24


おかえり


互いの熱を伝え合った後、
私達はゆっくりと余韻に浸る間もなく部屋を出た。

「できるだけ自然にしておかねェとな。」

トシがリビングのソファに座り、テレビを点ける。
夕方のニュースは既に始まっていた。

「もうすぐ帰ってくると思う?」

皆が家を出てから1時間半。
誰が帰ってきてもおかしくはない。

「何かあるのか?」
「お風呂に入りたいなぁと思って。」
「あー分かる。結構な汗掻いたもんな。」

そう言いながら、トシが自分の首の辺りを触った。
なんでもないその仕草に、少しドキッとする。

だってあの手は、ついさっきまで私に触れていて…、


『俺のこと、見てろよ』


私とトシは、ついに――

「入ってこいよ。」
「ぅえ!?」

思わず返事の声が裏返った。
トシは「なんだそれ」と笑う。

「風呂、お前だけなら急げば入れるだろ?行ってこい。」
「いいの?」
「ああ。紅涙の方が身体も気持ち悪いはずだしな。」

目を細め、いやらしく微笑んだ。
なんとなく気を遣われた部分に気付いて、顔が熱くなる。

「…じゃあ…入ってこようかな。」
「おう。」

頷くと、トシはテレビへ視線を向けた。
その横顔に、『入ってきちゃダメだよ』とか言おうとしたけど…やめておいた。

余計なことを言うと、逆に入って来そうな気がする。
いや、この状況でそれはないのかな。
二人共お風呂を終えてたらちょっと早すぎて変だし、
もし二人で入ってるところを見られたりなんかしたら、さすがにそれは…

「何やってんだよ、入んねェのか?」
「っ、入るよ!」
「……。」
「………?」
「あー…なるほどな。」
「…なに?『なるほど』って。」
「お前、俺と風呂に入りてェんだろ。」
「っ!?ち、違うよっ、何言ってんの!?考え事してただけ!入ってくる!」

ドタバタと足音を響かせてお風呂場へ向かう。
リビングを出るまで、ずっとトシの笑い声が聞こえていた。



「はぁ〜…、なんか疲れたなー。」

いつもの何倍も早くお風呂を済ませたせいか、妙な焦りのせいか、
はたまた、その原因となる行為のせいか。

「ふぅ、」

髪を乾かしながら、私は細く息を吐いた。
鏡に映る日常は今朝と変わらないのに、私自身が少し違って見える。

「変なとこ…なかったかな。」

変な顔とか変な声とか…私、出てなかったかな。
トシがガッカリするようなこと、してなかったらいいけど…。

「…はぁ、ダメだ。考えないようにしなきゃ顔に出る。」

深呼吸して、ドライヤーを置いた。

「普通に、いつも通りに。」

自分に言い聞かせ、脱衣場を出る。
リビングへ入ると、まだトシだけがソファに座っていた。

「お母さんから連絡あった?」

トシの隣に腰を掛け、テーブルの上を見る。
携帯は雑に放り投げられたままだ。

「いや、まだ連絡ない。」
「総悟お兄ちゃんからも?」
「ああ。」
「そっか、二人とも遅くなってるんだね。」
「一緒に帰ってくるんじゃねェか?アイツ、ああ見えて気を遣える奴だからな。」

フッと笑う。

「素直じゃねーんだよ、ほんと。」

誰に言うわけでもなく、そう口にした。

「仲いいね、トシと総悟お兄ちゃんって。」
「よくねェって。ただの腐れ縁だ。」
「腐れ縁…。」

それはそれで、ちょっと不思議だ。
近くにずっと実の兄がいたのに、
微妙な距離感を保ったまま、上手い具合に会わなかったなんて。

「…もしかして、総悟お兄ちゃんは知ってたのかな。」

知ってて、顔を合わせないようにしていた?

