13
小波
次の日から、銀ちゃんは本当に毎日来てくれた。
「おぃ〜っス。」
「銀ちゃん、いらっしゃい。」
昼過ぎに店に来て、日が落ちた頃に帰る。
お酒を呑む日もあれば、
呑まずに帰る日もある。
ただ部屋で横になって、銀ちゃんが話をしてくれる。
「でさァ、俺が言ったわけ。」
「うん。」
「そしたらズラのやつ、"お前の頭が悪い"っつったんだぜ?!」
私の傍で寝転がって、私の知っている人の話をしてくれる。
私が笑えば、銀ちゃんも笑う。
温かくて、大好きな時間。
楽しいけど、
遊郭にはあるまじき光景。
この状況が、私は腑に落ちなかった。
楽しませるべき立場の私が楽しませてもらってる。
それでお金まで貰って。
私は本当に、
ただ銀ちゃんに甘えているだけ。
昔から、
結局。
そう思っていても、
何も出来ない日々が過ぎて。
あっという間に、二週間が経った頃。
「おぃ〜っス。」
いつものように声を掛けて、銀ちゃんが部屋の襖を開けた。
「いらっしゃい、…あれ?それは…?」
襖を開けた銀ちゃんが手に持っていたもの。
銀ちゃんは「これ?」と持ち上げて私に笑った。
「いい酒、手に入ったんだ。」
それは一升瓶。
「紅涙と呑みたくてさ。」
銀ちゃんは嬉しそうに笑った。
私も笑って「ありがとう」と返事をした。
でもその時、
銀ちゃんの笑みがいつもと少し違うように見えたのは、すぐに気のせいだと思ってしまった。
猪口を二つ並べて、その一方を銀ちゃんが手に取る。
片方の手は一升瓶に伸びていて。
「あっ、銀ちゃん。」
私はそれを阻止するように、銀ちゃんより先に一升瓶に手を掛けた。
不思議そうな顔をする銀ちゃんに私は微笑んで、
「私が注ぎますから。」
と瓶を持ち直した。
銀ちゃんは一瞬驚いた顔をしたけど、すぐにクスッと小さく笑った。
「それじゃ、お願いするかな。」
「はい、喜んで。」
差し出された猪口にお酒を注ぐ。
独特のアルコールの匂いをさせながら、小さくトクトクと音を立てて注がれていく。
猪口の壁にぶつかっては、小さな波を立てて戻ってくる液体。
『紅涙…、』
その波が打ち寄せるたび、私の胸がザワつく。
波紋が私を引っ張る。
『ここで呑むか、紅涙。』
屯所の夜の縁側で。
『今日は月も綺麗だしな。』
『真ん丸ですね。』
人も寝静まった夜更け、
ようやく仕事を終えた十四郎さんが夜酒を誘った。
『もうすっかり寒くなりましたね。』
『あァ。』
二人で縁側に座り、私は澄んだ夜空を見上げた。
ふわっと温かさを感じて隣を見れば、十四郎さんの隊服を羽織らせてくれていて。
『ダメですよ、十四郎さん。身体が冷えちゃうじゃないですか。』
私が慌ててその服を返そうとすれば、
十四郎さんは『いいから』と言って私に微笑んだ。
それだけでも、私は十分に温かくて。
『はい』と返事をして、体温を感じ取るように目を閉じた。
『あ、煙草。そっちにねェか?』
『え?』
十四郎さんを窺い見れば、
『胸ポケットにあると思うんだが』と今しがた掛けてくれた隊服を覗き込んでいた。
『ここですか?』
『ん、こっち。』
その隊服を私が漁っていれば、十四郎さんの手が伸びてきた。
右胸付近の内側をゴソリと漁って、『あった』と笑った。
出てきたその手には煙草が持たれていて。
『結構深いんですね、胸ポケット…、』
顔を上げれば、想像以上に近い十四郎さんの顔があった。
『あっ…、』
『どうした?…照れてんのか?』
十四郎さんはニヤリと笑って、鼻すらも引っ付きそうなほどに近付いた。
『っ、とっ十四郎さん!』
『紅涙、顔赤ェぞ。』
"まだ酒呑んでねェのに"
目の前でククと耐えるように十四郎さんが笑った。
少し顔を俯かせた十四郎さんの額がコツリと私の額に当たって。
前髪が擦れた。
目を伏せて笑う十四郎さんの睫毛。
鼻筋の通った高い鼻。
『紅涙?』
本当に、
綺麗という言葉しかなくて。
『何だよ、今度は見惚れてんのか?』
悪戯っ子のように十四郎さんが笑った。
私の頭の中は熱くて、ありのまま『はい』と返事をした。
十四郎さんは驚いた顔をして、
『ったく。』
優しく、困ったように笑った。
『酒呑む前から酔わせんなよ、紅涙。』
擦り寄るように、
十四郎さんが額に唇を寄せて。
チュッと音が鳴りそうなキスをしてくれた。
『十四郎さん…。』
『何だ?』
『…呼びたかっただけです。』
『ふっ。…それ、分かる。俺も。』
"好き"とか、"愛"とか。
もう言葉では伝え足りないほど、
『紅涙。』
愛しい存在。
「おっと、」
その言葉で私はハッとして現実に戻った。
目の前では銀ちゃんの猪口から溢れ、注がれ過ぎたお酒。
「どうした?紅涙。」
"なんかボーっとしてっけど"
溢れたお酒は銀ちゃんの座る腿の上にまで染みを作っていた。
「っ、ごっごめんなさいっ!」
私は慌てて一升瓶を置き、
銀ちゃんの手に持つ猪口を取った。
「すぐに拭くからっ。」
"銀ちゃんはジッとしてて"
すぐに立ち上がって、
自分の裾を踏まないように裾を捲った。
後ろでは銀ちゃんが「転ぶなよ〜?」と笑いながら声を掛けて。
私は部屋の箪笥まで行って、手拭いを探した。
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