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焦がれること・その時間を●


トシを抱き締めると、強く抱き締め返された。
身体を離せば、唇が近付く。

「トシっ…、ん…ぅっ、」

話そうと口を開くと、隙間から舌が入り込んだ。

「っふ…っ、っ…は、ん…っ」

息一つ逃がさないキス。
力を吸い取られるみたいに、足が崩れそうになった。

…でも、これ以上はダメだ。
もう…やめなきゃ。

「ま、っ、て…、っ、」

キスの合間に訴える。

「っ、なんだ…?」

聞く気があるのか、ないのか、
トシは私に尋ねながらも唇を寄せてきた。

「ちょ、っん、…っっ、っもう!」

一向にやめようとしないトシの胸を押す。
それでも、腰に巻き付く腕はしっかり回されたままだった。

「…何なんだよ。」
「待ってって言ってるのに!」
「とまんねェんだから仕方ないだろ。」

――チュッ

「ッ、トシっ!」

隙ありと言わんばかりにキスをする。
睨みつけると、真剣な眼差しとぶつかった。

「…好きだ、紅涙。」
「っ…、…。」
「ガキの頃からずっと好きだった。」

わ…私だって、……トシが好きだよ?
でも今これ以上はダメなの。

「…もうやめよう?」
「ああ?」
「離れて、トシ。」
「っおい、」

だって私達は、まだ――

「聞いてなかったのかよ。とまんねェっつっただろ?ガキの頃から募る気持ちが今…」
「っそ、それはもうっ分かったってば!というか、何度も言わないで!」

トシの口もとを手で塞ぐ。

「んぐっ、」
「ちょっと落ち着いてよ。…ここまでにしておかないとダメなんだから。」

私達はまだ手放しに抱き合える仲じゃない。
ましてや、いつ誰が帰ってくるか分からない状況。

「そろそろ、やめておこう?」

それが正しい判断だよ、トシ。

「……。」
「ね?」
「…むぐ、」
「なに?」

塞いでいた手を放す。
途端にトシは距離を詰め、またキスをした。

「っな…!」
「無理。」
「えっ!?」
「だから、ここまでじゃ終われない。」
「っそ、そんなこと言っても…、」

ダメなものはダメ…、…なんだから。

「紅涙、」

甘い吐息混じりの声が、

「俺の部屋、来いよ。」
「!」 

甘い世界へ誘う。

「…したい。」
「!!な、に…言って…」
「お前がほしい。」
「っ…」

真っ直ぐすぎるトシの言葉に目がくらむ。
呑まれそうな心をなんとか留まらせ、私は首を横に振った。

「…ダメ。皆がもう帰ってくるかもしれないし。」
「それはねェな。2時間くらいは誰も帰ってこない。」
「…なんで分かるの?」
「思い出してみろ。母さんは気合い入れて買い物行ったんだぞ?絶対いつもより長い。」

…確かに。

「じゃあ総悟お兄ちゃんは?」
「総悟は手続きだけじゃなく、泊まりの準備も必要だ。行き帰りの時間も考えると2時間近くは掛かるはず。」

……なるほど。
じゃあいいか……っじゃない!

「それでも、やっぱりダメ。」

問題は、そんなことだけじゃない。

「他に何が心配なんだよ。」
「忘れたの?いくら本当のお兄ちゃんが戻ってくるって言っても、私とトシはまだ兄妹なんだよ?」
「だから?」
「だ、だからって…、まだ正式な家族って時に、これ以上は…しちゃダメでしょって…話だよ。」
「そんなもんは紙一枚の話だ。じきに変わるんだし、気にすんな。」
「そういうわけにはっ」
「今しかねェんだよ。」

少し焦った声で、


「今しか、お前と過ごせる時間がないんだ。」


切なげに眉を寄せた。

「さっき言っただろ?離れるからこそ、一緒にいる時間を大切にしたいって。」


『これからしばらく俺達は離れ離れの生活になる。だからこそ一緒にいる時間を、大事にしたいんだ』


「今がその時だ。」

言ってることは分かるけど……、

「もっと…他の日でもいいじゃん。」
「他の日?」
「籍が抜けて、出発する日まで時間があるでしょ?その時でも――」
「籍が抜けるのは出発日。」
「えっ…、」

出発日…?

