13


袖の血・その事


銀八と総悟を捜しに行くべく立ち上がった直後、

「遅くなってごめんなさいね。」

副担任が教室へ入ってきた。

「銀八先生は急用で来れなくなったから、代わりに私がHRをします。」
「急用って何アルか?」
「それは…、…、」

チラリとこちらを見る。
目が合うと、副担任は慌てた様子で逸らした。

「?」
「り…臨時の用事よ。」
「だからそれは何アルか。もしかしてアホの沖田も関係してるアルか?」
「ええっと…、…。」

言葉を詰まらせる。
どうやら総悟がいないのは、銀八の件と関連しているらしい。

「先生、答えるアル。答えないとワタシ帰らないヨ。」
「まっ、またまたそんな冗談を…」
「嘘じゃないネ。いつまでもココに残って、“教室の神楽さん”になるアル。」
「そう言われても…。」
「いいアルか?私、先生のせいで銀魂高校の七不思議になるアルヨ。」
「リーダー、もうその辺でよいではないか。ひとまずHRを終わらせることが先決だ。」
「チッ、仕方ないネ。ズラに免じて、今日のところは見逃してやる。」
「リーダー、ズラじゃない桂だ。」
「え、えっと、それではHRを始めますね。」

苦笑し、学級日誌を回収する。
他に連絡事項もなく、ものの3分程度で解散となった。

「それじゃあ神楽ちゃん、また明日ね。新ちゃん帰るわよ。」
「はい、今行きま――」
「お妙さァァん!不埒な輩に襲われないよう俺も一緒に帰りまっゴボァァッ!!」

近藤さんが机をなぎ倒しながら吹き飛んでいく。
いつものことだ、心配はない。

それよりも俺は、

「先生、」

教室を出て行こうとしていた副担任を呼び止めた。

「…何かしら。」
「銀八と総悟のことなんですけど。」
「え…ええ…、それが?」

視線をさ迷わせる。

「俺に、何か関係あるんですよね。」
「どうして…そう思うの?」
「先生が明らかに目を逸らされるんで。」
「…違うわよ。土方君は…関係ないから。」
「ですが」
「アナタ、部活あるんでしょう?早く行きなさい。」

無理矢理に話を終わらせ、副担任は足早に歩いて行く。

「…何があったんだ?」

あの様子、やはり少なからず俺も関係しているとみて間違いない。
だったらどうして俺を呼び出さないんだ?

そもそも俺と総悟と銀八に繋がるものって…

「紅涙しか思い浮かばねェ…。」

やはり何かあったのか?
胸騒ぎは気のせいじゃなかったのか?

「まさか…な。」

ポケットから携帯を取り出し、紅涙に電話する。
が、出ない。

「っ、…くそっ、何してんだよ。」

急激に焦りが膨れ上がった。

とりあえず紅涙のクラスへ行こう。
いや先に総悟に電話するか?
でも出なかったら…。

「だァッもういい!」

じっとなんてしてられない。
俺は廊下を駆け出し、紅涙のクラスを目指した。

ふと、教室の時計が目に入る。
部活まで、あと5分。


『じゃぁ少しだけ早く来てくれないかな』


黒川にこじつけられた約束が頭をよぎる。
…だが、

「それどころじゃねェ!」

今は、紅涙の顔を見ないと気が済まない。

部活に遅れてもいい。
また黒川に無理難題を突き付けられてもいい。

とにかく今は、

「紅涙…っ!」

お前の顔が見たい。


階段を駆け下りる。
手すりを軸にして踊り場を曲がれば、生徒とぶつかった。

「悪ィッ…って、総悟!?」
「……。」

黄色い髪が揺れ、ゆっくりと顔を上げる。
その表情は、どこか殺気立っていた。

「どうしたんだよ。つか…、」

やけに総悟の制服がボロボロだ。
襟元のボタンはちぎれているし、首元には引っ掻いたような傷もある。

「お前…今まで何してたんだ?」

これじゃあまるで、

「怪我してんのか?」

誰かと揉み合いになったみたいだ。
よく見れば、シャツの所々に赤黒く変色した血が付いている。

「総悟、お前まさか銀八とケンカを――」
「…今までどこにいたんですかィ?」
「ああ?教室に決まってんだろ。お前と銀八がいねェからHRが始まらなかったんだ。」
「呑気なもんですねィ。」

ハッと吐き捨てるように笑う。

「アンタなんかの傍にいるから、あんな目に合うんでさァ。」

…それは、

「何の、話だ…、」

一体何を指している?
お前は…誰の話をしている?

「……。」

総悟が黙り込む。
嫌な予感が胸をかすめた。

「っ、誰の話なんだよ!言え!総悟!!」
「…テメェの目で確認しやがれ。」

確認…?

