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期待は無常
沖田さんは「行くことはない」と言った。
山崎さんは機嫌が悪くなった沖田さんを見てオロオロしていた。
私は「行きます」と言った。
その足で局長室の前に立った。
「近藤さん、いらっしゃいますか?」
「紅涙ちゃんかい?」
近藤さんは不思議そうな声で「どうぞ」と言う。
開けた部屋の光景に、私はさらに意志を固めた。
「書類整理…してるんですか?」
近藤さんの部屋に散らばるたくさんの書類。
「ちょっと片付かなくてね。」
困ったように笑う近藤さんは、
決して十四郎さんが原因であることを言わなかった。
「どうしたの?」
近藤さんは散らばる書類を雑に手で寄せて私に笑った。
「…私、…少しの間"夢路屋"へ行きます。」
「え…?何?え、トシと何かあった?」
近藤さんは心配そうで。
私はそんな近藤さんに笑って「違います」と答える。
「身辺が落ち着いたので、報告も兼ねて少しお邪魔しようかと思いまして…。」
私が恐縮そうに言えば、
近藤さんは「なんだ〜」と肩の力を抜いた。
「ちょっと行ってくるだけか!てっきり俺は暫く帰ってこないのかと」
「はい…。」
「…え、…?」
近藤さんの頬がまた固まる。
私は困ったように笑って、
「行きついでに、少しの間、お世話になってきます。」
「なっ何で?!"ついで"って、何?!全然"ついで"じゃないけど?!」
「そんな大事じゃないんで、ほんとにご心配していただくことでは」
「心配だよ!やっぱトシ?!トシ絡みで家出?!」
近藤さんの言葉に笑って、
「すみませんが、お願いします」と頭を下げた。
「なんか…腑に落ちないんだけど。」
「すみません。」
はぁぁと大きな溜め息が聞こえて、「分かった」と言ってくれた。
「まぁ、紅涙ちゃんに限ってはうちの隊士でもないんだし、俺が止められることでもないしね。」
"何かあった時のためにも、外泊許可とするよ"
"仕方ない"といった顔をする近藤さんが笑う。
私も大差ない顔をして「ありがとうございます」と笑った。
「でもトシは?」
"トシは知ってるのかい?"
私はその言葉に顔を横に振った。
「まだ…お話してません。」
「もちろんしていくよね?」
「…はい。」
私が俯き気味に返事をすれば、近藤さんが凝視する視線を感じた。
「俺的には、トシが許すとは考えにくいんだけどな。」
"夢路屋だし"
遊女の世界に、
十四郎さんが行ってきていいと相槌一つで言うとは思えない。
ましてや泊まりで、
数日間帰ってこないという。
だけど、
「いえ…、大丈夫です。」
今の十四郎さんは、
『ぼ、僕は紅涙氏を守れない…!』
十四郎さんであって十四郎さんでないから。
「きっと、大丈夫です。」
私を止めたりはしない。
そして彼はきっと、
理由すらも聞かないんだ。
「紅涙ちゃん…、」
「用意が出来次第、本日にでも行きます。」
立ち上がって、
折り曲げていた膝付近の服を整えて「失礼します」と言った。
「紅涙ちゃん、」
近藤さんは声を掛ける。
振り返れば真面目な顔をした近藤さんと目が合った。
「君が気負うことじゃない。」
全部、
分かってるみたいに、
「うちは大丈夫だ、今までも何とかなってたんだしね。」
全部、
読まれているみたいに。
「トシはあんな状態だけど、一時的なものだから。」
"きっとトシも戦ってる"
優しく言ってくれた。
つくづく、
私は幸せ者だと思う。
帰りたい場所が、
帰って来いと言ってくれているのだから。
私は近藤さんの言葉に返事をせず、ただ静かに微笑んだ。
「楽しい時間が終わったら、すぐに帰っておいで。」
近藤さんの言葉を背中に聞きながら、
私は局長室の障子を閉めた。
正直、
準備する物なんて特に何もない。
とりあえず私は部屋に帰って、
夢路屋で着ていた着物に着替えた。
