―七ツ森side―


モデルの仕事はGWとか関係なくスケジュールに組み込まれ、俺は学校が無いだけのいつもの毎日を送っていた。仕事の無い日にはグループで遊ぶ約束も取り付けていて、昨年よりだいぶ充実している。

今日も長引いた午前中の撮りを終えて、少し遅めの昼食をとりにアルカードへ向かう。モデル事務所から程遠くない距離にあるその喫茶店は、モデル業を始めた俺にとっても行き付けの店になった。落ち着いた雰囲気も良いし、マスターのコーヒーも美味い。何より季節限定のデザートはどれをとっても俺好みで、アルカードで過ごす時間はまさに至福だった。

今日は何を頼もうかと思いながら扉を開けると、ドアベルに反応してバイト中の小波が接客してくれた。一年の頃からここでバイトしている彼女は、不馴れだった接客もすっかり板について、満面の笑みで出迎えてくれる。いつものことながら良い笑顔だ。


「どーも」

「いらっしゃいませ! 奥のお席、空いてるよ」

「サンキュ。……!?」


いつもの席に行こうと何気なく視線を上げたところで、思わず息を飲んだ。声を上げなかっただけまだマシだと思いたい。一番奥とパーテーションを挟んだ隣の席。そこにはクラスでも馴染みの隣人、雛田が座っていた。

雛田は俺には気づいておらず、下を向いてテーブルに置いたスマホをチマチマと弄っている。今の俺はNanaだから、見られたところで気づかないとは思う。だが、正体を知らない知人と同じ空間にいるのはヒヤヒヤして、ある意味心臓に悪かった。


「どうかした?」

「……や。なんでもない」


ヤベ、このまま突っ立ってたら逆に怪しまれる。そういえば小波はまだ雛田のことを話でしか知らないんだった。

ひとまず気づいていないフリをして、雛田の横を通り過ぎる。何をしているのかチラッと彼女の手元を見ると、スマホの小さい画面に絵を描いているようだった。さすがに一瞬で何の絵なのかまでは見えなかったけれど、学校だけに限らず休日でも絵を描いているらしい。凄く見たいが、今は我慢だ。

気づかれずにパーテーションの奥の席まで辿り着き、とりあえず安堵の息を吐く。ここまで来れば大丈夫だろう。


「お待たせ致しました! ベリーベリーパンケーキとホットコーヒーです。お水はこちらに置きますね」

「ありがとうございます」


パーテーションを隔てて知っている二つの声が聞こえてくる。小波の透き通った鈴の音のような声と、穏やかで沈静な声。クラスにいると周りの音にかき消されてしまいそうなほど小さな声だが、静かなBGMだけが流れている喫茶店内では、雛田の声は耳によく馴染む良い音だ。


「お待たせ。ご注文は?」

「ああ。ホットと……季節のデザートって変わったんだっけ?」

「うん! 今月はベリーベリーパンケーキだよ」

「じゃあソレで」

「畏まりました!」


注文を受けた小波がマスターへと告げに行く。偶然にも雛田と全く同じ注文になってしまった。

あの子も限定物は食べるんだな。たまたまメニューの写真が目に止まって注文したのかもしれないけれど。


(美味そうに撮ってるもんなぁ、ここのメニュー)


限定物は特に写真がデカデカと掲載されていて、加工してあるとわかっていてもつい注文してしまうくらいに美味しそうだ。まぁ、実際アルカードでハズレ引いたこと無いし、見た目も味も間違いないんだけど。

届いたら俺も写真を撮ろうと決め、待っている間はスマホで流行検索に勤しんだ。


[newpage]


アルカードで腹拵えをして、午後の夏物の撮影も順調に終わった。午前が押してた分遅くなるかと覚悟していたが、思っていたよりアッサリ終わって良かった。この時期に半袖を着るのはさすがにまだ寒い。

日が傾いて空が少し赤み掛かってきている時間帯。Nanaから七ツ森実に戻って、なんとなく次の流行になりそうな物は無いかと公園通りを散策する。GWの最中ということもあって人通りはいつもより多く、この時間はスーパーの買い物袋を下げた人や子供と手を繋いで歩く人もたくさんいた。


(……あ、雛田)


そんな中、またしてもあの子を見つけた。今日はよく見かける日だ。
雛田も買い物帰りなのか、アルカードで見た時には無かったエコバッグを片手に持っている。ちょうどスーパーに寄ってきたところなのだろう。収まりきらない長ネギと牛蒡が飛び出ていて、きっと後ろ姿だけ見たら気づかなかった。

さっきは話せなかったし、今度は声を掛けようかと一歩踏み出す。しかし、ショーウィンドウを眺める彼女の横顔を見てやめた。


(……なんか、思い詰めてる?)


