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想う人



「な…んで……」

なんで…ルウさんが?
立ちすくむ私を、土方さんが追い抜いた。

「怪我してるのか!?」

土方さんの言う通り、彼女の腕には真新しい傷がある。

二の腕辺りの着物が裂け、血が滲む。
押さえていた手も真っ赤だ。

でも…どうして?
辻斬りはルウさんじゃないの…?

「急に…知らない男の人に斬りつけられて…。」

彼女は声を震わせ、

「それで私…叫んで…っ、そうしたら…慌てた様子でこれを…落として行って…、」

何かを引き寄せた。
地面を擦る音が聞こえ、街灯の僅かな明かりに照らし出されたのは、

黒い笠。

「!」

あれは紛れもなく、辻斬りの笠。

「う、そ……、」

どういうつもりで出た言葉なのか、自分でも分からなかった。
ただ、目の前の光景を信じられない。

だって…、
だって辻斬りかもしれない人が証拠を出す?

その笠から何かバレるかもしれないのに、
その笠のせいで、少なからず注目されてしまうのに。

もしあの傷が自分でつけた偽りの傷だとするなら、被害者として名乗り出るだけで十分だ。
こんな風に、あえてリスクを負うような笠を出す必要はない。

「わ、たし、すごく…怖くて…」
「もう大丈夫だ。」

つまり彼女は純粋に被害者……ってこと?

「やはり辻斬りの犯行か…。」

土方さんが呟く。

「こんなの辻斬りじゃねェですぜ。ただの女を標的にしてんですから。」
「総悟、言葉をつつしめ。」
「ああすいやせん。悪気はねェんで。」
「いえ…、気になさらないでください。…あの、辻斬りって…?」
「今この辺りに出没してる変質者でさァ。腕の辺りを重点的に狙うとか何とか。」
「…一致してるな。」

土方さんがルウさんの腕を取った。

「いっ…」

ルウさんは傷みに顔を歪める。

「悪い。…ちょっと我慢してくれ。」

土方さんは首元の白いスカーフを抜き取り、引き裂いた。
オロオロする彼女の腕に、黙々と巻き付けて結ぶ。

「これで出血は止まる。だが応急処置だ、今すぐ病院に行ってくれ。」
「で、でもこの時間だともう病院は…」
「救急で入ればいい。今山崎を呼ぶから。」

土方さんが携帯を取り出し、電話を掛け始めた。

「…おい、紅涙。」

後ろから小声で声を掛けてきたのは坂田さんだ。

「はい、」
「見ろよ、アイツの表情。」

ルウさんの方を顎でさす。

彼女は弱く眉を寄せ、目線を下げていた。
悲しそうな、不安そうな表情は、被害者なら当前だろう。

「…あの表情に何か?」
「山崎を呼ばれてガッカリしてるように見えねェか?どうせ土方が送ってくれるとでも思ってたんだろうよ。」

…どう、かな。
よく分からなくなってきた。

「……考え過ぎじゃないですか?怪しんでるから…そんな風に見えるんですよ。」
「なんだ、信じてねェのか?俺の犯人説。」
「ちゃんと見たわけじゃありませんから…」
「なら服を思い出してみろ。」
「服?」
「アイツ、何色の服着てる?」

ルウさんを見る。
紺色の布地に、橙色の可愛らしい帯が結んであった。

「お前が襲われた時の辻斬りは何色の服だったっけ?」
「黒っぽい色…ですけど。」
「アイツの着物は紺色だ。暗いとこで見れば黒に見える。」
「……でも、帯が違いますから。」

これは断言できる。
辻斬りはあんな可愛らしい帯なんて付けてなかった。

「あの色の帯なら、さすがの私でも目につきます。」
「それが狙いだ。あえて分かりやすいことをして、犯行前後に違いを出す。」
“帯なんか、あとで結び換えればいいだけのお手軽な変装道具じゃねーか”

…一理ある。
一理あるけど、わざわざ着付け直したってこと?
被害者として私たちの前へ出てくるために?

