17
思い遣り
結局あの後も私は深夜2時過ぎまで副長室で資料を作成。
部屋を出る頃には、あんな言い合いをしたなんて遠い昔に思えるくらいに疲れていた。
「ねむい…。」
朝を迎えても、頭はボーっとして覚めないまま。
「珍しい顔してやすね。」
廊下で会った沖田さんが「おはよ」と挨拶する。
アイマスクを額に置いてアクビする様子は、私と大して変わらない。
「沖田さんも同じような顔してますよ。」
「俺ァどっかの部屋から言い争う声が聞こえたせいで寝不足でさァ。」
「!…へ、へぇ〜誰でしょうね。」
「どっかの副長と、どっかの参謀。」
じっとり見られて、思わず目をそらす。
「そんなに…うるさかったですか?」
「まァ何事かと思って、副長室前に隊士が集まるくらいにはね。」
「!!」
知らなかった…。
「追い返しときやしたんで、内容まで聞いた奴はいやせんよ。」
「あ、ありがとうございます…。」
「俺を除いては、だけど。」
だよね…。
「…どのくらい聞きました?」
「野郎が紅涙を分かってなくて、あの女をしょっぴきたくなるくらいには。」
ほとんど把握してる…。
「でも最後が聞けやせんでした。どうすることになったんですかィ?」
「…それは」
「あ。」
沖田さんが口を開けたまま、私の後ろを指さす。
「ウワサをすれば、土方さんですぜ。」
「っ!!」
妙な緊張が身体を駆け抜けた。
背後に足音が近付いてくる。
「おはようごぜェます、土方さん。」
「はよ。紅涙も。」
低い声に振り返った。
「…お、おはようございます。」
言葉が詰まる。
目を合わることも出来ない。
「……、」
「……。」
あれだけぶつかった後だ。
やっぱり、いつも通りとはいかない…。
「…総悟、これから朝礼だぞ。アイマスク置いてこい。」
「そりゃ出来やせんね。なにせ寝不足なんで。」
「寝不足?」
「昨日、言い争う声が聞こえて目が覚めちまったんでさァ。」
「!」
沖田さんゥゥ!?
あえて掘り下げるようなこと言わないでもらえますゥゥゥ!?
「…随分と早くに寝てたんだな。」
土方さんはそれほど顔色を変えず、沖田さんのアイマスクを斜め上に引っ張った。
「何するんで――」
「眠いんなら寝てこい。今日だけは許してやる。」
引っ張っていた手を放す。
アイマスクは沖田さんの瞼付近でバチンと音を立てた。
「イッタァァア!目に入ったァァ!」
「っせーな、入ってねェだろ。」
「入ったし!当事者にしか分かんねェし!!」
沖田さんは「痛い痛い」と言いながら、広間の方へ歩いて行く。
広間はこれから朝礼する場所だ。
なんだかんだ言って、二度寝はしないらしい。
…って、あれ?
ちょっと待って…。
沖田さんがいなくなると、土方さんと二人きりになるんじゃ…?
