17
退屈な天秤
銀ちゃんが見えたのは一瞬で。
山崎さんは車を加速させて屯所へ走らせた。
銀ちゃんはどんな気持ちで私たちを見送ったのだろう。
それを考えただけで、私の目の前が真っ暗になる。
どうしていつもこうなのか、
どうしていつも悲しませてばかりなのか。
どうして私は、
銀ちゃんの期待に答えられないのか。
銀ちゃんの顔に表情はなかったけど、それが無性に苦しくて。
「紅涙氏?」
隣で私を呼ぶ十四郎さんの声にハッとして、私は「何ですか?」と言った。
「下ばかり向いて…、顔色も悪いでござるよ。」
小首を傾げる十四郎さんに私はゆっくりと顔を横に振った。
「大丈夫…です…、少し…考え事をしてて…。」
「"考え事"?…それはさっきの男でござるか…?」
私は十四郎さんの言葉に目を見開いた。
十四郎さんは私とは逆に目を細めて「さっきの男、」と言葉を続けた。
「…紅涙氏の部屋にいた男だよね?」
「…。」
「どうして答えられないの?」
「…。」
言葉が、思い浮かばない。
返事が、出来なくて。
「紅涙氏、僕知ってるよ。あれ、坂田氏でしょ?」
「っ…、どうして…、」
「僕、坂田氏と知り合い。」
そう言えば、銀ちゃんも言ってた。
『俺、それも知ってるわ。』
『前にそうなった時があったんだよ、そいつ。』
「紅涙氏と坂田氏は何をしてたんでござるか?」
「…それは…、」
「あれが遊女として紅涙氏がしてきたことでござるか?」
「っ、違いま」
「違わない。」
私の言葉を妨げて、
十四郎さんは今までと違う雰囲気で私に断言した。
「…紅涙氏は坂田氏といつから知り合いだったんでござるか?」
「…、」
十四郎さんの言葉ばかりが私にぶつかる。
私は気まずそうに口を閉じれば、運転席から山崎さんが声を掛けた。
「あっあの副長!この先の家康書店で、ToLOVEるの同人誌即売会ありますよ!」
彼のその言葉に、十四郎さんはピクリと反応して「…ほんとかい?山崎氏」と運転席を見る。
山崎さんは「え、えぇ!」とドモリながら返事をした。
「ほら、副長の好きな…えっと…、ルルちゃんでしたっけ…?」
「"ララ"!!…山崎氏、名前を間違えるなんて失礼すぎるでござるよ。切腹で。」
「えェェェェ?!す、すみません。」
目を泳がせる山崎さんとミラー越しに目が合って、私は小さく頭を下げた。
「…でも、今はそんなことどーでもいいでござる。」
十四郎さんのその発言には山崎さんも驚いていて。
「今は…紅涙氏の話でござる。」
「…。」
山崎さんは心底深い溜め息をついた。
「紅涙氏…、今まで僕は…君に何も聞かなかった。」
「…。」
「僕と紅涙氏が一緒にいれば、何も不安に思う時がなかったから。」
"それに、何かあった時は君が話してくれれば問題ないと思っていたから"
私たちは知らなさ過ぎた。
共にいる時間があまりにも甘くて。
共にいる時間があまりにも優しくて。
「…紅涙氏にとって…、坂田氏は何なんでござるか…?」
「…。」
「紅涙氏が黙っていると、全てが僕の疑問に対する肯定に聞こえるでござるよ。」
「っ…。」
私は十四郎さんの目を見れずにいた。
いつか、こうなることが分かっていたのかもしれない。
過去の私が絡まるその糸を、切らなければいけない時が来ること。
向かい合うことを恐れていたのは私なのに。
「紅涙氏が想うのは…一体誰なんでござるか?」
私の勝手な気持ちで、彼をも巻き込んでしまって。
「…このままじゃ、僕は分からなくなる…。」
"紅涙氏、だから話して"
彼もまた絡まらせようとしてしまっている。
「…十四郎さん、…、」
「何でござるか?」
「…私が愛してるのは…十四郎さんだけです。」
「紅涙氏…。」
私は長い間、伏せていた顔を上げて十四郎さんに微笑んだ。
でも。
でもね、十四郎さん。
「銀ちゃんは…、私の大切な…人です。」
絡まった糸を、
私は切れない。
「ずっと…昔から。…私の大切な人です。」
「…。」
十四郎さんが眉間に皺を寄せた。
随分と久しぶりに見たその顔に私は息を呑んだ。
穏やかではないその顔で、十四郎さんは声を出した。
「"大切"って?」
"紅涙氏にとって、大切な人ってどういう存在のこと?"
