17


割れた扉・悲しむ前に


「んーっと、どこへ置いたんだったかなぁ〜。」

美術室の奥へと黒川さんが歩いて行く。

「さっき座ってた席じゃないの?」

私は、二人で座っていた席の方へと向かった。
そこにカチャッと扉の開く音がする。

「へぇ〜…、お前が紅涙ね。」
「?」

声に振り返ると、
美術室と繋がっている準備室から、複数の男子が出てきた。

おそらく先生は、鍵を開けたままHRへ行ってしまったのだろう。

「な…何?」
「なかなかイイんじゃねーの?」

ニタニタと笑みを浮かべて近づいてくる。
感覚的に私の身体が拒絶して、後ずさりした。

「何…?なんなの?」
「逃げなくてもいいじゃん。」
「そうそう、気持ちよくなれるんだからさー。」
「気持ちよく…?意味が…っ」

――ガタンッ

後ずさりばかりしていたせいで、机にぶつかった。

「きゃっ…!」
「お〜、可愛い声。」
「ソソる〜!早くヤッちまおうぜ。」

一斉に男子がこちらへ近寄る。
手首を掴まれて、
汗ばんだ手と生温かい体温が気持ち悪くて。

「っ…やめて!」

振り解いて走った。
…けど、

「おっと。逃げられると思ってんの?」

他の男子に足を掛けられて転んだ。
うつ伏せの私に黒い影が落ちる。
振り向きたくないのに、振り向くしかなかった。

「可哀相にな。」

笑いながらそう言って、私の手首を捻り上げる。

「いたっ!!」
「これは黒川に借りが出来ちまったな〜。」

黒川…?
黒川って…、……まさか。

頭を動かし、美術室準備室を見る。
たくさんの机と椅子が並ぶ中、一緒に美術室へ入ったはずの人は――

「余裕〜?どこ見てんの〜?」
「っぐ、ッ。」

一人の男子が私の腹部で馬乗りになり、顎を掴んできた。

「俺たちに集中してよ、紅涙チャン。」

『紅涙ちゃん』

きっと…別人だ。
私の知ってる『黒川』じゃない。
だって…、
だって彼女にはこんなことをする理由がないもの。

お兄ちゃんを手に入れて幸せなはずなんだから、
私にこんなことをするわけない…!

「恨むならテメェの兄ちゃんを恨めよ。」
「…え…?…ッ、」

その声を皮切りに、事が始まった。

無理やり顔を寄せてきたせいで歯がぶつかり、切れる唇。
邪魔だとハサミで切り裂かれた制服。

弄る胸。
広げられる足。

「ッ!!っイ…っイヤ!ヤメて!!」
「黙れって。」

口にタオルを詰められて。
顔を横に振れば、カチャカチャと金具の音が耳に入った。

「お前、マジで良いわ。」
「上のお口、うるさいから先に塞いじゃおーね。」

薄気味悪く笑い、二人の男子が自分達のズボンに手をかける。

やだ…っ、
ほんとに…っ嫌だ…ッ!
助けて!
誰か…っ、誰か助けてっ、

トシ…ッッ!!


「そこまでにしろよ、テメェら。」


荒い息遣いだけの部屋に、唸るような声が交じる。
誰かは分からないけど、
時間を止めてくれたその人に、私は心の底から感謝した。

「チッ、誰だよ!」
「見張りの奴はどうなってんだ!?」

ニタついていた男子達は一様に驚き、うろたえる。

「あの程度が見張り?バカじゃねーの。」
「っ、なんだテメェは!」
「部外者は邪魔すんじゃねぇ!」
「それは俺が言いたいくらいでさァ。」

涙に霞む視界で扉の方を見る。
そこに立っていたのは、

「勝手に人の家を荒らしてんじゃねェよ。」

私の知らない人だった。
黄色い髪で童顔の男子。
見たことがないから、同じ学年じゃない。
2年…かな。…それとも3年生?