「トシの妹は、自分と血の繋がった本当の妹だって…知ってたのかな。」
「まさか。…それはねェだろ。」
「わかんないよ?名乗りたくても名乗れなかったのかも。」
“お兄ちゃんが二人になると、私が混乱すると思って…”

もっと別に深い意味があるのかもしれないけど、
"ああ見えて気を遣う"というなら余計にその可能性がある。

「どう思う?」
「よく言えたなと思う。」
「…そうだよね。きっと打ち明けるのも色々な覚悟が…」
「違う。俺は、紅涙がよく言えたなと思ったんだよ。」
「え、私?」

コクリと頷く。

「お前、あんなことした後なのに、よく俺を"お兄ちゃん"で、くくれるよな。」
「!?そっそれは……、…そう…だよね…。」

言われて気づいた。
無意識とは言え、私はトシをこれまでと変わらず"お兄ちゃん"として話している。

「まだ俺のことを兄貴だと思ってんのか?」
「そんなことはない…と思う。」
「思うかよ。」
「だって急に完璧に変えるのは難しいよ。今まで十数年間、私の…お兄ちゃんだったんだから。」

…そうだよ、トシはお兄ちゃんなんだ。
お母さんとお父さんと、小さい頃からこの家で一緒に暮らしてきた家族。

今この瞬間も、戸籍上では私の兄。

「……、」

また少し、胸の中で罪悪感が膨らむ。
けれどそれをトシは鼻の先で笑い飛ばした。

「ならこれからは毎日今日のことを思い出して、俺を紅涙の兄から男に昇格させろよ。」
「しょ、昇格って…」
「まァしばらくは嫌でも思い出すだろうけどな、それを見て。」

ニヤニヤして、私をアゴでさした。

「…『それ』?」
「まさか…見てないのかよ。」
「何を?」
「マジか…、…ったく。」

ギシッと音を立て、トシがこちらへ身体を向ける。
両手を伸ばすと、何のためらいもなく私の服を捲り上げた。

「ちょっ、トシ!?」
「ほら、ここ。」
「っ!?」

私の肌を指先で撫でる。

「見てみろ、赤くなってるだろ?」
「っ、ぇ…?」

言われた場所に視線を落とした。
すると脇腹の少し背中側、
自分では見づらいくらいの場所に、赤くうっ血した痕がある。

「これって…」


『見えるとこに付けるのは、俺が帰って来てからな』


「俺が付けた痕。」
「っ…、…そう、…だったんだ。」

また恥しくなってくる。
俯くと、トシが不満げに唸った。

「難しいもんだな、もうちょっと前の方へ付けとけば良かった。」
「そ、そんなことないよ…これで十分」
「紅涙、服持ってろ。」
「え?」

言うや否や、前屈みになって私のそこへ顔を近づける。

「な、やっ、ちょっとトシ!?何する気!?」
「見えづらそうだから、付け直す。」
「ッいい!いらない!首を捻ったら見えるから!」
「わざわざ捻らなくてもいいようにする。」
「っま、待って!こんなとこで…ッぁん」

『ただいま〜』

「「!?」」

玄関から声がする。

「帰ってきた…!」
「母さん一人か?」

『ほら、総くんも。』
『…、…今戻りました。』
『も〜、さっき変な気遣いはナシねって約束したところじゃないの。"ただいま"はやっぱりダメ?』
『いや…別に。…ただ、"今戻りました"が俺の言い方なんで。』
『そうなの?』

そんな会話が微かに聞こえて、

「アイツ、また変な理由つけて照れ隠ししやがったな。」
「だね。あれは私でも分かっちゃったよ。」

私達は顔を見合わせて笑った。
そうこうしてる間に、お母さんと総悟お兄ちゃんがリビングへ入ってくる。

「ただいま〜。はぁぁ重かったわ〜。」

大きな買い物袋を二つ置くと、ドンッと音がした。
続いて入ってきた総悟お兄ちゃんも、重そうな買い物袋を二つ手にしている。

つまり、二人は一緒に買い物へ行ったということだ。
トシの言った通り、総悟お兄ちゃんは気を遣える優しい人柄。

…とは言え、

「ちょっと買い過ぎじゃない?」

さすがに荷物が多すぎる。

「すぐにお父さんも帰ってくるんでしょう?もう作る時間ないのに…」
「大丈夫よ。皆が食べてる間に作って、少しずつ出すから。」
“パパッと下ごしらえしちゃうわ”

