8
運命の人
「失礼します。」
副長室の障子を開けた。
土方さんは既に机の前で煙草を吹かしている。
「…早かったな。」
異様に姿勢がいい。
私は「ええまぁ」と返事をして、部屋を見回した。
「……、」
いつも通りだ。
特に変わったところはない。
が、先ほど廊下で落とした“何か”もない。
一体、何を落としたんだろう…。
「どうした?」
「いえ…なんでも。」
仕方ない、忘れよう。
私は机に報告書を置き、腰を下ろした。
土方さんは灰皿を隅に寄せ、「どうだった?」と問う。
「何か有力な情報は得たのか?」
「それが…全く。不審者らしき様子の人も確認できませんでした。」
「まァ、一見して分かるようなら通報されてるだろうしな。」
煙草を揉み消し、私に手を差し出す。
「なんですか?」
「報告書。」
「え…、…あ…っと……まだ…完成してなくて。」
“ひとまず私が口頭で説明します…”
土方さんは『そうなのか?』といった顔つきで、軽く二度頷いた。
「わかった。じゃあ乗車率は。」
「かなり高かったみたいです。乗車履歴を辿れば、ある程度の身元は判明しますが…」
「切符はキツイな。」
「そうですね。それに誰がどの車両かまでは分かりませんし、全員に聴取する必要が出てくるかと。」
「全員…。」
膨大な人数を想像したのだろう。
土方さんは眉を寄せ、煩わしそうに溜め息を吐いた。
「長引きそうな事件だな。…ルウの言った通りなっちまったか。」
『ルウ』って…。
とうとう呼び捨てに?
「……随分と親しくなったんですね。」
我慢ならず、とうとう心の声が外に漏れた。
思いのほか少しトゲのある口調にハッとする。
「すっすみません!その…深い意味は…なくて……。」
“ただ今まであまりなかったことなので、珍しいなって…”
すぐに頭を下げ、土方さんの顔色を窺う。
土方さんは「ま、まァな」と視線をそらした。
「お前がそう思う気持ちは分かる。俺自身…ビックリしてるから。」
チクッと胸が痛む。
「…気が合うんですか?」
「そう…だな。」
「どの辺りが?」
土方さんですよ?
仕事人間で趣味も必要としない人のどこと気が合う?
「そりゃまァ…アレだよ。」
「なんですか。」
「その、ほら…、…マヨネーズ?」
「ごまかさないでください。」
「ごまかしてねェよ。アイツ、マヨネーズが好きなんだ。俺並みに。」
…え、
「ルウさんが…マヨネーズ好き?」
それも土方さん並みに?
「レアだろ。」
「レアと言うか…本当ですか?」
「ああ。毎食のマヨ丼も、毎夜のマヨ飲みもしてるって。」
「マ、マヨ飲み…」
…信じられない。
あんなにお上品そうな人が、毎食あの不健康な食生活を?
しかも、土方さんみたいに夜な夜なマヨネーズまで飲んでるなんて……
とても信じられない。
「本当に…本当ですか?」
「しつけェな、嘘じゃねーよ。」
土方さんは小さく笑い、新しい煙草に火をつけた。
「俺の好みを分かる奴なんてそういねェから、妙に親近感が湧いちまってな。」
「そりゃあ…そうですよね。」
確かに、親近感が湧いても仕方ない。
だって偶然そんな人に巡り合う確率なんてゼロに近いんだから……
『おや〜?もしかしてそれって運命ってヤツじゃねェの?』
坂田さんのニヤけた顔がフラッシュバックする。
あの時、土方さんは『どこかで見たことがある』とも言っていた。
…まさか、これが運命?
ルウさんが土方さんの…運命の人?
「まァそういうわけで話が弾んでな。」
「…、」
「アイツがご当地マヨネーズもイケるっつうから、ちょっと味見して遅くなったんだ。」
『味見して』?