いつもはメガネで正面からだと読み取りづらい表情が、今は横顔でなんとなくわかる。口角は緩やかに下がっていて、悩んでいるというより考え事をしているようだ。


(羨望? にしては暗すぎる。諦観? 諦めてるみたいな……?)


雛田の見ている店は、キュートやナチュラルな服を多めに取り扱っているガールズショップだ。雛田も女の子なんだから欲しい服があっても違和感は無い。高過ぎて買えないとか?

声をかけるのを躊躇っている間に、雛田は小さくため息を吐くと俺の方に背を向けて去っていく。雑念を振り払うようにスタスタと早歩きする彼女の姿は、人混みに紛れてあっという間に見えなくなった。

何を見ていたのか気になって、彼女が立っていた場所に立つ。そのショーウィンドウには、モスグリーンのシャツワンピを着たマネキンが飾られていた。可愛い系の服が並ぶ中でも、大人っぽい印象のワンピース。金額は15リッチとお手頃価格だ。


(え? あの子何に悩んでたの?)


学生とはいえ、手を出せないほどの金額ではないハズだ。彼女の金銭感覚はわからないけれど、少なくともあの子が抱えていた荷物を見る限り、このワンピース一着くらい普通に買えると思う。

他に悩むことがあるとすれば、自分に似合うかどうかだろうか。


(……いや、普通に似合うでしょコレ)


落ち着いた大人の雰囲気が漂うそれは、まさに雛田のイメージにピッタリだ。いつもクラスメートを眺めている彼女の様子は達観した姉のような印象で、どことなく歳上っぽく思うこともあった。流行りを追い求めてはしゃぐ同い年の女子たちより、先に中身だけ大人になってしまった感じでもある。

さっきの彼女の服装は、ピンクのプルオーバーパーカーとスキニージーンズにスニーカー。外出のために無難な服を着て出てきたという感じで、傾向はスポーティー寄り。悪くない組み合わせだが、運動が苦手そうなあの子が着るにしては、正直ピンとこない服だった。


(雛田がこのワンピースを着たら……、うん。絶対似合う。メガネも髪ゴムも外して、このシャツワンピに薄いカーディガン。足元は3センチくらいのパンプスでスラッと見せて、髪はハーフアップ。化粧は……)

「ミーくん!!」

「うわっ!?」


妄想に没頭していて気づかなかった。真横に迫ったダーホンの顔に、心臓が口から出そうなほどに跳ねる。胸に手を当てるとめっちゃバクバクしてる。今絶対に数年寿命が縮まった。


「……っ、ビックリした……。なんでダーホンがいんの?」

「オレはバイトの帰り。何回か呼んだんだけど、ミーくん随分と考え込んでたね。誰かにプレゼント?」

「へっ?」

「違うの? このワンピース見て考えてたんでしょ?」


そんなに長いこと突っ立ってただろうか?
と思ったが、雛田の素顔を想像して化粧まで施そうとしていたことに気づき、顔に熱が集まるのを誤魔化すためにコホンッと咳払いをする。付き合ってもない女の子相手にそこまで妄想するって、俺はヘンタイか。


「プレゼントじゃない」

「そなの? てっきり小波ちゃんか雛田ちゃんへのプレゼントだと思った」

「……なんで小波と雛田?」

「だってミーくん、その二人くらいしか女の子友達いないでしょ?」

「うっ! そ、んなことは……」

「チルちゃんとピカちゃんは、友達っていうより仕事の先輩というか仕事仲間な感じじゃない? ミーくんが他の女の子と話してるとこは、小波ちゃんと雛田ちゃんしか見たことないよ?」


グサッと何かが刺さった。ダーホン、事実だけどそのストレートな言い方やめて。地味に傷つく。

はぁ、とため息を吐いて、ダーホンの“女の子友達”という言葉が引っ掛かった。そういえば、俺って雛田とは友達なんだろうか?


「……ダーホン、友達ってどっからが友達?」

「えっ? ……うーん、難しい質問だな。友達の定義か……」


ダーホンは腕を組んで目を閉じ、ウンウンと唸る。突拍子もない質問だけど真面目に考えてくれるらしい。


「んー……」

「どう? わかった?」

「わかんない! わかんないけど……」

「けど?」


ハッキリとわかんないと言いつつ、ダーホンは再び首を捻る。想像するように宙を眺めたり、足元の小石を爪先でつついたりして、暫く待っているとやっと口を開いた。


「……例えば、オレとミーくん、リョウくん、小波ちゃんのグループって、いつの間にか仲良くなってて一緒に遊ぶようになったでしょ? それってたぶん、それぞれ二人で遊んだりもしてて、仲の良い友達同士が集まって成り立ったグループだと思うんだよね」

