(どうしよう……やりすぎたかな……)
夜。ベッドの上で、スマホのメッセージ画面を見ながら悶々と考える。
高校生にもなって友達追加のやり方さえも知らないなんて、絶対呆れられた。今時小学生でも知ってる……んだよね、こういうの。
(きょうだいとしか連絡とってないとか、ぼっちの極みじゃん私……。うぅ……恥ずかしい……)
私が勉強を教えたからか、七ツ森くんは丁寧にやり方を教えてくれた。でも本当はどう思っているのだろう?
私は凄く嬉しかったけれど……。
初めて友達一覧に追加された友達。七ツ森くんとのトーク履歴を眺める。
最初に送ったスタンプが、果たしてこれで良かったのか。本当に送って良かったのかと、今更になって頭の中でぐるぐると回り続けている。まるで綺麗にならない壊れた洗濯機のようだ。
(どうしてこれを送ったんだろう?)
このスタンプは紛れもなく私が自分で作って登録したもの。作ってみたかったから作った。ただそれだけ。ただの趣味だ。
私の落書きを知っている七ツ森くんなら、もうこれが私の自作だと気づいたかもしれない。いずれは知られても良いとは思っていたが、友達追加できてすぐにこれを送るなんて浮かれすぎただろうか。
彼になら知ってほしいと思ってしまった?
なぜ?
(いつも構ってくれるから……いや、それだと“七ツ森くんのせい”ってことになるな。私が送りたかったから? 送りたかったのはなんで?)
“よろしく”ってただの文字列を送るだけでは満足できなかった。そんなの誰だって送れる機械的な文言で、そこに気持ちを込めたとしても伝わりにくい。仲良しでありたいと願う彼にだから、自分で作ったスタンプを送った。
家族しか知らない私の趣味。私の好きなこと。私はこういう人間なんだという自己表現。
過去に蔑まされてきた私の絵を、七ツ森くんはスキだと言ってくれた。受け入れてくれた彼になら大丈夫だと、期待して送ってみたけれど……。
(我ながら重いかな? やっぱり、恥ずかしい……。送信したら取り消せないんだっけ?)
自分の画面では消えるけど、相手の画面には残るとか妹が言ってた気がする。今になって考えても後の祭りというものだった。
はぁ、とため息を吐いてベッドに突っ伏す。“信じたい”と言っておきながら結局不安になってるじゃないか。
(私のバカ。意気地無し)
さっきの喜びはどこへやら。一人になった途端にこれだ。これじゃ何のために家を出てきたのかわからないじゃないか。
疑うな。信じろ。
しっかりしなきゃと頬をパンッと叩く。
大丈夫。まだ頑張れる。
気合いを入れ直してそろそろ寝ようかと電気のスイッチに手をかけた時、スマホがバイブを鳴らした。こんな夜中に連絡をよこすのは弟だろう。そう思って画面を開くと、今の今まで考えていた人の名前が出てきて、驚いて危うくスマホを落としかけた。
(な、んで、七ツ森くんが?)
今日交換したばかりの連絡先。友達ならこんな夜更けに連絡することもあるのか。
なんの用だろうと疑問に思いながらトーク画面を開く。
(……!? このスタンプ!)
私が送った“ねこにネズミ”のスタンプの下に、七ツ森くんが送ってくれたスタンプが表示されている。そのスタンプは私ときょうだいで考案した、自作の“我が家の洗濯事情”スタンプだった。
(嘘でしょ!? このスタンプ買う人いたの?)
完全にネタスタンプだし身内しか使わないと思っていたのに。まさかこの洗濯物のスタンプを使われるとは……。
羞恥で顔から火が出そうだ。学校じゃなくて良かった。
(というか、これ完全にバレてるよね?)
