸に仕えていた緊張の糸が、綺麗にほどけていく。
「お義姉さまは、とってもグルメですね」
「王様だもの、これくらい当然よ。でも、まだまだね。ちょっとしたお金持ちだってこれくらいの味比べはできるわ。……いい? ユフィ、こういう高脂肪分のクリームは、お上品にスプーンですくうのじゃなくて、スコーンが見えなくなるくらい大胆に乗せて、ジャンキーに食べてこそ本当の価値があるのよ」
 真面目な顔でとんでもない贅沢を説く女王の言葉に、ユーフェミアは深く納得しそうになった。
しかし、そんな二人の穏やかな空間を邪魔しないよう、ずっと部屋の端に控えていた古参の侍女が、静かに一歩前に出て口を開いた。
「――陛下」
 一言だけの、しかし有無を言わせぬ低い声の警告。
 注意を受けた途端、ティラナはさっきまでの威厳をどこへやら、まるで子供のように分かりやすく頬を膨らませて文句を言った。
「……今日くらいいいじゃない〜。今の私には、食べるくらいしか楽しみがないんだから」
「どうされたのですか?」
 ユーフェミアが不思議そうに小首を傾げると、ティラナは周囲を気にするように視線を泳がせ、なるべく小声で、まるで国家機密でも打ち明けるかのように恥ずかしそうに囁いた。
「……話が矛盾するようだけど、私、今『体重制限』されているの」
「えっ?」
呼吸を弾ませるように驚くユーフェミアに、ティラナは首を小さく捻り、苦笑を漏らした。
「今度ね、式典用の新しいドレスを新調したのだけど……もし完成したときに、お腹周りが入らなかったら大恥でしょう? 朝晩の運動時間もちゃんとスケジュールに取り入れているのだけど……一日が二十四時間しかないのが本当に悔しいわ」
 そう言って、自分のお腹のあたりを気にするようにワンピースの上から擦るティラナ。その人間味あふれる姿に、ユーフェミアの脳裏には、学校の教室で大騒ぎしていたゴシップの申し子、ソフィーの顔が思い浮かんだ。
 もしあの三流週刊誌『ペンドラゴン・アイ』がこの事実を知れば、今頃どんな歪んだプロパガンダを書き立てるだろう。『ブリタニアの宰相と決裂したカストラリア女王、激太りか』などと、面白おかしく書き立てるに違いない。
 けれど、目の前のティラナは、そんな醜悪なメディアの視線など一顧だにしていないようだった。世界中から浴びせられる悪意ある噂の数々を、彼女はとうに超越しているのだ。
「このお茶会だってね、私が執務の合間に無理矢理セッティングしたのよ。ユフィはきっと、お忙しい陛下に無理をさせてしまったんじゃないかって、生真面目に悩んでいるでしょう? でもね、全然気にしなくていいから。むしろ、私の合法的な『サボりの口実』に付き合わせてしまってごめんなさいね」
「そうだったのですね。ふふ、お義姉さまのお役に立てたようでよかったです」
 ユーフェミアは、心からの笑みを返しながら、カップに注がれた琥珀色の紅茶に口を付けた。
 世界中のマスコミが二人の破局を報じ、ブリタニアの貴族たちがカストラリアの孤立を嘲笑っている。しかし、ユーフェミアは確信していた。新聞やネットニュース、有象無象の噂話で語られるほど、シュナイゼルとティラナの仲は険悪などではないということを。
 やはりあの夜のことを思い出す。しかし、それをここで問いただすには、ユーフェミアに勇気が足りなかった。




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午前四時の異邦人
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