―七ツ森side―


GW明け。
担任のお土産が男女別に配られている時点で、俺の目はチーズタルトに釘付けだった。女子用のお土産を「冷やしておいた」と言うからには、あのチーズタルトは女子に配られるんだろう。ちょっと残念だが似たようなのが貰えるなら良いかと思い直し、男子用にアラレ煎餅が届いた時は眼鏡の奥がチベットスナギツネになっていたと思う。男子だって甘い物は食べるんですよ、先生。


(甘いものが恋しい……)


煎餅も好きではあるが、甘いものと比べたら当然テンションは下がる。誰か交換してくれるような女子はいないものかと見渡しても、このクラスで気楽に話せるような女子なんて、隣人の雛田しかいない。彼女なら頼めば交換してくれるだろうが、そんな弱味に漬け込むようなことはしたくないのが正直なところだ。

はぁ、と溜め息を吐きながら担任を見送り、下校の支度をしてなんとなく隣を見る。ワンチャン交換してほしいなぁなんて下心満載で。
そこには、いつもなら我先にと下校していく雛田が、珍しくまだ鞄もそのままにお土産を見詰めていた。普段と変わらず読み取りにくい表情だが、前髪の隙間から見える眉の間には若干のシワが寄っている。これまた珍しい。

もしやと思い声をかければチーズタルトが好みなのかを聞かれ、俺が交換を申し出る前に「あげる」と差し出された。返答する前に受け取ってしまった俺は、欲望に忠実過ぎるだろうと後になって少し恥ずかしくなった。

聞けば、雛田はチーズタルトのみならずチーズ自体が苦手らしい。「美味しく食べてあげられない」なんて言う彼女は、恐らく俺が拒否していたら持ち帰って自分の胃に納めていたんだろう。そこで担任の気持ちを汲み取って、真っ先に捨てる気を起こさずに悩み続ける彼女がなんとも健気で、自然と目元が緩んだ。大事に育てられてきたんだろうな。

結果、俺の煎餅と交換するのは願ってもないことで、一気にテンションが上がった。交換で良いのかと聞いてくる雛田はマジで良い子だ。


* * *


良い機会だから下校にも誘ってみた。逆方向だから校門までだけど。それでも彼女は了承してくれて、近すぎず離れすぎずの距離で並んで歩いた。

女子はチーズ好きだという偏見が嫌だと言う雛田に、確かになと納得した。女の子宛のお菓子のプレゼントも、チーズ味のものがナンバーワンに選ばれているのはチラホラと見かける。“女の子がチーズ好きなワケ”なんて見出しのコラムもあったりして、雛田の言う通り“女の子はチーズが好きで当たり前”な感じが前面に出ていた。


「性別で偏見持たれて嫌になる感覚は俺にもちょっとわかるかも」

「……七ツ森くんにもあるの? そういうの」

「まぁね」


公に口に出しはしないけれど、俺の趣味だってそうだ。「女装が趣味です」なんて言おうものなら、世間では変人扱いされるのがオチだし、数少ない親しい人たちも変なものを見る目で離れていくに違いない。

俺個人としては女の子がボーイッシュな格好をするのと変わらないと思うのだが、世間一般の常識として普段から男がスカートやワンピースを着て出掛けたら警察に通報されるだろう。ハロウィンなんかのイベントでもない限り、俺の趣味が受け入れられることは無い。


(……言ったら引かれるんだろうな)


この流れで吐き出したい気持ちだが、せっかく話せるようになってきた雛田に引かれるのはゴメンだ。ましてや彼女は、恐らくまだ俺のことを友達としても思っていないのだから。知人程度の認識の子に話せるような内容ではない。

彼女もこの話題について深く追求する気はないらしい。俺の話したくないオーラみたいなのを感じ取ってくれたようで、そういう気遣いができる辺りも俺にとっては救いだった。


「お互い苦労しますな」

「そうですなぁ」

「プッ!」


雛田の言葉使いが突然軽くなって、思わず笑ってしまった。


(“そうですなぁ”? この子そんなノリできたの?)


「そうだね」とか「うん」とか頷くだけだと思っていたのに、まさか語尾を合わせてくるとは。真面目で物静かな雛田のイメージしか無かったから、軽い返しができる子だとは思っていなかった。

必要最低限の人と話せれば良いと言う彼女に、調子に乗ってヒヤリとする間もあったけれど、彼女はその場で真剣に考えてくれた。ここで「違う」なんて答えられたら丸一年隣でヘコむ、絶対。


「……うん、そうだね。七ツ森くんは“必要最低限”の内の一人」

「……! そっか」

「だから調子乗って良いよ? ちょっとだけ」

「ブフッ! “ちょっとだけ”ね。りょーかい」


雛田の交遊関係の“必要最低限”の中に入れてくれている事実を言葉で知れて、心臓の辺りが擽ったくなった。
ちょっとだけ調子に乗るってどれくらいだよ、とかは自分の中で突っ込む。せっかく軽いノリで話してくれるようになったんだから、ここで俺が彼女の気を落とすような言動をするわけにはいかない。


──いつもは無かった変化が相手に現れたら、その人の中の自分の位置付けが変わったってことなんだとオレは思う!


