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黒い影


切りつけられた被害者と、不審者に声を掛けられた被害者が同じ?

それも…二人とも?

「そんな偶然ありえます?」
「ねェだろ。少なくとも俺が生きてきた中にはない。」

これって…どういうことなんだろう。
指フェチの犯人が、今度は切りつけ魔になったってこと?

近藤さんが言ってた通り、見るだけで済まなくなった…とか?

でも同じ人を狙うなんてリスクが高すぎるよね。
既に警戒されてるのは目に見えてるし、別の人を狙う方が手堅く……

…ああ違う、そもそも同一犯とは限らないんだ。
でもこんな偶然、同一犯以外が引き起こせるとは思えないけど。

「それにしても意味が分かりやせんね。」

沖田さんが小首を傾げる。
「ですよね」と返すと、「紅涙も思ってやしたか」と浅く頷いた。

「俺なら、昔に最低な振り方をした相手と再会する方がマシでさァ。」

…え、何の話?


『被害者と知り合いですかィ?昔、最低な振り方した相手とか』
『違ェよ。ただその方がまだマシかもしれねェな』


…ああ!

「そっち!?」
「どっちですかィ?」
「い、いえ、どうぞ続けてください。」
「おいコラ。呑気にコントしてんじゃねーよ。」

土方さんは重い溜め息を吐き、「あのな、」と続けた。

「被害者が同じっつーことは、真選組の対応不足ってことなんだぞ?とっつぁんの耳に入ったらどうなるか…」
「副長は大変ですねィ。」
「いやお前も連帯責任だから。」
「はァ?土方さん一人の問題ですぜ。そもそも副長は隊士代表で謝る役目でさァ。」
「おまっ、その言い方はおかしいだろ!そもそも一番隊隊長のくせに……」

二人は小競り合いしつつも、被害者の元へ足を進める。
その会話に、「あの」と割り込んだ。

「責任は、私が取りますから。」
「…え?」

土方さんがキョトンとした顔で立ち止まった。

「お前は…関係ねェだろ。」
「参謀としての責任があります。」
「不審者の段階ではまだ参謀じゃなかったじゃねェか。だから関係ねェよ。」


『関係ない』


「そう…ですけど、でも――」
「気にすんな、総悟に負わせるから。」
「俺の方が紅涙より関係ねェし。」
「お前はなくても負うんだよ。」
「横暴にも程がありまさァ。土方さんのそういうところが……」

二人が再び小競り合いを始めて歩き出す。


『お前はなくても負うんだよ』


「沖田さんにあって…私にはない…。」

ちょっとした疎外感が胸をかすめる。

「あってもいいのにな…。」

今までも何度かこんな気持ちを感じたことがある。

同等の信頼を得たいとは言わない。
土方さんと沖田さんの積み重ねた時間に、私が追いつけるわけがない。

ただ…
二人の信頼関係が羨ましいとは思う。

私は一生、沖田さんの“場所”に立てないんだと知る度に…たまらない気持ちになる。

「――さん、紅涙さん。」
「!」

私を呼ぶ声にハッとして振り返った。
山崎さんが苦笑いを浮かべている。

「な、なんですか?」
「そろそろ二人を宥めてもらっていいですか?」
「え…?」
「ほら、俺だと聞いてもらえないんで。」
「あ…はい、わかり――」

「何やってんだ、紅涙。」

少し離れたところから土方さんが呼んだ。

「山崎なんかと喋ってんじゃねーよ。」
「時間の無駄ですぜ、早く来なせェ。」
「あ…」

そう…だ。
私には……

「ちょ、俺の扱いが悪すぎるんですけど…」
「あァ?なんか言ったか、山崎。」
「なな何も言ってません!」

私には、居場所がある。

土方さんと沖田さんの間。
自惚れて言えば、土方さんの左腕。

「……、」
「紅涙さん?どうかしたんですか?」
「…いえ、」

これ以上を望む必要なんてない。
私は山崎さんに首を振り、微笑んだ。

「聴取内容を確認できますか?被害者と話す前に把握しておきたいので。」
「わかりました!」

山崎さんが原田さんの元へ駆け出す。
追い抜かされた土方さん達は、不思議そうな顔をしながら私の方へと歩いてきた。

「何させたんだ?」
「先に現状確認をお願いしました。一から同じことを聞くと被害者の帰りも遅くなりますので。」
「さすが紅涙でさァ。」
「へェ、総悟が人を褒めるとはな。」
「べ…別に!…褒めてねェし。」
「そりゃ無理があるだろ。なぁ?紅涙。」
「ふふ、そうですね。ありがとうございます、沖田さん。」
「!…褒めてねェっつーの。」

