―マリィside―


「聞いて良い? さっき、どうして泣いちゃったの?」


ゆずちゃんの前で、ひかるちゃんが泣いてしまったその日。下校する時に下駄箱前でひかるちゃんに会ったから、一緒に帰ろうと誘って聞いてみた。

言えないことだったら「マリィには秘密!」って言うだろう。でも、少しだけなら教えてくれるんじゃないかなって、そんな気がした。なんとなくだけど、泣いてしまった理由に予想がついているから、その答え合わせのつもりだった。

ひかるちゃんは、いつもの明るい笑顔から一転、口を噤んで迷うように視線をそらした。あまり簡単に話せるような内容じゃないのかもしれない。

知らなくても良いことなら、無理に話さなくても良い。だけど、もしひかるちゃんが一人で抱えてずっと悩んでしまうなら、少しでもその重荷をわけてほしいと思った。わたしで力になれることは少ないかもしれないけれど、どうか話してほしい。

そう願って見つめると、ひかるちゃんは「参りました」って苦笑した。


「……マリィにも言ったでしょ? マリィの中の“心のお庭”の話」


以前、みちるちゃんと二人でわたしの元まで駆けてきて話してくれた、心のお庭。わたしの心のお庭には薔薇の花が咲いていて、最近では複数の薔薇で花壇ができているんだとか。最初は何の話なのかわからなかったけれど、たまに電話で様子を教えてもらっていく内にわかってきた。心のお庭に咲く薔薇は、私の人間関係や感情を表しているのだと。

ゆずちゃんにも同じようにお庭があって、今日会った時にそれが見えたのだと教えてくれた。
予想は当たっていた。あの時のひかるちゃんはゆずちゃんを見ているようではあったけれど、本当はもっと別のものを見ている感じがしたから。


「今までお花を育てる余裕なんてなかったんだろうね、あの子……」


ひかるちゃんは、ゆずちゃんのお庭を一目見て絶望したらしい。あの子の置かれていた環境、周囲の人間からの仕打ちが、どんなに酷かったか。
わたし以外にも多くのお庭を見てきたひかるちゃんでも、初めて見るくらいの悲惨な有り様で、それを敏感に感じ取ってしまったために泣いてしまったのだそうだ。


「そんなに、酷いんだ……」

「あ……、ごめんね。マリィにまでそんな顔させちゃって」

「ううん。教えてもらって良かった」


良かった。本当にそう思う。

先週初めてゆずちゃんに会ったあの日。あの子に手を振り払われた時は、悲しみよりも「どうして?」という疑問が浮かんでいた。わたしはスキンシップをとることが好きだから、触られることが嫌だったのだと、トラウマを聞くまでわからなかった。


「ねぇ、ひかるちゃんは、何があったら触られたくないって思う? 例えば、拒絶反応が出ちゃうくらいに嫌だって思うのは、どんな時?」


頭を下げる前に見たゆずちゃんは、自分でもどうしてそんな行動をしたのかわかっていないような驚きの表情だった。

必死に謝ってくれて、トラウマがあるんだと教えてくれて、触られることに恐怖を抱いている人がいることを知れたのは良かったと思う。でも、スキンシップが怖くなってしまう体験というのが、わたしにはわからない。

たぶん、わたしが今までそういう嫌な体験をしてこなかったから。たまたまスキンシップを当たり前に受け入れられる環境にいたから、想像してあげることすらできないのだろう。

わかってあげたいのに、わからない。そんなもどかしさでモヤモヤする。
ひかるちゃんなら何かわかるかなと思って聞いてみると、顎に手を当てて空を見上げながらうーんと唸った。


「触られたくないか……。ひかるたちはモデルだから、初対面の人とも一緒に写真撮ったりもするし、身体が触れることもあるよ。そういうのは“お仕事”って割り切ってるし、嫌だとは思ってない。でも、そうだな……」

「…………」

「お姉ちゃんや、マネージャーさん。守ってくれる皆がいなかったら、たぶんひかるもあの子みたいになってたかもしれない」

「えっ?」


ひかるちゃんが、ゆずちゃんみたいに?
二人とも全く違う性格だし、ひかるちゃんが人を拒絶するようになるとは思えないけれど。

どういうことかと首を傾げると、ひかるちゃんはわたしにもわかるように教えてくれた。

モデルをしていると、事務所から出た時にファンの人が出待ちしていることがあるらしい。小さい頃、まだ名前も知れ渡っていない時は気にしていなかったそうだが、中学に入れば次第に身体つきが少女から女性へと成長し、撮影する服も子供から大人の服へと変わっていく。そうなると、ファンの目は彼女たちの可愛らしさと同時に“女性らしさ”を映し出し、言ってしまえば性的な目で見られることが増えてきたのだそうだ。


「あわよくばって抱き着いて来ようとする人もいたりするんだよ。ひかるたちは常にマネージャーさんたちが守ってくれるから、大事にはならないけどね。小さい頃は気づかなかったけど」

「そうなんだ……」

「でもさ、そういう危ない目に合うのはモデルだけじゃないよ。女の子や子供はみんなそう。よくニュースとかでもあるでしょ? 女の人が痴漢されたとか、セクハラされたとか」

「……! じゃあ、ゆずちゃんも……」

「これはひかるの想像だから、あの子の本当の恐怖の原因はわかんないけどね」

「あ、そっか……」

「……でもさ、“触れない”ってことは、ひかるたちの想像以上に嫌なことをされて、今でもまだずっと苦しんでるってことなんだと思うよ」


夕日を見つめるひかるちゃんの目が潤んで見えるのは、想像してしまったからだろうか。


(もしも、わたしがそんな目に合ったら……)


自分に置き換えて想像してみる。

ひかるちゃんが言ったみたいに、知らない人に急に抱きつかれたら?
セクハラされたら?
わたしもゆずちゃんと同じように、誰からも触られることが怖くなるのかもしれない。その手で何をされるのかと考えて、触られないようにと距離を置いてしまう気がする。


(触れないってことは、風真くんたちと手を繋ぐこともできなくなる?)