(……! もしかして、今のは雛田の変化か?)


この間のダーホンの言葉が頭に浮かぶ。

雛田の中で俺の位置付けが変わった?
少なくとも軽く話せる間柄にはなれたということで、それは明らかにGW前までの彼女とは良い意味で違った。

昇降口で靴を履き替え、校門まではあっという間に着いてしまう。ここから先は逆方向だ。
同じ方向だったら喫茶店にでも誘って引き続き駄弁りたいところだけれど、夕方のこの時間に女の子を遠回りさせるわけにはいかない。反対側に良い店が無いか、今度探しておこう。


「今日もありがと。また明日ね」

「……! はい、また明日」


別れ際、そう言って手を振った雛田が笑っているように見えたのは、夕日のせいではないと思いたい。

その日から、仕事で早めに帰らなければいけない日以外は、雛田と教室を出るのが日課になった。



* * *



「学食?」

「そ。ダーホンが、良かったら雛田も一緒にどうかってさ」


ある日の放課後、雛田と下校する時に近々学食に行かないかと誘ってみた。
今日の昼にダーホンと小波から、「いつ雛田ちゃんとランチできるの?」と言われて、本人に聞くのをすっかり忘れていたのを思い出したのだ。俺はいつでも隣で話せるから気にしていなかったのだが、あの二人はずっと待ち望んでいたらしい。


「雛田、いつも弁当だろ? 難しかったら断っとくけど」

「いや、難しくはないよ。持ってこなければ良いだけだし。ただ……」

「ただ?」

「……私、人見知り激しいから」

「あー……」


俯き勝ちになる雛田に妙に納得する。ほぼ毎日話している俺でさえも、この間やっと友達レベルになれたのだ。百歩譲ってダーホンと俺だけならまだしも、そこに小波とカザマという初対面二人が加わったら、彼女のことだから何も喋れなくなる可能性が高い。


「でも、お誘いは嬉しい。来週でも良いなら、お弁当は作らないでおく」

「そ? 別に食堂で弁当食べても文句は言われないと思うけど」

「一人だけお弁当じゃ浮いちゃうでしょ? そっちの方が嫌」

「そっか。じゃ、OKって返しとく」

「うん」

「あ! 七ツ森くん!」


校門に差し掛かった時、見慣れたピンク髪の子が正面からパタパタと駆け寄ってきた。噂をすればというか、確かめなくてもあの大声で俺を呼ぶのは小波だとわかる。その後ろにはダーホンとカザマ。一緒に下校するところのようだ。


「小波。あんた、相変わらず声デカイ」

「あ、ごめんね。今日いつもの喫茶店で新しいスイーツ出るって聞いたから、みんなで一緒に行こうって話してて。七ツ森くんもどうかな?」

「ああ、期間限定のパフェね。もちろんOK」

「良かった! 貴女ももし良かったら一緒にどうかな? 七ツ森くんのお友達なんだよね?」

「えっ?」


この流れで誘われると思わなかったのだろう、雛田は小波と俺、ダーホンとカザマまで見渡して表情を固くする。たった今人見知り云々の話をしていて、四人分の視線が集まる状況になるとは予想できるわけがない。

初対面で明るく誘える小波は流石だが、この子からすれば初対面の人間との寄り道はだいぶハードルが高い。


「あ……。私は帰り道あっちなので……」


助け船を出そうかと俺が口を開きかけたところで、雛田自身が帰宅方向を指差して、か細い声で一言断った。鞄を持つ手が白っぽく握られている。この一言にもかなり勇気を出していることが窺えた。


「そっかぁ、残念。あ、じゃあ代わりにコレあげるね!」

「……ッ!」


一瞬のことだった。

雛田が指差していた手に、小波は何かを手渡そうとしていたのだろう。小波が雛田の手を握った瞬間、その手は拒絶するように振り払われた。

一秒と経たない出来事で、頭への理解が追い付かず誰も声を上げない。茫然と雛田を見つめていた小波が、振り払われた自分の手を見下ろしたところで、怖い顔したカザマが一歩踏み出すのが見えた。

マズイ。
小波に関して敏感なカザマが怒らないわけがない。慌ててカザマを押さえようと腕で遮ると、視界の下の方にあった黒が更に深く下がった。


「ご、ごめんなさい……! 痛かった、ですよね? ごめんなさい……っ」

「あ……、ううん。びっくりしたけど大丈夫だよ。頭上げて?」


雛田の長い黒髪がさらりと肩から溢れる。心からの謝罪だというのは、九十度下げられた頭と震える声だけで伝わった。

小波の声で恐る恐る上げられた表情は、血の気が引いたように青白く、今にも泣きそうなほどに歪んでいる。手を振り払われたのは小波なのに、雛田の方が傷ついているような、そんな顔。
さすがにカザマも驚いたようで口を噤んだ。


