22
その執事、離別1
それから何日経っても、
何週間経っても。
「…元気にしてるのかしら、紅涙さま…。」
「きっと元気だから連絡がないんですよ、姉上。」
紅涙はこの屋敷に顔を出さなかった。
外交に足を運んでも、噂のひとつも聞かない。
「どこで何してんだかよォ、うちの姫さんは。」
「銀さん、あなたのせいよ?甘い物ばかり作って、食生活の乱れからきっと紅涙さまは出て行ったのよ。」
「えェェェェ?!何それ、俺のせい?!」
「姉上、それはちょっと違うんじゃ…、」
「初めから私が料理しておけば、今頃みんな笑って暮らせてたのに…。」
志村の姉が「ねぇ、十四郎様」と言った。
俺は足を組みなおして新聞を見ながら「そうだな」と言った。
「ちょっとちょっと十四郎様!簡単にそんな相槌返さないでくださいよ!姉上が本気にするじゃないですか!!」
「あァ悪ィ。」
記事に目を向けたまま、煙草の灰を落とす。
ちらりと志村弟の方を見れば、轟々と背景に炎を燃やす女が見えた。
「おい、志村弟。」
「何ですか?」
「後ろ。」
顎で指せば、「新ちゃ〜ん?」と恐ろしいほどの笑みで立っていた。
「ヒッ!姉上ッ、」
「私が料理をしちゃ不味いっていうの?」
「あっ姉上!僕は決して不味いと言ったわけじゃなくて、ただマズイと」
「一緒じゃないのォォォ!!」
「ギャァァァァァ!!!」
コイツらが羨ましい。
紅涙が居なくても、生活には大した変動がない。
だからこうして毎日飽きもせずにギャーギャーと言えるんだ。
だが俺は。
俺はあまりにも紅涙の傍に居すぎた。
紅涙しか、見ていなかった。
「土方様、」
使用人の一人が俺の元に訪れた。
俺が「何だ?」と声を掛ければ、「来客です」と言う。
「来客?」
「はい。しかし事前に連絡はされていないようですが…如何いたしましょうか。」
この屋敷に客が来ることは珍しい。
親しくしている人間は限られている。
つまり、この屋敷の場所を知る者は少ないということだ。
よく来るのは、近藤さんか神楽嬢ぐらいか。
そう言えば、この使用人はまだ新しいな。
知らないだけか?
「そいつの名前は?」
「あっ!…も、申し訳ございません!お名前を頂戴すること、忘れておりました…!」
俺は溜め息をついた。
いつもなら怒鳴るところだが、めっきり俺は声を荒げなくなった。
銀は俺を馬鹿にしたように「丸くなった」と言った。
「なっ名前を聞いて参ります!」
「いや、追い返すかもしれねェ相手だ。名前はもういい。」
「も…、申し訳ございません…。」
「そいつは男か?」
使用人は必死な様子で顔を横に振った。
「いっいえ、女性でございます!」
「女…?ガキか?」
「いえ、綺麗な女の方でございます。」
綺麗な…女…?
そんな知り合い、居たか?
「どういたしましょうか。」
「…面倒だ、追い返せ。」
「畏まりました。」
知り合いに思い浮かばねェ。
思い浮かばねェということは、それほどの付き合いじゃねェってことだ。
俺は新しい煙草に火を点けた。
が。
一呼吸した頃、先ほどの使用人が戻ってきた。
「土方様、どうしてもお会いしたいと申しておりまして…、」
"一向に帰っていただけません…。"
使用人は自分の非力さに申し訳なさそうに言った。
俺はまた溜め息をついて、煙草を消した。
「…分かった、俺が行く。」
使用人が「申し訳ございません」と頭を下げて、俺は玄関の方へ向かった。
そこには後ろ向きに立つ着物を着た黄色い髪の女。
"このご時世に着物を着るたァ、また珍しい女だ"
俺はそんなことを思いながら女に近付いた。
だが。
頭のどこかで引っかかっていた。
そう言えば、同じような女がいた。
着物を好み、どんな社交界にも着てくる女。
あぁ、そうだ。
俺は足を止めた。
女が振り返る。
あの女だった。
「こんにちは、十四郎さん。」
貿易業界で名を馳せる沖田家の長女。
沖田 ミツバ。
「…何しに来た。」
「ごめんなさい、十四郎さん。お仕事中だったかしら。」
「何しに来たっつってんだよ。」