お母さんは力こぶを見せ、買い物袋をキッチンへ運んだ。
私も手伝おうと手を伸ばすと、総悟お兄ちゃんがそれを阻む。

「重いから俺がやりまさァ。」
「あ…うん、ありがとう…ございます。」
「ふっ。変な気遣いは必要ありやせんよ。」
「お前が言うなよ。」

後ろからトシが口を挟んだ。

「なーにが『今戻りました』だ。あんなこと言ってるの聞いたことねェよ。」
「そりゃ当たり前でさァ。土方さんの前で言ったことねェんで。つーか、」

片眉を上げ、総悟お兄ちゃんが私を見た。

「紅涙はなんで風呂に入ってるんですかィ?」
「えっ!?あ、あー…」

おもむろに、その視線から目をそらす。
すると、すかさずトシがフォローした。

「皆の帰りが遅くなりそうだったから、先に入ったんだよ。」
「なんで土方さんが答えるんでさァ。」
「俺が入れって言ったから。お前もいるし、早めに入っていかねェと後が詰まるだろ。」

わずらわしそうに言う素振りが真実味を増す。
総悟お兄ちゃんは「ふーん」と興味の薄そうな返事をした。

「まァいいとしまさァ。」

よ、よかった…納得してくれた!

「まだ戸籍上では兄妹だし、何かあるわけありやせんよね。フツーは。」
「「……。」」
「じゃ、俺ァこれを持って行くんで。」

フンと意味深な笑みを残し、総悟お兄ちゃんは買い物袋をキッチンへと運んで行った。

その背中を見送りながら、

「トシ…、あれって、やっぱり気付いてると思う?」
「微妙な感じだな。相変わらずイイ性格してやがる。」

私達は顔を引きつらせ、
始終、変な緊張感をまといながら、夕飯の手伝いに参加することになった。


そして、

「ただいまー。」

それから30分もしないうちに、お父さんが帰ってきた。

「おかえりー。」
「おかえりなさい、あなた。」
「ああ、ただい…、…!」

私達といる総悟お兄ちゃんを見て、小さく息を呑む。
お母さんから聞いていたはずだけど、実際に目にするとまた違うのだろう。

柔らかに頷き、「総悟くん、」と呼んだ。

「ただいま。」
「…おかえりなさい。」

極端に喜びを見せない辺りが、総悟お兄ちゃんへの想いを感じさせる。

新しい存在としてでなく、
自然に、いつもの日常にさり気なく混じり込ませて、

キミも家族なんだよ、って言ってるみたいだった。


「じゃあ食べましょうか。」


お母さんと私が夕飯を運んで、トシがテーブルの上へ並べていく。
お父さんがする他愛ない話は主に総悟お兄ちゃんへ向けられていて、それに時折みんなで口を挟んだ。

賑やかで、温かい。
口元がニヤけてしまいそうなくらい、くすぐったい。
こういうのが毎日続けばいいのにって…思ってしまった。

「あ、これ…。」

総悟お兄ちゃんが激辛ソースを手にして呟く。

「姉さんが好きなやつだ…。」
「あー、お前の姉は辛いもの好きって言ってたな。」
「そうなのかい?僕と一緒じゃないか!」
“いや〜あまり激辛仲間がいないから嬉しいよ!”

お父さんが総悟お兄ちゃんの肩に手を置く。

「いい店があるんだ、今度一緒に食べに行こう!」
「いや、好きなのは姉なんで。」
「総悟くんは食べないのかい?ミツバちゃんを連れて行く前に二人でリサーチとか…」
「俺はそこまで辛味に強くないし…。」
「ああ…、…そうなのか…。」

肩を落とすお父さんに、

「でもまァちょっとくらいなら…大丈夫ですけど。」

総悟お兄ちゃんが照れくさそうに言った。
歩み寄る言葉にお父さんが喜んだのはもちろん、お母さんも嬉しそうにする。

「なら私はミツバちゃんのために激辛メニューを勉強しておこうかしら!」
「それはいい!十四郎も好きだもんな。」
「俺はマヨメニューがいい。」
「何言ってるんだ、子どもの頃は喜んで激辛料理を食べてたじゃないか。キャーキャー言って。」
「アンタが無理やり食べさせるからギャーギャー言ってたんだよ!」
「いやいや、土方さんは辛いものが好きですよ。学食でもよく食ってます。」
「だろ〜?素直じゃないな、十四郎。」
「総悟の嘘に決まってんだろ!紅涙、お前からもなんか言え!」

