※食べ物で遊ぶ
※懐紙=懐に入れて携帯するための小ぶりな二つ折りの和紙。主に飲食の際に使う(ref.wiki)






五月のとある日のこと。小腹を空かせたナマエが食堂に行くと、西宮が一人でさくらんぼの入った大きなボウルと小皿を前に口をモゴモゴと動かしていた。

「西宮さん、お疲れ様です」

「ん、おふはれ……どうよっ!」

西宮が突然小皿を口元に持っていき、口の中から小皿へと何か緑色のものを移した。

「それはなんですか……?」

ナマエは西宮が吐き出した緑の紐のようなものがなんであるか食卓へ近づいて覗き込んだ。

「ちょっとちょっと!そんな引いた目で見ないでよ!これはさくらんぼの柄だよ!」

「柄を誤飲してしまったのですね。大丈夫ですか?」

「違ーうっ!これはアレの練習してただけ!」

「アレとは……?」

「ナマエちゃん、知らないの?んー、まあピュアっぽいもんねー……ほら、これ見てよ」

西宮はスマホを操作すると、何やら可愛らしい女の子の映る動画をナマエに見せる。
動画に映る女の子はさくらんぼの柄を口に含み、口をモゴモゴさせた後、輪っかに結ばれた柄を乗せた舌を突き出した。

「とても器用な方ですね……西宮さんも凄いです。これが出来たってことですね」

「そーいうこと!で、私の目標はこの子より早く柄を結ぶことなの!一人でやるの寂しいからナマエちゃんもやろう?」

「……ごめんなさい。こういうのは少し恥ずかしくて……」

柄は捨てるものとはいえ、種以外に口に入れたものを吐き出すのは憚れる。もし、そんなところを憲紀にでも見られたらどんな風に思われるか考えるだけでも恐ろしい。

「ナマエちゃん、実はこれキスが上手くなる為の訓練なの!」

「ほ、本当ですか……!」

「ということで──やるよね?」

「……少し考えさせてください」

キスの練習はぬいぐるみで練習したことのある程度のものだった。それも角度を変えて唇を重ねるだけのもので、舌を使ったやり方など練習したことはない。

思えば、憲紀にされたキスは深く、濃厚で──とにかく、心地の良いものであった。
自分も拙いながらに憲紀に気持ちのいいキスを与えられるように頑張りたいという気持ちは少なからずある。

「……少し試してみるのも悪くないでしょう」

「よし!じゃあ、そっち座ってさくらんぼ食べながらやろ!」

「はい」

ナマエは西宮の向かいに座り、柄の長いさくらんぼをボウルから取り出した。



 ◇



二十分後、ナマエはいつも持ち歩いている懐紙で口元を隠しながら、前歯の裏に押し付けたさくらんぼの柄を輪っか状にし、柄の端っこを輪っかの中へと舌先で押し込んで結んだものを舌の上に乗せて見せた。

一連のナマエの動作が終わった瞬間、西宮がスマホのタイマー画面をタップする。

「ジャスト十秒!ナマエちゃんって器用なんだね〜」

「まさかこんなに上手に出来るとは思いませんでした……ですが、西宮さんの六秒には敵いませんね」

ナマエは小皿にさくらんぼの柄をそっと移し、尊敬の目で西宮を見つめる。

「ふふん。早速、動画上げたらややバズしてるんだよねー」

うふふ、と笑いながら西宮はスマホを弄る。

「ナマエちゃんの動画も撮ったんだけど鍵垢の方に上げとく?」

「また撮っていたのですか!?」

ナマエは以前、西宮に教えられ、三輪と簡単な振り付けのダンスをしたところもバッチリスマホに撮られていて京都校のグループチャットに誤爆されたことを思い出した。

その時「変な加工がされているが、これはナマエか?」と憲紀がわざわざナマエのところまで直接確認に来たことがあった。
結局動画については叱られなかったが、「ネット上に動画を上げなければ、好きにしていい」と憲紀には言われていた為に、時折西宮に付き合って動画を撮るのも悪くないと思っていた。

ただ今回の動画は別だ。憲紀の目に触れることになれば、大問題だ。
キスの練習をしていると知られる上に、舌を突き出しているところを見られるのは恥ずかしくて耐えられない。

