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限られた刻


『ありがとうパーティー』からトシが発つ日までは、本当にあっという間だった。

三年生だから卒業を機に旅立ち…
なんてことならまだもう少し時間があったけど、そういうわけじゃなかったから。

けれど短い間の時間は濃くて、目まぐるしく色んなことが変わった。


まず、家の中。

トシが出たら部屋が空くからと、総悟お兄ちゃんが一緒に住み始めた。
まぁ…一筋縄ではいかなかったけど。

「俺は断固、嫌でさァ。」

"トシが家を出たら"だから、
トシが家を出るまでは、総悟お兄ちゃんとの共同生活になる。
そこがなかなかのネックだった。

「部屋はここしかねェんだ、わがまま言ってんじゃねェ。」
「嫌なもんは嫌でさァ。土方さんはリビングで寝てくだせェ。」
「はァ!?あと数える程度なんだからそれぐらい我慢しろよ!」
「土方さんがリビングで我慢しろィ。」
「ここは元々俺の部屋!普通はお前が我慢するもんだろうが!」
「普通ってなんですかィ?土方さんの普通が皆と同じ普通だという考え方はどうかと――」
「だァァ〜っ、うぜェェ!!」

総悟お兄ちゃんもトシが出発した後にするば良かったんだけど、施設も人が多いらしく、


『大変言いにくいのですが、少しでも退所の予定を早めてもらえればウチも助かります…』


とお願いされたそうだ。

「俺がリビングなんて絶対嫌だからな!」

トシが声を挙げる。

さっきからこの調子だ。
『嫌、無理』『お前が我慢しろ』
どちらかがどこかを拒んで、折り合いがつかない。

「ねぇ、そろそろ真剣に解決方法を考えたら?」

呆れながら私が言うと、

「わかりやした、」

意外にも総悟お兄ちゃんが早々に頷いた。
今までの時間は何だったんだ?というくらいあっさりと。

「土方さんが出て行かねェんなら、俺にも考えがありまさァ。」
「考え?」
「野郎のせいで不眠症になるのは御免ですからねィ。」

自分の荷物の中からアイマスクを取り出す。
すると、唐突に私の手を掴んだ。

「行きやしょう、紅涙。」
「え?」
「土方さんが出て行くまでの間、紅涙の部屋で寝かせてくだせェ。」
「えっ…、ええ!?」

何その考え!

「バカかテメェ!そんなことが許されるわけっ」
「兄妹だから何の問題もありやせんよ。な〜んにも。」

鼻先で笑い、私の手を引いて歩き出す。

「っま、待て総悟!」
「なんですかィ?」
「…わかった、俺の部屋を空けてやるから。」
「土方さんはどこで寝るつもりで?まさか紅涙の部屋で寝るバカじゃねェとは思いやすが。」
「…、…んなことしねェよ。」

トシは盛大に溜め息を吐き、「リビングで寝る」と言った。
総悟お兄ちゃんがフンと笑って私の手を離す。

「それなら仕方ありやせんね。じゃあ土方さんの部屋は今後俺の部屋っつーことで。」

"よろしくー"
後ろ手を振りながら、足取り軽く立ち去った。
バタンと部屋の扉を閉める音が聞こえる。

「早い…。」
「は〜…ったく、まんまと乗せられたな。」

トシは前髪を掴み、二度目の溜め息を吐いた。

「父さんと寝るのはゴメンだし、やっぱリビングで寝るしかねェか…。」

困るその横顔を見ていると、先程の総悟お兄ちゃんの声が頭によぎる。


『まさか紅涙の部屋で寝るバカじゃねェとは思いやすが』


総悟お兄ちゃんはああ言ったけど、
寝るくらいなら平気…だと思うんだよね。
べ、べつにヤマシイ気持ちとかないし…。

「……、…。」

言っていいかな…?大胆すぎる?
でもトシは困ってるし……、…いっか。

「…トシ、」
「ん?」
「…私の部屋で…、…寝る?」

恐る恐る、声にした。
トシは驚いた様子で何度か瞬きする。

「紅涙…、」
「ベッドは狭いけど、それでも良かったら――」
「いや…、いい。」

弱く笑い、首を振った。

「さすがに気になるだろ?親の目が。」
「…大丈夫だよ、部屋がないっていう理由もあるし。」
「ダメだ。」
「……。」

そこまで強く拒まなくても…。
不貞腐れた私を見て、トシが小さく笑う。

「ちゃんと言いたいんだよ、俺は。」

慰めるように、頭をポンポンと優しく叩いた。

「離れる前にお前とのことをちゃんと言いたいから、ややこしいことはやめておこう。」
「トシ…、」

締め付けられる想いと一緒に、
いつまでも付きまとう寂しい想い。

見ないように、
呑み込むように…、私は、

「うん…、」

静かに頷いた。


少しでも二人の時間を長くするため、私達は学校で会う頻度を増やした。
昼休みはもちろん、短い休み時間も可能な限り教室を出る。

会う場所は国語準備室。
坂田先生が『使っていい』と言ってくれたおかげ。


『最近忙しくてあんま準備室にいねェから、伝達役に丁度いいわ』
“けど誰が来るか分かんねェし、くれぐれも部屋でヤバいことすんなよ”


