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誓い事・血の味


俺がまだ小学生の頃、

「十四郎、お前に妹が出来るかもしれないぞ。」

父さんが随分と嬉しそうに言ってきた。
なんでも、好きな人には俺より2つ年下の子供がいるらしい。

「今度お前にも会わせるよ。」
「…別にいい。」
「そう言うな。可愛らしい子なんだ、きっと気に入るぞ。」

早雨さんと初めて会ったのは飯屋だった。
いつもより堅苦しい服を着せられて挨拶したのを覚えてる。

「はじめまして、十四郎君。」
「…はじめまして。父がお世話になってます。」
「まぁ!とてもしっかりしてるのね。紅涙とは大違いだわ。」
“ほら、紅涙もご挨拶にしなさい”

背中を押され、前に出てくる。
早雨さんの服を握ったまま、上目遣いに俺を見た。

「…はじめまして。とう…、…?」
「“十四郎”。」
「とうしろ君…。」
「トシでいいよ。俺も、紅涙って呼ぶ。」
「…うん!」
「!」

パッと明るくなった紅涙の笑顔は、
なんというか、破壊的な威力を持っていて、

「どうだ、十四郎。可愛い子だろう?」
「っるせェ!」

俺が守らなきゃって、思った。


その後、父さん達は無事に結婚。
早雨さんは俺の母さんになって、紅涙は妹になった。

「トシ、待って!」
「待ってるから急ぐなよ。」

紅涙は俺の後をついて回った。
どこへ行くのも、何をするのも一緒。

「私、ずっとトシといる!」

可愛くて、愛おしくて、何よりも大切な存在。

いつの間にか、それは特別な感情なんだと気付いた。
妹としてじゃなく一人の存在として、
俺は、アイツのことをずっと見ていた。

だからこそ中学の頃、
紅涙に好きなヤツの相談をされた時は、気が狂いそうになったのを覚えている。

「…そうか。」

なんとか自分を抑えつけて話を聞いて、相槌くらいしか出来なかった。
口を開けば、自分の気持ちが漏れてしまいそうだったから。

「告白してみようかなって思うの。」
「ああ…そうだな。」

これは俺がどうこう出来る問題じゃない。
兄として、紅涙を応援しなければいけない。

…なら兄として、どういう男か見定めるくらいはいいよな。

「そいつ、何組なんだ?」
「C組だよ。どうして?」
「いや…聞いただけ。」

次の日、

「お前か。」

紅涙の言っていた男を見に行った。

「ひ、土方先輩、俺に何か用っすか?」
「用はねェ。確認に来ただけだから気にすんな。」
「かか確認って何の…っあ、もしかして金すっか!?」

慌てた様子でポケットを探る。
…なんだ、コイツ。

「まさか俺がカツアゲしに来たとでも思ってんのか。」
「ちっ違いますよ!この前、紅涙に100円借りたままになってて…」
「…紅涙、だと?」
「はい。…え、返すか確認に来たんじゃないんですか?」
「俺はテメェのツラを確認に来ただけだ。それを何だァ?金を借りて返してなかった上に『紅涙』だと…?」

