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期待
土方さんがルウさんをここへ連れて来るのは、仕方のないことだった。
事件が起きたからと言って、簡単には帰すわけにいかない。
犯人を捕えていれば話は別かもしれないが、
まだどこに潜んでいるか分からない状態で、女性を一人帰せるわけがない。
その上、現場が近かった。
家へ送り届けるよりも、ここへ連れてくる方が効率いい。
だからこの現状は、仕方のないこと。
「……はじめまして、ルウさん。」
頭を下げ、彼女に挨拶した。
「あなたは…?」
「私は真選組参…隊士の、早雨 紅涙と申します。こんな格好ですみません。」
「いえ…、…可愛いらしい隊士さんもいらっしゃるんですね。驚きました。」
可愛いらしい、か。
「…ありがとう、ございます。」
彼女の言葉を素直に受け取ることは出来なかった。
ああ…まただ。
また私は、ひがんでる。
いっそ綺麗だと口にしてしまえば、何か変わるのかな…。
「…ルウさん、」
「はい?」
「その……ルウさんは、すごく――」
「ゆっくり話してる場合じゃねェぞ、紅涙。」
土方さんが言葉を遮る。
「今はコイツのことより事件だろ。」
…え、『コイツ』?
もうそこまで親しくなってるの?
「総悟、被害者が髪を切られたのは何センチだ?」
「10cmってとこですねィ。」
そんなに親しくなってるなんて…意外。
すごく……意外だ。
「切られたのがいつかまでは分かってやせん。」
「降りた時に髪が落ちたってことは、電車の中で切られてるんだろうな。だが…」
「目撃者はいやせんぜ。」
「だよな。」
土方さんはルウさんのことをどう考えてるんだろう。
繋がりを切るために会ったけど、心変わり…したのかな。
だとしても、悪いことじゃないよね。
土方さんが付き合いたいなら…それは自由だし。
「紅涙の考えは?」
「えっ…?」
「どう思いやすか。」
「っ、あ…、……、」
しまった、
ボーッとしてて話を…。
「聞いてなかったのか?」
「い、いえ、そういう…わけでは……」
えっと…
被害者は電車を降りた時に気付いたんだから、犯行はそれ以前…だよね。
ただ電車で行うには、人目があるわけで…。
「こ、混み具合はどうだったんでしょうか。」
「混み具合?電車のか。」
「はい。それによって犯行も…」
「あの、」
傍で聞いていたルウさんが、控えめに手を上げた。
「今の時間帯、電車は結構混んでましたよ。」
「そうなのか?」
「はい、痴漢をされても分かりづらいくらいに。」
「もしかしたら」とルウさんが続ける。
「混雑する車内を利用して、こっそり切ったとか…?」
「あ…それ、私も思いました。下の方で手元だけを動かせば、周りには見えないんじゃないかって。」
ルウさんが私の顔を見て頷く。
私はどんな顔をすればいいか分からなくて、ほんの少しだけ笑みを返した。
「まァ大胆すぎる犯行だが、ないとは言いきれねェか。」
「満員電車で真下を向いてる奴なんて滅多にいやせんからねィ。」
「…まずは防犯カメラだな。被害者が乗ってた電車と車両番号を確認しろ。駅長室に行くぞ。」
「了解。」
土方さんは早々と駅長室に向かって歩き出す。
しかしそれを、
「待ってくだせェ。」
沖田さんが止めた。
「まさかと思いやすが、一般人を連れて仕事する気ですかィ?」
「何の話だ……あ。」
振り返った土方さんの視線が、ルウさんを捉える。
微笑むルウさんが、やんわりと首を傾げた。
「どうしました?」
「いや…。……総悟、」
「なんでさァ。」
「カメラ確認、任せていいか。」
“先にコイツを送ってくる”
『コイツ』
何度耳にしても信じられない。
「そりゃ別に構いやせんが……、…。」
土方さんは簡単に心を開くタイプじゃない。
なのに、ルウさんを『コイツ』と呼ぶほど身近に思っている。
この短い時間で、一体何があった…?
