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その執事、虚偽3
トシは雑に車のドアを閉めた。
運転席に乗り込んで、後部座席に座る私に振り返り言う。
「紅涙様、お寒いかと思いますが少々のご辛抱を。」
「はい…、大丈夫ですよ。」
"運転、気をつけてくださいね"
苛立っていても私への気遣いを見せてくれるトシに微笑んで言う。
トシは私の顔を見て眉間に皺を寄せる。
何かを言おうとして口を開いたけど、何も言わずに閉じた。
体勢を整え、車は発進する。
屋敷までの車の中は異様なほど静かだった。
私は身体の中が空っぽで。
ただ黙って流れていく景色を見ていた。
バタンという車のドアが閉まる音でハッと我に返る。
「着きましたよ、紅涙様。」
後部座席のドアを開けたトシが私に手を差し出した。
その手を見て、
「…、」
トシの手を取れない私がいた。
不審に思って声を掛けられる。
私はそれに何もないような顔をして「すみません」とトシの手を取った。
屋敷に入れば、銀が駆けつけて来てくれた。
「大丈夫だったか?!紅涙さま!」
"ちょ、何で濡れてんの?!"
心配そうにしてくれる銀に、私は笑って「平気ですよ」と言った。
それに銀は不満そうに口を閉じて、細く息を吐く。
「さっき新八が風呂洗い終わってたから入って来いよ。」
「…そうですね」
トシに「行ってきます」と告げる。
短く、「あァ」と返ってきた。
浴室までの道、総悟さんに会った。
「紅涙さま、誰にやられたんですかィ?」
トシと同じように苛立った気を感じさせた総悟さんに、私は小さく笑って「…誰にも」と顔を横に振った。
通り過ぎようとした私に、総悟さんが「紅涙さま、」と声を掛けられた。
「土方家は貧乏じゃありやせん。」
私はその言葉の意図が分からなくて、首を傾げた。
すると総悟さんは続けて言う。
「紅涙さまが外交に専念しなきゃいけねェほど、金に困ってやせんぜ。」
「…総悟さん…。」
それは「外に出るな」ということ。
心配してくれる総悟さんに、「ありがとう」と言って私は浴室へ向かった。
相変わらず身体の中は空っぽで。
湯船に浸かれば浮いてしまうのではないかと思った。
ゆっくりと浸かる気持ちにもなれなくて、早々に上がる。
髪をある程度拭いて、浴室を出て元のトシ達が居た部屋に戻る。
すると室内から声が聞こえてきた。
思わず足を止める。
「だから行くなっつったんだよ!」
"テメェのせいで紅涙さまはあんなこと言われてんだぞ?!"
銀の声だ。
大きな罵声に「煩ェな」と低い声が聞こえた。
トシだ。
銀とトシが、良くない雰囲気。
「何であそこまで叩かれてるか分かるか?!」
「知らねェよ。どうせデマ吹いてりゃァ当たるとでも思ってんだろ。」
その言葉が聞こえた後に、ガッと鈍い音がした。
「っ…、テメェェ!!」
トシが大声で言う。
銀は「全部テメェのせいなんだよ!」と紙のような音と共にバンと机を叩くような音がした。
「…おい、これは何だよ。」
「その写真を証拠にあれだけ騒がれてんだよ!どうせテメェが仕掛けてたんだろ?!」
「…これは…高杉のとこか…。」
「どこでも盛ってんじゃねェよ!!立場を考えろ!!」
その銀の言葉に、トシの声はしなかった。
極端に静かになった部屋。
私は意を決して部屋に入る。
二人は私を見て驚き、片頬が赤く変色しているトシは手に持っていた新聞らしき紙を背中に隠した。
「トシ…、それを…見せてください。」
手を出した。
「俺が読む」とトシが拒む。
「私が主です、私の方が先でしょう?」
トシは口を閉じた。
一歩近付くと、その隣にいた銀が「あ、そうだ!」と私の前に立つ。
「紅涙さまのためにケーキ焼いたんだよ、それ食いに行こうぜ。」
私の腕を掴む銀の手を振り払った。
銀は驚いた様子で私を見る。
「見せてください、トシ。」
再び手を出した。
ようやく、トシは私に隠していた新聞を差し出す。
「見ても…、お前は何も気にするな。」
私は新聞を広げた。
そこに掲載されている写真に、絶句した。
「こ、これは…、」
車内。
晋助様の敷地で。
私がトシの首に腕を絡め、引きつけるようにキスをしている写真。
松平様のところで見たニュースのように、私を"娼婦"と書いている。
「…。」
言葉は、出なかった。
代わりのように、心臓の音が耳に響いた。
「紅涙さま…、」
銀は心配そうに声を掛けてくれた。
新聞を握り締める手が小刻みに震える。
憤りからなのか、
悲しみからなのか。
それ全てを誤魔化すように、私は記事に目を向けたまま鼻で笑った。
「これじゃぁ…娼婦と呼ばれても仕方ありませんね。」
"逃げようがないな"
私は「あ〜ぁ」と溜め息混じりに言い、新聞を机に置いた。
「せっかく上手く土方家を操ってたのに、こんなとこで騒がれちゃうとはなぁ〜。」
"やりにくくなっちゃったじゃない"
銀は「紅涙さま…?」と疑う目を向けた。
トシも同じような目で見ていた。
ここはもう…、
私の場所ではない。
ここにはもう…私は居れない。
私は二人に小さく笑った。
「今まで私がここでしてきたこと、土方家のためなんかじゃありません。」
「紅涙さま…、お、おい何言ってんだよ。」
「私は自分のためにしてきた。外交も、取引も、"契約"も。土方家を手中に収めるためにしてきたこと。」
ここに居れないのなら、
同情なんてされないくらいに。
皆が優しくしてくれないように。
「ここに居る人は皆バカで良かったです、実に扱い易かった。」
私は、嫌われるだけ。
私を憎み、嫌悪してもらえれば。
この屋敷を出て、"戻りたい"なんて気持ちにはならないから。
「でもこれだけ騒がれちゃさすがにやり辛くなりますから、潮時ですね。」
うんと伸びをした。
銀は「何言ってんだよ」と顔を引き攣らせて言った。
トシは、
何も言わなかった。
一言も。
ただ険しい顔をして、よく喋る私を見ているだけ。
それが、辛かった。
苦しかった。
ののしってくれればいいのに。
トシの目をジッと見ることは出来なかった。
「それじゃ、面倒なことにならない内に去りますね。」
私は彼らに背を向けた。
背を向けて戸のノブを持った時、
「紅涙、」
トシが私を呼んだ。
私は足を止めた。
だけど振り向かなかった。
「お前、嘘が下手だな。」
その声は、
あまりに優しくて。
「嘘なんかじゃ…っありませんよ。」
"最後まで、馬鹿な人ですね"
言い返す私の声は震えていた。
「…さよなら、っ、土方家の、皆さん。」
私はノブを回した。
戸が閉まる時、銀が私を呼ぶ声がした。
バタンと閉まる音を聞きながら、私は土方家を出て行った。
「っ…、ぅっ…、」
涙が零れる度、
思い出を落としているような気がした。
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