アイツ、なんでこんな男に惚れたんだ。
こいつのどこがいいんだ。

「お前が紅涙を呼び捨てにしてんじゃねェェ!」
「ヒィィッ!!!」

それから数日後、
俺が原因なのかは分からないが、紅涙が失恋した。

「うぅっ、トシぃぃ…」

泣いて報告する姿に罪悪感が湧く。
でもそれ以上に、愛しさが膨らんで、

「紅涙…。」

気がつけば、紅涙を抱き締めていた。

「え、えっと…」
「…、…悪ィ。」

その場は何とか凌いだが、いつかこの気持ちにも限界が来る。

そんなことは分かっていた。
でも俺は、紅涙への気持ちを捨てられなかった。

叶うものなら想い合いたい。
そんなの、一生叶わない。
そんなことも、俺は分かっていた。

だからこそ、
次に紅涙から好きな男がいると相談された時は、応援してやろうと思った。

兄として傍で見守ればいい。
ずっと紅涙の傍にいられるなら、それでいい。

そう…思ってたはずなのに。


「早雨。」


あの男が…担任の銀八が、
紅涙を呼んだ直後から、

「お…お兄ちゃん。」
「はァ?」

紅涙が変なことを言うようになって。
友達と飯食うって、嘘ついてまでアイツに会ってて。

あからさまに、俺と距離を取ろうとしてることがわかった。

「なんでだよ…。」

紅涙が銀八の背中を追いかける。

「なんで…アイツと一緒にいたんだよ。」
「十四郎君、どうしたの?」

隣から黒川が顔を覗きこんでくる。

「紅涙ちゃんに用事があったの?」
「…別に。」

あの二人、そこまで仲が良かったのか?
知らなかった。


『お兄ちゃんなのに、私…トシのことを全然知らないから』


ああ…
俺も、お前のことを知った気でいただけだった。
まさか…『好きなヤツがいるか』と聞いてきたのも、銀八と関連してたのか?

「よりのもよって銀八が…」
「あの二人、最近よく一緒にいるんだって。」
「…あァ?」
「友達が言ってたの。付き合ってるんじゃないかってウワサも少しあって…」
「ンなわけねェだろ!」

苛立つ感情のまま言葉を浴びせる。
黒川は目を丸くして、「ごめん」と言った。

「いや…俺の方こそ悪い。」
「ううん。十四郎君、紅涙ちゃんのことが心配なんでしょう?」
「…ああ。」
「大丈夫だよ。坂田先生って、この学校で一番のキレ者らしいし。」
“これも友達の情報なんだけどね”

俺が思うに、そっちのウワサは当たってる。

銀八は、その辺の教師とは違う。
ボーっとしてるあの眼の奥は鋭く、何を考えているか分からない。

『お前の妹、可愛いね。多串君と全然似てない。』
『当たり前だろ。血は繋がってねェんだから。』
『そういう意味じゃなくてさ、素直で可愛いっつってんのよ先生は。』
“彼氏いないの?”