「わたしこそごめん。驚かせちゃったね」

「あ、ち、ちがっ。そうじゃなくて……、あの……」


謝罪する小波に雛田は焦って首を振る。胸に手を添え、一度深呼吸するとゆっくりと言葉を紡いだ。


「…………私、手を繋ぐのとか、身体触られるの、怖くて……」

「え?」

「…………小さい頃、身体触られて嫌な思いしたことあって……。男の子でも女の子でも、触られる感覚が、凄く苦手なんです……」


トラウマ。
その四文字がストンと胸に落ちてきた。


(そうか、だからいつも怯えてたのか)


その嫌な記憶がどの程度のものかはわからないが、日常生活でこういった支障が出てしまうほどのことをされたのだろう。

最初から疑問に思うことは多々あった。初めて会った日からずっと怖がられていたし、話しかけては一言返すのにもかなり慎重に発言していた。街で見かけた時もそうだったが、たまに遠くを見つめるような目をするのは、その記憶が頭に蘇っているからか?

嫌なことをされただけでなく、もし言葉でも傷つけられていたのなら。それが雛田の行動、言動、自己主張の無さに繋がっているのだとしたら、あの日ワンピースを眺めていた時の雛田の表情にも納得がいく。


「直さなきゃって思って、気をつけてるんだけど……。自分が意識してない時に触られると、今みたいに……。本当にごめんなさい」

「……そっか。怖いこと思い出させちゃってごめんね」

「や……、私が過剰に反応しちゃうだけだから……。貴女は何にも悪くないです」

「ふふ、優しいんだね」

「優しいわけじゃ……」

「ね。触らないから、手出して?」


小波に言われて、雛田は恐る恐る掌を差し出す。その上に小波は一口サイズのチョコレートをポトリと落とした。


「大丈夫。わたし、これくらいで貴女を嫌いになったりしないよ。嫌なことなのに、教えてくれてありがとう」

「……! こちらこそ。受け入れてくれてありがとう。貴女も優しいね」

「そうかな?」

「そうだよ。ふふ」

(……! 雛田が笑った……)


初めて下校した時に微笑んだのを見たきり、俺は雛田が笑っているところは見たことが無かった。あれも夕日の効果でそう見えただけかもしれないが。

俺がやっとのことで仲良くなれた子なのに、声に出して笑わせるとは。女の子同士だからなのかもしれないが、やっぱり小波のコミュニケーション能力は凄い。
そんでちょっと悔しい。俺の方が先に友達になったのに。


「わたし、小波美奈子。よろしくね」

「雛田ゆずです。よろしく。七ツ森くんと同じクラスなんだけど、同い年、かな?」

「同い年だよ! “ゆずちゃん”って呼んでも良い?」

「……! うん。私も“美奈子ちゃん”って呼んで良い?」

「もちろん!」


微笑ましい。
ふわふわしたお花が飛び交っているように見える。全く違うタイプの女の子たちでも仲良くなれるモンなんだなと、俺は邪魔にならないようにダーホンとカザマの隣に移動した。


「俺たち完全に蚊帳の外だな」

「いーじゃん。女の子たちの友情の場面が見られたんだからさ」

「うんうん! 仲良くなって良かった!」


一時はどうなることかとハラハラしたが、今の二人を見る限り和解できたようだ。最悪来週の学食も断られるところだったけれど、これなら問題ないだろう。雛田からも小波にお詫びの飴を渡している。

カザマも幼馴染みの新しい友達にやれやれと肩を竦めた。


「怒んないんだ? カザマ」

「……ああいう理由じゃ怒れるわけないだろ。わざとじゃないんだろうし」

「そうだけどさ。注意くらいするかと思った」

「オレもオレも! 怒って泣かせちゃうかと思った」

「女の子を泣かせるような怒り方するわけないだろ。お前らの中の俺ってどんなだよ?」

「「小波美奈子至上主義者」」

「オイ」

「みんな! そろそろ喫茶店行こ!」


小波の一声で雛田とは後腐れもなく別れ、俺たちは喫茶店に移動した。

もちろん、別れ際に来週の学食の予定を伝え、カザマとダーホンにも受け入れられた雛田は、極僅かにだが纏う空気が穏やかになった。男への警戒の方が強いのは仕方のないことなんだろう。本人は直そうと頑張っているのだから、余計なことは言わずに何か手助けできればと思う。

注文した新作イチゴパフェは美味かったが、問答無用でマスカルポーネチーズが入っていて、あの子を連れて来なくて良かったと一人で安堵した。もし来てたら空気悪くしないようにとチーズ嫌いを隠して食べていただろう。雛田の性格がわかってきている自分に苦笑する。


(チーズの入ってない美味しいスイーツのある喫茶店。学校の向こう側にあるかな……)


小波やダーホンの話を聞きながらスマホを弄り、俺はいつか雛田と寄り道できる日が来ることを密かに楽しみにしていた。