色が白くて病気がち。
なのに、この怯まない態度が今の俺には苛立たせる元だった。
「急にごめんなさい、近くまで来てたから顔を見たくて…。」
「…なら、顔は見ただろ。もう帰ってくれないか。」
俺は冷たくあしらった。
関わりたくなかった。
確かにコイツとは近藤さんと同じように長い付き合いだ。
何せ総悟の姉だ、それだけで十分な理由だろ。
俺がまだこの屋敷に留まらなかった頃。
唯一、俺に物を言う女だった。
近藤さんは何度も俺に言ったが、
こいつを特別な存在だと見たことはなかった。
あくまでも、
俺の頭がそう言ってる。
俺の冷たい言葉に、沖田は小さく息を呑んだ。
その時、ガハハと聞き慣れた笑い声が聞こえた。
「トシー、ミツバ殿には相変わらずだなぁ。」
「近藤さん…、アンタまで一緒だったのかよ。」
豪快に笑う近藤さんが、「元気だったか?」と俺の肩を叩いた。
俺は近藤さんに「あァ」と低く返事をして、その手を払った。
「仕事でな、ミツバ殿がうちに来てたんだ。」
"それでついでにトシにも会って行こうと俺が提案したんだ"
近藤さんはそう言って、「"俺が"ね」ともう一度言った。
それにどんな意味を込めたのかなんて考えなかった。
俺は「そうだったのか」と近藤さんに言って、「悪ィが、」と続けた。
「今日は手が塞がっちまっててよ、帰ってもらえねェか?」
手が塞がっているなど嘘。
"気が乗らない"
それだけだ。
「なんだ。そんなに忙しいのか、トシ。」
「あァ、まーな。」
「紅涙ちゃんはまだ帰ってないのか?」
「…。」
近藤さんは極自然に言った。
だから俺だって自然に「まだだ」とか、軽く返せばよかったのに。
「…わ、悪い、トシ。」
近藤さんは俺の顔色を見て、慌てて頭を下げた。
「いや、やめてくれ。」
俺は近藤さんに言って、「紅涙は、」と溜め息交じりに声を出した。
「紅涙は未だだ。…まだ、帰ってきちゃいねェよ。」
言った俺が、どこか投げやりな言葉だと感じた。
どことなく居心地の悪い空気になったその場を「あの…、」という女の声が割った。
「紅涙さんって方…、十四郎さんの代わりにここで領主されてた方でしょう?」
「…あァ。」
「もし…、なんですけど、」
沖田は少し俯いて、
「もし…、人手が足りないんでしたら…、」
俺の顔を窺うように顔を上げて、
「私で良ければ…、ここで…、十四郎さんの傍で働かせていただけませんか…?」
沖田は「ダメかしら…、」と言った。
その言葉に近藤さんは「おぉぉ!」と、何故か嬉しそうな顔をした。
俺は沖田の言葉を理解できなかった。
「何だと?」
「紅涙さんという方の代わりとは言えませんけど…、私にも何かお手伝いが出来たらと思って…。」
「…。」
何を言っている?
コイツはその辺にいる女じゃない。
少なくとも令嬢だ。
そんなヤツが俺のところで働かせてくれだと?
「冗談はやめろ。」
「冗談なんかじゃありません!私、ちゃんと沖田家にも話してきてます。」
「沖田家が認めたって言うのか?」
「はい、私はそれを前提で来ています。父も土方家にはお世話になっているからって。」
俺の知らないところで、外堀を固められている。
「…目的は土方家との友好か。」
"俺のため"だとか、そうやって簡単に言う。
そんな風に考えた自分を鼻で笑って、
俺は随分と悲観的で、人に頼る考えになったものだと思った。
誰かが居て、
誰かと居る。
それが当然だった時間が、あまりにも濃かった。
「トシ!そんな言い方は良くないぞ!ミツバ殿は元気のないトシを心配してだな、」
「大きなお世話だ。」
俺は二人に背を向けた。
「十四郎さん!」
「帰ってくれ。」
「確かに父の気持ちも尊重してあげたい、…だけど私はっ…、」
「ミツバ殿…。」
「私はただ…十四郎さんの傍で」
沖田の声が、違う声のせいで切れた。
その声は、
「おねーちゃーーーーん!!!」
いつもとは違う声で叫び、こちらに近寄ってくるのは。
「総ちゃん!」
いつだって番狂わせする弟だった。
- 23 -
*前次#