「生徒指導室にいまさァ。」
「ッ…、」

一体何があったんだ。
どうして生徒指導室にいる?

何も、何も分からなかったけど、

「ッ…くそ…ッ」

必死になって、俺は階段を駆け下りた。

ただ総悟のボロボロになった制服と、乾いた血痕、
それに『テメェの目で見ろ』と告げる言葉が、

「紅涙っ!!」

紅涙に何かあったのだと、確信させた。


―――バンッ

生徒指導室の扉を引き裂くように開ける。
まず視界に入ったのは、煙草を咥える松平先生だった。

「コラァ土方、もっと静かに開けろ〜。」
「すみませ…、ッ!!!」

部屋の奥に目を向けた瞬間、息を呑んだ。

窓際に銀八が立っていて、
その傍にある長椅子に紅涙が座っていて。

「どう…して、お兄ちゃんが…」

かすれた声を出すその唇が、切れている。

「紅涙…、」

異様な光景はそれだけじゃない。
紅涙が白衣を羽織らされている。
理由はおそらく、胸元が大きく割けた制服のせいだ。

「…っ…何…だよ、それ。」

引っ掛かって破れたなんてレベルじゃない。

「お前、一体何が…」
「ちょ〜っと待ったァ。土方ァ、まァ落ち着け。」

松平先生が煙草を灰皿に押し付ける。

「とりあえず先生ェ何か飲み物買ってくるからよォ。」
「はァ!?そんなことより先に何があったかをっ」
「黙れ。喉乾いてんだよ。」

松平先生が俺の肩に手を置く。
握り潰すように力をこめ、

「戻るまで待ってろ。勝手に暴走すんじゃねェぞ。」

横目に俺を睨みつけ、部屋を出て行った。

「チッ…!」
「“チッ”じゃねーよ、お前。」

銀八が気怠そうに頭を掻く。

「全く…なんで来てんの。」

“なんで”?

「言ってる意味が分かんねェんだけど。」
「ここに紅涙がいることを誰から聞いた?」
「総悟。」
「ったく、沖田め。本人が言っちゃってどうすんだよ。」

“本人”?
全く話が見えねェ…。

「銀八、説明しろ。」
「お前がもうちょっと落ち着いたらな。」
「落ち着くだァ?何言ってんだ、テメェ。」

笑わせんな…。
目の前に、こんな姿の紅涙がいるんだぞ?

「誰が落ち着けるっつーんだよ!!」
「お兄ちゃん…、」

いつもより細い声。
頬に残る、涙の跡。

「ッ、言えよ銀八…何があったんだ。」
「松平サンが来てから話してやるから。」
「今言え…っ早く言え!」

紅涙をこんな風にしたのは、

「誰の仕業だッ!!」

お前を傷つけたのは誰だ。


『アンタなんかの傍にいるから、あんな目に合うんでさァ』


…まさか。

「総悟か…、」
「あ?沖田が何だって?」
「紅涙を襲ったのは…総悟なのか?」

アイツのちぎれたボタンは紅涙に引っ張られたもので、
首に出来ていた傷は、拒まれて引っ掻かれたもの。

俺への当てつけに、紅涙に手を出したのか…?

「あの野郎ッ…!」
「待て土方。沖田は――」
「ぶっ潰してやらァァ!!」

殴り飛ばしてやる。
いや、足りない。
もっと後悔させてやる。

俺の紅涙に手を出したこと、死ぬまで後悔させてやる。

「違うの、お兄ちゃん!」
「!」

ハッと理性が覚まされる。

「沖田さんじゃ…ないから。」
「…え?」
「沖田さんは…助けてくれたの。」
「助けてくれた…?」

頷く。
その身体が、小刻みに震え出した。

「他の…男子からっ、私を守ってくれたっ。」
「……、」
「押さえつけられてた…ッ私を、…っ、助けて…、」

血の気が引く。
急激に辺り一面が暗くなったような気がした。

「…誰だよ、それ。」
「土方、」
「顔、覚えてねェのか?紅涙。」
「覚えてる…けど…、っ、」
「相手は一人か?複数いるなら全員言え。俺が今すぐまとめて――」
「土方!」

怒声が俺の視界に色を戻した。

「なん、だよ…。」
「後で話してやるって言ってるだろォが。」

銀八が顎で紅涙をさす。
紅涙は自分を抱き締めるように腕を回し、震えていた。

「早雨、もう話さなくていいからな。」

まるで、俺の言葉を耐えるみたいに。

「今は何も思い出さなくていい。な?」
「先生っ…」

銀八が紅涙の頭を撫でる。

…ああ、そうか。
コイツらが状況を話さないのは、紅涙のためだったんだ。

「…悪い。」

俺は、何も分かってねェな…。

「お待たせェ〜ィ。」

生徒指導室の扉が開き、松平先生が戻ってきた。
手には3本のジュースと1本のコーヒーが握られている。

「ちゃんと大人しくしてたかァ?土方ァ。」
「…、…まァ。」
「よォし、なら事情を話してやる。隣の部屋に来い。」

松平先生はコーヒーを持ち、俺にジュースを投げた。
もう2本は机の上へ。

「早雨も飲め。」
「…ありがとうございます、」
「銀八ィ、テメェの分は後で徴収するからなァ〜。」
「はァ!?金に細かいと、娘さんに嫌われますよ。」
「余計なお世話だ。その辺はパパとして上手く立ち回ってんだよォ。」

