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諦めと犠牲



「冷静になってください、土方さん!」

これだとレイリさんの思惑通りだ。

「私のことはいいから、この人をっ」
「んなこと言われて『はいそうですか』になるわけねェだろ。」
「だけどそれしか方法はっ」
「心配すんな、俺が変える。」
「「変える?」」

レイリさんと私の声が重なった。
土方さんは「ああ」と頷き、煙草を咥える。

「俺がレイリを中から変えてやるよ。」
「ハッ…、僕を?笑わせないでください。」

ゆるく首を振る。

「変わるのはアナタの方です、土方。」
「俺は変わらねェよ。たとえお前に服従したとしても、俺は俺のままだ。」
「"したとしても"じゃなくて"する"でしょう?まったく……大した自信家ですね。」

少し警戒したのか、レイリさんの頬が下がる。
土方さんはそれを気に留めることなく、窓の方を見た。

「まァ本来は紅涙の判断が正しい。警察だろうが何だろうが、犯人の懐に入るなんざ問題外だ。」

「だが」と続ける。

「俺にとっちゃレイリを逮捕したところで、紅涙がいないなら意味はない。」

土方さん…。

「紅涙が今まで通りに過ごせないなら、お前を逮捕したって何の価値もねェんだよ。」
「へぇ…すごいことを言ってのけますね。」

興味深そうな笑みを浮かべ、

「つまりあなたは世の中の平穏より、紅涙さんを優先するということですか?」

小首を傾げる。
それに対し、土方さんは間髪入れずに頷いた。

「ああ。」
「っ土方さん、それは――」
「警察官にあるまじき言動、ですよね?最高じゃないですか。だから土方が欲しいんですよ。」

口元に手を当て、クスクスと笑う。

「これからは僕も紅涙さんと同等の、いやそれ以上の位置づけにしてくださいね。」
「……。」
「あれ?返事はどうしました?服従してくれるんでしょう?」
「……。」

口を開かない。
いや、開きたくても開けないように見える。
おそらく本能が拒んでいるんだろう。

…それこそが、正しい。

「どうしました?やめるんですか?」
「そうですよ。」

私が代弁する。

「紅涙…?」

土方さんが言えないなら、私が言ってあげる。

「土方さんはアナタに従わない。」
「何言って――」
「人の気持ちを利用して従わせようなんて考え自体がバカげてるんです。よく思い通りに進むと思いましたね。」
「…黙っててください。僕が聞きたいのは彼の返事です。」
「返事を言ってるのに分かってないから私が言葉にしてあげてるんですよ。」
「っ……減らず口を!」

初めからこうすれば良かった。

「土方さんを諦めて降伏しなさい。」

初めから相手に切り離してもらうことを望まず、私自身で断ち切れば良かった。

「誰も幼稚なアナタなんかの"オトモダチ"にはなりません。」
「っ、ツケ上がりやがって!」

雑に点滴袋を壁から剥がす。
その衝撃で腕に刺さっている針が動き、皮膚が引きつった。

「ぃっ、」
「お前の命は僕の手の中にあるんだ!一度思い知れ!」
「レイリ!」

土方さんが足を踏み出す。
けれどレイリさんは、

「な〜んちゃって。」

軽く手を上げた。

「僕がそんな低レベルな話に乗せられると思いました?」
「!」
「……悪ふざけが過ぎるぞ。」
「すみません。でもあまりにも紅涙さんが健気に頑張っていたので。」

点滴袋を壁に戻し、レイリさんは私に笑う。

「あなたが何を言おうと、彼は既に服従する意志を伝えてあるんです。ただ口に出来ないだけ。」
「っ……、」
「あなたは本当に何も分かってないんですね。」

くやしい。

「…紅涙、ありがとな。」

くやしい。

「俺のことは気にすんな。大丈夫だから。」

どうしてこうなる?

「っ、なんとも思わないんですか!?」

どうして土方さんが背負うことになるの?

「犯人の指示に従うなんて間違ってます!」
「仕方ねェだろ、それがないとお前は生きられない。」
「私のことは私が考えます!土方さんはやるべきことをやってくれればっ」
「これが俺のやるべきことだ。」
「違うっ…、……、」

今まで積み上げた努力や信頼が全て無になること、わかってるの?

「っ…違うじゃないですか…っ!」

犯人を逮捕してほしい。
これは土方さんだけの話じゃない。
逮捕しなければ真選組自体の信頼も失ってしまう。

みんなが頑張ってきた時間や経験まで、こんなことで無駄にするって言うんですか…?