トシが"俺に味方しろ"と話を振る。
私は「次のパーティーが楽しみだね!」と返した。

「おまっ…、それだと激辛メニューになるだろーが!」
「心配ないよ。辛いものにマヨネーズをかけるとマイルドになるから。」
「コイツらが言う激辛レベルはそんなもんじゃねェの!」
「次はお父さんとトシの"おかえりパーティー"かな?」
「おい、話をそらすな!」
「こら十四郎、少し落ち着きなさい。」
「いやっ、アンタが激辛からがどうとか言うからっ…、…はぁ…もういい。」

トシがマヨネーズを手にする。
目の前にあるサラダにかけると、一瞬でお皿の中がマヨネーズ色になった。

「うげ。」

総悟お兄ちゃんが舌を出す。
その隣では、お父さんがサラダを真っ赤にしていた。

「なんつーか…スゲェ家族。」
「そこにはもちろんキミも含まれてるんだよ、総悟くん。」

お父さんがニコッと笑ってタバスコを差し出す。
総悟お兄ちゃんは「ドレッシング派なんで」とそれを片手で突き返した。

お父さんは残念そうにしながらも、「でもアレだね」と自分のサラダにまたタバスコを振り入れる。

「次が"おかえり"パーティーなら、今は"これからもよろしくパーティー"ってとこかな。」
「そうねぇ、"行ってらっしゃいパーティー"でもあるんじゃない?」

行ってらっしゃい、か…。
そうだよね、次はいつ集まれるかすら未定なんだ。

「…『行ってらっしゃい』はなんか寂しいから、"皆が揃った記念"とかの方がいいな。」
「もう"パーティー"じゃねェのな。」
「そんなこと言うなら、トシは何がいいと思う?」

私の問いかけにトシは少し思案して、

「…家族が増えたよパーティー、とか?」

気恥ずかしそうに言った。
総悟お兄ちゃんが少し驚いた様子で見る。

「土方さん…アンタ…、」
「んだよ、間違ってねェだろ?」
「…間違ってねェけどセンスありやせんね。」
「あァ!?」
「だな。我が息子ながらネーミングセンスが欠片もない…。」

お父さんが、やれやれといった様子で首を振った。

「まァいつもこんな感じでさァ。皆とちょっとズレてて。」
「そうなのかい?その辺りを海外で鍛えられればいいんだが…」
「っるせぇよ!ズレてねぇし!」
「言われると、確かに十四郎君って少し天然なところがあったわねぇ。」
「なっ…、早雨さんまで…」
「私はトシらしくて好きだよ。」
「!?おまっ、すっ好きとかそういうことは簡単に…ッイタ!」

突然トシがテーブルの下へ手を伸ばした。

「あ〜すみません、足が長いんで当たりやした。」
「テメェっ」
「総悟くんならどんな名前のパーティーがいいと思う?」

嬉々としながらお父さんが聞く。

「そうですね、俺なら……」

総悟お兄ちゃんは一呼吸置いて、


「…ありがとうパーティー、かな。」


そう言った。
すごく、すごく小さな声で。
けれどももちろん、皆の耳にはちゃんと届いていて、

「それ採用だな。」

トシが頷く。

「うん、いいと思う。」

私も頷いた。

「じゃあ今日は"ありがとうパーティー"で決定だな!」

お父さんが笑って、

「せっかくだし乾杯しましょうか。」

お母さんがグラスを持った。

始まりの家族と、
これまで一緒に歩んできた家族。
これから先は二つを足した、ほんの少し違うカタチの家族になる。

「それじゃあ、今ここで皆と過ごせることに感謝して…」

次にこうして笑う日がいつになるかは分からない。
けど、

「「かんぱい!」」

また、パーティーしようね。


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