21


立つ場所


沖田さんが…私の兄?

「本…当に…?」
「本当に。なんなら、役所へ行っても構いやせんぜ。」

私に…血の繋がる兄がいたなんて…。

「……、」
「覚えてないって顔ですねィ。」
「すみません…。」

全く記憶にない。
思い返しても、私の小さい頃の思い出には既にトシがいた。
それ以前のことは、…ほとんど思い出せない。

「仕方のないことでさァ。紅涙はまだ小さかったし。」
「……、」
「姉貴もいるんですぜ。」
「っ、…お姉ちゃんも?」
「そ。身体が弱くて、ずっと入退院を繰り返してまさァ。」
「!…そう、なんですか。」

私に姉、か…。
なんかほんと…、覚えてなさすぎ。

「なら、父親のことは覚えてますかィ?」
「あ、それなら…ほんの少し…。」

お母さんと同じくらいの背丈で、
明るい髪色の――

ああ、そうだ。
こうして見ると、沖田さんみたいな人だった。

「…お父さんは…元気にしてますか?」
「……、…いや。」
「え…?」

沖田さんが静かに首を振る。

「死にやした。」
「!」
「俺が高2になって、すぐくらいの時に…事故で。」
「っ…そんな…、…。」

胸の中にモヤモヤしたものが広がる。
たとえ覚えていなくても、
もう自分の実の父親がこの世にいないなんて知ると…言葉に出来ない気持ちだ。

「じゃあ、…。」
「なんですかィ?」
「…じゃあ今お…、…お兄ちゃんは、お姉さんと二人で過ごしてるんですか?」
「……ぷっ、」

噴き出す笑みをこらえ、私を見る。

「無理して呼ばなくても、今まで通りで構いやせんよ。」
「す、すみません…。」

やっぱり違和感あったよね…。

「俺は施設で暮らしてまさァ。姉貴は病院。」
「施設って…?」
「事情のある子供達が皆で生活する場所。」

沖田さんが、うんと伸びをする。

「俺は一人で生活したかったけど、父さんの遺した金は姉貴の治療費に回したくてねィ。」
“財力のない自分が情けなくて仕方ねェや”

弱く笑って、「でも」と続けた。

「でもその施設に入ったから、また母さんと会うことができやした。」
「えっ…、…お母さんとは…施設で会ったんですか?」
「そ。春過ぎくらいですかねィ。知り合いに頼まれて、パートの後に少しだけ手伝いに来てるって。」

だから帰りの遅い日があったんだ…。

「はじめて見た時、俺はすぐに母さんだって分かりやした。けど、…話しかけなかった。」
「…どうして?」
「いつか会いたいとは思ってたけど…その程度だったし、もう…忘れてるかもしれないから。」
「……、」

再会した時の複雑な感情が伝わる。

当然と言えば当然だ。
望んで再会したわけじゃない。
久しぶりの母親に、なんて声をしてかければいいかなんて…わかんないよね。

「それでも少しずつ話すようになって、先月…くらいですかねィ。紅涙の今の父親とも会いやした。」
「!?そ、それってトシの…?」

沖田さんが片眉を上げて頷く。

「あんな野郎の親なのに、なかなかイイ人でムカついたな〜。」
「な…なんでまた会うことに…?」
「『一緒に住まないか』って、母さんと言いに来たんでさァ。」
「!」

知らないことが多すぎて、
まるで他人の家族の話を聞いてるような錯覚にすら陥る。

「正直、俺としては"ありえないだろ"って感じだった。同級生の、それも同じクラスの土方さんと兄弟になるわけだし。」
「そう…ですよね。」
「何より俺達はもう"家族"を求めてなかったから、『新しい父親は必要ない』って断りやした。そしたら…」

弱く眉を寄せ、小さく笑う。

「『キミの家族が戻るだけだよ』って。『僕は海外へ転勤するから』って…言ったんでさァ。」


『僕がキミの新しい父親になるわけじゃないよ。
ただ、これからのキミ達を少しでも支えたいなとは思ってる』
“もちろん、お姉さんのことも”


「…理解できなかった。俺達を迎えて、何のメリットがある?イイ人ぶりたいだけなら他でやってくれって。」
「そう…言ったんですか?」
「言った。少しビックリしてたけど、あの人は『そうだね』って頷いてた。でも…、」


『確かに、偽善的に聞こえるかも知れない。
けどね、僕はキミのお母さんのことを今でも大切だと思うし、大好きなんだ。
だから彼女が大切にしたいものは、僕も一緒に大切にしたいと思ってる』