「……、」
視線だけで、そっと窺う。
しっかり土方さんと目が合った。
「!!」
「……。」
き、気まずい。
沖田さんを追いかけようかな…。
「あ…の、えーっと……、……。」
「……連絡ついた。」
「え?」
「昨日の件、ルウから返事が来た。」
「!…もう連絡したんですか。」
「遅くなったら意味がないだろ。」
それでも…早い。
普段から仕事を後回しにする人じゃないけど、ルウさんのこととなると、より迅速な気がする。
「…どういう風に伝えたんですか?」
「『住み込みの女中が不足してるから、しばらく手を貸してくれ』って。」
「それで…彼女は?」
「『喜んで』ってよ。」
…想定内だ。
「朝礼が済み次第、俺が迎えに行ってくるから。」
えっ、
「迎えに!?というか今日からですか!?」
「言っただろォが。遅くなったら意味が――」
「わ、わかりました。」
二度目の言葉を遮り、止める。
いくら早くと言っても、まさか半日も立たない内に来るとは思ってなかった。
「隊士には報告しないつもりだ。『ただの女中』だからな。」
「…そうですね。」
彼女はここでどんな動きをするんだろう。
まだ犯人と決まったわけじゃないけど、警戒しておくに越したことはない。
さすがに屯所の中でまで私を襲うようなことはないだろうけど……
「……紅涙。」
「はい?」
「昨日は…、…悪かったな。副長として、あるまじき言動だった。」
土方さん……。
「それでも、俺はまだルウが犯人だとは思えない。」
「……わかってます。」
昨日の今日で、急に変わらないのは当たり前だ。
新たな事件が起きたわけでも、裏付ける証拠を提出したわけでもないんだから。
「だが俺は紅涙と反発し合うつもりはない。だから…何かあった時は言ってほしい。」
“もう昨日みたいに、突っぱねるような言い方はしねェから”
そう言って、土方さんは困ったような顔で笑った。
「部下の状況を把握できねェのは、上司として寂しいからよ。」
「土方さん…。」
「そういうことだから、よろしくな。」
片手を軽く上げ、広間の方へと歩いて行く。
「……。」
なんとなくだけど、
参謀になってから、土方さんが自分の心情を話してくれるようになった気がする。
私に役職がない時は、弱音として受け取られるような発言なんて絶対にしなかった。
これって、私を認めてくれてる証…?
「だったら……嬉しいな。」
どんな形でもいい。
そこに僅かでも『特別』があるのなら、私は幸せだ。
「では本日の朝礼を始める。」
土方さんが宣言すると、隊士全員で「おはようございます!」と声を張る。
前に座る近藤さんは「おはよう」と返し、何かに目を落とした。
これから配る資料だ。
「本日の巡回もこれまで同様、江戸全体を常時警戒態勢とする。だが新たに『聞き込み』も行ってもらいたい。」
土方さんの言葉に、隊士がザワつく。
「マジかよ〜、まだ仕事増えるとかナイわァ…。」
「『聞き込み』って辻斬りの件すか〜?」
「いや別件だ。行方不明者の捜索。」
「行方不明?もう手がねェのに勘弁してほしィ〜。」
「わかってる。だからこれまでの業務と並行して、お前達には取り組んでもらう。」
“詳しくは今から配る資料を見てくれ”
先頭の隊士に書類が渡され、全員の手元に行き届く。
「名前はキリノアオ。性別、男。前日までの状況から見ると、望んで行方をくらました類ではなく、事件に巻き込まれた可能性が高い。」
添付写真の爽やかな笑顔に背景が見えない。
大事に至らず見つけられればいいが、もう行方不明になって2週間以上。
何らかの事件に巻き込まれたとみて間違いないのだろう。
「これまで巡回はペアで行っていたが、今後は1人が聞き込み、1人が警戒。役割分担して巡回に当たってもらう。」
その説明の最中、近藤さんが胸ポケットに手を入れながら席を立った。
電話?
