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その執事、一心8
「十四郎さま…、」
そんな顔をする十四郎さまを初めて見た。
「この契約…、忘れんなよ。」
十四郎さまはそう言って、私の眼に触れた。
不意に触れられた瞼は閉じて、
手が離れたのと同時に目を開けた。
そこにある十四郎さまの顔は、やっぱり切ない目をして。
「…、」
私は何も言わずに彼の首に手を回して、引き付けるようにキスをした。
チュッという音とともに離れるその唇。
二人の視線が、互いの唇に向けられて、
「紅涙…、」
貪欲にキスをした。
紛れも無く、
私は彼が好きだ。
従事ではなく、一人の人として。
好き。
なのに私たちは…。
ただ一言、言えればいいだけなのに。
「十四郎さまっ…、」
ただ一つ、認め合えればいいだけなのに。
「お前は…、俺から逃げるなんてこたァ出来ねェんだよ。」
"契約"が、私たちに付き纏うのか。
その純粋な気持ちを言えずに、互いを求めるキスをする。
どこかで、伝わっているといい。
私が言わなくても、
十四郎さまが言わなくても。
こうして熱のある気持ちが、
どこかで伝わっているといいのに。
そんな都合のいいこと、あるわけないですかね。
------ピピピピ
車内に響く着信音が、甘ったるい空気を裂いた。
それはトシの携帯電話。
「っ、電話、鳴ってます、よっ…」
気にすることなく行為を続けようとするトシに声を掛ける。
トシはキスの合間で「無視」と短く言った。
私がそれに「駄目です!」と声を上げると、ようやく電話に出る。
「もしもし、何の用だ。」
"今取り込み中なんだけど"
電話に出るや否や、トシは溜め息声で言った。
服を整えて、私もトシの携帯に少し近付き、耳を澄ます。
静かな車内には、十分受話器から零れる音を聞くことが出来た。
どうやら電話の相手は、総悟さんのよう。
『何やらかしたんですかィ?』
「あァ?何の話だよ。」
『素性、バレてますぜ。』
その声に、私は目を見開いた。
トシは眉間の皺を濃くする。
「そらァどういう意味だ?」
『そのまんまでさァ、まァ戻って来てくだせェ。』
"帰ってくれば分かりまさァ"
『じゃ』という総悟さんの短い言葉とともに電話が切れる。
パタンと携帯を閉じるトシは、細く息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
「聞こえてたか?」
「…はい。」
「とりあえず戻る」
トシがシートを起こす。
黙々と車内を整えていく。
「何が…起こってるんでしょうか…。」
「さァな。総悟の言うことだ、どうせ大したことじゃねェだろ。」
トシは「あいつはそんなヤツだ」と言って、エンジンキーを回した。
「ほら、とっとと後ろに乗れ。」
私はトシの姿を見て、言い知れぬ不安に口を閉じて移動した。
何か、とんでもないことが待っている気がしていた。
とても大きなものを、壊してしまった罰のように。
そんな気がしてたから、
目の前に飛び込んできた現状を、
あっさりした言葉で表せたのかもしれない。
「何…これ…。」
辿り着いた私たちの屋敷の前にあるその現状。
いつもは開けっ放しの門が、固く閉ざされている。
その前には、
多くの、カメラを持った人だかり。
「記者…?」
"どうしてそんな人たちが…"
私の声が言葉になった頃、車は屋敷の門に近付く。
「紅涙様、屈んでてください。」
門がゆっくりと開き、
車は屋敷の方へと一目散に走る。
そろりとスモークの張った窓から窺い見れば、車に気付いた人たちがカメラを向けていた。
たくさん向けられているフラッシュ。
何かをこちらに向かって言ってるが、
屈んでいる私には上手く聞き取れない。
「チッ…。ンだよ、これ。」
通り過ぎた頃、苛立った様子でトシが舌打ちをした。
屋敷の玄関前に車をつけ、降りる。
すると総悟さんがこちらに走り寄ってきて、
「車は俺が直しときまさァ。土方さんは中に入っててくだせェ。」
珍しいその言葉に、トシはもちろん、私も驚いた。
トシは「気味悪ィな」と厭味を言って鍵を渡した。
屋敷に入ると次は銀が立っていた。
腕を組んで、苛立った様子。
「銀、ただいま。」
「おかえり、紅涙さま。」
私の言葉に、銀はにこりと笑って返してくれる。
なのに言い終えると、すぐに向けたトシに対しての目は怒りに満ちていた。
「どういうつもりだ、多串君。」
「何の話だよ。」
「使用人を騙すたァここの主はどんな輩か分かったもんじゃねェな。」
そう言って、銀は「紅涙さまのことじゃねェよ」と笑った。
「はァ?だから何の話だっつってんだよ。」
「とぼけんじゃねェ!これだよ、これ!!」
"謝りやがれ!"
銀が声を上げて、紙を私たちに押し出すようにして見せた。
そこに書いてあったのは、
『土方家、真の継承者はここに居た!!』
大きく書かれたその見出し。
内容は、
急成長を遂げている土方家のことと、
ずっと行方知れずだった十四郎さまの居場所のこと。
その居場所とは、
もちろんこの屋敷だと書かれていて、『灯台元暮らしか!』とも書かれている。
銀は「ここの主がお前だなんて聞いてねェ!」と声を上げた。
トシは「必要ねェだろ、ンな情報」と言い、シレッとした顔で返した。
その紙には続きがあった。
『献身な態度で過去を改め、継承者に相応しい人間に成長した十四郎氏。』
十四郎さまのことを、褒め称え、
『土方家を真の継承者で、今こそ返り咲く時!』
と書かれていた。
十四郎さま。
やっぱり、
都合のいいことなんて、あるわけないんですね。
私たちは、
契りの上でしか、一緒になれないんだ。
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