作者の名前はそのまま雛田にしているし、あの猫のスタンプだって七ツ森くんなら全部見ただろう。テストやノートに描いた落書きとほぼ同じだし。わかった上で洗濯物スタンプを購入して送ってきたのだとすれば、さっきまでの私の悩みは無駄だったということだ。
恥ずかしいけれど、七ツ森くんが私の絵を気に入ってくれた気持ちは、紛れもなく本物。
「あはは、まさかこのスタンプでそれを知ることになるとは……」
隣のベランダから飛んできたパンツをお隣さんに届けて「よろしく」とご挨拶するだけの、シンプルなスタンプ。実話だったりする。本当はもっと長い会話があったけれど、スタンプだから省略している。
(なんでこのスタンプにしたんだろう? 七ツ森くんに落とし物届けた時の再現? 立場逆だけど)
こんなくだらない絵なのに、わざわざお金かけて買ってくれたんだもの。それだけで私の心は充分に満たされた。
帰り際に言われた「カッコいい」って言葉を思い出す。私が当たり前として自由にやってきたことが、七ツ森くんにはそう見えるんだと知れたことも、私の自信へと繋がった。私が私の心のままに創作することは間違っていないのだと、教えてくれた。一人でもそう思ってくれる人がいるだけで、こんなに心強いなんて思わなかった。
(最初に追加されたのが七ツ森くんで良かった)
初めての友達とのチャットがスタンプの送り合いとか、ちょっと面白い。良い思い出だ。
(こういう小さな幸せがたくさん集まったら、嫌な思い出も沈んでいってくれるかな?)
消えることはなくても、一番に思い出すのが幸せな記憶なら良いのに。
七ツ森くんに「おやすみにゃさい」のスタンプを送ってから、電気を消して静かに瞼を閉じる。でも耳の奥から聞こえてくる心音が速くて、瞼の裏に洗濯物スタンプがいつまでも陣取っていた。
(明日までニヤけちゃいそう……)
いい加減に眠ろうと羊を数えるも、時折パンツが出てきてなかなか眠れなかった。自作スタンプで自滅するハメになるとは予想外だ。
結局、いつの間にか気絶するような形で眠りについたらしく、翌朝の眠気は半端なかった。
* * *
「おはよう、七ツ森くん」
「おはよ、雛田」
翌朝。
恒例となった七ツ森くんとの朝の挨拶を交わすと、彼はスマホを片手に私の方を向く形で席に座った。いつもなら身体だけは正面を向けるのに。
「……スタンプ」
「…………」
「………………」
「……………………ふふっ」
「まだ何も言ってないんだけど?」
「だって……っ、送ってくれたスタンプ思い出しちゃって……、ふはっ」
早々にスタンプのことを聞かれる覚悟はしていたけれど、単語だけ言われるとは思わなかった。勝手に頭の中にあのパンツスタンプが浮かんできて笑えてくる。
七ツ森くんとあのスタンプは似合わなさすぎる。ライオンもどきみたいな動物系で返されるならまだ理解できたけれど、パンツは完全に想定外だった。
他のクラスメートにここまで笑っている姿を見られるのは恥ずかしくて、両手で口元を覆った。
「そんなに笑ってくれんなら送って良かったかも」
「ふふふ、朝一番の笑いをありがとう」
“七ツ森くん一日一笑かし”の前に私が笑ってしまった。七ツ森くん恐るべし。
「ははっ、こちらこそ笑顔をありがとう。で、この際だから聞くけど、あのスタンプって自作?」
「ん。そうだよ」
昨夜までは恥ずかしいだとか信じる信じないとかモヤモヤしていたのに、いざ聞かれるとすぐに頷けた。正直に反応できるのは、目の前に本人がいてくれるからだろうか。家で一人でいる時のように、無駄なことを考える時間が少ないからかもしれない。
「気に入ってくれた?」
「めちゃくちゃ気に入った。ド嵌まり」
「パンツに?」
「パンツに」
「ふふっ、そっか……ふふふっ」
「爆笑してんじゃん。ははっ、やば。俺まで移ったんだけど」
仕方ないじゃないか。きょうだい以外であのスタンプ使ってる人なんて見たこと無いんだもの。
教室の隅っこで並んで肩を震わせる。私より七ツ森くんの方が大きいからか、「七ツ森が笑ってる……」なんて言う男子の声が聞こえてきた。彼が爆笑する顔も滅多に見られないから珍しいらしい。
「はー、笑った。お買い上げありがとうございます。返品不可だけど大丈夫?」
