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その執事、一心2


「"噂"の"恐い"高杉 晋助だ。」

私の隣で煙管を吹かして、また喉で笑う。

「え…、あ…あの…、」
「普通分かるだろ。」
「い…いえ…、私…全く…、」

今までの自分が彼に話した言葉を思うと恐ろしい。

「どうだ?恐い印象はそのままか?」

自分でも分かるほど顔色を変えていく私とは逆に、彼は意地悪そうに笑う。

私はすぐに座っていたソファーから降りて、その場に跪いた。

「わっ私、土方 紅涙と申します!」
「クククッ、知ってるって。」
「あっあの、ぜひ晋助様にご挨拶申し上げたく思い、ここへ参った次第でございます。」

晋助様は「あぁ」とゆっくりと返事をした。

「今後、何らかのことがございましたら、ぜひ私どもと友好的な関係を築いていただきたく思い」
「分かった。」
「…え…?」

晋助様は、
まるで肩が凝ったと言わんばかしに首を回して「構わねェさ」と言った。

「そっそれは我が土方家と友好関係を結んでいただけるということですか?!」
「あぁ、問題ない。」
「あっありがとうございます!」

これで土方家は安泰だ。

あくまでも、
高杉家が裏切らなければの話だが、こればかりは相手を信じるしかない。

私がさらに頭を低くした時、


「ただし、」


晋助様の意地の悪い声が聞こえた。

「それには条件がある。」
「"条件"…ですか?」
「あぁ。それを呑めば、土方家に全面協力しよう。」

私は恐る恐る顔を上げて、晋助様の顔を窺った。
煙管を唇から放して、声を響かせるかのように上を向いた煙を吐いた。


「紅涙、俺の嫁になれ。」


え…?

「もう一度言う、紅涙。俺の嫁になれ。」
「そっ…それは…、」

どういうこと?
晋助様が、私に求婚…?

いきなり…そんなことって…。

「急なことじゃない。」
「っ!」

まるで自分の心の声が漏れているかのような錯覚に陥った。

「俺はお前を知ってた、それだけだ。」
「いっいつからですか?!」
「それは今必要な問題じゃねェ。」
「っ…、」

晋助様は吸っていた煙管を置いて、私にソファーへ座るように顎で促した。

そして、

「どうだ?紅涙。」

"どうだ"なんて…、
急過ぎる話しだし、
今何から考えていけばいいのか…。

そう思いながら少し俯いた時、

「不幸な思いはさせねェよ。」

晋助様が私の頬を持ち、固定させた。

「お前がここへ来れば、土方家は元通りだ。」
"いや、それ以上か?"

晋助様はクツクツと笑った。
私はその言葉に目を大きく開いた。

この人は、どこまで知ってるの…?

「いずれにせよ、土方家は近いうちにお前を必要としなくなる。」
「っ、…どう…して…?」
「いつの時代だって、継ぐべき者は正統な血がいいんだよ。」

笑みを浮かべる晋助様に、私の頭は真っ白になった。

自分で言っていたこと、そのものだった。
もちろんそのことにも驚いたが、
やはり他人もが予想付くということが、

私の頭を真っ白にさせた。

「それ…は…っ…、」
「だから紅涙、今来い。俺が拾ってやる。」
「っ…、」

息すらも掛かりそうな距離で晋助様が私に言う。

「迷うことなんざねェさ、何も考えずにここへ来い。」
「っ、私はっ…、」
「俺の嫁になれ。」

その言葉を最後に、晋助様が私の唇を塞いだ。

私の、
いつかはなくなる居場所。

それでもその"いつか"まで、ずっと居れればって。

思ってたけど…。


それが頭に占めると、抵抗することなんて出来なくて。

土方家にとってもメリットのあるこの状況を、私一人の感情で決めるのは間違っている。

それならいっそ、土方家のために…。
そう考えながら、目を閉じかけた時。

---バンッ!!

ほとんど覆い被さられていく私の耳に、大きな音が聞こえた。
たぶん、この部屋で鳴った音だ。

私の視界には晋助様しか見えなくて、何も分からない。

「っ、は…っ…ァ…、」

晋助様の唇が離れて、
また角度を変えようとした時、


「探しましたよ、紅涙様。」


私たちに少しの影が出来て、よく知る機嫌の悪い声がした。

その声に晋助様も止まった。
だけど、口元がニヤリと厭味に歪んで。

「遅かったじゃねェか、執事さんよォ。」
「この屋敷の質の悪い執事に捕まっておりましてね。」
「そりゃいい。俺の執事はよく仕事をしてくれる。」
"お陰でイイ時間だった"

晋助様は私の唇を親指で一撫でして、覆い被さっていた身体を起こした。

そのせいでトシの顔がよく見える。
私を見下げるように立つその視線は、薄っぺらい笑み。

「何をされていたのです?紅涙様。」
「あっ、あの…」

ニコニコしながらトシは私に問う。
その笑みは私にとってあまりにも恐い。

ドモりながら目を逸らせば、晋助様が私の髪を撫でた。

「気に入った、土方 紅涙。」
「しっ晋助様っ、」

トシが晋助様の手首を掴む。

「お止めください、紅涙様が嫌がっております。」

ニコニコとそう言うのに、トシの目が笑っていない。
そしてトシはすぐに私を引っ張り「帰りますよ」と言った。

「紅涙、」

引っ張られる私の腕と反対の手首に力を感じて振り向けば、晋助様がふわりと耳元に近寄った。

「俺が実権を確実に握ったとき、お前をまた呼ぶ。」

その時の私は、晋助様の言葉がどこまで本気かなんて考えてもいなかった。


そして、今。
それは本気だったということなのだろうか。


「トシ、招待状にトシの名前はありませんよ。」
「構いませんよ、執事ですし。」
「でっでも…、」
「執事は主と一心同体。何か問題でも?」

高杉家へと向かう車の中、
運転席のトシが後ろに乗る私をバックミラーでちらりと見た。

そして私は呆れた様子で顔を横に振った。

「そうですね、執事は主と一心同体です。」
"問題ありません"


溜め息混じりに言えば、
トシは「ご理解いただければ結構です」と薄く笑った。

「ですが、トシ。晋助様がお望みであればそれに従ってください。」
「…ですが執事は」
「トシ、先方に伺うのは私たちです。どちらの融通が効くかは分かりますよね。」
「…。」

後部座席からバックミラー越しにトシの様子を窺おうとしても、左目だけしか見えない。

でも、
その目の上にある眉間が随分と寄っていることは十分に分かった。

「何かあれば、ちゃんと呼びますから。」
「…。」
「トシ、」
「…紅涙様がお望みのままに。」

とても不機嫌な返事とともに、いつかぶりの高杉家に到着した。


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