…そんなの、言われなくてもしないし。

ちなみに、屋上は現在閉鎖中だ。
原因は当然あの時のサボり。
私達が犯人だとバレてないのだけが救いだった。

「失礼しまーす。」

今日も授業と授業の合間にある短い休み時間に、国語準備室へ向かう。
到着するまでで既に3分はロスするけど、仕方ない。

「遅かったな。」

トシはいつも私より先にいて、

「私の教室はここから遠いの。」
「知ってる。」

薄い笑みを浮かべて、煙草を片手に私を待っている。

「そんな堂々と吸って…。」

生徒とは思えない態度だ。
誰か来たらどうやって言い訳するつもりなんだろう…。

「ここは元から煙草臭いから助かるな。」
「知らないよ?停学とか退学になって、海外に行けなくなっても。」

…私はその方が嬉しいけど。

「たとえ処分を受けたとしても、海外行きがなくなることはねェよ。」
「どうして?」
「ここの学校から向こうの学校に転入するわけじゃないから。」
“一から受験して入るから、些細な素行は関係ない”

…なんだ、そっか。
ちょっと残念…なんて思うと性格悪いかな。

「それよりも紅涙、」
「なに?」
「おかえり。」
「……、」

これは、私達の新しい習慣。
頻繁に二人で会うようになってから始まった。
言い出したのはトシだ。

「…ただいま。」

私はなぜかいつも照れくさくて、小声で返す。
トシはそんな私を見て、満足そうに煙草を吸った。

「…ねぇトシ。次の時間、サボらない?」
「なんで。」
「もうちょっと…一緒にいたいなって…」
「ダメだ。」

…なんとなくだけど、ダメと言われることが多くなった気がする。

私、そんなにガッツいてるのかな。

「…前まではいっぱいサボってたくせに。」
「前は前。今はサボらない。」
「なんで?」
「なんでも。」

そんな話をしていると予鈴が鳴った。
あーあ、つまんない休み時間になっちゃったな…。

「早く行けよ。」
「まだ予鈴だもん。」
「教室に戻ってるうちに鳴るぞ、本鈴。」
「……。」

私は黙って立ち上がり、スカートを整えた。

「怒ってんのか?」

煙草を灰皿に軽く打ちながら私の顔を窺う。

「…べつに。」

あからさまだけど、その言葉しか返せなかった。
そんな私に、トシはいつだって余裕の笑みを見せる。

かなわなくて…悔しい。

「…トシも帰りなよ。早く煙草消して。」
「これ吸い終わったら戻る。」
「……。」
「んな顔すんな、ちゃんと戻るって。」

またトシが笑う。 
私はやっぱりムッとして、

「じゃあね。」

顔をそむけるように背を向けた。
すると、

「紅涙、」

振り返る前に、手首を思いっきり引っ張られる。

「っな――」

何?と問うまでに、唇に熱を感じた。
同時に煙たい味が口から鼻へと抜けていく。

「っ…ん、…にがい。」

離れた唇に言えば、トシがニヤりと笑って「大人の味だ」と言った。

「トシだって大人じゃないくせに。」
「うるせェよ。じゃあ後でな。」

私の手を離し、軽く片手を挙げる。

「…次は来ないかもよ。」
「ああ?」
「友達に用があるって言われてるの。だから、次の休憩時間は来れないかも。」

本当はそんな予定なんてない。
でも少しくらいトシが寂しがればいいと思った。
いつも、私ばかりだから。

…けど、

「そうか、」
「……。」
「それなら仕方ねェな。」

私が何か言ったところでトシは動じたりしない。
トシはトシだ。

だから私も、
こんなに素直じゃなくて、不貞腐れたりしても、
結局また、休憩時間に国語準備室へやって来てしまう。

そしてトシは変わらず「おかえり」と私に微笑むんだ。

「…ただいま。」

短い時間でも、やっぱり私はトシといたい。
トシがいなくなるその日まで、私達は息が掛かりそうなほど傍にいた。


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