「副長ォ、じゃあこれからは個人行動ってことでいいんすか〜?」
「いや、2人1組なのは変わらねェ。巡回経路も変わらん。若干、内容が変わっただけだ。」
土方さんの説明に「どういうこと?」と隊士達が首を捻る。
黙って聞いていた沖田さんが、「だから」と言った。
「今まで通り巡回しながら、行方不明者の聞き込みもすりゃいいんだよ。」
「あ〜なるほど!」
「さすがは沖田隊長!簡潔で分かりやすいっす!」
「……。」
土方さんが頬を引きつらせる。
「…まァいい。」
溜め息を吐き、
「昨夜の辻斬りが昼間に出る可能性もある。常に警戒を怠らず、万時に備えること。いいな?」
「「「はい!」」」
朝礼を終えた。
広間を出て行く隊士と入れ替わるように、近藤さんが戻ってくる。
「トシ、紅涙君、ちょっといいか。」
「なんだ?」
「どうかしたんですか?」
「今しがた、とっつぁんから連絡があった。」
「まさかまた来る気か?」
土方さんが顔をしかめる。
けれど近藤さんは「いや、」と首を振った。
「昨日の遺体の件だ。司法解剖の結果から、正式に『殺人』と断定された。」
「「!」」
松平長官の娘、栗子さんの同級生で、なぜか身体の中に小腸が見つからなかった女性。
「なにか発見したのか?」
「新たに背中に1つの傷口が見つかったらしい。やはりこちらも縫合されていたそうだが、上手くはないとのこと。」
縫合…。
『上手くない』という点が、気味の悪さを感じる。
「他に外傷は?」
「両足首に縛られていたような跡があったそうだ。」
「足首?手はないのか。」
「ああ。足だけらしい。」
「妙だな…。」
通常、拘束するなら手を優先する。
自由に動かされると不都合が生じやすいからだ。
拘束されていたことに変わりはないだろうけど…なぜ手だけなんだろう。
「その他の外傷は?」
「ない。」
「防御創とか、なかったんですか?」
「ないそうだ。おそらく背中の傷は、不意をついて後ろから一突きってとこだろう。」
“小腸も刺された後に摘出されたと見ているらしい"
なんのために…。
そんな思いしか浮かばない。
近藤さんは「さらにな、」と続けた。
「一番タチが悪いのは、被害者が小腸を摘出された後もしばらく生かされてたってことだ。」
「えっ…」
「どういうことだよ…。」
「外見の腐敗はほとんど進んでいないが、中の腐敗は酷かったらしくてな。おおよそ、適切な処置をしないまま縫い合わせて放置したんだろう。」
そんな…。
「つまり、被害者は中の臓器から壊死して死に至った…そういうことか。」
「ああ。」
「ひどい…。」
痛かっただろう、苦しかっただろう。
「なんて…残酷な……。」
これまでになく、卑劣な殺人。
「一体どんな人物が……」
「行方不明になってるキリノの仕業かもしれんな。」
近藤さんが手元の資料に目を落とす。
…なくはない。
それも一つの可能性だ。
「だがそれならもっと早くに姿を隠すはずだろ。」
「早く?」
「キリノが消えたのは、被害者が行方不明になったとされる日から2週間後だ。行方をくらますなら、もっと早くに逃げる。」
そっか…。
「じゃあ残る可能性は全くの別件か、もう被害者になってるか…ですね。」
「だな。」
「俺が思いついた『無理心中』の可能性は――」
「ねェよ。」
土方さんの短い返答に、近藤さんがシュンとする。
「そうだよなァ…、小腸を取り出す意図が分からんし。」
「殺人犯がわざわざ縫合する理由も分からねェ。」
「何かと矛盾が多いですね…。」
三人で、うーんと唸る。
「まァ行方不明となるタイミングから考えると、キリノさんは被害者として考える方が有力だろうが」
――ピピッピピッ
「っと、悪い。」
土方さんが懐から携帯を取り出した。
「もうこんな時間か。じゃあ迎えに行ってくるから。」
「え…」
まさかもう…
「ルウさん、ですか?」
「ああ。」
「わ、わざわざ行かなくても…」
「アイツは方向音痴だからな。また疑わしい行動を起こされても困る。だろ?」
そう言って私を見る土方さんの視線に、居心地の悪さを感じる。