「真選組としてのプライドは…っ、どこにいったんですか!」
「……そんなものは、とうの昔に捨ててる。」
「!」
「持ってたって何の役にも立たねェよ。」
「土方さんっ、」
「賢明な判断ですよ。」

レイリさんがゆっくりと手を叩く。
こんなの…全然賢明な判断じゃない。

「私のために犠牲になってほしくないんです……っ!」
「…紅涙、世の中ってのは望みを全て手に入れられるようになってねェんだ。」

土方さんは煙草を指に挟み、

「レイリを逮捕してお前を救ってやるなんて綺麗事を言ったところで、事態が好転するわけじゃない。」

遠い目をして煙を吐き出す。

「必ず進む時は何かを選ばなきゃならねェ。それが『諦め』や『犠牲』かどうかは、そいつ次第だ。」
「あなたはどちらなんです?」

レイリさんが問う。

「俺は望んで選択したからどちらにも当てはまらねェよ。だが強いて言うなら、」

煙草を口にしながら、鼻で笑い捨てた。

「お前みたいなバカに従わなきゃならねェ辺りは、『諦め』だろうな。」

土方さんの意思は変わらない。

「やれやれ。まァ入り口はどんな形でも気にしませんよ。」

レイリさんの望みは変わらない。

「どうです?彼の気持ちを聞いて納得できましたか、紅涙さん。」
「……。」

私の願いは届かない。

「もしかすると本当は紅涙さんこそ、『諦め』であり『犠牲』を要しているかもしれませんね。」

レイリさんが可笑しそうに口を歪ませた。

「だって土方のために健康な身体を手放し、一生を捧げることになったんですから。」
“あなたに利用価値がなければ、こんなことにはならなかったのにね"

「ざーんねん」と軽く言い放ち、声を上げて笑う。
私にはもう、あがなう言葉を持ち合わせていなかった。

救いようがなくても、これが現実。
私に出来ることは、土方さんの考えを尊重することでしかない。

それでいつか最終的にこの人を逮捕できるなら……それでもいいのかもしれない。

「紅涙さんのメンタル面を考えて、たまには彼と接触する時間も与えてあげましょう。」
「『たまに』だと?」

土方さんが眉をしかめる。

「当然です。四六時中一緒にいられては、僕への忠誠心を養えませんから。」
「チッ。」
「基本的に紅涙さんには、この部屋で静かに生きてもらう予定ですよ。だけど…うーん。」

無精髭を触りながら何かを思案する。

「生きてるだけじゃ少々お荷物ですね。性欲処理でも担当してもらいましょうか。」
「っ!」

一瞬で身体が強ばった。
鼓動が早くなり、胸騒ぎに息苦しさを覚える。

「…おい、話が違う。」
「そうですか?僕は彼女の命を保証するとしか言ってないはずですよ。」
「テメェ……」
「まさかもう気持ちがブレちゃいました?ならチューブを切って終わりにしますか。」

そう言ってメスを取り出し、点滴袋と私を繋ぐチューブに刃を当てた。

「くっ…、」
「ああそうだ、いいことを思いつきました。土方にどれくらいの覚悟があるのか見せてもらいましょう。」
「あァ?覚悟だと?」
「ええ。これから先、僕に反抗できないのは分かってますよね?紅涙さんを守るために。」
「……ああ。」
「それはたとえ僕があなたの前で彼女を犯しても、何も言ってはいけないということです。」
「!」
「まさかお前……」

レイリさんは目を細め、ニタりと笑う。

「いい子にしてたら、土方にも分けてあげますよ。モチベーションを上げることも必要だ。」

話しながら、私の頬を左手で撫でた。

「っ、」

咄嗟に顔を背ける。
すると今度は剥き出しになった首筋を撫でつけてきた。
ゆっくりと手の平で触れたり、時に指先を立てたり。

「っ、ッ!」

全身の神経が騒ぎ立つ。
声が出そうになったのをどうにか喉に押しこめた。

「啼いてもいいんですよ?紅涙さん。」
「……。」
「こんなに気持ちのいい肌なんですから、さぞかし感度も良いんでしょうね。」
「…やめろ。」
「我慢ですよ、土方。紅涙さんのために。」

