揺瞳


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オフィスから電車で10分、駅から徒歩5分。10階建ての6階。1LDKのマンションは、バストイレ別でキッチンは対面式。せっかくのお城にシングルは寂しいと、セミダブルのベッドを置いた。平日は少し大きいと感じるベッドも、週末は窮屈だ。


『忠義、おはよう』
「んっ、もうちょい」


忠義とは一緒に住んでいるわけではない。でも金曜日は大体どちらかの家に帰って土日の休みは2人で満喫する。一緒に住んじゃえばいいよ、という人も居るけれど、お互いそれぞれの時間も大切だと思ったからだ。


『寝ぼけてるの?朝ごはん出来てるよ』
「あかん、もうちょっと。名前も一緒に寝ようや」
『今日大阪支社から転勤してくる人がいるんだって。部長に早めに来いって言われてるの。先に出てるからもう少し寝ててもいいよ?』
「嫌や、一緒に行く」


まだまだ歴の短い会社だけど、社長の地元でもある大阪にも東京本社よりも小さな会社がある。こんな中途半端な時期に人事異動があるんだそうだ。村上部長が言うには、これも社長の思いつきらしい。忠義と家を出て、電車に揺られて会社の最寄り駅に着いて、会社までは駅から歩いて5分。どんな人がくるのかな?なんて2人で話しながら会社に着いた。エレベータードアが開くと長い廊下があって、社長のヘンテコな絵が壁にズラリと飾られている。初めてこのオフィスに訪れた時は、本当にこの会社で良いのだろうかと疑った。


「じゃあ、また後でな」
『うん。また後で』


忠義とは部署が違うから朝一緒に出社して来て廊下で別れる。クリエイティブ部に入ると最近の会社らしいなと思う様なオシャレなオフィスになってて、昨日まで物置きになっていた私の隣のデスクが綺麗になっていた。






「異動してくるヤリ手ってどんな人なんやろな」
『丸ちゃん、おはよう』
「おはよう」


コピーライターの丸山隆平。研修時代から一緒でひょうきんな彼とはすぐに仲良くなって、何でも話せる仲になった。彼の考えるコピーは評判がいい。いつもはふざけてる彼だけど、何度も彼のコピーに感動させられたことがある。忠義とは違うほんわかした雰囲気の彼は、私の同期だ。


『やり手なの?』
「らしいで。大阪支社じゃエースやて」
『へー、そうなんだ』
「しかもイケメンらしいで」
『ふーん』
「名前ちゃん興味ないん?」
『そういうことじゃないんだけど』
「あ、大倉くんが居るもんね」
『そんな事より丸ちゃん、オロナミンCのコピー出来たの?締切今日だけど』
「はーい、やりまーす」


右手をピンと伸ばして言いながら、自分のデスクに戻る丸ちゃんの背中を見てくすりと笑った。朝のコーヒーを入れて戻ると社内メールが来ていて"t.okura"をクリックすると"駅前の洋食屋リベンジ作戦を決行しませんか?"とあって笑みが零れた。


「おはよう、みんなちょっと集まって」


村上局長が集合をかけた。局長のデスクの周りに作業の手を止めてみんなが集まる。転勤してくる人の紹介だとみんな気付いていて、イケメンだと噂されているからか女子社員はウキウキしながら登場を待っていた。そんなことよりも仕事が出来る人がいいな…と願う。新卒で今年入ってきた新人は、村上部長が頭を叩き過ぎて3ヶ月で辞めていった。そう言えば、マルちゃんがやり手なんだって言ってたっけ。支社で活躍しているのに、新入社員と一緒にするのは失礼だけど。


「入って」


局長の後ろにあるドアが開いて男の人が入ってきた。背の高い後輩小瀧の後ろにいたもんだから、顔がなかなか見えない。



「大阪支社から移動してきました








錦戸亮です」






『…………………えっ…』

息が詰まったような感覚になった。小瀧の後ろから少しだけ顔を出してみると、そこに立っていたのは私のよく知っている顔だった。その後に感じたのはギュッと締め付けられるような感覚。部長が何かを喋っているのが何となく耳には届いていたが、内容は全く耳には入ってこない。局長の横に立つあの人は局長の方を顔だけ向けながらウンウンとうなづいて話しを聞いていた。きっと局長は業務連絡をしていて大事な、きっと重要な話なのにその顔から目が離せない。
話の途中でチラッとこちらに顔を向けて小さく笑ったその顔は、私の忘れられない笑顔だった。