近藤さんが「何それ」と首を傾げた。
「『疑わしい行動』って何。どういうの?」
「それは…、…。」
ルウさんの疑惑は、近藤さんにも伝えるべき内容だ。
でもこれからしばらく一緒に住むわけだし、変に近藤さんが警戒するようになっても困る。
「…その、……、」
なんて言おう…。
「ルウさんが……」
「近藤さーん。ちょっといいですかィ?」
先ほど広間を出て行ったはずの沖田さんが戻ってきた。
「どうした、総悟。」
「姉御が来てやすぜ。」
「え!?うそ、なんで!?何の用!?そんなの初めなんだけど!お妙さァァァん!!」
すかさず近藤さんが満面の笑みで駆けて行く。
それを見ながら、土方さんは沖田さんに冷たい視線を向けた。
「いい加減、お前のタイミングの良さも疑わしいな。」
「俺ァ偶然じゃありやせんよ。壁に耳あり障子に目あり、紅涙の傍に総悟ありってね。」
「それただのストーカー!近藤さんと変わんねェじゃねーか!」
怒鳴る土方さんに、沖田さんが肩をすくめる。
「仕方ねェことでさァ。これも紅涙のヒーローになるため。」
「なんだよそれ。紅涙が頼んだのか?」
怪訝な目に、慌てて首を横に振った。
「たっ、頼んでません!でも…今のは助かりました。」
沖田さんに「ありがとうございます」と頭を下げる。
「ルウさんのこと、近藤さんにどう話せばいいか困ってたので…。」
「あの手の話を広め過ぎるのはよくありやせんよ。上司の一人は把握してるし、伏せておいても問題ねェかと。」
「ですよね。私も――」
「ちょっと待てよ。」
土方さんがまた一段と眉間の皺を深めた。
「なんで総悟がこの話を知ってるんだ?」
「さっきも言ったと思いやすが、俺ァ昨夜、誰かさん達の声に起こされたもんで。」
「その時に盗み聞きしたってのか。最低だな。」
「そりゃひでェ言い方でさァ。勝手に脱いでセクハラだって言ってるのと変わりやせんぜ。」
「……。」
「……。」
二人が睨み合う。
私は「じゃ、じゃあ」と声を挙げた。
「そろそろ土方さんはお迎えに行ってください。沖田さんは巡回へ、私はお妙さんに挨拶を――」
「姉御は来てやせんよ。」
「……へ?」
『来てない』って…
「でもさっき『来てる』って。」
「あれは『来たら喜ぶだろうな〜』っていう俺の想像をシミュレーションしただけでさァ。」
「そ、それじゃあ近藤さんは…」
「今頃泣いてるかもしれやせんね。」
「ったく…、そんな残酷なことすんなよ。ついでに言ってくるわ。」
土方さんが広間を出て行く。
私の隣からは、うんざりしたような溜め息が聞こえた。
「しっかし、まさかあの女を連れ込むことになるとはねィ。呆れまさァ。」
「…仕方ないんです、こうするしか。」
彼女の疑いを肯定するのも、否定するのも。
こうなった以上、ハッキリした証拠がないと判断できない。
「ここに住んでもらうのが…一番いいんですよ。」
「まァそうかもしれやせんが、見たところ一筋縄でいかねェ女だ。くれぐれも悪化させねーでくだせェよ。」
「悪化?」
「ココの傷。」
自分の胸をトントンと指す。
「色々と目にするはずですぜ。野郎と女の。」
「…だとしても、悪化なんてしませんよ。そもそも傷なんて…ありませんし。」
「そりゃ残念。ま、絆創膏が必要な時はいつでも言ってくだせェ。」
沖田さんはフンと鼻先で笑い、
「傷口はいつでも癒してやりますぜ。」
そう言い残して去って行った。
「……ほんとドSな人。」
私が見たくない部分を目の前に引っ張り出す天才。
それを目の前に置いて見せつけ、私に知らしめる天才。
でも、
「簡単には…傷つきませんよ。」
今回は覚悟が出来ている。
嫌だけど……覚悟はしてる。
「これも、土方さんのため……。」
そう思うだけで、どんなことにも立ち向かえる気がした。
そして、
「今日から女中として働くことになりました、フミモチ ルウです。」
可愛らしい柄の手荷物と共に、彼女は屯所へやって来た。
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