きっと、ろくなヤツじゃない。
だから紅涙と関わらせたくなかったのに。

「……。」
「あ…あのね、十四郎君。」

なんで、あんな親しげなんだよ。

「私、朝弁を作ろうと思うんだけど…どうかな?」
「……。」
「十四郎君?」

紅涙…、
俺は、お前が幸せになるなら応援したいと思う。

でもアイツだけはダメだ。
アイツだけは…


「アイツだけは許さねェ。」


俺の足かせは、容易に外れた。

「ッ…っやだ…っん、ぅ」

このキスで、10年近く我慢してきた全てが無駄になる。

それだけじゃない。
これから先の未来、俺は紅涙の傍にいられなくなる。

わかっていても、やめられなかった。
俺はそれほどまで、紅涙を求めていたんだと気付いた。

気付いた時には、

「紅涙…」

お前はもう、出て行っちまってたけど。


「十四郎君、何かあったの?」

階段を下りると、すぐに母さんが駆け寄ってきた。

「おかえりなさい、早雨さん。」
「え、ええ…ただいま。」

俺は未だに母さんを“早雨さん”と呼んでいた。
紅涙と話す時は“母さん”と言えるのに、本人を前にすると呼べない。

認めてないわけじゃないけど、どうしても言いづらい。
そのギコちなさを、たぶん母さんも気付いている。

「その、紅涙が友達のところへ行ったみたいなんだけど…何か知らない?」

…そうか、友達のところへ行ったのか。
なら、安心だな。

「さァ…俺は何も聞いてませんよ。」
「そう…まぁ大丈夫よね。」

さすがに本当のことを言えなくて、俺は母さんから目を逸らした。

「ちょっと散歩して来ます。」
「遅くならないようにね。」
「はい。」

外に出ると、夏の夜風が俺を通り過ぎる。
ポケットの中から煙草を取り出し、火を点けた。

「ふぅ…。」

煙が昇る。
星の瞬く空を見て、懐かしいことを思い出した。


『トシは私とケッコンしてくれる?』


「…してやるよ。」

お前が望むなら、望むままに言ってやる。
あの頃も今も、俺は何も変わらない。

幼いながらも、妹と結婚できないのは知っていたし、
いつか俺の傍から紅涙がいなくなることも分かっていた。

けど、夢を見ることは自由だから、
俺は分かってて、誓ったんだ。


紅涙が家を飛び出した日、
結局、紅涙は家へ帰って来なかった。

『友達の家に泊まる』と母さんに連絡があったらしい。

“友達”
なぜかそれを聞いて、銀八が思い浮かぶ。

「…ありえねェだろ。」

紅涙は友達の家に泊まるんだ。
あんな男と一緒なわけ…ねェよな。


翌朝。

「おはよう、十四郎君!」

朝練へ向かって歩いていると、黒川が駆け寄ってきた。

「…おはよ。」
「あれ?今日はなんだか暗いね。」
「うるせェ。」

手であしらう。
ここ最近、妙に絡んできて正直疲れる。

悪いヤツじゃないんだが、な。

「あっ、そうだ。これ、十四郎君に。」

黒川が小さな手提げカバンを差し出した。

「何。」
「お弁当作ってきたの。朝練の後に食べてもらおうと思って…」
「弁当?そんなの頼んでねェけど。」
「う、うん。でも昨日聞いた時に、ちゃんと返事を貰えなかったから。」
「聞かれた覚えもねェんだけど。」
「言ったよ?十四郎君が紅涙ちゃんのことを心配してた時。」
「あー…」

なんか言ってた気がする。
この状況で『いらねェ』とは言えないな。

「…サンキュ。」
「うん!」

どう見ても女物の手提げを受け取る。

よし、朝練が終わったら速攻食おう。
総悟達に見つからないようにしねェと、冷やかしてくるに決まってる。

「ちゃんと十四郎君の好きなマヨネーズもいっぱい使ったよ。」
“エビマヨ、ハンバーグ…あ、卵焼きにも”

“マヨネーズ”?

「…おい、黒川。」
「なぁに?」

なんで、

「なんでお前、俺がマヨネーズ好きだって知ってんだよ。」

黒川に言ったことはない。
部員の前でだって話したこともないはずだ。

なのに、どうして知ってる?

「紅涙ちゃんに聞いたの。」
「いつ。」
「昨日の夜だよ。偶然会って…、あ!」

ハッとした様子で口元に手を当てる。

「あのさ、十四郎君。」
「…ンだよ。」
「紅涙ちゃんって…彼氏いる?」
「はァ?いねェよ。」

たぶん…な。
俺の知らないところで男がいてもおかしくねェけど、

「…いねェよ、彼氏なんて。」

そう思いたい自分を守るように、もう一度否定した。

「そっか。じゃぁ…あれは人違いだったのかなぁ。」
“紅涙ちゃんにすごく似てたんだけど"

…やめろ、そういう言い方。
気になるだろ。

聞きたくねェのに。
アイツのことなら気になっちまうだろーが。

「…何だよ、何見たんだよ。」
「実は昨日、紅涙ちゃんに似た人が男の人と手を繋いで歩いてたんだけど…」

男と…手を?

「その男の人がね、……その…、」
「なんだ。勿体ぶんな。」

頼む…。
頼むから、アイツの名前だけは…、

あの男の名前だけは口にしないでくれ。

「坂田先生…だったの。」
「っ!!」

胸が鳴る。
血の気が引く。

「紅涙が…銀八と……、ッ、」

ガリッと音が鳴り、咥内に血の味が回った。
どうやら唇を噛み締めすぎたらしい。

「十四郎君!?唇から血がっ」
「触んな。」

黒川の手を払いのける。

昨日のこと、紅涙に聞かねェと。
いや、先に銀八に聞こう。
場合によっては、停学になってもアイツを…

「十四郎君、」
「…あァ?」

うるせェな。

そう思いながら睨みつける。
けれど黒川は怯む様子もなく、やんわりと微笑んだ。

「私ね、撮ったの。」
「何を。」
「写メ。」

携帯を見せる。

「ここに、紅涙ちゃんと坂田先生の写メがあるよ。」
“見たい?”

それが意味することを、
この瞬間の俺は、まだ何も分かっていなかった。


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