「うん」

「つまりオレたちの場合は、二人で話したり遊んだ時に、各々がどこかで友達認定してるってことなんだ」

「あー……、そう言われると確かに……」


俺とダーホン、俺とカザマ、俺と小波。ダーホンの言うように、グループになる前にそれぞれと何かしらで絡んできた記憶がある。ダーホンにはNanaだってすぐバレたし、カザマはよく落とし物を拾って届けてくれたり、小波にはしょっちゅう遊びに誘われた。

俺としては身バレ要素が増えたことが不本意だったけど、このグループで遊ぶのは嫌いじゃないし、何なら俺からも誘っている。そう考えると、俺はグループになる前に三人を“友達”として認識していたということになるんだろう。


「でもさ、明確にどこから“友達”って決めるのは難しいよね。だって、オレが友達だって思った瞬間、ミーくんたちはそうは思ってなかったかもしれない。ただの知り合いだと思われてた可能性もあるわけで、そういう状態を“友達”って言って良いのかは微妙なラインだと思う。自分本意に仲良くなれてるって考えるなら“友達”って言っても良いと思うけどね」

「……そっか」

「でもでも! 仲良くなってるのかっていうのは、その人のことをよく見てるとわかってくるものだと思うよ。良くも悪くも、いつもはなかった変化が相手に現れたら、その人の中の自分の位置付けが変わったってことなんだとオレは思う!」

「ふーん、変化ね……」


ダーホンの言ってることは、なんとなくわかる。ダーホンもそうだけど、小波やカザマとは遊ぶ頻度が増えたり学食に誘われるようになった時が“仲良くなり始めた瞬間”だったんだろう。

女の子友達……。小波のことは、ハッキリ“友達”だと言える。休日にはたくさん遊びに誘われて、最初はちょっと面倒だと思っていたけれど、何だかんだ言って流行り物とか気が合う話題も多い。お互い一緒にいて気が楽だと思える。たぶんカザマとダーホンも同じだから、四人でも遊んでられるんだろう。

じゃあ、雛田はどうだろう?


(俺は雛田のこと友達だと思ってんのかな……)


どうなんだろう?
ダーホンの目で“女の子友達”だと見えてるなら、俺の中では友達なのか?

雛田の場合は流行の話とかは全然しないけれど、小波とは違った意味で気が合うと思う。隣にいても違和感なく当たり前にいる存在というか。何て表現したら良いのかわからないが、とにかくあの子と一緒にいる時の空気が心地良い。


(……って、その時点で俺はもう友達認定してないか?)


女の子と一緒にいて気持ち良いとかヘンタイじゃないかと、一度その感想は忘れることにする。

俺が雛田を友達だと思っているとして、じゃああの子からはどう思われているのだろう? ダーホンの言う“変化”はあっただろうか?

雛田の変化。最初の頃と比べると、かなり喋れるようになったし怯えなくなってきた。今でもだいぶ変わってきてると思うけど、それが友達認定とは思えない。あの子の中での知り合いレベルの最低ラインが低すぎるように思えるからだ。

まだまだ知り合い止まりな気がしてため息を吐いた。改めて考えると俺って友達少ないな……。


「で、ミーくんは雛田ちゃんにプレゼントしてあげたくなったんだね」

「違う。なんでその話を蒸し返すの? その話題はもう終わり」

「うんうん! 二人が順調に仲良くなってるみたいで良かった!」

「だから違う! ダーホン、人の話を聞いて!」

「それはさておき!」


ダメだ。完全にダーホンのペースに巻き込まれている。訂正したところで良いように解釈されるだけだと早々に諦めた。友達云々のことはまた後で考えよう。


「ねね、今度は雛田ちゃんとも一緒に学食行こうよ! 小波ちゃんも話したいって言ってたし、オレも聞きたいこといっぱいあるんだ!」

「俺は良いけど、雛田が頷いたらな。ダーホンは質問一個に絞っとくこと」

「えーっ! なんで!?」

「カザマも言ってたでしょ。雛田がキャパオーバーで宇宙背負うだろうから、質問は一日一個だけ」

「うぅ〜……、まぁ仕方ないか」


残念だと斜め下を向いたダーホンだったが、次の瞬間には何を質問しようかと顎に手を当てて頭の中で整理を始めていた。一個に纏め上げて超難題な質問を投げ掛けてこないかが心配なところだが、そこは雛田本人に頑張ってもらおう。


* * *


思わぬ長い立ち話で、気づけば辺りは暗くなっていた。ダーホンとも別れて帰路につく。結局流行調査はできなかったが、クラスの隣人についてまた少し知れたからまぁ良いだろう。

あのシャツワンピ、プレゼントとかは考えてなかったけれど、機会があれば着てる姿を見てみたい。なんて、帰りながらまた妄想する。


(ただの知り合いの男子から服をチョイスされるなんて、あの子は絶対嫌がるだろうけど。あ、なんか虚しい……)


知り合い止まりで残念がっている時点で、俺は雛田と友達以上になりたいのだと、この時の俺は全く気づかなかった。