軽く手を振って「行くぞ土方」と松平先生が背を向ける。
けれど、

「あ、の…、」

それを紅涙が呼び止めた。

「ここで…いいですよ。」
「早雨…、」
「無理することなんてねェんだぞォ?思い出すのはツライだろ。」
「大、丈夫です。」

自分に言い聞かせるように呟き、頷く。
羽織っている白衣をギュッと握ると、銀八を見上げた。

「今は、先生が傍にいるから…。」
「…そっか。」

銀八が微笑む。

その光景に胸が痛んだ。
同時に、自分が嫌になった。
こんな時でも、俺は銀八に嫉妬している。

…だが紅涙は、

「あと、お兄ちゃんがいるから…大丈夫だよ。」

俺にも微笑んでくれた。

「紅涙…、…。」

お前はまだ、俺に居場所をくれるのか。
俺は“ずっと傍にいる”と言いながら、お前を守れなかったのに。

守ったのは、総悟と銀八なのに。

―――コンコン

「松平先生、ちょっと。」

僅かに扉を開け、他の教師が顔を出す。
松平先生と二言三言話し、「お願いします」と帰って行った。

「悪いなァ。先生、用事が出来ちゃったわァ〜。」
「はァ!?」

缶コーヒーを一気に飲み干し、ごみ箱へ捨てる。

「そう言や土方ァ。テメェ、部活じゃなかったのかァ?」
「…そうですけど。」
「ならあまり長居せずに時間みて行け〜ィ。」
「いや、状況が状況なんで今日は休みますよ。」
「休まなくてヨ〜シ。心配しなくても早雨はソイツが送る。だよなァ?銀八。」
「はいはい、仰せの通りにー。」

間延びした声で銀八が返事をする。
松平先生は「頼んだぞ」と軽く手を上げて部屋を出て行った。

「…んじゃまァ、事の次第を説明するか。」
「ああ、頼――」
「待って先生。」

紅涙が銀八を見上げる。

「お兄ちゃんには…私から話すよ。」
「心配すんな。ちゃんと丸く話すから。」
「…おい、丸くって何だ。」
「うっせェな。こっちにも色々事情ってもんがあんだよ。」
「ううん、なくなった。」
「早雨…、」

紅涙は銀八に微笑み、俺を見た。

「お兄ちゃんが来たから、もう隠さず話す。」
「それは…どういう意味だ?」
「……、」

曖昧に微笑む。
その笑みは、ついさっき銀八に見せた微笑みと同じだった。

「…早雨、無理だと思ったらやめろよ。」
「わかりました。」

銀八は細く息を吐き、窓際へ寄って煙草に火を点ける。
それをきっかけにするように、紅涙が口を開いた。

「私…ね、6時間目は選択授業で美術室にいたの。」

『選択授業』は1年時にある特別な授業だ。
音楽と美術のどちらかを選び、他のクラスと合同で受ける。

「その授業が終わって教室に帰ろうとしたら、…友達…が忘れ物したって言うから、戻ったんだ。」
「美術室にか?」
「うん…。それで中に入ったら…、男子がいっぱい…いて…、」
「いっぱい?」
「……。」

ギュッと口を閉じて頷く。

「忘れ物を探してたら…足を引っ掛けられて…転んだの。そしたら腕を…押さえつけられて…、」
「ッ…」
「一人の子が、…お腹の上にまたがってきて…、制服を…ハサミで切られた…っ。」

胸元を握る。
その手も身体も、震えていた。

「…もういい、紅涙。」

話させて悪かった。
思い出せて、悪かった。

「それ、で…っ、誰かが足を押さえてきて…、」
「紅涙、」

もういいんだ。

紅涙の元へ歩み寄る。
だが紅涙は口を動かし続けて、

「私の身体に…触ろうとして……ねっ、」

瞬きもせずに、涙を流した。

「その後――」
「っ、やめろ!」

紅涙を掻き抱く。

「悪かった。もういい、っ、もういいんだ!」
「お兄ちゃ…っ、」

どれだけ強く抱きしめても、
どれだけ名前を呼んでも、震えが止まらない。

腕の中の紅涙は、
羽織らされている白衣のせいで、銀八の匂いがした。


- 13 -

*前次#