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ずっとずっと
廊下の影が、障子へ手を伸ばした。
私は三つ指立てて頭を下げた。
同時に、スッと障子がスライドする音がする。
「あの…いつもお掃除していただき、ありがとうございます。私、この部屋の紅涙と申します。」
そう言って深々と頭を下げていると、パサリと何かが落ちる音がして。
窺うように少しだけ目線を畳に這わせれば、乾いた雑巾が畳に落ちていた。
「…マジかよ…。」
掃除をしてくれている人は男の人のようで。
私は視線を戻してまた頭を下げた。
「どのようなお心でここを掃除していただいていたのかは存じ上げませんが、本当にありが」
そこまで口にした時、
ダッと畳に足を踏み出す音がして、
「紅涙っ…、」
下を向いていた身体を起こされて、
痛いほどに抱き締められた。
「え…?」
私の視界で分かるのは、
白っっぽい着物を纏う肩と、
くすぐったいほど柔らかい髪。
その髪の色は、
「…え…、う…そ…、」
今まで私が生きてきた中では一人しか知らない、
「紅涙っ…、」
「銀…ちゃん…?」
銀色の髪を持つ、
甘い匂いをさせた人だった。
「ほんとに…?…ほんとに銀ちゃんなの…?」
「この馬鹿娘っ…、」
銀ちゃんだ…、
銀ちゃんが…いる。
ここに…、
「銀ちゃんっ!」
ずっと、
ずっと考えてたの。
ずっと、
…ずっと、
「逢いたかった…っ。」
あの別れから、
あの最後の文から。
ずっと。
「…嘘つき娘め。」
「え?」
銀ちゃんはボソリと口にして、私を腕の中から解放した。
「甘ェ幸せで俺のことなんて忘れてたんじゃねェのかよ。」
肩を竦めて銀ちゃんが言う。
対面する銀ちゃんは、
少し疲れているようにも見えたけど、
「そんなことないよ、ずっと考えてたもんっ!」
「どーだかねェ。」
何も変わってない。
悪戯っ子みたいな顔とか、
不貞腐れる子どもっぽいとことか。
「…でもよ、」
「?」
「…また綺麗になったな、紅涙。」
撫でてくれるその大きな手も、
優しいその目も。
私の知ってる銀ちゃんだ。
「元気、してたか?」
「うん。…銀ちゃんは?相変わらず甘いモノばかり食べてるの?」
「それは昔から主食だから問題ねェの。お陰でピンピンしてらァ。」
銀ちゃん、
銀ちゃん。
「万事屋さんは?本当に今やってるの?」
「あぁ、してるぜ。万事屋銀ちゃんたァ俺のことよ。」
"歌舞伎町で知らねェやつはいねェよ"
ほんとに、
本当に逢いたかった…。
「銀ちゃん…、」
「ん?」
「…抱き締めて…いい?」
もっと、
身体で感じたい。
銀ちゃんに会えたこと、
目だけじゃなくて、
耳だけじゃなくて。
熱で感じたい。
「おォ、ドーンと来い。」
銀ちゃんは驚いた顔をしたけど、すぐに笑って両手を広げてくれた。
私は「うん」と返事をして銀ちゃんに飛び込んだ。
本当にドンと音がしそうなぐらいに抱き付いて。
ギュッと背中に腕を回して、
前よりもずっと分厚く感じる胸に顔を埋めた。
「紅涙…、」
「ん。」
銀ちゃんは私の頭を撫でながら、優しく静かな声で呼んでくれる。
「おかえり…、紅涙…。」
「…ただいま、…銀ちゃん…。」
心地よい時間。
心地よい空間。
帰ってはいけない場所ほど、なんてステキな場所なんだろう。
"ただいま"と言葉にした時、
十四郎さんの顔が目の前に浮かんだけど、
今は掻き消すように目を閉じた。
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