「…わかりやした。後は紅涙と済ませておきまさァ。なァ?紅涙。」
「っえ!?あ…、は、はい。」
あまり内容を把握せずに頷く。
沖田さんを見れば、口角を片方だけ歪ませて笑んでいた。
「心ここに在らず、ですかィ?」
「そっ…そういうことは…ありませんよ。」
むしろ、ここにある。
目の前の光景に、色々と打ちのめされている。
「なんだ、紅涙。何かあったのか?」
「い、え…」
「そう言えば相手の奴とはどうなった?どこかで待たせてるならお前も――」
「まあまあ。土方さんは先にルウさんを送ってきてくだせェよ。」
沖田さんは私の左手首を掴み、僅かに上げて見せる。
「こっちは紅涙がいるから心配いりやせん。」
「…悪ィな、紅涙。」
「……、…いえ。」
私は弱く微笑み、首を振った。
「…お気をつけて。」
「ああ。」
「貸し1ってことで処理しておきやすんで、終わったら屯所まで戻ってくだせェ。」
「ちゃっかりしてんな…。」
沖田さんの言葉に顔を引きつらせ、土方さんは「頼んだぞ」と背を向けた。
ルウさんに何かを話し、二人でこちらを見る。
「紅涙さん、沖田さん、すみません。では失礼します。」
丁寧に頭を下げ、土方さんを見上げる。
「行くか」と口が象ると、ルウさんは頬を染めて頷いた。
「……、」
二人が歩く姿は、まるで…
「まるで恋人同士でさァ。」
「…ですね。」
この図を見れば、誰もが思うだろう。
私と土方さんを"恋人同士"と言った、近藤さんさえも。
きっと、街行く皆が思う。
『真選組の副長に彼女が出来た』って。
「貸しやしょうか?」
隣に立っていた沖田さんが、私を見て言う。
「何を…?」
「俺の胸。」
そう言って、自分の胸を叩く。
「好きな女を慰めるくらいの甲斐性はあるつもりですぜ。」
「!お、沖田さん…?」
今、サラッとすごいことを…。
「もう隠すのはヤメやした。」
「…どうして…ですか?」
「意味ねェから。よく考えたら、隠さなきゃならねェ理由もありやせんし。」
ポケットに手を突っ込み、「まァ大して隠せてなかったけど」と鼻で笑う。
「返事はいりやせんぜ。俺が紅涙を好きだって宣言しただけのことでさァ。」
“要はアンタが誰を好きでも俺には関係ねェってこと”
そう話す沖田さんを、私は純粋にすごいと思った。
自分をさらけ出して生きるのは…とても難しいことだから。
私には…出来ない。
自分じゃない相手を想う人に、好きだとは言えない。
「…沖田さん、」
「なんですかィ?」
「…その…、…、」
『ありがとう』と言うのは違う気がする。
今使うには軽すぎる言葉だ。
かと言って、『ごめんなさい』は酷い気がする。
こんな風に想いを告げてくれた沖田さんに…ひどい気がする。
でも、何か言いたい。
「紅涙、」
「?」
「話を聞いてやせんでしたか?俺ァ返事はいらねェつったんですぜ。」
「あ…、…そう、ですよね、……。」
目を伏せる。
「……。」
沖田さんがポケットから手を引き抜いた。
その手をおもむろに上げ、私へ伸ばす。
「っ…?」
何をされるのかと固まっていれば、
沖田さんは無表情のまま、私の頬をつまんで顔を近づけた。
「こんな顔させるつもりは毛頭なかったんですけどねィ。」
「っ、」
吐息が唇に掛かる。
「ちょっ、ち、か、っ…」
「いつもみたいに、『胸を借りる理由なんてない』って俺を突っぱねてくだせェよ。」
「っ!…、……。」
そっか…沖田さんも私と同じなんだ。
伝えたからと言って、何一つ変わることを望んでない。
けど、
「…私は、…胸を借りる理由なんてありませんよ。」
「それでこそ真選組の参謀、早雨 紅涙でさァ。」
沖田さんは、
歪んだなりに真っ直ぐ自分の想いと向き合っていて、
私は、嘘と偽りで…とりつくろって生きている。
同じだけど、全然違う。
伝えることは、僅かなりとも何かを期待すること。
その期待を限りなくゼロにして伝えた彼は…やっぱりすごいと思う。
「さてと。」