そんな状態で、もしもゆずちゃんみたいに無意識に拒絶反応を起こしたら……。


(……そうか。だからあんなに必死に謝ってくれたんだ)


初対面のわたしに、震える声で何度も「ごめんなさい」って繰り返していたのを思い出す。あれは、ゆずちゃんがわたしのことを、“無害な人物”として認識してくれていたからだ。

初対面とはいえ同じ学校に通う同級生で、七ツ森くんという共通の友達がいて、一緒に学食を食べる約束まで取り付けようとしていた、友達以前の間柄。そんなわたしへ、“触れようとした手を拒絶してごめんなさい”って言ってくれていたんだ。

だって、もしわたしが風真くんの手を振り払ったら罪悪感で深く頭を下げるし、辛くて泣いてしまうかもしれない。風真くんにも辛い思いをさせてしまうだろうし、そんな感情を抱かせてしまうことも申し訳なくなる。
ゆずちゃんも恐らくそう考えてくれていたんだと、今更になって漸く理解する。


(やっとわかった。ゆずちゃんの気持ち)


凄く悲しくて、辛い。
それが毎日続いているんだと思うととても苦しくて、想像しているだけなのに目の奥が熱くなってくる。ひかるちゃんも、心のお庭からこれを感じ取っていたんだ。

泣いても仕方ないことはわかっているのに、同情することでしか理解してあげられないなんて……。


「もぉ〜、マリィまで泣かないでよ! あの子はまだお花を育てることを諦めてないんだよ?」

「え?」


明るく戻ったひかるちゃんの声で、俯いていた顔を上げる。潤む視界の中でも、ひかるちゃんはにっこりと笑って、わたしの目にふわりとハンカチを押し当ててくれた。


「あの子にハンカチを渡された時にね、仄かに甘いお花の香りがしたの」

「それ、ほんと?」

「ひかるこういうことで嘘つかないよ〜!」


高校生になって環境が変わったからというのもあるだろうが、何よりも本人が頑張ろうとしなければ、お庭は回復しないのだと、ひかるちゃんは言う。

はば学は各学年でクラスも多いし、移動教室では他の学年の人や先生ともたくさん擦れ違う。そんな中、触れることが苦手なのに、現にゆずちゃんは毎日学校に登校している。恐怖と立ち向かっている何よりの証拠だ。


「今日は泣いちゃったけどさ、また明日会ったらちゃんと自己紹介してお友達になる!」

「うん。その意気だよ!」

「で、女の子四人でパジャマパーティーとかもしよ! あぁ〜今から楽しみぃ!」

(ふふっ、まだ友達にもなってないのに)


ひかるちゃんらしい元気が戻ってきてほっとする。いつもはわたしがひかるちゃんたちに頼ってばかりだけれど、わたしと話していて少しでも気が楽になってくれたなら嬉しい。

いつの間にか手渡されていたハンカチはふわふわで、お花ではないけれどとても爽やかな良い香りがした。


「……あれ? ねぇ、ひかるちゃん」

「ん? なぁにマリィ?」

「このハンカチ、ゆずちゃんのだよね? 使い回しちゃって良かったの?」

「あ……」

「…………」

「……あはは。ねぇマリィ。ひかると一緒に寄り道して、新しいハンカチ選ぼ?」

「ふふっ、わかった」


調子良いなぁと思いながら、ハンカチを大事に畳む。ふわりとそよいだ風に乗って、どこからか漂ってきた甘い香りが鼻孔を擽った。


「二人ともどんな素敵なお庭ができるのか、楽しみだね!」









* * *


翌日。


「ゆずちゃん、ちょっと良い?」

「え? あ、昨日の……」

「昨日は泣いちゃってごめんね! これ。洗ったハンカチと、お詫びの新しいハンカチ受け取ってもらえる?」

「えっ、わ、わざわざ買ってくれたの? ありがとう」

「うん!」

「それでね、改めて自己紹介しましょ。私は花椿みちる。こっちは双子の妹の」

「花椿ひかるだよ」

「あ、雛田ゆずです。えっと……」

「ん?」

「なになに?」

「わ、私……、人見知り激しいけど、良かったら仲良くしてもらえると嬉しい、です。よ、よろしくお願いします」

「……! モチロンだよ! よろしくね、リリィ!」

「り、りりぃ?」

「よろしく、リリィ」

「??? よろしく」

(ふふっ、一件落着かな?)


こうして、ゆずちゃんは花椿ツインズに“リリィ”と名付けられたのでした。
ひかるちゃんじゃないけど、今後のガールズトークが楽しみです。

余談ですが、わたしたちがゆずちゃんとワイワイやってる隣で、七ツ森くんがメガネの奥で羨ましそうに眺めていたのは、花椿ツインズとわたしだけの秘密。