何度洗っても、
袖を通せば香る当時の香の匂い。
「…。」
匂いとは不思議で。
まるで私の記憶を持っているかのように、当時のことを思い出させる。
「…十四郎さん…、」
黒に近い着流しを着て、煙を付き添わせる姿。
思い出しただけでも、
当時の鼓動が甦る。
ギュッと胸の上にある着物を握り締めて、私は自室を出た。
そのままの足で、
十四郎さんの部屋の前に立った。
耳を澄ませば、中からアニメらしきテレビの音が聞こえる。
「十四郎さん…、」
障子は開けずに声を掛けた。
「…。」
でも中からは返事がない。
私はもう少し大きい声で「十四郎さん」と呼んだ。
「…なっ何でござるか?」
ドモる返事が聞こえて、
ガサガサと片付けるような音が聞こえる。
それに続いて「どうぞ」と声が掛かった。
私は副長室の障子を身体の分だけ開けた。
中にある光景は、
今の十四郎さんには楽しそうなものばかり。
「…十四郎さん、」
「紅涙氏…。は、入ってくれても構わないよ。」
この光景に、
私への後ろめたい感情はあるようで、ギコちない手つきで「どうぞ」とまた言った。
でも私は顔を横に振った。
「お伝えしたいことがあっただけですので。」
"ここで結構です"
優しく笑えば、十四郎さんはホッとした顔をした。
そして少し微笑んで"何の用事で?"と言わんばかしに小首を傾げる。
「私…、暫くの間…、」
"夢路屋に行ってきます"と口にすることを躊躇った自分がいた。
目の前にすれば、
やはり十四郎さんは十四郎さんで。
いくら真選組のためにという理由であっても、
"夢路屋"ということが私の中に引っかかっていた。
それでも、
嘘をついては行きたくないから。
「私…、夢路屋に…行ってきます。」
気付けば、私はギュっと自分の着物を握り締めていた。
十四郎さんの「え?」と言う声が聞こえた。
「そ、それはどうしてかな、紅涙氏。」
私は俯いたまま、
近藤さんに言ったことと同じことを口にした。
「身辺が落ち着いたので、報告も兼ねて少しお邪魔しようかと思います。」
「"報告"?」
十四郎さんは「何の?」と言った。
…そんなの、
ひとつしかないのに。
今のあなたは、
今までのことも夢と思わせる人で。
「…十四郎さんと、籍を…入れたことです。」
「あっ…、」
それなら。
今あなたは、
私の存在をどのように捉えているのでしょうか。
「そ、そうでござるか。」
どうしてそんな顔をするの?
報告、
してほしくない…?
「…。」
「…僕も…、行った方がいいかな。」
私は十四郎さんの言葉に顔を横に振った。
「大丈夫です、私から報告しておきます。」
「そ、そうでござるか。」
小さく息を吐く姿は、どう見ても安堵で。
私はこれ以上話すことさえも辛くて。
「それでは…。」
頭を小さく下げて、開けていた障子に手を掛けた。
…やっぱり。
やっぱりあなたは…、
止めてくれないんですね…。
少し…、
期待してたのにな…。
「っ、紅涙氏!」
身体半分閉めた時、
部屋の中で十四郎さんが私を呼んだ。
私は障子を閉める手を止めた。
十四郎さんの方を見れば、
立ち上がったわけでもなく先ほどの姿と変わりない。
ただ私の方を見て、何か言いたげにしている。
「どう…されました?」
私が声を掛ければ、小さく「あっ」と声を出した。
十四郎さんは息を吸っては、口を閉じ。
そうするうちに、徐々に下を向いていく。
私が首を傾げながら彼の名前を呼んだとき、
「…き、気をつけて行ってくるでござるよ。」
目も合わせずにそう言って、十四郎さんは私に背を向けた。
何を言ってくれるつもりだったのか、
分からなかったけど…、
言って…ほしかったな…。
「はい…、行ってきます…。」
私は十四郎さんの部屋を後にした。
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