私はその言葉に口を一度瞑って、「それは…」と言った。
「それは…、ずっと…一緒に笑っていたい人です。」
「…。」
言葉を紡げば、私は俯き、
自分の腿に余る着物を掴んでいた。
「ずっと…一緒に生きたい人です。」
「…紅涙氏、」
「だから私は…、銀ちゃんを失うなんてこと…出来ません…。」
「紅涙氏、もういい。」
十四郎さんの声に、私は唇を噛み締めた。
「十四郎さん、もし銀ちゃんのこと…理解していただけないんでしたら…、」
言いたくない言葉だった。
だけど言わなければ、これからはないと思った。
私たちは無理だと思った。
だから。
「分かっていただけないんでしたら…、私たちの状況を…考え直し」
着物を握る力を、より一層強めて言った。
でもその言葉は十四郎さんの「紅涙」という言葉に消えて。
「ッ…、」
私の両腕をに痕が付いてしまうのではないかと思うほど、キツく握り締められた。
「紅涙、本気でそう思ってんのか?」
「っ…十四郎…さん?」
鋭い眼光が、私を真っ直ぐに見据える。
さっきまでの十四郎さんとは確実に違う。
「俺の考えも聞かず、お前は別れてもいいなんて、その程度だったのかよ。」
「っち、違います!そんな言い方っ…、」
「何が違ェんだよ!」
大きな声が車内に響く。
私はビクリと身を縮まらせ、運転する山崎さんは「ヒッ」と小声を漏らした。
「そういうことなんだろ?お前はアイツがいるから俺ァ必要ねーんだろ?!」
「っ十四郎さん!」
「お前と違って、俺ァそんな簡単な気持ちで籍入れたんじゃねェ!」
ひどい。
酷いよ、十四郎さん。
「っ…、私だって…っ…、軽い気持ちなんかじゃっ…、」
私、軽い女なんかじゃない。
なのにそんな言い方…、酷いよ…。
目線を逸らすように俯こうとすれば、掴まれた腕を締め付けるように固定された。
「やっ…やめて、十四郎さんっ…、」
「副長!ちょっと酷過ぎですよ!!」
「あァ?!黙ってろ山崎!!」
土方さんは横目に山崎さんを睨んで、怒鳴った。
そしてすぐに私の方へ向きなおし、
「紅涙、お前は何も分かってねェ!」
「っ…、そっそんな」
「誰とでもあんなことしてるって知ってりゃ、行かせたりしねェんだよ!」
「みっ皆さんにそうしてるわけじゃありません!」
一方的な話に、私は顔を横に振った。
それだけは分かってほしかった。
私が誰にでもそうしてきたわけではないということ。
でも私の言葉は、逆効果で。
「はっ、やっぱりそうかよ。万事屋にだけ特別か。」
"それはそれで問題だろォが"
そう言って、
十四郎さんは呆れた様子で私から手を放した。
「っ、そんな言い方っ…しないでくださいっ…。」
「ならどんな言い方すりゃァいんだよ。」
「そっ…それは…」
「自分の嫁が他の男と絡んでるとこ見て、…それをどう見ろってんだよ!」
十四郎さんは前にある運転席を蹴った。
山崎さんはまた声を上げた。
十四郎さんの言ってることは十分すぎるほどその通りで。
それでも私は、
目の前の人を失いそうになっているのに、
銀ちゃんと十四郎さんのどちらかを選ぶなんてこと出来なくて。
私の態度が、
十四郎さんを苛立たせてばかりいた。
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