20


欲する唇・先生と私・いもうと


「紅涙…っ、」

トシの腕が身体に巻きつき、キスを交わす。

「ん、ぅっ…」

ぴたりとくっつく熱は暑すぎるほどなのに、
私達は汗ばむことを気にもせず、息を上がらせた。

「は…っ、ぁ、っト…シ…」
「っ…、」

私の知ってるキスじゃない。
今までよりも深くて、すごく気持ちいい。

もっと、
もっとトシを知りたいな…。

「…っ…、ヤベェ…。」

薄らと汗を光らせ、トシが自分の唇をひと舐めする。

「なんか…、…頭ん中、ぶっ飛んじまう。」
「私も…トシのことしか考えらんない…。」
「っ、…今そういうのヤバイから。」

私の瞼に優しく口づける。

「お前と目が合ってるだけでも…はァ…、…ヤバイ。」
「トシ…」
「家で話す自信ないって言ったのは、こういうことだったんだ。」
「『こういうこと』?」

困ったように眉を寄せ、トシが顔を近づける。
少し舌を出すと、ペロッと私の唇を舐めた。


「家だと、もっと欲しくなっちまうからだよ…お前が。」


…私も、
私も、同じだよ。

「トシ…、」

"もっと"とせがむように、首へ手を回す。
トシの口元に笑みが浮かんだ。

二人の唇が触れる…その時。

―――ギィィィ

「そんなとこでイチャついてると、誰に見られても文句言えやせんぜ。」
「「!!」」

突然聞こえた声に、私達は慌てて距離を取った。
見れば、沖田さんが無表情で立っている。

「とうとうやめちまったんですかィ?"兄妹"。」
「…総悟、」
「ああ心配しないでくだせェ。俺ァ口が堅いんで、言い触らしたりしやせんよ。」
「どの口が言ってんだよ…。」
「この口でさァ。」

沖田さんが自分の口元を指す。
トシは面倒くさそうに溜め息を吐いた。

「授業中のはずだろ、授業はどうした。」
「サボりですぜ。」
「サボってんじゃねェよ。早く戻れ。」
「アンタに言われたくありませんねィ。」

言われては言い返し、
沖田さんはポケットに手を突っ込んだまま、こちらへゆっくりと歩いてくる。

「俺のこと覚えてますかィ?紅涙。」
「え、あ…はい。」

覚えてるに決まってる。
この人が来てくれなかったら、私は……。

「あの時は本当にありがとうございました。」

頭を下げる。
沖田さんは緩く首を横に振り、私の頭にポンと手を置いた。

「礼なんて必要ありやせん。」
「…おい」
「当たり前のことでさァ。」
「おい総悟。」

トシが沖田さんの手首を掴む。

「さっきから近ェよ、お前。」
「…。…はァ〜、うぜェ。」
「あァ!?」
「紅涙、銀八が呼んでましたぜ。」
「先生が?」

なんだろ…、
黒川さんのことかな。

「出来るだけ早めに話したいって。」
「わかりました、行ってきます。」

駆け出そうとすると、
「っ待てよ!」とトシの慌てた声が私を呼び止める。

「俺も行く。」
「え、あ…、うん」
「そりゃいけねェな、土方さん。」
「「?」」

二人で沖田さんに首を傾げる。

「何が"いけねェ"んだよ。」
「紅涙一人で行ってくだせェ。」
「なんで。」
「呼ばれてるのは紅涙だけでさァ。過保護な"兄"はお呼びじゃありやせん。」
「っ、」

トシが唇を噛む。
沖田さんは私を見てアゴで促した。

「行きなせェ。」
「は…はい、行ってきます。…トシ、また後でね。」
「…いや、俺も行く。」

私の方へ足を踏み出す。

「だーかーら、」

それを沖田さんが、後ろからトシの肩を掴んで阻んだ。

「アンタはいらねェんだって。」
「だとしても行くんだよ。」
「行かせませんぜ。俺は土方さんに用がありまさァ。」
「用?…なんだよ。」

怪訝な顔をするトシを横目に、沖田さんが私を見る。

「安心して行きなせェ。もうオニイチャンは銀八が敵じゃないって分かってるはずだから。」
「…いちいち余計なことを言わなくていいんだよ。」
「行ってくだせェ、紅涙。」
「は、はい…じゃあ行ってくるね。」
「終わったらすぐに戻って来いよ。ここで待ってるから。」
「うん。」

トシと沖田さんに背を向け、屋上を後にする。
古くて重い扉を閉めるその瞬間まで、二人が話し出すことはなかった。



――コンコン…

「坂田先生、いますか?」

国語の準備室を開け、部屋の中を覗き込む。
静まり返る室内に人気はない。

「あれ?ここに居ないのかな…。」

入って待ってようかな。
それとも他を探しに行った方がいい…?

