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最後の夜


そしてとうとう出発日の前日。

『前日なんだから皆で盛大に外食をしましょう!』

とお母さんが提案して、
『何度パーティーっぽいことをするつもりなんだ』と笑いながらも、私達は皆で出掛けた。

その夕飯を済ませた帰り道。

「おい十四郎〜、いつの間にそんなに大きくなったんだ?父さんより大きくなるなんて、なんと親不孝な…」
「理不尽なこと言ってんじゃねェよ、この酔っ払い!」

どれだけ笑っても、
何度パーティーをしても、
不思議なことに、寂しさが薄れることはなくて。

日が立つにつれ、
"出発する"ということに慣れるんだろうと思っていたのに…
近付く時間にドキドキして、どんどん心の底から楽しめなくなっていた。

だからといって、当然そんなことは顔に出さないけど、

こうして皆と歩いている今も、
一歩ずつ…寂しが増して……

「明日はよく晴れそうね。」

お母さんが夜空を見ながらそう言った言葉にも、悲しくなった。

「いい日に発てそうでツイてるよ。飛行機も揺れずに済む。」

お母さんの隣でお父さんも空を見上げた。
総悟お兄ちゃんも、トシも足を止めて、皆で夜空を見る。

「ほんと…、いい天気になりそうだね。」

いつもより、星が多いように見えた。
いつもより瞬き、輝いているような気がした。

…もしかすると、
ただ単に、私の眼に涙が張り付いているだけのような気もするけど。

「総悟君はもう新しい生活に慣れたのかい?」

静かな夜に、お父さんの声が響く。
総悟お兄ちゃんは、少し視線をさ迷わせて、

「はい、まァ…ボチボチ。」

照れくさそうに頷いた。

「ははは、そうかそうか。」
「…飯がウマいです、母さんの。」
「ああ、僕も同感だ。特に唐揚げは世界で一番おいしいと思うよ。もう出たかい?」
「まだです。」
「そうか、なら明日にでも作ってもらうといい。」
"頼んだよ、母さん"

お父さんの視線に、お母さんが「ええ」と微笑む。

「総くんのために腕によりをかけて、たくさん作っちゃうわ!」
「あ、うん…。でも、量は程々でいいから。」
「そんなこと言わないの。口を開けたら唐揚げが出てきそうなくらい食べさせてあげるわよ。」
「いや、それもう虐待だから。」
「やだもう総くんてば!愛よ、愛。」
「総悟くん、何かあったら連絡しなさい。」
「わかりました。」
「も〜っ、何よ二人して!」

お父さんとお母さんの間で総悟お兄ちゃんが小さく笑う。
私とトシは少し後ろで、その微笑ましい光景を見守っていた。

「上手くやっていけそうだな。」
「うん、私もそう思う。」

総悟お兄ちゃんの背を見ながら頷く。
その時、手に温もりを感じた。

「…トシ、」

見れば、手を繋がれている。

「マズいんじゃない?気付かれちゃうよ。」
「構やしねェよ。」

キュッと私の手を握り締める。

「あと少ししかねェんだから…もういい。」
「…、…うん。」

この夜が明ける頃、トシは日本を発つ。
家に着けば、玄関先にあるお父さんとトシの荷物が明日を待っている。

「もうすぐ…なんだね。」
「……。」

明日なんて、なくなっちゃえばいいいのに。
ずっと、今が続けばいいのに。

「……来い、紅涙。」

急にトシが私の手を引いて足を速めた。

「え、ちょ、なに?」

黙々と歩く。

「ト、トシ?ね、ちょっと」
「父さん、…母さん。」
「トシ!?」

あろうことか、手を繋いだままお父さんとお母さんに声を掛けた。

「どうした、十四郎。」

まだ手元を知らない皆は、不思議そうに振り返る。
でも総悟お兄ちゃんだけはすぐに気付き、二ヤッと笑った。

「あら?あなた達、手なんて繋いでどうしたの。」

気付かれた…!
って、この距離じゃすぐに分かるか…。

「なんだ十四郎、まさか今さら『行きたくない』とか言うつもりじゃないだろうな。」
「ふふふ、素敵な送迎会をし過ぎちゃったせいかしら。」
「行ってくれねェと俺が困りまさァ。部屋がなくなる。」