「離れなせェ、そいつから。」
「っるせぇ!お前には関係ねぇだろ!」
「残念。関係なかったら、もっと穏便に済ませてやれたんでけどねィ。つーか、」

キッと睨みつける。
彼の視線はその顔つきから想像できないほど冷たく、鋭くて、

「離れろっつってんだろーが!」

彼がガンッと扉を蹴れば、男子達は「ヒッ」と声をあげた。
蹴った衝撃で扉の窓ガラスが外れ、派手な音を立てて散らばる。

「だっ誰だか知らねぇけど、一人で勝てると思ってんのか!?」
「ああーお前ら、ほんと残念すぎますぜ。俺のことを知らないなんて。」
「知るかよ!やっちまえ!」

複数の男子が一斉に襲いかかる。
そこでようやく、私の拘束が解けた。

どうしよう…、
今のうちに後ろから美術室を出て、先生を呼んできた方がいいのかな…。
でも、あの人を残していくのも気が引けるし……

「…え?」

助けに来てくれた彼を見て、驚いた。
掴み掛かられても顔色一つ変えずに殴り倒し、
何が起こっているのか分からないくらい、あっという間にバタバタと男子をのしていく。

それだけじゃない。

「なに倒れてんでさァ。こんなもんじゃ足りやせんぜ。起きろ。」

倒れた男子を足で揺すり、立つように促した。
男子は「すみませんでした」と掠れた声で謝ってる。

「だから、その程度じゃ済まねェっつってんだよ。」

童顔の彼は、氷のように冷たい声音で自分の足を振り上げた。
その様子に思わず、

「待ってください!」

声をあげて止める。
これ以上すると、後々、助けに来てくれたこの人まで悪者になってしまうから。

「…こんなヤツらにまで情けですかィ。」

振り上げていた足を下ろし、こちらを見た。

「ち、違います。それ以上してもらっても…もう…意味はないので…。」
「……。」

どれだけ殴ってくれても、何も変わらない。
私の身に起きたことが、なかったことになるわけじゃないし、
男子が反省するかどうかは、彼ら自身の問題で知る由もない。

だから、もういい。

「ありがとう…ございました。」

切り裂かれた胸元の制服を握り締め、立ち上がる。
だけどまだ足が震えていて、机にもたれかかった。

「…大丈夫ですかィ?」
「は、はい。大丈夫…です。」

乱暴に触られた身体が痛いのか、心が痛いのか。
泣きたいのに泣けなくて、
私は頭を大して働かせないまま、ただ目の前にいる人にお礼を言った。

「…お前、土方の妹だろ?」
「え、あ…お兄ちゃんの友達…ですか?」
「……まァ。」

それで助けてくれたんだ。

「なんて言うか、…アレですねィ。思っていた以上に。」
「『アレ』?」
「……。」
「?」

童顔の彼は黙りこみ、小さく溜め息を吐く。
そして静かに口を開くと、


「アンタは俺が守ってやりまさァ。」


唐突に、そう言った。

「…え?」

どうして…あなたが?
お兄ちゃんの友達…だから?

「あの――」
「怪我、」
「?」
「怪我してますぜ。」

指をさされた。
二の腕に、薄く切れた傷がある。

「あ…、…たぶん、服を切られた時に当たって…」
「おいコラ!」
「「?」」

ペタペタと廊下を歩く足音が聞こえ、

「美術室が騒しいって連絡で来てみれば、お前かよ沖田ァァ。」
“面倒事は勘弁してくれ、先生体調悪ィんだから”

聞き慣れた声が近づいてくる。

「おいおい、何だよコレ。お前、こんなとこでケンカしたの?」
「ケンカじゃありやせんぜ。鉄槌…いや、制裁でさァ。ねィ?」

沖田と呼ばれた童顔の人が、私に向かって話しかける。
廊下では「ああ?」と不思議そうな声が聞こえた。

「中に誰かいんのか?」
「いやすぜ。…大事なヤツが。」

美術室の入り口で白衣が揺れる。
ひょこっと顔を覗かせたその人は、私を見た瞬間、目を見開いた。

「っ、早雨!?」
「先生…、」
「なっ、…っ」

悲壮な顔つきで、銀ちゃんが私の元へ駆け出す。
途中でスリッパが脱げても、構わず走って、私を抱き締めた。

「せっ先生!?ここ、学校!」

最後の方は小声で伝え、銀ちゃんの背中を叩く。
沖田さんを見ると、肩をすくめて立ち去った。

「ど、どうしよう…!」
「何が!?まさかコイツらに最後までっ」
「そっそうじゃなくて…、…銀ちゃんとのこと、沖田さんに怪しまれちゃったかも。」

いよいよ私達のことが広まってしまう。
そうなると、私は辞めれば済む話だけど、
銀ちゃんは教師を続けられなくなって、職を失うことに――

「んだよ、そんなこと気にすんな。」
「ええ!?大事なことだよ!もし言い触らされたら…」
「アイツなら大丈夫だ。そういう輩じゃねェから。」
「…本当に?」
「ああ。担任の俺が断言する。」
「銀ちゃんが担任?じゃあZ組なんだ…。」