「どうしようかなぁ…。」
「こーら。」

コツンッと固い物が頭に当たる。

「いたっ」
「静かにしろ。」

頭を押さえて振り返ると、いつもの白衣姿の銀ちゃんが立っていた。
反対の手にはコンビニの袋を下げている。

「お前、今授業サボってること忘れちゃってんの?」
「あ…。」
「つか、なんでここにいんの。」
「なんでって…」
「俺ァてっきり土方と乳繰りあってる時間だと思ってたんだけど?」

っ、ちちくり!?

「なっ、何言って…っ!」
「まァ入れよ。見つかると俺もややこしいし。」
「う…、…うん。」

準備室へ足を踏み入れる。
留守にしていたせいか、クーラーはあまり効いていない。

銀ちゃんは後ろでカシャカシャと袋の音を鳴らし、そのまま冷蔵庫の前へ向かった。

「また甘いもの買って来たの?」
「おう。チョコとイチゴ牛乳とアイスとイチゴ牛乳とアイス。」
「…ふふ、アイスとイチゴ牛乳がいっぱいだね。」

実際、袋の中はアイスとイチゴ牛乳で埋め尽くされている。

「一度に全部食べちゃダメなんだからね?また身体を壊すかもしれな――」
「ンなことは生徒に言われなくても分かってますよ〜。」

銀ちゃんが肩をすくめて冷蔵庫を開ける。
買ってきたものをしまう背中に、私は少し、複雑な気持ちになっていた。

当たり前のように口にした、『生徒』の言葉。
彼女、と言わなかったのは…ここが学校だから?

「にしてもお前はつくづくタイミングが良いよなァ。」

バタンッと冷凍庫を閉め、私に振り返る。
その手にアイスがあった。

「ほら。買いたてホヤホヤだぞ?ありがたく思え。」
「ありがたや〜。」

頭を下げて両手を差し出す。
鼻で笑う音が聞こえた後、ひんやりした感触が手に伝わった。

…というか。

「私、呼ばれたから来たんだよ?」

タイミングが良いわけじゃないんだけど…。

「はァ?呼んでねェし。」
「えっ!?だ、だって沖田さんが『呼んでるから行け』って。」
“それも、出来るだけ早めにって…”

話しながら、首を傾げる。
銀ちゃんは何か考える素振りをして「アイツ…」と言った。

「利用しやがったな。」
「『利用』?」
「まァいい。」
「な、何が…。」
「気にすんな。ほら、早く食わねェとアイス溶けるぞ。」

自分の分のアイスを取り出し、銀ちゃんは窓の傍にあるパイプ椅子に腰かけた。

私は先生の向かいにあるソファに座る。
手にあるアイスは既に汗を掻いていて、開けると少し溶け始めていた。

ひと口食べた時、

「…で、どうなんだよ。」

銀ちゃんが言う。

「え?」
「土方とはちゃんと話せたのか?」
「……うん。話せたと…思う。」

ちゃんと…かどうかは分からないけど、
自分の気持ちとトシの気持ちは少なからず伝え合えたし、知れた。

そのうえで私は…、
銀ちゃんじゃなく、トシを…選んだから。

銀ちゃんに、言わなきゃ…。

「アイツはやっぱり海外に行くって?」
「…うん。」
「お前は行かねェの?」
「……うん。」
「ふ〜ん。」

窓の外を見ながら、銀ちゃんがアイスを食べる。
僅かに揺れる銀色の髪を見ながら、私は『別れ』をどう切り出すか考えていた。

「…あのね、銀ちゃ――」
「バカだよなァ土方は。」
「……?」
「好きなら連れて行きゃいいのにな。」
「先生…。」

銀ちゃんは窓の外を見たまま、

「ガキはガキらしく、素直に生きりゃいいんだよ。」

そう言った。

「マセた行動なんて、大人になりゃ嫌でもしなきゃなんねェんだから。」

…そうだね。
私もトシも、まだまだ子供で、

「お前も行きてェんなら、ちゃんと行きたいって言わないと伝わらねェぞ?」
「……、…うん。」

子供なりに、
周囲の環境と自分の想いを考えて動いてはみるけど、

「…銀ちゃん、」
「ん?…てか、"先生"だろ。」
「あ…うん。あの、私…、……私ね、」

うまくいかなくて。

「私、やっぱりトシのこと――」
「いい。」
「…え?」
「俺は早雨のことが好きだから。」
“それ以上言わなくていい”

銀ちゃん…、

「でも私…トシのことが――」
「おいおい、だから勘違いすんなって。」

勘違い?