「父さんの都合で、出発する前日の夜にしか出せないんだってよ。」
“だから役所が開く翌日に、不備がなければ受理される”

…つまり、私達が兄妹じゃなくなるのは出発日の朝?
なんの柵もなく、
気を咎めることなく二人で過ごせる時間は…ないに等しいんだ。

「そんな……、…。」

もう少し、一緒にいれるもんだと思ってた。
少しくらい、普通の恋人っほいことをする時間があるんだと思ってた。

「…全然…時間、ないんだね…。」
「ああ。」

…仕方ない。
仕方ない…けど、……だけど。

「紅涙、」

トシが私の髪に触れる。
手に掬いとった髪を見て、「だから」と言った。

「だから出来ることは出来るうちに、今のうちにしておきたいんだ。」
“誰にも邪魔されない時間なんて、この先ないかもしれねェし”

……。

「…でもまァ、」
「?」
「無理にとは言わねェよ。」
「え、」

うつむき気味の顔を上げる。
トシは弱く笑って、肩をすくめた。

「俺だって、…罪の意識がゼロなわけじゃない。紅涙が嫌なら、帰ってきた時の楽しみに取っておくことにする。」

トシ…、

「だが、『ダメ』と『無理』は意味が違うだろ?」
「…どういうこと?」
「紅涙の気持ちが『ダメ』ならする。『無理』ならしない。」
「!」
「お前はダメなのか?それとも無理なのか?」