だからお兄ちゃんのことも、
その妹が私ってことも知ってたんだな…。

「つーか!お前、大丈夫なのかよ!?」

銀ちゃんが私の両肩を掴み、顔を覗きこむ。
すると切り裂かれた胸元の制服が緩んで、下着が見えた。

「っあ…、」
「…悪い。この状況で大丈夫なわけねェよな。」

白衣を脱ぎ、私の肩に掛ける。

「つらいだろうが…何があったか、話せるか?」
「……うん。でも、お願いがあるの。」
「なんだ?」
「このこと、…お兄ちゃんには言わないで。」

男子の会話にあった『黒川』が、
お兄ちゃんの彼女、黒川ひよりさんと同じかは分からない。

一緒にここへ来たのに、今ここにいない理由は、
私が襲われる姿に驚いて、怖くて先に逃げたせいかもしれない。

だけど、もしも…
もしも『黒川』が同じ黒川さんだった時、
自分の彼女がこんなことをしたなんて…、
理由も分からず、この状況だけを知るのは、あまりにも悲しいと思うから。

もっと、
どうしてこうなったかが分かってからで、いいと思う。

私は大丈夫だから。
…お兄ちゃんを傷つけないようにだけ、したいな。

「お願いできる…?銀ちゃん。」
「……、…ああ、約束する。」
「ありがとう。」


私は、美術室での出来事を銀ちゃんに話した。

話してる間は、自分でもビックリするくらい普段通りで。
あれだけ怖かったのに、意外と冷静に状況を伝えることが出来た。

もちろん思い出すと気持ち悪い。
けど…私って、結構メンタルが強いのかも。

…なんて思っていたけど、生徒指導室であっさりと崩れた。

「…っ…紅涙…?」
「お…兄ちゃ…」

沖田さんに聞いて駆けつけたお兄ちゃんを見た直後、
まるで張り詰めていたものが切れたみたいに身体が震え出し、涙が出た。

話す間も、ずっと。
あれだけ淡々と銀ちゃんに伝えたのが嘘みたいに。

その上、いつの間にか私は眠ってしまっていて、
気がつけば、

「起きたか?」

隣に座る銀ちゃんが、夕日を背負って優しく微笑んでいた。

「…お兄ちゃんは?」
「……部活に行った。」
「そっか…。」

グランドで野球部の声が聞こえる。
でも窓から覗こうと思うほどの気力はなかった。

「…銀ちゃんは、ずっとここに居てくれたの?」
「当たり前だろ。」

私の髪をやんわりと撫でる。

「お前が望むなら、ずっと傍にいてやるよ。」
「……うん。」

銀ちゃんの傍は、居心地がいい。
寄り掛かって、甘えていられる。

けど…本当にいいのかな、これで。
…いや、彼女だからいいのか。

じゃあ…
いつも胸の中にある小さな罪悪感は何だろう。
私は…何に申し訳なさを感じてるのかな……。

「そろそろ動けそうか?」
「…え?」
「日も暮れてきたし、さすがに帰らねェと親御さんも心配するだろ。」
「あ…、…うん、そうだね。」
「今日のこと、俺から話すか?」
「ううん、いい。…言わないでおくから。心配…させたくないし。」
「……わかった。」

切り裂かれた制服を隠すため、上だけジャージに着替える。

学校を出る頃には、すっかり暗くなっていた。


「送ってくよ。」

学校の車を借りた銀ちゃんの運転で、私は2日ぶりに夜、家へ帰る。
けれど、待っていたのは穏やかな日常ではなく。

次から次へと、
悲しみは違う形で、私を追い詰めていった。


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