「早雨が好きってのは、俺の可愛い生徒だからだぞ。」
「!」
「俺は皆に愛される銀八先生よ?皆を平等に好きなのは当たり前でしょうが。」
「銀ちゃん…。」

私は、子供だ。

この瞬間も、
どれだけ銀ちゃんを傷つけているのか、
どれだけ、"大人"を押し付けているのか分からない。

「早雨、自分に素直にな。お前はよくやったよ。」
「…、…っ…ありがとう、」

銀ちゃんは、私を『早雨』と言った。
『紅涙』とは、もう呼ばなかった。

それは、私と銀ちゃんの、特別な関係の終わりを意味する。

大好きな坂田先生、

ありがとう。
私を支えてくれて、…ありがとう。



「そろそろ戻ってやれ。」

アイスを食べ終えた頃、先生が煙草をふかしながら言った。
私は立ち上がり、部屋を出る前にもう一度「ありがとう」と頭を下げる。

「それじゃあ…ご馳走様でした。」
「おう。」

軽く右手を挙げて見送ってくれる。
私が準備室の扉に手を掛けた時、「…また、」と声が聞こえた。

「…また、いつでも来いよ。」

優しくて、もろい声。
私は胸を締め付けられて、

「うん…。」

振り返らずに小さく返事をして、扉を閉めた。


廊下に出ると、まだ授業中の教室から先生の声が聞こえてくる。
運が良かったのか、一度も見回りの先生に会うこともなく、私は屋上へ続く階段を上った。

トシの待つ、屋上へ…。
でも、

「…あれ?」

屋上の扉の前に人がいる。
壁に寄りかかり、腕を組んで私を見たのは、

「沖田さん…?」

トシといたはずの、沖田さんだ。

「ちょっといいですかィ?」
「?…はい。」

沖田さんが階段に腰を下ろす。
私も同じように座って、沖田さんの横顔を見た。

何の話をするんだろう…?

沖田さんの表情に笑顔はなく、かと言って怒ってるようにも見えない。
無表情に近いけど、どことなく暗いような気はした。

「野郎と行かねェんですかィ?」
「…、……はい。」
「行きたいとは思わなかったんですねィ。」
「行きたい…とは思ってますよ。…今でも。」
「なら行きなせェ。」

沖田さんの言葉に首を横に振る。

「…行けません。…私には、目的がないから。」

海外へ行って、やりたいことがない。
海外じゃないと出来ないことが思いつかない。

きっと、そんな目的のない私が一緒に行っても、トシの重荷になる。

「それに…、…トシも望んでないと思うし…。」
「そう言われたんですかィ?」
「いえ…、…でもそう感じました。だから私は、日本で待ってようかなって。」
「待つ、ねェ…。」

沖田さんは私を見て、「それなら」と言った。

「紅涙に言っておかなきゃならねェことがありまさァ。」
「え…、…。」

声が少し重い。
嫌な話…なのかな。

私は膝に掛かるスカートを握り締め、「なんですか」と眉を寄せた。

「…俺自身、まだ整理できてない内容でもある。」
「そ、そう…なんですか?」

こくりと頷く。

「まだ紅涙に話すのは酷かもしれやせん。が、俺ァこれ以上誰かに先を越されるのは面白くねェから喋る。」
「沖田さん…?」

話を掴みかねている私を、大きな瞳が捉える。

「紅涙、」

そして、

「アンタはこれから、俺と住むんでさァ。」

突拍子もないことを言った。

…住む?
私と沖田さんが一緒に?
なんで…、…どうして?

「混乱するのも無理はねェ。聞いた時は俺も同じようなもんだった。」

『聞いた時』…?

「誰かから言われて…一緒に住むんですか?」

一時的な合宿…みたいな感じ?
…と頭に過らせたものの、ありえないなと思った。
案の定、沖田さんも「違う」と否定する。

「まァきっかけは『言われて』ではあるけど、最終的に住むって決めたのは俺でさァ。」
「え、な、なんで…、…え……え?」

混乱している私を沖田さんが小さく笑う。

「言い忘れてたことがありやしたが。」
「っは、はい。」
「一緒に住むのは紅涙の家でさァ。」
「うちでっ…!?…い、一体…どういう…流れで……」

ますます分からない。
トシがいなくなるから住み始める…ってこと、だよね?
でも、どうして?
私の家にはお母さんもいるのに…。

まさか…、お母さんが言ったの?
…だとしても、なんで?

「人が思案する顔は見てて飽きやせんねィ。」

その声にハッとすると、間近で私を覗き込む沖田さんと目が合った。

「っ!!」

とっさに離れようとして、勢いよく背を逸らす。
けれどお尻が滑って、

「っわ!」

階段から滑り落ちそうになった。

「っと、危ねェ。」

沖田さんが腕を掴み、止めてくれる。
おかげで落ちたのは一段だけで済んだ。

「す、すみません。」
「いや、俺も悪ふざけが過ぎやした。」

元の段へ座り直す。
沖田さんは浅く息を吐いて、私を見た。

「やっぱり、すんなり言えるもんでもねェや。」

苦いような、
困っているような笑みで、

「…紅涙、」

沖田さんは、
やり直すように私の名を呼んで、


「紅涙は…俺の妹なんでさァ。」


思いもしなかったことを口にした。


「アンタの血の繋がった兄は、俺ですぜ。」


私の思考が止まったのは、言うまでもない。


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