お父さんが総悟お兄ちゃんの言葉に、「確かにそうだな」と笑う。
いつまなら何か言い返しそうなものだけど、トシは真剣な顔つきで固く口を結んでいた。

もしかして…言うつもりなの?私達のこと。

トシの顔を窺う。
視線に気付いたトシが私を見て、ギュッと手に力を込めた。

…言うんだ。
……、
わかった…、一緒に伝えよう。

「二人に…言っておきたいことがあるんだ。」

私達のことを理解してもらえるかは分からないけど…
言わなきゃ何も始まらないから。

私もトシの手をギュッと握る。
トシは私に微笑み、深く息を吸って…口にした。


「俺、紅涙が好きなんだ。」


胸がドクンと大きく鳴る。

「兄妹としてじゃなく、一人の人間として…好きだ。」
「十四郎…、」

お父さんが目を見開き、お母さんは口元に手を当てた。
驚く仕草に、少し…いたたまれなくなる。

ほんの僅かな静寂が、すごく長く感じた。

「紅涙は…どうなの?」

お母さんが沈黙を破る。

「紅涙は十四郎君のことを…、どう思ってるの?」
「私は…、…、」

私が好きなのは、他の誰でもないトシだ。
だからここを二人で乗り越えなきゃ、未来も何もない。

「私も…、トシのことが好きだよ。」
「紅涙…、」
「ごめん…お母さん。でも好きなの。私なりに色々考えたけど…やっぱり私にはトシだけだった。」

うつむくと、繋ぐ手に力がこもる。

「父さん、母さん、驚かせてごめん。でもこのまま黙って行きたくなかったんだ。」
「「……、」」
「俺が次にここへ戻ってくる時は、紅涙を迎えに来る時だと思ってる。」

しっかりと告げるトシの気持ちに、胸が跳ねた。

「今すぐに理解してくれなんて言わない。けど、俺達のことを知っててほしかった。…ごめん。」

頭を下げる。
私も隣で頭を下げた。

「……ふぅ、」

静かな住宅街に細く吐く息が聞こえる。
お父さんのものか、お母さんのものかは分からなかった。

「…そうか。」

お父さんが言う。

「顔を上げなさい、二人とも。」

促されて、ゆっくりと顔を上げた。
視界に入るお父さんの顔は、困ったような笑顔で、

「明日には籍も抜けるし、今となっては謝ることじゃないさ。」
「父さん…、」

予想外にも責められなかった。

「何となく予感はしていたんだ。いつか、どちらかが…主に十四郎が言ってくるんじゃないかってな。」
“まァまさか二人で言ってくるとは思わなかったが”

予感って…

「私達のどちらかが好きになると思ってたの…?」
「そうよ。あなた達は本当に仲が良過ぎたから。」
「「……、」」

トシと顔を見合わせる。

「俺の気持ちに気付かなかったのは、やっぱお前くらいだな。」
「そ、そうみたいだね…。」
「十四郎君が告白したの?」
「はい。一度振られましたけど。」
「まぁ!そんなこともあったのね…。」

お母さんが何とも言えない顔をする。
私は「ごめん…」と目を伏せた。

「悪いことじゃないのよ?好きな気持ちには色んな形があるのに、お互い同じものを感じたなんて凄いわ。」

「けれどね」と続ける。

「その気持ちは、総くんがいないと分かってもらえなかったかもしれない。」
「……、」
「二人の気持ちだけで乗り越えるには、あまりにも苦しくて難しい現実があるのよ。」
「わかってます。」

トシがしっかりと頷いた。

「アイツがいたから変わったことは、俺の中でも結構あったので。」

総悟お兄ちゃんを見る。
当の本人は携帯を触っていたらしく、
視線に気付いて顔を上げると「俺に感謝しろィ」と言った。

「……ありがとな、総悟。」
「!…聞こえやせんでした、もう一回。」
「嘘つけ!話し終えてから『聞こえてない』っつっただろうが!」
「今度はちゃんと撮りまさァ。ほら、言え。」
「絶対言わねェ!」
「ねぇ十四朗君、」
「っ、あ、はい。」 

お母さんの声に、トシが姿勢を正す。

「これから先、向こうで色んな人と出会って、中には魅力的な人もいるかもしれないわ。」
「……。」
「紅涙もそれを理解しておきなさい。十四郎君の人生なんだから、縛りつけたりしないように。」
「…、…はい。」
「俺は大丈夫です、紅涙しか興味ないんで。」
「っト、トシ…」
「あらあら、随分と紅涙に惚れこんでくれたのね。」

くすくすと笑うお母さんに、トシは恥ずかし気もなく「はい」と頷いた。

「わかったわ。じゃあ、もし本当に今と気持ちが変わらなければ、その時は約束通り、紅涙を迎えに来てあげて。」
「!」
「幸せにしてあげてね、この子を。」

お母さん…。

「俺達のこと…認めてくれるんですか?」
「認めてるわよ、聞いた時から。ね、あなた。」
「ああ。お前達を誰よりも知っている父さん達が反対するわけないだろう?」
「っ…、」

優しい言葉に胸が詰まる。

「ありがとう、父さん、母さん…っ。」

トシの声も、少し震えていた。

「うーん…こういう時は"早雨さん"の方がしっくりくるわよね。」
「っあ、すみません…。」
「ふふっ、嘘よ。呼び名なんて何でもいいもの。」

お母さんがイジワルに笑う。

「紅涙、良かったわね。十四朗君みたいなステキな人が傍にいて。」
「うん…。」

頷くと、繋ぐ手に力が増した。
見上げて、目が合って、微笑み合う。

「恥ずかしい野郎でさァ。」
「悪かったな。」
「総悟君は知っていたのかい?」
「はい、知ってました。」

お父さんに返事をしつつも、総悟お兄ちゃんはまだ携帯を触っている。

「お前、さっきから何してんだよ。」
「皆にリアルタイム報告でさァ。」
「はァ!?」

携帯をこちらに向ける。
画面は暗闇に光り、眩しくてよく見えない。
それでも長い文書や、途中途中で『(笑)』みたいなものが何となく分かった。

「総悟っ!テメェェェっ!!」
「いいじゃねェですか。ほら、写メも送りますぜ。」
「ちょ、やめろってマジで…」

―――カシャッ

「ばっ、止めろっつってんのに!」
「うわ、土方さん半目。ブッ細工〜。」
「テメェェっ!消せ!今すぐ消しやがれ!!」
「おい十四郎!静かにしなさい!夜分に近所迷惑だろうが!!」
「あなたもうるさいわ。」
「うっ…す、すまない。」

星の綺麗な夜に、
今の今まで静かだった夜道が、笑い声に溢れて。

「じゃあこれから僕と母さんは戸籍上の家族を終わらせてくるよ。嬉しいか?十四郎。」
「もっと他の言い方ねェのかよ!罪悪感あるわ!」

お父さんもお母さんも、
総悟お兄ちゃんも、トシも。

みんな一緒で、みんな楽しそうな夜。
それが、星の綺麗な、出発日前日の夜だった。


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