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予定違い


「副長、自己都合で車両出させるのは変わらないんですね。」
「呼んで、すぐに来てくれるのは山崎氏だけだからね。」
「…トッシーになってまで使われる僕って一体…。」

十四郎さんが電話をした相手は山崎さんだったようで、すぐに夢路屋の前に車が着いた。

車を待っている間、
私は依然熱い身体をしな垂れるようにして十四郎さんに預けていた。

そんな背中を見て、女将さんが心配そうに声を掛けて。

「紅涙、あんた大丈夫なんかい?」
"えらい しんどそうやけど"

頬に手を当てて心配そうに声を掛ける女将さんに、私は力なく微笑み「大丈夫です」と言った。

「旦那はん、なんや協力出来んかって申し訳ないねぇ…。」
「そっそんなことないでござる!」

女将さんと十四郎さんの間で話される内容が読めなくて、私は斜め上にある十四郎さんの顔を見た。

十四郎さんは私の視線に気づいて、
漫画のようにハッと息を呑んで顔を赤くした。

そして口籠りながら「あの」とか、「その」などを繰り返し、

「ぅ、うち…、うちの…、」

女将さんは「え?」と首を傾げて、十四郎さん方へ一歩近付いた。

俯き気味に言う十四郎さんの言葉は、
きっと女将さんにはほとんど届いていない。

その俯き気味に言う十四郎さん顔は、下から見上げる私に全て見えていて。

もっと赤くなる顔と、
ギュッと瞑った目。

何度も唇を開いては閉じて発する言葉。
私は虚ろな思考で見ていたのを覚えている。

「旦那はん、何です?」
「あのっ、うううちのっ…、」
「はい、"うちの"?」

私を支える十四郎さん手が、さらにギュッと引きつけるように強くなって。

「うちのっ…、妻がお世話になりましたっ!!」

さっきまでの小さな声が嘘のように、
その声は大きく広がり、十四郎さんはぺこりと頭を下げた。

女将さんと私は目を丸くして、夢路屋の中からは番頭さんの笑う声が聞こえた。

「と、十四郎さん…、」

熱に侵される私の思考すらも止めてしまいそうな彼の行動に、私が思わず名前を呼べば、

「こっこれからは紅涙と一緒に頑張っていきますので!」
"ご迷惑をお掛けしましたっ!!"

"紅涙"というその呼び方だけでも、
どれぐらい聞いていなかっただろう。

私も十四郎さんの隣で、小さく頭を下げた。

「何言うてんの、旦那はん。そんなん今さらよしてくださいな。」

女将さんは十四郎さんの肩をポンと叩いて、「顔、上げてくださいよ」と促した。

「私らかて旦那はんに助けてもろた身ですやろ?あえて言うたら、今回のことで恩返し出来たみたいなもんですわ。」
「そっそんなこと…、」
「なんやったら私の方が旦那はんに謝らなあきまへんよ。結局、紅涙が迷惑だけ掛けたみたいになってしもうて…。」
"お迎えに来させる形になるとは思ってまへんでしたわ"

女将さんは「でもね、」と十四郎さんに言った。

「紅涙は十四郎さんから離れとぅて離れたわけやないさかい、それだけは分かってあげてね。」

私は女将さんの言葉に唇を閉じて、また頭を下げた。
十四郎さんは女将さんの言葉に「ありがとうでござる…」と言った。

それを見た女将さんがクスリと笑って、

「何があったんかは存じ上げませんよって、私らに言えることはありまへんけど、」

女将さんは私の方を見て、小さく笑った。

「どんな姿になっても、自分が相手を好いたことに変わりはありまへんえ。」
"自分の気持ち、信じて歩んでくださいね"

私は「はい」と返事をして、十四郎さんは考え深げに頷いた。

「紅涙、次にあんたがここに戻って来るようなことがあった日は、うちの仕切、高ぁ上げて入れんようにしとくからね。」

女将さんは厭味に微笑んだ。
私は笑って「はい」と返事をした。

「もっ、もう二度と戻らせないでござるよ!」

それを見た十四郎さんが、隣で慌てて声を上げた。
女将さんはそれを見て「そうやね」と笑った。

「あら、車来たんちゃいます?」

女将さんが私たちの後ろを見た。
その先には山崎さんの運転する車が見えて。

十四郎さんが私の肩を支えたまま、すぐ傍に止まった車へと足を進めた。


「さ、早く乗ってくださいよ。僕はまだ仕事があるんですからね!」

運転席から山崎さんは顔を出して、十四郎さんに急かさせた。

私がそれに「すみません…、山崎さん…」と謝れば、「あ、え、いや、紅涙さんはいいんですけどね!」と笑った。

「それでは…、女将さん。お世話になりました。」
「いややわ、紅涙まで。私らの仲やないの。そんなん言わんでえぇんよ。」
「でもいつもご迷惑ばかり掛けて…、」
「もう、沁みったれた別れはあの時だけで止してよ。今回は遊びに来た程度やろ?そしたら"また来ます"でえぇんよ。」

女将さんは微笑んで、
「それだけでえぇんよ、紅涙」と言ってくれた。

私は静かに頷いて、

「また…来ますね、女将さん。」

そう言って、
十四郎さんと一緒に車に乗り込んだ。

女将さんの「待ってるさかいに」という言葉が優しく背中を押してくれた。

私が先に乗り込んで、
十四郎さんがバタンという音とともに車のドアを閉める。

「じゃ、帰りますよ。」

山崎さんの言葉で車が音を変えた。
低速で動き出した車。

窓の外に立つ女将さんに頭を下げた時、開け放たれた夢路屋の玄関が見えて。

先ほど十四郎さんの大きな声に笑った番頭さんと、

「っ…、」

腕を組み、私たちの車両を見つめる、

「…銀…、ちゃん…、」

笑みも、怒りも、
何もない銀ちゃんが立っていた。


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