「どこでですか?」
「家。」
「家!?」
顔を引きつらせる私に、土方さんは至極普通に頷きながら煙草の灰を落とした。
「そう。ルウの家だ。」
「!?…いっ、家に入ったんですか?」
「変な言い方すんなよ。マヨネーズを選ぶためだ。」
鼻先で笑い、煙草を口に咥える。
「俺としては他のマヨネーズなんて邪道だと思ってたんだが、食ってみると意外と悪くねェ。」
満足げに煙を吐き出す。
そんな土方さんに、私は色んなショックを受けていた。
二人の親しさ、
楽しげな土方さんの様子。
何より、
マヨネーズが絡むと、初めて会った女性の家にまで上がり込んでしまう土方さんに。
いくら親近感が湧いたとしても、
真選組副長として、男として軽率すぎる行動に思う。
けれどもし…
もし私が土方さんの立場なら…少しくらいはと思うかもしれない。
はじめて出会った同じ好みを持つ人と、自分の好きな物を分かち合えるんだから。
誘いたいルウさんの気持ちも…わかる。
そう考えると責められない。
責める立場でも…ないけど。
「味見させてやるよ。」
「…え?」
「いくつか貰ってきたんだ。」
土方さんが立ち上がる。
状況を呑み込めない私を置き去りにして、襖の中から6本のマヨネーズを取り出した。
「よっ、と。」
まとめて抱え込み、机の上へ雑に置く。
そのドタドタ落ちる音が、耳の奥で先ほど聞いた音と重なった。
「もしかしてこれ…さっき廊下で落としました?」
「…よく分かったな。」
土方さんが気恥しいそうに頷く。
「落とした時はスゲェ焦った。マヨネーズを貰って帰ってきたなんて知れたら、さすがに印象悪いだろ?」
そこは人目が気になるんですね…。
「とは言え、俺も一度は断ったんだ。」
「そうなんですか?」
「ああ。だがウマいもんを分かち合いたい気持ちは分かる。それに…」
パッケージを開け、キャップのフタを回す。
「なぜかこれを食った時に、お前を思い出したんだ。」
「私を…?」
「なんでだろうな。別に紅涙はマヨラーでもないのに。」
「……、」
それって……
…ううん、
「ありがとうございます。」
理由がなくても、嬉しいよ。
「何に礼言ってんだ?」
「わかりません。」
「あァ?なんだそりゃ。」
「ふふっ、」
つくづく私は単純だ。
土方さんはフッと笑い、マヨネーズを私に差し出した。
「吸ってみろ。」
「え!?い、いやいや、」
根本的にマヨネーズの扱い方が違うんですけど…。
「出来ればクラッカーか何かと一緒に頂きたいです…。」
「なにシャレたこと言ってんだ。ありのままを吟味しろ。」
「や、でも…、…」
「……。」
「……じゃ、じゃあ指先に。」
「まァいいけど。」
土方さんはやや不服そうにして、私の指先にマヨネーズを乗せた。
その顔を見ながら、
こんな風にルウさんと楽しく過ごしたのかな…なんてことが頭によぎる。
味がどうとか、どの辺りが好きとか。
普段は出来ないマヨネーズ話で盛り上がっていたんだろう。
「…楽しかったですか?」
「ん?」
「ルウさんと居るの、楽しかったですか?」
「まァな。」
悩むことなく頷く姿に、少なからず傷ついた。
土方さんは悪くない。
ルウさんも悪くない。
私が聞いて、勝手に傷ついた。
聞いた私が悪い。
「…うん、美味しいですね。」
大して味わいもせず、マヨネーズの感想を告げた。
土方さんは嬉しそうに「だろ!?」と言い、コクがどうだと話し出す。
その後は何を話したかあまり覚えていない。
たぶん私は適当な言葉を並べて、自室に戻ったんだと思う。
土方さんには申し訳ないけど、
ルウさんと関係するマヨネーズの話は、あまり楽しく聞けなかった。
なのに。
「あ…。」
その翌日から、屯所の中で彼女の存在をよく感じる。
姿を見るのではなく、間接的に。
たとえば土方さんが携帯をジッと見ている時。
「……。」
私達の連絡手段は基本が電話。
だからディスプレイを見つめることなんて滅多にない。
なのに今もまた土方さんは携帯を見ている。
つまり、頻繁にルウさんから届くメールを確認しているというわけで…
「忙しい時に呑気なもんですねィ。」
昼食時、
食堂の列に並んでいた沖田さんが唐突に声を挙げた。
沖田さんは土方さんよりも後方にいる。
私は二人からさらに後方だ。
この光景を何も考えずに見たら、
名指しもしてないし、ただ単に沖田さんの大きな話し声でしかない。
実際、私も機嫌の悪い沖田さんの"単なる小言"だと思った。
けれど、
「携帯見る暇あったら、街の警備にでも出ろって話でさァ。」
その言葉に、周りの隊士がザワつき始める。
土方さんは携帯を閉じ、振り返った。
「なんだ総悟。俺のこと言ってんのか。」
「そう聞こえたんならそうなんじゃねェですかィ?」
「……。」
「……。」
睨み合う二人の空気が徐々に張り詰めていく。
沖田さんの目に余るくらい、土方さんは携帯を見ているということなのだろう。
このまま…いろいろ変わっちゃうのかな。
そんなことを考えながら、ぼんやり二人を見ていると、
「おい、早雨。」
コソッと後ろから声を掛けられた。
原田さんだ。
「ちょっと仲裁して来いよ。」
「え、なんで私がっ」
「こういうことはお前しか無理だろ?な?」
「……はぁ。わかりました。」
自分で行けばいいのにとは思う。
でも、私だとある程度は素直に聞き入れてくれることも知っている。
私は列を離れ、二人の元へ向かった。
「土方さん、沖田さん、」
「「紅涙、」」
声が揃う。
それだけでまた二人が睨み合った。
「話し合いなら私も参加します。もっと静かな場所へ移動しましょう。」
「「……、」」
気まずそうに唇を動かし、閉じる。
先に口を開いたのは土方さんだった。
「…いい。べつに話すことねェから。」
「沖田さんはどうですか?」
「俺もありやせんよ。というか、土方さんと話したいと思ったこと自体ありやせん。」
「あァ!?お前が吹っ掛けてこなけりゃ俺は――」
「土方さん。」
私の声に土方さんが唇を噛む。
苛立ちを抑えるように眉を寄せ、溜め息を吐いた。
「わァったよ。」
その言葉で外野の緊張感が解けた。
ホッとしたように、食堂の長い例が少しずつ動き始める。
原田さんを見ると、苦笑いを浮かべて私に手刀をしていた。
『悪ィ』
口が象る。
そして自分の前を指さし、『ここに並べ』と示した。
最後尾に並び直すのも何だし…
ここは素直に並ばせてもらおうかな。
「それじゃあ私はこれで――」
「待て、紅涙。」
土方さんに呼び止められる。
「なんですか?」
「話がある。昼飯は副長室で食え。」
「えっ、」
「なら俺も副長室で食いまさァ。」
さも当然といった様子で沖田さんが口を挟んだ。
土方さんは面倒くさそうにして、「お前に用はねェよ」と言う。
「そうは言っても俺ァ紅涙と一緒に昼飯を食う約束してたんですぜ。」
「ええ!?」
してませんけど!?
