じゅうに
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古賀の事務所を出て車に戻る頃には、すっかり日が落ちて暗くなっていた。
ドアを閉めて鞄を助手席に置く。
「……」
エンジンを掛けることもせず、しばらくただぼんやりと外を眺めていた。
ーー『俺が言うのもおこがましいけど、櫻井なら絶対いいパートナーに恵まれると思うから』
何かあれば相談してくれよ、と帰り際に言った古賀の笑顔が浮かぶ。
頭の中は綺麗に整理したはずなのに、気持ちの整理が追い付いていないのだ。
自分が情けなくて嫌になる。
(……帰ろう)
ようやく現実に戻り、エンジンを掛けようとしたところで携帯が鳴った。
朝比奈からだ。
(どういうタイミング……)
余計なことを察されないよう咳払いをしてから電話に出る。
「ーーはい、櫻井です」
『朝比奈です、お疲れ様です。今大丈夫ですか?』
「うん、お疲れ様。どうした?」
『あっいえ、仕事のことではないんですけど……古賀さんと仲直り、どうだったかなあと思って』
「え、」
『すみません、余計なお世話で……なんとなく気になって』
電話の向こう、申し訳なさそうに小さく笑う朝比奈の姿が目に浮かぶ。
朝比奈らしい優しさに微笑した。
「ああ、わざわざありがとう。おかげさまで……」
仲直りできたよ。
そう言おうとした口がそのまま固まり、次第に目頭がじんわりと熱くなる。
ーー本当に情けない。
『……櫻井さん?』
「……いや、……大丈夫」
『あの』
「本当にありがとう、お疲れ様。それじゃ、」
櫻井がそう言って半ば強引に電話を切ろうとすると、朝比奈が『待ってください』と引き留めた。
「うん?」
『櫻井さん、ご飯これからですか』
「そうだけど……」
正直なところ、これから誰かと会うのは気が引けた。上の空になりかねないし、人と会う顔ではない気がする。相手を気遣う余裕もない。
ーーでも、
『一緒にご飯、食べませんか』
* *
(来てしまった……)
二度目の来訪となる、朝比奈の住むマンション。
パーキングに停めた車の鍵を掛け、エレベーターに乗り四階のボタンを押す。
部屋に着いてインターホンを鳴らすと、すぐに扉は開けられた。
「櫻井さん、」
安堵したような朝比奈の笑顔に迎えられ、櫻井も不思議とほっと息をつく。
「お疲れ様です」
「お疲れ様。悪いな」
「とんでもないです、急に呼びつけてすみません」
部屋に上がり、ジャケットを預かってもらうと、少し待つように言われて椅子に座った。既にテーブルにはサラダが置いてあり、続けて朝比奈がしょうが焼きやら冷奴やらを持ってくる。
「手伝うよ」
「いいんです、ゆっくりしててください」
「逆に落ち着かないというか……」
「ふふ」
そうして味噌汁と白米、烏龍茶が並んだところで、朝比奈も櫻井の向かいに座る。
「ちゃんと自炊して偉いな」
「櫻井さんもしてるんじゃないですか?」
「今はそこそこするようになったけど、朝比奈くらいの時はコンビニとか外食で済ませてばっかりだったよ。料理好きなのか?」
「実は結構好きです」
少し照れたように笑う朝比奈に、櫻井は感心して「いただきます」と箸を持つ。
櫻井が体調を崩した時に振る舞われたおじやも美味しかったが、やはり朝比奈は料理上手に入るのだろう。思っていた以上に箸が進む。
「うん、美味い」
「よかったです」
やがて食べ終えて食卓を片付けると、朝比奈が食後のコーヒーを淹れてくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
少し他愛ない話をして、それからふと訪れる静けさ。
「……本当、すみません。急に呼んだりして」
朝比奈の声に顔を上げると、申し訳なさそうに笑っていた。
櫻井は首を横に振る。
「全然。むしろ、」
むしろ。
ここに来て、忘れかけていたくらいだった。
一人呆然としていた虚無感も、不安も、寂しさも。
「……助かったというか……なんというか。……ありがとう」
誰かと会うのは気が引けた。上の空になりかねないし、人と会う顔ではない気がしていた。相手を気遣う余裕もない。
ーーでも、朝比奈なら。
朝比奈なら、そんなことは気にもせず、櫻井にいつもと変わらない笑顔を向けてくれる気がしていた。
不思議なことだった。
カップを置いた朝比奈がぽつりと話し出す。
「このところ、櫻井さん……少し無理されてるというか、そんな風に見えて、なんとなく気がかりだったんです」
「、そうかな」
「ずっと何か、考えてるみたいで」
よく見ている。
のか、櫻井がわかりやすいのかはわからない。
それでも、朝比奈が自分を見てくれていることが素直に嬉しいと感じた。教育係としては立場が逆転しているようで情けないことこの上ないが、それでも。
「……朝比奈」
ーーこんなに惹かれると思っていなかった。
知ってほしい。知られたい。全て話してしまいたい。
そうして受け止めて、受け入れて、
ーーそれで?
(それで、)
もしもまた、軽蔑されたら。
「櫻井さん?」
心配そうに櫻井を見つめる朝比奈に、我に返り「いや」と濁す。なんでもない、と言おうとして、その言葉が出なかった。
また踏み出せないのか。
いつまでも臆病で情けない奴のまま、一人砕けて散ったガラスを眺めている。元に戻したところで、いつかまた壊れるのではないかと、壊されるのではないかと、そうして怯えながら何もしないまま。
そんな自分が嫌になって、せめて朝比奈の期待に応えたくて、古賀に話をしたのではないのか。
このままでは何も変わらない。
「……いきなりこんな話されても、困るだろうけど」
「はい、」
「たぶん」
指先が冷えていく。
「驚くし、……でも、」
「はい」
もう泣きそうだった。
それでも、
「朝比奈に聞いてほしい」
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