「お待たせしました!」

山崎さんが駆け足で戻ってくる。
手には数枚の紙が握られていた。

「じゃあ被害状況から報告しますね。聴取によるとー…」

被害者二人が切りつけられた箇所は1箇所ずつ。
一人は背中の裾の辺り、もう一人は背負っていたバッグ。
ともに刃物で切りつけたような裂け目があったらしい。

「本人に怪我はなかったんですか?」
「そのようです。」
「犯行場所はどの辺りなんだ。」
「服を切られた女性は、あの角みたいです。もう一人も…うん、別の曲がり角ですね。」

紙を捲りながら山崎さんが応えていく。

「後ろから狙う上に角を利用した犯行とは、随分と弱気な犯人でさァ。」
「一番身を潜めやすい方法を選んだんだろ。被害者が追って来るとしても、曲がった先で待ち構えりゃいいからな。」
「被害者は追わなかったんですか?」
「はい。二人とも怖くてとても追えなかったと。」
「そうですよね…。」

身を護るために正しい判断だ。

「で犯人像は?」
「それが見てないんですよ、全く。」
「「「全く?」」」

三人の声が重なる。
山崎さんは苦笑いして「ええ」と頷いた。

「被害者は『気付くと切られていた』と供述してまして。」
「だったらなんで犯行場所が分かるんだよ。」
「そこで違和感を覚えたそうです。」

服を切られた女性は『引っ張られるような感覚』、
バッグを切られた女性は『ザクッと変な音』。

違和感の後に振り返っても誰もいなかったらしいが、
状況を考えるとその瞬間に切られていたと判断するのが妥当だ。

「でも、そこまですぐに身を隠せるものでしょうか…。」
「やってみますかィ?」

言うなり、沖田さんが私の背後に立つ。

「え、あのっ」
「おっと。前を向いててくだせェよ。」

両肩を持って前を向かされた。
後ろではジャリッと地面を踏みしめる音が聞こえる。

「俺がすぐ――」

首すじで僅かな風が吹いた。
耳元に気配が近付き、


「紅涙をしとめてやりまさァ。」


コソッと話す沖田さんの吐息が私の首筋を撫でる。

「っヒわ!」

ゾクッとする感覚に思わず身を丸めた。

「テメっ、総悟!」

土方さんが私の前に立つ。
背中で庇うようにして沖田さんに声を挙げた。

「ふざけてる場合じゃねーだろ!」
「俺ァいつでも真剣ですぜ。」
「どこがっ」
「あああの副長!」
「っるせェ山崎!」
「いやでもっ、その犯人像の話には続きがありましてっ」
「…続き?」
「はい!」

山崎さんが書面を見せる。

「黒い影は見たそうですよ!」
「『黒い影』だァ?」
「角にフッと消えたように見えたとの供述が――」

「そうなんです。」

聞き覚えのない女性の声が混じった。
見れば、被害者二人と原田さんが歩み寄って来ている。

「おま…聴取は?なんでこっちに来てんだよ。」
「副長達が煩いせいっすよ。」
「あの、ごめんなさい。」

おしとやかな女性が頭を下げる。

「私がお願いしたんです。お話ししているのが聞こえたので、直接伝えればいいんじゃないかって…」
「あー…いや、騒がしくして申し訳ありませんでした。」

土方さんが頭を下げる。
私も同じように頭を下げた。

「それで、黒い影というのは?」
「あ〜それ私ぃー。私が見たのぉー。」

もう一人の女性が「はぁい」と手を挙げる。
清楚な女性と比べて、何十倍も派手な服装の人だった。

「なんかねぇー、変な音がした時に振り返ったらぁ、黒い影がブワッて曲がり角に消えたんだよねぇー。」
「人影でしたか?」 
「そんなの暗くて分かるわけないじゃーん。分かってたら『黒い人影』って言うしぃー。」
「なんとも使えねェ供述でさァ。」
「バっ、なんつーこと言ってんだ!」