「だとしても明日にしろ。なんなら夜でもいい。」
“とにかく今は諦めろ”
土方さんの物言いに、何か急ぎの用を感じる。
沖田さんも勘づいたらしく、「わかりやした」と諦めた。
「それじゃあ紅涙、夜は空けておいてくだせェ。」
「あ、は…はい。」
列に割り込む沖田さんを見ながら、土方さんは何度目かの溜め息を吐いた。
「アイツの執着心には参るな。」
「まぁ嫌ではないんですけどね…。」
沖田さんから好かれていると分かってから、邪魔される行動もそこまで悪い気はしない。
「…なんだよ、気が変わったのか?」
土方さんが目を丸くする。
「“気が変わった?”」
「総悟のこと、好きになったのか。」
「なっ!?い、いえそういうわけじゃ…っで、でも嫌いとかじゃないですけど……」
「なんだよ、煮え切らねェな。」
「す、すみません…。」
少しムスッとした声に、思わず謝る。
すると「ああいや…悪い」と、土方さんも謝った。
「俺が口を挟むことじゃねェよな。」
“とりあえず昼飯持って部屋行くぞ”
副長室に入ると、煙草の匂いが鼻をかすめる。
本当にこの部屋は土方さんでいっぱいだ。
「座れよ。」
僅かな緊張を隠し、私は持ってきた定食を置いた。
今日は鶏の南蛮漬け定食。
甘酢だれが絡んだカリカリの鶏からあげに、刻んだゆで卵と玉ねぎのタルタルソース。
ああっ早く食べたい!
…けど、
「話って何ですか?」
先に聞いておかないと喉が詰まる。
「早ェな、もう本題か。」
「気になって箸が進みませんから。」
「大げさなこと言うなよ。」
…なんだ、そこまで重い話じゃないんだね。
土方さんはフッと笑い、なぜか襖を開けた。
そこからいくつかマヨネーズを取り出す。
「それは…例のご当地マヨ?」
「ああ。今日の飯は、このマヨネーズに合うんじゃねーかと思ってな。」
ふすまを閉め、腰を下ろす。
「俺はこのままでも旨いが、紅涙みたいな一般人は物によって合う合わないがあるんだろ?」
「そう、ですね…、……って、え?」
もしかして、
「このために…私を呼んだんですか?」
…まさかね。
「正確。」
「ええっ!?」
「そんな驚くことねェだろ。」
「驚きますよ。大事な話かと思ってたのに…。」
「十分大事な話だろうが。」
土方さんは並べたマヨネーズを満足げに見る。
「どれ使いてェ?」
「い、いえ私は別に…」
まさかまた見せられるとは思ってなかった。
「そう言うなって。何かに付けて食えば、お前もきっと――」
「結構です。」
「え、」
ごめんなさい、土方さん。
「もう美味しいことは知ってますから。土方さんへの贈り物ですし、思う存分楽しんでください。」
「お、おい…」
「では失礼します。」
腰を上げようとすれば、「待てよ」と強めの口調で止められた。
「なに怒ってんだ。」
「っ、…怒ってませんよ。」
「機嫌悪ィじゃねーか。…この前から。」
「……。」
怒っては…ない。たぶん。
でも、そのマヨネーズは一緒に楽しめない。
そのマヨネーズだけは。
「……はァ、わかった。」
呆れたような顔つきで、土方さんが何かに頷く。
「お前をここへ呼んだのは、確かにマヨネーズを食わせるためだ。だが…それだけじゃない。」
一本のマヨネーズを手に取り、キャップを開けた。
「他に…相談があるんだ。」
相談?
「それをお前に…聞いてもらいたくてな。」
歯切れが悪い。
こんなこと初めてだ。
「私なんかで力になれることなんですか?」
「ああ。お前しかいない。」
な、なんだろう…。
嬉しいけど、私しか頼れない内容なんて想像がつかない。
「俺の相談は他言無用だ。力、貸してくれるか?」
「……、…。」
どんな内容だろう…。
でも…
「もちろんですよ。」
断るわけがない。
「私で力になれるのなら、ぜひ。」
土方さんが困っているなら、
どんなことでも、力になってみせる。
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