レイリさんの右手はチューブを握っている。
指には器用にメスを挟み、いつでも切れる状態を保っていた。

「首筋から鎖骨に流れるラインって、とても女性的ですよね。好きなんですよ、僕。」

舐めるように指先が滑る。
唇を噛んで拒む言葉を飲み込んだ。
声を出せば、おそらく土方さんは理性を失い、レイリさんに襲いかかる。

事態はより悪い方向へ向かうだろう。
そうなることは、土方さんが望んでいない。

……でも。

「…殺して。」

こんなことをされて生きるくらいなら、

「殺しなさいよ…!」

いっそ、死んだ方がマシだ。

「紅涙…」

ごめんなさい、土方さん。
私、こんなの耐えられない…!

「殺しなさい!」
「殺しませんよ、僕は。」

耳元に顔を近づける。
私にだけ聞こえるような小声で、こっそり言った。

「死ぬなら勝手に死んでください。」
「!」

私の顔を見て、フッと微笑む。

「僕の手では殺してあげません、この先も一生。」

っ……

「最低…っ、」
「やっと聞けましたね、萌える言葉。」
「ッ……、…。」

どこまでも想定内のような受け答えに、もう後がないと悟った。

「…好きにすればいい。」

どうしようもない。
絶望だ。

土方さんは私を生かすために服従すると言ったのに。
生きることの方がツラいなんて…一体何のために私達は……。

「よかったですね、土方。紅涙さんは僕を受け入れてくれるそうです。」
「……。」
「これで邪念は土方の気持ちだけですよ。ちゃんと耐えてくださいね?紅涙さんのために。」

私の肩口を引っ張り、右肩を露出させた。

「なんだ、サラシを巻いてるんですか。」

肩をすくめ、人差し指をちょうど胸の谷間に差し入れる。

「ッ、」

心臓に近いせいか、首筋の時とは違う感覚に襲われた。
まるで胸を直接掴まれたような、そんな気持ちの悪さを感じる。

「これ、簡単には取れなさそうですね。」

差し入れた人差し指を手前へ引っ張った。
私の身体が前へ持って行かれそうなほど強く引っ張られると、サラシの巻きが緩くなる。

「っあ、」

無意識に押さえようと手が動く。
けれど、ガシャンッと拘束具が音を鳴らしてそれを阻んだ。

「羞恥心ですか?可愛らしいところもあるんですね。」
「っ」
「…いい加減にしろ。」

唸るような低い声が聞こえる。
様子はレイリさんと重なって見えない。

「触んじゃねェ…。」
「耐えないと紅涙さんを救えませんよ?」

話しながらも、肩からサラシまで手を滑らせる。

「っぅ、」
「傷一つない肌だ。あなたが優秀なのか、真選組で大事に守られてきた証なのか。」
「…紅涙に触んじゃねェ…。」
「それともこれから見ていく場所には、傷の一つくらいあるんですか?」
「おい…、」

レイリさんの指が、弛んだサラシに掛かる。
何重にも巻いた一本を掴んだ瞬間、

「おいコラ聞いてんのか。」

土方さんの声が一段と大きくなった。

「紅涙から離れろ。」
「おやおや、少し我慢が足りなくなってきてるんじゃ――」
「いいから紅涙から離れろっつってんだろうが!!」

声を張り上げたその時、

――ピッ

何か電子音が鳴った。
そして、

「しまった。」

そんな声が聞こえたかと思うと、途端に室内に白い煙が充満し始める。

「えっ…?何、これ……。」
「くっ、なんだこれはッ!」

煙はすぐに私のところまで辿り着く。
臭いはない。
と考えている間に、目がヒリつくように痛み出した。

「い、った……何なのっ……」

催涙スプレーとは刺激の種類が違う。
例えるなら、眼球に湿布を貼ったような。
とにかく目が外気に触れると痛くて、閉じるしかなかった。

「う、ぐっ」

うめく声と、ドサッと物音が聞こえる。
床から小さな振動が伝わった。
土方さんなのかレイリさんなのか、どちらかが倒れたことに間違いない。

そして残った一人は部屋の中を歩き、私の前で足を止めた。
直後、

「んぐっ!」

口を手で塞がれる。
手は鼻まで達し、完全に呼吸を絶たれた。
顔を振ろうにも塞ぐ力が恐ろしく強く、動かない。

どうにか目を開けようとしたが、

「これで終わりだ。」

痛みで目に涙が滲み、相手を確認することは出来なかった。


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