「返品なんてしません。俺もいっぱい笑わせてもらったし、すっごいお得だった」
「そっか。良かった」
そんな話をしている間にチャイムが鳴り、朝のHRが始まる。連絡事項はこれといって無く、一限目が選択授業だからすぐに解散となった。
私の好きな選択美術。自由に絵が描けるとびきり贅沢な一時間だ。
「ご機嫌だね、雛田」
「え? わかるの?」
「そりゃあ、そんなにぽわぽわしたお花飛ばしてたら」
「……飛ばしてるかな?」
「俺にはいっぱい見える。ついでに、にゃんこのシッポもヒョンヒョンしてる感じ。花畑にいる野良猫ちゃん」
「へへ、そっか」
七ツ森くんに“野良猫ちゃん”と呼ばれたのは初めてだ。ちょっと嬉しい。
彼にどう見えてるのかは知らないけれど、馬鹿にされてる訳じゃないならいいや。機嫌が良いのは本当だもの。
「七ツ森くんは音楽だっけ?」
「そ。俺も美術にすりゃ良かったな」
「なんで?」
「あんたの絵描くとこ見てられんじゃん」
「美術選んでたとしても自分の絵描かなきゃダメだよ?」
「はーい」
ペンケースを持って教室を出る。選択授業は他のクラスとも合同で行うから緊張するのだけど、美術ならほぼ一人の創作時間だ。自分の作品に没頭できるから、他人から強要される感じが無くて良い。
七ツ森くんと駄弁りながら途中まで一緒に移動して階段で別れ、私は美術室に向かった。
* * *
四月から描いている課題は、学校の風景画。自分の好きなものを描いて良いと言われたので、私はいつもお昼休みにお邪魔している園芸部の畑を描いている。
畑だから春から夏になるまでに野菜がどんどん成長してしまう。変わり行く風景を写生するのは難しい。だから毎回スマホで写真を撮り、一番気に入った季節を絵に納めようと思っている。今は畑やその周りの景色、大きく変わらない部分をひたすら描くことに徹していた。
大まかな様子は描けてきたから、今度は少しずつ細部を写生する。園芸部が所持してるんだろう如雨露や鍬。肥料の袋はそのうち無くなってしまいそうだから、念のためパッケージの写真も撮っておく。風景ひとつ描くだけでも、どれだけの情報を詰め込めるかというのも私の中ではある意味挑戦だった。
「ゆずちゃん!」
「え? あ、美奈子ちゃん」
振り向くと、美奈子ちゃんがスケッチブックとペンケースを手に歩いてくるところだった。時間はあと十分で終了のチャイムが鳴るというところ。集中して時間が経つのも忘れていた。
「ゆずちゃんも選択美術だったんだね」
「うん。美奈子ちゃんも?」
「えへへ。わたし、絵はあんまり上手くないんだけど、描くのは楽しいから選択しちゃった。隣、座っても良い?」
「ん、どうぞ」
隣と言いつつ間を空けてくれるあたり、美奈子ちゃんの気遣いが感じられた。うっかり触れてまた拒絶してしまったら、今度こそ立ち直れない。そんな気がしたから、トラウマのことを覚えていてくれてとても嬉しい。
同時に申し訳なくも思い、早く慣れなければという焦燥感も生まれた。
「本多くんがね、ゆずちゃんは絵が上手いって言ってたの。だから選択授業も美術なんじゃないかって思って探しちゃった」
「ご明察だね。好きなもの描いてるだけだから、そんな称賛されるほどじゃないと思うけど……」
「でも、周りの人がゆずちゃんの絵を見て誉めたり感動したりするってことは、それだけゆずちゃんが込めた気持ちを感じ取ってくれてるってことだと思うよ」
「感動……」
そんなに絶賛されるものを描いているつもりは無い。子供の頃から時間さえあれば何か描いていたから、手が自然と動くだけ。陸上選手が毎日走る練習をして成果を出すのと、何ら変わりは無い。私と彼らとの違いは、更に上を目指すか趣味止まりかというところだろう。
そろそろ私も片付けようかと鉛筆をペンケースに仕舞うと、また別の足音が近づいてきた。
「あら、小波さんと雛田さんはここで描いてたのね」
「あ、先生」
美術の先生だった。ちょっと年配のおっとりした女性で、とても優しいから男女問わず人気がある。別名“はば学のお母さん”。数年前に男子生徒がつけたアダ名らしい。
巡回に来た先生は、閉じようとしていた私のスケッチブックを覗き込んで目元を緩める。
「本当に上手ね、雛田さん」
