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迷い道・あの女


「本当に紅涙ちゃんだったのか、十四郎君の目で確認できるよ。」

通学路の真ん中で、黒川は俺の前に携帯をぶらつかせた。
その携帯の中には昨夜の写メが入っているらしい。

紅涙と銀八の、手を繋ぐ様子が。

「どうする?見る?」
「……、」

見たくねェ。
けど、自分の目で見ないと信じられない気がする。

「…見せろ。」
「十四郎君なら、そう言ってくれると思ってた。」

黒川がにっこりと微笑んだ。
携帯を操作すると、ディスプレイを俺に向ける。

「これだよ。」

夜に撮られた写メは、暗くてよく見えない。
黒川の携帯を掴もうとすれば、サッとかわされた。

「ごめんね、消されると困るから。」
「はァ?」
「だってこれ、十四郎君にとっては消したい写メでしょ?」
「…どういう意味だ。」
「さぁ?どっちの意味だろう。」

小首を傾げる。

「紅涙ちゃんが嫌いな先生と一緒にいるなんて現実を“なかったこと”にしたいから、なのかな?それとも…」

…コイツ、

「学生と教師のウワサなんて出たら、停学…ううん、退学になるかもしれないからかな?」

コイツ、最悪だ。

「…適当なこと言ってんじゃねェ。」
「そうでもないよ。学校って、こういう話が保護者の耳に入るとビックリするくらい早く罰するから。」

くすくす笑う。

「もし私がお喋りさんだったら、大変だね。」
「…何が望みだ。」
「ふふっ、さすがは十四郎君。物分かりがいいなぁ。」

黒川が手を伸ばす。
その手は俺の腕に巻き付いた。

「離れろ。」
「私の望みを聞いてくれるんならダメ。」
「……だったら、さっきの写メをちゃんと見てからだ。」

一体何をさせたいのかは知らないが、
俺を使いたいがために黒川が嘘をついている可能性もある。

「あれを見てから、お前の条件を飲むか決める。」
「いいよ?」

俺の目の前に携帯を出す。
今度はちゃんと見えた。

新線駅と書かれたロータリーを背に、
紛れもなく銀八と、紅涙に似た女が…いや、

「…紅涙だ。」

紅涙が、手を繋いで歩いている。

…なんで。
どうして…ッ、

「こんな奴といるんだよ…!」

偶然だとは考えられない。
銀八の交通手段が原付なのは有名な話だ。

状況からして、
家を飛び出した紅涙が、銀八を呼び出したとするのが…自然。

「っ…、」
「手のかかる妹を持つと、お兄ちゃんは苦労するね。」
「…、…どうしたらこれを消してくれるんだ。」
「付き合ってくれればいいよ。」
「付き合う…?」

黒川は俺の腕に寄り添い、見上げて頷いた。

「十四郎君が私の彼氏になってくれたら消してもいい。」
「…ハッ。馬鹿言ってんじゃねェよ。」
「本気だよ。紅涙ちゃんを守りたかったら、私と付き合って。」
「……。」

…もし、
もし黒川に、紅涙と銀八の関係を言い触らされたとして。

本当にアイツらが付き合っているなら、
銀八は飛ばされるか、懲戒免職。
紅涙は停学…もしくは退学になる。

付き合ってなかったとしても、
話が広まるだけで、周囲から興味の視線に晒され、居場所はなくなるだろう。

つまりどちらにしても、黒川次第で紅涙の今後が変わるということだ。

「くそっ…!」

お前を守る方法が、他に思い浮かばない。

「それって、私と付き合ってくれるってこと?」
「ッ…、」

苛立ちと歯がゆさに唇を噛む。
再び血の味が咥内に広がった。

「ああもう、十四郎君。唇を噛んじゃダメだってば。」

そう言って、
黒川は通学路の真ん中で。

チュッ…

「!」

俺に、キスをした。

「十四郎君の血の味がする。」

この…女…ッ、我慢ならねェェ!!