「そんな手間をかけてまで…私を殺そうと?」

まだ…信じられない。

「事前に標的を定めてるんだから、仕留めるためなら手間でも何でも掛けるさ。」
「……、」
「アイツであろうとなかろうと、辻斬りは一度失敗してんだろ?」
「…はい。」
「だったらお前の時は二度目ってことだ。より慎重に、より計画的に動こうとするのが心理。」
“遂げられなかったのは予想外だろうが、遂げた後の準備も怠らないはずだ”

…そうかもしれない。
容疑者であれば、坂田さんの言う通りだ。

「でも…、」

それでも、彼女がしたとは…

「あの女が犯人だと困るのか?」
「え…?」

『困る』?

「俺からすると、紅涙は『ルウが犯人じゃない』って擁護したいように見えるんだけど。」
「そっそういうわけでは…ありませんよ。ただ、偏った捉え方はよくないなと思っているだけで…」
「ならとりあえず俺の見解も頭に置いておけ。」

坂田さんはルウさんの方を見ながら、

「どっちの状況も頭に置いて、自分の目で真実を見りゃいいさ。判断するのはその後だ。」

そう言った。

「…はい。」
「事前に土方の耳に入れれば、探れることもあるかもしれねェ。使えるもんは何でも使え?」
“既に人に危害が加わってる事件なんだからな”

…だよね。
やっぱり、土方さんにも言わなきゃダメか…。

「な〜に二人でコソコソ話してんですかィ?」
「沖田さん…」
「妙に距離が近くなってやせんか?最近の旦那と紅涙。」
「そ、そんなことは…、」
「おうおう、ドS王子がヤキモチか〜?」
「ドS天パのせいでヤキモチでさァ。」
「な、なんだよ…やけに素直だな。つーか俺のSは“ド”が付かない方だから。女子受けするSだから。」
「興味ありやせん。」
「お前に言ってねェよ!俺は紅涙に言ってんの!」
「紅涙も興味ないって言ってまさァ。」
「まだ言ってねェだろ!?」

「おいテメェら!!」

「「「!!」」」

土方さんの怒声に心臓が跳ねる。

「ぺちゃくちゃ喋ってる暇があるなら現場の遺留品でも探しやがれ!」
「なら、先にそこの女に聴取しろよ。じゃねーと何も分かんねェだろ。」
「…聴取しなくても捜すくらいは出来るだろォが。テメェは黙ってその辺を見て回れ。」

そ、それはいくらなんでも…

「おい待てよ、なんで聴取しねェわけ?」

坂田さんが問う。
土方さんは「それは…」と何か言おうとしたけど、口を閉じた。

「……、……はぁ。」

浅い溜め息を吐き出す。
私達の方を見て、

「今はコイツを一刻も早く病院へ行かせたいんだ。聴取は明日に回す。」

そんなことを言った。

「…随分と優しい気遣いだこって。」

呆れた口調で坂田さんが言う。
私も…正直驚いた。

これまでの土方さんは、そういう人じゃない。
被害者がどんな怪我をしていても、口が利ける限りは聴取を取る。
なんなら治療中の病院先にまで聴取を取りに行かせるような人だった。

それが、『明日に回す』だなんて…。

「しっかし偶然にしちゃ出来過ぎた話でさァねィ。」

沖田さんが頭の後ろに手を組んだ。

「こんなところで『偶然』にも土方さんの知り合いが襲われるなんて、俺ァ違和感しかありやせんが。」

意味深な言葉にドキッとする。
まさか、沖田さんも何かに気付いてる…?

「…総悟、言いたいことがあるならはっきり言え。」
「ルウさん、でしたっけ?失礼ですが、どの辺りにお住まいで?」
「隣町…ですけど。」

隣町?
確か……


『隣町の警察。被害者の住所が隣町だからな』


河原で坂田さん達が見つけた女性も隣町だった。
偶然…だよね?

「隣町の人間が、“偶然”江戸に来て“偶然”襲われるなんて、ちょっと出来過ぎた話じゃありやせんか?」
「…“偶然”以外に何があるっつーんだよ。」
「必然。」
「「!」」

やっぱり…!