土方さんが沖田さんの頭を叩き、「すみません」と被害者に謝る。
そして原田さんを呼びつけると、「終わってんのか?」と小声で聞いた。

「もう一通りの聴取は取れたんだよな?」
「はい、まァ。」
「ならもうお帰り頂け。必要があったらまた協力してもらうよう頼んでおけばいいから。」
「うっす。わかりました。」
「あと、二人の家まで送り届けろ。山崎、お前も行ってこい。」
「了解です。」

原田さんと山崎さんが小さく敬礼して被害者の元へ向かう。
被害者の二人はなんだか残念そうな顔つきでこちらに頭を下げた。

それを見ていた沖田さんが、

「こりゃもしかして土方さん狙いの自作自演なんじゃありやせんか?」

立ち去る女性の背中を見ながら、とんでもないことを口にする。

「俺狙いって何だよ。」
「そのまんまでさァ。どこがいいのか分かりやせんが、土方さんの気を引くために襲われたように見せたとか。」
「ねェよ、そんなこと。」

うーん…

「ないとは言いきれないかもしれませんね。」
「なっ…お前まで何言ってんだ。」
「だってあの二人、土方さんに送ってもらいたかったみたいですし。」
“見てませんでした?立ち去る時の残念そうな顔”

土方さんは少し思案して、

「いたらヤベェだろ、そんな女。」

引きつった顔で煙草を取り出した。

「警察相手に自作自演なんてするか?それも二人で。」
「そこを狙ってるのかもしれませんよ。バレなければ、ずっと親身になってくれますから。」
「まさか…」
「こりゃ何か手ェ打たないと、どんどんエスカレートしていきやすぜ。」
「やめろ、気持ち悪い。つうか、そういう先入観を持つなっつってんのにお前らは…」
「これも立派な予測行動のうちでさァ。だろィ?紅涙。」
「ふふっ、ですね。」
「都合いいこと言ってんじゃねーよ。」

鼻で笑い、煙草のフィルターから唇を離す。
夜闇に白い煙が浮き上がった。

「そんなことより『黒い影』について考えとけよ。」
「あれは完全に人影ですぜ。おそらく犯人の。」
「ただ不審者と同一人物かまでは分かりませんけどね。」
「灯がなけりゃ、人の姿なんて大体が黒い影だからな。…にしても、被害者のタイプが真反対すぎるのが引っ掛かる。」

派手な服装の女性と、清楚な服装の女性。
比較的細い二人だけど、身長が違えば髪型も違う。

犯人が彼女達を標的にした理由はどこにあるのか、安易に予想しづらい。

「顔も似てやせんし、今のところ共通点は女くらいしかありやせんね。」
「女なら誰でも良かったのか…?」
「それなら、前と同じ二人を狙う理由もなかったんじゃ……ああそうでした、同一犯とは限りませんよね。」
「ああ。…だが現状は同一犯と考えちまうな。」
「先入観は捨ててくだせェ。」
「お前に言われたかねェよ。」

三人で笑う。

「ひとまず戻るか。」

屯所へ歩き出そうとした、その時。

「?」

背中に妙な視線を感じた。

「どうした、紅涙。」
「今…誰かに見られてたような気が……」
「さっきの被害者じゃねェですか?」
「悪い冗談やめろ。」

薄明かりの住宅街に目を凝らす。
けれどここから見える範囲には誰もいないし、何もなかった。

「いやせんね。」

沖田さんの目にも映らないということは、何もない証。

「すみません、私の気のせいです。」

現に今は視線を感じない。
私はそれほど鋭く感じ取れる方じゃないし、おそらく勘違いだったんだろう。

「帰りましょうか。」
「ああ。」

でも…どうしてかな。
なんだかすごく、落ち着かない。


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