「テメェいい加減にっ」
「お兄…ちゃん?」
「!?」

後ろから聞こえた声に振り返る。
そこには、口元を押さえて唖然とする紅涙がいた。

「紅涙、なんでこんな朝早くに…」
「二人はやっぱり、…付き合ってたんだ…。」
「違っ――」
「昨日から付き合うことになったの。ね?十四郎君。」

黒川は俺の腕を強く抱き、もう一度「ね?」と首を傾げる。
返事をしろと、その目が言った。

「…、…ああ。」
「そう…だったんだ。」
「紅涙ちゃん知らなかったの?十四郎君から聞いてないんだね、仲が良いのに。」
「っ…。」

紅涙が目を伏せる。

「黒川…テメェ、よくそんなことを」
「十四郎君、ひどい。彼女に“テメェ”だなんて。」

『彼女』

「…ッ。」

何もできない。
こんなつまんねェことで、手足を縛られたみたいに無力だ。

…くそっ!

「紅涙…、」
「……。」

お前は今、何を考えてる?
俺は…お前のことだけを考えてる。

だから…

「そんな顔…すんなよ。」
「っ、…」

そんな泣きそうな顔するな。
これも全て、お前の傍にいるためなんだ。

俺は傍にいる。
だから、紅涙が悲しむことなんてない。

「紅涙…」

足を踏み出した――その時。


「おはよ、早雨。」


紅涙の後ろから手が伸び、

「朝っぱらからおニイちゃんにイジメられてんのか?」
“かわいそうに”

紅涙の目元を、手で覆った。

「銀…八…」
「え、…先生?」
「悪ィな、びっくりした?」
「テ…メェッ、紅涙に触んじゃねェェ!!」
「おいおい土方君。先生に向かって“テメェ”はないでしょ。」
「っるせェェ!!!」
「そもそも誰のせいでこうなってんだよ。」
“なァ?早雨”

銀八が紅涙の頭を引き寄せる。
あろうことか、髪にまでキスをして。

「!」
「っ先生!何やって…」
「ごめんな、紅涙。でも、アイツに分からさねェと。」

コイツ…
今、紅涙って…

「土方。彼女が出来たなら、一言くらい妹にも言ってやれ。」
「……。」
「お前ら、これまで仲の良い兄妹だったんだろ?急に突き放すとか最低だろ。」

落ち着け…
落ち着け、俺。

「それともアレか。彼女が出来たから、もう妹はいらねェのか。」
「っ…黙れ…」
「黙んねェよ。昨日お前がコイツにしたことを謝るまでな。」
「ッ!」
「せ、先生!」

…なんで、知ってんだよ。

「紅涙を悲しませてるのはお前だ、土方。」

なんで名前で呼んで、朝から一緒にいるんだよ。

「いいか、今後は変なちょっかい出すんじゃねーぞ。」
「…黙れ……」
「次に紅涙に手ェ出したら、」

なんで…

「俺が許さねェからな。」

なんでテメェが彼氏面してんだよ!

「黙れって…っ、言ってんだろォが!」

俺は固く握りしめた拳を、銀八に向かって振り上げた。

けど、

「やめて!」

紅涙が止める。

「先生を殴らないで、…お兄ちゃん。」
「っ…」

“お兄ちゃん”も、銀八を庇う言葉も、もう聞き飽きたんだ。

「俺はお前を想って…」
「私は大丈夫だよ。先生が…いるから。」
「っ…」
「お兄ちゃんがいなくても…大丈夫だから。」
「…紅涙…」

紅涙が銀八に振り返る。
銀八は紅涙の頭を撫で、「行くか」と言った。

「待…てよ、まだ話は――」
「終わっただろ。これ以上、紅涙に何を言わせてェんだ?」
「くっ…、」
「朝練、遅れんぞ。早く行け。」

銀八と紅涙が歩いて行く。
俺の横を通り過ぎて、学校へと歩いて行く。

「なんだよ…これ。」

どうしてこんなことになってるんだ。
どこで狂った?

俺と紅涙はいつも一緒で、かけがえのない存在だった。

そのはずが…、……。
…ああ、そうか。

俺が壊したんだ。
俺がお前を求めたから…壊れたんだった。

「紅涙…」
「その名前。」

腕にしがみつく黒川が、微笑みを浮かべて言う。

「その名前、二度と私の前で口にしないで。」

…紅涙、

「約束、してくれるよね?十四郎君。」

もし…もし俺が、
お前を普通の妹として見ていれば…
あんな風に、悲しませずに済んだんだよな。

お前につらい思いをさせているのは、
俺の我が侭な気持ちのせい…なんだよな?