「……ありがとうございます」
「あのお話、考えてくれたかしら? これだけ上手なんだから、その才能を活かさないと勿体無いわよ」
じっと見つめられて言葉に詰まる。
“あのお話”というのは一年生の頃から言われていたもので、私の絵をコンテストに出品しないかという申し出だった。
美術部でもない私に声が掛かるのは、とても有り難いことなんだと思う。でも、だからこそ私が出品するのはどうなんだろうと悩んでいた。
美術部の子はコンテストで受賞しようと日々頑張って描いている。それに比べて、私はただ楽しく描いているだけで、もっと上手に描こうとかは思っていない。
私が参加するのは場違いだ。そう思うのだけれど、それをわかった上で先生は誘ってくれている。絵を誉めてくれるのは嬉しいけれど、その答えはまだ自分の中で出せていない。
「…………すみません。まだ……」
「そう。焦らなくて良いわ。時間はあるし、気が向いたらいつでも言ってちょうだいね」
先生はそれだけ言うと他の子たちの元へと歩いて行った。
みんなに人気の先生だけれど、私は少し苦手だ。誰彼構わず優しい声をかけているけれど、その言葉の真意が見えづらい。中学の美術も似た感じの先生で、とても好感が持てる方だったのに、最後の最後で嫌になった。
別人だから大丈夫なんて、私にはお気楽に切り替えることはできない。まだ時間があるのは本当だし、もう暫く考えさせてもらおう。
姿が見えなくなってほっと息を吐き、同じように先生を見送っていた美奈子ちゃんへと振り向いた。
「待たせてごめんね。美術室戻ろう」
「あ、うん……。ねぇ、ゆずちゃん」
「ん?」
「もし困ってることがあったら、相談に乗るからね」
何も聞かないでくれるのは、美奈子ちゃんの優しさなんだろう。私が言いたくなった時に言えば良いんだと。美奈子ちゃんは、隣に座っても私のスケッチブックを覗こうともしてこなかった。
にこりと微笑みかけてくれる美奈子ちゃんには、七ツ森くんといる時と同じ安心感がある。
(七ツ森くんも美奈子ちゃんも、気配りカンストしてるでしょ?)
優しすぎる。出会ったことのないタイプで戸惑った。
出品についてこうして悩むのは、とても贅沢なことなのだろう。才能がどうとか言われても、私にはその自覚が無いばかりか、才能なんて無いと思っている。美術の先生からも絵が上手いと言われている私は、端から見れば嫌みな奴だとか思われるだろうし、確実に妬みの対象だ。
でも、あの申し出を素直に受け入れたら受け入れたで、どんな目を向けられるかも知っている。
(もう繰り返したくない……)
既に一度経験済みだ。わざわざまた同じ思いをする必要は無い。そう思っているのに、描いてみたい気持ちも全く無いわけではない。その気持ちのぶつかり合いがいつまでも私の中で燻って、先を見通すことができなかった。
神様が与えてくれたチャンスなのか、悪魔からの余興の誘いか。じっくり見極める時間が必要だ。
「……もう少しだけ自分で考えたら、相談しても良い?」
「もちろん!」
どこまでも優しい美奈子ちゃんのご厚意に、目と喉の奥が熱くなる。こんなにも面倒臭い人間なのに、お人好しが過ぎるんじゃないかと逆に心配にもなった。
いっそ大声で泣けたらスッキリするのかな。恥ずかしいからしないけれど。
* * *
その後の休み時間で美奈子ちゃんと連絡先を交換し、花椿姉妹さんとのグループトークにも入れてもらった。
“さん”付けしたら、「マリィだけ“ちゃん”付けでズルイ!」と詰め寄られてしまったため、ひかるちゃん、みちるちゃんと呼ぶことで許してもらった。
可愛くて綺麗な子は怒らせてはいけないと学んだ。恐ろしい。
「今度ゆずちゃんも一緒に遊ぼうね。絶対誘うから!」
「マリィとお姉ちゃんと四人でお泊まり会の実現も近いかも!」
「リリィからもいつでも連絡してね」
「ありがとう……」
ここは天国だろうか。女の子の笑顔が眩しい。
私にとってはあまりにも非現実的で、教室に戻った時に自分の頬をつねった。どうやらちゃんと現実の出来事らしい。
両頬を引っ張る私を見た七ツ森くんは、隣で突っ伏して爆笑していた。今日はよく笑うねと、私も密かに笑みを溢した。
“七ツ森くん一日一笑かし”、成功?