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元通り・胸騒ぎ


早雨さんと父さんが離婚する。
親権も、元に戻る。

「…父は、近いうちに帰って来るんですか?」
「ええ。明日には。」
「明日?随分急いでるんですね。」
「そういうわけじゃないのよ。ただ、あの人の仕事の都合でね。」
“もうすぐ転勤先が変わるから”

また異動か…忙しい人だな。

「…もしかして、離婚は父の転勤が原因ですか?」
「違うわ。…すれ違いよ。かと言って、夫婦仲が悪くなったわけでもないのだけれど。」
「それならなぜ――」

…しまった。
詳しいことは父さんが帰ってきてからだと言われたのに。

「すみません…。」
「いいのよ、聞いて当然だもの。詳しいことは、あの人と一緒に話す約束をしたから…」
“ごめんなさい”

分からなくもない。
こういうのは誤解がないよう伝えたいものだろう。

「私のせいでアナタ達を振り回すことになって…本当に申し訳なく思ってるわ。」

…?
それはどういう意味だ。

「きっと紅涙は軽蔑するでしょうね…。」
“あの子にはまだ何も話していないから”

紅涙は…どう思うだろう。
離婚と聞いて、まず何を想う?

…けどまァ、

「軽蔑は…しないと思いますよ。」

そこまで『離婚』を拒まないんじゃねェかな。

「そうかしら…。十四郎君と仲が良かったから、すごく怒るんじゃないかと」
「少なからずショックは受けると思います。でも、その程度だと思いますよ。」

紅涙が薄情だという意味じゃない。
実際、離婚と知れば泣くだろう。

だが自分の両親二人が考えて決めたことなんだ。
きっと、アイツは受け入れる。
家族を思っているなら、なおさら受け入れようとする。

「父と早雨さんは、嫌い合って別れるわけじゃないんですよね?」
「ええ、違うわ。」
「だったら、二度と会えないわけじゃないですよね。」

“親権が戻る”とはそういう意味も含まれる。

俺は父親と暮らし、紅涙は母親と暮らす。
毎日顔を見ることもなくなるんだ。

「離婚は家族関係を解消させるものですけど、したからと言って絶縁しなければいけないわけじゃない。」
「十四郎君…、」
「離れても、見えない部分では家族。俺は、そう思ってますから。」

親を憎んでまで兄妹であり続けたいと言えば話は別だが…それはないはずだ。

俺が兄であろうとなかろうと、今までの“俺”であれば問題ない。

「だから紅涙にも、『いつでも会える』ということを伝えてやってください。」

家族じゃなくても会える。
俺が、紅涙に嫌われさえしなければ。

「きっとアイツも受け入れ易くなると思います。なんだったら俺からもフォロー入れますし。」
「っ…そうね、」

早雨さんが目を潤ませる。

「ありがとう、十四郎君っ…。」

俺は姿勢を正し、頭を下げた。

「俺の方こそ、ありがとうございました。」

母親として育ててくれた早雨さんに。
そんな早雨さんと結婚した父に。

何より、
俺と一緒に過ごし、兄妹として楽しい時間をくれたお前に。

「ありがとう…ございました。」

心から言った。

早雨さんは顔を手で覆い、泣き崩れる。
しばらくして、「ごめんなさい」と苦笑いを浮かべた。

「これから話すことを考えると、どうしてもね。」

…え?

「まだ…何か?」
「ええ…主に紅涙に関係があるんだけど…そうね、十四郎君にも少し関係してるわ。」
“そのことについても、皆が揃った時に話すつもりだから…”

視線を落とす。
お茶の入ったグラスには、汗が伝っていた。

「ただね、離婚の話を十四郎君から伝えたのは…これからを考えておいてもらいたいからなの。」
「これからを…?」

頷き、顔を上げる。
早雨さんは強い眼差しで言った。

「もし、話を聞いて不安に思ったなら、この先も紅涙と一緒に過ごしてもいいのよ?」
“あの人も、それを望んでるわ”

不安?
紅涙達と過ごすことを…父さんも望んでる?

「どういう、ことですか。」

離婚するんだろ?
親権が元に戻るんだろ?

「…実はね、十四郎君。」

だったらなぜ、父さんは…

「アナタのお父さんは、今度――」

“今度、海外へ転勤することになったのよ”

ああ…
そういうことか。


「うーっす、おはよ。」
「…はよ。」

早朝の通学路。
野球部の部員が肩を叩いて走って行った。

俺はそれをどこか他人事のように見送って、

「はァ……、」

溜め息をこぼす。
寝ても覚めても、昨夜のことが頭を占めていた。

「……海外か。」

早雨さんから話を聞く前は、
当然のように父さんの元で暮らして行くつもりでいたのに。

「遠すぎだろ…。」

心が揺らぎ、
結局、俺は答えを出せなかった。

「……どうするかな。」

これまで通り紅涙と過ごすか、
それとも父さんと過ごしていくか。

率直に言えば、紅涙と過ごしたい。
だがそれは俺の親権が早雨さんのところへ移る…、
つまりは紅涙と兄妹を続けていくことを意味していて。

「早く…決めねェとな。」

決断の期限は、明日。
父さんが帰ってくる夕方までに、身の振りを決めなければいけない。

「…、…はァ。」

出来ることなら誰かに相談したい。
もし紅涙に相談すると、どんな顔をするだろう。

泣いて止める?
それとも笑って背を叩く?