それなら俺は…、

「…ああ、わかった。」

お前を、諦めるしかないんだろうな。


その後、
全く身の入らない朝練を終えて教室へ行くと、

「いつの間に女なんて作ったんですかィ?」

待ち兼ねた様子の総悟に声を掛けられた。

「……。」
「ありゃ?浮かねェ顔でさァ。」
「うるせェよ。」

机の横にカバンを掛け、腕を組んで背もたれに身体を預ける。

「まさかもうケンカしたんですかィ?朝から路チューしてたのに。」
「っ、テメ…、…見てたのか。」
「あんな通学路のド真ん中でされちゃァ嫌でも目につきまさァ。」
“ま、見たのは朝練に来た奴くらいでしょうけど”

総悟が肩をすくめる。

「…なんでお前はそんな時間に登校してたんだよ。朝練なんてねェだろ。」
「俺は近藤さんに付き合って…とと。これ以上は言えやせん。」
「はァ?なんだそれ。」
「口止めされてるんで。」

どうせ近藤さんのことだ、
クラスメートの志村妙に関する何かだろう。

「あんま行き過ぎないように注意してやれよ。」
「へいへい。…ところで土方さん。」
「あァ?」
「土方さんの妹の名前、何でしたっけ。」
「…紅涙。」

朝の光景を思い出し、モヤッとしたものが胸に広がる。


『お兄ちゃんがいなくても…大丈夫だから』


あれは結構こたえたな…。

「……はァ。」

ぼんやり考えながら、総悟に視線を向ける。

「……。」
「…なんだよ、じっと見やがって気持ち悪ィな。」
「全然似てやせんね、紅涙と。」
「馴れ馴れしく呼び捨てすんな。あと、血は一滴も繋がってねェから似てねーんだよ。」

飽きるほどしてきた説明を総悟に告げる。
つか、コイツにもしなかったか?

「土方さんは知らなかったんですかィ?」
「何を。」
「銀八と紅涙が付き合ってること。」
「っ!お前、どこでそれを…」
「朝の状況を見て思っただけですぜ。ありゃ普通じゃねーなって。」
「ああ…なんだ、そうか。」

広まってるわけじゃないんだな。

「やっぱり付き合ってるんですかィ?あの二人。」
「…知らねェよ。」
「その辺りは確認してねェんですか。」
「ああ。」

…なんだコイツ、
いやに細かく聞いてくるな。

「紅涙に聞いて、ハッキリさせてくだせェ。」
「ンでだよ。知りてェならテメェで聞け。」
「こういうのは土方さんの役割でさァ。」
「…俺が口を挟むことじゃねェよ。」
「そりゃねーや。今まで散々、口を挟んできたシスコンのくせに。」

『シスコン』
…それで済めば、ここまでならなかったんだろうな。

「……。」
「あらら。妹のスキャンダルに意気消沈ですかィ?」
「…うるせェ。」
「こうなりゃ俺も、紅涙を狙わせてもらいやしょうかね。」
「はァ?お前、何言って…」
「実のところ目ェ付けてたんですよ。気付きやせんでしたか、“お兄ちゃん”?」

『お兄…ちゃん?』

「っ…、」
「アイツと付き合ってるか分かんねェなら、まだチャンスはありまさァ。」
「……総悟、」
「ああ、たとえ付き合ってても奪やいいか。」
「…いい加減にしろ、総悟。」

睨みつける俺に、総悟は薄い笑みを浮かべて言った。

「まァ既に紅涙は食われてるだろうから、その辺りは諦めるしかありやせんね。」
「っ、テメェ!!」

胸倉を掴んで立ち上がる。
椅子が派手に音を鳴らして転がり、周囲の注目を集めた。

「土方さん、アンタ一体何に怒ってるんですかィ?」

…うるさい。

「俺に?それとも銀八に?」
「総悟…それ以上喋んな。」
「あ、わかった。兄という殻が邪魔で歯がゆくて、何もできない自分自身だ。」
「っ、黙れっつってんだろォが!!」

右の拳を振り上げる。
教室に、女子の悲鳴が響いた。


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