「必然だァ?」
「そうでさァ。」

沖田さんが頷く。

「ルウさんは、狙われるべくして狙われた。」

…あれ?

「土方コノヤローと関係するが故に狙われた。そうは思いやせんか?」

そ、そっちなんだ…。

「…つまり、俺に恨みを持ってるヤツがコイツを狙ったと?」
「そういうことでさァ。土方さんが屯所で大人しくしてりゃァ誰も怪我することはなかった、ってことじゃねェかと。」
「……。」

沖田さんの言葉に、土方さんが眉を寄せる。
そんなピリッとする空気を、

「っ違います!!」

ルウさんが引き裂いた。

「十四郎さんのせいじゃありません!」
「ルウ……、」
「だから…だから十四郎さんを責めないでください。十四郎さんは悪くありません。」

皆の注目を浴びる中、ルウさんが必死に伝える。
その様子は健気で、誰も責める気がなくなるようなものだった。

あくまで、彼女を怪しむ心がなければだけど。

「……じゃあ、」

だから私は、

「どうして…ですか?」

口を挟んだ。

「どうして隣町に住んでるルウさんが、こんな時間に…こんなところに居たんですか?」

私の問いに、ルウさんが少し驚いたような顔をする。
隣に立っていた坂田さんは「だよなァ」と頷いた。

「俺も不思議だわ、駅も近くにないこんな住宅街にいたなんてよ。」
「……。」
「…ルウさん、何をしてたんですか?」
「……、…。」

口を閉じ、うつむく。
その様子に、本当に彼女が私を襲ったんだと思った。

が、

「…言いたく、なかったんですけど…、」

ポツりポツりと話し始めたことは、

「十四郎さんに、これを買って…渡したくて。」

私が予想していた答えではなかった。
手下げバッグからルウさんが何かを取り出す。

「それは……」
「マヨネーズ…煎餅?」

土方さんが目を瞬かせる。
それもそのはずだ。
彼女が持っているのは、私達が買い損ねた、あのマヨ煎餅。

「十四郎さんが忙しいと仰ってたので、これで頑張ってもらえればと…差し入れに。」
“そうしたら、こんな事件に巻き込まれてしまって…”

言葉を詰まらせ、また目を潤ませる。
坂田さんは気に留めることなく、「いやいや」と半ば笑いながら言った。

「煎餅は真選組の屯所に届けるつもりだったんだろ?」
「はい…。」
「屯所までの道のりでアンタがここにいるのは、どう考えてもおかしいから。」
「お煎餅屋さんが住宅街の中にあるんです。そこから少し道に迷ってしまって…。」
「こんな時間まで?ありえねェだろ、普通は誰かに聞くよな。」
「ちょ、坂田さん!」

さすがに責めすぎです!

「紅涙はちょっと黙ってろ。」
「でもっ」
「どうなんだ、ルウさんよォ。なんでこんな時間に歩き回ってんだァ?」
「わ、私がお店に入ったのは閉店間際でしたから…、お煎餅を買うとこんな時間に…」
「だから遅くなりすぎだっつってんの。」
「そ、そう言われましても……」
「おい、坂田。」
「あァ?」
「お前の口振り、何か引っ掛かるな。」

土方さんが坂田さんを睨みつけた。
坂田さんは肩をすくめ、「歯に物が詰まってるんでね」と言う。

「どういう意味だ。」
「そこはご想像にお任せします。…じゃあ俺は帰りますんで〜。」
「ええ!?」
「っおい!」
「さっ、坂田さん!?」

立ち去る後ろ姿を追い駆ける。
それでも足を止めようとしないので、坂田さんの袖を引っ張った。

「ちょっと待ってくださいってば!」
「何だよ、用は済んだだろ?」
「あれだけ空気を濁しておいて何言ってるんですか…。」
「よく言うぜ。俺は紅涙が言い出しやすいようにお膳立てしてやったの。」
「お膳立てって…」
「ああして言っておけば、土方も引っ掛かって、あとでお前に聞いてくるだろ?」