『それが、僕達の想いだよ』


「…さすがに、スゲェ人だなと思いやしたよ。」

フンッと鼻で笑う。
呆れ返っているように見えたけど、少し嬉しそうにも見えた。

「そこまで言ってくれるんなら、俺達に断る理由はない。だから姉貴に伝えて、母さんの元へ移ることにしたんでさァ。」

「けど…」と目を伏せる。

「けど二人は、…俺達のせいで離婚することになった。」
「?…どういうことですか?」
「紅涙は二人の離婚理由をなんて聞きやしたか?」

確か…

「生活のすれ違い…ですけど。」

これまで家へ帰れない日が何年もあったのに、これからも続くからって。
お母さんに負担を掛け続けてしまうくらいなら、別れるのが一番…、そう言っていた。

「なるほど。当たり障りない離婚理由ですねィ。というか、」

沖田さんが肩をすくめる。

「おかしいと思いやせんか?それ。」
「おかしい…?」
「家へ帰らないことで負担が増えていたとしても、金銭的な面を考えると離婚なんてしない方が助かるに決まってる。」
「あ……。」
「それでも別れないといけなくなったのは…、…戸籍のためでさァ。」
“俺達が少しでも母方へ戻り易くなるようにって、気を遣った結果”

もし…
もし沖田さんが言う通りだとすると…、
あの時、お母さんが泣いていた心境も分かる気がする。

お父さんは離婚理由を全て自分のせいだと言って、
『家族』を戻すために、今まで違う形で、離れた場所から支えていくことにした。

お母さんは、お父さんの優しさに…泣いてたんだ。

「まァ、本当は俺達には計り知れない夫婦間の問題があったのかもしれねェし、転勤のタイミングと合っただけかもしれやせん。」
「……。」
「でも少なくとも、俺達を引き受けることが引き金になったのは間違いない。」

そう話す沖田さんに、私は何も言えずにいた。
『そうですね』と言えば、沖田さんのせいだと言ってるように聞こえる。

言葉を探していると、

「…すまねェ、紅涙。」

沖田さんが頭を下げた。

「俺達のせいで、紅涙の家族を壊しちまった。」
「沖田さん…、」

苦し気に眉を寄せるその姿に、

「…それは違いますよ。」

私は首を横に振った。

「家族は壊れてません。戸籍上では離れてしまっても、家族がなくなったわけじゃないですから。」
「……、」
「それに、私の家族はトシやお父さん達とのものだけじゃない。沖田家との間にもある。」
“だからむしろ、言わきゃいけないことがあるのは私の方です”

身体を沖田さんの方へ向ける。
深呼吸して、

「また一緒に過ごすって言ってくれてありがとう、…総悟お兄ちゃん。」
「紅涙…、」
「どんな経緯があったとしても、私は家族が増えて嬉しいよ。」
「……。」
「あ…でも増えたって言い方はおかしいのかな。元は私も沖田家なわけだし……」
「紅涙、」

総悟お兄ちゃんが腕を伸ばした。
何だろうと考えている間に、私の背中へ手が回る。

そして、ぎゅうっと抱き締められた。

「え、あのっ」
「ありがとう、紅涙。お前がそう言ってくれて…嬉しい。」
「……、…ううん。私の方こそ、ありがとう。」

総悟お兄ちゃんの背中へ手を回す。
抱き締めると、なんだか小さく感じた。
トシよりも華奢だな…なんてことが頭に過った時、

―――ギィィィ…

「…何やってんだ、テメェら。」

顔を引きつらせたトシが屋上の扉から出てきた。

「話し声が聞こえるなと思ったら、総悟…ッ、テメェは…!」
「当然の権利ですぜ。」

総悟お兄ちゃんは腕を解き、私の肩を抱き寄せる。

「紅涙は俺の妹。ハグくらいで他人に文句を言われる筋合いはありやせん。」
「た、他人って…まだ他人じゃねェよ!」
「俺がいる以上、ニセモノのアンタはただの同居人でさァ。兄>その辺のクズ。」
「なっ、俺をクズだっつってんのか!」
「妹に手を出す奴は全員クズでさァ。」
「っ、るせェ!お前こそ、血の繋がった兄妹なんだからベタベタすんじゃねェよ!」
「何しても土方さん以上のことはしやせんよ。フツーは。」
「ぐっ…、」

