いたずらっぽく笑う声
違う世界からきたという珠希は、最初、幼子でも分かる、生活していくうえでの常識すら知り得ていなかったが、ここ一月も満たない期間で、すっかり彩雲国の人間になっていた。
元来の器量の良さと人の良さ、愛嬌を持ち合わせている彼女は、出かける度に知り合いを作って帰ってくる。
毎朝、一緒に朝餉を取りながら前日あったことを楽しそうに報告してくれるのだが、多すぎて把握しきれない部分もあり、またお菓子のおじさんなど最早名前ですらないお友達もできたりしているようで、楸瑛としては面白くない部分もある。
日々成長していく娘を見守っているような気持ちでいたが、そんな娘が巣立っていってしまうような気がするのだ。
つい先日、寂しさが言葉として出てしまった時があった。
「今度の休みに一緒に出かけようと思ったけれど、そんなにお友達がいるなら時間作ってもらうのも難しいかな」と。
独り言のように出てしまった言葉を掬い取った珠希は、きょとんとした顔で楸瑛を見つめた。次いで花のような笑みで微笑む。
「特別な用事が入っていない限りは楸瑛様を優先しますよ。最近はあまりゆっくり話す時間もなかったですし、私も楸瑛様とお出かけしたいです」
さも当然かのように言われて、楸瑛は思わず面を食らった。
女性との会話ともなれば、常にすらすら気のきく返しをする楸瑛であったが、「う、うん」と返答に困り思わずそっけない返事をしてしまったのである。内心少しどこか照れながら、
(育てた娘が成人したら男親はこんな気持ちでいるんだろうな)
と考えていた。
珠希の処遇についてはあやふやな部分があったため、そろそろ兄達にきちんと報告しなければいけないのだが、
(うーん、なんと言えばいいのか・・・)
貴陽で好きにさせてもらっているため、あまり大きな我儘を言える立場ではない。恋仲でもない妙齢の女性を客人として迎えることを果たして兄達が許してくれるだろうか。
(かといってすべてを包み隠さず話したとして、興味をもたれたら藍州にすぐ連れ出されるだろうし・・・)
「珍しく眉間に皺がよっているぞ」
「ねぇ、君ならどうしても邸に匿いたい人がいるとして、どうやって当主に申し出するかい?」
いい加減王を探すことにも飽きてきた今日、執務に全く関係ない話であったが、同じくすることもない絳攸は楸瑛の世間話に付き合うことにした。
「・・・好んで紅家の邸に住みたいと思う奴なんかそうそういないと思うが、」
「たとえばの話だよ」
「想像もつかんな」
少しも躊躇う様子もなく、ばっさり切り捨てられる。
「君ねぇ、もうちょっと考えてくれても・・・」
そんな楸瑛の悩み事も杞憂に終わる。
邸に帰るなり、当主藍雪那の名で楸瑛と貴陽の藍家別邸の家人達宛に文が届いたのだ。
”珠希を藍家の客人としてではなく、藍家の者として迎えいれるように。彼女は今後 桜(オウ) 珠希 と名乗るように。”
(いつの間に接触したんだか・・・)
楸瑛の知る兄達は人から聞く話だけで物事を判断したりはしない。
ここまで優遇するのであれば絶対本人と関わっているはずだった。
珠希を住まわせていることも直接兄達には伺いたてていなかったため、家人から報告を受けていたのだろう。
外に出かけて色んな人と交流をしていた彼女は、自身の知らないうちに藍家当主の懐に潜り込んだともいえる。
流石としか言いようがないが、折角貴陽にきたというのに自分の前に現れもしなかった兄に少しばかり楸瑛は落胆した。
だがこれで珠希の居場所については当主公認で藍家の名のもとに身元も作れたため、大きな問題は解決できたといえる。
ふぅと肩を落とした楸瑛の耳に、控えめに戸を叩く音が聞こえた。
いつも夕餉を呼びにくるのは家人であったが、今日はなぜか珠希がやってきたのである。
手紙の話をするのに丁度いいと思った楸瑛は、そのまま自室に彼女を招き入れた。
いつもならにこにこと楸瑛に相槌をうってくるのだが、なぜか今日はそれがない。
「出先で何かあったのかい?」
確か今日は友達とお茶をしてくると出かけていったはずだが、なにか嫌なことでもあったのだろうか。
初めてみる珠希の困惑したような表情に心配になってくる。
「あの、楸瑛様に相談があって・・・」
「うん、なんでも言ってごらん?」
「・・・えと、簡潔にいうと、後宮に入って貴妃付女官になりたいんです」
「は?ちょっと待って、それって、」
珠希に彩雲国は王政であるという話はしたことがあるが、後宮や貴妃なんて話は一切したことがない。そもそも・・・
「今の王様に貴妃はいないのは知ってる?」
全くもって理解することに頭が追い付いていかない。なぜこんな話になったかもわからない楸瑛はそもそもの疑問をぶつけた。
問われた珠希は驚いた様子もなく、こくりと頷く。
「詳しくは話せないんですけど、私の友達が貴妃になることになって、その手伝いを・・・」
主上付になって一度も会えていないというのに、まさかその主上に妃が嫁いでくるなどそんな情報は入っていなかった。だが珠希は嘘をついているようでもない。
「ちょっと待って、私は今主上の側近なんだけど、その話は聞いてないんだ。その話は誰から聞いた?」
珠希の口から零れた名は、彼女が知るはずもない朝廷三師のうちの一人であった。
(・・・ほんと食えない爺さんだな、)
だとすれば貴妃の話は本当だろう。
頭痛がした気がして頭を抑えた楸瑛を、珠希が心配そうに窺う。
「大丈夫だよ。明日確認してくるから、その話は一旦保留でいいかな?」
約一月、主上付になってほとんど仕事もなくのんびり過ごしていたが、これから忙しくなるだろうなと確信めいたものを感じた。
20151018
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