…つまりそれは、

「そうでもしないと…私が土方さんに言わないって思ってるんですか?」
「ああ、言わない。お前は言えねェよ。」
「……。」

きっと、その通りになる。
言おうとして、言えないのがオチ。

「気持ちは分かる。だが、疑いを伝えたところで何か変わると決まったわけじゃねェんだぞ?」

…わかってる。

「何もないならそれで済む話だろォが。」

…わかってる。
どんな状況になろうと、言わなきゃいけないことなんだと思う。

けど、出来れば避けたい。

可能な限り、
本当に確信が持てるギリギリの瞬間まで…言わなくてもいいんじゃないかと思う。

「伏せるなら、伏せることが本当にアイツのためになるのか考えてからにしろ。」
「!」

土方さんの…ため。

「何も紅涙が犯罪者を審判するわけじゃねェんだから、恐れずお前が正しいと思う道を歩めばいいんだ。」

土方さんのために、私が思う…正しい道。

「頑張れよ、参謀。」

私の肩をポンと叩き、坂田さんは夜の住宅街に消えた。

「……、」

もし…私が土方さんの立場なら……

「…紅涙。」
「!!」

心臓が跳ねる。
振り返ると、険しい顔をした――

「沖田…さん……、」

沖田さんが立っていた。

「今の話、詳しく聞かせてもらえやすか。」

…聞かれてたんだ。

「……、」

あまり広めるのは気が進まない。
けれど彼なら、先に聞いておいてもらってもいいかもしれない。

ただ、ここではマズい。

「…帰ってからでもいいですか?」
「構いやせんよ。」
「……ありがとうございます。」

小さく頭を下げる。
顔を上げると、沖田さん越しに土方さんの姿が見えた。

二人の会話が風に乗って、私の耳まで届く。

「十四郎さん、返って仕事を増やしてしまって…ごめんなさい。」
「いい。気にすんな。こっちこそ、俺のせいで事件に巻き込んじまったようなもんで…」
「そ、そんなことありません!私が勝手に来たから…私が悪いんです。」
「いや俺が…」
「いえ私がっ…」
「フッ、これじゃあラチが明かねェな。」

土方さんが笑うと、ルウさんは頬を染めて微笑んだ。

「不謹慎かもしれませんけど…、」
「なんだ?」
「十四郎さんと、会えて良かった。」
「ルウ…、……。」

何もなければ、穏やな二人。
何かがあれば、壊れるかもしれない関係。

「……っ、」

いろんな想いが押し寄せて、胸が痛んだ。
そこに少しずつ、黒いものが広がっていくような気がする。

「…沖田さん、」
「なんでさァ。」
「煎餅屋の場所、知ってますか?」
「…足跡、取りに行かせやすか?あの女が買いに来たかどうか。」
「……お願いします。」



それからしばらくして、

「遅くなりました〜!」

土方さんに呼ばれた山崎さんが、息を切らして走ってきた。
ここから正反対のエリアにいたらしく、額には薄らと汗がにじんでいる。

「コイツを大江戸病院まで頼む。」
「わかりました。…というか、副長が行けばよかったんじゃないですか?」
「あァ?この後も忙しい俺に協力したくねェって文句言ってんのか。」
「めめめ滅相もございません!喜んでお連れ致します!」
“ささ、どうぞこちらです〜”

山崎さんに案内され、ルウさんが足を進める。
彼女はやんわり振り返って、土方さんに頭を下げた。

「お仕事、頑張ってくださいね。」
「ありがとな。あと、これも。」

煎餅を見せる。
ルウさんは嬉しそうに頬を緩ませて頷いた。

「行きましょうか。」
「はい。」

山崎さんと共に私の横を通る。
その時も彼女は、土方さんに向けた笑顔と同じものを私に向け、頭を下げた。

「……、」

私を襲った人が、あんな顔をするだろうか…。

「紅涙、俺達も帰りやしょう。」
「…はい。」

分からない。
分からないけど、…なかったことには出来ない。

……はぁ、気が重いな。
ひとまず屯所に戻ってから考えをまとめよう。


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