「西宮さん、絶対に憲紀さまの目に触れるところへはアップロードしないでくださいね」

「あー、あの件ね。ごめんごめん。でも加茂君に感想聞いたら『他にも動画を撮っているのか?』って興味津々だったし……まぁ、気持ち悪いから他の動画は見せなかったけど」

「憲紀さまがわたしにご興味を……?」

「拾うとこそこなんだね。うん。他の動画加茂君に送る?」

「いえ、恥ずかしいのでそれはおやめください。そもそも他の動画って何ですか……?三輪さんと踊っていた動画以外に何が……?」

「最近のでいうと、霞ちゃんとナマエちゃんと新田君が三人で話してた時のやつ。なんか絵面が可愛くて撮っちゃった。一年生トリオって感じで。他にはナマエちゃんがうたた寝してるところとか、自分のスマホ見ながらニヤニヤしてるところのとか」

「ニヤニヤ?いつわたしがニヤニヤしていたのですか……?」

「多分加茂君と連絡とってる時かな?ニヤニヤというか、ニコニコしてて可愛いから撮っちゃった」

「全く気がつきませんでした……次回から動画を撮る際は教えてください。勝手に撮られてしまうのは恥ずかしいです」

「私は自然なナマエちゃんが撮りたいんだけどねー。まぁ、可愛い後輩ちゃんが嫌って言うなら次から声を掛けるように出来るだけ頑張って前向きに努力するね。勝手に撮っちゃってごめんね」

「いえ。あの、できればその動画を消してくだされば嬉しいのですが……」

「──さて、続きしようか!」

「西宮さん!」

はぐらかす西宮を問い詰めたいナマエだが、西宮がさくらんぼの柄を口に含むのに習い、自分もキスの上達の為に練習を続けることにした。

さくらんぼの柄を口に含み、懐紙で口元を隠しながら口内で手順通りに柄を結んでいき──

「ナマエ、今柄を食べていなかったか?」

「っ!」

突然現れた憲紀に声をかけられ、ナマエは固まった。
口内にはさくらんぼの柄。物を口に入れたまま話すのは憚られるし、かといって吐き出すわけにもいかない。

憲紀の隣には、ナマエと同級生の新がいて、二人は一緒の任務から帰ってきたところらしい。

「あ……加茂さん、これはあんまツッコまんといた方がええヤツです……」

ナマエは懐紙で口元を隠しながら、憲紀にどうやってこの状況を説明しようか困っていると、テーブル上の物を見て察したらしい新が気を利かせて助け舟を出すが、憲紀は眉を顰める。

「新田は何を言っているのだ?許嫁が柄を誤飲したのだよ。気にかけるのは当然だろう。この小皿にある輪っか状に結んだ柄を食べているのか?」

「うわ。面倒くさ。あのさぁ、加茂君。これは女の子の秘密の遊びだから見なかったことにしてくれる?」

「西宮、私はナマエに聞いているのだよ。ナマエ、柄を食べて平気なのか?」

「いや、加茂さん、ホンマに聞かん方がええですよ……」

「新田は何か知っているのか?」

「それは見たらわかるというか……西宮さん、助けてください」

「もー!加茂君にナマエちゃんの可愛い動画あげるから何も見なかったことにしてくれる?」

自分を目の前にして、勝手に取引の材料に使う西宮にナマエは頭を横に振って「駄目」だと合図するが、それに気がついているのは新のみで、憲紀と西宮は互いに眉根を寄せて視線をぶつけ合っていて気づく気配がない。

「ナマエの動画は他にないのではなかったのか?」

「ぶっちゃけ他にもあるよ。すごーく可愛いやつ。ナマエちゃんの動画が欲しかったら回れ右して出て行ってよ」

「……本人を前にしてするやり取りではない」

憲紀はばつが悪そうにナマエの方を見ずに言う。
一方のナマエは自分の動画が西宮の裁量一つでどうなってしまうか不安になりつつも、この際下品なことをしていることが憲紀にバレなければどうにでもなっていいと思い始めていた。

「もう遅いよ。どっちにしろナマエちゃんが聞かれたくなさそうなのわからないの?ナマエちゃんの許婿のクセに」

西宮の言葉が効いたのか、憲紀は瞳を見開き、暫く思案げな顔をして黙った末についに折れたように肩を落とした。

「……わかった。何も見なかったことにして今すぐここを出ていく。新田、行くぞ」

「え、俺ですか?ちょっと冷蔵庫に入れてる奈良漬け取ってきてもええですか?その為にさっきおにぎりこうたんですけど……」

「駄目だ。今すぐと言った以上、今すぐここを出る」

「ええ……」

融通の利かない憲紀に急かされて、新は渋々といった具合で憲紀と共に食堂から出て行った。

ナマエは二人がいなくなるのを確認すると、漸くさくらんぼの柄を口内から出すことができた。

「加茂君に見られちゃったね。私が誘った所為だね。ごめんね」

「いえ、西宮さんは悪くありません。やると決めたのはわたしですし、憲紀さまはわたしが何をしているかまではご理解していらっしゃらなかったと思うので……難が去った今、問題はわたしの動画の扱いかと……」