その時のお前はどんな気持ちで――

「おはよう、」
「!」

かけられた声に驚き、振り返った。
そこには微笑む黒川がいる。

「…んだよ。」
「あれ?なんか期待を裏切られたみたいな顔してるね。誰が良かったのかな。」
「……うるせェ。」

黒川を避け、足早に歩く。
けれど腕を掴まれた。

「待ってよ十四郎君。彼女を置いて行くなんてヒドイ。」
「…放せ。」
「怒った?ごめんね、さっきは意地悪な質問して。」

反省の色なんて欠片も見せず、俺の顔を覗き込んでくる。

「私、聞かなくても答えは分かってたよ。紅涙ちゃんのこと考えてたんでしょ?どうせ。」
「……。」

『どうせ』
トゲのある言い方に、黒川を睨みつける。

「当然だよね。昨日、屋上で抱き合っちゃうくらい仲良いんだから。」
「!お前…紅涙をつけてたのか?」
「…ふふ。言ったよね、十四郎君。」

にっこりと笑みを深める。

「その名前、私の前で二度と口にしないでって。」
「っ、」
「それに私、浮気をする人は許せないの。」

そう話すくせに、楽しげな様子が引っ掛かる。
不気味で、気味が悪い。

「…浮気じゃねーだろ。」
「妹だから?今更それは通らないよ。紅涙ちゃんは“特別”なのに。」
「……違う。」
「嘘ばっかり。あの子は十四郎君にとって…」
「何の話してんだよ、お前。」
「…え?」
「『え?』じゃねーよ。」

黒川を見下げ、鼻で笑った。

「俺は“好きなヤツなんていねェ”から、浮気じゃないっつってんだ。」
「…それって、私のことも好きじゃないって意味?」
「さァな。」
「…ふふっ。わかった、そうことにしてていいよ。」
“どっちにしろ、私の恋人に変わりないもの”

黒川が俺の腕を取る。
しがみつくように抱くと、上目遣いに見上げた。

「それに、十四郎君は悪くないもんね?」
「…意味わかんねェ。」
「たぶらかす方が悪いんだよ。だから、十四郎君は悪くない。」

にこりと笑う。

…嫌いだ。
この笑顔も、この振る舞いも。
何もかもに腹が立つ。

「ねぇ、今日も部活に来るんでしょ?」
「当たり前だろ。」
「じゃぁ少しだけ早く来てくれないかな。」
「はァ?なんで。」
「用事があるの。お願い。」
「……。」

黒川の腕を払い、足を進める。
懲りもせず絡みついてくるかと思ったが、そうはならなかった。

代わりに、

「十四郎君なら来てくれるって、信じてるよ。」

クスッと小さな笑い声を滲ませて言った。

行く気はない。
だが何かを企んでいるかもしれない。
黒川のことだから、紅涙に関する何かを。

「…面倒くせェな。」

呟いた声は誰の耳にも届かず、
何事もなかったように、街の騒音が掻き消した。


それから朝練をこなし、授業を受け、
昼が過ぎれば、じきに帰りのHRの時間になる。

…だが。

「HRはまだ始まらないアルかー?」

机をガタガタ揺らしながら、分厚い眼鏡をかけた神楽が言った。

「銀八先生ったら何をしてるのかしら。」
「腹減ったアルー。新八、呼んでコイヨ。」
「なんで僕!?こういう時は日直の人が妥当だと思うよ。」
“って、日直もいないじゃん!”

普段HRが始まる時間から、今で10分ほど遅れている。
廊下を見ると、他クラスの生徒が帰宅する様子も窺えた。

「あの、土方さん。」

志村弟の声に振り返る。

「なんだ?」
「沖田さんはどこに行ったんですか?あの人、今日の日直なんですけど…。」
「…総悟?」

言われて気付いた。
教室に総悟の姿がない。

「もしかして、既に先生を呼びに行ってくれたんでしょうか。」
「いや、そりゃねェな。」

アイツ、どこ行ったんだ?


『アンタの大事な妹は俺が守ってやりまさァ』


…なぜ今それを思い出す?
いくら銀八が遅いからって、紅涙とは関係ないだろ。

……たぶん。

「…俺が呼んでくる。」

ダメだ、気になって仕方ない。

「えっあの、呼んでくるってどちらを…」
「両方。」

銀八も総悟も見つけて、ここへ連れてきてやる。
そうすれば、妙な不安も消えるはずだ。

「じゃ、じゃぁ僕も手伝います!」
「いい。俺一人で行く。」

一刻も早く、
この胸騒ぎが気のせいだと知りたいから、

「どちらかが戻って来たら連絡入れてくれ。」

面倒だと思いつつ、俺は席を立った。


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