完全に言い負かされたトシが気まずそうにする。
私は二人の掛け合いに小さく笑い、「そう言えば」と言った。

「トシはいつから、総悟お兄ちゃんが私の血縁者だって知ってたの?」
「さっき。つか、何だよ『総悟お兄ちゃん』て。」
「え、だってお兄ちゃんだから…、“沖田さん”って言うのは変かなと思って。」
「……まァ…確かにそうだけど。」

後ろ頭を掻く。
トシもまだ混乱しているように見えた。

「びっくりだよね…、こんな近くに本当のお兄ちゃんがいたなんて。」
「びっくりってもんじゃねェよ。なんつーか…今でも実感湧かねェし。」
「テメェの父親に電話までして確認したくせにですかィ?」

電話?

「そうなの?トシ。」
「コイツの話だけを信じるわけにいかねェだろ。またいつもの悪質なイタズラかもしれねェしよ。」
「けど分かった途端にコレですぜ。」

総悟お兄ちゃんが私に左頬を見せた。

「俺を殴りやがったんでさァ。」
「…ええ!?」
「ここ。見えやすかィ?」

唇の端を指さす。
肌の色が少し赤黒くなっているその場所は、僅かに切れて薄らと腫れていた。

「ほんとだ…。」
「『一つ屋根の下で暮らす保険だ』とか何とか言って、いきなり殴りやがったんでさァ。」
「ダメじゃん、トシ。そんなことしたら…」
「いいんだよ、保険なんだから。その分、何もなかった時は俺の頬も殴らせてやる。」
「なら早く死んでくんねェかな〜。」
「誰が死亡保険だっつった!?」

トシが目を三角にして声を挙げる。
その声は階段によく響いて、

「コラァ!誰だ、そこでサボってるヤツはぁぁ!!」
「「「!!」」」

見回りの教師の耳にも入った。
まだ姿はない。
けれど確かに下から聞こえた。

「あーあ。土方さんのせいですぜ。」
「お前が余計なこと言うからだろうが!」

「降りて来い!!」

怒鳴る声と、階段を上る足音が聞こえる。

「どっどうするの!?」

見つかったら叱られるだけじゃなく、生徒指導室で反省文を書かされる。
どうにかして逃げ切らなきゃいけないけど…。

「まだ3階には居ねェみたいだな。」

トシが階段の下を覗き込んだ。

「今のうちに3階まで降りて、逃げることも出来るが…」
「そりゃちょっとリスクが高過ぎやしやせんか?こうしてる間にも上がってきてるはずですし。」
「だな…。屋上に出てから非常階段で降りるか。」
「これを機に、完全に閉められちまうかもしれやせんね。ここ。」

総悟お兄ちゃんが扉を指す。
トシは肩を揺らし、息を吐いた。

「仕方ねェだろ。どうせ、これからはココで紅涙と二人きりっつーのも無理だろうしな。」
「…どうして?」
「うるせェからだよ。お前の“お兄ちゃん”が。」

アゴで総悟お兄ちゃんをさす。

「コイツ、これから四六時中、俺達の邪魔してくるぞ。」
「それじゃあ望み通りに。」

総悟お兄ちゃんが私の手を取った。

「っおい!」
「逃げますぜ、紅涙。」
「えっ」
「手ェ放しやがれ!紅涙は俺と一緒に逃げんだよ!」

繋いだ手を引き離し、トシが私の手を掴む。

「総悟、テメェは囮になれ。」
「何言ってんでさァ。それは彼氏の役目ですぜ。俺の妹に触んじゃねェ、クズ。」
「誰がクズだ!兄なら妹のために囮になれよ!!」

「こらァ!早く降りて来いと言っとるだろうが!」

「「「!」」」
「ったく、もういい。行くぞ!」
「紅涙、全力ダッシュで頼みますぜ。」

右手をトシに、
左手を総悟お兄ちゃんに握られて、

「わっ、待って、っ転ぶから!」

自分より何倍も早いスピードで手を引かれながら、迫る声から逃げ出した。

いっそ、一人で走った方が逃げやすかったけど、
両手にある温もりを手放す気にもなれず、

「もっと頑張って足を動かせ、帰宅部!」
「俺がお姫様抱っこしてやりましょうかィ?」
「ンなことしたら余計に遅くなるだろォが!つーか、するなら俺がする!」

息を切らし、
苦しい状況でも笑い、
しがらみから解放されたような気持ちで、私達は足を動かし続けた。


- 21 -

*前次#