沖田さんが再びポケットに手を入れた。
「それじゃあ俺ァ車両番号を確認して来やすんで、紅涙は先に駅長室で話をつけておいてくだせェ。」
「わかりました。」
私が頷くと、沖田さんも笑みを浮かべて頷く。
彼とは、これまで通りに接しよう。
ただ、今日を“なかったこと”にはしない。
沖田さんの気持ちが分かるから、私は、私ならこうしてほしいなと思う態度で接する。
それがたぶん、一番理想とする関係なんだ。
聴取担当の隊士の元へ向かう沖田さんを見ながら、そんなことを考えていた。
その後、私達は駅長室で防犯カメラを確認。
しかし有益な手掛かりを得ることは出来なかった。
当然、あからさまに不審な人物は映っていないし、
怪しいと言われれば全員が何かを隠し持っているようにも見える。
防犯カメラから新たに知ったことと言えば、ルウさんのこと。
彼女も同じ電車に乗り合わせていた。
さすがに車両までは違ったけど、時間を考えれば何ら不思議はない。
「見なせェ、この女の顔。」
沖田さんはルウさんが映る映像をスロー再生させたり、わざと変な顔になる箇所で停止させたりする。
「いけ好かねェ顔してまさァ。こりゃ腹に一物抱えてやすぜ。」
「もう。失礼なこと言ってないで屯所に戻りますよ。」
「紅涙も思いやせんでしたか?なんか腹立つっつーか、胸くそ悪いっつーか」
「沖田さん。」
「へいへい。」
駅員には今後も捜査協力の旨を伝え、私達は大江戸駅を後にした。
ただし、駅には数名の隊士を残す。
これからしばらくの間は、駅に常時数名の隊士を配備して警戒だ。
はっきり言って、かなりの手薄。
けれど街の警戒も兼ねているせいで、どうしても厳重には出来ない。
「少しでも犯人像が分かってればなぁ…。」
屯所に戻った後、
自室で報告書を書きながら、今後の対策を思案する。
髪切り犯に限らず、
私達はここ数日の事件の犯人についても何ひとつ分かっていない。
「そろそろ他の警察に協力してもらいたいけど……」
あまり望みは持てない。
土方さんは、“自分の管轄は自分達の手で護る”という強い信念がある。
他に頼ること自体をよく思っていない。
そうさせるのは、環境に原因があった。
私達が弱みを見せると、ここぞとばかりに小言を言われる。
一般市民から、同志のはずの警察にまで。
『出来の悪い寄せ集め』という印象は、いつまで経っても拭えないらしい。
「…ダメだ。頼ろうとする前に、出来ることは自分達でしないと。」
これも土方さんの信念。
…そう言えば、
「土方さん、まだ帰ってないのかな…。」
私達が屯所へ戻ってきてから、もう2時間は経っている。
駅長室で防犯カメラを確認した時間も含めると、かれこれ4時間近く。
「ちょっと遅くない…?送り届けるだけなのに。」
ルウさんの家がすごく遠いの?
大江戸駅まで片道2時間くらい掛かる…としても、さすがにそこまでは送らないか。
「大丈夫かな…。」
電話してみようかな…。
充電していた携帯を引き寄せる。
その時、
――ドタッボタッ
廊下に何か重いものを落としたような音が響いた。
それも、何度か続けざまに。
「な…何の音?」
そっと障子を開け、外を窺う。
廊下の先に、何かを拾い上げる土方さんがいた。
「あ…、」
帰って来たんだ。
私の声を耳にしたのか、土方さんがこちらを見る。
「よ…よう。うるさかったか?」
「いえ…おかえりなさい。遅かったですね。」
「ああ…まァ。じゃあな。」
土方さんは早々と話を切り上げ、何かを抱えたまま部屋へ入ろうとする。
私はそれを「待ってください」と引き留めた。
「髪切りの件で報告したいんですけど、今から部屋へ行ってもいいですか?」
「あー…、…ああ、わかった。来い。」
土方さんが部屋へ入る。
私は急いで、未完の報告書を手に副長室へ向かった。
隠そうとした“何か”を見逃さないために。
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