「交渉の材料に使っちゃったけど、送るとは言ってないから大丈夫だよ。過去の動画は全部鍵垢の方にアップしとくから好きに使っていいよ」

「はい。今度こそ高専のグループチャットの方に送らないのであれば何の問題もございません」

「誤爆はもうしないってー。はぁ。なんか舌疲れてきたし、やめよっか」

「はい。これで上手になったのでしょうか……」

口内で柄を結べるようになったとはいえ、具体的にどう口づけが上手くなったのかナマエには実感がない。

「というかさー、二人ってキスとかしてるの?この前のデートで手は繋いだって聞いたけど」

「……えっと、それは……その……」

ナマエの頭に、憲紀との舌を絡め合ったキスのことが思い浮かんでしまい、気恥ずかしさに顔を俯かせて口籠る。

「やっぱ聞かなきゃよかった。変な想像しちゃったよ。同級生のそういう話ってきついもん。東堂君の想像した日には吐くよ」

「……そういうものでしょうか?」

ナマエは自分の同級生である新のことを考えたが、特になんとも思わなかった為に首を傾げた。




 ◇



西宮と食堂で解散したほんの十分程して、ナマエは憲紀に部屋に呼ばれた。

先程のことを聞かれるのかと思ったナマエは不安気な顔をして憲紀の前に立っていた。
ナマエは自分がしていたことと、その目的は下品なことであると思っていた為に、憲紀にはどうしても知られたくない。

「さくらんぼの柄についてスマホで検索した。出てきたのはキスに関連するものばかりだったのだが……」

ナマエはあまりの恥ずかしさに唇を固く引き結んで俯いた。自分が下品なことをしていたのを憲紀に知られ、嫌われてしまうのではかいかと不安になる。

「……練習をしていたのか?」

表現をぼかすことなく、直接的なことを聞く憲紀に、ナマエは辱めを受けている気分になったが、憲紀には悪気がないのは理解していた。

自分を抱きたいと、憲紀が口に出して言った時も大胆であると驚いたものだが、最近は単純にデリカシーがないだけであることに気がついた。

それは憲紀が、三輪が前髪を切る度に「また失敗したのか?」と言ったり、西宮が高いところにあるものを背伸びして取ろうとすると、「その身長では無理だ」と言ったりすることからも推測できる。

悪気のない相手を責めることはできず、ナマエは恥を忍んで俯いたまま小さく頷いた。

「そうか。相手がいないであろう西宮も練習していたのは謎だが……ナマエは練習の成果を見せてくれるのか?」

「はい……?れ、練習の成果……?」

てっきり憲紀に幻滅されるものだと思っていたナマエはあっけにとられた。

「私の為に練習したのではないのか?」

「そうですが……」

ナマエの視線は自然と憲紀の唇へといき、何日か前にした濃密なキスを思い出し、耳を赤くさせる。

「ナマエ、こちらへおいで」

憲紀はベッドの縁に腰掛け、ナマエを自分の膝の上に座るように誘導する。

ナマエが予期せぬ誘いに胸を高鳴らせながら、脚を揃えて横向きに憲紀の膝の上に乗ると、背に腕を回されて肩を抱かれた。

密着した体からは憲紀の匂いや体温、男性らしい体の硬さを感じ取り、胸の鼓動が速まっていく。

自然と顔の距離が近くなり、恥ずかしくなって睫毛を伏せるが、憲紀からの視線は自分の顔に注がれているのを感じる。

「こっちを見てくれるか」

憲紀はナマエの頬に手を添え、囁くような優しげな声を出す。

その所為でナマエはこれからすることを想像してしまい、体が火照ってしまう。
別に今から肌を重ねるわけではなく、キスだけだとわかってはいるのだが、過去にした憲紀とのキスはまるで性交の準備とも呼べる程官能的で、それだけでナマエは参ってしまうのだ。

ナマエは頭の中で「今日はキスだけ」と繰り返しながら、ゆっくりと睫毛を持ち上げるようにして視線を憲紀へ持っていく。

憲紀と視線を絡め合わせると、心臓が跳ね、下腹がじわりと疼く。
憲紀の瞳は糸のように細いが、凛々しく、妙に色気があり意識してしまう。

「今日はナマエからしてくれるか?」

額をコツン、と合わせられて鼻先が触れ合う。
憲紀の甘い吐息がナマエの唇の表面を撫ぜ、ナマエはぞくぞくとした官能の痺れを背筋に走らせる。

「はい……」

ナマエは小さな声で返事をすると、顔を傾けて瞳を伏せ、憲紀の唇へ自分のを触れ合わせた。




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