トシは私の頭を撫でるように触り、手を離した。

「聞かせくれ。」

……、
そんな…、
そんなの…、……、

「…わかってるくせに。」
「わかんねェよ。お前は何でも隠そうとするから。」

薄く笑う。

…嘘だ、トシは全部わかってる。
どういう風に言えば私が素直になるか、
どういう風に接すれば私が気持ちを優先するか、わかってる。


『俺達の間に、隠さなきゃいけないことなんて何もないんだ』


…そうだね、
もう……いいかな。

「…トシ、」

私はトシの襟元を引っ張って、唇を近づけた。
浅い、唇の先だけのキスをして、すぐに離す。

「私は…"ダメ"なだけだから…、…無理じゃないよ。」

吐息も唇に乗せて、本当の気持ちを伝えた。

「私だって、…したい。ずっと…ずっと触れたかった。」
「紅涙…」
「私と一緒に……悪い子になってくれる?」

他人になる前に、これから迎えてしまう時間を。

「私と…一緒に、過ごしてくれる?」

罪悪感に目を瞑り、

「トシ…」
「っ、」

私達は、枷が外れたように抱き合った。

「お前が欲しい、紅涙。」



手を引かれ、トシの部屋へ入る。
扉を閉めた途端、壁へ押し付けられ、性急なキスを交わした。

「んっ、っ、は、ぁ、っ、」
「っ、紅涙…っ、」

互いの持て余す気持ちをぶつけるように、荒々しく熱を分け合う。
もつれながらにベッドへ倒れ込むと、トシは私に跨り、僅かに笑った。

「ヤバい…手ェ、震えてる。」

両手を見せる。
その手は確かに、小刻みに震えていた。

「…なんで?」
「興奮しすぎて。」
「っ…、」
「なんか、身体の中も震えてる。こんなの始めてだ。」

制服の上から、やんわりと私に触れた。

「ん、っ、」
「この瞬間を…ずっと夢みてた。」

ブラウスの裾からトシの手が滑り込み、肌を確かめるように優しく撫でる。

「あっ…、…っ、」

くすぐったいような感覚に、ギュッと目を瞑る。

「紅涙…、」

トシの声に薄く目を開けば、

「俺のこと、見てろよ。」

挑発的に口を歪ませた。

「十数年お前に片想いしてた男が、やっと手に入れる瞬間、見てろ。」
「トシ…、」

肌の上を唇が這う。
舌と吐息が通る度に、背中や腰がムズムズした。

「っ、待って、くすぐったいっ」
「我慢しろ。」

脇腹の辺りにキスをする。

「ぁ、んっ」

キツく吸い上げ、口付けたそこを指で辿った。

「見えるとこに付けるのは、俺が帰って来てからな。」
「…え…?何が…」

身体を起こそうとすると、

「あとにしろ。」

肩を押されて、再びベッドへ沈む。

少しずつ肌を暴かれ、
いつの間にか身につけている物もなくなって。

トシの唇が下腹辺りを通れば、無意識に声が漏れた。
神経の全てがそこに集中して、他に何も考えられなくなる。

「っそこ、だめ…っ」

身体が熱い。
開けっ放しの口から小さな声が漏れる。
それが恥ずかしくて、自分の腕で口を塞いだけど、全くと言っていいほど意味がなかった。

「ん、っん、…や、ッん、っだ、めぇっ、」
「全然ダメそうじゃねェよ。」

くつくつと笑うトシに視線を向ける。

「なんだよ、本当のことを言っただけだぞ。」

片眉を上げる。
黒い前髪が目の辺りに掛かり、いつになく妖艶に見えた。

「何に興奮したんだ?」
「っ…なんの話?」
「今、ウズいただろ。身体が反応してた。」
「!?う、嘘言わないで。」
「嘘じゃねーよ。」
「そんなの分かるわけないじゃん。」
「わかるんだよ、ここで。」

トシの指が、思いもしない場所に触れる。

「んァっ!」
「ほら、ここがお前の気持ちと連動してる。」
「や、だ…っ、触んないで…っ、」
「痛いか?」

唇を噛んで首を横に振る。

「なら気持ち悪いのか?」
「ん、ッ、違っ、っ、恥ずかし、っ、いからッ、」
「…んだよ、あんまり煽んなよ。」
「っ、ぇ?」
「お前のためにとか、そこまでしないようにとか、色んなもんがぶっ飛ぶだろ。」

グシャッと前髪を握り、トシが浅く息を吐く。

「俺、今結構ギリギリなとこで理性保ってんだよ。だから…それ以上、俺を喜ばせんな。」

喜ばせるなって…、ふふっ。

「…変なの。」
「あァ?何が変なんだよ。」

トシの余裕ない表情なんて初めてだ。
…なんか可愛い。

「いいよ…トシ、」

私は下の方にいるトシへ手を伸ばした。

「トシになら、どんなことされてもいい。」
「っだから……、…今はマジでヤバいって言ってんだろ。ちょっと黙ってろ。」
「好きだよ…、トシ。」

胸の奥が熱い。
苦しいくらいに締め付けられて、

「もっと…傍に来て…。」

焦がれた。

「好き…大好き…、っ、」
「…ああ、俺もだ。」

満たされたいよ。
私の中を、トシでいっぱいにしてほしい。
これからを思うと、
トシがいなくなった後を考えると…、

「…行かないで…」
「!」

胸の中に、細い隙間ができるから。

「行かないで…トシ、っ。」
「紅涙…、」

たぶん、これは今しか言えない。
わがままで、自分のことしか考えてない気持ちは、こういう時にしか言えない。

「寂しいよ…っ、」

本心はね、私、離れたくないんだよ。
海外になんて行かないでほしいって思ってる。
私のことが好きなら…ただ傍にいてって。

だけど、それを伝えないのは…、…違うから。
私が伝えなきゃいけない気持ちじゃないと思うから。

トシが行くって言うなら…
私は、送り出してあげなきゃって、思うんだ。

「…俺も、寂しいよ。」

困ったような顔をして、私に優しく返事をする。

ごめんね…、困らせてごめん。
でも今は…今だけは、許して。

何もかも我慢できない。

「っ、トシが…、好き…っ」

言い足りないの。
伝え足りなくて、渇望してる。

「俺も好きだ。」

どれだけ言葉にしても、
どれだけ返事をくれても、

「もっと、もっと傍にいて…っ」

寂しさが付きまとう。

「俺はお前の傍にいる。」
「トシ…」
「どこに居ても、紅涙を想ってる。」

私の道と、トシの道。
二つの道は今日交わって、また別々に続いていくけど、

「発つ日まで、出来る限り一緒にいよう。」

せめて、その限られた時間を大切に、
思い返しても、恥ずかしくなるくらい濃い時間にしよう。

「痛かったら言えよ。」
「ん。」
「…まァ言ってもやめねェけどな。」

汗を滲ませたトシが意地悪に笑う。
私は「平気だよ」と笑って返した。

その首に腕を回し、息を吐いて受け入れる。
痛みすらも愛おしい。
トシを感じられるなら、痛みでも、なんでも感じたい。

「ぁアァっ、ッ」
「ッ、…、」

少しでも、二人の隙間を埋めよう。
これから始まる長い時間のために。

少しでも多く、私たちの時間を作ろう。

一分でも、
一秒でも長く、

「ッ、っ、紅涙ッ、」

トシの全てを身体に染み込ませて、いつも傍に感じられるように。

私もたくさん、

「ッあ…トシ、ぃっ!」

トシの名を呼ぶよ。


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