カレット
いち
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「――でして、こちらでしたら加我様のご要望通りのプランに」
「いいねえ。いいよ、うん。ははは、もう決めてもいいかな、うん」

頷くのは本日二件目の得意先である小売店の責任者、加我である。今度新しく店を増設するというので、櫻井はここぞと自社の売り込みを決めていた。
櫻井の勤める株式会社タチカワ・フロンティアは、建築そのものからインテリア販売諸々まで幅広く取り扱っている。建築にあたっては職人手配まで承っており、評判はなかなかのものだ。
加我が膝を叩きながら言った。

「いやあ、昨日もね、ナントカってとこが来たんだけどね、ありゃあダメだ。名前も忘れちったよ俺は。ははは! いや〜やるって決まった時からね、頼むならお宅かなあとも思ってたんだよ俺は」
「ありがとうございます」
「うん、うん! な、そーだな。いや〜それにしても櫻井さんがもう昇進とは。偉いもんだ、若いのに頑張ってなあ。立派だよ、なあ。うちも櫻井さんにはお世話になってきたしなあ」
「ありがとうございます、こちらこそ、いつも良くしていただいて。昇進といっても若輩者に変わりありませんので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
「ね、ね、謙虚だよ。こちらこそお願いしますよ。ああほら、契約書書かないとね。ははは、契約契約と」
「ありがとうございます、こちらに」

しっかりと加我に契約書を書かせ、漏れがないか素早く目を通す。きっちり判を確認し、櫻井はにこりと笑った。

「それでは、確かに。ご契約ありがとうございます」

* *

「よく喋る方でしたね」

加我に「新人さんも頑張りなさいよ。櫻井さんはね、そりゃあ良い先輩だからね、しっかりと教えてもらうんだよ。揉まれてナンボだ、ね、頑張りなさいよ」と送り出された朝比奈が車の中で言った。櫻井も苦笑する。

「喋るの大好きなんだ。ああいうお客様の時は、何も言わなくても自分の要求をバンバン話してくれるから、こっちはしっかり聞いて要約して、本当に伝えたいことだけ伝えればいい。職業柄、ご機嫌取りも忘れずに」
「全く話さないお客様とかもいらっしゃるんですか?」
「まあ、無口な人も結構いるぞ。それでもパターンに当てはめてっていうのは難しいから、やっぱり一番は個人個人をよく見て臨機応変に対応することだな。やってくうちに慣れるさ」
「はい、ありがとうございます」

元気に答える朝比奈に頷いて、櫻井は時計を見た。一時半。

(二時から榎本工業、作業確認だけだから二時半に終了予定移動三十分で三時半から三嶋インテリア……四時半終了で五時ジャスト帰社、さっさと日報終わらせて帰る。よし)

手帳を仕舞い、エンジンをかける。櫻井と客とのやり取りや、受けたアドバイスをメモしたらしい手帳を眺める朝比奈に言った。

「朝比奈、飯は次回ってからだから遅くなるけど大丈夫か? どうしても腹減ってたらコンビニ寄るけど」
「平気です、緊張してるので」
「はは、そっか。緊張するなって言っても無理だよな、初日なんて」

車を出し、朝比奈の言葉に甘えて次の得意先に向かう。自分の新人時代、初日はどうしていたろうかと懐かしく思いながらハンドルを操作する。確か、朝比奈よりもずっと固くなって、とにかく必死に仕事を覚えようとしていたのだ。思い返せば初日についていったのは現係長の日下だった。

(もう何年前……五年くらいか、早いな)
「あの、櫻井主任」
「うん?」

朝比奈のほうから話を振ってきたのは今日初めてのことで、やっと少し慣れてもらえたのかな、と櫻井は思った。


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