落とされた唇に宿る熱
今日は一日オフの日。昨日仕事終わりから行った釣りで釣れた魚を持って、そのままあいの家に向かった。俺が釣った魚を食べさせてあげたかったんだ。
彼女の家に着くと、冷蔵庫に下処理をしている魚を放り込んで手早くシャワーを浴びる。事前に俺が行くことは連絡しておいたから、早朝の訪問でもあいは起きて待っていてくれた。こういうところが好きなんだよね。
「智くん、タオルと着替え置いとくね」
バスルームにいる俺へ扉越しに声がかかる。愛しいその声の主を、今すぐこちら側へ引っ張り込みたいなんて不埒な考えが浮かんだ。でもそれは後回しにして、とりあえず魚の調理だ。
「ありがとう。すぐに上がるから」
悪い事なんて何にも考えていないような声で返事する。体にまとわりつく心地良い疲れを流すように、シャワーを全身に浴びた。
「今日はいっぱい釣れたんだね」
冷蔵庫の魚を見ながらあいが嬉しそうに呟く。鰺を中心に太刀魚や中鯖などの魚を釣ることが出来た。今日は入れ食いになる時間もあり、それほど釣りに慣れていないお客さんにもアタリが来ていた。
「うん。調子よかったから」
そう言いながらあいの頭を撫でた。俺より頭一つ分小さい彼女はとても撫でやすい。
「あれ、智くん怪我したの?」
絆創膏を貼った俺の左手を取りながら、あいが心配そうに顔を見上げてきた。
「あぁ、ちょっと針を引っかけちゃってね」
昨夜から今朝にかけての釣りで、釣り針が手の甲に引っかかってしまったのだ。とは言っても、深い傷では無い。しばらく血が出るから絆創膏を貼っておいた程度で、今まで忘れていたくらいの小さな怪我だ。
「大丈夫? 早く治りますように……」
それなのに、彼女は少し泣きそうな顔をして絆創膏にキスを落とした。……コレ、誘ってんのかな? それなら喜んで受けるんだけど。伺い見た彼女の顔には、欲情なんて一切浮かんでいない。あるのは純粋に俺を心配する気持ちだけ。
「ありがと……」
だから俺も湧き上がりそうになる衝動をなんとか押さえ、頭に口づけを落とすだけで堪えた。
「よし、じゃあ三枚おろしするわ」
離れがたさを振り切ってそう宣言する。そうでもしないと、腕の中の温もりを手放せなさそうだったから。
「よろしくお願いしまーす」
ニコッと笑って言った彼女は、いつものように少し離れたところから俺が捌くのを見ている。料理が好きな彼女はもちろん魚も捌けるのだが、俺が釣ってきたものは俺が捌くというのが二人の暗黙のルールとなっている。
「よし、じゃあ鰺からね」
冷蔵庫から取り出し、まず頭を落とす。そして腹の方から中骨に沿って切り込みを入れる。背中側からも同じように。二枚に分かれた片方の中骨を取れば三枚おろしの出来上がりだ。そうして何度か繰り返し、処理が終わった魚が増えていく。今日はこれでどんな料理を作ってくれるのだろう。定番のアジフライだろ。太刀魚は塩焼きが旨いかも。中鯖は竜田揚げやハンバーグってのもありだな。
なんて雑念が入ったのがいけなかった。最後の一匹の処理を終えて包丁を片付けるとき、ピリッと鋭い痛みが指先に走る。
「いてっ!」
咄嗟に上げた声に、あいがすぐさま反応する。俺が処理した魚を冷蔵庫に閉まっていた彼女は、素早くそれを済ませて駆け寄ってきた。
「智くん、大丈夫? 指切った!?」
言いながら俺の左手を取る。水道を捻って水を出すと傷口を洗い流した。キッチンペーパーを何枚か切り取り、傷口に当てるとそれを俺の右手で押さえさせ、自分は絆創膏を持って戻ってくる。流れるような動作に俺はされるがままだ。
「包丁の傷は後からじくじくと痛むから……」
数枚重ねて貼った絆創膏の上から、心配そうに傷口を撫でる。
「ありがと」
心の底から俺を思ってくれる様子が伝わって、胸の中が温かくなった。感謝を伝えようとあいを腕の中に閉じ込めようとしたその時。彼女が俺の指先に口付けた。とても大切そうに、そして愛おしそうに。その仕草はとても神聖なものに見えたのに、俺の中に宿る欲情に火を付ける。
「……もう限界」
彼女の腕を掴み、寝室へ連れ込むと軽く押してベッドに転がした。「智くん……?」と呼びかける少し震えた声も、上目遣いに俺を見る潤んだ瞳も、全て俺の熱に火を注ぐ燃料にしかならない。
「あいが傷口にキスなんかするから……」
最後まで言わずに、覆い被さって唇を奪う。始めから深く入り込んで探した舌を絡めた。呼吸が苦しいのか、彼女の口から吐息が漏れる。それすら逃がしたくないと思うなんて、俺はどれだけ彼女を求めているのだろうと頭の隅で考えた。
「っ……智くんっ!」
時折あげられる声が、とてつもなく色っぽく耳に届く。それに応えるように、いつもより深く彼女を求めた。
落とされた唇に宿る熱は、俺の中で熱を増して。
君を奪い尽くすまで冷めることはない
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